2013年02月

水温む

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左上のはしっこに猫柳が銀色に光っています・・
猫のそらちゃんと猫柳のショットに失敗してしまいました・・
彼は水面に映った自分の姿に見とれて・・OHナーシサス!自己愛!

2月22日は「猫の日」です

 友人の画伯コモリさんのポルトガルの青い空と海!!
  ステキな色だにゃん!!  P1000362P1050142

タイムスリップしたものの!!

      

                          

 娘の嫁ぎ先の近くの白崎海岸へ案内してもらった。ここは石灰石の岩山で、真っ白な岩と真っ青な海のコントラストが素晴らしく、ヨーロッパのどこかにでもいるような気分になれるところだ。約二億年前に、フブリナという有孔虫が数百メートルの層をなして堆積したもだとのこと。とてつもない量の生物がいたものだ。これだけの大量の生物が発生できるだけの栄養が二億年も前の海にはあったということだ。それが、一億年もの歳月をかけて南半球のはるか彼方からここに移動してきたのだそうな。想いを一億年前にタイムスリップさせながら、真っ青な海を眺め、しばらくは現実を離れて浮遊していた。

 帰り、車は人家のあまり見えない小さな広場に止った。休憩かと思って降りるとそこここの繁みから、狸がぞろぞろと集まってきた。タヌキは夜出るものと思っていたが、ここの狸は白昼人を恐れもせず近づいてきて、顔を上げて物欲しそうに人間の顔を見ている。子供たちがパンをちぎって投げると、どっとそこに殺到する。そのうち、こどもの脚に前足をかけて立ち上がり、早く早くというように、尚も餌をねだる。総勢十匹、どれもころころと太っている。こうしてみると狸と言えども可愛いもの、どことなく愛嬌がある。帰り際には車のステップに前脚をかけて中を覗き込んで、さらにおねだり。それを払いのけ、ドアを閉めて発車した。立札が目にとまった。「狸に餌を与えないでください」と読めた。

           

凸凹頓珍漢俳句感想

                                                 

眼も翅も触角もなく蜘蛛平和  智行

 生物学的にいうなれば蜘蛛は8個の単眼を持っている。触角はないが蝕肢はある。おおむね網をかけるものは見る機能が退化しており、地上や草地で餌を捕るものは見る機能が発達している。作者は医師、そんなことは百も承知。となるとこの句、いささか厄介だ。平和の語から連想するのは反語的に「尖閣諸島」「北朝鮮の核実験」「択捉、国後」エトセトラ。日本は八方の国からいびられている感じ。アベノミクスも一見順調のようだが、大きなリスクを抱えている。そんなもろもろの事情などどこ吹く風、蜘蛛は悠然と構えて網にゆられている。束の間の似非平和。でも、この句はそんなことを言ってるのではなさそう。けだし難解だ。

ズブロッカにて残肴の田作り食ぶ  智行

 ズブロッカはポーランド産の蒸留酒。ウオッカにズブロッカという野草を浸して作ったもの。残り物の田作りでウオッカをなめている。俳句における取り合わせというのは、全く異質なもの並列するとそこに異次元的な空間に似た、化学変化のようなものが浮かび上がる。ウオッカとごまめの間に生ずる空間には、ぬらりひょんなんかが居たりして、、、。

浦人は和解も早しおでん酒  八重子

 猟師は喧嘩も早いが仲直りも早い。「板子一枚下は地獄」と言われる命を張った仕事場。いつまでもいがみ合っていては危険なのだ。和解のあとのおでん酒の味はまた格別。さっぱりとした海の男を読んだ気持ちのいい佳句。

多喜二忌の蟹に薄骨ありにけり  八重子

 この句の「の」は、たんなる「蜘蛛の糸」「足のつめ」などという時の「の」と少し違う。どちらかと言えば「や」に近い「の」で、かすかなキレを内蔵している。俳句独特の働きの「の」である。そこを先ず味わいたい。多喜二と言えば「蟹工船」初期プロレタリア文学の代表作。蟹だけだと付きすぎのそしりを免れないかもしれないが、「薄骨」がそれを回避していて巧み。この「薄骨」の意味は深く重い。

和事師に心盗まれ初芝居  眉女

 和事は歌舞伎における恋愛や情事、和事師はそれを演じる役者。歌舞伎の事はほとんど知らないが玉三郎の名ぐらいは覚えている。正月らしい、そして艶やかな句。心奪われでなく、心盗まれが眉女さんの面目躍如か。

