2007年01月19日

ウイスキーの知識9「日本のウイスキー」

これまでスコッチ、アイリッシュ、バーボンと、それぞれの歴史や特徴を書いてきました。
今日は我が日本のジャパニーズ・ウイスキーについて歴史や特徴をわかりやすく年表を使って説明することにしましょう。


1879年(明治25年)
後にサントリーの創業者となる鳥井信治郎が生まれる。

1892年(明治25年)
13歳になった信治郎は薬問屋に奉公に出る。
この薬問屋の取り扱う商品は漢方薬が主でしたが、外国から薬品を輸入し、ワインやブランデー、ウイスキーなど洋酒も扱うハイカラな店だったそうで、信治郎はここで洋酒の知識や味と香りを嗅ぎ分ける舌と鼻を養ったようです。

1899年(明治32年)
20歳で鳥井信治郎は独立し「鳥井商店」を創業。
取り扱った商品は輸入もののワインや缶詰が主でしたが、食生活の違う日本では酸味の強い輸入ワインは馴染めず、返品の山だったそうです。

1907年(明治40年)
前年に「寿屋(ことぶきや)」と社名を変更し、大衆の味覚に合わせ甘味料や香料をブレンドした甘味葡萄酒『赤玉ポートワイン』が誕生し、好評を博します。

ちょうどその頃、ヨーロッパで大量につくられていた「穀類を原料としたアルコールに香料を混ぜただけの粗悪なウイスキーもどき」を買ってしまった信治郎は、もてあましているこの商品を仕方なくワインの古樽に詰めて倉庫に置き、数年後に樽熟成による神秘を知ったそうです。
当時は本格的なウイスキーづくりはスコットランドやアイルランド以外の地では不可能と考えられていたにも関わらず、信治郎はウイスキー作りを志し、商社を通じてイギリスからウイスキー製造に関するあらゆる文献を取り寄せ、学び、研究を重ねました。

1918年(大正7年)
寿屋の従業員であった、後のニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝が本格的ウイスキー作りの研究のため、単身スコットランドに留学。

1923年(大正12年)
京都の郊外、山崎に、日本初のウイスキー蒸留所となる「山崎蒸溜所」の建設に着手。
なお、この土地は、スコッチ製造法に関する文献から学んだ「良い原酒は良い水が生み、良い熟成は良い自然環境なしにはあり得ない」という確信のもとに、全国の候補地から選ばれたそうです。
ちなみに、この頃、竹鶴政孝は山崎蒸留所の設計も担当しています。

1929年(昭和4年)
国産初のウイスキー「サントリーウイスキー白札」(戦後サントリーホワイトとなる)誕生。
価格は当時の輸入ウイスキーとほとんど変わらず高価、その上、ピートを炊きすぎたせいで「焦げ臭くて、飲めない」との声もあり、この時点では評判は悪かったようです。
製法的には、100%国産の原料を使っているものの、スコッチ・ウイスキーを踏襲したものです。

なお、この時初めてサントリーというブランド名が誕生したのですが、これは赤玉ポートワインの「赤玉」を太陽に見立ててサン(SUN)とし、これに鳥井の姓をつけて「SUN鳥井」→「サントリー」としたとのこと。
この後、1963年に社名自体を「サントリー」と変更しました。

1930年(昭和5年)
「サントリーウイスキー赤札」発売。

1934年(昭和9年)
禁酒法が解禁されて間もないアメリカにサントリーウイスキーを初輸出。

同年、寿屋を退職した竹鶴政孝が「大日本果汁」を設立、同時に、北海道余市に「余市蒸留所」を開設。
なお、余市を選んだのは、ウイスキー作りを学んだスコットランドのキャンベルタウンに似た風土だったからだそうです。

1937年(昭和12年)
「サントリーウイスキー角瓶」発売。
山崎蒸溜所の原酒の貯蔵量も充実し、深く熟成した豊かな香味の個性あふれる原酒が揃うようになったため、やっと完成した信治郎の満足のいくウイスキーだったそうです。
角瓶はその後ロングセラーを続ける本当の意味での国産初のウイスキーだったのかも知れません。
この頃から、ウイスキーが広く飲まれるようになり、ウイスキー産業は活況を呈するようになります。

