2006年05月

2006年05月27日

あぁ、そうかい

最近下らないギャグを思いつく賜物?が与えられている気がする。というか老化かなぁ?まだ20代なのに、四半世紀生きてないのに・・・先週日曜日は朝、教会に着いた途端にお腹が痛くなってしまい。強制送還。礼拝終わってすぐ家で安静にしてました。来週は元気に教会に行くぞと思いきや、「休日出勤」でたー、でたー、大当たり−。某、西東京句総会なるものがありまして。えぇ、礼拝終わってすぐ吉祥寺教会に行かなきゃならない。頑張って1時までに行って、荷物を並べて、総会に来る人に本を売るの。独りで・・・頼むから晴れてくれよ。自転車で全力疾走しなきゃ間に合わないんだからね。最近落ち着いて礼拝に出れていないので、大丈夫かな?おいらの心と体・・・でも、一般的な社会人よりかは気分は大分楽なんだろうなぁ・・・と、いろんな人の話を聞いて思う。職場の人間関係も良好だし(たぶん)得意先はみんな親切だし(たぶん)。そういうわけで、休む暇があんまりないのでそれでお腹痛くなったのかな?とも思ったりした。弱い時にこそ強い、来週日曜日だけは僕のお腹よ、強くなってくれ。もう3時だ・・・明日も朝早いのに・・・ね、今週最後の日、有終の美で飾りたい。早く寝なきゃ。五月病感じる暇も無く過ぎるなこりゃ・・・

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本の紹介 1

こんばんは、ホントに今晩です。深夜です。疲れて眠くないです。そんなサイレンとナイトに本の紹介。

いのちのことば社の「小さなおいのりのたび」。


絵がとても綺麗です。柔らかく、緩やかで、短いおいのりのことばが綴ってあります。小さい子供でも読める、そして覚えられる。

「おいのりはしんこうの力、きぼうの力、かみさまのかわらない愛の力をしんじることです」(本書より)


短く、小さなおいのりだからこそ、味わい、心の中で大きく育てられる・・・そんなおいのりの本です。いのることは呼吸することと同じです。大きくすって、大きくはいて、心おちつけて。あなたにささげる。



「かみさま、あなたをしんじさせてください」

dcm6flo at 02:46コメント(0)トラックバック(0) 

明日はきっといい日

なんてしんどい一日だったろう 


身もこころも疲れはて なんにもする気になれない 


そんな夜の合言葉 


「さあさあおまかせもう寝よう」


 眠りの時はいやしのとき なくした元気がもどるとき



 手足をのばして ゆったり眠ろう


 あしたはきっと いい日 



すきとおる朝の光が差し込む 

                            (晴佐久昌英)

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sailing day

ミュンヘンにある一枚の絵。


ホドラーという人の絵らしい。

一度見たら忘れられないその絵。


項垂れている5人の初老の男性。沈黙と諦めの影。曇った明日。死の袖に触れているその容姿に一瞬の美しさすら覚える。しかし牧者は願う。その絵に描かれた絶望を抱く姿が、もはやキリストを着た私達には重ならない事を。旧約聖書列王記とルカによる福音書には、どちらにも生に疲れた者のエピソードが伺える。

エリヤ。真っ白に燃え尽きた預言者。多くの偽預言者との戦いの日々。勝利したかに思えたその一縷の光は、死と言う現実を突きつけられたエリヤには届かなかった。恐れ、逃げたのである(列王記上19−1:18)弱さを丸出しにした姿。「もう十分です」生に疲れた姿がそこにあった。信仰の旅路とは、長く険しい。いい事ばかりではない。渦中の中にいながら、主の救いを待ち望む事は、誰しも経験した事があるであろう。嵐のような人生の激動の中に、心の葛藤、神の揺さぶりの後に、風でも、火でもない、静かに囁く声として、主が語りかける瞬間もあるのだ。そっと、私に触れる神。「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」独りでは決してこの長い人生という旅を終える事は出来ません。主が私の未来にそっと触れて下さらなければ。

僕がブログを書き綴る時間帯というのは99%深夜だ。静かな、音のない部屋(適当なJAZZのCDはかけてる)。仕事の合間の休息の時。聖書を読んだり、本を眺めるささやかな時。御言葉がすっと染み込む感覚がある。沈黙(しじま)において、語られるあなたの声を逃さぬよう、心を落ち着ける。一日を振り返る。