タミフルに託す一と日や冬の汗  眉女

 タフでパワフルな眉女さんも、インフルエンザには勝てなかったか。でも一日くらいならいい休養になる。インフルエンザと言わなくても、こういう風に詠めばそれがわかる。そこが俳句。

太郎月クラブ活動和が生まれ  恭子

 太郎月は一月の異称。クラブ活動に和が生まれるのは素晴らしいこと。桜ノ宮高校にもこの和の強い絆があれば、あるいは、、という気もする。今も昔も体罰は好もしいことではない。今話題の体罰問題をさりげなく扱ってナウい。

にこやかにすずなすずしろ言うており  恭子

 春の七草ぜんぶ言える?えーっと、せりなずなおぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろこれぞななくさ、言えたあーっつ。

年始め京の和菓子の届きけり  公美子

 先月はパックの七草、今月は京菓子、いろいろ届くのですね、うらやましい。お正月なら京菓子で抹茶でも、いいですねえ。年の始めは元日の傍題としてあるが、年始めという用例は私の手持ちの歳時記には載っていない。年始めでもよいのでしょうか。御存じの方教えてください。

寒鮒を釣る人垣に鬨の声  公美子

 釣れたとも何とも言ってないが、かなりの大物が上がった様子がうかがえる。これぞ俳句の骨法か。ちなみに暇人の代表は「釣りを見る人」無邪気で平和な鬨の声だ。

 女正月反古の和紙張る衣装箱  三和

 和紙のすばらしさは反古と言えども、いや、反古には反古の持つ味わいがあり、反古を張り合わせた衣装箱などは結構絵になる。そしてその反古から、人柄や生活ぶりまでも想像できる。洋紙ではこうはいかない。女正月がいい雰囲気を醸し出している。

足跡に取り囲まれし雪だるま。  三和

 この句も何も語らず、足跡と雪だるまをポンと置いただけの句。したがって想像が無限に広がる。陳思寄物とはこういう句をさすのだろう。俳句はものを言わぬ文芸という。

服に替へ和尚遅日の玉を打つ  加代

 この玉はなんの玉か。パチンコ?ゲートボール?和尚さんも時には運動をしてリラックスしなくちゃ。良寛さんの現代版。   

寄せ来たる波の白さも春隣  加代

 海とは言ってないが、これはまぎれもなく海。のびやかで心地よい句だ。春はすぐそこ。

春や春あけぼの色の手すき和紙  泰子

 これも和紙だがただの和紙ではなさそうだ。枕草子の冒頭の言葉に引っ掛けているところがそれ。平安時代の行燈でも見ているようだ。言葉のマジック。

如月の土塊に湯気たちゐたり  泰子

 一転こちらはオーソドックスな写生句。掘り起こした土塊に湯気が立っている景はこの季節、春を思わせて胸がときめく。なつかしく、確かな写生句だ。作者は花や野菜を作っておられるようだ。

松過ぎて大きな和皿片付けり  順子

 お正月も過ぎて、御馳走を盛っていた大きな皿も片づけるころ、暮らしのリズムは既に何時ものように落ち着いている。そんな雰囲気がさりげなく詠われていて好もしい。

参道に万華鏡買ふ春隣  順子

 こう言われてみると、万華鏡を買うのは春先が最もふさわしいように思えてくるから不思議である。そして春を待つ心の弾みが伝わってくる。万華鏡の中は既に春爛漫。

国生みの島に靄たつ春日和  瞳子

 国生みの島とは、淡路島か、はたまた日本列島か。いずれにしてもスケールの大きな句だ。作者は結社における実力派の一人。作品は粒ぞろいだ、さすが。

オルガンのペダルにふれて春の風  瞳子

 私の通った小学校はピアノがなくて、音楽の時間はすべてオルガンだった。初めてピアノを見たときその大きさと軽快さに驚いた。特殊なものを除き、もう普通のオルガンを使っているところはあまり見られないだろう。ノスタルジーを誘う素敵な句だ。

踏石の和服の歩幅針供養  千秋

 なるほど、なるほど。あの隙間の狭い飛石は、和服の歩幅でしたか。僕はてっきり子供の歩幅に合わせたものと思ってた。針供養が絶妙。

片栗の花しんかんと山守る  千秋

 カタクリの花はテレビでしか見たことがない。関西では葛城山に群生地があるという。早春の森閑とした山に群れて咲くその姿は山を守る可憐な乙女。そんな景を一度見てみたいものだ。

阿波和紙の分厚き便り春の雪  圭子

 和紙と雪はどうしてこうすんなりと馴染むのだろう。阿波和紙に水茎も鮮やかな達筆でしかも分厚い便り。吉報に違いない。それは、春の雪だから。すなわち季語の力というものだろう。

