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岸谷五朗と高岡早紀(愛の流刑地)後半はそれまでとは一転、「実は裁判ドラマだったのか?」と思えるほどに、「冬香を愛していた。冬香が殺してと強く求めるから、この手で首を絞めた」と入江冬香(高岡早紀)をあやめた動機を語る村尾菊治(岸谷五朗)の刑事裁判が中心にストーリーが進みます。前話を見ていた時点では予想外だった後編のこの展開、前編での高岡早紀の演技と艶技と息を飲むほど美しい背中が霞んでしまうほど(笑)、見応えのある展開でした。
 
残された冬香の家族、冬香との関係修復を望んでいた夫・徹(吹越満)の、妻を突然、かつショッキングな形で亡くした悲しみとやり場のない怒り(冬香が自ら望んだと言われても、徹にはまったく理解できませんが、それは徹よりも情報量の多い視聴者も同様です。その意味では、徹はドラマ内で最も視聴者目線に近い立場かもしれませんが、徹の場合、悲しみと怒りよりも、自身のメンツと社会的立場を気にしての事情が先に来ているようにも映りますので、立ち位置のわりには共感できないキャラに思えます)、菊治の言い分を「そんなのありえない」とのあっさり無視する(無視というよりも、自身の先入観に基づく「結論ありき」の取り調べのような印象の序盤です)担当検事・織部美雪(瀬戸朝香)の事件の事実を求める姿勢、別れても菊治との日々を後悔せず、今も作家としての菊治のよき理解者である元妻・谷脇理代子(麻生祐未)とひとり息子・高士(平岡祐太)、理代子に依頼を受け、菊治の弁護を引き受け、菊治の量刑を少しでも軽くすることで、理代子と高士を世間の目からガードしようと奮闘する弁護士・北岡(柄本明)の裁判戦略、「虚無と熱情」を通じて菊治の本心と、菊治を信じる理代子の思いを理解する高士、そして、母親・冬香を恨むことなく、今も母親を慕い、残された悲しみにひとり健気に絶える冬香のひとり娘・千春(鈴木理子)、今こそが本を売る絶好のタイミングと、菊治と冬香の愛の結晶「虚無と熱情」の出版を画策に走る出版社役員の中瀬(古谷一行)と、菊治と冬香を巡るさまざまな立場の登場人物が、それぞれの視点からそれぞれなりに真摯に事件と向かい合うという非常に見応えのある展開。限られた時間と展開のなかで、決して散漫な構成になることなく、それぞれの登場人物とその思いが描かれていたのには好感です。ラブシーンが連続の初回に、家族の冷やかな視線を背中に感じつつ見ていた身には、「そうそう、これこれ、ここからが、このドラマの本筋なんだよ」と、思わず背中で語ってしまいました(笑)。
 
どこかの時代劇が「罪を憎んで人を憎まず」なんて言っていましたが、登場当初の織部は、「罪も憎むし人も憎む」という感じの検事で、検察事務官・栗山(東根作寿英)が庶民感覚から言う「行き過ぎたSMの果て」という可能性を、小馬鹿にします(市井の者には、栗山の感覚が素直な事件の見方だと思います)。しかし、そんな織部も、事件関係者へのヒアリングと裁判の進展に並行して、私生活での恋人・徳永(中村俊介)からのプロポーズをきっかけに、ふたりの関係性を見つめ直すことになり、それが図らずも、菊治と冬香の関係の理解につながり、検事としての当初の思惑が揺らぎ始め、自分が考えていたような事件ではないことを悟り、菊治の言い分を「ひょっとして」と思うようになります。
 
そんな見応えのあるドラマではありましたが、2夜に渡るドラマを見え終えた今も、「愛ゆえの殺人」という菊治の行為と死を望む冬香の思いは、納得がいきません。自分なりの理解以前に、冬香と菊治というキャラの心情に共感ができないのです。これほどまでに見応えを感じるドラマの場合、普通は、「納得はできなくても理解はできる(共感はできる)」となりそうなものですが、それがないので、少々複雑な気持ちでした。子供との関係性が十分に描かれていたとは言い難いところも、その理由のひとつかもしれません。ひとり娘の千春は、母親をどう捉えていたかを、織部を通じて視聴者に、痛々しいまでに見せますが、肝心な千春に対する冬香の思いが曖昧なまま、ドラマが終わります。なので、純真な菊治と(情念な女というよりも)色惚けな人妻・冬香という下世話な図式に見えてしまいます。
 
菊治と中瀬が行きつけの文壇バー(?)のママ・菊池(川島なお美)が、男と女の様々な愛のカタチに詳しい第三者として、弁護側から証人申請されますが、菊池は学者でも評論家でもない一般人ですから、裁判所としては当然、却下となりますが(見ているこちらも「なんでこの人が?」です)、このふたり、古谷一行と川島なお美は、テレビドラマ版「失楽園」(日本テレビ/1997年7月〜9月/平均視聴率21.0%)にて久木祥一郎と松原凛子を演じたコンビなんですね。ドラマの結末は忘れましたが(ことのクライマックスで互いに毒入りワインを飲んでの心中でしたっけ?)、かつての不倫に燃えた当事者が、今ではまるで男と女の色恋を超えた関係となり、「男女の愛を語るOB会」よろしく、まったりと会話をするという“箸休め”のようなキャラに映ります。
 
乱暴に言ってしまうと、映画は「監督の私的な思いの実現としての作品」、テレビドラマは「プロデューサーがドラマという形にて世に問う作品のコンセプト」というメッセージ性が何より求められるというイメージが、個人的にはありますが、番組ホームページによれば、このドラマのそれは、「法理論を超えた、究極の愛」とのことですが、僕にはそのようには見えませんでした。
 
 
PS.
週刊誌の記事によれば、前編では、当初は、もっと大胆な性描写が予定されていたそうです。ところが、収録はしたものの、放送局側の自主規制によりカットすることに至ったとか。それに対して高岡も岸谷も、カットするなら最初から収録するなと、憤慨しているとか。完全版と銘打って、DVDがリリースされたりするのでしょうか?
 
 
>> テレビドラマ「愛の流刑地」ホームページ
>> 映画「愛の流刑地」ホームページ