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脊髄小脳変性症『1リットルの涙』 に参加中!
 
1リットルの涙病気という現実を受け止める亜也、亜也との関わりを通じて、自らの“生”を一生懸命生きることになった遥斗と亜湖の姿。前話のような劇的なシーンはありませんでしたが、受けた感動の大きさは、前話以上でした。ドラマを思い出しながら、この感想を書いている途中でも涙がこぼれてくるほどです。亜也が転校してからの1年の経過が描かれていましたが、ドラマ内での時間経過が映像面で十分に提示されず(学園祭などが時間経過の提示だったりするのでしょうけれど)、セリフを耳にしてから時間経過にハッと気づく場面もありました(たとえば、亜湖の合格を知らせに家族で亜也を訪ねたくだりなど)。
 
新学期。誰もが心を弾ませる季節なのに、亜也(沢尻エリカ)にとっては、大好きだった「東高」との別れが現実になった季節です。「今日からここが、あたしの居場所」。亜也は、養護学校で寄宿生活を送ることになります。母・潮香(薬師丸ひろ子)から携帯電話をプレゼントされます(原作の時代にはないツールですね)。自由に移動することができない亜也にとってのケータイは、同世代にとっての友だちとのコミュニケーションツールとしてよりも、家族や緊急時のライフラインにも似た意味合いがあります。気丈に見える亜也ですが、心は不安で一杯。亜也の目には、養護学校のコンクリートの壁が、自ら立ちふさがる障壁のように映ります(ここでの生活を通じて、違って見えるようになりますが)。
 
亜也は、同じ「脊髄小脳変性症」である明日美(大西麻恵)と同室になります(映画版の亜也とテレビ版の亜也、ふたりの亜也の共演ですね)。明日美は、歳も病気の発症も亜也の1年先輩になります。同じ病気ゆえに、障害を気にせず過ごせるという精神的な気楽がある反面、常に相手に自分を重ねて見てしまい、病気の症状が進んだ自分の未来を見るかのような、つらさもあります。
 
養護学校での日々は、それまでの高校生活とも、亜也が思い描いていたものとも違っていました。病気に関しては、ひとりひとりに合わせたフォローが行なわれますが、ここはケア施設ではなく学校。全員が何らかの障害を持った集団のなかでの規律が求められます。車イスに頼ったら、歩く機能が急速に低下してしまわないかという恐怖を感じる亜也は、ものごとを自分のペースで進めようとしますが、周囲のペースと折り合いをつけることを求められます。
 
そんな亜也にとっての心のよりどころは、今も遥斗(錦戸亮)でした。池内家では、すでに父・瑞生(陣内孝則)公認のボーイフレンドのような扱いですね。自転車に乗っていた遥斗を捕まえて家に連れて来たのは、父なりの優しさでしょうか(荷物運びもさせたのは、父なりの親愛のつもりでしょうか)。「お父さん、あいかわらず」「もう慣れました」。池内家の家族に対しては、心の垣根がない遥斗です。明日美に遥斗のことを聞かれた亜也は、「口は悪いし、態度は大きいし、すぐウソをつくし」と悪態をつきますが、つらいときには、なぜかいつも傍にいてくれる存在であり、一緒にいるときは、病気であることを忘れられる存在であると、語ります(恋ですね、恋)。
 
自らが訊ねたこととはいえ、こういう同じ病気である他人の“恋話”を耳にする明日美の心境は、どのようなものなのでしょうね。明日美自身の内面描写はありませんでしたが、第7話での潮香とのシーン(「病気になったのは不幸じゃないです、不便なだけ」)から考えると、明日美には、他者をうらやむ気持ちや妬みや嫉みという気持ちは、もうないのかもしれません。意識的にそう努めているのかもしれませんが、それが、このドラマで描かれている、病気である自分を真に受け止める、受け入れることなのかもしれません(今回、亜也も、このことを意識することになるわけですが)。なんて、軽々しく書ける内容ではないのですが……。
 
そんな遥斗に、父・芳文(勝野洋)は、亜也との交際について問い掛けます。お前の覚悟はどうなのか? ただの友だちのつもりなのか? と。病気の性格上、「今が楽しければそれでよい」では済まされない。つらくなる一方の未来に向き合い、受け止める覚悟はあるのか? と。病気と向き合うことは、家族であってもたいへんなことだと。これまで、遥斗の前では、亜也に対して冷たい態度をとっていたように見えた父ですが、医師としての病気の現実を見据えた視点からの言葉だったのですね。
 
多くの患者を間近で見てきた立場だからこそ、今、亜也に悲しい思いをさせても、本当につらくなったときに絶望させないための、医師としての心遣い。そこには、厳しいながらも医学者としての現実的な視線がありました。その場に直面してから怖じ気づくなら、最初から関わるな。ドラマを見ている僕らには、それは、亜也の病気のことが頭から離れず、デートをキャンセルした憧れの先輩・祐二のようなことは繰り返さないように、とも見えます(彼を責める意味ではなくて)。
 
しかし、現実は深刻、かつ厳しいものでした。亜也の症状には、悪化の兆し。しかも、進行は、これまで以上に早い様子です。主治医・水野(藤木直人)曰く、「次の段階」入っていると。その症状は、「固形物が食べるのが困難になる」「飲食物の誤嚥を引き起こす」「なめらかな発声が困難になる」「四肢の機能低下による転倒などのケガ」「風邪程度の病気でも肺炎などの合併症を引き起こすことになる」というもの。そのひとつひとつは、病気ではなく、これまでは当たり前だった日常が、当たり前でなくなることばかり。この病気のつらい面ばかりです。
 
