堀瞳子

トウコの俳句逍遥⑳

瞳子の俳句逍遙⑳

「天塚」令和6年3月号 

晩年の色とも紅き冬椿 宮谷昌代

思わずはっとなった一句。埋み火のような冬椿の紅い花びらは、晩年の心の有りようとも思える。思い浮かばなかった句。

難民を乗せるに小さき宝船 宮谷昌代

常にどこかで戦争が起こり、幼い子ども達が巻き込まれる…止むことの無い戦争。「宝船」に託して祈りを込められた。

 

WEP俳句通信VOL.138

森山久代 近詠7句 「鳰の海」より

日当りにゐて足元の寒さかな 森山久代

句会や吟行に労を惜しまず、全力を傾けて俳句を楽しまれている。素直な心情の詠みぶりに、いつも納得させられる。

冬麗の山なだらかに野に和して 森山久代

関西に住むと急峻な山は少ない。吟行に出かける度に山はなだらか……と言うイメージを持つ。冬麗では尚更。その中で「野に和して」と紡がれたことが、ひと味違った句になり、思いの伝わる句になった。

  

「鳳」59号(2024年3月・4月)

「鳳」59号(2024年3月・4月)

師の句に学ぶ(39) 

門川も稚鮎ののぼり来る頃ぞ 茨木和生 

「熊樫」所収  平成27年作

鮎は姿がよく、香気を持ち、また味が良いので古くより珍重され、川魚の王や女王ともよばれる。秋に川で産卵し、孵化した稚魚は海へ下る。「年魚」とも呼ばれるように、大抵は寿命が一年。翌年の春には海で育った稚魚が川を遡る。そのころには5センチメートルから6センチメートルになっている。地域により溯上の時期に違いがあり、水温が関係する。句はそろそろ稚鮎が門川にも遡る頃だという。何度も門川を遡る鮎を見てこられたから言えることで「ぞ」と強調し、説得力のある句である。筆者も和歌山県の湯浅へ白魚汲みを見に行った折、街中を歩いた折に出会った情景と同じで、暖かい日で海がきらきらと輝いていた。浅井陽子

桐集(39主宰 浅井陽子

掛鳥のなべて手応へなき重さ

梟の声に星座の整ひ来

朴落葉翳せば風の寄りにけり

みづうみの波より暮るる手毬唄

藍染の足袋の走れる舞台裏

日脚伸ぶ田溝を草の影流れ

砂時計返せば春を呼ぶ音に

囀や木末は絶えず風を生み

梧桐集(10)副主宰 堀 瞳子

薬膳の仕舞は地酒冬に入る

水源の地図になき道山眠る

群鶴の空より朝日零れくる

明け残る星に鶴唳響きけり

雨晴れの沖を遥かに雛の舟

鸞抄  浅井陽子 抽 

落葉掃く次の落葉のために掃く 貞許泰治

日向ぼこ幸せさうな猫背かな 鹿島暁美

石山の寺の大石夕時雨 藤田駒代

黒潮の岬眩しく棕櫚を剥ぐ 高階和音

綿虫を追ひて晩年眞只中 谷口智子

薄々と日の戻りけり花八手 高森ひき

数へ日の予定には無きティタイム 草地明子

水鳥の胸ふくらませ眠りをり 吉田喬

葉牡丹の渦混沌を貫けり 森脇八重

初霜や飛び石八つ天神へ 野中千秋

諸鳥の声姦しく山眠る 野村風囁

ラガー等の電車に風のごとく乗る 福田とも子

竜の玉夕日の照らす涙あと 南みどり

去り際に本音をすこしちやんちゃんこ 森山久枝

雪しまく海を見つむる竜馬像 山下卓郎

峡晴るる二発で終はる威銃 安藤加代

冬紅葉空を地面を彩りぬ 工藤泰子

山茶花の散りしく闇を潜りけり 神宮寺恵子

玻璃窓の視線逸らさず冬の雉  高下眞知子 

自句自解 (22)浅井陽子

みと祭布留社の松苗を立つる 陽子 「紅鏡」平成18年作 

「布留社」とは天理市の石上神社。布留の地にある事で古来より布留社とも呼ばれ、「日本書紀」にも登場する古社。「運河」の大先輩の式地須磨様に、この地をよく吟行に連れて頂き、その折に神社の付近で見た情景。水口には庭で手折られたのか躑躅が挿してあり、石上神社の護符が風に揺れていた。以前から「布留社」の名に興味を持っていたこともあり配した。情景を写しただけだが気に入っている句の一つである。             

