2007年04月26日

更新停止

こちらのブログは更新停止にします。

下書きのまま書いては消しを繰り返したあげく、もうどうでもよくなってしまったり、書こうとして腐ったネタもいくつかあるのですが…。
とりあえず完全にはてなダイアリーの方に移行します。

SMELLS LIKE NEET SPIRITを読んでいただいた皆様ありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。まだ僕はニートの臭いがしたままです。

dasaitama_osamu at 22:27|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)糞日記 

2007年01月25日

お久しぶり

長らく放置してしまった。なんかこんな形で放置すると死んだみたいでイヤな感じですね。なんとか私は生きております。

でも何かブログを続ける気力が無くなってきたというかなんというか、煮詰まってきた感じです。何度か書こうとしては消し、また書いては一旦保存し、を繰り返したあげく放置してしまいました。

以前から、研究室の知り合いにmixiに招待されてくだらない日記を書き始めてました。しばらく同時進行してたんですが、段々mixiに偏ってしまいました。なんかこういうとリア充っていうか、友人たちと仲良く楽しい生活を送ってる人みたいですが、全くそんなことはありませんでした。悲しいことに。
mixiではかなり辛気臭くてネガティヴで自虐的な日記ばかり書いていて、研究室の方々からすると僕は非常に厄介な存在になってるんじゃないかと思います。mixiっていう仲良しワールドでそんな日記を書くなんて自分でも非常に悪趣味だと思いますよ。でも、直接の知人に自分の考え・思いを表現する場ができたのは非常にいいんじゃないかと思ってます。普段、知人の前では自分の感情を抑制して内に溜め込んでばかりなので、その内に溜まった感情を知人にぶつけるのは、相手からすると迷惑かもしれませんが有益だろうと。もともと、今の研究室にいる間にどんどん生気を失っていったので、ある意味自分の存在をかけた戦いみたいな感じです。相変わらず、対面コミュニケーションはうまくいかないんですが、だいぶ自分の感情を整理できてきてるとは思います。あと研究活動も就職活動も未だにほとんど進んでません。

まぁ現状そんな感じです。
で、なんかこのブログは煮詰まってきた感があるので、書きかけのをいくつか書き終えたら一旦終了しようかと思います。このブログを書くにあたっては、ちょっとマジメにやろうとし過ぎてしまうので、軽い気持ちでまた別のとこで始めようとと思います。で、これからはネタ用にしてたはてなダイアリーの方(http://d.hatena.ne.jp/dasaitama_osamu/)をメインにしてこうかと思います。

dasaitama_osamu at 03:48|この記事のURLComments(0)TrackBack(1)糞日記 

2006年11月18日

動いてない自分のまま動く

他人に振り回されて世間に流されて、「みんなに付いていかなくちゃ」という不安に振り回されて「ちゃんとしなきゃ」と義務感に流されて、そんな風に生きていきたくはないですよね。そんなんで生きてても苦しいだけですよね。みんなもっとスピード落とせって言いたくなりますよね。もっと他に大事なことがあるような気がしてしまいますよね。
僕はもっと自分の心の深い所からの「なんとなくやりたい」を大事にしたい。それを大事にしつつ、自分は一体何を求めているのかしっかり認識・理解しながら生きていたい。世間に振り回されるんじゃなくて、世間も自分もよく見据えた上で、自分がなんとなく動いていく方向にしっかり動いていきたい。

僕は1年以上前から「もう世の中に付いて行けない」「みんなと合わせられない」という感覚を強烈に持ってしまい、結局付いていくこと・合わせることを(一時的に)諦めてストップさせてしまった。今では「もう一度付いていこう・合わせよう」という気は起こらない。というか無理だと感じてる。研究や就活の場では死にたくなる。でも、これでいいはずだ。ていうかここをスタートにしなきゃどうにもならない。以前の振り回されて流されて生きる僕にはもはや戻れない。その頃の生き方のほうが賢明で無難かも知れないが、自分にフィットした生き方じゃなかったんだよな。振り回されることができない・流されることができない今の自分の方が自分にフィットしている。今は流されないどころか殆ど動いていないけど、動いてない自分のまま動ける方向があるはずなんじゃないかと思う。自分でも言ってることがよく分からないな。なんとなく、上山和樹氏がこの辺りで言ってることに近いんじゃないかと思うのだが、ちょっと難しくて分からない。うまく自分なりの言葉で咀嚼できてない。
とにかく、上山氏の言う「傷への狂信」なのか分からないが、動けない自分の中にも「なんとなく」動きたいという部分があるはずで、現に本を読んだり自分なりの考えをまとめようという方向には動いてはいる。これを動力源として、社会生活を営める方に進めればいいのだが。しかし自分や社会を考えることが生活に繋がって行けるのか疑問だ。上山氏の場合、自己分析の延長でひきこもりについて考え、ひきこもり支援活動を行うという方へ向かったが、僕はどういう方向へ進めばいいのだろう。

