岡山県俳人協会会報「烏城」75号

  岡山県俳人協会会報「烏城」75号(H30 年6月)

合同句集第14号より講評・(左居正恵・高木幸子・松尾佳子・工藤)

「100年後を見据える若き俳人とサポーター」工藤泰子

注ぐときの紅茶金色小鳥来る 黒岩徳将

 俳句甲子園OBの黒岩氏が、俳人協会総会に登場し、俳句の未來へ明るい光を投げかけてくれたのは二年前、烏城71号に、「岡山での若手俳人の活動について」の記事がある。俳句甲子園の今、師匠の夏井いつきの「100年俳句計画」などが紹介されている。活動の拠点は「もも句会」で、吟行や講師を招いた勉強会など活発な様子だ。その熱気、是非とも共有したい。

 掲句、紅茶を金色と感じる作者は、スエーデン留学時代の太陽の色に繋がっていると思った。さて、ポットで膨らんだ茶葉は香りのピークである。注ぐときの眩しい一筋の光の線は、喜びの予感のようだ。金色は幸せのメッセージ、小鳥が来たことも、うれしい!

 

人間は絶滅危惧種原爆忌  畑 毅

 畑氏は、俳句甲子園の審査員で、黒岩氏の「もも句会」の後押しをされている。烏城72号の文「伝えられるもの伝えるもの」65号の「俳句は恐竜かー接点としてのIT」を再読した。

掲句には強烈なメッセージがある。地球環境から、人間の業までが内包されている。様々な生命体が絶滅危惧種に指定されているが、破壊兵器を持つ人間も同様に危うい存在なのだ。

 たまたま、現代俳句の書展で見た、畑氏の次の俳句が頭を離れない。

  小春日の詩編のやうな駅に立ち 畑 毅

 聖書でなくても、人は言葉を持っている。編み出された詩を持っている。「詩編のやうな駅」そのプラットホームに現代人は立っている。言葉には力、俳句には心がある。前を向く勇気をもらった。

           


MMKの俳句感想(2018・6)

MMK俳句感想 

紫陽花の美しい季節です。私達の「木偶」は七年目を迎えます。七色に変わりつつ、これからも発展できればと願っています。

智行さん

高層ホテルその一室に寝冷えせり

高層ホテルは別世界です。旅慣れた人はどうか知りませんが、私のような田舎の開けっ放しの家に住んでいる者にとっては、高層ホテル宿泊は特別な感覚です。エレベーターで上って、長い廊下を自分の部屋まで行くことに、閉塞感があります。ホテルの部屋の仕様にも依りますが、部屋に入るとほっとすると同時に、日常とは違う世界がホテルの一室にはあります。この句はそうした感覚を読んだのでしょうか。あるいは、一人寝のクーラーが効き過ぎたのでしょうか。

蝉落ちていのちの果てを世にさらす
そうなんです。生き物の宿命です。私も最近切実にそう思います。最期はドライ・アイスのように消えることができるといいのですが・・・
神介さん
薔薇園の中で誰にも会はざりき

薔薇園に自ずと風の通り道

薔薇を見て青空を見てまた薔薇を

連作句で一連の詩です。薔薇園に来るものは誰もいない。ただ風だけが通りすぎていく。私は薔薇を見、空を見上げ、再び薔薇を見てつくづく一人であることを感じている。と

八重子さん

化粧して早乙女となる卒寿かな

このお婆ちゃん、お元気ですね。実際に田植えをしたのでしょうか。それとも豊作を祈ってのお田植祭の奉納行事に参加している姿でしょうか。いずれにしてもお化粧は若さを保つ一つの方法です。私達も目標にします。

胸の骨折れ飲むビールの美味なるや

「あなた、骨折しているのに、それでもビール飲んでいいの、美味しいの?」と奥さんの呆れかえった言葉です。ちょっとくらいでは好きなものは止められないのですよ。深刻な状態なら忠告するまでもなく、本人が飲むのを止めますよ。

