2006年04月02日
「であいたび」第79便:「30年でもプロじゃない」
● 野菜作り20年
色んな作り手の人に出会うとき、聞くことがある。
「野菜・果物を育てて、何年になりました?」
いわゆる、農業を仕事にして、何年経過しているのかと聞くこと。
その質問から、色んな答えが返ってくる。
「高校からずっとこの道だよ」
「一度サラリーマンをして、それからだから・・・」
「会社を定年してからで、・・・」
人によって、様々な人生のドラマが見え隠れする瞬間。
● 年数が多いほど
「野菜作りに30年」
そんな返事を聞いてしまうと、思わず見る目が変わってしまう。
長い時間、追求してきた道。
それだけの時間が経過していると、思わず「プロ」と呼びたくなる。
しかし、そうではないと、作り手たちは言う。
● 時間じゃない
ある作り手から、こんなことを言われた。
「米作りに30年。確かに年数から見れば、そうなのかもしれない。
でも、たった30回しか作っていないよ。
他で40回作っている人がいれば、そっちがプロじゃない?」
思わず、私は唸ってしまったのを、明確に覚えている。
● 1年に1回
米のように、1年に1回しか収穫できないものは、どのような結果になるかは、
収穫してみないと全く分からない。
30回同じように作ったとしても、全く違うものが毎年出来上がるという。
なぜなら、気象や環境が毎年違い、そして、作業内容を少しずつ変えていたりするから。
結果が違って、当たり前なのだ。
● 毎年1年生
「毎年1年生だから、今年はどうなるかは、わからんよ」
毎年変わる異常気象の中で、毎年違う作業を考えながら、生きている人たち。
その言葉の意味は、まさに「農業は奥が深い」ことを十二分に知っているからこそ、
初めて言える言葉。
そこに、オゴリや高ぶりは全くなかった。
● 30年やっていても
30年もやっていると、もう何でもわかる人だと思ってしまうと、大間違い。
そんなことを言ったら、こんな返事が返ってきた。
「もうプロだと思っていたら、成長はないんじゃないかな。
追求する気持ちを忘れた人には一切の成長はない。
今日よりも明日。良いものを育てようとする気持ちが無いと、
決して美味しいものにはならないよ。」
「30年もやっていても、やることが山のようにある」と、笑って答えてくれた。
● どんなことになろうとも
農産物は正直だ。
手間を抜けば、それだけちゃんと結果として表れてくる。
小さいことでも、やらなかったら、どこかにしわ寄せが来てしまう。
人間が手間を抜かなかったとしても、気象条件で、コロッと変わったりもする。
そんな中で同じ結果を生み出すためには、毎日の研究とカンを働かせるしかない。
異常気象などの不確定要素がてんこ盛りなのに、すべての責任は作った本人の責任。
「言い訳なんてしても無駄。作ったものがすべてを語るから。」
作ったものは、すべて自分の責任であり、言い訳をしない。
それこそが、プロの証。
そんな世界で、作り手たちは、今も生きている。
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1. 野菜ソムリエ [ ブログで情報収集!Blog-Headline/happy ] 2006年04月16日 21:38
「野菜ソムリエ」に関連するブログ記事からハッピーコンシャスなものを選んでみました。いろいろ読み比べて、あなたの理想のHappy!を見つけてください。 =200...
この記事へのコメント
1. Posted by AZU 2006年04月03日 00:14
こんちわー☆面白いですね!お手本にさせてもらいます(>_<;)