2009年。
始まって約六ヶ月。
私の人生において、常にゆさぶってくれていた人物達が、この世から、去った。
ある人物からは、
表現と戦争をやらかしながら生きる人間という存在の観点を、
またある人物からは、
文字だけで命を生かして行動させる奇跡を。
ずっと長い間、
彼が報道し続ける中、私は自分の中で絶対にスルーできない、
アウシュビッツ、原爆、特攻、歴史の暗部を必死で作品にしてきた。
そして今月、
生まれて10年足らずから読み続けていた小説の作者がこの世から旅立った。
・・・その文字が生み出した空気を覚えている。
・・・その文字が生み出した湯気と味覚を覚えている。
・・・文字が産み出した温度と憎悪を覚えている。
・・・文字が産み出した、人物の葛藤と苦しみを、喜びを覚えている。
すべてがこんなに生なましいのに、
その世界をこの世に産み出した人物は、
その壮大な世界とそこに生きる人物の感情と共に、この世から去ってしまった。
たった一人の人間のたぐいまれなる脳から産まれた数百人以上の人間の悲哀は、
今なお、実感を持ってそこに存在する。
人間が30年の時をかけ描いてきた世界。
この世から消えるその瞬間、
彼女がみたのは現実の世界だったのか、
それとも、
壮大な叙事詩だったのか。
命が消えるその瞬間、
彼女の脳は何を見、何を感じたのだろう。
宇宙にも匹敵する世界を携え、彼女は旅にでた。
もう誰も、彼女が描いたもう一つの世界の続きを、感じる事はできない。
それでも。
私の人生の半分に彼女が創りだしてくれた世界があり、その世界に生きるリアルな人々は、
リアルに私の生きるスタンスを救う。
どれだけ凄まじい力を秘めた生命も、
滅びる。
この現実は、
私に闘志を与え、
呼吸の安定を与え、
そして滅びるまで伝え続ける確信をくれた。
「命は、こうやって使うもんだ」
生き抜いた、彼等の声が、聴こえる。
限りある命の期限の中で伝えきった、
彼等の命が聴こえる。
どれだけの何かをもっていようといまいと、
時は、平等に、進行する。
遠くない現実。
死を実感できる時が来る。
願わくば、
だれかがそばにいて、
無限の風が吹き荒れるような、死に向かいたい。