「今日を何とか生きる事だけで精一杯だった」



けれども、わたしは主に触れられ、慰め、支えられている事を見つめる。心深くに染み込むには時間がかかるかもしれない。しかしその時も、あなたが定めて下さっている事を信じる。主は何度も声をかけて下さっている。甘え、虚栄心、重荷の洞窟の中。そこで声がする。その声は忍耐強い、唯一つなる十字架の愛。その愛がイエス・キリスト、そのお方に現れている。ここでルカによる福音書5;1〜を紐解いてみますと、そこには独りのプロフェッショナルが登場します。彼は漁のプロ。ペトロはそれなりの仕事へのプライドも当然持ち合わせていたでしょう。しかしその日は一匹も獲れなかった。疲れており、諦めの表情であったに違いない。生計を立てる仕事に対する、自らの生への疲れ。そこに主の声が聞こえる。漁に関しては素人の主に躊躇しながらもペトロは、この声に従いました。「とにかくやってみよう」主の御声に付き従うこの衝動!ペトロが信じたのは見える釣果ではなく、目には見えない声でありました。あなたの声に、私は動かされたのです。生きる衝動が沸きました。道が整えられました。そこにはトリックも、コード何もない、何の秘密もありません。目の前にこの方が!真実。ペトロは以前は神不在の船に乗っていました。ですが今や、あなたは私と船に乗っているのではありませんか。いつまで諦めているのか。いつまで生きる事に疲れているのか。主は全ての望み無き者を、望みを抱く人へと変えて下さいます。主に従う者は、必ず立ち上がる。あの生きることに疲れきったホドラーの絵の人々とは、もはや我々は違うのです。


主は待ちました。今も主は待っておられます。私が心の戸を開くのを、待っておられる。漕ぎ出しましょう、嵐の中へ帆を張り、信仰の旅を続けようではありませんか。静かな夜に燃え立つ信仰。明日もまた、あなたの声に従う羊でありたいと思います。



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2006年05月26日

ラララ

ワールドカップの第一戦のスタメン大予想!
フォワードは大黒と巻の若さバクハツのツートップだ!


大黒・巻



大黒摩季



あら不思議、ワントップになったよ



こんな事ばかり考えて生きています(−_−)



頑張れ日本☆

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2006年05月22日

丈夫な人に医者はいらない

昨日は教会に云った途端にお腹が痛くなってしまい


教会学校の遠足にも活けませんでした

何か悪いものでも食べたんかなあ 体は大事にしなきゃなあ。一人暮らしだから、誰も看病してくれない、治療もセルフサービスです

と、とにかく薬を飲まなきゃ


ない


切れてた


なので昨日の治療は



睡眠



とりあえず今朝は経過良好です

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2006年05月18日

サプライズって

「パパー」・・・「ガブっ」・・「ギャァ」・・・推定3歳児の男の子が、実の父の二の腕に噛み付いたシーンを目の前で見まして。歯形がくっきり残っていましたとさ。代表選手に巻が選ばれたよりもサプライズでした。下らない一文で失礼。こういう文章も書くの大好きなんで・・・

サプライズとは非日常を創出する事で得られるもので。意外、想定外、あっと驚くタメゴロウ・・・とか・・表現はなんでもいいんだけどさ。このシーンは結構自分の中でサプライズでした。今日は雨、仕事もイマイチで何かトラブルが多かったな今日・・・トラブルは起きるのはしょうがないけれど、そのフォローが大変、工夫しなきゃいけないんだよね。はぁ・・・。頑張ります。

忙しい仕事の合間で上手くストレスをコントロール、楽しみを見つけるのは、働く上でのスパイスです。小さな自分へのサプライズの創出。何でも今ホテル業界ではラウンジをフューチャーしたものが人気らしい。海外ではラウンジでDJとかをガンガンかけたりして、ただ泊まるだけのホテルから「遊ぶ」ホテルへとシフトしてきている。そんなラウンジ文化、が日本に根付くのかな?気軽に立ち寄るホテル。でもおいらもそうだけど、気軽にホテルなんて寄った事なんて生まれてこの方ないぞ・・・そう、この文化には前提がある。客層のセグメント。つまりセレブリティーを対象にしているんだろう。こういう傾向が日本で浸透してくると、例えばこういうホテルのラウンジ文化が分からない客は来なくていいよっていう、セグメントが深刻になる。ホテルで静かに泊まるって事を求める人は違うとこに行って下さいな。ニーズと文化に応じた当たり前のように思えるけど・・・おもしろうそうだけどね。とりあえずおいらの肌には合わないかも・・・・ホテルではゆっくりしたいし。何より値段高いし・・・お金をかけなくても小さな非日常やサプライズは出来るしね。いつもの道を歩いているだけでも思わぬサプライズがあるかもしれないじゃん。