泰子さん

ほうたるの光此の世の光なる
ほたるの明明滅滅の光は、神秘的で此の世のものとは思えないものです。が、考えてみると、発光は配偶者を捜すためだと言われますから、まさに生の営み、此の世の光なのです。

親よりも口を大きく燕の子

親燕は餌を口から零さないよう子燕の喉の奥まで入れますから、子燕は大きく口を開けて待っています。子燕も生きるために必死なのです。「口を大きく」に生命力を感じます。余談ですが、昨年は鸛が「間引き」をしたというニュースがありました。燕が「間引き」をしたと言う報告はありませんね。どの子も元気に育って欲しいと願います。

千秋さん

かたつむり賽銭箱へ目玉出す

剽軽でおかしくて、よく見つけましたねえ。蝸牛と賽銭箱の取り合わせは、たまたまこういう場面に出会ったのでしょうが、この蝸牛、何に驚いたのか、何を狙っているのかと、人間的な発想で考えてしまいます。

龍神を鎮めし民話青もみぢ

龍神伝説は各地にあります。古来、日本人は自然崇拝でした。水あるところに水の神、沼には沼の主、池には池の主が居ると考えてきた、それが龍神信仰だといわれています。水は人々に恵みを与えますが時には暴れて人々に災いをもたらします。さて、この句は、かつては龍神が暴れ鎮められた(治水がなされた)この土地は今、災いがなく青紅葉に覆われていると言うことを詠んでいます。

眞知子さん

万緑の静寂を破る鏑の矢

鏑矢は、矢の先に鏑という鉄を付けた矢で、射ると音が出ます。万緑の中、緊張感を破って鏑矢が放たれたのですね。さて、この鏑矢、戦国時代には合戦の合図に射たのですが、現代は儀式でしか射ません。流鏑馬には射られるそうですが、この句では万緑の中で射られています。何処かの儀式でしょうか。眞知子さん教えてくださいね。

終活の宣言後に水着買ふ

就活とは、人生の最期を見据えて、遺言を書いたり、葬儀やお墓のことを決めたり、残りの人生をどう生きるか考えたりすることです。こうしたことは今更言わなくても以前から、人は歳をとると考えて来たことです。例えば、生前から自分のお墓を準備して戒名まで刻んでおく。その場合の墓の文字は朱に塗ってあります。ところが近年、「終活」と言う言葉が人々の口に多くのぼるようになり、「エンディング・ノート」なるものが出てきました。高齢化社会が進み人生の最期をどのようにするか決めておく必要がさらに強くなったのです。

さて、この句では、終活宣言して、これからの人生で最も打ち込みたいことは水泳だと、新しい水着を買ったのです。「私はやるわよ」と前向きでいいですね。

加代さん

緑たつ忍び返しを退り見る

大きな屋敷では高い塀を巡らし、さらに塀の上に尖ったものを設けて泥棒除けにしています。忍び返しの上には大樹が茂っています。なんて大きな屋敷なんでしょう。思わず退り見てしまいます。驚いている作者の姿が見える句です。

麦秋や朝日まぶしき干拓地

朝の日に黄金色に輝く麦の秋の情景です。どこまでも広がる麦畑。風が渡る度にまぶしく輝きます。感動的な情景ですね。

順子さん

老鴬や使徒行伝を回しよむ

教会での行事を私は知りませんが、「使徒行伝」を輪読しているのでしょうか。誰か一人が音読している時には、他の人は「使徒行伝」を目で追いながら静に耳を傾ける。その静けさの中に老鴬の澄んだ声が聞こえてきたのですね。

十薬や素直なること美しき

十薬の白い十字の花のすっきり感。そこには雑な感じがありません。十薬は、例えばかすみ草が枝分かれして花があっち向きこっち向きしいるような、そんな咲きかたをしません。上向きできっぱりした咲き方です。その咲き方が「素直なること美しき」という考えとよく合っていると思います。