dasaitama_osamu at 07:04|この記事のURLComments(1)TrackBack(0)糞日記 

2006年11月13日

Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me

もうThe Smithsの曲そのまんまの夢を見ました。
まぁ中学生の頃からよく見る類の夢ですが、久しぶりです。ここしばらくはそんな夢も見れないほど人が嫌いだったのかもしれません。
誰かよく分からないけど、恋人ができていました。しかももう結婚間近みたいな設定だったような気がする。家に来てうちの家族と談笑していた。楽しかった気がする。あれは誰だったんだろうね。知り合いじゃないし、もう顔も思い出せない。別に大してかわいくもなく、ファッションも好きな感じではなかったような。でもそれが逆にリアルっぽいな。とにかくなんだか満たされていた気がする。なんだか誇らしかった気がする。でももうその感覚も残ってないけど。
夢って起きるとすぐどんな内容だったか忘れるけど、夢の中で味わった感情もすぐに消えちゃうんですよね。「なんだかこういう感情だったような」という感情の痕跡のようなものは残るんですが。でもこの感情の痕跡っていう感覚はなんか不思議。確かにその感情は持ったはずなんだけど、その感情を引き起こした出来事はよく思い出せない。記憶をさかのぼろうにも、道が消えていて辿れない。痕跡は確かにあるはずなんだけど。曖昧な、希薄な、宙ぶらりんな記憶。実体の無い痕跡。
なんかもう、本当にそんな夢見たのかも怪しくなってくる。まぁそれでいいんだけどね。すぐ忘れてしまうならそれでいい。だから幸せな夢から惨めな現実に覚めても、特に絶望に叩き落されるということにはならない。何の感情も今はありません。ああ夢かってだけ。もうほとんど夢の記憶は無くなってるし。
どうでもいい夢の話ですが、忘れないように書き留めてみました。

dasaitama_osamu at 00:06|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)糞日記 

2006年11月11日

自意識過剰を隠そうとして自意識過剰になる

恥ずかしがっているのを見られること自体が恥ずかしい。
他人の目を気にしていると思われないように、他人の目を気にしている。

だからたまに超マイペースな素振りを見せたり、大胆な変態的行動をしてみたりするのだが、それは全くマイペースな行動ではありません。常に自意識過剰。

dasaitama_osamu at 06:54|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)糞日記 

恥の反対は普通?

何度も同じこと書いている気がするんだけど、僕の自信の無さについて。
「お前は能力も魅力もあるよ」と言われることは無くは無い。でもそれが僕の自信につながってくることは無い。なんというか、そういう褒め言葉は表面的なのだ。僕自身が褒められている訳じゃない。僕という全体の、表面の皮一枚だけが評価されているように感じてしまうのだ。いくらイケメンだとかオシャレだとか言われても、学業の成績を褒められても、絵のうまさを評価されても、冗談で人を笑わせても、一向に僕の全体というものはオドオド、ビクビクしたままだ。そういうポジティブな評価を受けてやっと、ギリギリのところで、皮一枚のところで、存在を許されている気がする。でも基本的に僕は"ダメ"なんだと"確信"してしまっているようなのだ。むしろ表面が褒められることで、ますます中身は惨めなもののように思えてくる。
自分の考えや感情といった僕の中身に関しては、全く人に受け入れられるようなものではないと感じている。このことは今に始まったことではないのだが、去年以降その傾向が顕著になっている。僕の中身に関しての自信が、さらに少なくなってしまったのだ。学業に集中できなくなってしまい、学業や仕事の能力といったものに関する自信を失ってしまった。その苦しい時期に来て人を信頼することができないことに気づき、コミュニケーションへの自信を更に失った。そしてそんな"異常"な状態に陥った自分を恥じてますます自信がなくなる。

