すいません、勘違いされているような方がおられましたので、ご注意をと。

メールが来たのです。
内容は、「障害者助けるためのボランティアなんだから、お礼を言ってもらえないとか、関係なくないですか?」と言うような感じのモノです。

「文字起こし」と言う活動は、確かに聴覚障害者のための活動です。
しかしながら、僕たちは、釣り仲間のためであって、障害者を助けたいといううことではないのです。

たしかに、人数が増えた時には、そういう人にも支えられたのですが、創設きっかけや、創設に携わった聴者の想いなどは、そうではなかったのです。
少なくても、主導者の僕とスイミー氏はそういう想いではなかったです。

僕の知り合いのデフの人達も、デフだという差別を嫌がっておられ、そういう扱いが嫌だというスタンスだったのでソレを踏まえて、そういう考えでした。
前に書いた「長らく動いてない理由」でも、ソレを踏まえていたので、聴もデフもないという感じで書いたのです。

出来ない事をできる人がして上げる。
それに対して、お礼を言う。
態度で示す。

まあ、普通の事ですよね?
それらが無くなってきてしまったら?
それは、ボランティアであり、無償の人助けになってしまします。

僕らは、デフ軍団を釣り仲間だとおもっています。
『声』が『手話』なだけで、『聞こえない』『聞こえにくい』だけ。
だから、手を差し出した。
出来ない事を出来る人がやって上げる。
同等で、仲間だから、手を貸したいと思った・・・・。

しかし、その結果が、ちょっと思っていない結果になったのです。
もちろん、本人たちからすればお願いしたことでもないですから、お礼をすることでもないのかもしれないのですが・・・でも、それじゃ困る。
デフの代表だけでも頑張った人に「お疲れ様!」「ご苦労様!」「ありがとう!」という言葉を掛けてあげて欲しかった・・・。
聴者の頑張りに言わないのだけでも我慢ならないが、デフの頑張りにすら何も言わなくなったとき、僕は、もうダメだなとい思ったんです。

お礼を言えないのか、お礼を言いたくないのかわ分かりませんが、「礼」がないのは、人同士の助け合いにはありえない。
助けられるのが当たり前と言う、障害者精神なのかな?と、失礼な事さえ考えた。

とりあえず、やってもらって当然という姿勢ならば、ボランティアに「障害者です!」ってコトで助けてもらえばいい。
そいう所もあるし、その方々はボランティアで「礼」を求めずやってくださっておられるのだから。

しかし、僕らは、違う。
一般人であり、ただの人だ。
ボランティア精神に満ち溢れている訳ではない。
デフを理解するし、その人を重んじる事もする。
聞こえるか聞こえないかってだけであり、別段、差別する気はない。
だから、デフにも出来ることをすることを求めたりした。
出来ることを出来る人がするのが普通だから。

それに対して、僕らも礼を言い続けた。
分かって欲しかったから、ソレの大切さも何度か説明した。

しかし、何度か説明しても、結果、この非礼だった・・・。
この活動が思ったよりも役に立っていなかった結果なのは、その反応から十重、理解できた。
役だっていなかったから、当然の反応なのかもしれない。

確かに、こんなことをしていて字幕が付く訳がないのかもしれない。
でも、こんなことをすることこそが、一般人としての何か物事を動かす第一歩なのだと思うのです。
「障害者」だからということを看板にして、ナニかを動かすのではない。
その看板を掲げて動いた方が、確かに楽で力がある。
その方が、早いのかもしれない。

でも、彼らがはじめに、一般、普通の社会を生きる一般人としての扱いを望んだのだ。
『差別すんな』そう言ったのだ。
だからこそ、手を貸したのだ・・・。

僕たちは、障害者を助けたい訳じゃない。
僕たちは、ボランティアしたい訳じゃない。
仲間に手を貸したかっただけなんだ。
だから、障害者だという態度や姿勢でいる人に貸す手はない。
だから、ひとまずお休みなのです。

しかし、まあ、本当に、どうも、すいません・・・。