霜柱踏めば地の哭く声すなり  圭子

 霜柱を踏むと、サクサクと心地よい音がする。が、ときにきゅっと軋むような音もする。カタクリの粉を握った時の音にも似ている。哭くと表現されたのはこの音であろう。それを地の哭く声と聞きとめた作者の感性に瞠目する。

丸文字の宛名和らか初賀状  敏之

 丸文字で柔らかな宛名の賀状、さてはいい人からか。案外自分の娘だったりして、、、。楽しい想像が膨らむ。

巾着に飴玉詰めてお灯祭  敏之

 お灯祭は新宮市神倉神社の祭りで、白装束に荒縄を巻きつけたいでたちがすこぶる勇壮でかっこいい。飴玉を巾着に入れているのは登り子ではなく、見物の子供だ。大人に抱っこされているのだろう。お灯祭は季語としては新しい方で、例句も少ない。どしどし作ってもらいたい季語である。  以上順番は「工藤メモ」による。
                               

二人静のお題「和」の観賞

        
             

二人静は、地中でもぞもぞしています。1㎜ほど芽が動きだしたばかりです。

二月は題詠と自由句から、二人静の掛け合いで鑑賞をしました。

智行さん

眼も翅も触角もなく蜘蛛平和

 蜘蛛の生態を知らなかった。この句は、「何もかも揃っていることが平和だと思いがちだが、揃っていないからこそ却って平和だ」というメッセージが意図されているのかと思うけど・・・。でも、蜘蛛には眼もあり触角に代わる触肢もあるようで・・・。

春愁やかがり忘れし穴ほどの

 この句、私は好き。私は一日一万歩くけれど、靴下の第二指の所に何時も穴
があいています。それが春愁にも似ている。
春愁というのは、大したものではないけれ
ど繕い忘れた穴のように心の中に存在すると言うことでしょうか。
さて、「ズブロッカにて残肴の田作り食ぶ」の句、「ズブロッカ」はポーランドのウオッカなのですね。500mlが千円余りとかどんな味かな?
八重子さん

浦人は和解も早しおでん酒

 「まあ、一杯」という訳で、すぐ忘れてくれるんだ。

 そう、お酒が全てを水に流してくれる。それに、浦人は普段から、海で一緒に働くという仲間意識が強いのじゃないかな。

多喜二忌の蟹に薄骨ありにけり

 蟹の足の関節を折ると半透明の筋が抜ける。美味しい蟹を食べることができる我々の幸せがある。
そんな時、ふと、多喜二を思い出したんですね。
そうそう。この句では「多喜二忌」は「蟹を引き出す「序詞」みたいですね。小林多喜二と言えば「蟹工船」だから。「蟹工船」の内容は重い。過酷な労働と弾圧下の抗争が書かれているから。
「多喜二忌」と「薄骨」の関係を皆さんはどう解釈するかな?

とき魚さん

和という語日だまりに似て冬桜

 この句を見ると、何故か、とき魚さんらしいと思うね。

 「・・らしい」と言うことを言葉で表すのは結構難しいね。和という言葉に日だまりの温かさを感じたという感性か。和という漢字から日溜まり、ひいては、日和を連想したという言葉への関心か。和という語から青空に咲くあのやんわりとした冬桜を連想した感性か。

鋸をもて魚の頭刎ねる寒さかな

 ダイナミックな光景。これが「おばちゃん」だったら、凄いよ。

 「刎ねる」とは頸動脈をかき切ること。凍った大きな頭を鋸で勢いよく挽き切ったのでしょうね。もう一句「牛喰うてにわとり喰うて冬ごもり」の句も好き。開き直った口調が、長生きするぞと言うような逞しさと、「牛喰うてにわとり喰うて」する人への揶揄もあるような・・・

