2019年05月

登戸事件 いわゆる自爆テロ これを防ぐためには単純じゃない 日本の安全の変化

川崎・登戸の大量殺傷事件。悲しい限りです。被害者のご冥福をお祈りします。

今までもこういう事件はありました(池田小秋葉原相模原等)。一人の正常ではない可能性の人間が犯した無差別な殺人。いわゆる自爆テロと同じものです。

週刊文春の記事からですが

>大量殺人を引き起こす要因として以下の6つを挙げた。(1)欲求不満(2)他責的傾向(3)破滅的な喪失(4)外部からのきっかけ(5)社会的、心理的な孤立(6)武器の入手
>「通り魔的な大量殺人犯の動機は、自分を軽んじた社会への復讐です。その予備軍は、どこにでも潜んでいます」

ではどうやって防げばいいのか。もっとカメラによる監視をなどと様々な提言がなされてはいます。ただ人を殺してはいけない、みんながみているところで悪いことをしてはいけないという倫理的に共通するものがないと、このような事件に抑止力は働きません。以前私もこんな記事(公と私 社会を守るためにどこまで制限できる 津久井やまゆり園事件から)を書いてます。

そしてあの藤田さんが社会に冷静な反応を呼びかけています。
川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

>被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。
>要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している場合がある。

上記の引用と同様の分析です。

>社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい。

わかるけどせめて最初になんの罪もないく殺された被害者への言葉が欲しい。そしてそのためには彼がいつもやっている政府にこうやれだけではダメなんです。

そして今回たまたまですが埼玉の同様の事件での警察官の対応も記事になっています。(刃物男に警官が発砲 さいたま市 路上で腹に命中、搬送先病院で死亡)まあ運の要素はありますが、この行為にてよって被害は縮小されました。やはりこのような攻撃を受けた時には被害を最小化するために戦闘力は必要です。それでも毎日の興味は犯罪の動機より死因のようですが。前回の記事です。(「平和ボケ」とは 戦争を否定するために戦闘力まで否定すること

全ての子供の送り迎えに家族の付き添いをと米国などの例を出しながら提案されている方もいます。そう日本の安全性、子供の一人歩き、夜間の行動が問題なくできる日本という国の安全性はきっと変化しているのでしょう。

もう一度考えましょう。日本の安全を守るために、誰かをおいてけぼりにさせないために、犯罪者を生まないために、そして犯罪がおきても被害を可能な限り減らすために何をしなければいけないのか。

アメとムチの施策をしっかり作り、小さい頃から教育すると同時に、住民の情報も把握し、移住者の情報も掌握し、今の大人に半強制的に協力をしてもらうしかないと思っています。個人情報上高い壁があるのですが。

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「平和ボケ」とは 戦争を否定するために戦闘力まで否定すること

丸山議員の発言で問題になった戦争という言葉。この言葉、日本とロシアの両者の立場を正当化するためのガラス細工のような施策であるあのビザなし交流の場では、不適切なのは間違いありません。ただその後の議論を封じ込めることは外交上正直おかしな話です。(彼の病気、診断書、政治家の質とは別です)

そんな中このような記事を見つけました。(誰が本当の「平和ぼけ」か

>丸山氏の発言が浮き彫りにしたのは、戦争がもたらす厄災の体験を継承していない世代が、戦争を「普通に取れる手段」のように考え始めている現状だ。

戦争という手段の可能性。筆者の世代がどこまでかは不明ですが、短絡的な今の若いものは理論を感じます。

>戦後の日本政治は「とにかく戦争をしない」ということを大前提にして出発した。政治とは戦争をくい止めるためにある。もし戦争になってしまったら、それは政治の敗北であり、政治家という存在の自己否定なのだ。それだけの矜持(きょうじ)が昭和後期の政治家にはあったように思える。

これは一部正しいのですが、戦争をしない目的のために戦闘力まで昭和後期の政治家は捨てていません。戦争をしないと言い続ければ戦争が起きないなんて、自分たちが不当に攻撃されても、国連がいつか助けに来てくれるというどこかの映画の幻想に過ぎません。

>「平和ぼけ」という言葉がある。日本で平和が続いているため、世界の安全保障の厳しい情勢に危機感が薄くなった状態を指す。リベラル、ハト派の外交姿勢や安全保障政策を揶揄(やゆ)する時に使われることが多い。

外交における防衛力、戦争を避けるための抑止力という名の軍事力、戦争までいかせないための戦闘力の保持まで否定していることが一番の問題「平和ぼけ」だと思います。そう戦争と戦闘行為の区別がついていない不十分なリベラル、ハト派が揶揄されているのです。

>しかし私に言わせれば、戦争の本当の悲惨さについて知識も想像力も欠いたまま、ただ威勢のいい発言で好戦的なムードをあおる連中こそ、よほどたちの悪い「平和ぼけ」である。

この文章も一面ではそうかもしれません。ただこの2つのを「平和ぼけ」を全く相容れないものと考え、戦争と戦闘を同一して否定してきたことが外交上役に立たない「平和ぼけ」を生み出し、今の日本の北方領土、竹島、尖閣諸島を含めた外交上の敗北を生んでいると思っています。

だからといって武力行使をしろなんて言っているわけではありません。ただある程度の武力がないと、相手は話にも乗ってくれません。世界的に当たり前のことです。

戦争と戦闘行為は別。そして戦闘力の保持は外交上必要。その原則がわからない人を「平和ボケ」と呼ぶのだと思います。

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丸山議員の診断書 適応障害という病名 医師の診断書が軽い