井上綾子句集「綾子」鑑賞  高階和音

初景色終の栖と思ふ地の

ふるまひの餅も雑煮も大和ぶり

百千鳥聞きわけられずとも楽し

綾子の朱色に汗の光かな

 「あやつこ」は、(印のことで、魔除けのしるし)生まれた子を初めて宮参りさせるとき、額に鍋墨か紅かで魔除けとして「犬」「大」「小」などのしるしを書く風習。赤ん坊の額の文字に、汗の光を発見した時の作者の驚きと感動が伝わって来る。句集名となっている一句である。

国生みの舞にどよめき里神楽

 里神楽は、厳かな神楽とは一線を画しており、内容も砕けたものとなっている。国生みの神様の舞も少しエロチックな所作であったのだろう。それに反応して見物衆の中から笑いの波が起こったのである。それを上品に(どよめき)の一語で表している。・・懐かしさと、モダン、博学に裏打ちされた豊富な語彙を、大いに学ばせて頂いた。

俳句探勝8 富田美子 

河豚食べる心中してもよきひとと 和田華凛 (諷詠)

身に入むや身を飾るもの減りゆきて 片山由美子(香雨)

アメリカに飾れば雛の小さきかな 森田純一郎(かつらぎ)

初鳩よ旋回の輪をガザの地へ 宮坂静生 (岳)

 ・・警戒心が少なく人なっこい鳩は平和の象徴といわれ、八月六日の広島の平和記念式典では一斉にが放され、広島の空を飛ぶ。パレスチナのガザやウクライナの空へ鳩が放たれる平和な世が早く来て欲しいと願いばかりである。

句碑を歩く奈良県東吉野村 堀瞳子

鷲家(わしか)八幡神社

おのづから伊勢みちとなる夏木立 桂 信子

東吉野村の大字鷲家は、県道吉野東吉野線と国道166線が交わる辺りで、鷲家川が流れている。江戸時代の伊勢街道の標識が残っていて、高見越えの伊勢街道と東熊野街道への要所であった。 

瀧野(投石なげしの滝)

山祇の土になれゆく小楢の実 佐藤鬼貫

・・・鬼貫は蛇笏賞の際に自らを「地を這うばかりの哀しい存在であり、「土俗に愛憎を傾けすぎる」と語ったと言う。小楢の実に自己の投影が窺える。

千年の杉や欅や瀧の音 草間時彦

 ・・2003年「瀧の音」で蛇笏賞を受賞。没後である。この句は〈わが齢どたん場にきし雑煮かな〉など死を見つめる中にあって永遠の命を言祝いでいるようにも見える。・・

俳枕を訪ねて 5 桐山真琴

上町台地 天王寺七坂

愛染坂と勝鬘院

浮瀬亭跡

エッセイ

「俳人挌」 貞許泰治 

「木下夕爾再考」  成瀬櫻桃子に 

「詩人は言葉の錬金術師である。」

「俳人は錬金術を極めず口の欠けた土瓶で雑草を煎じていた」 そこで、「詩人挌」と「俳人挌」 

「卯の花と玉川の里」 村岸正子

添削のひろば 堀瞳子

 季語に寄せる・リズムを整える・文法や言葉の間違い・報告になった句・中味を詰め込まない・二つの季語を繋ぐ・三段切れを整える・自分の気持ちは必要かを考える・句意を絞る

 原句と添削の例など・・


堀瞳子の句(令和6年3月)

無住寺の杉の秀高き余寒かな

難読の歌碑句碑めぐる春遊

うららかや寝転んで見る草野球

ロープウェイより鶯の谷渡り

開運の締殺しの木風光る

堀瞳子の句(令和6年2月)

蠟梅に結びて来たり恋神籤

水餅の水の震へや余震なほ

珈琲淹る庭に寒禽くるころよ

河明るし冬さぶの魚見にゆかむ

日脚伸ぶ鋏にミシン油注し

トウコの俳句逍遥⑲

瞳子の俳句逍遙⑲

 頂いた句集から

句集『竹の春』R5/5月  宮谷昌代「天塚」主宰

ありがたうは結びの言葉冬灯 

 笑顔の素敵な先生である。誰にでも気さくに「有り難う」と笑顔で言えるのは、幸せな一生に無くてはならない。特に結びの日ならば……の「冬灯」の季語が置かれている。

 