こういう自分を観察して気づいたんだが、僕は自信が強化されることは殆ど無いが、自信が無くなる時はすぐ無くなるということだ。肯定的評価を受けても、それが自信に繋がることはなく、それでやっと人並みという感覚。だけど否定的評価を受けると、すぐに崖から突き落とされたようになる。
完璧主義的だが、その理想の完璧な姿に追いつけていないということだろうか。理想の状態を高過ぎるところに置いているんだろうか。でもそれだけじゃない気がする。能力に自信がないということではなく、自分の思考・感情というものに根本的に自信が無いのだ。
自分が考えているようなことは、誰も理解してくれないし僕は頭がおかしいんじゃないか?自分の物の感じ方は、誰も共感してくれないし僕は恥ずかしい人間なんじゃないか?そう、僕一人が変なことをしていて恥ずかしい、という感覚だ。他の人からズレていることを恥じて恐れる、非常に日本人的な感覚を僕は持ってしまっているわけだ。
考えてみれば、このような日本人的な感覚では人と違うことは恥だが、かと言って人に合わせれば褒められるわけではなく「普通」なだけだ。恥の対義語って思いつかない。しいて言えばやっぱり「普通」しかないと思う。世間の基準に合っているというだけ。そこではマイナス評価は存在してもプラス評価は存在しない。褒められたことが「出る杭」となって恥と認識され、結局それがマイナス評価になってしまうことすらありそうだ。それじゃ自信の強化には繋がらないわけだ。そしてもしマイナス評価を受けると、マイナス評価を受けたこと自体が恥となってまたマイナス評価を呼び、ネガティブスパイラルに陥ってしまうのだ。だから自信を失うときは一気に落ちる。なんかバカみたい。

2006年11月09日

「お前は間違っている!」とは言えない

完全な自爆テロ予告だな。まぁこういうのが起こるのは必然だろう。
自殺予告手紙:「生きていくのがつらい」……手紙全文

いたずらだとか愉快犯だとか言っている輩がいるが、少なくともこの手紙にこめられた憎悪は偽者じゃないと思う。いじめ被害者の間違いない感情が綴られている。
僕は「自殺は間違っている」という考えを変えるつもりはない。ましてや脅迫だなんて。だが僕は彼に「お前は間違っている!」とは言えない。むしろ彼の考え方は正しいとすら感じてしまう。だって他にどんな方法があるんだよ。誰も自分の言葉を聞いてくれないのに。どれだけ自分の感情を冷静に見つめることができても、それが誰にも理解されないんじゃやっぱり苦しみからは自由になれないんだ。
いじめ自殺が報道されることで自殺の連鎖が起こるのは間違いない。だから報道をやめろという意見にも正当性はある。だが自殺のニュースが途絶えれば話題に上ることもなくなり、対策がとられることもなく「ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう」。報道が無くなったら事実が隠蔽されるだけだ。命を懸けてでも自分の苦しみを伝えなくてはならない。
これはいじめ被害者にしか分からない気持ちなんだろうが、いじめは命を持ち出すレベルの話なんだよ。「簡単に死とか言うな」「命の尊さを分かっていない」とか言うけど、それこそ「簡単に命の尊さとか言うな」「いじめの苦しさを分かっていない」!「生きてればいいことがある」なんていうのも信じられない。これだけやってきて何も状況は変わらなかったんだから。


When you say it's gonna happen "now"
Well, when exactly do you mean ?
See I've already waited too long
And all my hope is gone

You shut your mouth
How can you say
I go about things the wrong way ?
I am Human and I need to be loved
Just like everybody else does

今にそうなるって言うけど
その今って正確にはいつなんだい
いいかい 僕はもう待ちくたびれたよ
今じゃ希望のかけらもなくなってしまった

黙ってくれ
僕がやり方を間違えているってどうして言えるんだ
僕だって人間だ
人から愛されることが必要なんだ
誰もがそうであるように


The Smiths "How Soon Is Now?"