観念的な俳句を嫌う人がいますが、季語と上手く合うと、説得力のある句になると思います。

瞳子さん

地に零れ池に零れてえごの花

えごの花は小さな白い花ですが、下向きにびっしりと咲き、散ると木の下に敷き詰めたようになります。その様を呼んだ句です。

余談ですが、以前、えごの木が幼稚園の敷地に植えられていたのですが、伐られました。えごの実にはサポニンという毒が含まれているので子供が食べるといけないという理由でした。一方、危険を子供に教えるのも教育だという意見もあって、新聞記事になりました。

日照雨浜昼顔を打ちにけり

今まで明るい日差しの中に咲いていた浜昼顔の柔らかな花片を打って日照雨が通り過ぎてゆく。そんな砂浜の景色が目に浮かびます。心惹かれる句です。
  
 私の心の中は目に付くことは沢山ある。感動することは沢山ある。考えることは沢山ある。言葉は沢山ある。だから、俳句は作れる。だのに私は・・・。では、ごきげんよう。

 

 


Akiakiの「MMKの俳句鑑賞2018・6」

  

皆様お変わりございませんか。最近俳句仲間ができて、あちこちへ吟行に行っています。と言っても、先日は、吟行と称して温泉卵を作ったり、美味しいお蕎麦をと、食べることが、メインになりました。というわけですが、「きょうようがある」(教養・今日用をもっとうに、元気で楽しく毎日を送っています。今回もまた頭をフル回転しないと鑑賞できない私になっています。回転しても出てこない、回路が繋がらないと苦労しています。失礼は悪しからずお許しを。

岩城眉女

六月を迎え明るい傘を買う

 雨の季節でうっとうしくなる時期に、少しでも明るい気持ちでいたいなという思いが本当に良く伝わってきました。

六地蔵のつむじを叩く青時雨

 お地蔵様の頭につむじがあるんですね。私はまだまだ観察が足りないと思いました。それにしても、頭をなでるのではなく「叩く」んですね。面白いと思いました。それが何となく季語と重ね合っているような気がしました。

改築の檜の香夏燕

 新しい純和風の檜の家なのでしょう。そこに幸運を運ぶという燕が、巣を作ろうとしているのでしょうか。爽やかな季節に幸せを感じている人の様子が伺えました。

朝焼けを広げ早苗田目覚めゆく

 目覚めるのは自分でしょう。こんなお目覚め素敵です。広々とした青田の朝の広がりを感じました。

松村公美子

夕薄暑六波羅密寺清盛像

 すべて漢字での俳句。苦心の跡が。しかも六を入れるわけですからより大変。六波羅蜜寺で有名なのは、空也上人像ですが、平清盛坐像も貴重なものですよね。傲慢な清盛らしくない像なので夕薄暑の季語を持ってきたのでしょうか。

行員らネクタイ外すクールビズ

 最近はクールビズも浸透してきましたが、政治家から、一般庶民まで。特に固い職業の行員まで。それにしてもラフなのは良い。日本も亜熱帯化していますもの。

初物の蚕豆の色離乳食

 私はこういう句が好きです。初物の蚕豆の薄い爽やかな緑色と、離乳食とびったりだと思います。お母さんの限りない愛情を感じました。

土佐人の土産自慢の(なまり)(ぶし)

 郷土を誇りに思う作者が見えました。土佐の名産「生節」本当においしいのでしょうね。土佐人に郷土を誇る気持ちが出ているように思いました。

新居三和

山門は六道の辻蝉の穴

 六道の辻は、この世とあの世の境の辻でしょうか。山門に命の生まれた後の蝉の穴が空いているのを見逃さず作者の観察眼を感じます。蝉の穴は、冥界への入口なのでしょうか。死の世界から生の世界さらには、空っぽという作者の視点に深い思いを感じました。

芒種なり生きることとは作ること

 芒種は、それまでの初夏らしさから、梅雨入りする頃のことですね。今年は、6月6日だったとか。「芒」は、稲や麦などのイネ科の植物の先端にある、棘のような突起がある部分のことを言うことから、芒種は稲や麦などの種蒔きに適した時期、という意味があると言われています。そこから作物を作ることになったのでしょう。とにかく奥の深い句ですね。泰子さんが適切に鑑賞してくださっていますのでお任せ。

