めいど部!

オリジナル小説掲載💛 ささら、庵、ちなみによるメイド喫茶『星華学園★めいど部!』開店です!

 店内に踏みいれた朋が感じたのは、空気を切り裂くような音、だった。が、それは気配にすぎなかったので、それが彼の眉間を狙ったものだとは思いもしなかった。
「ブブッー、いおリッチーハズレー、朋ちんは男子じゃありませーん、今後彼女にスナイプ禁止!」
 いおリッチーこと、紫嬢(しじょう)庵は、アイドルユニット『星華学園★めいど部!』の中でも異彩を放つメンバーだ。
 ささらのように周囲を魅了する笑顔をふりまくこともせず、常に無表情。しかし、ゲーム――特にFPSに関してはずば抜けた技能を持っているらしく、その界隈では知らぬ者がいないほどで、一部のファンからは神と敬われていた。
 ちりちりとした空気を発する彼女から銃を向けら続けている朋は、いつ銃口からBB弾が放たれるか気が気ではない。
 高天原は、朋も庵も気にする様子なく、めいど部のフロアを真っ直ぐにつかつかと進んでいく。
 店内は、入って正面がレースカーテンで覆われた窓ガラス。右手には、庵のいる液晶テレビ、ゲーム機がある座敷、左手にはカウンター。その内側には小さなキッチン、コンロが設置されている。
 全体的にはシックな欧風喫茶という雰囲気で統一がとれているが、和風の一室のせいでどことなくちぐはぐ印象だ。
 朋は、びくびくしながら高天原に従っていたのだが、その高天原が糸目で、朋の耳にどこか楽しんでいる調子でこんなことを囁いてきた。
(俄然面白くなってきたねー、朋ちん。朋ちんは絶対自分が男の子ってばらすこと禁止! ばらしちゃうとひょっとして、店の外で転がってた人に仲間入りしちゃうかもよ)
「…………驚かさないでくださいよ」
(理由を教えたげるね。いおリッチーは男の子、ムリなの。朋ちんも祝、めいど部の一員になんだし、うまく折り合いをつけてほしいんだけどなー)
「いろいろムリがありますって!」
(あらあら、ムリかどうかはやってみないとわからないんじゃないかしらー)
 高天原が階段でムリを連発していたのは耳に新しい。が、獲物を狩る庵の瞳は朋に絶賛ロックオン中。わざわざ反論し、高天原の機嫌を損ねることはない。
 レースカーテンがそよぐ窓際のテーブルで高天原は、ゆるかったこれまでの態度をさらに軟化させ、ふにゃふにゃとソファに崩れ落ちた。彼女の正面で、身体の割に大きすぎるパフェをほおばっていた、ゆるふわ髪の安藤ちなみが視線をあげ、不機嫌そうに目を細める。「高天原、コイツは?」
 ちなみは《ちなったん》の愛称でファンに慕われる、愛されキャラだ。舞台では小柄な身体で一生懸命歌う姿が健気だといわれ、舞台を降りればファンとのやりとりも旺盛にこなす。
 そんなちなみと対照をなすのが、いまの高天原。ちなみの質問に、「うーん?」と糸目で眠たげだ。
「コイツ! コイツだってば!」
「……今日は階段昇ったし、もういいでしょー」
「高天原ー……。高天原じゃん! 侵略者『めいどぅーん』に立ち向かうには――」
「ならば教えよう! この子は朋ちん。日直でいえば料理番長ってとこかしら」
 と、いきなり高天原がちなみをさえぎった。「え!?」ちなみの大きな瞳が揺れ、ぶわっと涙があふれてくる。公式年齢不相応に幼さを残した顔が悲しみにゆがんだ。
「高天原〜、それってそれって、ちなみのオムライス不味いってこと〜っ!」
「ふふふ……そんなこと気にするちなったん、可愛ーい! だいいち、ちなったんのオムライスは不味くない、わたし的には赤まむし? 的でグー。それにちなったんには味をゴマカすあのワザーがあるじゃない。美味しくな〜れっていう」
 高天原の言動に、顔色を目まぐるしく変えたちなみは、どんどんと拳をテーブルを打ちつけた。
「あ、赤まむし!? な、なんやねん赤まむし――って! も〜う、うちの頭なでんのやめーっていつもいうてるやんか〜!」
「興奮すると大阪弁のでる、ちなったん可愛くなーい」
