先日「超連射68K」「guxt」という2Dシューティングゲームをプレイしたのだが、それでシューティングゲームのゲーム性を知ることで、どうしてシューティングゲームが衰退していってしまったのかについて自分なりの仮説を立てることができた。簡単に言えば、シューティングゲームとしてのお約束とされる部分が非シューターからはどうにも解せないのである。
ちなみに超連射はシューターからの評価が非常に高い伝説のゲームであるのだが、その超連射でさえお約束の部分が重く引っかかりあまり楽しむことができなかった。この記事では、なぜそれらの要素が非シューターには受け入れがたいか詳細な解説を行う。
私はほとんどSTGをプレイしない非シューターなので、シューターの方が考える理由や視点とはズレがあるかもしれないが、それも記事の特徴として見て頂きたい。

補足記事も合わせてご覧下さい。

シューティングゲームに新規が流入せず商業的に衰退していった原因としては、大別すると下記の六つではないかと思う。

・ミスに納得が行かない
超連射のプレイ中、画面内を大量の敵弾が覆いつくし、回避行動を取ったものの別の弾に引っかかって死亡……という状況が数多くあった。自分のキャパシティを超える量の弾が出てくるため、把握できる分の弾はかわすことができるものの把握しきれて無い攻撃に当たってミスする、という現象である。他にも、突然予告なしの速い自機狙いに当たったり、気合避けするしかないランダム弾に引っかかる……というのも似たようなケース。
このミスという概念自体はゲームに必須なものだが……しかし同じミスにしても、自分が把握してない範囲の攻撃に当たってミスというのはミスにあまり納得が行かず、リプレイ性が失われてしまう。シューティングは同じステージをとにかく繰り返しプレイするゲームであるため「ちくしょーもう一回!」という衝動はとても大切になるはずだが、「よけたのになんかしんないけど当たった、どうやってよけりゃいいのかもわからん」という状態では障害を乗り越えるための具体的なプロセスが見えず、再プレイ欲が落ちてしまう
信じがたい話だが、「いつの間にか死んでた」という現象が非常に多かった超連射ですら、シューティングゲームの中では比較的簡単な方らしい。昔のシューティングには「高速弾で突然プレイヤーを撃ち抜く」「厳密なパターンを組まない限り被弾必須」といった要素は当たり前になっていたようで、「どうやってクリアすりゃいいのかは死にながら考えろ」といったゲーム性が常識だったようだ。
そうではなく……もっと、どうして今ミスをしたのか……逆に言えば「どうやったらミスしないで進めるようになるのか」という道筋をはっきりプレイヤーに感じ取らせ、それを再プレイの動機とさせなければならないのではないだろうか。
ちなみに、これらをしっかりやってると感じたのが東方である。東方紅魔郷の体験版(ノーマル)の話であるが、一般的に言われる「弾幕が多すぎで初心者の心を折る」というイメージとは異なり、弾が基本的に遅いので全ての攻撃を把握しやすく、ミスしても特に理不尽には感じない。また弾幕の形にも法則性があり分かりやすい抜け道が用意されてるので、ミスしても「次は○○すれば突破できる」という事をプレイヤーが自然に理解でき、それが再プレイに繋がる。難易度ハードからは流石に一見しただけではどうやって抜けるか分からない手強い弾幕なども出てきたが、ノーマルまでに関してはゲームとして非常に適切なハードル構造が取られていると言えるだろう。
 ここで非シューターである私の嘘偽りの無い気持ちを書くが、シューターから絶賛されて特別視されてる超連射よりも、あまり良い目で見られないことも多い東方のほうがずっと面白いと感じた。萌えがどうとか避けゲーだからシューティングじゃないとか色々言われる作品であるが、そんな外面的なことばかりではなくもっと内面的な良さにも注目するべきではないだろうか。

