2011年12月24日

宮城谷昌光「沙中の回廊」に描かれた「柳フンの戦い」を戦況図化してみた

 小さい戦いは重複して詳しく描かれた作品が少なそうなので、優先的に手を付けざるを得ない。結果、手強い大会戦ばかりが残っていく……。小規模な戦いほど脚色度は強いと思われる。

戦略状況

 晋の成公の6年(すなわち紀元前599年)、晋の成公が会盟先で薨去し、晋は喪に服する事となった。だが、楚の荘王はいつもどおりに冬が訪れると中原に北上し、晋の盟下にある鄭を攻めた。援軍の要請を受けた晋では宰相の郤缺が、自ら救援におもむくことにした。彼の率いる中軍に、士会が上軍の一部と共に参加した援軍は、すばやく南下して鄭軍と合流。迎撃の心構えができていない楚軍に襲い掛かった。


兵力と布陣

・晋鄭連合軍
 総兵力:推定2万3千〜3万
 総司令官:郤缺
 主な将:士会、鄭の襄公

・楚軍
 総兵力:推定4万5千〜6万
 総司令官:楚の荘王

柳フンの戦い布陣
図1.両軍の布陣推定図

 作中で兵力を直接あげる記述はないので、いちおう推定値を出しておく。
 まず、晋の中軍が編成なので――佐に荀林父もいるものと思われる――12500。士会の上軍は一部と書かれている事や、通例5千から1万を動員している鄭が受け持っている右翼との釣り合いを考えれば、中軍の半数程度であろう。よって合計は2万3千〜3万とした。
 一方、楚は士会の上軍と激突している右軍が二倍という記述があったので、全体も二倍と大雑把に考えた。これまでの描写から楚軍本隊5万に属国の1万を足した6万が最大値とみる。


作戦意図

 謀反人の息子であった自分を引き立ててくれた成公の喪を荒らされた気分の郤缺は一歩も退かず刺し違えてでも荘王を倒す意気込み。総司令官の代わりに士会が全体の戦局をみて柔軟に対応する。
 対する荘王は絶対に勝たなければいけない戦いだとは考えていなかった。よく言えば余裕があり、悪くいえば気迫が足りない。


戦闘経過

柳フンの戦い展開
図2.柳フンの戦いの展開

 郤缺は凄まじい覚悟で中堅を進めさせ、楚の中軍を圧倒する(図2−1)。士会は晋軍の戦いぶりをみた鄭の襄公が積極的に動いてくれることを見越して、楚軍の後方に向けて兵車を束ねた部隊を放った(図2−2)。はたして鄭の襄公は、荘王の劣勢に喜色をあらわにして、自軍に突撃を命じた(図2−3)。さらに精鋭揃いの士会軍が二倍の右翼を撃破し(図2−4)、敵が後方に回りこみつつあることを知った荘王は全軍に撤退を命じた(図2−5)。鄭軍が猛烈な追撃をかける一方、晋軍はすぐに停止。郤缺は士会の用兵を絶賛した。


結果

 楚軍は完全な敗北を喫した。だが致命傷を受けることはなく、翌年も鄭を攻めた。晋に凱旋した郤缺は二年後に病死する。


考察

・ノリノリ!鄭襄公さん!
 この戦いにおける鄭の襄公はやたらと積極的であった。
 いつ楚に寝返りを余儀なくされるか分からない鄭の立場上、あまりに派手な戦果は自らの首を絞める可能性がある。それにも関わらず襄公が突撃から追撃まで、やってのけたのは軽挙でなければ、本気で楚王の首を取って後顧を絶つつもりだったのか。あるいは覇者の器量をもつ荘王なら戦場での活躍を咎めることはないと「甘えた」のか。
 強国に挟まれているがゆえに戦火にさらされる鄭兵が弱いわけがなく、柳フンの戦いでは彼らの実力が存分に発揮されたと言える。

・荘王の負ける勇気
 順調に中原への進出を続けていた荘王にとって、自軍の半分しかない敵に負けることは面子を著しく傷つける事態である。意地をはり兵に戦闘続行を強いても不思議ではない状況でありながら、すばやく退却に切り替えた荘王には負ける勇気があった。自らの退路を確保して、危うげなく逃げている点には、覇者にふさわしい生命力すら感じる。
 士会が決定的に荘王に立ちはだかる相手なら自軍をすり潰してでも抹殺を狙う作戦もありだが、結局はここで余力を残しておいたことがヒツの戦いにおける勝利をもたらすのだから、荘王は逆境のなかでも間違った選択をしなかったと評価できる。


以上、宮城谷昌光「沙中の回廊・下」260〜265Pより、ただし戦地名は269P、年代は311Pによる


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この記事へのコメント

1. Posted by 五遷そうし   2011年12月24日 20:48
おお、こいんさんも読者でしたか(喜)。
士会かっこいいっすよね。優れた戦略家だけれどそれ以上に生き方が心に残ったな。末裔も丞相で戦略家でしたな。
2. Posted by こいん   2011年12月25日 19:22
 宮城谷先生の作品はやっと半分位読めたかと思います。
 士会は秦への亡命が後世から見れば魅力になっていますね。そのまま異郷の地に埋もれるかもしれなかったのに、よく決断できたと思います。

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