「なんでそこで拗ねるんや……子供かい、あんたは」
「ちなったんにも小一時間洗脳したげたじゃなーい。我が『星華学園★めいど部!』が存亡の危機にある今、当面の敵は内輪にあらず。力を合わせて打ち砕くは公道隔ててやってきた侵略者『めいどぅーん』の面々なりーって!」
「え〜また〜! 今日の朝もやったんやから、忘れてないっちゅうに」
 高天原に腕を絡めとられ「えいえいおー!」と連呼を強いられるちなみ。そして高天原が再び「我が『星華学園★めいど部!』が存亡の危機にある今――」を繰り返し始めた。
 幾度なく同じくだりを繰り返す二人に脱力したとき、こめかみに硬いものがあてられ、朋は身体をちりちりとした空気に固くする。
「答えろ。『めいどぅーん』の輩が蔓延ろうとするいま、貴様がめいど部に加わろうとする理由を」
 朋の背後に迫ったのは、庵だ。
「…………ぼ、わたしはその、オムライスを作ったり、とか?」
「そうか。ならば、貴様が女というのは――というのは真なのか? どうやらこの平穏な巷が私の本能を鈍らせているらしく、先ほどから貴様が男だ男だと語りかけてくるのだ。それが誤りだとしたら、私の本能が鈍っているなら、私はここを去るべき、そう思うのだが……」庵は淡々と語った。「教えろ。お前は女か。それとも否か?」
 深刻としか思えない内容を淡々と語る庵に朋は閉口していた。
 そして、それほど自分は男に見えないのか、と思った。確かに同世代の男子に比べれば背は小さく、顔も童顔で女子寄りかもしれないが。
 庵は、高天原の言に違い朋が女子なら自分はめいど部を去るべき、と語った。初対面である人物の性別なぞに己の進退を委ねる庵も庵だが、朋が男であろうが女であろうがそれを決する価値はない。こめかみにBB弾がめり込ませてくれたほうが楽だ。
「面倒い! 面倒すぎるよ、いおリッチーったらー! ここを出てくとかそういうの、そういう冗談禁止っ! だいいち――」
 高天原が、朋の背後の庵、さらに彼女の背後に回りこみ、庵の迷彩服に覆われた胸をこねくり回しながら叫んだ。
「いおリッチーみたいなナイスバディ、普通にいると思う? それを朋ちんに求めるって……それって持てる者のオゴリってやつだよー」
 高天原が朋にウィンクする。彼女の意図は汲めた。朋がどうしたいのか、それを自ら示せといっているのだ。言動に強引なところが多いものの、機転が効く。プロデューサーを生業としているだけのことはあるといったところか。
 その結果、庵の問いはうやむやになり、これ以上朋の性別を言及されることはなさそうだ。朋は幾分ほっとし、キッチンに向かった。
 自分がどうしたいか。いまの朋は高天原に従うつもりだ。
 学校以外の場で家庭以外の人間から必要とされたことが純粋に嬉しかったのだ。
 キッチンの中、特にシンクは、カオスの様相を呈していたが、必要最低限の器具を手早く洗った朋は、次に冷蔵庫を開け内容を確認した。
 客はいないものの、営業はしているだけあってそれなりの食材はそろっていた。それらを取り出し、手際よく調理を進めていく。
「ふぅん。ちなみの第一関門はクリアしたみたいね」
 カウンターからちなみが朋の手並みをのぞきこんでいた。
「第一関門?」
「ちなみは、いおりんみたいに高天原を信頼してるわけじゃない。だから、あんたが本当っにオムライス作れるか、その試練が関門ってこと。あの散らかった食器が第一の――順当に片づけたのは……コホン。評価したげてもいいかな。だ、だからっていい気になんないでよ! ちなみののより美味しいオムライスを作んなきゃあんたは用なし――ってたまたま、たまたまなの、このスプーンは! できあがるのなんて待ってるわけないじゃない! 待ってないけど毒見役は必要でしょ? そんなのも分かんないってあんた、おバカ?」
 わかりやすいツンデレだ。朋と視線があいそうになると、腕を組んで、如何にも仕方ないのだからというようにしかめ面を作るのだが、朋が手元に集中すると、彼女の視線が舞い戻るのを感じる。
