今回は、日本における生命保険の歴史について触れたいと思います。
 
 日本の状況をみると、江戸時代末期、林則徐の遺志を受けた『海国図志』が1854年に和訳され、その中で「命担保」という言葉で生命保険が初めて紹介されました。続いて1867年、福沢諭吉が『西洋旅案内』を出版し、「人の生涯請負」という言葉で生命保険について書いています。時代は明治になり、福沢門下生が大英帝国の死亡表を借用して、明治生命保険株式会社を創業したのは1881年のことでした。日本銀行の開業は1882年のことですから、それよりも早かったのです。
 1889年には日本人の死亡表が公表され、1900年には保険業法が公布・施行されて、農商務省(のちの商工省)商工局に保険課が新設、監督行政が始まっています。1939年に保険業法が全面改正され(戦争遂行のため金融機関を一元管理することが目的。いわゆる1940年116体制の成立)、1941年に監督官庁が商工省から大蔵省に移りました。

 第二次世界大戦における日本の敗戦は、日本の生命保険業界を存亡のふちに立たせることになりました。在外資産の喪失やインフレによる信用の失墜(保険金は実質的に減価して二束三文の価値に)などにより、生命保険会社は新旧勘定を分離して、第二会社を発足させて、ゼロから再出発せざるをえませんでした。

 戦前はほとんどの生命保険会社が株式会社であったのに、このとき、ほとんどの会社が逆に相互会社に鞍替えしました。販売の主力は、これまでの代理店から女性セールスとなりました。生命保険業界が戦前のレベル(保有契約高の対GDP比)を凌駕したのは東京オリンピックの翌年1965年のことでしたから、戦後の復興には約20年を要したことになります。
 
 その後、日本は高度成長の波に乗り、それに伴って生命保険業界も躍進を遂げ、1980年代には外貨投資を積極的に行い、「ザ・セイホ」と呼ばれるようになりました。
 1989年の世界の保険料ランキングでは、首位・日本生命、第2位に第一生命、第4位に住友生命、第7位に明治生命が入っていますから(トップ10の内一国で4社を占める)、アメリカと並ぶ世界一の生命保険大国になったことが読み取れます。

 1995年になると保険業法が全面改正され、統制法から自由化法へと変貌を遂げました。しかし、バブル崩壊後、生命保険会社の破綻が相次ぎ、2005年に発覚した保険金不払問題では保険会社10社が金融庁から業務改善命令を受けるという未曽有の事態も生じました。
 
 国際化の遅れにより、日本の生命保険会社の国際的地位も大きく低下しました。2013年の世界の保険料ランキング(トップ10)ではかんぽ生命が3位に入っているのみです。最近になって、大手生命保険会社各社が国際的なM&Aに積極的に取り組んでおり、国際化の動きが顕著になってきています。

 (詳しくは 岩波新書「生命保険とのつき合い方」)