丸山議員の失言。いわゆる酒で出てしまった右翼系のはったりの発言と思っていたのですが、その後アルコール依存症などの情報が流れてきて、彼の強気の発言はどんどん深みにはまっていきました。

もちろんこの発言だけで辞職勧告決議はやりすぎかなと思っていたら、その後の女性を侮辱する発言など酒癖の悪さがどんどんあばかれていきます。その結果強気の発言をしていた丸山議員、2ヶ月の休養が必要という適応障害という診断書を提出してまさに雲隠れをしました。

あの香山リカさんが診察なしの断言ツイートをされていますが、少し理解できる部分が存在します。私も丸山議員を診察できていませんのでここまでいうのは正直越権行為だと思いますが、正直この「適応障害」の診断書を書いた精神科医に憤りを感じます。いや今2ヶ月の休養が必要な「適応障害」患者が数日前まであのような強気の発言をするかということにとても疑問を感じます。

ちゃんとアルコール依存症の診断書を提出したら政治生命が終わるとでも考えたのかもしれませんが、むしろ病気であることをちゃんといって謝罪した方が、潰瘍性大腸炎を告白し復活した安倍さんの流れの可能性を残したのではないかと思うのですが。今回の対応は潔さ含めて政治家として大失敗なのかなと感じます。と同時に医師の診断書の軽さを感じます。

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お金で在宅死を誘導 やすらかな死にお金がかけれないいやらしい時代

日本緩和医療学会ニューズレターに書かれている記事です。
緩和ケア病棟入院料あたふた

この記事からですが、
>①直近1年間の入院日数の平均が30日未満で、入院までの待機日数の平均が14日未満であること
>②直近1年間の在宅(保険医療機関でない施設を含む)退院率が15%以上であること

この条件が満たされると緩和ケア病棟入院料1を算定することが可能となり、作者の病院では1600万円の医療報酬の差として現れるそうです。

つまりこの言葉を翻訳すると
①いい緩和ケアをして患者を長生きさせてそのまま入院させておくとその病院は減収になる
②少しでもいい状態になったら退院させる。看取りは病院ではなく在宅で行わないと減収になる

ということを表しています。思わずツイートしました。そう以前書いた記事含めて、診療報酬で患者の尊厳、緩和ケア医のプライドをないがしろにする施策です。

ホスピスという安らかに死を迎える場所、終の住処という考え方、この内容を病院で行うことに政府はお金を与えたくないのです。あの藤掛病院の点数が低いのもまさにそれ。そう中医協、つまり厚労省が医療費を使っての病院での緩和医療、看取りにお金はかけないと宣言しているのです。

血液内科医を経験したのち、一般内科医、老年内科医として働いている今、急性期病院からの緩和目的の患者さんも受け入れています。そして病院の利益は従業員の給料に連結しますのでとても大事なのですが、医療者はそこに出来るだけ話を持って行きたくはありません。それでも病院が潰れては仕方がありません。本当やすらかな死にお金がかけれないいやらしい時代なのです。

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認知症予防 無理を強いて発展をのぞむ

毎日新聞社説です。(認知症対策の新大綱案 数値目標ありきの危険性)最終結論が一致しているわけではないですが、これはいい記事だと思います。

>発症の予防や発症後の進行を遅らせる対策を強化することが柱で、70代の人口に占める認知症の人の割合を6年で6%、10年で約1割減らすことを目標とする

政府の施策、予算を取るためどうしても数字目標を出し、期限を決めなければいけません。そして最終的にその結果の報告の提出も必要です。

ただ出される結果は正直昔からある「やりました報告」になり、この解釈なら認知症患者数が減りましたという認知症患者の定義を変えるやり方になるだろうなというのがみえてしまいます。

>認知症は発症の原因がまだ解明されておらず、根本的な治療法が確立されていない。数値目標ありきの対策はさまざまな危険性をはらんでいる

これはまさに現状分析として事実です。以下の引用もまさにその通り。

>認知症治療薬は4種類
>進行を遅らせる効能にとどまる。
>政府が数値目標を掲げ、その達成にこだわると、科学的根拠の乏しい薬や補助食品が広まっていく恐れ
>禁煙や節酒が認知症の発症確率を減らす効果がある
>絶対的な予防法ではない。むしろ発症の確率は個人の特性に負うところが大きいのが実情だ。どんなに節制しても認知症になる人はいる。

そう約束されたいい薬はないし、特に健康食品の広がりの恐れなんてまさにですよね。
現在これをやれば間違いなく認知症が確実に減ることが約束された方法はそれほどありません。それでも禁煙や節酒や運動などの生活の改善は程度含めていくらか改善はしそうです。地域コミュニティーの形成なんて、明らかに認知症行動の見た目の改善を現場では実感しています。だから絶対数はさほどだが重症者数は減らせたという報告書が出ることを予想しています。

>政府が予防の旗を振ることで、自己責任を求めたり、認知症を過度に悲観したりする風潮が強まってしまうことも懸念

これも危険です。ただこうやって若干無理をさせることで新たないい方法が生み出されることを期待するのも一つの施策ではあります。(原発処理だって似たようなものです)

>認知症になっても安心して暮らしていける社会保障制度を整備することが、政府の本来の役割ではないか。まず、財源やマンパワーの確保に全力を挙げるべきだ。それが難しいからといって、予防偏重の政策に走ったのでは、副作用が大きい。

副作用があっても生活習慣改善を少し強制的にやらせることが、何もやらないよりマシ。まあそんな政策だとは思っています。

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