句集『わかな』R5/10月 茨木和生「運河」名誉主宰

山桜雨をふくみて咲きゐたり

 句集の帯の句である。茨木先生は山桜を多く詠まれているが、この句からはしみじみとした山桜の有りようが伝わってくる。ただ事実を述べた句だが、力強さも切なさもあり、心に残る句である

句集『花守』―山口精喜の俳句―R5/12月 山口素基著 

吉野山花抜けてなほ花の中

 弟の山口素基氏が兄である精基氏の生前の句を纏めた句集である。生前は吉野にお住まいで、『花守』は句集名に相応しい。他に「月凍つや子連れの猪の谷渡る」など吉野の暮しを味わい深く詠まれている。

句集『冬青の実』R5/12  松井トシ

春ごとの間水握り飯とどく 

宇陀市室生染田地区には六百年前の連歌堂が残っている。ドナルド・キーン氏が調査に訪れた‥と言う句も詠まれている。暮しの貴重な証言を句に残すことで、生活が伝わる。句集の帯の句は「雪の尾根車を降りて押せと言ふ」は、R5年の右城暮石顕彰俳句大会での特選句で、句集のあとがきに入っている。

鳳58号(2024年1月・2月)

「鳳」58号 新年号2024年1月・2月)

師の句に学ぶ(38) 

日輪の一日見えて氷柱かな 茨木和生 

「山椒魚」所収  平成21年作

明解な句である。気持ちがよいくらい言葉を省き、太陽と氷柱がクローズアップされている。潔く削り落としたことで、かえって読むものに情報を想像させることが出来る。「一日見えて」の七音の言葉が、省かれた言葉の全てを表していると言ってもいいだろう。山深く入り、その自然の中に身を置き自然と一体になり詠まれた句は何時までも褪せることはない。掲句の氷柱は、青空の下で解けることなく、太陽は沈んでいったことだろう。浅井陽子 

桐集(38)主宰 浅井陽子

ピクルスの瓶に朝の日冬立ちぬ

翼廊へ雲中菩薩へ雪蛍

ケーブルカーの軌道点検山眠る

睡眠も笑ひも薬龍の玉

一羽飛び二羽とぶ鴨の陣正す

白鳥の夕陽まみれの首交す

掛鳥のなべて手応へなき重さ

布袋の腹達磨の膝と煤払

梧桐集(9)副主宰 堀 瞳子

散紅葉蕪村の寺に零れけり

山茶花に短き日差し回りくる

松竹の色調ほる飾りかな

鸞抄  浅井陽子 抽 

溜りたる時放ちけり鹿威 貞許泰治

あはうみの風の果の稲を刈る 高階和音

四五人の声が前行く月の道 藤田駒代

障子貼り夫を探してゐたりけり 高森ひき

裏ばかりみせて吹かるる秋桜 谷口智子

霧込めの奥の細道むすびの地 草地明子

晩年の輝きコスモスも人も 吉田喬

月涼し雑魚の跳ねゐる四手網 三垣博

天の川消して驕りの街明り 谷本俊夫

隠沼の闇を繕ふ女郎蜘蛛 安藤加代

落蟬の命遠退く掌 野中千秋
茜空蜻蛉の上を蜻蛉来る 南みどり

稲掛を終へ残照の雲迅し 森脇八重

先端の分からぬ長さ蔦かづら 高下眞知子

磐座の空澄み渡り里神楽 山下卓郎

旗揺るるほどにコスモス揺れをらず 山近由美子

身に入むや玄翁土壁を穿ち 工藤泰子 

自句自解 (21)浅井陽子

歳徳棚向きのなかなか定まらず 陽子「紅鏡」平成18年作 

生家は一枚板の神棚の前に、その年の福徳を司る神様を迎えて祀る。歳徳棚を天井から高さを自由に調節できる檜の材で吊り下げる。お正月様とも言う神様を祀る棚で、大晦日に設える。恵方に向くようにと向きを考えながら吊るのだが、女所帯だった頃は踏み台に乗り二人がかりの仕事だった。歳徳さんと幼い頃から呼び御燈明をあげ、お雑煮を十二の折敷に供えた。今も変わらず続いている。

