![dahshur-2292509_640[1]](https://livedoor.blogimg.jp/daveyo3/imgs/c/d/cdc895f9-s.jpg)
音楽家の遠藤賢司が亡くなったのが今月の25日。私は、どうしょうもない程忙しくて、ここでお悔やみを申し上げられませんでした。
なので、エンケン氏が何を信仰していたかは分かりませんが、本日は初七日という事にして改めてお悔やみ申し上げます。
とは言っても、ライブに行った事があるわけでもなく、レコードの1枚も持って(故人が作曲した盤を1枚のみ持っております)いるわけではないのですが、思い出などを。
エンケン氏はカレーラスが好物なのは知れた話しです。「カレーライス」(1972年)という名曲もあるくらいですから。
その氏が「ワルツ」というカレー店(私が訪れた時は、“カレー喫茶”の趣きが強かった)を渋谷道玄坂にオープンさせたのが1974年、その後1977年に同じ渋谷の明治通り沿いの地下に移転して80年まで営業していました。
私はエンケン氏の店という事で興味を持ち、もし都内の高校に通う機会があったら、是非とも行ってみたいと思っていたのでした。
ワルツはライブもやっていたので、『シティロード』のスケジュールコーナーにも載っていたので、そこに地図もあったんです。小さすぎて、よく場所が分かんなかったですけど。念願かなって私は九段にある高校(注:九段高校じゃないよ、暁星でもないよww)に合格、その小さくて大雑把な地図を頼りにワルツへ向かったのでした。
オーダーしたのは名物の「ピラミッドカレー」です。ご飯がピラミッドのような形に盛ってあり、周りにルーを敷き詰めたカレーでした。エンケンはピラミッド・パワーを信じていたのかな?
味は激辛ではないですが、お子ちゃま向けのカレーではなく“ほんのり大人の味”がしていました。美味しかったですよ。学校帰りに2度ほど寄らせてもらったのですが、その1980年に同店は閉店しています。なんとか、駆け込みで間に合ったといった所ですね。
ですから、私にとっては「渋谷=ピラミッドカレー」なんですよ。使用写真の意味は、これでお分かりですね。
本職の歌については『東京ワッショイ』(1978年)が好きでしたねぇ。埼玉の田舎に住んでいたもんだからレコードが手に入らなくて、FMで流れたのをエアー・チェックして聞いていましたよ。「ワッショイ」がエンケン、「えんやとっと」は岡林で決まりですね。
そして前述した、提供した曲のレコードを持っているという話しですが、これが「俺は絶対テクニシャン」(1981年。作詞/来生えつこ、歌/ビートたけし)。ツービートのレコードという体裁ですがA面が「俺は~」で世界の北野が、B面が「茅場町の女」でビートきよしが、それぞれソロ(爆)で歌っている名盤です。
世界の北野は、この後も数々の名曲を世に送り出して内田裕也主催の「ニューイヤー・ロックフェスティバル」にも数回出場しています。
ビートきよし師匠も、この曲の後に「雨の権之助坂」(1981年)という名曲中の名曲をリリースしているので、機会を作って聞いてみてください。あっ、こっちはエンケン作曲じゃないけどさ。
そういうわけで、「遅ればせながらご冥福をお祈りします」。
ではまた。

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