葉の影の戦ぎに怯え青蜥蜴

戦ぎは何と読むのかと、調べてみると北川和彦さんが、―――「戦」という字は「たたかい」「たたかう」という意味のほか、「風が吹いたりして、木の葉がそよそよと音を立てる」という意味の「そよぐ」という意味があり、「そよぐ」と読みます。また、「戦く」(おののく)とも読みます。「戦」には、「ふるえる」「振動する」の意味の、「顫」のあて字として使われたそうで、難しい字を簡単に同じ発音の漢字に書き換えることがあったからです。「顫動」(細かく動く)「顫筆」(手をふるわせて描くこと)など。ちなみに「そよかぜ」は「戦」の字を使わず「微風」と書きますが、「風が木の葉を戦がす」とも書きます。―――

勉強になりました。さらに「青蜥蜴」が来るので、戦ぎが生きているのかなと。蜥蜴の揺れと葉の揺れを重複させ、若いゆえに怯える青蜥蜴が目の前に浮かびます。

     

鑑賞するのは、知識のない私には、本当に大変です。これから梅雨本番です。家に籠って頭を鍛えなさいということでしょうか。皆様お身体に気を付けてご自愛ください。私の場合は、寝籠り過ぎて頭に黴の生えないよう気を付けます。

                                    Akiaki

 


吉備野 平成30年5月号(通巻287号)

吉備野 平成30年5月号

 赤木ふみを 主宰の俳句誌「吉備野」を紹介します。

隔月発刊 創刊は昭和459月  発行所 岡山市北区東花尻

   師系吉田冬葉ー高原一馬ー太田蘆青  

大須賀乙字の俳論を基本とし、生きている今の実感、季節感を大切に有季定型を守り楽しく集える会、地方発信を目指す。

 先師の一句

 わが影に刻をはかるやみちをしへ  高原一馬

 紫陽花や正午にかかる影の色 太田蘆青

 主宰の句「落椿」より  赤木ふみを

せせらぎの音を彩る落椿 

ふらここのひと漕ぎ過去へもどりけり  

落椿疎水の闇を灯しけり

 「八重桜」  大森哲也

春暁や影重ねたる四つ手小屋

懐旧の情呼ぶ北の桜守

 「甘茶寺」 浮田雁人

三春の裏大山をたづねけり

雨傘の込み合うてゐる甘茶寺

「桃源郷」より

風に日に背山けぶらす松の花    佐藤宗生

燕来る三江線よさやうなら     曽根薫風

大名庭園一枚岩のかぎろへり    難波政子

自転車の漢語はなやか吉備路春    横田多禾

駒返る草生き甲斐は歩くこと    武田佐自子

外人も交じる花見の屋台かな   土井視砂子

朽木佛転ぶ小径や牡丹の芽   正垣セツ子

「黄薔の栞」より

卒業の祝宴に聞く人生論  井上和子

合戦の海はおぼろや潮境  左居正恵

今は昔絵踏こばみし民の島 竹本孝

春霞除幕は天地一緒くた  山本一穂

 「桃源郷」の秀句展望  土井視砂子選

八十路とは男のさかり松の花   佐藤宗生

  松は常緑樹で長命、花言葉は「不老長寿」だという。八十路はまだまだ男ざかりなのだ。後期高齢者と呼ばれる人達、これほど励まされる句が、ほかにあるだろうか。

「黄薇の栞」の秀句展望 大森哲也選 

しだれ咲く花や台目のにじり口  山本実子

「台目」茶室の畳で、畳の四分の三の大きさのもの。侘の象徴である茶室のにじり口と華やかな枝垂れ桜が対比されており、静かな春の光景が見事に捉えられました。

岡山歳時記(155)  寺元翠

 人形供養(於・円城寺)

昔から「人形には魂が宿る」と言われています。・・岡山県の吉備中央町にある天台宗のお寺・円城寺で「人形供養」が行われると聞き訪ねました。寺の拝殿には町内外から寄せられた沢山の雛人形のほか五月人形、市松人形、フランス人形、羽子板、縫いぐるみなど数百体が並んでいました。住職がこれらの人形の前で読経し、境内に設けた護摩壇へ移り、檀家の人が手渡す人形の頭を一体ずつ撫で、お炊上げに移りました。・・・・