・死んだら最初からなのにクリアが遠い
シューティングゲームは一回ゲームオーバーになったら(コンテニューしない限り)また最初からやり直し……というのがお約束になっている。「セーブして続きから」が当たり前になってるユーザーにとっては面食らうシステムかもしれないが、何回も挑戦して成長感を味わうという狙いがあるためこのシステム自体に特に問題があるわけでは無い。
だがしかし、こういった「クリアするまでで1ループ」というシステム……つまり「クリアしないと1ループが完了せず、一区切りがつかない」というシステムなのに、その一区切りまでの期間が異様に長いというのは問題ではないだろうか。
難易度の高いゲームだと初心者は一面二面で撃沈してしまうが、全六面くらいだと仮定すると一区切りまでのスパンが非常に長く、そこに辿り着くまでに多大な時間と労力を要する。とにかくプレイするのが楽しいというゲームならさほど問題にはならないかもしれないが、それ以外のケースではプレイヤーがモチベーションを維持するのが難しくなってしまう。クリアすることで1ループ完了のゲームなのだから、ファーストプレイで「頑張れば自分にもクリア(1ループ完了)できそう」と思わせることは非常に重要であるが、クリアがあまりにも遠いとこういった見通しも立たない。
昔のシューティングゲームはアーケードでインカムを稼がなければならず、そのため序盤から殺しに来ることも多かったそうだが、これはループ達成によるモチベーション向上を考えると歪なバランスである。「とりあえず三面で殺しとけ」という格言も、真意は「モチベを考えるとなるだけ奥まで進ませたいけど、インカムのためには早めに殺さないといけない。三面くらいがなんとか妥協できるラインかな?」というジレンマの末に生まれた結論なのではないだろうか。
純粋な面白さを考えるに最適なバランスは、ファーストプレイで最終ステージかその一歩手前くらいまで進ませ、「もう一回プレイすればたぶんクリアできるぞ!」という感情をプレイヤーに発生させるようなものであると思う。こう考えると、シューティングゲームにおいてイージーモードの存在と言うのは物凄く重要なんだなぁということを強く感じた。それをやらないにしろ、ステージ制にする・別の小目的を用意する……などの一区切りを達成しやすくする工夫は必要だろう。

・ミスすると更にミスしやすくなるデススパイラル
guxtをやっていて強く違和感を覚えたのが、死ぬとショットと速度が初期値に戻され自機が弱体化して更に死にやすくなるというシステム。変なシステムだなぁと思ったが、どうやらこれはシューティングゲームではよくあるシステムで、特別珍しいものというわけでもないらしい。他にも死ぬとその機が持っていたボムが全て無くなる「抱え落ち」なども似たようなシステムか。
こういった一機失うデメリットが一機失うだけに止まらず他にも波及するルールは、初心者から見ればたくさん残機があるように思わせて実際はそうでなくすぐゲームオーバーになるという理不尽感に繋がってしまう。特に一機失った後のプレイは、強化ありでも死ぬほど難易度が高いステージを無強化でプレイさせられ、成す術も無く続けて死亡するというレイプ状態に。これもまたミスに納得が行かない仕様だと言える。死んでしまうほど難しい地点ならば、むしろもっと装備を強化して行きたいと考えるのが自然であるが、それの全く逆を行くのはいかがなものか。
まぁシステムの意図は分かる。世界観的には「ミス前の機とその後の機は別物なのだから、武装を引き継げるのはおかしい」ということで、ゲーム的には「ミスのペナルティを重くし、ノーミスで進めるようになったときの快感を上げる」ということなのだろう。だがこのような上級者ばかりが甘い汁をすすり初心者が蔑ろにされるような構造が一般的な普通のシステムとしてまかり通っているようでは、ジャンルがどんどん衰退していったのも当然ではないだろうか。
また「初心者に冷たい」という部分以上に「資産の積み上げが否定される」という部分も見逃せない悪だと思う。ゲームオーバーになったら最初からとはいえ、ワンプレイの間は資産が目減りせず増え続けるという仕様ならRPGや不思議のダンジョンとも通ずるゲーム性になってそれらのファンを取り込むことも出来ただろうが、「ワンミスしたら全部パーになります」というシステムでは成長も素直に喜べず、むしろ「持ち上げといてがっかりさせる」という面白さを考えると負の仕様となる。最初に戻っただけでマイナスになったわけではないのに、なんだか物凄く損をしてるような……そんな嫌な感情をプレイヤーに持たせてしまうのだ。
死ぬと弱体化というシステムを付けるにしろ、全てを失うのではなく決められた固定値だけを失うなど資産の積み上げが無駄にならないような配慮が欲しいところ。きちんとバランスを取った正当なペナルティ的な弱体化なら、むしろゲームの魅力を大きく上げるスパイスとなるだろう。

