ぎりぎりの女たち

小説家 真野朋子のブログです。 主に映画、音楽、舞台鑑賞や本の感想、著作について、日々の生活の中で関心を持ったことなどを書いていきます。趣味性の強い内容ですが、中身は堅苦しくないので、少しの間お付き合いください。

mammamia 2
「マンマ・ミーア ヒア・ウィ・ゴー」

前作の続きと、ママが若かりし頃の前日譚をうまく絡ませた映画オリジナルの作品。
今はもう亡くなってしまったメリル・ストリープ演じるママの、若い時代をリリー・ジェームスが好演。3人のパパ役との出会いについてのストーリー説明もあって、なるほどそういうことだったのね、と納得。なので前作を観た人には特にお勧めだ。
それぞれのキャラが若い頃と現在と別の俳優が演じていることもあって、かなり登場人物が多い。大物俳優を贅沢な使い方で登場させていて楽しいのだが。
また、使用する楽曲はすべてABBAということは変わりないが、大ヒット曲はすでに前作で使ってしまった感がある。そんな制約の中でも「ウォータールー」や「フェルナンド」なども無理なくはめ込むアイデアは素晴らしい。
この夏のイチオシ女子映画は「オーシャンズ8」かと思ったが、こちらも同様だった。気分が上がることまちがいなし、だ。ミュージカル好きにはたまらない。
それにしても満を持して登場したシェールには恐れ入った。今年で72歳だそうだが、圧倒される存在感で、出てきただけで空気が変わる。



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「タリーと私の秘密の時間」

シャーリーズ・セロンが体重を18キロも増やして挑んだ、赤ん坊を産んだばかりの母親役。
そりゃあ、いつもの彼女みたいなモデル体型だったら、まったくリアリティ無しで観ている方も感情移入できない。 (でも実際の彼女は女優だからきっと、妊娠中から太りすぎないように気をつけていただろうし、産後もすぐに体重を戻したんだろう )
すでに2人の子がいるのに、40歳過ぎてできてしまった3人目。しかも上の子のひとりは、サポートが必要なほど手がかかる子だ。
赤ん坊、それも新生児がいる生活は本当に毎日が戦争のよう。母親は眠ってなんかいられない。夫はいい人だけど、仕事が忙しくてほとんど育児ができない状態。このままでは親子ともどもおかしくなりそう。
そこで夜間だけのベビーシッターを雇うことになった。タリーという名の若いシッターは、赤ん坊の扱いが完璧なだけでなく、眠っている間に家事までこなしてくれる。ものすごく「当たり」なシッターだった。次第に心を許し合い、2人は友だちのように親しくなっていく。もうタリーのいない生活なんて考えられないのだが、タリーの正体はなかなかわからなかった…
子育て中の女性たちには共感を呼ぶことまちがいなしの作品。だが観てほしい人こそ、時間が取れないだろうな、と思ったりもした。
欲を言えば、ラストはもうひとひねりあった方がよかったかも…

2重螺旋の恋人
「2重螺旋の恋人」

大好きなフランソワ・オゾン監督の新作は、「17歳」で鮮烈なイメージを放っていたマリ−・ヴァクト主演。
精神科医である恋人が隠していた双子の兄弟の秘密を、彼女が密かに探るという心理サスペンス。エロチックな風味はかなり濃いめ。
散りばめられた伏線とか、視覚的要素の凝り方とか、なかなか工夫されていて見応えはある。
けれども双子とか精神科医とか、サスペンスとしてはいささか使い古されたネタと設定に、新鮮味があまり感じられなかった。
ラストの落とし方も、どうもすっきりしないし。
とはいえ途中までは、かなりどきどきしながら見入っていたのだが。熱演したヒロインの今後にも期待がもてる。



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「ウインド・リバー」

酷暑の最中に観たい映画はホラー以外だと、雪山とか雪原、または深海、冷たい洞窟なんかが舞台になった作品だ。
「ウインド・リバー」は、雪深いワイオミングのネイティブ・アメリカン保留地が舞台になっている。かなり辺鄙な荒涼とした土地だ。
雪原で見つかった少女の遺体。肺が凍りつくほどの冷気の中、彼女はなぜ裸足で走って逃げていたのか。
新人の女性 FBI捜査官と、心に傷持つ現地のハンターが協力して犯人を突き止める。
実はこの土地ではこれまでに何人もの女性が殺害されているが、土地が広すぎる上に警察官が少なくて、捜査がまったく進んでいないのだった。
クライム・サスペンスとしては、少々内容を詰め込みすぎた感は否めない。が、今まで見たこともなかった土地が舞台になっていて新鮮な驚きはあった。西部劇っぽいテイストも楽しめるし。



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「オーシャンズ 8」

ジョージ・クルーニーの「オーシャンズ」シリーズは観たことがない。何だか大味そうで敬遠していただけなのだが、きっと観れば面白いのだろう。
ではなぜ「妹版」を観たかといえば、そりゃあ、メットガラとカルティエのジュエリーがテーマだから。
キャストの豪華さもあいまって、この夏最強の女子映画ではないか。こういうの、チック・フリックっていうのかな。
サンドラ・ブロックやケイト・ブランシェットの姐御ぶりは言うまでもないが、キャストの中でキモは女優役のアン・ハサウェイではないか。自虐ネタか、と思える笑いにあふれていた。こういう役を客観的に演じるのは案外むずかしいのかも。
テンポはいいし、飽きさせないし、安心して見ていられる。何より8人がカッコいいし、痛快だった。まあ、それだけだけど…


「カメラを止めるな!」

口コミで広がり、思いがけない大ヒットとなったようだが、「ん、これって割りとありがちな手法じゃない? どこかで見たことがあるぞ」というのが第一の感想。
必死でネタバレを禁止するような内容かな、と疑問もわいた。
低予算で作りこんだところは確かに素晴らしい。手作り感があふれているし、人間愛とユーモアのセンスもいい。
が、突出して凄いところは特に見当たらなかったような…。悪くはないけど、星3つという感じか。
観た人の映画経験値によるのではないか、と思った。
ともかくも大ヒットおめでとう。


ファニーとアレクサンデル
「ファニーとアレクサンデル」

「ベルイマン生誕100年映画祭」の目玉だ。82年、ベルイマン最後の作品は、堂々311分 (5時間11分)という大作だ。これは短めの映画約3本分にもあたる。
私は常々、劇場用映画は (内容にもよるのだが)できれば120分程度にしてほしい、いや、できるはずだと思っている。長めに見ても150分か。大河ドラマや歴史ものなど例外はあるが。
何十年にもわたるファニーとアレキサンデルきょうだいの話、と勝手に思い込んでいたのだが、実際はたった2年間の出来事を描いている。だから最初から最後まで同じ子役が演じている。
一族の物語なので登場人物はとても多い。しかし意外にシンプルだ。劇場を経営する父親が亡くなり、元女優の母親が跡を継ぐがうまくいかず、劇場は閉館。母が厳格な聖職者と再婚すると、ファニーとアレクサンデルの運命も大きく変わる。波乱万丈の人生の始まりだ。
でも時にユーモラスに、人間愛に満ちた作品なので決して退屈はしない。
しかし、それでも、長い。冒頭のクリスマス・パーティーのシーンだけで1本の映画ぐらいの感じだ。
編集して3時間ちょっとにはなりそうな気もするけど…
でもまあ、この長さも含めて、この作品の良さなのかもしれない。




