2011年04月14日


これほど泣いた日は無い。

悲しさと、悔しさ。

無力感と情けなさ。

そして、鮮やかに蘇る楽しかった思い出。

笑顔…


さよなら。

ありがとう。

ごめんね。

心から幸せを願っています。

dat5109 at 09:20コメント(3)トラックバック(0) 

2009年12月31日


別に日をまたいだからってどうって訳でもないけど、やっぱり感慨深いものはあるね。

一年間お疲れさまでした。

そしてありがとう。

来年もよろしく。


願わくば皆に幸多からんことを。

dat5109 at 23:58コメント(1)トラックバック(0) 

2009年05月10日


大学が始まってもう1ヶ月ちょいが経過した。

コンクリートジャングルにも慣れ始めてきたし、人の多さにも動じなくなってきた。

我が学部は「国際」が付くだけあっていろんなところから人が来ており、

今日は授業を通して知り合ったイギリス人の友達を、

こともあろうか魔界「秋葉原」に案内したのである。


何故アキバなのか。

彼はいま原宿に住んでいるらしく、

「どこか行きたいところはない?」

と聞いたところ

「原宿以外」

との簡潔極まりない答えが返ってきたので、

お互いの住んでいるところからそう遠くないアキバにしたのだ。

何度か足を運んでいるってのもあるけど。


英国からはるばる来日した彼は、自分より5歳年上で、半分はウクライナ人らしい。

イギリス大手の雑誌「ガーディアン」や

その他の音楽雑誌の記者をやっているらしく、

渋谷でDJもこなす、すご腕のジェントルメンだ。

そんな彼に私は日本のダークサイドをまざまざと見せつけてやったのだった。


まずは軽いジャブとして彼を「武器屋」へ連れて行く。

なかなか興味津津で、好感触だった。

次にお土産屋さんや、レトロゲームショップやフィギュアショップへ連れまわす。

あからさまなフィギュアを見ると

「オ・・・オオゥ・・・???」

というなかなかナイスな反応を見せてくれる彼。

そして、その後禁じ手ともいえる「まんだらけ」へ

最初はただマンガを見せるつもりで行ったのだが、

あれよあれよとその手の本のコーナーに。

彼は終始「好奇心」と「困惑」が入り混じった表情をしていましたね。

そしていざ出ようとしたところで彼は

「この上には行かないの?」

という質問を私に投げかけてきた。

「まんだらけ」の「男性向けコーナー」の上に存在するさらなるカオス空間は、

そう、「女性向けコーナー」なのである。

私は好奇心に輝く彼の瞳に負け、腐界へと彼を誘った・・・


















「(;゚;ж;゚; )ブッwwwちょwwwおまwwwwアウアウwwww」

(↑彼がとある女性向けの同人誌を手にした時の反応、日本語ver)

だから言ったのに・・・

「What on earth is this? (これはいったい何なんだ?)」

を連発する彼。

そんなこと聞かれても分かりません・・・・・orz


その後、「腹が減った」という彼の要望を満たすべく食事処を探す。

「何が食べたいの?」

と聞いたら

「TONKATSU!!」

と勢いよく答えたので近くのとんかつ屋へGO

結構有名なところで、こっちに来て食べたとんかつの中で一番おいしかったと思う。

彼も終始「MNNN~」と唸っていたほど、イギリス人も納得の味。

ちゃんと英語のメニューも用意してあるのも素晴らしい。

まぁその分お値段が少々張るのだけれど・・・

食事の後は他愛もない話。

彼が取材で軍艦島に行ったことや(普段は入れないらしいが漁師を買収したとのこと)

それがきっかけで廃墟好きになり足尾銅山(あの公害で有名なとこ)

に行くことになったことや、昔高知県に住んでいたことなどなど。


空腹が満たされたのち、ふらりとゲームセンターへ。

「俺、ストリートファイターなら少し自信があるぜ!」

と言う彼が完膚なきまでにフルボッコにされる様を横で見ていた。


彼が日本のポップカルチャーを堪能しつくした後、

(と言っても実際は数時間しかいなかったのだが)

