誰もがそうかもしれませんが、自分ができないことを人がサクサクやっている姿をみると、すごいな、かっこいいなと思います。

例えば、引越し屋さんが重たい家具を辛い顔せずに運ぶ姿をみますと、ほれぼれします。

お米や農作物をつくっている方をみると、本当にありがとうございますと思います。

また、自分の食べる分のお米や野菜などをつくっている人もかっこいいなと思います。

身近なところで言えば、会計データの入力が速い職員(私はたぶん5分の1ぐらいのスピードではないかな)、家では家事をする嫁さん。

貨幣経済の発達で、貯蓄(富と格差も)ができるようになり、それに伴い分業が進んだと思います。

縄文時代の日常がどうだったかは分かりませんが、狩りにも行く、漁にも出る、子育てもする、土器も作る、自分の服も作ると、自分でいろいろなことをしなければいけなかったと想像します。

現代に生きる私は、仕事でお金を得て、米を買い、服を買い、自分のできることに専念させていただいております。

当たり前の日常ですが、とてもありがたいことです。家に電気が届かないと、御飯も炊けないし、洗濯もたいへんです。電力会社の方にも、電気製品にもたいへん助けてもらっております。

ただ、人間として生きていく上で、なるべく自分ができる範囲を広げることができたら、もっと自分に自信が持てるだろうと思います。

時代の変化なのか男が情けなくなったのかは分かりませんが、昔の日本の男は、今よりも凛として、強く、奥さんから尊敬される存在だったのではないかと思います。単に仕事ができるだけでなく、人間としても大人と言いますか。

昔は、今ほど便利でもないし、快適でもなかったので、自分ができない、あるいは他人に任せていることの自覚があり、他人に対する感謝の気持ちも大きかったのかもしれません。

私の場合、それほど尊敬される存在ではないので、家でどっしりと構えて家事を手伝わないとエライことになります。

これから日本の男どもは、奥さんから尊敬されないと、年を取ってエライことになりますよ。自分でできることは、ちゃんとやった方がいい。

そうした方が、いろいろなことに感謝できそうな気がします。

老人ホームもお金がないと入れませんし、自分のことをしてくれる人に感謝の気持ちが持てない人は、可愛がられないし、たぶん、最後の最期に幸せを感じることができないような気がします。

もちろん、仕事は仕事でプロを目指さないといけませんが、それだけではね。

やれること、できることを増やして、生きると言うことにもっと自信を持ちたい思うこの頃です。