 朋には取り立てて秀でたところはないかもしれない。ただ調理の腕前だけは人並みよりちょっと、頭一つ分程度は飛び出ている自信はあった。
 チキンライスが完成し、卵にとりかかる。だが、朋が調理に集中している間、高天原の旗色が悪くなっていた。
「そ、そ、それにめいど部のお客さんにだって、まな板が好きな人がいるもーんッ!」そうして、高天原は涙目で朋に訴えた。
「朋ちーん! わたしもうムリ―! これ以上いおリッチーの胸を揉み続けると、い、1週間くらいベッドの中で呪詛の言葉を吐きそうなんですけどー」
 迷彩服の上からでも、はっきりとそれをわかる張りのある庵のバストをもんでいる内に、高天原は目をそらしてきた事実に直面してしまったのだ。
 料理の完成は近い。朋は卵の上にチキンライスを落とし、全体の形を整えている最中だった。間もなく完成したオムライスを皿にのせ、冷蔵庫を開けたとき、ふと朋をめいど部に送りこんだメガネの台詞が蘇った。デミグラスソースという札のはられたタッパーが空であったのだ。
「園町ささら、ただいま参上!」
 めいど部の扉をばーんと開け広げ、騒々しく店内に入ってきたのは、ささらだ。彼女は誰か探すかのようにせわしげに店内をかけ回った挙句、目当ての者が見つからなかったのだろう。肩を落とすと、諦めきれないのか恨めしげな目を剥いた。
「いない。『めいどぅーん』こなかった?」
「『めいどぅーん』? 来たのは高天原とコイツ」とちなみが、朋に視線を移し「だけだけど?」
「そんな」
 ささらは首を横に振ると、「そんなMOBじゃない! あのゴスロリ、間違いなく『めいどぅーん』だった!」
「す……すみません! お待たせしたみたいで! わたしはすぐにお邪魔するつもりだったんですよ。それなのに一緒にいこうって約束してたライラライさんが突然これは譲れない、って『ショコラッテ』にわたしを連れていったんです!」
 声の主は、開け放たれた扉のかげで、ぺこぺこと頭をさげていた。 『ショコラッテ』はめいど部の入ったビルの一階にある洋菓子専門店だ。ささらもファンなのだろう。甘い記憶を思い起こすように瞳をきらめかせた。
「『ショコラッテ』!! わたしも大好き💛 あんな店がすぐ近くにあるなんて超ラッキー。あそこのチョコシフォンが絶品でさー、よく持ちこもうとするお客さんもいるけど、ダメだしなんてできないよ」
 隠れていた少女が、ほっとしたように小さな箱を手に店内に入ってきた。
「良かったー。断られたらどうしようかって思ってたんです」
「あはは。うちは喫茶なんていっても紅茶はともかく、フードの方がいまいちだから」と言ったところで、ささらは、少女のゴスロリに目を見開いた。「――って、あなた『めいどぅーん』!?」
 ささらの大声に、びくりと身体を震わせた少女は、おたおたを周囲を見回した。「ら、ライラライさーん!」
 さん、とつくからには少女が叫んだのは人の名なのだろう。だが、彼女の呼びかけに応える者は、少なくともめいど部店内にはいない。
 彼女を睨むささら、オムライスの完成を待ち望むちなみ、依然胸を揉まれる庵と揉み続ける高天原――各々それぞれの思惑の中、少女は「はじめまして」と自己紹介を始めた。
「珈琲館『めいどぅーん』黄金級(クラス)バリスタ、伯兎萌(ばくともえ)です。目下、ライラライさん――私の同僚ですっごいきれいな人なんですが、その人とはぐれてしまっていて……『ショコラッテ』で、どれにしようかいろいろ悩んでる内に、ほら、わたしって結構優柔不断じゃないですか、どれも美味しそうですぐに決められなかったんです。ライラライさんはぱっと決めちゃう方で、すぐに出てっちゃったから先に来てるかなって思ったんですけど」
「で、その萌さんはなにしにここへ? まさかその『ショコラッテ』をめいど部の紅茶で楽しみにきた――わけじゃないわよね?」
 ふふ、と萌が笑う。
「まさかそれはないです。めいど部のお茶じゃ、せっかくの『ショコラッテ』勿体ないじゃないですか」

 あたかも当然のようにめいど部の紅茶をこきおろした、挑発ともとれる一言が、ささらの頭に血を昇らせた。
「じゃあ、私の紅茶が本当に役不足かどうか確かめてみたら!」

 ――ぶわわ。

 そこへ通り抜けたのは、風、だ。
 風がその風の後、ささらと巴の間に褐色の肌の少女が立っていた。彼女はささら、巴、その場の誰も見ていない。
「ライラライさん! もう! どこにどこに行ってたんですか!」
「メイドゥン……ショコラッテ……コーヒーデ頂イタ」
「えええええ!? もう食べちゃったんですか? ライラライさん、ひどいですよ。わたし、ライラライさんと『ショコラッテ』でコーヒーするの楽しみだったのに」
 踵を返したライラライに萌が置いてかれまいと小走りに追う。
「待ちなさいよ! まだ私の用が済んでないって!」ささらが呼びとめた。
「………………」
 立ちどまったライラライに、萌が経緯を説明する。
「――というわけなんです。彼女、『ショコラッテ』には紅茶の方が合う、そういって譲らないんですよ。許せます? そういうの、ライラライさん的に」
 少しの間、全ての動作を停止したライラライ。「コーヒー」
「ですよね」
 ささらは譲らない。「絶対紅茶なんだから!」
 ライラライの焦点がささらに合わせられる。「コーヒー」
「だから、紅茶なんだって!」
 ライラライは、ささらより若干背が高い。感情の乏しいライラライの視線に晒されるのはストレスだと思われるのだが、ささらは負けじとにらみ返した。
 その二人の対峙に、朋は不思議な感覚を抱かざるをえない。
 一方は黒髪のストレート、もう一方はピンクのボリュームある巻髪。きめ細やかな白い肌と褐色の肌。外見以上に異なるのは、両者の印象。アイドルであるささらを光放つ原石であるならば、ライラライは昏い闇を垣間見せる冥府への穴。
 それなのに、朋は二人にどこか似かよった印象を受けていた。
「しつこいです! 実際に試したライラライさんがそう言ってるんだから間違いないじゃないですか! それにわたしだって『めいどぅーん』で勤めさせていただいている以上、この辺の喫茶店、試させていただきました。その上で、『めいどぅーん』には及ばない、そう結論づけているんです。それにここの紅茶――」萌は一旦口の端を引きしめ、そして解いた。「それほどのものですか?」
 ささらは、沸いたやかんの如く、プシューと怒気を昇らせた。
「ムキーッ! なんで『めいどぅーん』にそんなこと言われなきゃいけないのッ!」
 両者の間に割って入ったのは高天原だ。
「双方そこまでー。お互い譲れないようだから『ショコラッテ』にどっちがあうかっていうのは実際に比べてみたらどうかしらー」
「面白そうじゃない。味わってもらいましょうよ」とささらが同意。
 無言のライラライ。萌がささらに手を差しだした。その光景は試合前の握手交換を思わせる。
「100%コーヒーです」
 青筋をたてながらも微笑みを浮かべたささらが、その手を握り返した。
 出口にさしかかったライラライが、
「園町ササラ……ヌシハ、萌ニハ勝テヌ。絶対ニ」
 と、不吉なことを言い残し去ろうとするのを、高天原が待ったをかけた。携帯の話し口を押えながら、
「勝負は――1時間後? うん。こっちは問題ナッシング。場所は……両店の中間? じゃあ、公道上でってことね。マスコミは? 局が2つ、その内1つはネット? おーけぃ、このお祭りに乗り切れなかった局を鼻で笑ってあげるために盛りあげていきわっしょーい!」
 と、会話を終えると「じゃあ決戦はいま聞いた通りで」と告げた。


主犯仲井朋(ナカイトモ) ささらの強引な手法により、めいど部の料理担当を任ぜられるツイてるのかツイてないのか、よく分からない人

アイドルユニット『星華学園★めいど部!』
園町ささら(ソノマチササラ)
紫嬢庵(シジョウイオリ) ミリオタ。
安藤ちなみ(アンドウチナミ)  

高天原(タカマガハラ) アイドルユニット『星華学園★めいど部!』の生産者

物語の進行とともに随時更新していきます☆

あらすじ
特に目立ったものを有しない平々凡々である主人公、仲井朋は、オタクが集う聖地アキハバラでその町発信のアイドルユニット『星華学園★めいど部!』のメンバー園町ささらと遭遇する。
そのことをきっかけとし、同名のメイド喫茶『星華学園★めいど部!』を訪れることになるのだが、同じくアイドルユニットのメンバー紫嬢庵、安藤ちなみ、重ねて珈琲館『めいどぅん』により瀕死の状況にあった。
その危地を救うため、『星華学園★めいど部!』のプロデューサーである高天原は朋を調理担当に任命し、珈琲館『めいどぅん』にメイド勝負を挑む。