夏の遊び
「夏の遊び」
実は、私はベルイマンが少々苦手だった。
でも大学生の頃に何本か観ている。処女の泉とか、野いちごとか、叫びとささやき、秋のソナタとか。
「夏の遊び」は1951年、ベルイマン初監督作品だ。
プリマ・バレリーナであるヒロインの、若き日のひと夏の恋。本当に、パッと咲いてさっと散ってしまった苦い恋の思い出を、フラッシュバックを多用して語っていく。
ベテランになって憂いを感じさせるバレリーナと、きらきらはじけるような若さがまぶしいレッスン生。この演じ分けも見事だが、ひと夏の恋の舞台となる小島のロケーションが素晴らしいのだ。モノクロの画面なのに、色を感じさせる広がり、あふれる陽光。実にみずみずしい。こんなベルイマンもあったのか、と感心させられた。
「白鳥の湖」のバレエ・シーンは古めかしくて、今見ると何だか発表会みたいな振付だけど、これはこれで可愛らしく思えた。

Eva

「エヴァ」
きっと原作小説「悪女イヴ」は面白いんだろうな、と思いながら映画を観ていた。いや、イザベル・ユペール演じるエヴァもなかなかのものだったが。少し前に観た「ELLE」とどうしても比べてしまう。
映画の設定では50歳ぐらいの感じなのだろうか。でも実際のユペールは60歳を過ぎているから、娼婦役と聞いて少し驚いた。それでも売れっ子らしく、スケジュール帳は予定で埋まっている様子だ。
盗作した他人の作品で有名になった劇作家が、娼婦エヴァを「運命の人」と勘違いすることから彼の転落は始まる。どのみち嘘で固めた人生だ。破綻に向かうのはむしろ自然なこと。
実力のない作家が名声だけ得てしまい、次回作が書けなくて苦悩する姿がイタかった。
ギャスパー・ウリエルみたいな二枚目が演じると、見ていてツラくなる一方だ。実は謎めいたエヴァにも、わかりやすい動機があって娼婦をやっているのだが、彼はまるで気づかない。
あったことをそのまま戯曲にするぐらいだから、もともと想像力がないのだろう。どんどん窮地に追い込まれて書けなくなり借金ばかり膨らみ、おまけに恋人まで失う。
エヴァに、大事にされていない客として鼻であしらわれるくだりは、自虐というよりもう喜劇だ。
62年の「エヴァの匂い」のリメイクだが、設定はかなり変わっている。「魔性の女」ぶりはやはりジャンヌ・モローに軍配が…



Winchester
「ウィンチェスター・ハウス アメリカで最も呪われた屋敷」

夏だから一度はホラー映画を観たい。実際に存在する古い館が舞台になっていると知って、ゴシック・ホラーに目がない私は迷わず鑑賞。
ウィンチェスター銃の製造販売によって巨万の富を得た夫の亡き後、館を守る夫人…ヘレン・ミレンが全編喪服で通した。ホラー映画に出ても、ゾンビも真っ青、圧倒的な存在感だ。
屋敷は銃の犠牲者となった人の霊が出てきて超常現象が起きるという。霊を鎮めるために、24時間365日ずっと館の拡張工事が行われている。カラクリ屋敷のように、増築に増築を重ねて複雑になっている。まるで迷路そのもの。しかし古いお屋敷は調度品や家具、階段の手すりに至るまで、大変に凝った造りで素晴らしく見ていて飽きない。
映画の方は、怖らせ方が古典的であまり新味はないのだが、まあ、普通に怖かった。あつーい季節にひやっとするぐらいの効果はあったと思う。


「ボリショイ・バレエ 2人のスワン」
バレエものの少女漫画と、「リトル・ダンサー」を足したような映画、といえば話しは早いか。ストーリー展開が「いかにも」で、バレエものって何でいつもこうなんだろう、半世紀前と変わらないじゃないか、と。
でも認知症の講師が出てきたりで現代性もあったから、バレエ好きの人は観た方がいいかも。


「 Raw 少女のめざめ」
ずっと見逃していたのでやっと観られた、と思ったのだが全く NGだった。好みではなかった。「ネオン・デーモン」とか、こういった少女もののスプラッターは笑いのセンスがあるわけでもなく、やたら血ばかり滴って気色悪いだけだ。
「キャリー」 (もちろんシシー・スペセク版) みたいな意味でのカタルシスがないとダメなのだ。
まあ、こういった向きが好きな方もおられるのでしょうが…














女と男の観覧車_
「女と男の観覧車」

毎年、ウディ・アレンの新作が公開されるたびに、「別に期待しないことにしているから」と言い続けている。それでも必ず観に行くのだ。時としてハッとするような作品に出会えるから。
今回のはアタリだと思った。アレン監督作には初出演のケイト・ウィンスレットが大熱演。まるでテネシー・ウィリアムズ脚本作品にでも出ているような熱の入れようなのだ。
元女優だが今は観光地のしがないウエイトレスのヒロイン。パッとしない中年男と再婚したが、連れ子のひとり息子は問題を抱えている。
忙しく働いてもお金の余裕はないし、夫とはあまり心が通わないし、いいことなんか何もない。
しかしそんな時に、出会ってしまったのだ。恋はお金や時間がなくても、若くなくても、相手さえいればすぐに始まる。そして次第にどつぼにハマッていく人妻…
年下のお相手はジャスティン・ティンバーレイク。いかにも不幸な人妻がよろめきそうな男だ。やがて案外チャラくて不誠実な野郎だったことが判明する。それにうすうす気づいても、ひとたび走り始めた人妻の暴走は止まらない。だんだんイタイおばさんになっていく過程がすごかった。まさにケイト・ウィンスレットの独壇場だ。
アレン作品、まだまだ期待できる余地は残っているようで、お見逸れしました!



30年後の同窓会
「30年後の同窓会」

とても内容はいいのに、割合早く終了しててしまったためか、公開されたこともあまり知られていないかもしれない。おじさん3人のロードムービーという地味さもあるが、骨のある作品なのに。
時は2003年。ドクはバクダッドで戦死した息子の遺体を引き取りに基地へと向かうところだった。妻を病気で失ったばかりの彼は、不幸が重なり傷心の日々だ。
かつてベトナムで共に戦った仲間、サルとミューラーに付き添ってもらうため、30年ぶりに3人が顔を合わせた。
暴れん坊だったミューラーは聖職者になり、サルはバーを経営しているもののほぼアル中状態だ。立場は変わったが、それでも3人は気心の知れた仲。昔話に笑ったり、サルの行動が誤解されてとんでもない事態を引き起こしたり。珍道中にも人生を感じさせる味がある。
「同窓会」の後、彼らがどういう道を進むのかはわからない。変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でも傷ついたドクが立ち直るきっかけになったことだけは確かだろう。



ルイ14世の死
「ルイ14世の死」

ジャン =ピエール・レオが、死の間際のルイ14世を静かに熱演。大半のシーンが寝室のベッドに横になったまま、ロウソクが灯るダークな照明だけで演じきった。
かつて太陽王と呼ばれて権勢を奮った姿は影もない。左足の壊疽に始まり、次第に死へと向かっていく。
王の側近や医者たちにもまたドラマがあるのだが、視点はあくまでも「死にゆく王」だ。大げさな鬘やゴージャスな衣装が、死の床にあっても王は王なのだ、と認めざるを得ない。
普通の映画なら華やかな回想シーンなど入れたくなるのだろうが、それは、ない。最後は王自身がほとんどオブジェと化していた。それなのに、直後の「腑分け」があまりにも淡々と行われていたのが驚きだった。



