2013年04月

「医者に殺されない47の心得」 患者さんの読み物としては面白い

今話題の書、近藤誠先生の「医者に殺されない47の心得」を読んでみました。

「患者よ、がんと戦うな」、「がん放置療法のすすめ 」など、手術や抗がん剤のデメリットを強く訴えてきた方で、今は当たり前の乳房温存療法を日本で先駆けて提案してきた先生です。

慶應の放射線科の先生ですが、菊池寛賞を受賞されたそうです。本当にあっという間に読めてしまいました。

以前血液内科の患者さんがこの方の書かれた週刊誌の記事などを読まれて、治療を受けたくないと問題になったことがありました。

そのため患者さんに説明するために買って読んでみたんですが、がんもどき理論、抗がん剤治療をしない、糖尿病は治療するな、ワクチン打つなの論点を除き、読み物として、患者教育書物としてまあ納得いくものでした。

細かい点、証明の仕方に突っ込みたくなる部分はありますが、生活習慣病の高血圧、高コレステロール血症についてはある意味その通りです。

心筋梗塞などを発症していない、元気な人のスタチンの服用については、10年の観察では投薬に伴う現在はっきりとした優位性は証明されていません。

薬をたくさん服用する事の問題もまさにその通りです。飲めば飲む程、アレルギーや副作用の発症率は高くなります。

高齢者に対する生活指導も私が外来で心がけていることと本当に似ています。

老化現象ですよという医者は信用できるという心得2からいくと、患者さんに、それは年です。薬では治りませんと言っている私は本当に信用できる医師です(なんてね)。)

歩け、サプリは無意味(かも)、規則正しい生活、健康なら病院に来るな、みんなとしゃべれ

高齢者がやることはまさにこれです。

風邪に抗生剤出すな、検診で有用な検診はまだ無い、がん免疫治療は無意味などもその通りですが、全て例外はあります。

医療において現在の無意味とされている評価が、数年後変わる事はざらにあります。

またこの本の90%の患者に抗がん剤は無効と言う記載は、10%には有効ということです。

この10%に血液腫瘍は入ります。


糖尿病もUKPDSのデータを解説しながら、治療のやり過ぎを指摘しています。

UKPDSは研究の規模は大きく、本当にすばらしい臨床研究ですが、すこし研究計画に問題があったことが指摘されています。

その問題を認識した上で、患者さんには説明が必要です。

またその後のUKPDS 10 year follow-upおいて、早期からの厳格なコントロール群が対照群(ゆるやかな治療しかされていないグループ)より予後が良くなっている事も述べていません。

そして20年間の研究の後、対照群に振り分けられていた人達も、その後薬をしっかり使われている事をこの本は説明していません。

しかも最初のUKPDSの時から網膜症病変はしっかり治療した方が少なくなると言う事をわざと軽く書いています。(失明はレーザー治療のためおきないが、糖尿病性網膜症発症は多い)

この本に書かれている糖尿病患者さんの比較研究は、発症してすぐの20年未満の短い期間の観察です。でも30年では差がでてしまったのです。

例示すると
私は40で糖尿病を発症して、仕事が忙しく適当に治療していました。

でも60の時には、周りの真面目に治療されている人と比べても、健康で大きな差はありませんでした。(まあ網膜症でレーザー治療を受けたがちゃんとまだみえていました。)

ただその後一生懸命、血糖をコントロールしたんですが、最初から一生懸命やっていた人はピンピンしているのに、私は心筋梗塞などの病気が出て、70で差がついてしまいました。


