ドイツ北部のリューベックへ行ったが、訪ねる価値のある街だったので、その濃厚な味わいについて記したい。

プラハから列車に揺られること6時間、リューベック駅に着いたのは夜だった。

さぶっ…

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と街まで15分の道のりを歩く。

街の入り口にこんな建物があった。

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とんがり帽子がおとぎ話ぽくてかわいい~

とかみさんが気に入った中世スタイル、リューベックの風景の重要な要素になるので覚えといてな。


街の中心(多くのホテルはそこにある)に向かう道は、途中から上り坂になる。

荷物はだんだん重くなるわ腹は減るわで泣きべそかきながら歩いていたら…

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なにっ、アジア飯?!

プラハで甘んじて受けた肉攻めで胃の疲労を感じていた俺たちは、THANA ASIA のガラス戸の向こうに吸い込まれていった。


ベトナム系と思しき家族経営の店だが、インテリアにはアジア全般のテイストが見られ…

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メニューはベトナム料理中心ながら中華風ありタイ風あり(たしか寿司もあったような)で幅広い。

あ、英語メニューは頼めば出てくるよ。


俺たちは生春巻きのほかビーフンのサラダと…

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タイカレーの炒飯を注文。

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結論からいうと、ヨーロッパのこんな田舎で食うアジアとしては二重丸。

リューベックなんかに来る人はあちこち回ってからに違いないなく、欧風の味に疲れているんだったら THANA ASIA はオアシスといっていいだろう。

ちなみにこの晩ウエイトレスをやっていたのは経営者の娘さんと思われる二人で、実に流暢な英語を話していた。

ドイツ人客にはドイツ語で接し、裏のほうではアジア言語を話していたから、少なくともトリリンガル。

とあるベトナム人が一念発起して移民し、ドイツの端っこでレストランを営み、次の世代がすくすくと育っている(にちがいない)様子を見ながら、濃厚な家族史を思い描いてしまったのである。


さて俺たちはこの中世の街でワンコを追っかけまわしたり買い物ばかりしていたわけじゃない。

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観光もした。

小さい街だから、すべて徒歩でまわっても1日で済むといえば済むが、それだと写真だけ撮ってどんどん移動という「ガイドブックなぞり」になりがち。

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たとえ数時間しか滞在できなくとも、ここだけ押さえておけばリューベックの神髄がわかるというエッセンスを紹介しよう。


最初はマリエン教会

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激しくとんがり帽子な塔は、高さ125m。ドイツでは最大のレンガ造りの教会で、バルト海沿岸諸国の教会建築に大きな影響をおよぼしたという。

この教会が建ったときに「活躍」したマヌケな悪魔で心をなごませたら、内部へ入ろう。

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 足元に転がっているのはワンコの落とし物


高い高い天井を見上げると、それだけで心が静まる気がするのは、簡素なインテリアのせいだろうか。

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実はこの教会、13世紀に建設が始まった時点ではゴシック様式だったが、後世にバロック様式に改められ、ゴテゴテのインテリアになったという。

さらに後世になり大改修したとき、いわばバロックの壁紙の下にゴシックの壁紙が隠されていたことが判明し、当初の姿に戻したのが今の状態。

個人的にはこのほうがいいなあ。


あたらめて時間をさかのぼると、マリエン教会が「成長」していった足跡を見ることができる。

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当初は質素なお堂のようなものだったのが、横にも縦にも拡張され、豪華になっていった。

それをさせたのはリューベックの財力だったが、この街がとてつもないお金持ちとして成りあがることができた理由は別のところで。


周辺諸国の教会建築のお手本になるほど立派に成長したマリエン教会だったが、20世紀にはとんでもない運命が待ち受けていた。

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ドレスデンと同じく、連合軍の爆撃によって壮麗な建築は灰燼に帰した。

そのとき焼け落ちた鐘が、教会の一画に保存されている。

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  落下して地面にめりこんだままの姿で…

この鐘は、なるべく近くに寄ってじっくりと眺めたい。

紙製のハリボテかと思うほどねじ曲がり、引きちぎられた金属片に、人間の業が深く刻みこまれている。


あの戦争から、さらにさかのぼってみよう。

祭壇の裏側には、十字架を包帯で巻いたかのようなオブジェが展示されている。

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第一次世界大戦の死者のモニュメントだという。

戦闘機、戦車、潜水艦、毒ガスといった近代兵器が生まれたばかりのこの戦争では、それ以前にはあり得なかったスピードで人が死んだ。

世界で1600万人の兵士・民間人が死亡。ドイツ帝国でも247万人が死んだ。

人間とは際限なく殺しあう生き物であり、こんなことが二度と起きないようにと戦後の各国は平和の枠組みづくりに励んだが、それからわずか21年後、ふたたび大戦が勃発した。

すべてのことはつながっている、という濃厚な事実を見せつけてくれるのがマリエン教会だ。


さらに時間をさかのぼると、ヨーロッパでは2000~3000万人が死亡したペストの大流行(14世紀)があり、それに由来すると思われるステンドクラスが目に付く。

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身の回りの3人にひとり(またはふたり)が死んでいく風景を想像してみよう。

人びとは、この世の終わりを信じたにちがいない。

だが人類は絶滅することなく再び繁栄し、破壊と再生を繰り返し、21世紀まで来た。

繰り返すが、すべてのことはつながっているという単純な事実を、マリエン教会は教えてくれる。


隅っこに燭台があり、寸志を献上したかみさんが、ローソクを灯した。

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何を祈っていたのか知らないが、俺も横でしばし目を閉じた。

この一画は、不思議に落ち着くというか、オノレの心の中を見つめたくなる空気があった。

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なお「マリエン」とは聖母マリアであり、カトリック的な信仰の象徴だから、プロテスタント教会には似合わない名称。

建立されたのは宗教改革以前だから不思議なことではないが、十字架のイエス像が今でも「残されている」ことに懐の深さのようなものを感じる。


 以上、マリエン教会はバッハが愛したパイプオルガンでも知られているようだが、今回の濃厚な観光(笑)には沿わないため割愛した。

それと、マリエン教会を成長させたリューベックのお金持ちぶりについては、たぶんあらためて。

そんなこと知らんかった!とたいていの人が驚く事実を発見してきたぞ。


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