俳句探勝7 山崎隆代 

開きたる扇の上の東山 伊藤伊那男(銀漢)

・・四条通を東に進む。進行方向に見えるのが東山。あの有名な後藤比奈夫の句「東山回して鉾を回しけり」の東山である。長刀鉾正面のお稚児さんの下に立っている音頭取り(二人の男性)が、息ぴったりに開いた扇を返す所作をなさる。返した扇が止まった瞬間、ああ、東山がその上に・・・何十年と見ている祭の一瞬が、句の中に生きたことがなんともうれしい。

ダイアナ妃ひよどりじやうご花可愛 小林貴子(岳)

 なんだかとつとつとした言い回し。花びらを一枚一枚むしりながら言っているような、そう、花占いをしている趣。夭折の妃を永遠の中に閉じ込めたかに、この句はエンドレス。終りを知らない。・・ひよどりじようごは野の花。真っ赤な実は人の目に訴えかけるが花は可愛いひそやかなもの。内気で引っ込み思案の少女であったと聞く妃の内面を俳人は嗅ぎ取って鎮魂の思いを託したのかもしれない。

句碑を歩く 堀瞳子

奈良県東吉野村・平野(天好園)

大空のうつろよぎりし蛍かな 阿波野青畝

日のあたる色となりゆく山ざくら 鷹羽狩行

おのれ照るごとくに照りて望の月 日野草城

満月のほたるぶくろよ顔あげよ 花谷和子

冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子

俳枕を訪ねて ④ 桐山真琴

滋賀県大津市(南近江)幻住庵・石山寺・瀬田

幻住庵;小さな茅葺屋根の門を持つ茶室風の建物

先たのむ椎の木もあり夏木立 芭蕉

苔咲きて幻住庵跡椎の雨 飯田蛇笏

石山寺・源氏の間

石山の石にたばしるあられ哉 芭蕉

曙はまだむらさきにほととぎす 〃

 日本三大名橋 瀬田の唐橋

凩や勢田の小橋の塵も渦 其角

エッセイ
探鳥会 垣内州馬

老鶯や猛練習の末の声 州馬
萬年願 貞許泰治  

嘗て、大分県中津市北原の原田神社では、立春の日に萬年願という人形芝居が奉納された。・・・

立春大吉頂相の眉八字 泰治

大久保和子句集「風になるつもり」

「風になるつもり」鑑賞 藤 勢津子運河天水集同人

大久保和子氏・・六十年の句業の略歴・・昭和38年「星河」「運河」入会

寄せてきて返すことなき青田波

貝割菜伊勢大根にやがてなる

曖昧に出来ぬ性分水喧嘩

女には口出しさせず種浸し

有り余る青空のありつくしんぼ

散るといふ大事の前のさくらかな

裸木に風の形見のもの掛かる

笹鳴やいづれは風になるつもり

「風になるつもり」を掌に 浅井陽子

潮げむり浴びて岬の葱坊主

どう置くも西瓜畳に横たはる

みの虫のみのにされたる蝶の翅
租にして雑三日仕立の鴉の巣

北窓を塞ぎ山河を目にしまふ

草取といふ満足の一日暮る

三日月をマストに残し帆を畳む

なほ遠く行けと枯野の道しるべ 


堀瞳子の句(令和6年1月)

朔風やひとかたまりに雀飛び

ばしばしと水面打つ風月凍る

懐手遊び上手を託ちけり

一斗缶入りの殻付き牡蠣貰ふ

牡蠣好きの夫牡蠣嫌ひの娘

俳壇1月号2024

俳壇 1月号

季節の移ろいーー二十四節気

 「立春」 井上弘美(汀・泉)

立春のひかり紛れず一の糸  弘美

新春特別作品「冬の朝」20句より宇多喜代子

冬の道歩くことのみ考えて

はげましの声に始まる冬の朝

冬の朝歩くにはこの馴れた靴

冬の朝誰からとなく起きてくる

いつも咲く時季をたがえず石蕗の花

新春巻頭作品7句より

雪掘つて暮らしてゐると初便り 今瀬剛一(対岸)

去年今年山河一瞬きらめけり 宮坂静生(岳)

神の名の山へ掲げし獅子頭 山尾玉藻(火星)

獅子舞の去つたる後の風強し 鈴木直充(春燈)

シナイ山山頂の闇初日待つ 片山由美子(香雨)