みなさん知っていてください。

その差がでるのに20年未満では出ず、30年前後かかると言う事です。

生活習慣病とはそんなものです。でも後からでも治療した方が絶対にいいです。

糖尿病も低血糖をおこしにくいいい薬が、UKPDSの時代に比べればたくさん出てきています。

糖尿病になったら治療しましょう!!症状出てからは止められません。

ちなみに高齢者の糖尿病の基準は、今回の研究の内容を参考にして以前よりマイルドになっています。

医療は本当に難しいもので、近藤先生のがんもどきとがんを厳密に区別する方法はありません。

またがんの時間における進展性(どんどん悪いものに変わっていく)は、様々ながんで証明されてきています。

がんもどきだといって放置する事はある意味殺人だと思います。

近藤先生は経験していない胃がんで発症から数ヶ月でお亡くなりになった症例や、さまざまな痛みに苦しんだ方もいらっしゃいます。

この本の問題点は、一部は自分の小さな経験から、一部は大規模研究のいいとこだけを書いて、論理に一貫性が無い事です。だから医師達は批判します。

まあそうはいっても、以前の本に比べ、
液内科腫瘍を抗がん剤が効くと書いた1行の部分(免疫治療の項)をもって、患者教育として、読みやすい文章として、読んで損はしない本と思います。(特に高齢者!!)

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政治家は医療をやっぱり知らない 保険病名とは

政府の社会保障国民会議が、医療改革の第1弾として国保の運営を市町村から都道府県に移管する提言をまとめました。国保の運営、都道府県に移管へ 市町村格差を改善

余裕のあるところがもっと負担しろという内容です。

すかさず厚生労働大臣は慎重論を述べています。国保の運営移管 厚労相が慎重論

会議で言われた事をふまえての自民党の政治家 河野太郎氏のブログです。統合失調症が多い理由 続 統合失調症が多い理由 医療費分析の問題

「だが、現在のように県の国民健康保険団体連合会がきちんとしたレセプトの分析をしていなければ、都道府県に移管しても医療費の管理はできない。厚労省のプランでは、ただ、大企業の健保と大都市の国保の加入者に余計に負担してもらおうというだけだ。これでは医療改革にならない」

結論は正しいですが、前提があまりに知識のなさから導き出されたものでびっくりしました。

本当に政治家として医療を経験されているのか疑わしくなります。(とても感じはいい人にみえていたのですが)

彼のブログの医療者のコメント欄にもありますが、適応外使用は今の医療では当たり前のことです。

そのため
その薬や検査を使用するために保険病名という一過性に病名をつけることが今の保健診療では当たり前なのです。

それをおこなわなければ、保険部分が切られてしまいます。

だから保険病名が組み込まれたレセプトの分析は正しい医療の評価にはなりませんし、レセプトのミスが無駄遣いと結論づけるのは医療の現場を全く知らない事を公表しています。

ちなみに、この病名付けに医療者はかなりの時間とられます。その分診療時間が少なくなります。

つまり現在のレセプトで認められる医療の点数は、現代の医療レベルに追いついていないのです。

だから認知症に随伴する症状(BPSD)に当たり前のように使われて、家族、本人の生命が守られているこの薬を無駄遣いのような書き方ができるのでしょう。

この間、長い間認可されなかった様々な薬が、厚労省の飴(補助金)で公知申請され認可されました。希少疾病や小児疾患への適応追加が続々

つまり、厚労省の薬の適応追加が間に合っていない日本の現状がこれをみるだけでも明らかです。

河野氏のように、適応外使用がおかしいと言うのなら、今の日本の医療はかなりレベルの低いものになるでしょう。

そもそも論で、決まり事に違反していることは否定しません。

国民がそのレベルの医療を望むのなら止めませんが、現状を知らない無知な情報で国民をミスリードするのはいけません。

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救急問題への提言(5):救急システム 病院のかかりかた

医療者側(行政側?)として今の救急体制について書きます。一部患者さん側への要望にもなります。

日本の救急体制は、1次、2次、3次に振り分けられた医療施設に、病気の重症度に応じて患者さんを振り分けすることが日本における基本です。詳しいまとめはこちらを参照していただけるとありがたいです。ERシステム FAQ

このFAQにも書いてありますが、よく問題になるのが患者さんが自分の病気を判断できないという問題です。また軽症にみえる患者が本当は軽症でないことがどうしてもあるということです。