「万引き家族」

カンヌも受賞したことだし、今さら私が取り上げなくても十分に宣伝されヒットしたことだろう。
個人的には「だれも知らない」の時のようなインパクトには欠けるように感じた。万引きという犯罪が、日本独特なのか、疑似家族が共感を呼んだのかわからないけど。
殺伐とした中にも四季の移ろいやら、偽物でも家族らしいふれあいやらがあって和ませる。
だが所詮は嘘っぱちなのだ。しょうもない大人たち…
いっそ少年目線で描いていれば、また違った仕上がりになっただろうな、と思ったりした。






ファントム・スレッド
「ファントム・スレッド」

50年代のイギリス。オートクチュールの仕立屋であるレイノルズは、服のモデルとして完璧なボディを持ったウエイトレスのアルマを見初めた。ため息が出るような高級ドレスに胸をときめかすアルマは、玉の輿に乗った気分でレイノルズと結婚する。
しかし彼は、アーティスト特有の超個人主義、偏屈で頑固、仕事最優先の生活を絶対に変えようとしない。しかしアルマは愛を求めた…
という男女の心のすれ違いがテーマなら、まあ、よくある話だ。独善的な男と、非力で従属に甘んじていた女の関係が、徐々に変わっていく。そのプロセスが実にスリリングで見事なのだ。このあたり、 P.T アンダーソンの演出と、ダニエル・デイ=ルイスの熱演が作品のテンションを上げている。
レイノルズとアルマの、歪んだ愛の行方から目が離せなくなってしまう。
そしてもうひとつの主役、当時の素晴らしいオートクチュール・ドレスの数々が、豊かな目の保養として楽しませてくれる。


lady bird
「レディ・バード」

インディ映画の女王、とも呼ばれる女優のグレタ・ガーウィグが、自伝的要素を取り入れた青春映画を初監督した。2000年代の初めのカリフォルニア州サクラメント。田舎の街から出たいと願う女子高生「レディ・バード」。本当の名前があるのに、自分のこともその名で呼んでいる。
決して悪い子ではないが、いろいろ問題もある (その年頃ならそれが普通だが)。小さな街の、一介の女子高生のすべったり転んだり…の日常が意外なほどみずみずしい表現で描き出されている。主演のシアーシャ・ローナンの好演あってのことだが、母親や女友達の演技もすばらしい。
私などはもう、こういった青春映画はつい親目線で観てしまうのだが、その観点からも楽しめた。
ほんの少し前の時代設定だが、古めかしいカトリック系の女子校が舞台だからか、ずいぶん昔の話のように感じる。すでに携帯はあったが (でもヒロインは持っていない)、スマホ前と後では若者の生活環境は大きく異なったのだなあ、と改めて思った。
「君の名前で〜」のティモシー・シャラメが、クールなボーイフレンド役で出演している。


ビューティフル・デイ
「ビューティフル・ディ」

ホアキン・フェニックス演じる主人公は、退役軍人で元 FBI捜査官。今は行方不明の少女の救出を請け負うという危険な仕事に就いている。彼は虐待された自らの生い立ちもあいまって、PTSDに苦しんでいる。時にひどく暴力的だが、孤独で寡黙、でも母親思いのところもある。
原作は短編小説のようだが、主人公のバックグラウンドは時折フラッシュバックのような映像で出てくるだけで、説明は少ない。
暴力と殺人シーンが多く、暗くて救いがない。どこか「タクシー・ドライバー」を連想する部分もあり、救出される少女ニーナがジョディ・フォスターを思い起こさせた。
 ホアキン・フェニックスの、痛々しいほどの熱演がとにかく印象的だ。厳格なビーガンだと聞いているが、あの肉体は一体何で出来ているのだろう、などと考えた。
彼の活躍を見るたびに兄のリヴァーが生きていたら、と想像してしまう…




sukita
「SUKITA  刻まれたアーティストたちの一瞬」

ミュージシャンにとって「生涯のこの1枚」といえる写真は、自身のヒット曲と同じぐらい大切なものらしい。逆にその1枚が、その人のその後を決めることだってあるだろう。
スキタさんはそういった特別な「1枚」をたくさん撮ってきた。マーク・ボラン、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ…往年の洋楽ロック・ファンなら懐かしい写真ばかりだ。有名すぎる写真の数々。
もちろん YMOや忌野清志郎など国内アーティストも同様だ。
単なる被写体としてではなく、彼らと篤い信頼関係を結んでいることが写真によく表れている。
今年で御年80歳になられたそうだが、もちろん今もカメラは手放さない。
さまざま人たちのインタビューでまとめられたドキュメンタリー映画だが、証言者に女性があまりにも少なくて驚いた。確かに被写体になった女性自体、少ないのだが。
でもスキタさんの写真のファンは女性もかなり多いのだけどなぁ…



海を駆ける
「海を駆ける」

「淵に立つ」もよかったが、個人的に深田晃司監督の作品で最も心に残ったのは「さようなら」だ。
あの空気感、虚無感が忘れられない…
で、今回の「海を駆ける」は、もちろん深田監督作品ということと、もうひとつはスマトラ島のバンダ・アチェが舞台というので楽しみにしていた。
地震と大津波で被害を受けた土地だが、監督がここに何かしらのインスピレーションを得て舞台にしたのだろう。しかし、何かこう、スピリチュアルな話だった、うーん。
ディーン・フジオカは、やさしい死神とでもいった存在で不思議な浮遊感というか、味を出していた。台詞はほとんどないのだが。
また一方で、これは若者たちの青春物語でもあり、「ほとりの朔子」を彷彿とさせて、みずみずしく甘酸っぱい。
結末がもやもやしているのはたいした問題ではないが、少し期待しすぎてしまった。まあ、一種のファンタジーと捉えればいいのだろう。
当然だが、場内はディーン・フジオカ狙いと見られるご婦人方が目についた。


dalida
「ダリダ あまい囁き」

フランスの国民的歌手、ダリダの短くも激しい半生を描いた映画。
彼女がもっとも売れていた60年代から80年代を中心に語られる。そういえば欧州ポップスがポピュラー音楽界を牽引していた時期もあったなあ、と懐かしく思い出した。
日本でもよく知られたアラン・ドロンとのデュエット曲「あまい囁き」…パローレ、パローレぐらいしか知らなくても十分に楽しめる映画だ。
とにかくダリダの歌が素晴らしい。歌詞と彼女の生きざまが重なり本当に心に染みる。
決して幸せとはいえない生い立ち、あっという間に売れっ子歌手になり、人気者ゆえの孤独や苦悩。元夫や交際した男性が3人も自殺してしまうという悲劇。
彼女の人生もだが、あのダリダまでもがディスコ・ミュージックに迎合した、というポピュラー音楽界の歴史までも垣間見ることができて興味深かった。
最近ではこうした伝記ものを映画化する場合、似ているかどうかより、演技力や雰囲気を第1に考えたキャスティングをすることが多いようだ (つまり本人とはあまり似ていない ) だがこの映画のダリダは、本人とかなり似ていたようで、往年のファンの人たちも満足だった様子。
一部特殊メイクも施したようだがダリダ役のスベバ・アルビティが本人の歌い方や仕草を相当に研究したと想像できる。