膨らんで餅に寝言のあるごとし 対馬康子(麦・天為)

両の掌もて搏つ両頬や山はじめ 小澤實(澤)

門松を立て大正の漢かな 坊城俊樹(花鳥)

四季巡詠 33句より

「須磨の秋」朝妻力(雲の峰)

秋高し青石に彫る翁の句

子規の句碑放哉の句碑色葉照る

首洗ひ池を離れぬ鬼やんま

一の谷にあふぐ鉢伏山の秋

夕霧に大橋の浮く明石の門

「それらしく」村上喜代子(いには)

素秋なる葉音それぞれ聞き分けぬ

風添へば秋明菊のそれらしく

爽やかや妻の名遺すスエコザサ

秋声や大日如来はわが持仏

楽団の一人三役文化の日
俳壇ワイド作品集

トレモロ水口佳子 (夕凪・銀化・里)

 とらわれない。本気で遊ぶ。

冬枯の湿原に深入りの鈴

雲動くときをしづかに蝶の凍

トレモロが綿虫に成り代はる祈り

「秋惜しむ」堀瞳子(鳳  副主宰)

・・山で風を聴き、水を褒め、花を愛おしむ・・自然の中に身を置き、風を感じていたい。

鰯雲月を容れたる明るさよ

水澄むや月齢七の月あかり

千年の校倉に秋惜しみけり

 

トウコの俳句逍遥⑱

 瞳子の一句鑑賞18 

尚文句会

『黒川悦子 追悼合同句集 千里山(五)』より

  慈愛の人  堀 瞳子記

 突然の訃報に私は勿論、皆様も驚かれた事と思う。直前の尚文句会のメールも「大変遅くなりまして申し訳ございません。ちょっと体調を崩してなかなか選句稿ができませんでした。」とあり、季節の変り目の体調不良と受け取ってしまった。重篤な病と知ったのは訃報による。最後まで俳句に力を尽されて逝かれた、その潔さに敬服する他ない。

花を問ひ花に問はれてをりにけり  悦子

咳ころし居ればぽろりと涙落つ   悦子

落ちさうに落ちさうに滝凍ててをり 悦子

 これらの句は、句集『若葉風』から抽出したもの。長い句歴の中での第一句集で、思い入れのある多くの句の取捨選択を思うが、読み飽きない。お人柄を感じながらの拝読で、句集から爽やかな風が吹いてきた。 

 次の句は尚文句会の近詠(令和5年作)。

梅咲いて庭に光の満ちてくる   悦子

二階にも花の見所ありにけり   悦子

病中の作と思われるが、ひたすら前を向く句ばかり。見習いたい。 」 

堀瞳子の句(令和5年12月)

蟲塚へ紅葉踏む音つづきけり

白鳥渡る早くも鴉追ひ立てて

お結びに巻くとろろ昆布冬の森

牛筋をたんとおでんに妻の留守

こだわりのピザ白葱の甘きこと

 

「鳳」57号(11月・12月)

「鳳」57号11月・12月)

師の句に学ぶ(37) 

吊られたる猪の乳首の育ちゐず 茨木和生 

「往馬」所収  平成9年作

狩猟が解禁になると、山の近くを吟行していて、銃声が聞こえて来ることが儘ある。自ずと秋の深まりを覚える。鳥獣の狩猟なのか、銃声で聞き分けることを師に教わったことがある。猪や鹿は罠や猪という落としあなで捕ることもある。句は仕留めた猪を土間の梁等に吊り下げられている。捌くまでの情景で、猪の乳房がまだ幼かったことが詠まれている。子を産んだことのない猪だろう。措辞には感情が入っていないが、「乳首の育ちゐず」に若い猪を哀れまれているのが見てとれる。筆者も何度かそのような場に行きあたったことがある。捌く前の鹿を、猟師たちが取り囲み、また流れに血を抜くために漬けてあったりする。近年は鹿も猪も害獣とされている。山奥だけでなく住宅街に近い所でも見られるようになった。浅井陽子

桐集(37)主宰 浅井陽子

連峰のはたての小島鳥渡る

ここよりはスイッチバック鰯雲

接心の回廊秋の蚊の唸る

龍淵に潜み川燈台古ぶ

ひかり先づ流れてゆきぬ草の露

白雲の裾はたひらに刈田晴

獣らのための吊橋ななかまど

露葎言葉の海の底知れず

梧桐集(8)副主宰 堀 瞳子

癒ゆるにはほどよき雨や雁来月

高きより垂れすずめ瓜烏瓜

袴着の取りも直さず()宿(しゅく)(にち)