私たちは電脳街に別れを告げ、秋葉原駅で解散した。

まぁ、いろいろと衝撃的だったろうが、

彼も満足してくれたらしいので良しとしよう。

イギリスの雑誌に何て書かれるのやら・・・

何分自分も関西の人間なので、東京はまだあまり知らないが、

異国の人に自分の国を紹介するのはなかなか楽しく、やりがいのあることだ。

また機会があればやりたいな。


dat5109 at 23:58コメント(10)トラックバック(0) 

2009年05月07日

世に言うゴールデンウィーク。

結局何が「ゴールデン」なのか不明なまま、終わってしまった。

だが、今年のGWは一味違う。

なぜなら私の静謐なる一人暮らしに、

関西からの使者クラムボンが来襲したからだ!(デデーン)

私はわざわざ夜行バスに乗って関東くんだりまで来た友人を、

米一俵と引き換えにもてなした。

とりあえず、その報告をしてみようと思う。



・初日

クランボン新宿に降り立つも、私は部屋で爆睡。

結局最寄り駅まで来てもらい、そこからお上りさんらしく東京を観光。

詳細は本人の名誉のためにも割愛させていただこう。あしからず。

とりあえずは足が棒になるまで歩き倒した。



・2日目

二人とも前日の疲れもあり、昼まで夢の世界に。

そして最初に「人ごみ」という言葉の重みを実感する地、渋谷へ。

彼がそこで目的を果たしたのちに、以前から御所望の映画

『劇場版エウレカセブン ポケットに虹がいっぱい』を観に新宿へ。

なにせこの映画、上映館数が少ない。

東京でさえも上映館が2,3館ほどしかないのだ。

そして、オサレなビルの上階でみたその映画の内容は・・・まぁ・・・うん・・・

そのあとはまたもやブラブラし、帰宅、サイレン、バタンキューだった。



・3日目

この日は同じく関東に進出した友人の家に2人でおじゃマンボウする。

はずなのだが、ダラダラとし過ぎたため彼が新宿まで来てくれることに。

結局彼と彼の友人(?)と思しき麗しい女性2人に、

新宿の周辺を案内していただけるという幸運に恵まれた。

クランボンは真剣に母の日に送るものや姉の誕生日プレゼントを選んでいた。

孝行者やのう・・・

麗しのお2方と別れたあとは一路湘南へ。

「湘南で波に乗らない男には人権はない」

という噂を聞いていたのだが、意外にも海は見えなかった。残念。

その後、彼の家にて小宴会を敢行。

勢いで関西の友人に電話を掛けまくったり(すみませんでしたm(_ _)m )、

やたらと世知辛い人生ゲームをしたり、

お互いの××な部分を暴露しあったり、

何かと楽しい時を過ごした。

そして微妙な硬さを誇る床で、ニワトリの遠鳴きを聞きながらの就寝。



・4日目(最終日)

お世話になった家主は鎌倉に旅立つとのことなので、

私たち2人は東京に戻り最後の観光。

有楽町や銀座周辺を徘徊し、セクスィーな人(自称)を目撃したり、

木村屋のあんぱんを堪能したり、カレーを食べたりした。

そして旅立つ友を見送るため、夜の新宿駅にてジベタリアン。

彼は「また来る」という不穏な言葉を残して温かい関西の地へと帰って行った。

まぁ、なんだかんだ言って楽しんでもらえたっぽいので良しとしよう。


日付変更線をまたいで我が家に帰り、そのまま昼まで惰眠を貪る。

気づけば見事なリーゼントヘアー。いや、ほんとに。

雨に外出意欲を削がれ、部屋に引き籠って楽しんでいると、もうこんな時間。

いやはや大学生活を「人生の夏休み」と例えたのは誰だったか。



クラムボンも言ってたが、私は二世帯住宅の一世帯をまるまる借りているので

住居スペースには恵まれている。

今後東京に来る予定があり、いいホテルが取れなかったら、連絡をくれれば

泊めてあげなくもないことはないとも言い切れない。

まぁ、「一人暮らし」というか「その日暮らし」なのでいろいろと欠けている上、

千葉と言う絶妙な遠さを気にしないのならばね。

かく言う私も、夏休みには里帰りするので、

機会があれば懐かしい顔を見たいですな。



明日からはまた日常に逆戻り。

サークルもなんとなく固まってきたし、

テストもそう遠くはないので、忙しくなりそうだ。

新型のインフルエンザとか何かと物騒ですが、皆さんどうかお元気で。


dat5109 at 00:41コメント(10)トラックバック(0) 