ピーター4
「ピーター・ラビット」

何ともまあ、やんちゃでハイテンションなウサギだこと。この映画には牧歌的でまったりしたムードは、ほとんどない 。
マクレガーさんの隣人であるヒロイン絵描きのビアが、動物と田舎の自然が好きなほのぼのキャラだが。
しっかり現代風、ちょっとヤンキーも入っているピーター・ラビットで、ヒップホップで踊ったりするのだ。あまり子ども向けではないが、さほど下品にはなってない。
原作のファンはどう感じただろう。眉をひそめる人がいてもおかしくはないが。
しかし、これはこれで面白いのだから成功したのでは、と思いたい。原作をいじりすぎて「やっちまった」という感じは、私は持たなかった。
ちょっと変人なマクレガーさん甥っ子とビアのロマンスもあって大人でも楽しめる。劇画っぽいけど、ミュージカル的な要素も盛り込んでいて楽しい。
原作の画もちゃんと登場するので、リスペクトを忘れてるわけじゃない。
それにしても最近のCG技術の進歩には恐れ入る。リアルなもふもふ感は本物以上かと思えてしまうほどだ。

call me by your name
「君の名前で僕を呼んで」

非常に文学的な作品で、とにかく描写が繊細かつナチュラル。原作ものだがジェームズ・アイヴォリーの脚本が秀逸なのだ。
17歳の少年のはかなく切ないひと夏の恋を、いつくしむように丁寧に描き出している。
陽光あふれる北イタリアの自然が美しい。熱いけれど脆い少年の心情に似合っていた。
1983年という時代設定がまた絶妙だ。ゲイはもうすでに、ひとつのカルチャーになっていたが、世間的に言えばまだまだ偏見は強く「ひめごと」だった。しかしエイズが世の中の震撼させる前なので、牧歌的な部分もあっただろう。
驚いたのは、相当リベラルと思われる少年の両親が、息子の初恋を「同性愛」というカテゴリーで見ていないことだ。これは素晴らしい。終盤に、父親が少年に向かって語りかけるシーンは、だれもが深く胸を打たれたはずだ。
タイトルにもなっている劇中の台詞「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶ」が、この上なくロマンティックだ。なるほどこれは同性間ならでは、ということか。
主人公はトーキングヘッズの Tシャツを着ているが、80年代ポップ &ロックの、ヨーロッパ的選曲の数々もなかなか面白かった。



アイ、トーニャ
「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」

まだ羽生結弦が生まれてもいなかった時代……古いフィギュア・スケート・ファンならずとも知っている米フィギュア界のスキャンダル。トーニャ・ハーディングによる (実行犯は別だが)ナンシー・ケリガン襲撃事件。勝ちたい一心で、ライバル選手の足を殴打するという少女漫画の世界のような事件が実際に起きたのだ。
映画はこの事件の真相を追究する、というよりはなぜこんなバカみたいなことが起こったのか…トーニャのバックグラウンドを探るというもの。
この映画の登場人物の大半が、下品で無知で暴力的な人ばかり。特に母親はその三要素の権化みたいな人物だが、この母がいなければトリプル・アクセルを成功させたトーニャはいなかっただろう。
演じたアリソン・ジャネイの芝居が上手すぎて、トーニャでなくとも心底憎みたくなってしまった。
バカな連中が何か企むとロクはことにはならないんだから、と思いながらもついつい引き込まれ見入ってしまう。それが大衆なので、だからこそワイドショーが成り立つというものだ。実際、彼女は格好の餌食になった。
本人の映像も出てきたが、彼女が今、本当に幸せなのかどうかわからないし、また関心もない。しかしこれからも図太く生き続けるだろう、ということだけは真実と思った。



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「女は二度決断する」

むごいテロ事件で、最愛の夫と幼い息子を同時に失ったヒロイン。ようやく捕まった犯人たちだが、法は彼らを裁けなかった。もちろん彼女は納得できない、それならどうするか…
「復讐の旅に出るなら墓穴をふたつ用意しろ」という言葉が思い浮かんだ。
気持ちは痛いほどわかるのだが、彼女の二度目の決断に賛同できない観客も多かったのではないか。
果たしてこれがベストな方法か。いや、少なくとも違うだろう。
何とも後味が、よくなかった。ダイアン・クルーガーの熱演は光っていたが。


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「ワンダーストラック」

私の好きな映画「キャロル」のトッド・ヘインズ監督の作品、というので期待大で観に行った。原作小説があるようだが、1927年と1977年というふたつの時代が交錯し、やがてそれがひとつの流れになっていくという凝った構成になっている。
27年場面の主人公ローズは耳が聞こえない少女だ。そのためか無声映画のような作りになっているところが、とても新鮮で面白い。
ローズはなかなかの冒険少女なのだが、演じている子役は聾者だ。とても意志の強そうな個性的な容貌で、一度見たら忘れない。アメリカは、こういったハンディキャップを持った俳優も数多く活躍しいているのだ。
77年場面の方の主人公の少年ベンも、雷に打たれて急に耳が聞こえなくなってしまった、という設定。こちらは言葉は話せるが、まだ手話ができないので筆談というもどかしい現状。それでも初めての土地でたちまち友達ができた。知らない者同士がすぐに知り合え、心を許せたいい時代だ。
50年の時を経た物語。途中からこれはもしや…という予感がして、やはりその通りだった。しかし謎解き映画ではないので問題ない。
「アメリカ自然史博物館」が重要な鍵になっている。こんな古くからある施設だったのか。「ナイト・ミュージアム」など映画の舞台としてよく使われるのだが、恐竜と大きなクジラしか私の記憶にはない。もう一度行ってみたくなった。


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「さよなら、僕のマンハッタン」


原題はthe only living boy in New York。このタイトルでピンときた人は絶対観た方がいい。
そう、サイモンとガーファンクルの曲。他の選曲もやや古めだがとてもセンスがいい。
「 (500 )日のサマー」や「ギフテッド」のマーク・ウェブ監督の最新作。となればこれはもう、観ないではいられない。
映画全体に流れる文学的な香りが変にスノッブにならず、ウディ・アレン風と解釈したい。
そうか、今回ブログで取り上げる3本はどれも NYが舞台になっている (「トレイン・ミッション」はほとんどが列車内だが)。やはり絵になる街、そしてドラマが生まれる街なのだ。
若い青年に訪れた転機…さまざまな人との出会い、または別れによって引き起こされた人生の節目を、あまり大げさな演出にせず、しかもきめ細やかに描いている。
タイトルといい、青年の世代よりその親世代にうける作品かもしれない。事実、シニア世代になった彼の両親にも転機が訪れたわけだし。
ニューヨークに行ったことのある人には特に、絵になるロケーションも楽しめたはずだ。



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「トレイン・ミッション」

リーアム・ニーソン扮する初老の男がリストラされて金に困り、やばいミッションについ手を出してしまう…というサスペンス映画。
NYの郊外へ行く通勤列車が舞台で、限定された空間に濃い空気が漂う。主人公は元警官という設定だから、アクションシーンもふんだん。報酬に目がくらんだばかりにリーアム・ニーソン、さんざんな目に遭ってしまう。最近の彼はこんな役柄ばかりだ。
少々設定に無理があるものの、ヒッチコック映画を思わせるシーンが出てきたり、上映時間とほぼ同じリアルタイムで見せるストーリー展開に息つくヒマもない。
NYの (地下鉄以外)郊外へ行く列車には乗ったことがないのだが、ずいぶんと旧式なシステムに驚いた。今どき車掌がやって来てひとりひとり検札するなんて。だがそんなアナログ感までもが映画の面白さとスリルに拍車をかけるのだった。