自分の苦しさが無いものとして扱われることが、彼の本当の苦しさなのだと思う。

自分が表現したことに誰かが何らかの応答をするというのが、人権の基本である。それを彼は奪われている。

(中略)

人権は命より大事なものだ。絶対に守るべきもので、もし奪われたらどのような手段を取ってもそれを訴えるべきだ。訴えが聞かれなかったら、聞かれるまで訴え続けて、それをやり尽くしてそれでもダメだと思うなら、人権侵害を止める唯一の手段が自殺だと思うなら、死んだほうがいい。

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。


そういえば日本は人権意識が低いと言われる。ここでは人権を踏みにじられた経験がないと人権意識を持つことが難しいんだろう。その人権意識の高い人の多くはいじめ被害の経験者なのかもな。

いじめ被害者にとって不登校っていうのも一つの選択肢だ。可能性を残すという意味では、自殺よりは賢明な判断だろうと思える。でもそれじゃあ泣き寝入りになっちゃうんだよ。人権のために戦わなきゃいけないんだよ。そうじゃなきゃ生きる意味が無い。(ひきこもりの人間がまるで「死んだように」無気力なのは、苦しみを理解されず人権を奪われ、生きる意味を失っているのかもしれない。)
自殺は避けるべきだし、なるべく生きて逃げるべきだという考えは変えない。でも、できれば、いじめ被害者が泣き寝入りせずに済む方法があれば!



2006年11月05日

自殺は悪いけど死にたいと思うことは悪くない

話題のいじめ。自殺。
いじめについては今のうちに実効的な対策が進むことを望む。今、話題がホットなうちに。何か対策が進むなら自殺しようとしている人もも思い止まるかもしれない。
まぁでもやっぱり、いじめ自殺がセンセーショナルに報道される状況は、自殺に対するモチベーションを高めてしまうだろう。今死ねば日本中に自分のメッセージが届くかもしれないのだ。自爆テロだね。この状況はよろしくないと思う。
ホントに死ぬしか選択肢は無いのか?まだできることはあるんじゃないか?いじめに立ち向かったりいじめられないように強くなったりはできなくても(する必要ない)、助けを求めたり逃げたりできるんじゃないか?

もう死ぬしかない、と思うときってたいていおなかが減ってるとか寝不足だとか疲れてるとかで正常な判断ができてないか、いわゆる抑うつ状態でつまり病気であるかどっちかだと思うんだよねー。打つ手がないように思えても実はそれ違うんだよね。そんなんでしんだらほんともったいないです。

(中略)

一番悪いのはいじめじゃなくて自殺だよ。理由:迷惑。あと周囲を悲しませる。あとその判断は正常じゃない。

ササクレ屋 - いじめによる自殺とその報道とかについて書くよ


逃げ場を与えられない、それどころか我慢することを要求するような日本の風潮は最悪だ。でも死を選ぶのも正しくない。それを何とかして伝える必要はあると思う。
でも「自殺はダメだ」と言った所で通じるわけはない。自殺は多くの人に迷惑かけるし親を悲しませるよって知るかよ。「自殺するなんて間違っている」→「自殺しようとしている自分は間違っているんだ」→「間違っている自分なんか死んだほうがいい」なんていう風に考えちゃうかもしれない。僕も死にたいと思っていた時、「死にたいと思うこと」自体を恥もしくは罪だと思ってしまっていた。それによってますます孤立感を深めて死にたくなっていた気がする。ただその「死にたい」という自分の感情を距離置いて見つめることができれば、死にたくなくなるかは分からないけど、感情に支配されることはなくなる。
自分の感情から距離を取るには、まず自分の感情をはっきりと把握し、人は状況次第で簡単に死にたくなるもんだということを認識する必要がある。「死にたい」という感情を相対化する必要があるわけです。「死にたい」という感情は罪でも恥でもなく、人間として当然の感情だと言っていったほうがいいんじゃないのかな。「死にたい」と思うこと自体は悪くない。ちょっと精神が参っているとかそんなもんだ。環境を変えたり休んだりすればいいのだ。最悪のは、「死にたい」と言った人に対して「世の中には生きたくても生きられない人がいるんだ!」とかいう類のやつね。


・・・でもいじめ対策はちゃんと進むのかなー。ブログ上ではすごくいい対策案が提唱されてたりするけど。テレビのニュースでは相変わらず「○○が悪い」的な犯人探しばっかだし。いじめ自殺がなくなったら、いじめの話題もすぐ下火になっちゃう気がする…。とにかく対策が進むことが、いじめ被害者にとって希望になるんだから。


dasaitama_osamu at 01:59|この記事のURLComments(5)TrackBack(0)糞日記 

2006年11月03日

心に茨を持つ少年

僕は、人間のデフォルトは「誰にも必要とされず、人と繋がりの中で自分を肯定できない」だと思っている。基本的に、自分が生きている意味を他人に主張できるものはない。自分の存在に自信が無い。自尊心が低い。