2009年04月03日

関東の地にて新たな生活を始めて幾日か。

こっちは日本人全員が集まってるんじゃないかと思うくらい人が多いし、

東西一本に走っていた神戸線が恋しくなるくらい、路線が複雑だ。

地元が「田舎」だという認識はなかったが、東京と比べれば日本全国どこだって

「田舎」だと思い知らされた。

しかし先人達が「住めば都」と言ったように、だんだんこの環境にも慣れてきた。

適応能力、万歳。


大学の入学式も終え、いまは授業が始まるのを待つ日々。

さすがに天下の早稲田だけあってその入学式もビッグスケール。

1980年代から歩いてきたかのようなアツい応援団にエールを送られたり、

「渡す」というよりは「盛る」感じでビラを配るサークルの勧誘に溺れかけたり、

なかなかにハードな日々だ。

サークルの数も優に100を超え、中には「触手○ませ研究会」なんて、

このブログを一気にR−18まで押し上げるようなぶっ飛んだやつも存在する。

気になる映画系の団体ですらも8個もあり、迷ってしまう。


私が入った学部は「あそこは外国」とか「治外法権」とか「早稲田のオランダ」

とか呼ばれているらしい、国際教養学部というところだ。

確かな語学力と広く浅い知識がモットーらしく、講義の大半は英語で行われる。

つまり、第二外国語を学ぶにおいてもそれは英語の授業なのだ。

講義の内容も多岐にわたり、あの有名な茂木健一郎氏の授業なんかもある。

まさにアハ体験。


今は暇を持て余しているが、その内に授業や、バイトや、サークルに追われる日々がくるのだろう。

「標準語」以前に「日本語」が通じないこの学部でやっていけるだろうか・・・

不安はあるが、今は期待の方が大きい。


dat5109 at 21:24コメント(9)トラックバック(0) 

2009年02月21日


このタイトルをやりたいが為に、あの映画を作りました。

嘘です。



注)この記事は今巷で氾濫しているであろう「卒業」に関するものです。
  しかも長いです。長文です。長編大作です。
  もうその手のものに食傷気味の方はまわれ右でまたいつの日にか。



さて、私は本日をもって高校を卒業した。

今まで聞いた中で間違いなく最高の答辞だった。

でも何故だろう。

思っていたほど感慨深くない。

涙腺も緩まない。

担任を胴上げしている際に「ついに卒業だね」と言ったら

「まぁ俺にとっては食パンみたいなもんだけどね。」と言い捨てた友人ほど

ドライ、というか干上がってはいないが、あまり悲しいという感情もない。

その理由にシリアス風味で少し迫ってみたいと思う。



高校生活、振り返ってみてどうだったのだろう?

今日の答辞のように美辞麗句を駆使することなく、本音で語ってみよう。

もちろんこのように思いつきを書きなぐるようなことをしただけで、

到底この3年間の足跡をきれいになぞることはできないが、

全体的な評価としては「良かった」のだと思う。

卒業制作映画『本日卒業』を見た人からは決まって

「高校楽しくなかったん?」

と聞かれるが断じてそんなことはない。

あれは高校生活をエンジョイ出来なかった人目線のお話、フィクションである。

自分では比較的充実した高校生活を送れたと思っている。



もちろん嫌なことだってあったはずだ。

「はずだ」というのは私の頭のメモリが少ないため(推定700MB)

嫌な経験をしたところで忘れているからだ。

逆にいえば、良いことも記憶の引き出しにはあまりしまわれない。


だが例え覚えていなくとも、無意識に自分のどこかには蓄積される。


いまや「友人」に属される人達との出会いなんてほとんど覚えていないのに

ずっと仲がいいのは、この理屈によって説明がつくと思う。

相互に共有した時間。

その積み重なりが友情。

え? 違う? 知らんがな。

まぁつまり、穏やかな気持ちで卒業でき、また振り返れるということは間違いなく「良かった」のだ。

少なくとも「良かった」ことの総量が「悪かった」ことのそれに優っているということだ。



ということで

「高校生活がたいしたものじゃなかったから何の感情も持てなかった説」

は名前を付けて消去だ。

ではなぜなのか?