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「ラブレス」
あまりに身勝手な親たちに、怒りで震えそうになるのと同時に少年が不憫でならなかった。
徹底して自分のことしか考えない親、特に母親の態度にムカツキ通しだった。
すでに別々の相手との再婚が決まっている両親。どちらが少年を引き取るかで押しつけ合い、顔を合わせればケンカばかり。
そんな言い争いを耳にしてしまったら、だれだって家を出たくなる。しかしこのバカ母は、12歳の息子が家に帰ってきていないことに、2日も経ってようやく気づいたのだ。
これはもう無自覚なネグレクトだ。自分自身も母親に愛されなかったから、というのは理由にならない。
警察は、事情は聞いたものの他の捜査で手一杯で、積極的に失踪者の捜索をしてくれない。その代わり…と教えてくれたのがボランティア団体だ。行方不明者を探すことにかけては専門のチームで、これが実に手際よい。見ていて胸がすくようだ。
暗く、思いテーマだった。そしていつも冷たい雪が降っている。
冒頭の公園と池が、ラストにも出てきて何かを物語っているようだ。貼り紙は風雨にさらされ、人の記憶から消え去っていく。
両親は、少しは傷ついたかどうか知らないが、別の家庭で「のうのうと」暮らしている。ウクライナ情勢がどうなろうが、 SNSの方が関心事なのだ。そしてまた同じあやまちを繰り返すのだろう。
ロシア人監督は非常に冷徹な視線で語っている。


lucky
「ラッキー」

昨年91歳で亡くなったハリー・ディーン・スタントンの遺作。何はともあれ、そのお年まで俳優人生を続けられて、しかも主演映画まで撮ったのだから素晴らしいことではないか。
ラッキーと呼ばれている独居老人の日常を実に淡々と描いている。田舎町での、毎日がルーティンだらけの生活……特別なことは何も起きないし、ラッキーは別段変わったことをした人物でもない。
それなのに映画として十分面白いのは、ラッキーがハリー・ディーン・スタントンそのものに思えるからだろう。
友人役で出演したデヴィット・リンチ。飼っていたカメが失踪したとのおしゃべり。実際に友人関係でもある2人だが、本当にこんな会話をしているのではないか、と想像して可笑しかった。
他のキャストたちも彼を盛り立てている。
このテンポはジャームッシュの「パターソン」を思い出した。が、あちらの作品は平凡な日々の中にも、けっこういろいろなことが起きていたのに対して、ラッキーには本当に何も起きない。
それなのにある日突然、自分の寿命が残り少ないことに気づく、御年90歳で。
実に、いい人生だ…


The 1517 to Parispg
「15時17分、パリ行き」

ほとんどの人が、想像していたのとはちょっと違う映画だった、と感じたのではないか。
私など、シネコンの映画館を間違えて入ってしまったかと思ったぐらいだw
列車内で銃乱射テロ事件が起きて、それを勇気ある若者3人組が阻止する…という本当に起きた事件の映画化と聞いていたのだが。
まあ、いい。確かにそのエピソードは出てくるのだから。しかし映画は、その事件に至るまでの過程が本筋のようだ。
ごく普通の人たちがいかにして英雄になったかを、子ども時代に遡って丹念に描いている。
校長室に呼ばれてばかりの落ちこぼれ、というかはみ出しっ子たちだ。その部分がかなり長い。
そして事件に遭遇するまでの彼らの旅はかなりゆるい!
この映画の最大の特徴は、大人になってからの3人組を、事件の当事者たち「本人」が演じていることだろう。実話の映画化多しといえども、本人出演というのは ( TV番組以外では)あまりないだろう。
だからまあ、当然リアリティ度満点のはずなのだが。クリント・イーストウッド監督は、さらさらっと描いているのだ。
それを物足りないと感じるか、潔しと受け取るかは観る人次第だろう…

女性映画ばかり4本。どれもオルジナリティあふれる佳作ばかりです。

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「シェイプ・オブ・ウォーター」

とりたてて美人でも若くもない地味な女性と、とらえられた半魚人…これがとてつもなく美しいラブストーリーになってしまうのだから、映画とはやはり魔法なのもしれない。
社会のすみっこでひっそりと暮らす、言葉が発せないイライザ。政府関係の施設で夜間に掃除係として働いている。そこへ密かに連れて来られた異様なルックスの半魚人。だがイライザはその「彼」と、最初から心を通わすことができたのだ。
米ソの冷戦時代、スパイも絡んで物語はダークな大人のファンタジー &ラブストーリーへと向かう。
殺されそうになる彼をイライザは必死で救う。自宅のアパートにかくまうが、彼は水なしでは生きていけない。
水が外に漏れ出さないよう隙間を埋めたバスルームを水槽にみたて、イライザと彼が愛を交わすシーンが絶品だ。心を通わせるだけでなく、体も合体するという「美女と野獣」以上の境地に達したところが素晴らしい。
イライザを演じるサリー・ホーキンスの健気さが哀しみを引き立てる。哀しいけれど、悲恋ではないところがまた、いい。



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「ビガイルド 欲望のめざめ」

ソフィア・コッポラ監督の作品。これはいい!原作もので、しかも映画はリメイクというけれど、別な作品として考えていいのではないか。欲望のめざめ、などというベタは副題はない方が潔いと思うが。
南北戦争の最中、人里離れた場所にある女子学園。戦争で多くの生徒が実家に戻った後、帰れない5人の生徒と先生が2人、7人の女性がひっそりと生活している。
そこへたまたまやって来た傷ついた兵士。怪我が治るまで、という期限付きでかくまうことに。
女性だけで暮らしていた平和的な関係、均衡が、男がひとり入ってきただけでがらりと変わる。
ニコール・キッドマン演じる校長は、男の身体を拭きながら思わずうっとりするし、教師 (キルスティン・ダンスト)は畏れを感じながらも興味津々だ。
早熟な生徒 (エル・ファニング)は男の関心を惹こうとやっきになっている。もっと幼い生徒までもが「意識」し始めるのだ。そして女同士の見えないバトルまで勃発する。
男はなかなか本性を現さず、徐々に傷がよくなっていくのに出て行こうとはしない。何とか取り入って学園で働きたいと考えるようだ。
そしてある事件以降、事態ががらりと変わってしまう。男が遂に本性を現したのだ。そのあたりからの展開にわくわくしてしまった。
か弱い女たちは敵対しても協力しても、時としてすごい力を発揮する。嘘や芝居は女の得意技だ。
めいっぱいの盛装して臨む最後の晩餐のシーンは見事だ。この監督ならではの世界。
ミステリーとしてはいまひとつかもしれないが、女性映画としては十分に見ごたえある作品だった。



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「しあわせの絵の具 モード・ルイス」


サラ・ホーキンス主演のもうひとつの映画は、カナダの画家モード・ルイスの自伝。あたたかくて可愛らしいその絵は確かに見覚えがあるが、モード・ルイスという人については知らなかった。
若年性リウマチのため身体が少し不自由な彼女。偏見のために辛い人生を送った時期もあったが、好きな絵を描いている時はどこまでも自由で幸せだ。
生活のため、家政婦として住み込みで働くことになった。雇い主のエヴェレットと同居するうち、いつしか夫婦になる。魚の行商をしている彼は無骨で無教養だが、モードが絵を描くことに反対しない。
映画は夫婦の物語でもある。エヴェレット役のイーサン・ホークがとてもいい味を出している。
モードの絵は次第に世に知られるようになり、以前より暮らしぶりもよくなったはずだが、10畳程度の小さな家から出ようとしない。なぜなら家中がモードの描いた絵で埋めつくされているからだ。
とにかくサリー・ホーキンスの演技が際立っていた。不自由な身体ながら、想像の翼を大きく広げて自由な絵を描き続ける。生涯にわたって小さな町からほとんど出たことがないモードは、自分の見知った光景を反芻しながら描いているのだ。