鸞抄  浅井陽子 抽 

かなかなの止めばかなかな遠きより 貞許泰治

黙祷一分赤蜻蛉飛びにけり 高階和音

たわたわとほぐす卵や朝ぐもり 谷口智子

蹲踞に光遊びて椿の実 藤田駒代

遠雷や諭すやうなる父の声 吉田喬

眠たげなる枇杷の実の色母は留守 南みどり

すれ違ふ船の波音葛の花 高森ひき

風音の少し緩めば残る 草地明子

ひさびさの一人が愉し星月夜 森山久代

オリーブの青き実三つフェリー着く 工藤泰子

炎昼や長く引きずる貨車の音 安藤加代

吟行会青葉の力浴び続け  野中千秋

ストックの火山灰拭き夏惜しむ 高下眞知子  

第1回 「鳳賞」発表

鳳賞「遺跡灼く」藤田駒代

仏塔の先の夏空無一物

遺跡灼く首なき手なき仏たち

トックトックの風切つて行く日の盛

鳳賞佳作「小鹿」貞許泰治

泥動き出し早春の亀二匹

全身が鼓動よ眠りゐる小鹿

鳳賞佳作「朝なさな」高階和音

真帆片帆ヨットハーバー混み合へる

朝なさな粥炊く暮し生身魂

浅井陽子選

1席 「遺跡灼く」 藤田駒代

第2席「小鹿」 貞許泰治

第3席「朝なさな」高階和音

第4席「身ほとり」吉田喬

給餌台に日雀山雀四十雀

第5席「補虫網」南みどり

補虫網の二匹の音にハイタッチ

「ボイジャー」 土本薊

「窯雫」 山下卓郎

「柝の音」草地明子

 堀瞳子選

1席 「遺跡灼く」 藤田駒代

第2席「小鹿」 貞許泰治

第3席「朝なさな」高階和音

山口昭男句集「礫」鑑賞 高階和音

「秋草」主宰の山口秋男氏は、昭和30年生まれ、神戸市在住の俳人である。

鳥の巣に鳥の来てゐる時間かな

置くやうに花びら落とすチューリップ

なんと瑞々しい表現であることか。・・予てより、私は俳句は平明であらねばと思っている。解り易い言葉に詩情が備わってこそ、読む者に感動を与え得る。烏の巣にの句は、雛鳥へ餌を運んで来た親鳥の事なのだろう。上質な絵本の頁捲っているような優しい感動がある。チューリップの散りようも、この通りではないか。

大根を抜きたるあとの穴きれい

メンソレの蓋の少女や聖夜来る

へうたんのほうがえらいとへちまいふ

俳句は俳諧に端を発している文学ゆえ、こんな楽しいおかしみがあって当然であろう。
・私が初学の頃、必死になってリズムを覚えた句がある。

鳥の巣に鳥が入ってゆくところ 波多野爽波

チューリップ花びら外れかけてをり 〃

自句自解 (20)浅井陽子

一窓に月一窓に熊野灘 陽子 「白桃」平成19年10月号所収 

船の窓から見えた情景。波の穏やかな日で、普段は暗黒の熊野灘だが、この日は月光が広がっている。片方の窓には一点の翳りもない月が見える。デッキに上がれば遠く街の灯も見えただろう。「白桃」主宰の故伊藤通明先生は、「余分なものを一切排除して、ここまで徹底できるのは、作者の詩心の昂揚が極まっているからでしょう。」と評してくださった。詠むことがなにより楽しい日々だった。

俳句探勝6 富田美子 

山高く住みて自給の冬菜畑 藤本安騎生(運河)

指組めば祷り形夜の長き  〃

坂口昌弘氏の「忘れ得ぬ俳人と秀句」より・・

安騎生氏が亡くなって10年近くになる。・・東吉野村の高見山の麓に俗を離れ、毎日高見山を眺めて・・安騎生氏を見ていて、心と体のしなやかさと強さが良い俳句を詠む原動力であると思った・・自然への祷り

行列の汗の背中の進まざる 中川純一(知音)

凌霽花やたらに喉の渇きをり 松王かをり(銀化・雪華)

発想の乏しきノート緑さす 大平静代(ひこばえ)

歌がるた小町を弾き飛ばしけり 足立賢治(天衣)

エッセイ「ネベキ」貞許泰治 

稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ  中村汀女

 この句の「寝べき」に関して・・「ネベキ」と口誦?