そのため、患者さん達は、自分がとても重病ではないかと思い、マスコミにも誘導され(胸の痛みは心筋梗塞、頭の痛みは脳出血等)1次を飛び越え、2次、3次医療施設を歩いて受診されます。

日本において、患者さんはどの病院を受診することは制限はありません。だから風邪の患者でも自分の判断で大学病院等の3次救急を受診する事ができるのです。

本来すぐに処置をおこなわなければ命を落とす患者さんを扱うべき病院に、そのような患者さんが大量に来てしまうと、事務処理を含めて、本来の業務が滞る可能性がでてくることは、医師からすれば当たり前の事なんですが、一般の人はなかなか理解できないようです。

ちなみに、私の外来で例えれば、再診の患者さんは顔をみれば概ね全ての情報の確認を5分で把握できます。

しかし例え症状が軽いかぜの患者でも丁寧にみようとすれば、初診の患者さんは情報収集に10分以上かかり、診察に10分以上、トータル20分以上かかります。

NHK DrGなんかでおこなわれている、診察と問診で2時間かかるような状況では、救急外来が崩壊してしまいます。

だから、普通に歩けるような患者さん、最初に1次医療施設に行ってドクターに診察をしてもらい、2次、3次が必要な病気が隠れているかをみていただきたいのです。

絶対にみなさんが判断するより、医療的に詳しくなれます。

患者さんの協力も良い救急医療をおこなうためにも必要なんです。

でも『1次だとみてもらうまでとても待つ』、『2次、3次が家から近い』、なんてローカルな問題もあります。

現在この問題を含めて運用できるシステムがありません。

私の尊敬する医師達の中には、「患者さんは自分の重症度を判定できないのだから受診制限するべきではない。24時間いつでも患者を受け入れる」とお話しされている方がいらっしゃいます。

個人的には賛同します。でもシステム上は断固として拒否します。

2次、3次を扱うことが望まれている先生に、1次の患者を診せて疲労させる事は、2次、3次の患者さんにリスクを与えてしまいます。

その先生にしかできない事をやらせる事が大事で、他の仕事は分散できるものは分散すべきなのです。

若い頃入院中の患者さん全員に対して、朝、夕2回毎日ベッドサイドに座り10分以上診察以外に会話をしていました。

患者さんの不安を除くために必要と思い、悪性新生物に対し抗がん剤治療という厳しい戦いをしている患者さん達を毎日励ましていました。

埼玉の大学病院復帰後、同じような診療をしよう、患者と向き合おうとした際、時間が足りない事を認識しました。

たった5年前後の間に、医師の診療以外の仕事量が増え、患者さんの不安を除くために使う時間を短くしなければならなかったのです。

医師は余裕が亡くなると、生命の危険に直結する可能性の低いものからはしょっていきます。

そうすると日常の不安除去を看護師さん達にお願いするしかありませんでした。

それがうまくいっていたかどうか判定は難しいですが、重要な仕事(医師がたくさんの患者さんを同時に診る際、全員の安全を守るためにはずせないもの)を優先しました。

医師全員がよく報道されているスーパードクターのようにやれるわけではありません。

それはスポーツ選手において、全員が長島、王、イチロー、ダルビッシュ、香川、本田、メッシ、大鵬、マイケルジョーダン等にはなれません。

そしてチームスポーツはその一人だけでは勝てません。スーパーな医師が一人だけでやる時代ではないのです。

だから今の時代にあったシステムが必要なのに、そのシステムができていないのです。(サッカーで言えばそのチームにあったフォーメーション)。

フォーメーションが決まっていないのに、負けた責任を個人に負わせ責める事はチームを強くするために有効な方法でしょうか

責めるのではなく、育てることが必要で、医師の技能だけではなく、患者搬送、選別、役割分担等のシステム構築が絶対に必要なのです。

昨日の毎日新聞の記事です。<厚労省>地域病院まとめ法人化を検討 基金設立し補助

後送先決定等、今の医療において問題となる点を分析しながら、飴を必要な部署につけ、働かないところからは吸い上げるといった官僚得意の政策がはじまります。うまく使えば今の状況を打破できます。