人にはどれだけの土地がいるかっていうトルストイのお話があります。要は日が沈むまで、自分が歩いた分の土地を格安で買う事が出来るというお話。朝早く旅立ちました、ドンドン主人公は歩いて、歩いて、休まず急いで、太陽と競争。半分過ぎた、日が傾いても、まだ行ける。息絶えるまで駆けてみよう、こんなチャンス二度とないもの・・・ハァ、そろそろやばいな。戻らなきゃこんなに広い土地が水の泡だ。急げ、急げ。走って、走って、息絶え絶えで・・・・あぁ、村の人々が見える。灯りだ。あそこまで行けば、今までチャレンジした人たちの誰よりも広い土地を手に入れられる。あとちょっと・・・・間に合った!やった!・・・しかし主人公の男は息を引き取っていました。今までの陳腐な生活では手に入れられない土地。夢に見た非日常は夢のまま。最後に彼が手に入れた土地は自分のお墓分だけの土地だった。ちょっと笑えないサプライズ。親の手から旅立って、大人になって、それなりの土地(自立)を手に入れた。けど人生をかけて最後に手に入れるのはどれだけだろう。手に収まらない非日常ばかり求めて夢を見る・・・最後に残るものはなんなんだろう



久しぶりに取り留めない日記です。疲れてる証拠・・・かな?



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2006年05月17日

マキ

「だいだい君は、マキに似てるね」「そんな事言われたの、生まれて初めてです」
昨日のサッカーワールドカップ日本代表の発表後、会社で語られた会話です。そうなんだ、おいらはマキに似てるんだ。確かに長身だし・・・ん?待てよ?・・・世代的に考えるともしかしたら「ポール!」の方を言ってるのかもしれない!?どっちなんだぁ・・・聞くに聞けないしなぁ・・・あぁ・・・気になる。先輩のサプライズかもしれんし・・仕事が手につかない・・・おいらは何マキなんだぁ!という日記を、寝間着で書いております・・・このネタで笑点に殴りこみ出来ますかね?


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愛を取り戻せ


誰よりも主を愛しますと宣言したペトロであった。良心の疼き。徹底的に私と関わって下さった主がもうおられない。その主を拒んだ自分だけが残った。意気消沈のペトロへ、再び世に現れた主は言われた。「私を愛しているか」私達は質問に対して考え、それに相応しい解答を導き出して応じる。しかしペトロは主からのこの質問、呼びかけに、主がご存知ですと答える。主が息絶えた間、ずっと自身の罪について考えてきただろう。少なくとも私は3度罪を犯したのだ。その全てがまるで陽だまりに包まれるかのような主の問いかけがあった。本来ならば主が御顔を向けてるなどということは決してないのだと思っていた。しかし主は、何ものにも変えがたい安堵を今ペトロに与えて下さった。「私を愛しているか」全ての罪を赦す言葉。あの姦通の罪の女のように、多く赦される者は、まさしく多く愛されるのである。何があろうとも、どんな時も、僕が僕らしくあるために、主の愛に生きる。「主よ、あなたがご存知です」この告白に生きる事こそ、まことの慰め。主に従う、そこに大いなる喜びがある事を私達は知っている。神の愛は無限です。しっかりと私を捕らえて下さる。決して切れる事のない愛の絆。信仰とはこの主の永遠の愛を知る鍵である。私達が互いに身勝手に愛するのではない、正しく愛する事を示して下さるのです。神が愛して下さるから、私は人を愛せるのです。これがまことの奇跡となる。私達はこの主の愛を映し返す水鏡のような存在にならなけばならない。愛は眠っているのです。喧騒と誘惑に閉じ込められている。礼拝とはまさに、眠る場所ではない。愛が目覚める場所なのです。目が開き、心が激しく震え、聖霊で満たされる。ここに主イエスが徹底的に私と関わって下さる愛の絆を見るのです。


