みなさん
こちらの場所では大変ご無沙汰しています。もりきこのDANNYです。
文才のないDANNYですけど、なんとなく再開しようと思いました。
3年ぶりなのかな?
IDもパスワードもギリギリ覚えていたので(笑)
もりきこにはヘビーブロガーのJUNNYさんがいるし、もりきこのライブの様子なども巧みに細かく書いてくれているので、僕なんかがしたためる必要もないんですけど。
思い立ったが吉日、書いてみましょうかね。
ふと思ったことを書こうというブログですが早速…
SPITZさんの名曲「空も飛べるはず」について、ふと思ったことを書きます。
この曲の歌詞は事情があって家から出られない人のことを歌った曲なのではないのかな?
などと、ふと思ったのです。草野さんがどういった経緯で書かれたのかも知らないし調べようとも思わないけど、その答えをご存知の方がいたとしても、僕の考察を真っ向から否定などすることなくお手柔らかにご意見などお願いいたします(笑)
歌って捉え方は自由ですからね(保険)
まず前提として「空を飛ぶ」という行為は、飛行機に乗ったり、パラグライダーしたりすることですよね。当たり前ですけど人間の体単体では難しいことです。かの有名なエジソンが「これを飲めば体が膨らんで空も飛べる」なんて言って友人にガスが発生する液体を飲ませて、その友人が大変なことになるという幼少期のエピソードもありますが、基本的には人間の体には羽根もないので空を飛ぶのは無理です。
つまり「空を飛ぶ」という行為は、人間にとって不可能の象徴でもあり強い憧れとも言い換えられると思います。
さらにそこから一歩押し進めて、歌詞中の「空も飛べるはず」という表現に言及してきます。
今の自分だったら空だって飛べるだろうという、確証まではいかないけれど不安がありながらも不可能も可能にできるような自信も伺える表現です。中でも「はず」という言葉がキーワードとなってきますが、その人物の不安が垣間見れるような表現ですよね。そもそも歌のタイトルに「はず」ってついてるのがとてもすごいなと思います。「空も飛べるさ」でもなく「空も飛べるよね」でもなく「空も飛べるはず」。JPOPの果してきた聴衆を元気づけたり勇気づけたりする役目の中に不安をのぞかせるような要素って本来必要ないはず。TK全盛期の音楽シーンの中でも、チラリと不安をのぞかせるような直接的でないアンニュイな表現って90年代に青春時代を過ごした僕にはなんだかとても新鮮でした。
『君と出会った奇跡がこの胸に溢れてる
きっと今は自由に空も飛べるはず』
「引きこもり」とも言い換えられますが、部屋から出られずその状況を打破できない人物にとって家の外というのは、部屋の窓から眺めた「空の無限の広さ」ともきっと通ずるでしょう。
毎朝起きて会社や学校に出かけるいわゆる「普通の生活を営む」人をどんなに羨ましく思うでしょう(何が普通かは一旦おいておきます)。
でも場合によっては、心の底から好きなアイドルの握手会や、どうしても欲しいものが売っているお店の発売日などの場合には限定的に家から出られる時もあるという話も聞きます(そういうケースがあるのを見聞きしたことがあります)
君と出会った奇跡🟰その人にとってかけがえのない好きな物事、人物
と置き換えたら、そんな素敵な人や物に出会えた奇跡が、家の外に出るきっかけを与えることにつながる場合がある。つまりその人にとって不可能であり実行しようとさえも思わなかった「家の外に出る」という行為が、「空を飛ぶ」という人間の体にとって不可能である事実で表現されているのではないのか?
まとめると
好きな人や物事に出会えたことは奇跡だし、その出会えたエネルギーで不可能も可能にできるのでないのかなあ?
という考えです。
だけど語尾には「はず」がついている。やっぱり冷静になると不安で「出られるかなあ」という心配がつきまとうのではないかな?一瞬飛べたとしても、地上に落下するかもしれないしね。飛ぶって想像通り怖いことなんです。
家からなかなか出られない人の心中は僕には分かりきらないので申し訳ないですけど、もし奇跡的な出会いがあったのなら、その出会いをはじめの一歩、きっかけとして「自由に空も飛べる」いや、「自由にお出かけできる」ような心の状況になって欲しいですね。これが一番言いたいことです。
とまあ、家から出られない人の状況と重ねればこの歌詞と合致するのかな?という勝手で無茶苦茶な推論でしたけれど、こんなことを考えると割と楽しいのです。じゃあ「夢を濡らした涙が海原へ流れる」とはなんだ?と言われると全然分かりません(笑)
スピッツさんは美大の出身なのでもしかしたら歌詞もコラージュ的な感覚で作っているのかもしれませんね。コラージュという技法についてはどうぞご自身で調べてみてください。
どのようにも捉えられる歌詞って、ずるいと言えばずるいけど、そのずるさに翻弄されるのが僕にはとても気持ち良いのです。直接的に正しさや美しさを押し付けられるよりも、歌詞の余白に想いを馳せられるのでとても楽しいのです。
こんな感じで書く時もあるし適当な文章を書く時もありそうですが今後ともどうぞご贔屓に。
https://www.youtube.com/watch?v=h-kQw4JqCHE
幼い微熱を下げられないまま
神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を
おどけた歌でなぐさめた
色褪せながら ひび割れながら
輝くすべを求めて
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
切り札にしてた見えすいた嘘は
満月の夜にやぶいた
はかなく揺れる 髪のにおいで
深い眠りから覚めて
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
ゴミできらめく世界が
僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
こちらの場所では大変ご無沙汰しています。もりきこのDANNYです。
文才のないDANNYですけど、なんとなく再開しようと思いました。
3年ぶりなのかな?