なお、この物語はフィクションであり実在の事件・団体・人物とは関係がありません



「ね、ね。ちょっとこれ飲んでみて💛 どう? どう?」

 そうやって仲井朋が呼びとめられたのは、表通りから横丁に入ったときだった。
 またそうやって立ち並ぶビルの一つ一つにも小さなテナントが入居しており、横丁といえど人気が途絶えることがない。
 当人にとってはそう呼ばれることが不名誉極まりなかった暗黒の時代、それが時代の変遷とともに、一部の者たちからは神々しく、あるいは呼び名自体が職人のような意味合いを持ち始めたことにより、市民権をえ、さらに当人にとってもそう呼ばれることが誇らしくなりつつある昨今、そう呼ばれる人々が集う傾向のある町――アキハバラ。
 その町の空気が肌にあい、週末にはかなりの頻度で足を運んでいた朋は、キャッチセールスに捕まるなどの油断をしていたわけではないのだが、なにかイベントが行われているのか路地の一角に人が複数不自然に集っており、その中心で何が行われているのか、少なからず興味が湧き人ごみをかき分けたのが、地獄への一歩となった。

 ――じょろろろ。

 とてつもなく熱いもの、たとえるなら油断して口にした湯豆腐、できたてのホカホカたこ焼き、小籠包――液状化した物体が口から注がれたのだ。
 不自然な人だまりの中のカメラを構えた人物、彼らの存在が露出過多のコスプレイヤーがいるのでは、という期待を朋にいだかせ口をだらしなく半開きにさせるのだが、そのことも不運に輪をかけた。
 最初、口にあてがわれたのは、陶磁器のような滑らかな感触。次に注がれた液体は彼の体内を滑り落ち、食道と胃壁を滞りなく焼いた。
「ぶふふッ!!」
 世紀末に出現した某救世主による内部から肉体を破壊するという一撃を喰らった悪漢のあげる断末魔よろしく悲鳴にならない悲鳴をあげ、朋の生体機能は体内から熱湯を排出しようとフル稼働した。
 刹那、朋のようにその町に集う者に培われる、あるいは生来的に備わっている特定の情報を好み、飽くなきまで追い求める性、それは常に目的のものを入手するまで続くのだが、このときのそれは、朋に天啓にも似た一閃を脳裏に走らせることとなる。
 ティーポッドを片手に、朋、いや彼の姿ではなく、彼から拡散した液体の一滴にまで愛着の念をほとばしらせるメイド姿の少女――園町ささらを朋のかすれた視界がとらえたのだ。
 彼女はアキハバラを発信元とし、活躍するアイドルユニット『星華学園★めいど部!』のメンバーだ。
 食道と胃壁に負った深刻なダメージの為、あらい息は途切れなかったが、この体勢がちょうど醜態を隠すのにちょうど良い、と、朋はうずくまった姿勢を保ったまま、どうすればこの千載一遇の機会を生かし、ささらに好印象を与えられるかを考えあぐねいていた。
 大丈夫ですかと声かけられるまで時間を稼ぎ回復を待つべきか、それとも、なんともないフリをして頑健な内臓をアピールすべきか。
 ささらの非常識なやり方に怒りは湧いてこなかった。なぜなら朋にとってささらは雲上人であり、異世界の少女だったから。
 それに比べ朋はといえば、異世界でたとえ勇者という立場を与えられようとも、そんな大役は無理だと辞退するNPCだった。
 そんな朋だったからこそ、朋の腐心したものは、波のひとつも起こさない天地の距離そのままに、大富豪は金持ちのままというささやかなものだったはずである。
 だから、ざ、という足音だけで、キターッとばかりに朋の心臓は高鳴った。まだ迷っていた。が、ささらに違いない気配が動かないのは、きっと内心朋のことを気づかっているのだが面識ない故に声をかけるのを憚っているのだろう――そう推測すると、彼女の行動を待つのも幸福な時間のように思えた。
「あ、あちぃっ!」
「ぶはぁっ!」
 ところが聞こえるのは、あちこちからの悲鳴。
 朋は信じられない光景を目にする。それは――ささらが、うずくまった朋を放置し、「どう? どう?」と周囲の人間誰彼問わず茶を注いで回る光景だった。
「えええええ!?」特別なのは自分だけではなかったのだ。
「自分、夢、いや妄想? そんなもんが破れた……そういったところ?」
「隠さなくてもいいですよ。僕らも同じですから」
 ささらのものだと思っていた気配――それは、朋と同年輩らしき二人のメガネだった。