だが世の中には、人間のデフォルトは「誰かに必要とされ、人との繋がりの中で自分を肯定できる」だと思っている人が多いように見える。「自信を取り戻した」という言葉があるように、自信ははじめからあるものだと考えられているらしい。

この違いは何なんだろうか。


2ちゃんのコピペでこんなものを見つけた。

*誇り高く生きよう!毒男の性格*

('A`)他人の意見を意識して、気にしすぎるために行動できない。
('A`)基本的には善良な市民で正直で信頼できる。他人の時間を尊重する。
('A`)駆け引きはしない。というかできないけど、風が吹けば桶屋が儲かるようなレベルで他人を操ろうとする。
('A`)他人が自分をどれだけ受け入れているのか常にチェックしている。
('A`)他人から受け入れられていることがはっきりしていても、わざわざそれを打ち消す理由を探す。
('A`)自分が好きだと思われているかどうかの基準は持っているが、現実的でないほど閾値が高いので、ちょっと避けられただけでも完全に拒絶されたと思い込んでしまう。
('A`)人間関係では後悔しまくっている。
('A`)自意識が強すぎで人を受け入れるのに時間がかかる。
('A`)はっきりした理由がなければ思い切った行動をとらない。
('A`)受身な男は自尊心が低くて、ネガティブシンキングが得意。
('A`)他人と付き合うのは苦痛であると思っていることが多い。
('A`)友人や恋人になれたかもしれない人を遠ざけることもある。
('A`)頭の中でこれから起こりそうなことを嫌というほどシミュレートする癖がある。
('A`)一匹狼なところや変人ぽいところ、頑固なところ、妙に大胆なところがあり、わけがわかりません。
('A`)一人なら安全だと思って生きてきたため、一人で行動することを好みます。
('A`)だましやすそうに見えることもありますが、他人の策略には滅多にひっかかりません。
('A`)ひっかっかったとすると、心がぐしゃぐしゃになってます。あうあうあー。って感じ。
('A`)その場の状況を考えて、わざとひっかかったりすることもあります。
('A`)他人からは理解しがたく、変人に見えます。
('A`)数少ない親しい数人の友人などといると、とても生き生きします。
('A`)他人の時間を尊重+自尊心が低い。
   ⇒「もしかしたらあいつは俺の事嫌いかもしれないし、強制はできないよな」と思い自分から誘えないことあり


ものすごい当てはまる。この自尊心の低さは一体どこから来てるんだ?生得的なものか、親の育て方か、幼少期の友達付き合いの仕方か、いじめ経験か、思春期的な自意識過剰か。よく分からないが、とにかく自分の存在が承認されているっていう感覚を持てないわけだ。
しかも、いったん自尊心が低下すると、積極的に人と関わろうとしたり心を開いたりすることがなくなるため、承認を得られずに自尊心は低いままになる。いつの間にか人が嫌いになる。集団内では居た堪れなくなってしまい、逃げ出したくなる。"居た堪れない"は、その場から消えたいという意味で"死にたい"に似ている。少なくとも生きることに積極的になれなくなってしまうんじゃないか?
毒男の心を開くには、「お前は生きていてもいい」という承認が必要です。愛です。いくら心を開けとか自信を持てよとか言っても無駄です。余計落ち込むだけです。分からない人には分からないんだよな、この気持ち。始めっから自分に自信があるような人には、ずっと自信を持てずにいる人の気持ちは分からないんだ。
ここで思い出すのがこの曲。


心に茨を持つ少年
その憎悪の裏には激しく愛に飢えた心が隠れている
僕らの目の奥に宿る愛に気づきながら
とうしてみんな信じてくれないんだろう?
僕らのことを
結局誰も信じたくないんだ 僕らのことなんか
今は誰も信じてくれないとしても
いつかは僕らを信じてくれる日が来るんだろうか?
生きてみようと思ったら
一体どうやって始めたらいいんだい?
どこに行ったらいいんだい?
誰に会ったらいいんだい?