悲しいことに、亜也自身が最初にそれを自覚したのが、遥斗との水族館デートでした(ドラマは違っても場所は同じというくらいに、ドラマにおけるデートシーンの定番になりましたね、ここ)。話そうとする自分の心に、発声がついてきません。ショックを受ける亜也です。話すことに不自由さを感じる亜也に、水野は、自分に「伝えたい」という気持ちと、相手に「受け取りたい」という気持ちがあれば、聞く気持ちがある人には必ず伝わると言います(現実的には「マ行」「ワ行」「パ行」「ン」が言いにくくなる、声にならずに空気が抜けていく、とのことですね)。
 
さらに、バスに乗り遅れて、雨に打たれた亜也に、「小さいことが命取りに」という、もうひとつの現実が押し寄せます(予定調和な雨の映像面の出来については、以前書きましたので、今回はもう何も言いませんが、事情はどうあれ、細部にまできっちり仕上げてこその“プロの仕事”だと思います)。遥斗を迎えた「楽しいだけではいられない」「昔のようにはいかない」という潮香の言葉が、遥斗の心に重くのし掛かります。そして、亜也からは「住む世界が違うかもしれない」と言われます。
 
亜也への気持ちが揺らぐほど、重い言葉ですね。遥斗に感謝し、家族のように迎い入れている潮香ですが、帰ってきたときの遥斗に対するあの剣幕は、冷静でいられなかったのでしょうね。瑞生のフォローがせめてもの救いです(潮香もあとで詫びましたが)。ただ、よく気のつく潮香なら、防寒用の衣類や雨具を持たせたり、事前の遥斗に亜也の身体のことを伝えておくはずですが、ドラマの都合ですね。実話を下敷きしているのなら、このあたりも、もっと現実感を持たせたストーリー構成を取るべきたと思います(役者陣の演技に負けていませんか? シナリオと演出)。
 
水族館デートからどのくらいが経過したのでしょう。ある日、遥斗が亜也を訪ねてきます(先の一件以降、心の迷いが吹っ切ることができた今日の日まで、亜也に電話できなくかったようですね)。遥斗よりも先に、亜也が、今の気持ちを口に出します。これまで、夢のなかでの自分は健康体だったのに、今日の夢での自分は、夢のなかでも車イスだったと。現実の自分を受け入れることを、心のどこかで拒絶していた自分が、現実にきちんと向き合い、素直に今の自分を受け入れることができるようになった亜也でした。
 
今度は、遥斗が今の気持ちを亜也に伝えます。「先のことはわからないけど、今の気持ちならウソはない」「お前の役に立ちたい」「住む世界が違うとは思わない」と。「俺、お前のこと好き…好きかも、たぶん」と恋心も口に出しますが、亜也と「ちゃんと向かい合う」という遥斗の決意は、「好き」よりも“強い”言葉だと思います。現実を受け入れるということは、現実に流されるということではなく、現実に甘んじることでもなく、きちんと向かい合うことであり、今できることを、精一杯行なうこと、それがこのドラマのメッセージのひとつでもあります。
 
それを具現化して、僕らに見せてくれたのが、亜湖(成海璃子)でした。亜湖は、亜也が転校して以来、必死で受験勉強を続けていました。亜也が果たせなかった思い=叶わぬ夢=「東高」を代わりに卒業するために。亜也の思いを受け継ぎ、今の自分にできることを精一杯やる。これが、亜也の病気に対して亜湖が出した答えでした。そして、ついに「東高」に合格します(亜也の着ていた制服で代わり卒業するとは、泣かせるセリフです)。そんな亜湖に対して、当初は「お前、本当にアイツの妹?」と言っていた遥斗も、最後は「さすが、アイツの妹」と、自分のことのように喜びます。
 
そんな亜湖の姿を見て、亜也との迷いが吹っ切れた遥斗は、医学部(常南大学医学部)を目指すことを決めます。亜也への思いと、亡き兄の夢を携えるかのように。こうなる展開は、わりと早い段階から感じさせていましたが(亜湖も遥斗も、上から2番目で、両親には上の子ほど期待されず、悶々としていて、などの共通項がありますね)、急がず、慌てず、丁寧に描かれてきたゆえに、「やっぱりね」な印象を与えることなく、静かな感動を生んでいます。
 
遥斗と亜湖のくだりを見ていて感じたのですが、亜也を通じて遥斗という存在を知り、その優しい心に触れた亜湖は、亜也の亡きあと、亜也が叶わなかった亜也の思いがふたりを結びつけるかのように、遥斗と結ばれる結末もありだと思いました。亜也の代理で恋をするのではなく、亜也が亡くなった悲しみを分かち合う、傷を癒し合うような関係でもなく(“シナリオ力”が問われる展開ですが)。
 
《足を止めて今を生きよう/いつか失ったとしても/あきらめた夢は、誰かに委ねたっていいじゃないか」》《人は過去に生きるものにあらず/今できることをやればいいのです》。まさに今回のストーリーそのものでした。
 
ところで、「3月9日」がお経みたいな歌というくだりは(抑揚に欠けるメロディーラインゆえですが、そう感じる方も少ないないと思います=僕もそのひとりですが)、シナリオの言葉なのか、陣内さんのアドリブなのか、気になるところです。