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昨年の10月9日にスタートした「デスティニー」も、今日の50話にして最終回を迎えました。物語終盤からの混乱そのままに、総集編のような終わり方でした。劇的でも感動的でもなく、残された時間のなかで、消化不良のまま、物語の収束をつけたにとどまっています。収束であって、収拾ではなしに。あとはご想像にお任せします、という最低限の決着と言いますか。とにかく、スッキリしません。
 
レクイエムの次の目標はオーブ。反「デスティニープラン」最後の砦であるオーブを守るために、アークエンジェルとエターナルの必死の総力戦が続きます。キラとエターナルはメサイア、アスランとアークエンジェルはレクイエムと、二手に別れて展開。イザークとディアッカは、迷った末に「同じザフトの艦」として、エターナルの援護につきます。イザークとディアッカは、そのキャラクターと物語を展開に重要なポジションにいながら、結局、前作からのファンへの顔出しサービス程度に終わってしまいました。
 
メサイアに向かうキラの前に立ちはだかるレイ。キラは、レイがクルーゼと同じクローンであることを知り、驚きを隠せません。自らがつくられた存在であることに苦しむレイに、命はひとつ、キミはキミと自分の思いを伝えるキラ。しかし、その思いは届かず、仕方なくレイを撃つことに。そして一路、メサイアへ。
 
シンは、最後の最後まで逆恨み発想の“考えない人”のままでした。「自分たちは何のために戦っているのか?」「過去だけに捕らわれるな!」「未来まで殺すのか?」と、アスランに説得ならぬ諭されつつも効果はなく、いつものような“種割れ”リセットによる思考停止状態。止めに入ったルナマリアにまで撃とうとしたところをアスランに叩きのめされて、やっと戦闘停止。気を失っている意識下でステラに出会い、「明日」を受け入れ、やっと“心の初期化”に至りそうです。結局、「シン」というキャラクターを活かしきれないまま、物語が終わってしまいました。
 
シンを撃破したアスランは、ムゥ(ネオ)とともにレクイエムを落とすべく向かい、その破壊に成功する。決着ありと見たミネルバのタリア艦長は、艦の撤退を決め、自らはメサイアへと向かいます。戦闘シーンに音楽を流さなかったのは(「ヴェスティージ」が使われると思っていました)、会話に重きが置かれた形となり、適切な処理だったと思います。
 
メサイアを落としたキラは、デュランダル議長のもとへ。この目で、デュランダル自身の真意を確認したかったのでしょうか。「歴史は必ず繰り返される、世界を混沌に戻さないためには、自分のやり方こそが正しい」と主張するデュランダル。「命を輝かせることのできる自由の重さと、そのための混沌を納める覚悟はできている」と言うキラ。銃を突き付け合うふたりに駆けつけた、レイとタリア。鳴り響く銃声。決着を付けたのは、レイでした。
 
デュランダルに最も忠実な信奉者であるレイによって物語の決着が付けられたのは、実にオーソドックスな落とし方だと思います。シン同様、レイまた、逆恨み発想でしたが(キャラクター中、最も論理的で聰明に見えたレイが、なぜ恨む先が違っていることに気づかなかったのかは疑問)、最後の最後で、「すべてを無に返す」ことの誤りに気づき、キラが語る未来に望みを託す道を選びました。前作とは別の立場から描くという初期設定で進めるのなら、シンよりもレイを前面に立てたほうが適切だったと思います。最後は、前作のキラに対するレイという構図でしたから。
 
デュランダルとキラ、最終局面における直接対話という、この物語のクライマックスといいえる場面を(1話使ってもいいはず)、ダイジェストのように閉じられたのは、実にもったいないことです。
 
明日があるということは、まだ見ぬ可能性があること。結局はないかもしれないが、歩き出してみないことにはわからない。すべては始まりそこから。一方で、まだ見ぬ明日や可能性の不確さをよしとしないのなら、決められたさだめに従うほうがずっと楽で、こちらのほうが充実感も得られるかもしれません。変わらぬ居心地のよさと、選べることの自己責任としての苦しみ。どちらにしても、物語内ではひとりひとりが意見を言う場はなく、ひとりひとりの思いを超えたところで主義主張がぶつかり合う“宗教戦争”のような展開(ラクスは魔女か?)。そんなふたりの「理解はできるが、納得はしかねる」をそのままに終わせず、もっと踏み込だストーリー展開を期待していました。全体構成(行き当たりばったりの展開に見えました)とシナリオの描き込み不足の感が否めません。
 
レイは、タリア艦長のことを「お母さん」と呼んでいました。そのタリアは、マリュー艦長に「男の子がいるので、たまには会ってやって」と、キラに言付けます。これは、どのように理解すればいいのでしょう。タリアは、デュランダルとともにレイの出生に関わっているのか?(“種”としてのレイの父母は誰?) クローンゆえに、自らの知らぬ母なる存在に対して、思わず出た言葉なのか? 何度か出てきた、タリアが持つ写真の男の子は、離れて暮らす子供なのか、それともレイなのか? なぜ、デュランダルとともに、自らも死ぬような行為をするのか? 絵柄的には、別れ別れになっていた家族が、最後の最後に死をもってひとつとなり……という構図にも見えた終わりでした。説明不足ですが、ささやかな救いが感じられるエンディングでした。
 
結局、この物語の主人公はシンではなく、キラでした。当初は、キラ(地球)とは別のシン(プラント)視点から物語が描かれるはずだったと思うのですが。シンは、「オーブ→ザフト」「地球→プラント」「家族を失った一般人→力を持った軍人」など、すべての局面を一番見聞きしている存在だったのに、狂言回しとしてさえ、活用されていませんでした。コンセプト不完全燃焼に終わった「ガンダム」最新作でした。