恭子さん

和を育て福が生じる寒修行

 確かにね。厳しい修行の結果ですね。

 「和を育てる」というのが案外難しい世の中かも知れないね。

にこやかにすずなすずしろ言うており

春の七草も、秋の七草も5,7,5,7,7,のリズムに乗せて覚えました。幼い子供達も一緒に「せりなずな、すずなすずしろ・・」とにこやかに。いい情景です。

眉女さん

女正月ちょいと足したる和風だし

 日常の何気ないことをちょいと句にしてしまう眉女さん。ちょいとたした和風だしで味がぐっと引き締まるんですよね。女の本領発揮。

タミフルに託す一と日や冬の汗

「タミフル」はインフルエンザの薬。タミフルの薬効と、発汗作用の解熱を期待する一日。薬の名を使っての現代俳句。

「和事師に心盗まれ初芝居」の句の「和事師」とは歌舞伎で、柔らかごと、やつし、色事を演じる役。歌舞伎界では、勘三郎、団十郎と続いて亡くなりましたね。

公美子さん

年始め京の和菓子の届きけり

お正月らしいお菓子が届いたのでしょう。見ているだけでも幸せになります。

茶事に使われる京の和菓子は特に趣向が凝らされているから。いいですね。

薄氷の下に寄り添う鯉二匹

 夫婦か恋人か、もうすぐ春ですよ。

 静かな幸福な時間と言えるね。厚氷じゃ閉塞感があるから「薄氷」がいいね。

もう一句「和服かなウイーン・ニューイアー・コンサート」の句、なかなか入場券が手に入らないウイーンのコンサート会場におめかしの和服姿が見える、そんな情景が眼に浮かぶ。名詞だけのこのような句からも、結構、情景を思い浮かべることができるね。

三和さん

練り上げる和三盆糖淑気満つ

 「淑気満つ」が効いている。阿波ならではの景だね。

 そうそう、和三盆糖製造は徳島の冬の風物詩の一つ。俳句では「練り上げる」としまし
たが、手で捏ねるようにして糖と蜜とを分離するのだそうです。
この工程を「岡田製糖所」のブログには「研ぐ」とあります。

薄氷や鳥の和毛を引き留めて

 「薄氷」と「和毛」の取り合わせが美しい景色を作っている。

加代さん

草萌えやいつまで続くこの平和

 強い日本、美しい日本もさることながら最も強く願うのは平和な日本。

 戦争がどこかに潜んでいるような、そんな不安がないとは言えない今の日本。

早春の風孕みをり幟旗

同じぱたぱたとはためく旗も春の風には明るさや希望がある。

「孕む」が一杯に膨らんでいる感じでいいですね。

順子さん
松過ぎて大きな和皿片付けり

大勢の人々が集まり賑やかなお正月を過ごしたことでしょう。大皿の模様まで眼に浮かびます。「和皿」から伝統を守る家であることが想像できますね。

ひとところ舗装せぬ道霜柱

 近頃は山の奥まで舗装されている。霜柱も踏みにくくなっているよ。もう一句「参道に万華鏡買ふ春隣」の句。万華鏡と春隣の取り合わせが、寒い中にももうすぐ春だと言う気分が余すところなく表現できている。佳い句だと思う。

泰子さん

春や春あけぼの色の手漉き和紙

 手漉き和紙の独特な手ざわり、色は曙色という。

 この句も八重子さんの「多喜二忌」の句と同じように「春や春」に「あけぼの」を導き出す序詞としての働きをさせている。「春らしいほんのりとあけぼの色の手漉きの和紙よ」と和紙を愛でている句。

如月の土塊に湯気立ちゐたり

 朝日が差し、大気の温度と土の温度との差によって水蒸気が立ち上る。私も子どもの頃

見た懐かしい光景です。もう一句「ふらここに宙ぶらりんの木偶となる」の句、ふらここを漕いでいるのは自分のはず。にもかかわらず、ブランコの二本の鎖に操られている木偶の感覚。私はこの句好きよ。

瞳子さん

国生みの島に靄たつ春日和

 淡路島が霞む春の美しい景色です。

ぼこぼこと芹を育み水青し

 ぼこぼこと湧き出る清らかな水が美味しい芹を育てる。昔、祖母が田んぼの畦からよく摘んできてくれました。今は芹摘むことは少なくなったし、昔ほど、日常的に芹を食べなくなりましたね。もう一句「オルガンのペダルにふれて春の風」の句、「春の風がペダルに触れる」と言う着眼点がいいですね。

千秋さん

踏み石の和服の歩幅針供養

 「和服の歩幅」に着眼したところがすばらしい。針供養には和服姿の参加が多い。私は裁縫が苦手。だから針供養には縁がないけどね。

片栗の花しんかんと山守る

 片栗の自生地は減りつつあり、人が踏み荒らしていない所だとも聞いている。「深閑と守る」がその雰囲気を言い得ている。

圭子さん

阿波和紙の分厚き便り春の雪

 故郷の阿波からの便りの内容は何だったのか。「春の雪」とあるから、思いがけない内容であったに違いない。

霜柱踏めば地の哭く声すなり

 大地がどんどん汚されてゆく。地の慟哭を私たちは聞き逃してはならない。共感句。

敏之さん

丸文字の宛名和らか初賀状

 始めてきた賀状の宛名を見ると丸文字、さて、文面は!!