・ファーストプレイだけでは真の面白さを感じ取れない
シューティングゲームはかなり尖ったゲーム性を持っていて、それが独自の魅力を作ってるが、しかし逆にその独自性が悪影響を及ぼしているという部分もある。よく言われる魅力の一つとして、繰り返しプレイするにつれどんどん面白くなっていく……というものがあるのだが、これは裏を返すと初回プレイでは面白さが100%伝わらないということでもある。
速攻は、敵の位置が分からない初見じゃやりようがない。イラッとする初見殺しにも引っかかる。難所が分からないから決めボムのタイミングも掴めず。
とにかく繰り返しプレイすることに大きな比重が置かれたゲームであるので、その繰り返しの無い初見ではシューティング独自の面白さを感じることがほとんどできないのである。似たような問題はアクションやレースなどの他ジャンルも抱えているが、繰り返し前提の面白さが多い上にワンプレイが長いシューティングは特に影響が大きいと言える。
このように、ちょっとプレイしただけでは面白さが分からないというタイプのゲームは普及にも障害が出るというのは分かるだろう。特に、再プレイするごとに金がかかるアーケードでは致命的な話。
 この欠点も、ゲームがやたら中毒性の高いもので一回プレイしたらなかなかゲームから抜けられずつい再プレイを繰り返してしまう……というタイプならさほど問題ではないだろうが。

・繰り返しプレイするのが面白いゲーム性なのに繰り返しプレイしたくならない
全く同じゲームを複数回プレイしようと考える動機としては様々なものが考えられるが、その中の一つに「持ち越し」というものがある。レベルや装備などの資産の持ち越し、切り返しが出来るようになったなどの技術の持ち越し、敵の出現位置を覚えて速攻できるようになったなどの記憶の持ち越し……大きく分けるとこの三つだろうか。キャラクター、または自分自身が強くなったため、それの腕試しがしたい……簡単に言うとこういったメカニズムで再プレイ欲が発生するのである。
シューティングはこの三つのうち技術と記憶の二つを持ち越すジャンルで、そう考えると再プレイ欲が高くなりやすいゲームだと考えられるが、しかし舵取りを間違えてしまうとこれらのアドバンテージが全て吹き飛んでしまうということにもなる。具体的に言えば、あんまりにも難易度が高くて初心者が早々にゲームオーバーになってしまうようなゲームは、プレイヤーに何の技術の蓄積も記憶の蓄積も与えず、再プレイ欲が欠片も沸いてこないという現象が起こってしまう。
技術的な持ち越しはありましたか?→いや、操作覚えたくらい……
知識的な持ち越しはありましたか?→いやほとんど……一面の敵配置くらい……
資産的な持ち越しはありましたか?→STGだし……何にも……