 面識もないのに、妙な馴れ馴れしさを発揮する彼らの態度が気になったが、二人の目的がささらであることは一目瞭然であったので、朋は先ほどまでの腐心を見透かされたような気がしてつい、態度をきょどらせる。
「な、なんのことですか?」
「ぷすっ、ぷぷぷ」小柄なメガネがふきだした。
「隠さなくていいですって。僕ら君と同様、《姫》とお近づきになりたくてこの場にきたのですから。そして――」
 もう一方、長身痩躯のメガネが視線をささらに移す。その向こうでは、いまも彼女に茶をふるまわれた被害者が叫びをあげていた。
「洗礼を受けました」
 双方の顔を真正面から目にし、朋は背筋に虫唾を走らせた。ようやく朋は気づいたのだ。彼らの唇が異様に赤く腫れあがっているのを。
 食道から胃にかけてばかり意識が向いていたので気づかなかったが、唇も麻痺したように、じーんとしている。きっと、朋の唇も彼らのようになっているのだろう。
「まさか……」
 目を見開いた朋に、二人はお互いに目を見あわせ、満足そうに頷いた。
「隠す必要はありません、そう言ったでしょう?」
 長身痩躯のメガネが、口をゆがめた。同性の唇などといったものには全く興味がない朋だが、意識したくないと思えば思うほど、視線が彼らの唇に向かってしまう。
 ふと気づけば、集った者らの三分の一ほどが朋を凝視していた。まるで彼らも自分の唇に注意を向けているような……気のせいか。いや、気のせいではない。実際、彼らの視線は朋に向けられていた。唇を見ているかどうかは別として。ただ朋を見ていたのは彼らだけではない。あったのだ。他のものとは毛色が異なる視線が。いうなれば、憎悪。そして、その視線の送り手は――ささらだった。
「待って待って」
 小柄なメガネに腕をつかまれるまで、朋は自分が後ずさっているのを自覚していなかった。ささらの視線が朋から離れ、彼女の表情は彼の知る、にこやかなものにと変わる。
 見てはいけないものを目にした……。その場から逃げ出そうとした朋を止めたのは、長身痩躯のメガネだ。
「ちょ、ちょっと用事があって。ほら今日発売予定の、えーとなんだっけ?」
 朋の言い訳に彼の唇が笑った。
「同志なんですよ、僕らは……そうですよね?」
「え……そうなんですか?」
「はい。そうなんです。同志なんです。そしてその同志の立場からアドバイスさせてもらうと、君は贖罪をしなければなりません。《姫》のために」
「しょくざい――ってなに?」
「……え?」
 長身痩躯のメガネは心底驚いたように、眼を瞬かせた。小柄なメガネも驚いたように、目を丸くさせている。
「君は姫の紅茶を飲まなかったじゃないかー! そんなこと許されるわけないでしょ、そうでしょ? そうだよね?」
 と長身痩躯のメガネがキレたように朋に迫れば、
「ちょ、自分知らないの? 2ちゃんじゃ有名な話じゃん。姫は、『星華学園★めいど部!』を全国区にする為にああやって表に出て宣伝活動やってんの。健気じゃん。その紅茶を吹きだすってまじ考えられないんだけど」と小柄なメガネが鼻で笑う。
「愛だよ愛。自分、愛足りないんじゃない? 自分、ファンなんでしょ? そしたら彼女ら応援するの当たり前でしょ? それが愛ってもんじゃない!」
「あれ、飲んだんですか?」
 こくこく、と二人が首を縦に振る。なんだこの世界、と朋は思った。同時に、ささらへの熱が急速に冷めていくのを実感する。一瞬でも生ささらが網膜に映ったら、と思っていた自分が遠い過去のもののようだ。
「だから、待てって」
 踵を返した朋の腕をつかんだのは、小柄なメガネだった。
「自分、行く方向間違ってるよ。あそこ、あそこ」
 と彼が指さすのは、テナントビルの2階。
 ああ、ここか。と朋はやや醒めた目で『星華学園★めいど部!』とガラス窓に描かれた文字を見あげた。
 確かに、その日の目的の一つに、アイドルユニット『星華学園★めいど部!』と同じ名を持つメイド喫茶、通称めいど部を訪れることがあった。だが、駅を降りたったときのテンションは喪失した。正直、めいど部に向かおうという熱意は皆無だったのだが。
「まず店内に入ったら君がすることは?」
 長身痩躯のメガネががっちりと腕をつかんだまま、朋に行動の確認を求める。
「ちなみの写真を、これで撮る」