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「ナチュラル・ウーマン」

チリの映画、アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
マリーナはカフェでウエイトレスのアルバイトをしながら、夜はホテルのラウンジで歌っている。たまたま客として来た年配の男オルランドと恋に、落ちすぐさま同居するようになる。
2人の愛はゆるぎないものだったが、オルランドに妻子がいたこと、そしてマリーナがトランスジェンダーであることが、普通の恋人同士とは (世間の見る目が)少しばかり違っていた。
オルランドが就寝中に具合が悪くなり、急死ししまうことでマリーナの人生はがらりと変わってしまった。ただでさえ恋人を失って傷心の身なのに、オルランドの妻子から手ひどい仕打ちを受け、葬儀への出席も断られてしまう。トランスジェンダーに対する世間の偏見もひどいものだった。
それでもマリーナは気高く生きようとする。そして自分らしく。
彼女の歌うアリアが心に深くしみた。マリーナを演じたダニエラ・ヴェガもまたトランスジェンダーのシンガー &女優だ。主演女優賞にノミネートされてもおかしくないぐらいの堂々とした存在感と、すべてさらけ出す体当たり演技が素晴らしかった。



ローズの秘密の
「ローズの秘密の頁」

生まれたばかりの息子を殺したという濡れ衣を着せられ、40年も精神病院に入れられていたローズ。たまたまローズと話した医師によって、事件の真相解明がなされていく。
不幸な女を演じたらピカ一のルーニー・マーラが若い頃のローズを。老人になった現在をヴァネッサ・レッドグレイブが演じる。
第二次世界大戦中のアイルランドが舞台で、地域的な特性や宗教問題が絡んでくるので、話は複雑化している。
ストーカー体質の神父というキャラが、あまり見たことがなかったのでちょっと怖かった。
途中で「これってまさか、こうなるんじゃないよね」と思ったことが、そのままそうなったので、多少興醒めな部分はあった (原作ものだけど)。もう少し見せ方とか工夫してほしかった、かな。
でもいろいろと考えさせられる内容だったし、ふたりのローズの熱演も見事だった。



アバウト・レイ
「アバウト・レイ 16歳の決断」

本国に合わせて1年遅れでの公開となったが、撮影時16歳だったエル・ファニングの初々しい姿が見られる。その年齢でなければ無理だった役だ。
トランスジェンダーのレイは、シングルマザーの母、レズビアンの祖母とそのパートナーと暮らしている。なかなかややこしい家族だが、レイは心と同様に身体も男性になる決心をした。しかし手術を受けるには、音信不通になっている父親の同意も必要になる。
すでに再婚して家庭を持っている父親との再会、母親の知られざる過去などレイには直面する問題が次々に起こる。
LGBTの問題だけでなく、家族の物語としても秀逸だ。
一風変わった女系家族だが、その特殊性より普遍的な家族愛に救われる。「このうちもそろそろ男がいてもいい頃ね」と、祖母スーザン・サランドンのレイへのさりげない一言がいい。



ペロニカとの記憶
「ベロニカとの記憶」

年金暮らしをしながら趣味の店を持って気楽に余生を楽しんでいたトニーのもとに、送られてきた一通の手紙。その手紙が、40年も前の恋人ベロニカと、男友達との間に起きた出来事を蘇らせる。
現在進行形のトニーとベロニカ (シャーロット・ランブリング!)、若い頃の二人の物語とが二重構造になっている。
「過去は自分の都合のいいように書き換えられている」…この言葉がキーワードだ。この感覚はわたしにはよくわかる。都合のいいことしか覚えていなかったりもする。
人間とは勝手なものだ。そうでなければ先へ進めない、という部分もあるが。
前回のブログ「ルイの9番目の人生」でも書いたけど、この映画でもやはり「若くてきれいなお母さん」には注意しなければならない、の鉄則が当てはまった。

three billboard
「スリー・ビルボード」

娘を殺害された母親が警察を批判する看板 (ビルボード)を設置したことから、予期せぬ事件が起きる…町、人、社会の根深い問題が浮かび上がる社会派サスペンス、なのだがこれが実に面白い。
ある程度映画を見慣れてくると、こういう話のパターンならおそらくこういう展開になって最後は…と予想してしまうものだが、この作品は一筋縄ではいない。かといって奇をてらっているわけではなく、いい感じの読後感みたいなもので胸がいっぱいになる。
登場人物はみな欠点だらけのクセ者ばかり。あまり友達にはなりたくないタイプだ。
理解し合うことなど不可能に思えても、人間だからみなどこかに心のかけらは残っている。かけら同士がたまたま触れ合った時、新たに生まれるものがある。
人の思いこみや決めつけが、予想もできない結果を呼ぶことをこの映画は教えてくれる。
ラストは本当に、含蓄が深いと唸った。
主演のフランシス・マクドーマンの演技が文句なしなのはもちろんだが、軽蔑すべき男を好演したサム・ロックウェルも素晴らしかった。
何より相当に練りこんだであろう脚本も賞賛に値する。


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「ロング、ロング・バケーション」

劇場内は50歳以上の人ばかり、いやいや大半がシニア料金の観客だった感じだ。
それでいいと思う。ある程度年をとらないと想像できないこと、共感できないことは確実にあるから。
無理して、若い人にこそ観てほしい、などと言わない。
冒頭に流れるキャロル・キングでもう、きた…。うちに帰ってすぐに「ミー・アンド・ボビーマギー」を聴いた。
老夫婦がキャンピングカーで、マサチューセッツからカリフォルニアまで旅する話。夫ドナルド・サザーランドは認知症、妻ヘレン・ミレンは末期癌。心配する子どもたちには何も告げずに出発した。
笑い事ではすまされない「マジな珍道中」なのだが、重すぎず暗すぎもしない。乾いた空気感と絶妙なロケーション、芸達者な二人の演技で軽妙なユーモアにあふれた作品になった。
旅をしながら様々な思い出話に花が咲くのだが、夫は何十年も前の出来事や小説の一文はすらすら出てくるのに、少し前のことはころっと忘れている。夫は食欲旺盛だが、妻の方はレストランに入っても薬を飲むための水しか頼まない。
ただのお楽しみ旅行でないことは、すぐにわかる。ちょっとしたトラブルやハプニングや、どきっとすることが次々に起こり、泣いたり笑ったり…やっぱり旅はいいものだ。
夫が長年行きたがっていた「ヘミングウェイの家」にも、とにかく一応は辿り着いた。
ラストが受け入れられないという人もいるようだが、私はあれでいいと思った。何となく予想していたし。年齢がいくほど納得できるのではないだろうか。


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「ルイの9番目の人生」

独特の雰囲気を持ったちょっとダークなファンタジー系ミステリー。
9歳のルイは、生まれてからもう9回も死にかけている。崖からの転落事故でついに昏睡状態になってしまうのだが、彼はなぜ毎年事故に遭うのか、一体崖の上では何が起きたのか…
昏睡状態のルイが夢想する映像が、彼を見守る現実世界と交錯していてなかなか秀逸だ。特に深海のイメージは心地よささえ感じた。
とても好みの作風だし、子役もいい。でもラストだけはいただけなかった。
それまですべてのミスリードが、こんな風な凡庸なオチで締めくくられるとは。
ミスリード自体は嫌な感じではなかった。本当に、終盤まですごく面白かったのに…
映画の中で、「若くてきれいなお母さん」が出てきたら注意しなければいけない、という鉄則がそのまま見事に当てはまった。