50年変わらないとある先生からコメントがありました。

でも一つの動きが出てきていると感じています。


 
 
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救急医療への提言(4)医療者の問題

記事がなかなか書けずにすいません。年度始め、大学忙しいです。

朝日新聞の記事で、医師ブログでも有名なお二人が、大学病院の救急医退職問題を取り上げています。各地で救急が崩壊しているが、その中に「旧人類」の問題も見え隠れ大学病院と救急医療は相性が悪いかも…

大学病院における人事のむずかしさと、ギリギリで運用されている現状を表しています。本当にいろいろな部署で閉鎖されています。

今回は救急問題における医療者側の問題を考えていきます。

まず救急という分野において、専門医が少ないことがあげられています。加盟学会の専門医数の一覧表

埼玉なんて救急対応病院にほとんど専門医がいなくてひどいと、川越救急クリニックの上原先生も記事にされています。厚労省・救急医療検討会

鹿児島で救急クリニックを開いた松岡救急クリニックに、開院当初から患者さんが大量に搬入される現状も、今の全国の救急の状況を表しています。(
松岡救急クリニックFBより)

標榜していても簡単にとってくれない大きな病院より、すぐにとってくれてしっかりと対処してくれる腕のいい医師がいるクリニック。

こういうしっかりとトリアージを含む対処ができる腕のいい医師が全国的に臨床の現場に少ないのです。

以前私も救急車を受け入れ、患者が心筋梗塞だと診断した後、直接電話して大きな病院に心筋梗塞ならと引き取ってもらったことがあります。

その時『1時間前にその病院に電話した時は受け入れ不能と言われたのに』と救急隊が泣いていた事があります。

医師が判定してくれたら安心して収容して利益を得ようとする病院があることを否定しません。

善意の医師が頑張っていることで、今の救急は成り立っています

救急専門医は全国で3382名と血液学専門医2982名とそんなに変りありません。

血液内科はそれこそ大きな病院にないとこも多いですが、救急はそこそこの病院ではみんなやっています。

また血液内科も当然複数の人間がいりますが、救急の場で働く人間は一つの現場で5人が同時に働く必要があります。

内科学会、外科学会、消化器内視鏡学会専門医など
と比べればどれだけ少ないかが実感できるでしょう。

この救急という大変な職場を医師が選ばないことも問題なんです。

でも血液内科を含めて、本来担当する患者数は少ないので、この人数がいれば足りるという想定もあるのですが、の専門医達が実際は現場から離れています

また救急が頑張っているのをいい事に、甘えている医療施設が存在するのも事実です。

東京都の墨東病院では、欧米型のERシステムをとっています。本来1次から3次す
べての患者を受け入れています。

本当に優れた病院ですが、それをいい事に何でも送ってくる病院、施設があります。結果として受け入れが難しくなります。

施設入所中の90才、100才の意識もない、弱っていた人が救命に運ばれている状況も延命治療の上で考えなければいけません。

本当にその患者さんの救急処置を本人を含めてみなが望んでいるのか。治療のシステムを患者さんを含むまわりが理解できていないことも大きな問題です。医療と介護の連携 日本医療の現状 いいかげんにしろよ 

病院内でも問題があります。救急患者を引きとったあとその後です。

救急は初期治療だけおこない、その後は他科にお願いするやり方と、退院まで面倒をみるやりかたがあります。

今回の神戸大の問題は、教授交代に伴うこの医療のやり方の変化に医師達が納得しなかったことが問題となっているようです。

高齢者は何らかの合併症をいっぱい持っています。そのため一旦救急に来院し、病状を落ち着かせた後どこがメインでフォローするのかというのはとても問題があります。特に細分化された大学病院。

糖尿病で心筋梗塞をおこし救急で運ばれた際、腎不全で透析をしているのならば、少なくとも内分泌代謝、循環器、腎臓内科(泌尿器のところも)がこの患者さんに関与が必要となります。