保護色となり世を渡る海鼠かな

 世渡りは難しい。保護色になるのも処世術か。

余談ですが、私は「きんこ」と呼ばれるやや茶色っぽい海鼠を橙で食べるのが好き。海鼠は夜行性とか。それで、「西日差す頃あひがよし海鼠釣る」の句、晩酌の肴に海鼠をと言うことでしょうね。

            



 


 

お題「和」みんなの俳句あれこれ

                                       
  

      谷口智行

   和姦めく空港ロビーの朝寝客

   眼も翅も触角もなく蜘蛛平和

        佐藤八重子

      浦人は和解も早しおでん酒

      冬の灯や昭和生まれの高校生

                檜尾とき魚

           和と不和のはざまたゆたふ蝌蚪一尾

           和といふ語日だまりに似て冬桜

    岩城眉女

  和事師に心盗まれ初芝居

  女正月ちょいと足したる和風だし

        坂東恭子

     太郎月クラブ活動和が生まれ

     和を育て福が生じる寒修行

                松村公美子

            年始め京の和菓子の届きけり

            和服かなウイーン・ニューイヤー・コンサート

    新居三和

  女正月反古の和紙張る衣装箱

  練り上げる和三盆糖淑気満つ

(和三盆糖・・サトウキビから作った砂糖。岡田製糖所、参照)

          安藤加代

       草萌やいつまで続くこの平和

       服に替へ和尚遅日の玉を打つ

             池端順子

          松過ぎて大きな和皿片付けり

          落したるマフラー戻る平和かな

      工藤泰子

   ものの芽や心経和讃うる覚え
   春よ春あけぼの色の手漉き和紙

             堀瞳子            

         国生みの島に靄たつ春日和
         雪間から雪間へ雀日和かな

                         野中千秋        
                 踏石の和服の歩幅針供養
                立春や青き地球を和ませり
           喜岡圭子
   コーラスの和音の響き春立ちぬ
   阿波和紙の分厚き便り春の雪
              
               中村敏之

                 和らかき小春日和や窓の猫

                 丸文字の宛名和らか初賀状


                               


      

谷口智行の句(H25年2月)

恋猫となりたるミーは嫌ひなり

ズブロッカにて残肴の田作食ぶ

吊橋の上は斑雪野のつづき

神倉山(かみくら)の急磴蜂の翅音のみ

春愁やかがり忘れし穴ほどの


野中千秋の句(H25年2月)

片栗の花しんかんと山守る

父の忌や鳥食みこぼす実南天

寒烏野州の空を占拠する

護摩焚いて青い地球の節分会

立春の紅のひと刷け心にも

喜岡圭子の句(H25年2月)

幕間や花びら餅を売る声も

霜柱踏めば地の哭く声すなり

寒の水飲みて音程はづしけり

ロボットの受付嬢や春隣

立春大吉咄家はこゑ使ひ分け


新居三和の句(H25年2月)

薄氷や鳥の和毛を引き留めて

足跡に取り囲まれし雪だるま

街の子の未完のままの雪だるま

立春の告白の絵馬揺れどおし
向かい風胸に寒さを抱え込み


佐藤八重子の句(H25年2月)

借り物の化粧回しで初場所に

冬滝に打たれて神に近づけり

がり勉も齢重ねてかじけ猫

寒菊や似た顔並ぶ前列に

多喜二忌の蟹に薄骨ありにけり


岩城眉女の句(H25年2月)

中指のペン胼胝固き受験生

幸せはおでんぐつぐつ煮える音

読始にジャンクリストフ選びけり

風呂吹きや自家製味噌のなつかしき

タミフルに託す一と日や冬の汗

檜尾とき魚の句(H25年2月)

ぽっかりと物忘れしてあたたかし

自転車のサドルに鶲止りをり

コーヒーに渦巻くミルク卒業す

牛喰うてにわとり喰うて冬籠

鋸をもて魚の頭刎ねる寒さかな

松村公美子の句(H25年2月)

ひと声を発し飛び去る寒の鷺

薄氷の下に寄り添ふ鯉二匹

寒鮒を釣る人垣に鬨の声

猿曳の猿の履きたる紙パンツ

大寒の銀座に暗き所あり


池端順子の句(H25年2月)

ひとところ舗装せぬ道霜柱

霜柱踏む楽しさは今もなほ

如月や嵌める時計はメタリック

如月やガラスの曇り気になりぬ

参道に万華鏡買ふ春隣


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dekunokai

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