ここで私は一つの仮説を立てた。ハイポティーシスをスタンドした。

それは、

「これ以上望めないくらい高校生活を通して得たものが大きいから説」だ。



そもそもなぜ、人は卒業を惜しむのか。

涙を流してまで、その場を離れることを悔やむのか。

それはひとえに、自分にたくさんの物を与えてくれた場所に

永遠の別れを告げるのが嫌だからだろう。

涙を流せる人間はそれだけその場から学んだことが大きかったのだろう。

泣くことを嘲笑う人間は、流す涙もないような空虚な時間を過ごしたのだろう。

では私の場合はどうだったのか?



時は万物に平等である。(相対性理論とか持ち出してこないでね)

故にすべての人は生きている限り年をとり、やがて卒業を迎える。

私の過ごした高校であれば3年間。

次期オリンピック開催には短く、

カップ麺にお湯を注げば・・・まぁいっぱい作れる。

そんな短いようで長い時間だ。

「飛ぶような3年間」と人は言うが、私は3年間は3年間として過ごした。

1秒は1秒として、1時間は1時間として。

それには早いもなければ遅いもない。

そしてそこには悔いもなければ、不安もない。

・・・はずだ。


少なくとも反省はしているが後悔はしていない!!!


得たものは多い。

還元できたものは・・・まぁ・・・あるといいな。

だからこそ私は卒業を迎えても、たいして何も感じないし、涙を流しもしない。

もうこれ以上この特別な場所から得られる物はない。

特別な人たちから得られるものはない。

もう貰い尽したのだから。

ゲームで例えるなら、全アイテム制覇でのステージクリア。

あとは、次のステージに進むだけ。

そんな気がする。



人間の目は前を見るために前に付いてるのだそうだ。

私の眼は常に明日の、そしてそのまた次の日を見据えている。

例え何と言われようとも未来は輝かしく、そして可能性は多い。

これは勿論、誰にでも当てはまることである。



ここには到底書ききれないほどいるであろう、

私の高校生活を形作っていた人たち、物たち。

その全てに私は感謝の意を述べたい。

そう、たとえあなたが今どんなに機嫌が悪くとも!!

まるで中学生の初恋のように一方的に!!

・・・まぁそんなの経験したこと無いんですけどね orz



それではみなさん本日卒業おめでとう。

この地球上のどこかにいる限り、永遠の別れではあるますまい。

また会う日まで。

また会う日まで。


dat5109 at 23:58コメント(5)トラックバック(0) 

2009年02月19日


明日の卒業式予行演習の後、PM3:00頃から3階視聴覚室において、

映画部卒業制作の上映会を行います。

興味ある人、暇な人、怖いもの見たさでもいいから来てください。

あ、でもあんまりいっぱい来てほしくないかも・・・

そんなアンビバレントな感情と闘ってる映画部ですが、

上映予定作品としては前代未聞、空前絶後の5作品です。

『Ugly Duck Complex』by松永監督

『本日卒業』by筒井監督

『ZINHO(ジーニョ)』by中川監督

『CIRCUS.ab』by中本監督

『映画部』by表具監督

が今のところの上映予定。

あくまで予定なので変更の可能性はありまくります。

というか本当に完成するのk・・・


卒業に際してそれぞれが1作品を作ったので、

いろんな意味で映画部の集大成と言うことになります。

明日は来ないと損するぜ!!!

来ても得するとは限らないぜ・・・


dat5109 at 18:48コメント(2)トラックバック(0) 

2009年02月08日

卒業制作の作品『本日卒業』が完成した。

生まれて初めてメニュー付きのDVDを焼くことができた感動はひとしおだ。

adobe様万歳。

映画部最初にして最短の作品『量産型ツツイvsひーぐ』から早3年。

技術やらなんやら、それなりの進化を遂げたんだと思う。

先の映画部作品と見比べて一人そう思った。


さてこの作品『本日卒業』なのだが英訳するとどうなるのだろうか?