IDもパスワードもギリギリ覚えていたので(笑)
もりきこにはヘビーブロガーのJUNNYさんがいるし、もりきこのライブの様子なども巧みに細かく書いてくれているので、僕なんかがしたためる必要もないんですけど。
思い立ったが吉日、書いてみましょうかね。
ふと思ったことを書こうというブログですが早速…
SPITZさんの名曲「空も飛べるはず」について、ふと思ったことを書きます。
この曲の歌詞は事情があって家から出られない人のことを歌った曲なのではないのかな?
などと、ふと思ったのです。草野さんがどういった経緯で書かれたのかも知らないし調べようとも思わないけど、その答えをご存知の方がいたとしても、僕の考察を真っ向から否定などすることなくお手柔らかにご意見などお願いいたします(笑)
歌って捉え方は自由ですからね(保険)
まず前提として「空を飛ぶ」という行為は、飛行機に乗ったり、パラグライダーしたりすることですよね。当たり前ですけど人間の体単体では難しいことです。かの有名なエジソンが「これを飲めば体が膨らんで空も飛べる」なんて言って友人にガスが発生する液体を飲ませて、その友人が大変なことになるという幼少期のエピソードもありますが、基本的には人間の体には羽根もないので空を飛ぶのは無理です。
つまり「空を飛ぶ」という行為は、人間にとって不可能の象徴でもあり強い憧れとも言い換えられると思います。
さらにそこから一歩押し進めて、歌詞中の「空も飛べるはず」という表現に言及してきます。
今の自分だったら空だって飛べるだろうという、確証まではいかないけれど不安がありながらも不可能も可能にできるような自信も伺える表現です。中でも「はず」という言葉がキーワードとなってきますが、その人物の不安が垣間見れるような表現ですよね。そもそも歌のタイトルに「はず」ってついてるのがとてもすごいなと思います。「空も飛べるさ」でもなく「空も飛べるよね」でもなく「空も飛べるはず」。JPOPの果してきた聴衆を元気づけたり勇気づけたりする役目の中に不安をのぞかせるような要素って本来必要ないはず。TK全盛期の音楽シーンの中でも、チラリと不安をのぞかせるような直接的でないアンニュイな表現って90年代に青春時代を過ごした僕にはなんだかとても新鮮でした。
『君と出会った奇跡がこの胸に溢れてる
きっと今は自由に空も飛べるはず』
「引きこもり」とも言い換えられますが、部屋から出られずその状況を打破できない人物にとって家の外というのは、部屋の窓から眺めた「空の無限の広さ」ともきっと通ずるでしょう。
毎朝起きて会社や学校に出かけるいわゆる「普通の生活を営む」人をどんなに羨ましく思うでしょう(何が普通かは一旦おいておきます)。
でも場合によっては、心の底から好きなアイドルの握手会や、どうしても欲しいものが売っているお店の発売日などの場合には限定的に家から出られる時もあるという話も聞きます(そういうケースがあるのを見聞きしたことがあります)
君と出会った奇跡🟰その人にとってかけがえのない好きな物事、人物
と置き換えたら、そんな素敵な人や物に出会えた奇跡が、家の外に出るきっかけを与えることにつながる場合がある。つまりその人にとって不可能であり実行しようとさえも思わなかった「家の外に出る」という行為が、「空を飛ぶ」という人間の体にとって不可能である事実で表現されているのではないのか?
まとめると
好きな人や物事に出会えたことは奇跡だし、その出会えたエネルギーで不可能も可能にできるのでないのかなあ?
という考えです。
だけど語尾には「はず」がついている。やっぱり冷静になると不安で「出られるかなあ」という心配がつきまとうのではないかな?一瞬飛べたとしても、地上に落下するかもしれないしね。飛ぶって想像通り怖いことなんです。
家からなかなか出られない人の心中は僕には分かりきらないので申し訳ないですけど、もし奇跡的な出会いがあったのなら、その出会いをはじめの一歩、きっかけとして「自由に空も飛べる」いや、「自由にお出かけできる」ような心の状況になって欲しいですね。これが一番言いたいことです。
とまあ、家から出られない人の状況と重ねればこの歌詞と合致するのかな?という勝手で無茶苦茶な推論でしたけれど、こんなことを考えると割と楽しいのです。じゃあ「夢を濡らした涙が海原へ流れる」とはなんだ?と言われると全然分かりません(笑)
スピッツさんは美大の出身なのでもしかしたら歌詞もコラージュ的な感覚で作っているのかもしれませんね。コラージュという技法についてはどうぞご自身で調べてみてください。
どのようにも捉えられる歌詞って、ずるいと言えばずるいけど、そのずるさに翻弄されるのが僕にはとても気持ち良いのです。直接的に正しさや美しさを押し付けられるよりも、歌詞の余白に想いを馳せられるのでとても楽しいのです。
こんな感じで書く時もあるし適当な文章を書く時もありそうですが今後ともどうぞご贔屓に。
https://www.youtube.com/watch?v=h-kQw4JqCHE
幼い微熱を下げられないまま
神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を
おどけた歌でなぐさめた
色褪せながら ひび割れながら
輝くすべを求めて
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい
切り札にしてた見えすいた嘘は
満月の夜にやぶいた
はかなく揺れる 髪のにおいで
深い眠りから覚めて
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
ゴミできらめく世界が
僕たちを拒んでも
ずっとそばで笑っていてほしい
君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい



