2005年12月

2005年12月29日

生協の白石さん読んで見ました?

新聞の本の広告で気になっていた「生協の白石さん」と言う本が書店にあったので早速読んで見ました。
お客様からのあらゆる質問や難しいコメントにどんな風に対処しているのかと参考になるかな?
と言う気持ちだったのですがユーモアたっぷりで誠実な人柄が溢れていて気分が軽くなるような内容でした。
何より清清しかったのは言葉遣いの丁寧さとそれが今流行のマニュアル言葉ではなく気持ちのこもったやさしさが漂っていた事ではないでしょうか?どんな方か明かされずに進行するのですが、
私自身は30代の未婚のやさしげな女性をイメージしました。そのくらい言葉遣いが柔らかなのです。本当は?
これから読む方の為にここでは明かしませんが・・・。
私自身接客業を営むものとしてこの柔らかな誠実さを目指してもう少し言葉遣いも態度も考えなくては・・・
と感じるのですがなかなか自分を変えていくのは難しいですね、努力あるのみです。


今年は地震被害と津波被害に始まって2度の列車転覆事故、台風、ハリケーンなどの自然災害、
豪雪に見舞われ再度再び記録破りの豪雪が始まっています。奥只見の丸山スキー場は今日終了と聞いております。
すでに吹き溜まりでは6mの積雪だそうです。まだ12月だと言うのに・・・
都会ではマンション偽造問題や弱者を狙う殺人などの無差別な犯罪が横行していてこの先どうなるのかと不安を煽る事だらけですが、
何とか気持ちを切り替えて誠実に自然な生き方を目指したいと思っています。


新しく来る年が平和で良い年である事を願って!!



2005年12月25日

待ちに待った青空ふたたび

f74ddb53.jpg降り続いた雪から開放されて束の間の青空に心が温かくなります。
これこそ雪国の人がその厳しさを受け入れている何よりのご褒美かも。

旧湯の谷地区は名前のとおり温泉が数多く点在し我が宇津野部落も共同浴場を持っています。
毎週日曜の朝は掃除の日となり4人づつ当番の人が行うのですが今回は暮の大掃除と言う事もあり8人でAM5時より行いました。
銀山に籠っている間は義父が出てくれるのですが冬の間位はと張り切って参加。
幸い雪も上がって月が明るく、丁度終わって戻る頃には薄明るくなりとってもきれいでした。
そのまま家に入るのが勿体無くて家の前の雪出しをしばし行いながら早起きは三文の得と言う感じでうれしい気分。
なぜか(前に書いたカンボジアの旅の時)アンコールワットで朝日を迎えた時の風景と感動が思い出されました。
暖かい国と雪国とではまるっきり違う光景なのですが、やはり夜明けの美しさはどこか共通しているのでしょうか。

今夜からは又寒気が入ってくるとかで主人も銀山へ雪下ろしに向かっています。

dannomichi at 21:17|PermalinkComments(1)TrackBack(0)写真 

2005年12月24日

雪害お見舞い申し上げます

aceb6fd6.jpg外で出会ったときのの挨拶は「いつまで降るのかしらね、この雪」。 まだ12月だと言うのに2mを超える積雪で道路の出合は雪の壁で交差道路の様子がまるっきり見えない状態。こんな時は急がば回れで、信号機のある交差点を利用するのが一番ですね。それにしても今回は新潟市内で大規模な停電が有りご苦労されたとの事でお見舞い申し上げます。本当に人事ではなくどこで次は被害に遭うのかと心配ですね。オール電化がこれだけ復旧してくると生命に関わる問題ですものね。常に危機管理をしておかないとなりませんね。いざと言うときは自分が困るだけですから。

今日はそれでも昼間は小休止ぐらいの降りだったので外出してみましたけれど、さすがに道路の幅が狭まってきています。それでも写真の様な雪崩防止柵が出来たのでずいぶん助かっています。


dannomichi at 19:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0)写真 

2005年12月20日

青空は本当にきれいなのに!!

8b2fdc08.jpg本当に青空に恵まれると雪景色はきれいですね。
でも明日の夜から又大寒波との事心配ですね。
まだ雪国は除雪体制が良いので何とかなりますが今回は名古屋辺りも58年ぶりの大雪だとか?
経験のない異常気象が次々と襲ってくるのでどう対処したら良いのやら。

でも25年ぐらい前にも同じように新潟は豪雪が続いて魚沼ではあちこちで家が雪崩に潰された事があったのです
ご記憶の方もいらっしゃるかと思いますがこちら湯の谷では老人ホームの南山荘が被害に遭って大勢なくなりました。
あの後だいぶ危険な箇所に雪崩防止策が付けられ今では除雪も良くされて気楽に出歩けるようになっているのですからたいした進歩です。
ちなみにその年は2月以降はあまり雪が降らず終わってみるとそれほどの積雪ではなかった様だと皆で話しながら今年も大雪にならない事を願うばかりです

新潟の銀の道さんコメントありがとうございます。
ユーザー名では私も前に色々試したのですが銀山縁の地名は皆使用済みだったので
今回は初めから諦めて「銀の道」ならぬ「ダンの道」にした訳です。
何しろ現在の営業場所はそれまでに愛犬ダンとよく散歩したまさに「ダンの道」なのです。
来シーズンはブログのこと色々教えていただけると助かります。