こんな状態で「もう一回コインを入れてください」などと言っても、とても聞いてはもらえないだろう。死んだらもう何も無いゲームなのだから一回一回のプレイで何かしらの成長を感じ取らせる必要があるが、あまりにもプレイ時間が短いとそれも起こらず。
 やはりイージーモードは前述した通りとても重要性が高いと感じた。単純に考えてプレイ時間が長くなれば長くなるほど技術や知識の持ち越しは多くなるので再プレイ欲も増える。インカムのことを全く考えないのならワンプレイで10分くらいは遊ばせて欲しいし、時間をそれより短くするなら短い時間でいかに持ち越しを作るかということを考えなければならないのではないだろうか。
  また資産的な持ち越しはシューティングには不要なものとして採用してこなかったのだろうが、これも何気に致命的だと思う。日本人はRPGが大好きで、RPGとはガチガチの資産持ち越しゲーである。RPGと同じタイプの面白さを提供できればウジャウジャいるRPGファンを取り込む目もあっただろうが、それには沿わず真逆の方向性へ突っ走ってしまったためにシューティングは極一部の好事家だけに受ける閉鎖的なジャンルへと変わり果ててしまった。
こんなことを言うと中には「自機がレベルアップなんてしたらシューティングのゲーム性が崩れてしまうのではないか」と懸念をする人もいるだろうが、別にシューティングのゲーム性を壊さずに資産的持ち越しを導入する手段などいくらでもある。モデルケースとして優秀なのが『不思議のダンジョン』だろうか。
あれは何もアイテムを持たずに素潜りすることが基本のゲームになっているが、アイテム収集・成長要素が存在して初心者でも装備を鍛えて持ち込めば余裕でクリアできるように作られてる。では素潜り派は楽しめないのかといえばそうではなく、ダンジョンを素潜りでクリアするときちんとそのことが記録されるなどちゃんと素潜り派にも配慮した作りになっていて、幅広いユーザーが楽しめるようになってるのだ。相反する好みを持つユーザーを「どっちかしか楽しめない」ではなく「どっちも楽しめる」とすることに成功した好例であると言えよう。
シューティングにも、これを「成長要素があるけど初期状態でクリアするとスコアが上がる」などの方法で応用することができる。他にも、「GENETOS」の進化図鑑などの情報系の収集もアリだろう。このように資産的な持ち越しにも隙の無い作りを行っていれば、リプレイ性の向上と共に更なるユーザーの拡充につながり、ここまでジャンルが衰退することもなかったのではないだろうか。

・パッと見のグラフィックで客を引きつけられない
今までは全てゲームの内容について語っていたが……しかしそれは案外どうでもいい事柄なのかもしれない。シューティングゲームが衰退してしまった最も分かりやすくて最も深刻な問題……それが他ジャンルのゲームと比べグラフィックが見劣りすることによる期待感の消失ではないだろうか。
そのゲームに興味ない客を引き込むのに、「パッと見の面白さ」というものは非常に重要である。いくら宣伝を行ってゲームの魅力をアピールしようとも、それで実際にユーザーが「面白そうだな」と感じなかった場合は何の意味も無い。
ゲーム会社はこのような「パッと見で見限られる」ことを回避するため、様々な努力を行ってる。シューティングとゲーム性がある程度似ているアクションで例を出すが、例えば『デビルメイクライ』は華麗に敵の攻撃を回避し連続攻撃を叩き込んでかっこよく倒すという爽快感抜群のゲームで、見てるだけで面白さが伝わる。『ゴッドオブウォー』は画面からはみ出るレベルの巨大な敵がダイナミックに動いて襲い掛かってくるという迫力満点のゲームで、これもまた見てるだけで面白さが十分伝わってくる。
ハードがPS・64に進化してからゲームはどんどん3Dへと進化していき、3Dが当たり前になってからはその中で他社と差別化を図るためグラフィックは更に完成度を増していった。現在はその極地といった感じの作品がワラワラと作成され、各社がパッと見で作品を選ぶ客の奪い合いに鎬を削ってるという戦争状態だ。
 ……だがしかし、その戦争においてシューティングゲームのグラフィックはあまりにも非力すぎではないだろうか。2Dはスーファミ的な画面で、ノスタルジーこそ感じるが「スゲェ大作が来た!」というワクワク感は感じない。3Dでも本気でグラフィックを作りこんでるようなものは見たことがなく、とりあえず3Dモデルを置いてあるだけというものが多い。ゲーム性に関してもなんだかマイナーチェンジの繰り返しで、本体性能向上の恩恵をフルに受けられるような劇的な進化はなし。「PS3や箱○の最新シューティング」と聞けば、3Dで描画された立体の画面内を自在に飛び回り、映画のような迫力満点の演出と共に立体で描かれた基地や洞窟に侵入していく……きっとそんなゲームを思い浮かべる者が大半だろうが、現実に存在するのは演出だけ3Dな擬似立体の2Dシューティングばっか。スターフォックスやREZのような奥シューの登場で一時は進化しかけたシューティングであったが、ハードが次世代に移ったいまその流れの進化が続かなかったのは残念だ。シューティングはアクションとゲーム性が似ているが故、どうしても現代のアクションの超絶グラと比較されてしまうため、パッと見の面白さでゲームを選んでる客がシューティングを選ぶことはまずありえない。
メーカーも一応外見がマズいことは理解してるようで対策を講じている面もあるのだが、しかしそれは自機を女の子にしてパッケージを萌え萌えにするというピントのズレたもの。まぁやらないよりはマシなのかもしれないが、他ジャンルのゲームに対してパッと見で面白そうかという話になってくるとこれはもう比べ物にならないだろう。
シューティングのグラフィックが全然進化しなかった構造としては、おそらく