なかなかしっくりとくる訳が見つからない。

「Graduation Day」だと「卒業の日」だし、

「The Day I Graduate」だと「私が卒業する日」になってしまう。

「This Very day I graduate」だとなんか長ったらしいし、

「Graduation」だと短すぎる気もする。

「This Day I Graduate」が一番近いニュアンスになるかな。

やっぱ根本的に違う言語なだけに「まったく同じ意味」にするのは難しいな。

映画のタイトルを訳すのは単純なようでなかなか奥が深い。

タイトルが本編に直接影響を及ぼすことはあまりないが、それでも第一印象を決める大切なものだ。

昔の映画ではそれこそ『ローマの休日』とか『風と共に去りぬ』とか

ものすごく日本語的なタイトルが付いていたけど、

最近では逆に『ハンコック』とか『マンマミーヤ』とか原題そのまんまのが多い。

でも『ダークナイト』なんかは安易にカタカナの羅列にしてしまうと、

「The Dark Night(暗い夜)」と「The Dark Knight(黒い騎士)」という

原題の持つ二重の意味が薄れてしまう。

これが『ダークナイト』が日本でだけ興行的に成功しなかった一因だとも言われている。

私の個人的に好きな映画で『Childrens Men(邦題:トゥモローワールド)』という映画がある。

本作は子供の生まれなくなった未来を描く暗い雰囲気の映画なのだが、

『トゥモローワールド』というと何だかポジティブなイメージになってしまい、

本編の内容とあまり合わない気もする。

タイトルを侮っちゃいかんと言うことですな。


そう言えば映画部の作品もやたらと英語もしくはカタカナのタイトルが多い気がする。

『シエスタ』に始まり『Time Sick』『コイン』『ReGAIN』『Gretel』

なぜなんだろう?

監督の趣味?



dat5109 at 00:47コメント(9)トラックバック(0) 

2009年01月25日


この前の記事に思ったより反応があってちょっとびっくり。

この手の内容の方が一部の人には受けがいいのだろうか。

確かに、他人が知りたくもないような自分の日常の瑣末な出来事を書き連ねるよりは、

いまこの時代、この瞬間の自分が思ったことを書き残す方が有意義に思えるしね。


さて2009年も始まってもう1ヵ月経とうとしている。

やはり今一番ホットな話題はアメリカ合衆国の大統領という地位に黒人で、かつ

「フセイン」なるミドルネームを持つオバマさんが就いたことだ。

60年かそこら前まではアメリカにおいて公然と差別が行われていたのに、

今では世界一の軍事力を持つ国のトップになることも可能になったという事実の

意味するところは非常に大きい。

まぁ、アメリカの有権者が"ABB"(Anyone But Bush: ブッシュ以外ならだれでもOK)

と言うほどに前大統領のことを嫌っていたことも確かに後押ししたのだけれど。

オバマ大統領はアメリカが迎えた「変革」そのものなんだろう。

それ故、過剰に期待されすぎている気もするけど・・・

それにしても日本で日本人以外(国籍じゃなく血統的な意味での)人が就くことなんてあるのだろうか?

それよりも可能性としては女性の首相が誕生するのが先だろうな。

でも今のKY(漢字読めない)首相も個人的には嫌いじゃないよ。

特にあの絶妙な口の曲がり方とかね。 (゜゜)ミゾウユウ!!


話は変わるが、私もアメリカの地にかつて住んだことがある。

もう10年ほど前だろうか、いまとなっては記憶も曖昧だが、親の都合での移住だった。

テキサス州の片田舎の日本人なんて一人もいないような学校に編入し、

学校のカフェテリア(食堂)でおにぎりでも取り出そうものなら、

周りにいる全員の好奇の目に晒された。

みんな何より「海苔」という未知の物体に興味津津だったなぁ・・・

アメリカはやはり何もかもがデカく、広く、ゴツい。

最寄りのスーパーに行くのにも車で20分ほどはかかるし、

そこで売ってる牛乳なんかも紙パックではなくガロンというデカイ容器だ。

それを1日で消費するアメリカ人もやはりデカく、もちろんデブい。

お菓子とかなんかもう色が根本的におかしいものばっかり。

青色や緑色のケーキなんて日本じゃ絶対に売れないだろうな。

そう言えば、一回授業で日本のことを取り上げた時に、先生が

「日本でもクリスマスを祝うことがあり、日本人はクリスマスツリーの上にみかんを飾り、

フォーチュンクッキー(アメリカでよく見かける中国のお菓子、中に占いの紙が入っている)