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「キングスマン ゴールデンサークル」

 
2作目をとても楽しみにしていた。が、私の好きなコリン・ファースはどうなっちゃってるの。前作で死んだことになってない?…と心配していたのだが。
何のことはない。無理やりあんな設定にして。ちょっと苦しい言い訳みたいな気がするけど、まあ、いいか。出ないよりマシだから。
今回も無駄に?豪華キャスト。チャニング・テイタムやハル・ベリーがもったいない使い方と感じたけど、次回作ではたっぷり見られるということか。
ジュリアン・ムーアの「変」ぶりに笑った。あの巨大な秘密基地みたいな場所自体が可笑しい。
スウェーデンのプリンセスは、本物も実在するはずだけどあんな風に描いて問題ないの。シャレのわかる王室なのかな。
などなど突っ込みどころもたくさんあったが、あのスピード感とキレのいいアクションで一気に見てしまった。ごちゃごちゃ文句なんか言ってる暇もない。
エルトン・ジョンが、まさかあんなにがんばって出演 (怪演!)しているのがうれしい予想外だった。劇映画の中で見るのは「トミー」以来?もうやりたい放題やってくださいって言いたい。
随所に英国風ジョークが散りばめられ、米のアクション映画と一線を画している感じも好きだ。



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「パディントン2」

続編になってもぜんぜん面白さが変わらない愛すべき映画だ。
子ども向けというような安直な作りでは決してない。もちろん子どもが見ても面白いけど、大人はもっと楽しめるんじゃないだろうか。
ブラウン家の一員になって幸せに暮らしていた「礼儀正しいクマ」のパディントン。だがちょっとしたことから泥棒の容疑をかけられ、刑務所に入れてられしまったのだが…
こちらも随所に英国風ユーモアセンスが冴えている。ブラウンさんちの前の通りといい、アンティーク・ショップや移動式遊園地。飛び出す絵本に至まで、とにかくヴィジュアルが可愛くて懐かしくてとってもファンタスティック!
前回パディントンの宿敵はニコール・キッドマンだったが、今回はヒュー・グラント。何と落ち目の俳優役に挑んで、パディントンをいじめぬく。が、コメディータッチだからかそれもまた笑える。
ヒュー・グラントの新境地を見た気がした。今後はこの路線でいくのかな。
楽しいだけでなく、ほろりとさせるツボもちゃんと押さえていて、その匙加減が絶妙。そしてわざとらしさが全くないのだ。
「パディントン3」はきっと出来るだろう。悪役はだれ? 今から期待してしまう。


ようやく去年1年間の総括ができます。
いつものように、順位はつけません。
大作や話題作は、もともとほとんど観ていないので入ってないです。邦画も同様。


☆とても印象に残った映画

「ムーンライト」
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
「沈黙」
「ザ・コンサルタント」
「ベイビー・ドライバー」


☆次に印象に残った映画

「メッセージ」
「ハクソーリッジ」
「夜明けの祈り」
「パターソン」
「ゲットアウト」



今年もたくさんの映画を自腹で観て、正直な感想を書いていきますので…

2018年になって初めてのブログ更新、遅すぎますねw
今年こそ、観たらすぐ書く、を実践したいものです。だいぶたまってしまいました。
まずは女性もの3本。

女の一生
「女の一生」

あの有名なモーパッサンの小説の映画化。
19世紀のフランス、まだ女性が自分で生き方を決めたり、人生を切り開いたりが難しかった時代。生まれた家や結婚相手によって、その一生は決まる。
ヒロイン、ジャンヌの、どうしようもなく不幸というわけではないが、決してツイているとも言えない半生を描いている。「アデルの恋の物語」なんていう映画をふと思い出したりした。が、あれほど盲目的な愛ではないが、よりリアリティが増している。彼女は夫に、息子に、ただ愛を注いだだけなのに。夫には裏切られ、息子は母親を金づるとしか思っていない。
息子の作った膨大な借金のためほとんどの財産を失い、たったひとりの使用人とともにみすぼらしい家に移り住む。
しかし、それでも彼女は「人生って、そんなに悪くない…」と微笑む。決して見栄をはっているのではない。当時の女性の無知、というより意外な逞しさ図太さに恐れ入った。
リアリズムにこだわった重厚な作品だった。



ルージュの手紙
「ルージュの手紙」

助産師として懸命に働くクレール (カトリーヌ・フロ)のもとに、30年も音信がなかった継母 ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーブ)が突然連絡してくる。すぐに会いたいの、と昔から変わらない自己チューぶりだ。
ベアトリスはクレールが少女時代に、父親と付き合っていたが突然出て行きそれっきりだったのだ。
地味で堅実なクレールと自由奔放なベアトリスは、見た目も性格も水と油。この二人の短い再会を描く。
ベアトリスのような人間は確かに、他人の迷惑も顧みず好き勝手に生きている、わけだ。だがこういう人には必ず孤独がつきまとう。それにいろいろな意味で、引き際もちゃんと心得ているものだ。
金持ち夫人ではないが、ヒョウ柄をゴージャスに着こなし、病気なのに健康に悪そうな食べものを平気で摂り、ワインも煙草もたしなみ、ギャンブルまで興じる…70歳を過ぎたカトリーヌ・ドヌーブが格好よく演じている。
どうしようもない女性なのに、ふと守ってあげたくなるような人。
こんな継母、面倒見る義理もないのだが見捨てられないクレール。助産婦という仕事が強く影響している。映画の中でも出産シーンが繰り返し描かれていた。
助産師を英語で midwife と言うのを初めて知った…



アトミック・ブロンド
「アトミック・ブロンド」

ずっと見逃していたのだがようやく鑑賞できた。
ベルリンの壁崩壊直前が舞台の、スパイ・アクションもの。実にスタイリッシュ、そして痛快だ。
シャーリーズ・セロン扮する女スパイは、ヘアスタイルやメイクを見てもデボラ・ハリーを意識していることは明白。本物を超えそうな格好よさだ。
撮影当時40歳近かったであろうシャーリーズ・セロンの、体当たりアクション・シーンがすごい。
女優っていうのはキレイで芝居ができるだけじゃダメなんだ、と改めて思ったりした。
ハードな仕事を終えた後、女スパイがひとり氷の風呂に入り、アザや傷だらけの身体を冷やす場面がストイックでいい。こんなシーン今までなかった。そりゃ、あれだけ暴れたら生傷や青あざもできるわなぁ。
冒頭シーンもだが、キメの場面になるとデヴィッド・ボウイの曲が使われて、何かちょっとうれしかった。音楽担当者はボウイ好きなのか。80年代ナンバーが懐かしかったが、ブロンディのナンバーはなかった。





BEETHOVEN PAR BEJART
「ダンシング・ベートーヴェン」

モーリス・ベジャールが ベートーヴェン第九に振付したバレエがの再演が実現した。 ベジャール・バレエ団、東京バレエ団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 が共演し、総勢350人ものアーティストがステージを創り上げる。その舞台裏に迫るドキュメンタリー映画だ。
ベジャール亡き後、芸術監督を引き継いだジル・ロマンの娘が、インタビュアーとして進行役を務める。ダンサーではないが、若くてとても新鮮なイメージ。
内幕ものとして、バレエや舞台関係のドキュメンタリーは多い。この映画はさほど突っ込みは深くないが、その分シンプルでわかりやすく楽しめた。
何といっても大がかりなステージだ。とても見応えのある一大スペクタクル。
生で見られたらどんなに素晴しかっただろうと、ため息が出る。
年の瀬のあわただしいひととき、現実を忘れるような80分だった。



brain on fire
「彼女が目覚めるその日まで」

難病克服ものの実話。まず本が出て、その後映画化というよくある流れだ。
クロエ・グレース・モレッツが、実年齢より上の役に取り組み好演。特に無理している印象はなかったが、ペンを口にくわえる癖だけはいただけない、かな。
恋愛も仕事も充実し、生き生きと暮らしていた若いジャーナリストが、ある日突然原因不明の発作に襲われる。
「エクソシスト」の少女のような激しい発作と幻覚…この稀な病気「抗MDA受容体脳炎」の印象を強烈なものにした。そういえば彼女はリメイクした「キャリー」にも出演したんだっけ。
両親やボーイフレンドの献身的な支えと、優秀な医師との出会いによって病を克服していく。
物語にはさほどの盛り上がりや山場はないのだが (発作のシーンは強烈だが)、この病気を世の中に知らしめる、という点では成功していたと思う。