格ゲーの登場によりシューティングが下火に、インカムが稼げなくなる

売れないから開発費をかけられなくなり、グラフィックが妥協される

グラで目立たないので新規が食いつかなくなり、更に売れなくなる

売れないので更に開発費が削られ、どんどんゲームのスケールが他ジャンルと開いていく


 こんな感じなんじゃないかと思う。「カネが無い」というもうどうしようもない問題が横たわっていたことは分かるのだが、とにかくグラフィックの悪さによる新規参入の妨げがシューティング衰退の大きな理由の一つであるというのは紛れも無い事実であろう。現実的な話、適当にゲームを選んで買ってる客にとってパッと見のグラが悪いゲームは購入候補にすらならない。

*その他、細々としたこと*
衰退の大きな理由では無いものの、システムで気になった部分はまだある。
 まずスコアであるが、「自分がうまくなるほど高得点」という原則から外れて、スコア稼ぎのためだけの謎プレイをしなければ高得点が取れないというのは非シューターから見ればかなり受け入れがたい。ボム補充のためにわざと死んだり、撃ちこみ点を稼ぐためわざと弱い攻撃を当て続けたり……。正直言ってペナルティを課せられてもおかしくないヘボプレイだと思うのだが、なぜかこういった非合理的なプレイをしないと「上級者」になれないというのは疑問。上級者のプレイを見ても素直に「スゴい!」と思えず、上手くなることへの憧れが持ち辛くなってるというのは問題ではないだろうか。
スコアを稼ぐ意味や目的が不明瞭なのも考え直してほしいところ。「高得点を取りたいって気持ちだけで十分だろ!」と反論する者もいるかもしれないが、基準がよく分からないため自分の取ったスコアが「高得点」なのかどうか判断が付かないというのはモチベーションを阻害する要因となっている。たぶんエクステンド(残機増加)がモチベーション担当なんだろうが、ただ一機増えただけじゃありがたみがよく分からないし、なぜスコアで残機が増えるのか世界観的な意味で疑問が残る(数字を実体化させず、数字のままゲーム化してしまってる)。高スコアの報酬は裏エンドが見れるなどの興味を大きく引くものとするか、エクステンドに拘るならゲージなどを設け「あとどれくらいでエクステンドするか、今どれくらいエクステンドに近付いたか」という部分をしっかりプレイヤーに伝えるべきではないだろうか。
また、プレイ前に残機数やボム数調整ができるのも意味が分からない。増やしたところでなんらペナルティも無いし、減らしていいことも無し。初めは難易度選択の代わりかとも思ったが、難易度選択ができるゲームにもあったりする。ノーリスクでいじれる理由が分からないのでなんだか不安になるし、私は基本的に初期設定のままでプレイしていた。もしかしたらスコアなどに関わってくるのだろうか……。