同年、脇田酒造という日本酒の会社が東洋醸造と社名変更(1992年に旭化成に吸収合併される)し「トミーウイスキー」を発売。

1940年(昭和15年)
竹鶴政孝の「大日本果汁」から「ニッカウヰスキー角瓶」を発売。
この後、1952年に社名自体を「ニッカウヰスキー」と変更しています。

1945年(昭和20年)
東洋醸造から「45ウイスキー」発売。

1946年(昭和21年)
大黒葡萄酒(現メルシャン)から「オーシャンウイスキー」発売。

1955年(昭和30年)
大黒葡萄酒が軽井沢に軽井沢蒸留所を開設。

1958年(昭和33年)
大黒葡萄酒が日本で始めてスコットランド産の大麦を原料としたウイスキーを蒸留。


1974年(昭和49年)
キリン・シーグラムから「ロバート・ブラウン」発売。



というように、徐々に品質を高めていき、各社が競い合うことで現在のように世界5大ウイスキーの産地の一つに数えられるようになったのです。

最近では、「メルシャン軽井沢12年」や、「ニッカ竹鶴21年ピュアモルトニッカ」、「サントリー山崎12年」などが国際的なウイスキーのコンテストで金賞を獲得するなど、外国でもその知名度を高めるようになり、2003年には最も権威ある国際酒類コンテスト、ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)において、「サントリー響30年」が全酒類部門の最高賞であるトロフィーを獲得するという偉業を成し遂げました。

国産第1号ウイスキー「白札」から数えてわずか70年ほどでここまで成長した日本の技術はスゴいですね。

特に、本格的なウイスキーづくりは日本では不可能と考えられていたにも関わらず、それに挑んだ鳥井信治郎氏と、単身スコットランドでウイスキー作りを学んだ竹鶴政孝氏のパワーには頭が下がります。

やって出来ないことはない・・・ということですね。


なお、今回の記事は下記のHPを参考にさせて頂きました。
興味を持たれた方はこちらも覗いてみて下さい。

サントリー・ウイスキー・ミュージアム 
NIKKA.COM 
メルシャン・軽井沢蒸留所


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davidbatt at 18:15│Comments(6)TrackBack(1)ウイスキーの知識 

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1. このウイスキーがうまい!  [ 響30年 ]   2008年04月17日 21:37
響30年

この記事へのコメント

1. Posted by    2007年01月19日 21:14
初めて山崎蒸留所に行ったとき
展示も見ました。
私、単純なんでしょうか?この会社はすごいなあと感動してしまいました。
以来、数回以上は見学に行きました。
ウイスキーが飲めるからだけではありません。
国産ウイスキーの歴史、パズルがはまった感じです。
2. Posted by よしゆきロビンソン   2007年01月20日 10:20
鳥井さん→サントリーは、もはや雑学ではなくなってますね。
最初聞いたときは、ふざけてるなと思ったんですが、ここまで急成長してるんですから名前はあんまり関係ないですね。
昔はサントリーのバレー選手を、よく千里のパチンコ屋で見たことあると父親が言ってました。
荻野を特に…。
3. Posted by 中ちゃん   2007年01月20日 13:30
サントリーの名前の由来は鳥井さんの「さん」を頭につけたものだと勘違いしていました。
70年の歴史でここまできたなんて凄いですね!
さすが物作りの国、日本!!
と言いたいところですが今は………
これから先どうなるんだろう??
4. Posted by BARLOG マスター   2007年01月22日 21:13
藍さん、まいどです。
ウイスキーの工場見学はサントリー山崎蒸留所にしか行ったことがないんですが、確かに何かスゴいものは感じます。
しかも、日本最古の蒸留所ですからね。
比較する意味でも、一度くらいは本家のスコットランドで大好きな銘柄の蒸留所を見学してみたいものです。
5. Posted by BARLOG マスター   2007年01月22日 21:17
よしゆきロビンソンさん、まいどです。
そうですね。
始めはふざけた名前でも、広く馴染んでしまえば問題はないんでしょうね。
世の中にはサントリーのように言葉遊びやオヤジギャグ的なノリで付けられた社名がいっぱいありますから、きっとそんなもんなんでしょう。
6. Posted by BARLOG マスター   2007年01月22日 21:22
中ちゃんさん、まいどです。
なるほど・・・、「さん」は、そういう解釈もできないことはないですよね。
ところで、危惧しておられるのはお酒のことだけではないんでしょうね。
日本の賃金が高い分、どんどん技術を海外に紹介していますから、これから先の日本製品は減ってくるかも知れません。
確かに怖いことです。

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