「一人っ子を育てるのは難しい」とよく言われますが、そう思う時もあれば、一人っ子だろうが二人だろうが、三人だろうが、子育ては難しいことにはかわりがないと思う時と色々です。

私は三人の子どもの父親ですが、最初の子どもの子育ては手探りから始まりました。二人目、三人目が授かると、目の前のことでバタバタし、深く考える余裕もなかったように思います。

私は二人の姉がいる末っ子の長男ですので、姉二人からしますと特別に可愛がられたように見えていたかもしれません。

代々続く酒屋(もともとは味噌、たまりの醸造)の家に生まれましたので、待望の跡取りとして育てられたと言う認識は幼い頃からありました。

盆や正月、法事、親戚の集まりの場などでは、幼いながらも長男、跡取りとして振る舞い、挨拶などをしなければというプレッシャーはあったように思います。

そのような感覚は、私にとって自然ですが、私の嫁さんはサラリーマンの家庭で育っているので、私とはその辺りの感覚が全く異なります。

私の家を守る、出口家を守る、と言う感覚が、型ぐるしい、古臭い、人生を楽しむ上でナンセンスだと思っているかもしれません。

深刻に考えてはいませんが、父と母の喪主を務めた私としますと、自分や嫁さんに何かあった時、長男は日本に居るだろうか?喪主は務まるのだろうか?と、来月からアメリカの大学に留学する長男が、この先出口家とどのような関係を持つのかを思ったりしました。

私は、三人の子どもは平等に育てつつ、自分の育った環境もあり、出口家の中での長男、長女、次男のそれぞれの在り方、役割を考えて、子育てをしているように思います。

役割の自覚を付け焼刃で伝えることは難しいと思うので。

私が居なくなった時のリーダーは、たとえ海外に居ても長男に務めて欲しいと考えていますし、長女も次男も、長男のことをそのようにみていると思います。

幸いなことに、長男は私と同じ仕事をすることはなさそうなので、家業を継ぐ継がないのプレッシャーはないと思います。

アメリカの大学に行っても、長い夏休みに日本に帰ってくるとは思います。少し前のブログでも書きましたが、アメリカに旅立つ前に何を伝えなければいけないのかをますます考えるこの頃です。