 「ヌベキ」ではなかったか??

豊作を願う気持ち・・「寝(ね)べきころ」

文語文法上の正誤よりも作者の実感が優先させた表現・・

句碑を歩く 堀瞳子

奈良県東吉野村・平野(天好園)

大峰の雪をよしのは春の風 松瀬靑々

鷹舞へり青嶺に隠れ現れて 右城暮石

水替の鯉を盥に山桜 茨木和生

水替の鯉の句は天好園で詠まれた。庭には大きな池があり鯉が泳いでいる。ここに咲くのは五郎宗桜で、天好園に着くとすっとこの句が浮かぶ。・・ここは時折、高見山から風が吹き降り「平野風」と地元の人は呼ぶ。

俳枕を訪ねて ③ 桐山真琴

山城国宇治(2)三室戸寺・宇治神社

あぢさゐの色をあつめて虚空とす 岡井省一

山吹や宇治に焙爐の匂ふとき 芭蕉

ひかり転がせて蓮酒飲みにけり 水野露草

添削コーナー  堀瞳子

(原句)裏山へ吸はれたやうな流れ星

・・ようなと言う比喩よりは、このようであったと、ストレートに言う方が句に力が出ます。

裏山へ吸はれゆきたる流れ星

 

 

 

 

堀瞳子の句(令和5年11月)

秋の空崩れぬままに夜に入りぬ

海鳴りの窓を打つ夜雁渡し

何急ぎゆくのか風へ秋の蝶

地下深き水の甘さよ今年酒

口切の壺粛々と床の間へ

 

堀瞳子の句(令和5年10月)

夕暮れはひときは朱し雁来紅

携帯はいまだガラ系蕎麦の花

三人の子を容れ花野揺れやまず

十字路のどの道ゆくも花野人

月光はあはき影持ち車椅子

鳳56号

「鳳」56号(2023年9月・10月)

師の句に学ぶ(36) 

松茸を荒拾ひして菌分く 茨木和生

句意は、菌狩のあと、一緒に行った人たちと分けている様子である。松茸も他の菌も茣蓙等に一緒に広げ、先に松茸だけをよりだしている。「荒拾ひ」が大きいものを先ず別にしているととれる。公平に分けようとする気遣いが窺える。師は東吉野辺りで毎年というほど菌狩をされ、句にも多く残されている。筆者も句仲間のご好意で持山に松茸狩をさせていただき、土間の大きな机の上に広げ、分けて頂いたことがある。松茸はともかく、楢茸や栗茸、黒皮菌など初めて見るものもあった。「荒拾ひ」が句の要で、臨場感を出している。浅井陽子

