出番が多く、小説の5巻と8巻ではメインになっていると言っても過言ではない五更瑠璃だが“私の中では”京介にとって非日常的な存在であるイメージを完全に払拭することができず、できないまま転校して非日常的な存在に戻ってしまった。
 他の読者にも通用する感覚なのかは分からないけど、私がそんな印象を受けた原因について考えてみたい。

特別な場面での活躍の印象が強い
 黒猫の晴れ舞台と言えば、コミケでシスカリの対戦をやったときの記憶がもっとも鮮烈で、そこへの繋がりから非日常的な印象が根付いてしまっている。ゲームの賞に投稿するなど「イベント」を通じて関わることが多い点も影響している。
 付き合いはじめてからも毎日会ったのが「夏休み」で、やることも計画通りの特別なことだった。彼女とは「理由がなければ会えない」のかなぁ……男性的なヒロインだ。

黒猫のは服装ではない、衣装だ
 やはり、これは大きい。黒猫、白猫、神猫、地味猫(ジャージ猫)。京介があう彼女はいつも非日常的な格好をしている――ジャージは突き抜けすぎだし、場所が温泉地だ。白猫はまともな格好だけど、桐乃がいらんことを言ったがために「イベントCG」の刷り込みがなされてしまっている。京介も同調しているから始末に負えない。
 個人的にはコミケのときのキャストオフ黒猫がイイと感じていたのだが……どうして神猫なんぞになった?

本名よりもHN
 8巻でも瑠璃と呼ぶことができなかったせいで、いまだにオフ会気分が抜けきらない。HN呼びが関係の主体がネットにあるような錯覚をもたらす――沙織と違って、直接の付き合いばかりなのになぁ。

そもそも学校が日常的に思えない
 完全に主観的な問題で、学校が日常空間でなくなった身には、どうしてもそこが特別な場所に思われてしまう。おそらくメインターゲットとされている読者とは大きく感覚が異なる点だ。
 こいつはいかんともしがたい。でも、クラスメイトの赤城兄は日常的な存在と捉えている不思議。まぁ、別学年のクラスは「とても近い異次元」だからね。さらに違うものがある?


 以上のような理由で、私は黒猫を非日常的な存在だと思う。それゆえに彼女が京介にとって生涯の伴侶になっている未来を想い描きにくい――中二病がいつまでも続いているとは思えないせいもある。いつかは収まるところに収まるのかもしれないが、基本的には京介の日常を侵食するより特別な存在になることが優先されている感じかな。結果、日向が姉よりも早く日常的な存在になるという……。
 日常的な存在という点では桐乃と麻奈実に十年以上の長があり、特に桐乃は特別な存在でもあるけど――妹だ。そんなバランス関係にある。

 そもそも私は、京介にとって日常的な存在は桐乃たち家族と麻奈実、赤城兄くらいしかいないと感じているわけで――初期にはあやせを「桐乃世界の住民」と見て、異物感すら覚えていた――桐乃を通じて非日常が京介の日常になったのに、それまでの日常を非日常として清算できていないことに根本的な原因があるのかもしれない。

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