 彼からはハンドバッグを押しつけられた。そこにはカメラが隠されている。
 店内は撮影禁止、そう知っているはずの彼が命じたのは、アイドルユニット『星華学園★めいど部!』のメンバーのひとりである、ちなみの写真をカメラに収めてくることだった。
「《ちなったん》です」
 長身痩躯がそう訂正すると、彼とは反対の腕をつかんだ小柄のメガネが鼻息で同意した。朋が表明した拒否は却下され、メガネ二人にその入口へと連行されていく。
 どうやら彼らは、ささらよりもちなみのファンらしい。そうすると、粗相した朋への贖罪とほのめかしたこととの整合性がとれなくなってくるような気がするのだが……。そう質問をした朋に、
「オムライスにはデミグラスソースですよね?」と長身痩躯のメガネは、質問の意味がわからない、とでも言いたげだった。
「デミグラスソースのかかっていないオムライスなどオムライスではありません。君がしなければならない贖罪とは、オムライスにデミグラスソースをかけることです」
 全く意味不明の回答だったが、朋はそれどころではなかった。
 先ほどから上階へと続くエレベーターのドアが開閉を繰り返していた。その理由は、床に斃れた者がドアが閉まるのを妨げているからだ。
 朋は無言のまま、メガネの二人組の方を振り返った。彼らが、階段を指さす。
 階段はエレベーターより状況が酷い。さらに多くの者らが自らの身体で階段を覆い尽くしている。
「なるほど。デミグラスソースにはオムライスか……」
 そうつぶやいた朋は、「デミグラスソースならいくらでも買ってきてやるー!」とメガネの二人組に向かって突進した。結果、彼ら渾身のガードに妨げられ、やむなく開閉を繰り返すエレベーターの前へと押し返されるのだが。
「愛のためにぃ!」
 小柄なメガネが甲高い声で叫ぶ。
 朋は倒れた者を踏まないよう、階段を慎重に昇っていった。
 めいど部に入らずとも、ふりで十分。写真などどうでもいい、時間がたてば二人にも隙が生じるだろう、その隙をみて逃げだせば良い、そういう腹づもりだった。
 そのテナントビルは3階建てで規模としてはそう大きくなく、各階に1つか2つのテナントを有しているようだ。
 問題の『星華学園★めいど部!』は、公道に面した側、階段を昇りきった正面にあった。木製の黒い扉、その扉に店名を記した看板が営業中であることを示していた。
 メガネ二人組に店内潜入を仄めかされた時点で嫌な予感はあったのだが、その扉の脇に複数の人間がうず高く積まれているのを目にし、朋は惨状の原因がめいど部にあることを悟った。
 2階に入ったテナントはめいど部のみらしく、周囲に人の動く気配はない。開かれた窓ガラスからは春の爽やかな風が町の雑踏を運んでくるのだが、めいど部周辺だけがあまりにも異質すぎて、世間から切り離された空間に迷いこんだ気すらする。
 朋はめいど部に向かわず、その階を素通りした。3階へと続く階段は無論、どこにでもある普通の階段だ。
 3階は街金と、なんの看板もでていない一室が。ただ、その部屋も決して穏やかな空気を醸しておらず、そこに入ろうとしていた怖い顔のお兄さんと目があったとき、朋は二階にと舞い戻ってきた。
 そしていま、朋はめいど部の看板を見つめたまま、途方に暮れていたときである。
「もうーどうしてエレベーター使えないのー。ムリムリー2階なんて」
 階下から声が聞こえてきた。
「………誰? 誰なの?……ってわたしか? なんでよりによって……2階になんて……作っちゃうわけ………はぁ……はぁ……」
 階段を昇ってくる人物は女性らしい。それもよほど体力のない。
 今にも昇天しそうな顔色で、朋のところにまで這うように昇りつめた彼女は、呆然と立ちすくむ朋につかまりながら身体を起こした。
「さて、今日一日の運動も終えたことだしーおやすみー」
 ぼさぼさ髪の二十代と思しき、ジャージ姿の女性は、ずるずると彼の身体をくだっていったのだが、床間際となったところで再び朋を登ってきた。
「ここはツッコミをいれてほしい、うん。さっき起きたばっかりじゃないですかい、とかいってさー。うんうん。わかるよー。『ないですかい』って自分のキャラじゃない、ひょっとして、そう言いたいんでしょー。ほら、『ないですかい』ってナイスガイとなんとなく響き、似てるって思わない? あなたはナイスガイというよりは――」