桐集(36)主宰 浅井陽子

山国の闇濃く匂ふ洗鯉

川渡御の百艘に汐遡る

ライバルはいつも姉なり浮いてこい

水神の山の樹雨に打たれけり

雨粒の等間隔に蜘蛛の糸

帆柱に帆柱の影夏深し

木道に雲追うて夏惜しみけり

一峰に雲巻きはじむ今朝の秋

魂載せて船形の火の勢くる

さはやかやガラスペンより空の色

「俳句」9月号の句を含む

梧桐集(7)副主宰 堀 瞳子

かの人もこの人も逝き虹の梁

鳴き終へて次の間のあり法師蝉

はざ掛けの大豆黒豆風さやぐ

草ぐさの声聴くことも子規忌かな

澄む秋の富士に心をゆだねけり

鸞抄  浅井陽子 抽 

水甕のやうな夕空梅雨の月 藤田駒代

己が影均し代掻了はりけり 貞許泰治

まだ遊び足らぬと亀の鳴きにけり 谷口智子

春キャベツのサラダに空気混ずる音 南みどり

母鹿の顎よく動く木陰かな 高階和音

水の色空の色とも七変化 福田とも子

差し水に一回転の水中花 森山久代

保命酒の瓶のレトロや晩夏光 谷本俊夫

祇園会の眠れぬ夜を過ごしけり 浮田雁人

定まらぬ峡の日差や谷空木 三垣博

水草の髭根のどこかつながれり 工藤泰子

一斉に釣師きらめく立夏かな 野中千秋

陽炎や一直線に石畳 安藤加代

若葉して楠の色椎の色 草地明子

道迷ひ泰山木の花に遭ふ 高下眞知子

藻の花の浮き沈みつつ絡まざる 森脇八重

雲の峰へ向かふ清滝行のバス 山崎隆代 

夜の更けて蛍一匹吾の一人 山下卓郎

夏きざす葉擦れの音もせせらぎも 山近由美子

穴出づる蟻の動きのおぼつかな 野村風囁 他瑜

橋本榮治句集「瑜 伽」鑑賞 高階和音
「瑜」ゆうとは、玉石の中からぬきとった最も美しい部分=上質の玉
「伽」がは、おとぎ話=物語

瑜伽」と名付けられた、この美しい句集を「瑜」と「伽」に分かち鑑賞してみたい。

「瑜」

船も雲も速さを忘れ春の沖

紅椿点々t落ち群れて落つ

雪激し八方濁る野のはたて

どの嶺も雲を離さず白鳥来

なんども舌頭に乗せたくなる句である。季題とは、こうあるべきだと読者を納得させてくれるではないか。

「伽」

巣箱より小さき家あり園児展

あたたかや千手の二手は掌を合はせ

自句自解 (19)浅井陽子

鳳眼を笠の深くに風の盆 陽子「鳳」18号 

富山市矢尾地区で9月1日から3日にかけて行われる盆の行事。哀愁を帯びた歌に合わせた踊りは豊年踊り、男踊、女踊と三通りあり、句は女踊の女性を詠んだもの。笠の奥に見えた切れ長の目が印象的で、その目を「鳳眼(ほうがん)とした。眦深く朱を含む人相と言い中国では貴相とされる。女踊は当初は芸妓さんが主に踊っていたが、歴史と共に変革した。・・水音と胡弓の音色の流れる街は人を惹きつける。

俳句探勝5 山崎隆代 

デコポンのお凸はなんであるんかな 矢島渚男(梟)

巣燕や店に切手と陀羅尼助 田中春夫(朱雀)

譜面台置く薔薇園のカルテット 井上弘美(汀)

実朝の大船泊つる蜃気楼 大島雄作(青垣)

実朝と言えば歌人のイメージである。が、最近では鎌倉将軍・・唐船を建造したことも知られてきた。ただその船は進水できず由比が浜に朽ち果てたとか。幻に消えた船が800年の時を経て蜃気楼の中に・・非業の死を遂げた実朝へのオマージュと思いたい。

エッセイ「含羞」貞許泰治 

・・「身内の出来事」を詠む・・

長き夜の苦しみを解き給ひしや 稲畑汀子

夫の忌の時雨に遭ひし橋の上 桂信子

夫逝きぬちちはは遠く知り給はず 〃

句碑を歩く② 堀瞳子

奈良県御所市(葛城古道)

天の神地の神々に植田澄む 右城暮石「運河」創刊主宰

 ・この句は日本神話の舞台でもある大和葛城の地に建てられている。「高嶋神社」は金剛山の麓にあり、天孫降臨の伝わる台地、高天ヶ原に近く、大和一帯が見渡せる。・・葛城は古代の一大豪族、鴨氏発祥の地で高嶋神社は京都の上賀茂、下鴨神社の元宮に当る。・・葛城古道は、」現在、ハイキングコースとして道標が整備されていて、高天彦神社や一言主神社、土蜘蛛塚などがあり記紀神話を辿りながら歩くことができる。

 一言主神社の芭蕉句碑

猶見たし花に明行く神の顔 芭蕉
俳枕を訪ねて ② 桐山真琴

山城国宇治(1)宇治川・宇治橋

宇治川やほつりほつり春の雨 子規

網代木にささ波見ゆる月夜かな 虚子

冬がれや平等院の庭の面 鬼貫

添削コーナー  堀瞳子

(原句)夕さりてほのと色差す山法師

 さりは・・夕べが去ったとなります

暮れ方はほのと色差し山法師

 

 

 

堀瞳子の句(令和5年9月)

野の花を一輪挿しに今朝の秋

いま一度広げて仕舞ふ秋扇

胸裸とて恥らはず生身魂

二の腕の太さに育ち種胡瓜

迎火や肩越しの灯に燐寸すり

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