*実体験*
 私が学生(PS2時代)の頃、ゲームショップでグラディウスVのパッケージを手にとって眺めたことがあるのだが、その時の印象は「これPS2? 移植じゃないの? いまさらこんなゲームやる人なんているのかな」というかなり失礼なものだった。その後、インターネット時代になったあとグラディウスVの評判を聞いて「これ凄いゲームだったんだ」と認識を改めたが、逆に言えばそういった評判を聞かぬままだったらずっと初期の悪い第一印象を引きずりっぱなしだっただろう。
 また最近コメント欄で薦められた「shooting game(仮)」をプレイしだして今は熱中しているが、これも最初の数プレイはなんだか面白さがよく分からず、「まだ時間に余裕があるからもうちょっと続けてみるか」みたいな消極的な理由でプレイしていた。恐ろしい想像だが、もしこれがワンプレイごとに金がかかるアーケードゲームだったらこの素晴らしいゲームをたった数プレイしただけで見限っていたのではないかと思う。(重ねて言うが、今はその優れたゲームバランスに気付いて熱中してプレイしている)
 そんな神ゲーを数プレイで止めてしまうとか、シューティングの面白さを知っているシューターの方には考えられない事だろうが、シューティングゲームに(まだ)思い入れがないユーザーの思考とはだいたいそんなものではないだろうか。悲しい事であるが、きちんとプレイさえすればシューティングにハマる素質を持っていた者でさえ「ちょっとプレイして面白いとは思わなかったからやめた」というケースが存在すると思われる。


*終わりに*
 上記の問題はシューティングの一般的なシステムについて語ったもので、ソフト個別に見ると問題点を克服していたタイトルもあるのかもしれない。だがやはり例外タイトルが一つ二つあったとしても、それだけでは全体的な衰退を止めるには至らなかった。
 予想であるが、シューティングゲームからユーザーが離れていくプロセスは下記のような流れなのだろう。

・何らかの切っ掛けでゲームの事を知る。しかし八割ほどのユーザーは外見に魅力を感じられず興味を失う

・わずかなユーザーがゲーム性などに興味を持ちプレイを始める

・数プレイするが全てすぐ撃沈。今のところ何が面白いのか分からない。気の早いユーザーはここで自分には関係のないものだと結論付ける

・結論を急がないユーザーがプレイを続ける。少しずつ進めるようにはなってるが、クリアまではまだかなり遠い

・自分にはクリアできそうにないか、あるいはクリアできたとしても物凄い時間がかかりそうと判断したユーザーがプレイを止めて行く

・ごく一部の技術に長けた者、クリアへの自信に満ち溢れた者、気の長い者だけが残る。逆に言えばそれ以外のユーザーはいなくなる

・マニアしか残らなくなったため、仕方なくマニア向けのシューティングばかり作られるようになる。また最初に戻る

  こうしてユーザーはシューティングではない別のゲームに夢中になり、新規層でわざわざシューティングをプレイしてみようと考えるユーザーはほとんどいなくなってしまったのだろう。いてもすぐ止めてしまった。
  現在ではそのことに関する反省からか、イージーモードを搭載した低難度シューやステージクリア型で1ループが短いアクションゲー的なシューティングなどが発売されるようになった。しかし商業作の売り上げは減る一方で、なかなか復興の兆しが見えない。
 対照的に活気が溢れているのが同人シューティング界で、東方を中心に様々な作品が発表されている。利益を度外視して自分のやりたいことをやる同人業界に、商業作の衰退は全く無関係な事なのだろう。
 では、利益を上げることが求められる商業シューはもうダメなのか……という話になるが、まだダメと決まったわけではなくいくらでもやりようはあると思う。シューティングとアクションのゲーム性はほとんど同じなわけで、アクションゲームであるかのように装って売ってもいいだろうし、『Flowery』のような芸術作品路線でもいいだろう。
 アクションパズルというシューティング以上に衰退してしまったジャンルが突然20万本も売れた例が近年であることだし、その例にシューティングが加われない理由はどこにも無い。復興は容易ではないだろうが、弛まぬ努力を続ければ必ず成し遂げられるものだと信じている。

補足記事も書いたため、そちらも合わせてご覧下さい


過疎地の伝統芸能の再生を願って: 現代民俗芸能論
星野紘
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