2011年10月16日

宮城谷昌光「王家の風日」に描かれた「牧野の戦い」を戦況図化してみた

 この記事はタイトルの通り商周革命の時代小説である「王家の風日」に描かれた牧野の戦いをまとめたものであり、史実の「牧野の戦い」を伝えるではない。あくまでも私の趣味でやっていることなので、史実とは切り離して読んでいただきたい。


戦略状況

 帝辛の二十五祀(紀元前1027年?)、周の太子発は商(殷)を打倒すべく召と共に兵を起こし、商の首都「大邑商」の南にある孟津で黄河を渡った。周決起の報を受けた商王受(紂王)は東方で集めた兵と共に西へ取って返し、王子とエイ来(悪来)の率いる軍勢と合流。
 朝歌の南にある牧野の地に布陣した。甲子(周暦2月4日)、北上する周召連合軍が、商軍の眼前に到着し、大会戦が始まった。


兵力と布陣

・商軍(殷軍)
 総兵力:70万。首都防衛軍ならびに東方諸侯の軍勢よりなる。兵の不足を補うため編成された奴隷や捕虜の軍団を含む。
 総司令官:商王受(=帝辛=紂王)
 主な将:エイ来(悪来)、膠鬲

・周召連合軍
 総兵力:60万。戦車4千乗。総兵力は戦車一台あたりの随伴兵を160人として算出された。戦車のうち300乗は周本国のもの。周軍の戦車は最新の四頭立てであった(旧来の戦車は二頭立て。ただし、同盟国軍を含むすべての戦車が四頭立てとは考えにくい)。中軍に虎賁(精鋭)が3千いる。
 総司令官:太子発(後の周武王)
 主な将:太公望(呂尚)、コウ夭、(召公セキ:記述なし)


牧野の戦い布陣
図1.両軍の布陣推定図

 先に布陣した商軍は右翼に兵車を集中して、敵の左から中軍を打撃する構え(商軍の常例とのこと)。また、左翼後方に伏兵を置く。
 周軍は鶴翼の陣形を敷く。敵の右翼対策として中央に虎賁3千を集め、右翼は軽快に、左翼は厚くした。発は突撃を最大七回に制限し、陣容を斉(ととの)えて行動するよう兵たちに厳命した。



戦闘経過


牧野の戦い前半
図2.牧野の戦い前半の展開

 商の巫女による呪詛が終了すると、両軍から攻撃命令の鼓が戦場に鳴り響き、戦いの幕が上がった。機動力のある互いの右翼が敵軍目掛けて一目散に突撃する(図2の1)。商の将である悪来は太子発の首を目掛けて真っ直ぐ突き進む。戦闘力に優れた彼の活躍によって道が開かれていく。
 一方、周軍の右翼も商軍の左翼を蹴散らしつつあった。だが、商軍中央の背後に回りこもうとした彼らの更に背後に、伏兵が現れる(図2の2)。
 両翼で劣勢となった自軍の危機を観て太公望は、太子発に前進を進言。これを受けて発は虎賁と共に正面の受王に向かって走りだした(図2の3)。


牧野の戦い後半
図3.牧野の戦い後半の展開

 戦場の中心で悪来と太子発が相まみえる(図3の4)。実力伯仲の対決は、四頭立て戦車の力により発の勝利に終わる。悪来の死と時を同じくして、商軍に組み込まれていた奴隷や捕虜が太公望の事前工作により寝返り、商軍両翼の脇腹に襲い掛かった(図3の5)。
 太子発は好機を逃さず全面攻勢を命じる(図3の6)。
 一挙に劣勢となった商軍は、それでも踏みとどまり、盾が兵士の血で浮くほどの激戦が繰り広げられる。だが、すでに大勢は覆しがたく、商軍は崩壊。膠鬲が殿となって受王を北に落とした(図3の7)。最初に呪詛を行った巫女たちは惨殺され、膠鬲は周の俘虜となる。


結果

 追撃を受け、朝歌に逼塞した受王は、自ら命を絶つ。牧野の戦いに参加した者を含めて――つまり戦後の死者もいる――商人の死者は十七万七千七百七十九人に上り、三十万二百三十人人が捕虜となった(合計四十七万八千九人)。
 ついに商王朝は滅び、かわって周王朝が興る。


考察

・受王の冴え渡る戦術
 中国史上に悪名高き受王は敵の作戦を的確に読み、伏兵により敵の右翼を追い詰める見事な戦術をみせた。一方、自軍の右翼は斜めに敵中央に向けて突撃せており、自分が仕掛けたのと同じ手に引っ掛かることがないようにしている。商の右翼は自然と周の左翼に側面を晒すことになるが、一部の部隊を割いてぶつけたものと思われる。
 後方への退路が空いている状況にも関わらず商軍の被害が非常に大きかったこともギリギリまで兵士を戦わせた受王の徳の高さを物語る。商人から見れば反乱者にすぎない周に屈したくない想いもあったのだろう。
 “紂王”として散々な評価を受けがちな彼にとっては、最大限の評価ができる戦いぶりだった。

・太公望の裏切り工作
 受王の健闘にもかかわらず周軍が勝利できたのは、ひとえに太公望の諜報活動があったからである。戦場で戦っている最中に裏切らせるという少々品のない策略の効果は絶大である。関ヶ原の戦いでもわかるように、すでに兵力の限界まで使っている状況から新しく現れた敵に対応することは不可能だ――しかも、こちらの兵力は減るわけで。
 周軍が太公望に対抗するには神託に頼らない論理的な対抗諜報が不可欠だったのだが、神託を蔑ろにする周はもはや周とは言えまい。アイデンティティを放棄してまで存続することに、どこまで意義を見出すことができるのか?
 受王は自らの美学が許す範囲で積極的な改革に取り組んだけれど、改革には“商人らしさ”の否定が不可欠であり、けっきょくは周人の手によってしか完成しないものだったのかもしれない。


以上、宮城谷昌光「王家の風日」400〜425Pより


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