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2006年05月14日

so sweet

愛が憎しみに変わる時。



怒りと憎しみは心を支配する。重荷は正しく前に進もうとする歩を止める。「何を求めているのか」。主の言葉でさえも聴く事が叶わない。叶わぬのなら、いっそ忘れてしまいたい。それ程に我が内にある罪は頑ななのである。


終わるはずのない愛が途絶えたように、もう何も見えない。罪の揺さぶりはいつの時代も僕を支配している。ヤコブは父からの祝福と引き換えに大きな怒りと憎しみをも抱え込んだ。一人旅立った夜の孤独は計り知れない。絶望が彼の心を支配していた。「多くの民がお前に仕え、多くの国民がお前にひれ伏す(創世記27:29)」それ程までにヤコブの心を揺さぶった祝福とは、いったい何なのであろうか。


最初の弟子達に語られた主の問い「何を求めているのか」、それはまさにこの私達への天の父からの祝福ではないであろうか。私達が求めるべきもの。それは西へ、東へ、北へ、南へ、溢れ広がっていく。主に連なる氏族と民は皆、この祝福の家に招かれるのである。「来なさい。そうすれば分かる(ヨハネ1:39)」私達が求めるべき神の祝福は、この自らの両手では手に入れる事は出来ない。


「来なさい」主の御手と、優しい声によって招かれなければ、祝福の食卓に預かる事は出来ないのである。さてナタナエルの姿勢はどうであったか。祝福をだましとったヤコブと対照的とも思われるその静かな佇まい。いちじくの木の下でひっそりと、しかし神の揺さぶりを確かに待ちながら・・・いちじくは幸いの木である。年に二度、実を結ぶ。その実は大変甘い。日本に現在見られるものよりも、大変大きく育つ。茂ったいちじくの葉はその木陰に集う弟子達を守り、慰めを与える。神からの祝福を象徴するいちじくの木、その傍らにいる者は、偽りなく、正しく神を求める人である。


主はそれを全てご存知であった。ナタナエルが足繁く通ったあのいちじくの木の下。まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。主がまだこの世にお生まれになる前に、ヤコブも求めていた。未来の前に立ち竦む、あまりに小さな子羊の命が、まことの神の小羊の到来を。神の家に続くヤコブの階段。聖霊によりバプテスマを授けられた私達は既に招かれている。愛する者と共に、主に従い、今生きていく。その事を、今、祈り求めていきたい。







「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。」






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ヘブライ4;3

これから ねます


神さま、あなたの子どもをお守りください


夜のあいだ中 あなたの愛で お守りください


そして、朝の光の中で 目覚めさせてください





今日は曇りです

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ほぼてつや

今日は1時間弱しか寝てません・・・・もうてつやは出来ないなぁ・・・



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2006年05月08日

おやすみおわり

今日から仕事です

たっぷり休みました。休みあけは仕事が溜まってます 今日から気持ちを切り替えて 頑張ります

久しぶりに短いブログです

なぜなら仕事中だから

アハハ 昼休みね

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2006年05月05日

御愛聴

0dde4734.JPG預言とはやがて来る御旨の告げ知らせである。いったい誰にこの預言は語られているのであろうか?それは岐路に立つ者、分かれ道にいる者である。迷いの中にいる、心が落ち着かない。しかしそれは全ての人間の姿ではないだろうか。私たちは皆、神の言葉を聞く事が出来るのである。迷いが晴れ、心が落ち着き、道は定められていく。主は知っているのである。しかし世は知らない。人間の頑なな心が、主との約束を跳ね返す。事態は主が福音を述べ伝えられた時代と何も変わってはいない。

昨日も特に予定を決めずに都会を徘徊していた。近所の井の頭公園。お昼頃の散歩は超気持ちいい。(二人で乗ると分かれるという逸話の)アヒルボートに乗るカップル37羽を数えるくらいの余裕もある。新緑の中歩むと、不思議と時の流れがゆっくりと噛み締めるようになる。悠久の緑の中に永久の息吹(スピリチュアリティ)主がつくられた緑は鮮やかに心を洗う。迷い、不安の中にある魂を。私は主を待ち望む(waitng for evergreen)主がまだ言葉にして、伝えていない事が僕にはある。