を飾ります」と言っていた。私はその場で全否定したが。

今思えばいったいどんな教材を使っていたんだ・・・


幼少期の異文化体験と言うものはその後の人生に大きな影響を与えるものだ。

言語習得だけの話ではなく、日頃の慣れ親しんだ環境と全く違うものを体験をすることで

視野が格段に広がるからだ。

まだまだ世界は不思議に溢れているし、自分の常識が覆るようなことがたくさんある。

大学生になったらいろんな地域をまわりたいものだ。

そうだ海外に行こう!!


dat5109 at 23:51コメント(4)トラックバック(0) 

2009年01月19日


2009年最初の更新からだだ滑りなのもどうかと思いつつコンニチワ。

タイトルの川柳ダジャレは高1の国語の授業時に課題として提出した一句。

しょーもないながらも、ロシアから天然ガスの供給をストップされたウクライナ

にとってはあながち洒落にならないのかもしれない・・・

そして私は無意識のうちに予言を行っていたのかもしれない・・・



と言うわけで誰も読みたがらないような記事はこっちに書きましょう。

ウクライナと言えば大統領がダイオキシン盛られたことが有名だが、

一部ではあれはでっち上げだったという説もあることを発見。

真偽はともあれ、ダイオキシンにしろポロニウムにしろ恐ろしい国だ・・・

恐ろしい国と言えばもうひとつ、イスラエルについて最近思うこと。

ガザや周辺諸国との憎しみ合いはもう泥底なし沼状態だ。

私は別にテレビに映った泣き崩れるパレスチナ人を見て義憤に駆られているわけでも

やれハマスだ、やれ人権の侵害だと騒ぎ立てるつもりもない。

ただ、一高校生として思ったことを率直に記そうと思う。

皆さんは何故イスラエルがあそこまで攻撃的なのか、

国際的非難の嵐にさらされてなお、攻撃の手を緩めることがないのか不思議に思わないだろうか。

それはイスラエル人という人たちが長い間迫害の歴史を生きてきたからである。

イスラエルの民は度重なる戦禍の中で祖国と呼べるものを失い各地に離散した。

そして、その過程で悪名高いナチスドイツなどをはじめ様々な迫害を受けた。

このような概略は皆さんも知っての通りだし、検索すればすぐに出てくる。

だがしかし「国」がないとはどういうことなのか?

普段何の疑問もなく「日本人」として暮らしている我々にとっては、

もてる想像力の全てを使ってもきっと思い浮かべられないだろう。

パスポートが発行されないとかいうちんけなレベルの話ではないはずだ。

国を持たないが故に守ってくれるものがいなかったのも

彼らが迫害された大きな理由の一つだと言われている。

だからこそ彼らは、自分たちの国を勝ち取りそれを何が何でも守り通そうとしている。

そして「攻撃こそ最大の防御」の理論を地で行っているのだ。

「同情されながら死ぬよりも、世界を敵に回しても生き延びる」

というのはイスラエルのゴルダ・メイア元首相の言葉だ。

日々をのほほんと過ごしている私なんかとは比べ物にならないくらい殺伐としているわけだ。

あえて分かり易く言い換えるなら

「いじめられっこにならないためには、いじめっこになるしかない」

だろうか。なんか怒られそうな気もするが・・・

だがミサイルをボンボン市街地に打ち込む理由が「迫害されたから」で通るものなのだろうか。

もちろん「お前に何がわかる」イスラエル人に一蹴されることは容易に想像できる。

距離も遠く離れ、文化も言葉も辿ってきた歴史も大きく違う人たちの立場になって

考えることはほぼ不可能だと言っていいだろう。

だがまだ何か「間違っている」気がする。というか気しかしない。

無責任にラブ&ピースを叫ぶわけでもないが、

せめてもうちょっと一般市民を巻き込まない戦い方をしなさいよと。

もうちょっと話を聞く耳を持ちなさいよと。

人に恨みと悲しみを与え続けてまで存在する国ってどうなのよ?



私たちは歴史の生き証人である。

というか、今この時点で存在している人はみんなそうだ。

みんな等しく「今」を生きている。

そして等しく「明日」に向かって何かをしている。

自分が生きた証拠を躍起になって残そうとしている。

だが、悲しいことにほとんどの人がじぶんのひいじいちゃんが何をしたのかすら知らない。

それが絵であれ、建物であれ、歴史であれ、憎しみという感情であれ、

人はそれを明日へ繋ごうとする。

私としては映画を遺したいな。


dat5109 at 22:29コメント(4)トラックバック(0) 
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