でも救急からお前の科が診ろと言われると、いやこれは、メインはそちらで等とそれこそたらい回しがはじまります。医師は自分の専門に他科から茶々を入れられると、すぐにへそを曲げます。

総合臨床部などがあると、引き受けてもらえますが、大学病院はどこの科が引き取るかでよくもめています。

また後方病院に、療養、緩和の目的でおくられている事もよくありますが、手間がかかる患者さんは利益率が悪いと引き取りをしてくれない病院も多いです。結果入院が長引き、病棟があきません。

医療者が救急をどうしたいのか、救急に対して国民はどういうことをのぞんでいるのか。今の医療資源の中で優先順位はどうするのか。そういうことを決めていかなければいけないんです。

この医療者の職業選択の自由を含めた問題が、実は一番ハードルが高い部分です。

一番の解決は、救急医を増やしながらも、周りとの協調関係を病院がやらなければいけません。

専門の大学病院があわないのなら、そういう科を作らなければいけません。(総合臨床部?)

そういう道しるべを出していかないと、いつまでも解決できないのです。

だからといって医師達を責めて強制すべき事ではありません。

長文になりました。中途ですがここで一旦やめておきます。



 

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悪性新生物(癌)の告知 そして死の告知 

私たち血液内科医は悪性リンパ腫、多発性骨髄腫、骨髄異形成症候群、白血病等の悪性新生物の患者さんを対応することが多いです。

その患者さんに診断名、つまりあなたは血液のがんですと言わなければいけません。

一度も治療をした事のない患者さんは、抗がん剤を投与すると治癒する可能性がありますので、治療を受ける事を強く説得します。この時の医師の頭の中は単純です。

『命より尊いものはない。だから患者は自分の病気を理解して医師の言う通り正しい治療を受けるべきだ』

本当に、患者さんは人それぞれです。

自分の命より仕事。自分の命より体裁。自分の命よりお金。自分の命より家族、恋人。

そのような考えを持つ人々に、私たちは説得し、命を共に守っていこうと共通の目的を作っていくのです。

大部分はこの言葉を信じてくれ、共に治療をおこなっていきます。

理解していただけない方々も当然います。(治療を受ける権利、受けない権利 そのあとは...

血液腫瘍はものにより異なりますが、抗がん剤治療をおこなう事で明らかにメリットが存在します。

しかし、それでも全部が治るわけではなく、数回の治療の後、残念ながら治癒をあきらめなければいけない時があります。

いわゆる、緩和治療への移行です。

その時に、私は残り少ない命を大事にして欲しいからこそ、もう治療法がないということを本人に説明する事を心がけています。

人間として、今までの治療に耐えてきたことを賞賛し、家族を含め最期の人生のを有意義に過ごせるよう時間をかけて説明してきました。

それが患者さんのためになると信じて。

しかし、最近ある知り合いの医師が癌でお亡くなりになりました。

その先生は自分の感情を正直にブログに記しています。純子先生のエッセイ

記事を読めば読む程、医師として、人として、母親として優れた方で、こんな方がなぜこんなに早くという感情が告別式で湧いて仕方ありませんでした。そして本当にたくさんの人が弔問に訪れていました。

そのなかの一文です。

がんばろうと少しでも思える時には元気でいられるのですが、明らかに自分の体が悪くなっている時には、現実に備えて準備をしようと言われても、わけのわからない焦りと恐怖で崩れ落ちてしまうのです。

終末期の病院選びは、早すぎても遅すぎてもいけないのです。

適切な時期があるような気がします。


こんな、優れた医師ですらそんな簡単には決めれない死への準備。

医師一人で決定しようなんておこがましいことを認識しました。

今現状の最善を尽くす事が私の医療のやり方です。

でもそれは必ず今よりも未来が良くなるための通過点と信じています。

焦っても仕方ありません。政治家の先生や、医学会のお偉い先生を巻き込みながら、患者さん、そしてその家族に良い医療(必ずしも表面的には望む医療ではないかもしれません)を目指していきたいと思います。

 

 
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