青空をのせて


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2006年05月04日

小さい秋見つけた

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(↑メイドの秋ちゃん。ネームプレートからそういうらしい)




六本木のフリマ、J-WAVE主催のだったんだけど、ここだけは混んでた。でも可愛いシャツをゲットできました。ヒルズの人工的な自然もまばゆい光に照らされて都会のオアシスって感じがしました。いつかこの場所でDOGを散歩する日はだいだいには来るのでしょうか・・・


人が何かを生み出す時には、ある意味それは無駄の中から生まれてくる。数々の思索と試作。繰り返される失敗、付随するゴミ。費やされる時間。汚れるearth。「think tomorrow」このJ-WAVEのキャッチですが、明日の事を考えて少しでもリサイクル、交換、循環を行って無駄なものを減らそうと努めよう。無駄なもの、要らないものと欲しい感情がbe as one(一つになる)する場所。それがフリマ。交換、循環のサイクルが生まれる。


人が生み出す(create)ものには必ず無駄なものがある。けれども神様GODが生み出すものには無駄なものは全くない。


六本木に行く途中に新宿で乗り換えたんだけど、重荷のリュックを背負った何と沢山の人々がおそらく奥多摩方面を目指して電車に乗っていた事か。「自然」の癒しを求める人はすごいるんだな。フリマを後にして秋葉原に買い物行きました。駅前には人、人、メイド、人、観光客、俺・・・関東でここが一番混んでるんじゃねえの?!と想うくらいメイド・・・いやいや沢山の民がいましたんです、ご主人様§^。^§いつからメイドさんは記念物になったんだろうか・・・挙句の果てに「あのー、メイドカフェって何処ですka?」って聞かれるし・・・(俺は生まれてこの方秋葉系ではない)「萌え」の癒しを求める人はすごいいるんだな。おいらは家でゴロゴロしてる時のほうが癒されるよ・・・



人間も神様がつくられたもの。あなたの癒しはどこにありますか?





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スターバックスディスカバリー

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(後輩がおいらにつくってくれた世界で一つのドリンクを沿えて。)



今日は10時間寝ました。仕事始めてから一番寝た時間です。休日を休むためだけに使っているだいだいです、どうもこんにちは。渇いた時に飲み乾す水のように、お休みって素晴らしいと仕事してると改めて感じる今日。 昨日は六本木ヒルズでフリーマーケットがあるので行きまして。左手には最近衝動買いした「なんちゃってアイポッド」、通勤のお供にさいてきです☆


その前に大学の時の後輩がバイトしてるスターバックスに寄り道。 スタバに行くとかわいいバナナの帽子を(今はバナナプロモだからかぁ。俺も昔、クリスマスにサンタ帽子被ったよ・・・))被った後輩をディスカバリー(^@^)相変わらず店内にステキな笑顔を振り撒いてました。今オススメのバナナモカフラペを作ってもらった。チョコバナナのフラペって感じの独特な甘味が美味しいなと想いつつも、そのドリンクはちょっと特別な味がした


その後輩の子はもうすぐ留学してしまうので、(一応)おいらがオススメしたバイトのスタバでの勇姿を見たいなと想って遊びにいったんだけど、結構楽しそうにやっててホッとした。 ふと、席に座ってる時に六本木に向かう電車の中で開いてた「新約、星の王子様」の一文を思い出した。

「大切なものは目に見えない」。今この瞬間に大切に想うことは、卒業してもこうやって笑顔で会えることかな?僕がスタバでバイトしていた時に大切にしていたことは、相手に尊敬を忘れない事・・・自分の決めたことに、いつも一生懸命に取り組むその後輩の姿勢には、いつも尊敬の念を忘れません。


スタバでのその後輩の笑顔はとっても輝いていました。



留学しても変わらず頑張っていくんだろうなぁ。「追伸」として、その後輩の後輩もスタバに紹介されて、昨日が2日目だったらしいんだけど・・・お客様から見ても分かるその「ハイテンション」(ここでは緊張!と訳したい。つまり極度の緊張ね)俺も昔あーだったんかなぁ・・・(もう少し楽しそうにやってた気がするが)ともかく頑張れーー☆はじめの一歩は誰でも緊張さ。


「困った時は助けを求める」、これも僕がスタバやってた時に大事にしていた事です

dcm6flo at 09:54コメント(2)トラックバック(0) 
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