 彼女は朋のメガネをとり、ふむふむ、と終日就眠中であるかのような糸目で朋の全身を検分した挙句、「ひょっとしてー、あなた人の記憶を消去するワザーもってない?」と尋ねた。
「いえ」
「記憶を書き換えるワザーも?」
「……ええ」
「ここに倒れた人たちを一挙に平行世界に送るワザーも?」
 朋は、先ほどからメガネを取り戻そうとはしているのだが、彼女は首をかしげ考えこむ仕草で、その都度メガネを彼の手から遠ざける。
「うーん、おかしいなー。ちなったんのディアボロス占いによると、待ち人きたる、っていうことだったんだけどーネタ切れなのかなー、ここ一週間ばかり同じ内容ばっかだし。む。ひょっとしてオムライスとかーパスタとかー作れちゃうほう?」
「まあ、人並みていどでしたら」
「ほほー。ここで、ちなったんの占い当確ですかー。ディアボロス占い恐るべし、わざわざこのわたしを二階まで足を運ばせるとはー。知ってる? ここの二階って富士山級(クラス)。わたし的に。だから、作ってほしいなー。オムライスとかーパスタとかー」
「はい?」
「わたし的な自分はポジティブで前向きだと思いたいのよ。つまり、悪いことだけ当たっちゃう、ちなっちゃんの占いだけどー願わくばその悪いことがあなたにだけに降りかかってほしいの、本気と書いてマジで――って、あなたのお名前まだ聞いてなかったねー。わたし、高天原(たかまがはら)。『星華学園★めいど部!』のプロデューサーやってまーす!」
 つまり、高天原は、人気が巷に浸透しつつあるアイドルユニットの仕掛け人というわけだ。ということは、彼女はやり手ということになるのだろうが、独特の感性を有していることはともかく、少なくとも外見はそう想像させるものはなに一つなかった。
 高天原は、自分の名を明かした朋にメガネを返すと、先に立ってめいど部へ向かいかけた。が、あとに朋が続かないことに気づいたのだろう。後ろを見やった。
「この人たちって……」
「いおリッチとー、ちなったんの仕業ねー」
「――とは、つまり……?」
「うん。お察しのとおりで」
「いや、わかってないんですけど」
「この世には知らなくて良かった、そんなことも多いの」高天原が遠い過去を思い浮かべるように目を細めた――ような気が朋にはしたが、実際には彼女の糸目は開閉の判別が著しく困難だ。
「朋ちんもめいど部で働く以上ー疲れること禁止!」
「は、働く?」
「まあー、働くっていってもめいど部は常に自転車操業、支払われるべきものは当然でないけどね」
「え? え?」
「うふふ、ひょっとして奴隷とかー、もしくは犬とか呼ばれたほうがしっくりくるほう? 無論、関係各所には秘密だよ。朋ちんも未成年とはいえ、新聞の一面飾っちゃうね、高校生がアイドルユニットを脅迫し水面下で取引されていた多額の闇金着服、とかいってー。うける〜。だいじょぶだいじょぶ。そんな資金あれば自転車操業なんてしてないって。わたし的には普通のオムレツとかーパスタとかー、作ってくれるだけでいいの、謙虚でしょ? それより朋ちんファンなんでしょ。ささらちゃんのー」
「え? ささら? いや、別に僕はささらだけがいいわけじゃなくて……」
「おやおや、もうささらって呼び捨てー? あ、いいのいいの、呼んじゃってくれて。わたしたち、もう同じディステニィーの渦中にあるんだからー。となるとひょっとして、そのささらちゃんのあんなことや、そんなこと見れちゃったりするかもー」
「…………………………」
 カチャリと音がして、朋は妄想から我に返った。めいど部の扉がすぐ目の前にあり、さらに高天原の手によって開かれつつあった。
「ちょっ、ちょっと待ってください! まだ心の準備が!」
「準備ー? だいじょぶだいじょぶ。朋ちん十分女の子に見えるから」
「女の子? ってなんのことですか?」
「いろいろ疲れるの、男関係のゴシップとかが特にねー。だから朋ちんは料理の作れる僕っ娘で採用決定ーっ! ようこそ、『星華学園★めいど部!』へー」

 こうして、朋の前に『星華学園★めいど部!』の扉は開かれたのである。


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