The Smiths "The Boy With The Thorn In His Side"



不毛な社会には付いていかない

テレビでバラエティ番組を見なくなった。よく言われてることだけど、つまらない。芸人の内輪盛り上がり。なんだろうあのテンション。ムリヤリの躁状態。必死なまでの盛り上がり方。芸人たちも自分がつまらないことに気付いてるんじゃないのか。それを誤魔化すためにあれほど騒ぐ。正直付いていけない。
ああいう雰囲気は僕の周りにもある。とにかく軽く明るく楽しく!僕が今持ってるような重い感情を出せる場所じゃない。もし言い出したら、一気に場の空気を凍りつかせるかもしれない。凍りつく前に「空気読め!」が飛んでくるかもしれない。僕は重い鬱な話題でもダメな自虐ネタという形にして結局空気を温存してしまうのだが。そこまで大事なのか、その軽く明るく楽しい空気は。正直付いていけない。
そういう空気の場では、すぐ恋愛の話を振ってくる奴がいるが、困るんだ。僕は童貞だが、別にそこまでモテたいわけじゃない。彼女が欲しくないわけじゃないけど、無理に自分を曲げてまで努力して恋愛したいわけじゃない。そもそも、そこまで恋愛は僕の中で優先事項ではない。奴はすぐ「最近いいことないの?」とか聞いてくる。みんながみんな恋愛に興味持ってるわけじゃないんだよ。別に恋愛トークなどしたくない。興味ない。正直付いていけない。
就職活動のセミナーでも、なんだか訳の分からない明るさ、ポジティブさに打ちのめされる。バリバリやっていこう!とにかく動こう!野心を持とう!自己成長!自己実現!そんなに仕事したいのか。仕事ばかりの未来を望むのか。ちょっともっと落ち着けないのか。新卒じゃないと就職厳しいとかもおかしい。ちょっと待ってくれよ。もう少し考えさせてくれ。正直付いていけない。
最近の風潮には付いていけないものばかりだ。拝金主義・市場原理主義っぽい雰囲気にも付いていけない。そんなに金いらないだろ。右傾化にも付いていけない。愛国心?嫌韓?何を言ってる。国は別に何もしてくれないよ。韓国叩いて何が得なんだ。

付いていけない。付いていけない。付いていけない…。
正直、社会に付いていけない。
付いていけない僕はワガママで弱い馬鹿なのか。
確かに僕は周りについていけないダメ人間になってしまった。
もっと頑張らなきゃいけないのか。


しかし、もっと社会全体がゆったり、まったり、ぐったりしてもいいんじゃないか?なんでそこまで急ぐの?なんでそこまで気合入れなきゃいけないの?なんでそこまで盛り上がろうとするの?
もうさ、みんなホントは気付いてるんだよね。テレビも「空気読め」的コミュニケーションも恋愛も仕事も金も国も、大した価値は無いって。そんなもんに付いていったって不毛なだけって。不毛なのに、不毛だからこそ、しがみ付いてるんでしょ。無理やりに気合入れて盛り上がって躁状態になって、不毛だってことを忘れようとしてるんでしょ。頑張って頑張って頑張って。競争競争競争。無理やり自分たちが正しいと思い込もうとする。それこそ不毛だ。
奴らは付いてこない人間を叩く。そんな人間がいたら自分がしがみ付いてるものの価値・正しさが揺らいでしまうから。「自分たちは正しいんだ!それに付いてこれないお前らは悪だ!怠惰だ!甘えだ!現実逃避だ!空気読め!非国民め!働け!このダメ人間が!」そうした非難に負けて、不毛な躁状態にノれない人が鬱状態になってしまう。その鬱もまた不毛だ。

僕は付いていきません。頑張りません。ダメ人間?あっそ
僕は自分なりの生き方と幸せを自分なりのペースで探して進んで行きたいんだよ。そうしないと生きていけない。そんな不毛な世界に巻き込まれたくない。どうにかならないのか。どうしたらいいんだ。


この間いじめ自殺した中学生の遺書。
「本当に迷惑ばかりかけてしまったね、これで、お荷物が減るからね。もう、何もかも、がんばる事に疲れました」
彼女がどう考えて死を選んだかは知らない。でも少なくとも自分をダメ人間だと思い込んだんだろう。いじめになんか頑張って耐えなくてもよかったのに…。誰だ、彼女を不毛な鬱状態に陥れたのは。頑張るは我慢することだ。不毛な躁にも不毛な鬱にもならないために、社会に付いていっちゃいけない。我慢しちゃいけない。

dasaitama_osamu at 03:46|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)糞日記