雛供養まなざす先の主かな  翠

         

 

 

いきもの係り

いろいろな生きものに出会います。蛇・百足・蚯蚓・蛍・毛虫・蝶々・蛾・・なんと我が家に亀が来ていました。そのうち鶴も来るかしら?
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H30年6月のお題「六」の俳句あれこれ

       

谷口智行

ビール六本煙草一箱医師すこやか

六十六部(むそろくぶ)辿りし道を水着の子

池端順子

露地多き六波羅辺り梅雨兆す

鉛筆の六角形に短き夜

山田紳介

六組のマドンナ眩し衣更

三百六十度麦秋の中にゐる

岩城眉女

六月を迎え明るい傘を買う

六地蔵のつむじを叩く青時雨

野中千秋

六文銭ちちに持たせる夏座敷

六十歳よりの生き方栗の花

佐藤八重子

六月の鎮守の森にかくれんぼ

習事始む六歳六月に

松村公美子

六月の雨に煙れる石燈籠

夕薄暑六波羅密寺清盛像

安藤加代

六三三制の日本田水沸く

六月の空鶴唳を吸ひ込んで

新居三和

山門は六道の辻蝉の穴

六月のベニスの夜の仮面売り

髙下眞知子

栃大樹緑陰の守る六地蔵

六曜を気にせぬ夏の披露宴

工藤泰子

姫なれば六条院の夏館

六甲の水の醸せし冷酒酌む

堀瞳子

白き花ふえて六月来たりけり

卯月野の風を見てをり六地蔵

      

谷口智行の句(H30年6月)

高層ホテルその一室に寝冷えせり

夜の代田血糊で固めたるごとし

青嵐に鶏舎小舟のごとく揺る

オーシャンアローよりオーシャン見えぬ帰省かな

蟬落ちていのちの果を世にさらす


佐藤八重子の句(H30年6月)

明易し線香匂ふ隣家から

化粧して早乙女となる卒寿かな

萍の掛け算の事増えにけり

胸の骨折れ飲むビールの美味なるや

参道は坂道多く鰻焼く

山田紳介の句(H30年6月)

六月に予定の多し母の手帳

佳きことも悲しきことも六月に

薔薇園に自ずと風の通り道

薔薇園の中で誰にも会はざりき

バラを見て青空を見てまたバラを

堀瞳子の句(H30年6月)

地に零れ水に零れてえごの花

いにしへに佳き言葉あり結葉も

翠蔭や石の地蔵の遠眼差し

黒々と羅漢を伝ふ緑雨かな

日照雨浜昼顔を打ちにけり

岩城眉女の句(H30年6月)

改築の檜の香夏燕

喉仏忙しく動く生ビール

朝焼けを広げ早苗田目覚めゆく

アンダンテカンタービレ聞く聖五月

子鴉の母呼ぶ口の中真っ赤

松村公美子の句(H30年6月)

行員らネクタイ外すクールビズ

初物の蚕豆の色離乳食

土佐人の土産自慢の(なまり)(ぶし)

卯の花や豆剣士らの声高く

揚梅は次女の記念樹熟れ始む

池端順子の句(H30年6月)

老鶯や使徒行伝を回しよむ

小満の教会堂のガラス拭く

夫の忌の孫より届く白き薔薇

花十薬素直なること美しき

パソコンの壊はるる事態日雷

安藤加代の句(H30年6月)

水馬の影を重たく引つ張りぬ

緑立つ忍び返しを退り見る

浮き上がる嘴のしづくや鴨涼し

麦秋や朝日まぶしき干拓地

龍王の祠に棲める蟻地獄

髙下眞知子の句(H30年6月)

万緑の静寂破る鏑の矢

俯向きの罌粟の蕾に雨催ひ

青嵐大仏の背に向きを変ふ

終活の宣言後に水着買ふ

ここからは立入禁止山法師

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