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家政婦のミタ最終回の前枠に置かれた、前話までの総集編「さよなら“家政婦のミタ”特別版 〜最終回への序章… 三田灯が亡き最愛の夫と息子に向き合う最新場面公開!」が効果的でした。子供たちの父親であることをあっさりギブアップしてしまい、子供たちに「愛せない」と口にしてしまうダメダメな父親・阿須田恵一の存在が、三田同様、物語の肝になっていることを、あらためて意識するとともに、三田をとりまくこれまでの、あまりの不幸さに(物語の設定に)、あらためて引いてしまいました(苦笑)。「お前の笑顔が周囲の人を不幸にする」に始まり、夫の弟による「放火殺人→自殺」の末の「死ぬまで笑うな」というのは、何ともスキャンダラスで…。
 
その先の最終回。三田さんの石を見つけたという希衣は、三田に「私たちのお母さんになって」と懇願し、意外にも三田は「承知しました」と。形だけの話かと思いきや、いえ、形だけでもきちんとというのか、希衣に「お父さんもプロポーズしてね」と言われた恵一は、「母親になってくれるんですか」と恐る恐る三田に聞くと、「私でよろしければ」と、婚姻届を差し出す三田。こう来るとは、びっくりです(笑)。本当は家政婦など雇う余裕もないはず。私が主婦になれば経済的な心配もなくなり、子供たちの面倒を一日中見ることができる。つまりは、最善の選択であると。そして、三田の豹変が始まります。しつけは厳しく、食事は阿須田家の家計を反映し質素なものへと変わって…。困惑する子供たちに、三田は、「私は“三田さん”ではなく“お母さん”です」「いつまでも家政婦扱いするのはやめてください」と。
 
恵一は、胃潰瘍で入院一週間。子供たちにも、災いが降り掛かって…。まさか、三田が仕組んだのか? 三田の策略だったら、あんまりだよなぁと見ていたら、物語は、それを上回る展開を見せて…。結城うららが阿須田家の厄払いのような存在だったと。降り掛かる災いを、うららが引き受けていたと。いくらなんでも、それはないでしょうと思う間もなく、結は、三田に「あなたは私たちのお母さんじゃない」というキツイ言葉を浴びせて、嫌な子です(笑)。自分の期待と違う方向に行くと、都合のいい言葉が飛び出すし。ちょっと前までは、うららに「うざったい」と言っていたくせに、今度は「うららは何があっても裏切らない」なんて。かえって、三田のブレないスタンスが際立つことになりました。
 
「うららと自分の、どっちを取るのか」と子供たちに迫る三田に、うららは、それが三田の真意ではないことに気付き、三田に迫りますが、逆に、自らの感情をずっと封印していた三田に、「自分の感情を押し込めることをやめる」「相手の機嫌を取ったり、顔色をうかがうことをやめる」「甘いことだけじゃなく、厳しいことも言う」ことを勧められ、「私のようにはなるな」と。うららがやってきたことは、正しい。伝え方が間違っていただけだと。子供たちの母親は、“事故で”亡くなった凪子、ただひとり。うららも母親にはなれないが、保護者にはなれると。
 
最終回は、三田の“さらなる秘密の扉が開かれた”な展開ではなく、“三田の逆襲”であり、うららの回。その真意は、三田に頼りきった、子供たちの自覚を促すという“三田からの贈り物”。そして、最後の業務命令。笑ってください。「承知しました」と、三田もそれを受け入れて…。結、翔、海斗、希衣、それぞれからの三田へのメッセージは、台本に書かれていたものではなく、演じたそれぞれが、演じた役の気持ちになって考えた言葉だったそうですね。言葉としては違和感の残る人もいましたが、それを発した感情は、紛れもなく登場人物のそれでした。みんながんばりました。そして、クライマックスともいえる、三田と希衣の別れのシーン。《わたくしは、キイさんのことが だいすきです!》 母親が亡くなったときに今よりもずっと幼かった希衣にとっては、三田は、母親以上に存在感を見せた人になったようです。
 
三田の言葉は、その表情と行動とは裏腹に、いずれももっともなものばかりということもあり、毎話のサブタイトルを含めたあざとさと強引さを超えて、心に響くものがありました。春クールの「鈴木先生」同様、脚本とキャスティングの見事さでしょうか。
 
とりとめない文章ですが、ひとまず、最終回を見て心に浮かんだことを、とりあえず。