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2005年12月18日

寒波直前

3654bb90.jpg寒波直前の青空月もかすかに残っています

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寒波到来

第1級の寒波の予報が出されて雪が降るまでは嵐の前の青空で、
月夜も美しく土曜の朝は青空にぽっかり月が残っていてやはりいつもとはどこか違った美しさでした。この寒波は全国的なものだそうですが、
気温が一段と低かった事で積雪そのものは思ったほどではありませんでした。この辺りは降雪が多い割りに冷え込みがさほどでない為、
重い雪がズッシリト積る感じなのですが冷え込みによりサラサラ雪になった方が積雪自体は少なくて済むようです。
それにしても早く寒波には通り過ぎてもらいたいもの、お日様が待ち遠しいですね。


桧枝岐のJさん遅くなりましたがコメントありがとう。HP商工会の方から入って見せてもらいました。
写真も見たけれど変わりなくお若いですね。そちらはADSLが入っていますよね?ここはまだなので時間がかかって大変です。
そのうち軌道に乗ったらコメントさせてもらいます。ハーブ作りの事など教えてください。


 



dannomichi at 21:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年12月15日

雪景色はきれい?

f7a0aeee.jpg久々の青空は新雪とマッチして感動の美しさ。でも自宅付近ですら早くも屋根の雪下ろしが2回目と言う家も、やはり雪国の生活は厳しさも一杯です。当家の主人も銀山の雪飛ばし(フライヤーで飛ばせるので)に向かいました。

我家は銀山の宿からの景色も絶景ですが自宅裏も畑と山に囲まれていますので窓からの景色はまるで額縁の絵を見るようなのです。雪が降るまでは畑にポツンと柿の木があって一昔前の里山の風景、そして雪に囲まれた景色はご覧のとおり、柿の木に残された実を採りに来るテンや狐をウォッチングすることも出来るの楽しみに観察しています


2005年12月13日

早くも積雪1mを超えて

今年はづっと季節が遅れぎみで紅葉もかなり遅れたのにどうして冬の到来だけ早いの?と言いたくなるほど早々と雪が降り続いて、
小出インターから大湯温泉方面に15分ほど車で行った辺りの旧湯之谷村にある自宅では1mを超える積雪となり屋根の雪下ろしをした家もあるほど。
道路も除雪車が引っ切り無しに作業しているのにも関わらず、すぐに轍ができて時速30キロ程で他の車をやり過ごしています。
昨年のような大雪にならない事を祈るばかりです。もう少しブログの勉強が進んだら雪の様子を写真でお知らせしたいと思います。


滝田さんコメントありがとうございました。早速トラックバックしてみました。
まだうまく機能していませんが冬季休業期間中に何とかHPらしき物にしたいと思っていますのでアドバイスお願いいたします



2005年12月11日

ブログ作成ソフトをダウンロード

早速購入した参考書「できるブログ」
を参考にブログ作成ソフトをダウンロードしたのでトライしているところですがブログのタイトルに宿のホームページを貼り付けたけれどリンクが付かなかったみたい?
とりあえずこちらに入れておきますので良かったら覗いてください。
銀山平温泉 村杉
こちらも春までに手直しする予定です。


dannomichi at 15:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年12月10日

開高健とヌーヴォーの会

昨日9日は作家・故開高健氏の命日と言う事で毎年
開高健記念会主催で「開高健とヌーボーの会」が東京の開高氏縁のレストランで行われています。
縁あって数年前からこの会に参加しておりますが会の前に行われる「紅茶会」と言う講演会で今年はカメラマン石川文洋氏が
「ベトナムと開高健」と言うテーマでスライドを見ながら当時の様子を聞かせて下さいました。
たまたま今年は石川氏著の「石川文洋のカメラマン人生」を読んでいたので大変楽しいひと時でした。

まだブログの書き込みに慣れていませんのでいまだに自己紹介も済んでいませんが追々させていただくとして
等宿のある銀山平は宿数8件の僻地と言う事で、電話は回線のみ携帯電話は区域外で繋がらずテレビも衛星放送のみと中々静かな所なのです。
おかげさまで子供共々冬季休み以外は衛星テレビだけの生活でしたので読書を楽しむことができました。
衛星放送も始めはNHKの2局とwowowだけでほとんどニュースやドキュメンタリー的なものが多く海外での出来事にいつの間にか関心が行く様になっていました。

我が家の長女もそんな中(主にwowowの映画の影響)で高校の1年間をアメリカで交換留学し中国の四川大学を5年掛けて卒業し今はなぜかインドに居ます。
それまでまるっきり地理オンチだった私も娘の行く先々に気を配り、テレビで見たり地図帳が愛読書になりそして海外ニュースから目が離せない生活です。
そんな中3年前に娘のバックパッカーの旅につき合わされ冬季休みの2月に30日ほどかけてタイ・カンボジア・ヴェトナム・中国と陸路を乗り合いバスで移動すると言う過酷な旅を経験しました。
国境を陸路で渡る経験とおんぼろバスに舞い上がる赤土をマスクでガードし全身赤茶になっての移動、英語の通じない地元の人達と乗りあったバスや列車での体験、
最後には中国内に入って昆明までに利用した寝台バスでの恐怖、と今思うと滅多に出来ない良い体験をさせてもらったなと感謝しています。
もともとこの旅は開高先生の本を読んでヴェトナム戦争に興味を持ったのが始まりでカンボジア・ヴェトナムの戦争記念館を見るのが1番の目的でした。
これをきっかけに一ノ瀬泰三氏の「地雷を踏んだらさようなら」やフランソワ ビゾ「カンボジア運命の門」とカンボジアの戦争にまで目が行くようになりましたが
最近は衛星テレビでも戦争を振り返るドキュメンタリーや経済復興の様子が色々なテーマで放映されていて楽しんでいます。

開高先生の話からだいぶ話が広がってしまいましたが宿のHPを手直ししながら少しづつ自己紹介させていただこうと思っています。



dannomichi at 12:53|PermalinkComments(2)TrackBack(1)村杉