希望のかなた
「希望のかなた」

内戦のシリアから逃れてきた青年カーリドは、たまたまフィンランドのヘルシンキにたどり着く。彼の願いは戦禍で生き別れになった妹を探し出し、呼び寄せること。
難民問題の影響なのか、彼はこの街でも差別や暴力を受けてハードな生活を強いられる。が、中年のレストランオーナー、ヴィクストロムと出会ったことで救われる。
ヴィクストロムもまた、人生に行き詰まりを感じていたが、カーリドと関わったことが再生のきっかけとなっていくのだった。どんな時も、決して希望を捨ててはいけない…
カウリスマキ作品にしてはシリアスなテーマではあるが、大丈夫、あの独特のテンポとユーモアのセンスは変わっていなかった。「ゆるい、けど泣ける」みたいな。
最悪な日本食レストランが出てきてかなり笑えた。シリアの青年カーリドが、 (ポスターではさほど似てないが)山田孝之に見えてしかたがなかった…
どうでもいいことが目につくけれど、しみじみ &ほのぼといい映画だった。



how-to-talk-to-girls-at-parties-
「パーティで女の子に話しかけるには」


「ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ」のジョン・キャメロン・ミッチェルが監督した作品。ヘドウィグが好きな人なら、たぶん気に入るかわいい映画だ。
もしくはパンクに思い入れの深い世代、というかロンドン・パンクにハマッた人ならきっと好きだと思う。
ちょっと気の弱いパンク少年エンは、クラブで出会った女の子ザンとすぐに意気投合。でも彼女には大きな秘密があった。何と彼女は宇宙人だった! 
エル・ファニングの宇宙人ぶりがいい。可愛いから何でも許せるけど。
出会ったばかりの若い二人が自由への逃避行、とまあ、テーマ的にはよくある話。でも、レトロな B級 SF映画の香りがそこはかとなく漂って、好きな人にはたまらない。
はみ出した者への監督のあたたかい視線が心地良い。
できればヘドウィグみたいに「この1曲」といった決めのナンバーがあれば、さらによかったのだが…


 gifted
「ギフテッド」

才能を授かる、という意味のギフトだ。授かってしまった人の苦悩は、授からない人にはわからないが想像ぐらいはできる…
「500日のサマー」のマーク・ウェブ監督。今回も小作品ながら心あたたまる話を届けてくれた。
天才子役マッケナ・グレイスの起用、というだけでもその功績は大きい。アメリカ映画というのは、こういった逸材を見出す力があるから、やはりすごい。泣きの演技を売りにしているぐらいでは、どうにも太刀打ちできないぐらいの子役力だ。
数学の天才学者である母親が若くして自殺してしまい、メアリーは母の弟である叔父と暮らすことに。豊かではないけど叔父との気楽な生活を楽しんできたメアリーだが、学校に通うようになるとすぐにその天才ぶりが発覚してしまう。
メアリーが数学の才能を思う存分伸ばしてやれる環境を教師らは勧めるが、叔父は普通に子どもらしく育てたいと望んでいる。そこに長年音信を断っていた祖母まで絡んできて、メアリーの養育権を争うことに。さて、その行方は…
裁判はもちろん「子の幸せ」を考えての判決だ。しかしこうしたらその子が「幸せになるであろう」と予想するのは難しい。7歳の子に自分で判断させるわけにもいかない。12歳になったら自分で選べるとはいえ、それまでの暮し方はとても大事だ。
天才児の育て方について、映画は最後まで言及していないが「愛が大事」ということだけは共通して言える。
メアリーが夢中で解く無機質な数学の世界とは裏腹に、気のいいご近所さんや片目の猫、田舎の風景が心を和ませてくれる。ハートウォーミングな小品佳作。



ノクターナル・アニマルズ
「ノクターナル・アニマルズ」


とにかく導入部からして度肝を抜かれる。一体これは何? デヴィッド・リンチか、何の意図なのこのヴィジュアルは、と。
それはすぐにわかるのだが、そのスノッブさに胸やけがしそうになってくる。
ヒロインのスーザンはギャラリーのオーナーとして成功している。しかし結婚生活は満たされてない。夫には浮気の影が…
ある日、スーザンの元に、20年前に別れた元夫エドワードが書いたという小説の草稿が送られてくる。その内容は、驚くほど暴力的かつ衝撃的だった。彼の性格の弱さと才能に見切りをつけて、現在の夫に乗り換えたスーザンとしては複雑な思いで読み進める。
こういう役をエイミー・アダムスがやるの?と、濃すぎるメイクや大胆なドレス (すべて監督のトム・フォードがデザインしたもの)に目が釘づけになる。数年前ならニコール・キッドマンが演じたかもしれない、クールで腹黒いブルジョア上昇志向女。
映画は、現在のスーザンと、若い頃のスーザンとエドワード、そして彼が書いた小説の作中劇、この三部構成をとっている。なかなか凝っているがきちんと整理されているので、最初からぐいぐい引き込まれる。作中劇の主人公もエドワード (ジェイク・ギレンホール)が演じているところがひとつの見所だ。彼はこういった弱くて繊細、だけど内面の奥底にドス黒いものを秘めている役が抜群にうまい。
他にも、細かい配役までとても気を配っていて作品の質を高めている。
それにしてもエドワードがスーザンにしたかったことは「復讐」なのか。復讐は何の解決にもならないよ、と個人的には言ってやりたいが、映画は面白かったからいいや。


婚約者の友人
「婚約者の友人」

第一次世界大戦後のドイツが舞台。戦争で婚約者のフランツを失ったアンナは、失意の日々を彼の両親ととも過ごしていた。ある日、フランツの友人だったと名乗る、フランス人男性アドリアンが現れる。フランツとの思い出話を語る彼に、アンナもフランツの両親も次第に心を開いていく…
が、この男がタダモノではないことは、予告篇を見ていなくても何となく気づくはず。絶対に裏がある。彼の企みは一体何なの?と。
そこからがまあ、ミステリー・タッチなわけだが、フランソワ・オゾン監督らしい文学的で秘密の香りが漂う作品だ。ほぼ全編がモノクロだが、アンナの心の変化に沿うように一部カラーの場面が使われたり、と凝った演出だ。キーワードは「やさしい嘘」か。
アドリアン演じるピエール・ニネが、ゲイっぽいムードをぷんぷんに匂わせているので、つい深読みしたくなってしまう。
自殺の絵画を見て、「生きる気力がわいてくる」と言ったヒロインの気持ちはすごくよくわかる。



「ポリーナ、私を踊る」
伝統あるボリショイ・バレエ団に入るため、家族ともども (費用の工面)必死の努力を続けていたポリーナ。見事合格し家族は大喜び。いよいよ入団のはこびとなる。
が、たまたま見たコンテンポラリー・ダンスに魅了され、あっさりとクラシック・バレエの道を捨ててしまう。自分らしく踊れる場を見つけるため、ロシアからフランス、ベルギーへと彷徨する。
一種の様式美であるクラシック・バレエに対して、コンテンポラリーは型にはまらないし内面も剥き出しにできる。まあ、気持ちはわからなくもない。合わないと思ったら早くやめた方がいいよ、と。
ダンス教師役のジュリエット・ビノシュが、本当にダンス経験者だとは知らなかった。
映画は、ヒロインの心理描写は最小限にして、その分ダンスで見せた、という感じ。踊りはたっぷり見られる、ただし大半がコンテだけど。




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