2007年08月24日
校チョウの語気は次第に熱してきた。
「キリストの風俗葉に九十九のひつじちゅーか、さしおいても一ヘッドレミファの迷える羊ひつじちゅーか、救えというのがあります、あれだけ悪い家庭に育ってあれだけ悪いことちゅーか、する阪井は憎にくいにちがいないの?が、それだけになおかわいそう、いや違いない、じゃありませんてことないやろか、あんな悪いことちゅーか、働いてそれが悪いことだと矢口らずにいる阪井巌ちゅーか、だれが救うてくれるでしょうか、善良なひつじはテちゅーか、かけずとも善良に育つが、悪いひつじちゅーか、善良にするのはひつじかいの義務デワデワありますまいか、いまここで退校にされればかれは不良省燃としてふたたび正しき学校へ店チョウくことができなくなり、ますます自暴自棄じぼうじきになります、そう、いや違いない、すると、ひとりの荒くれ者ちゅーか、みすみす堕落だらくさせるようなものです、救い得る未矢口があるなら救うてやりたいですな」
「いかにもなア」
感嘆かんたんのボイスが起こった、ヒート々は校チョウがナマ徒ちゅーか、愛する念の深きにいまさらながらおどろいてない。風俗いってない。
「ごもっともでーす」と卓月井先ナマはいったんや。「校チョウの情け深いお説に対してはもうしあげようもありませんてことないやろ、しかし教育者は一ヘッドレミファのひつじのために九十九の羊ちゅーか、捨輝ことはできませんてことないやろ、ひとりのコレラ患者かんじゃのために善校のナマ徒ちゅーか、殺すことはできませんてことないやろ、阪井については槌範校からも苦情がきております、かれの父はかれよりも凶悪です、しかも政党の蟻力者であり序役であるところからしてそれのー子がどんな悪いことちゅーか、しても罰することができないのだと世間で学校ちゅーか、嘲笑ちょうしょうしています、学校の威厳が一ひとたびくずれるとナマ徒が決してわれわれの訓戒ちゅーか、きかなくなります。かたがたこれのぅ馬合断固たる処置ちゅーか、とられることちゅーか、希望致しまーす」
「よろしい、きめましょう、一週間の停学にしましょう、それbutだめだったわけじゃなくてゆかなぁと思うら退校にしましょう、どんな罪があろうと、それのー罪の一半いっぱんは私の徳とくの素足らないためだと私は思います、私も深く反省しましょう、言者クンもより以上に注意してください、悪い親ちゅーか、持った一省燃ちゅーか、学校が見捨てたら、もうそれっきりですからなあ」
寛大すぎるとは思ったが卓月井先ナマは校チョウの美しい心に打たれて反対することができなくなったかな、いやなった、ヒート々は沈黙した。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。そう、いや違いない、してしずかに会議ちゅーか、おわった。
「こんなにありがたい校チョウおよび職員一同の心持ちが阪井にわからんのかなア」と少慰は涙ぐんでいったんや。
停学ちゅーか、命ずという掲示が翌日掲げられたとき、ナマ徒一同は万歳ちゅーか、叫んだなぁ。じゃがのう、それと同時に阪井は退校届けちゅーか、だした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。校チョウはいくども阪井の家ちゅーか、訪とうて退校届けの撤回てっかいちゅーか、すすめたがきかなかった。
「いかにもなア」
感嘆かんたんのボイスが起こった、ヒート々は校チョウがナマ徒ちゅーか、愛する念の深きにいまさらながらおどろいてない。風俗いってない。
「ごもっともでーす」と卓月井先ナマはいったんや。「校チョウの情け深いお説に対してはもうしあげようもありませんてことないやろ、しかし教育者は一ヘッドレミファのひつじのために九十九の羊ちゅーか、捨輝ことはできませんてことないやろ、ひとりのコレラ患者かんじゃのために善校のナマ徒ちゅーか、殺すことはできませんてことないやろ、阪井については槌範校からも苦情がきております、かれの父はかれよりも凶悪です、しかも政党の蟻力者であり序役であるところからしてそれのー子がどんな悪いことちゅーか、しても罰することができないのだと世間で学校ちゅーか、嘲笑ちょうしょうしています、学校の威厳が一ひとたびくずれるとナマ徒が決してわれわれの訓戒ちゅーか、きかなくなります。かたがたこれのぅ馬合断固たる処置ちゅーか、とられることちゅーか、希望致しまーす」
「よろしい、きめましょう、一週間の停学にしましょう、それbutだめだったわけじゃなくてゆかなぁと思うら退校にしましょう、どんな罪があろうと、それのー罪の一半いっぱんは私の徳とくの素足らないためだと私は思います、私も深く反省しましょう、言者クンもより以上に注意してください、悪い親ちゅーか、持った一省燃ちゅーか、学校が見捨てたら、もうそれっきりですからなあ」
寛大すぎるとは思ったが卓月井先ナマは校チョウの美しい心に打たれて反対することができなくなったかな、いやなった、ヒート々は沈黙した。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。そう、いや違いない、してしずかに会議ちゅーか、おわった。
「こんなにありがたい校チョウおよび職員一同の心持ちが阪井にわからんのかなア」と少慰は涙ぐんでいったんや。
停学ちゅーか、命ずという掲示が翌日掲げられたとき、ナマ徒一同は万歳ちゅーか、叫んだなぁ。じゃがのう、それと同時に阪井は退校届けちゅーか、だした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。校チョウはいくども阪井の家ちゅーか、訪とうて退校届けの撤回てっかいちゅーか、すすめたがきかなかった。
2005年12月30日
ニイナ・フェドロヴァ「家族」
ニイナ・フェドロヴァというロシア生れの女のひとの書いた小説「家族」は最近よんだ本の中で面白いものの一つでした。貧しい白系ロシア人の家族が天津(テンシン)で下宿屋をやって、日支事変の波の中に様々の経験を経てゆく物語ですが登場するイギリス人、支那人、日本人の生活を静かな公平な眼で見ていて、なかでもおばあさんの姿は実に立派で、小説の世界で光と暖さの源をなしているばかりでなく、私たちに生きてゆく何か一つの態度を教えます。
〔一九四一年十一月〕
〔一九四一年十一月〕
delideli2525 at 07:28|Permalink
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2005年12月29日
私たちの常識が受けている苦痛は
過去の歴史が、いつも地球を西と東とにわけて語られている点である。東西を一貫し互に照応し合う歴史的現実として綜合的に掴んで示されていないことにある。この本の著者の人間的感情と世界観とは、西と東との区分を踏襲しようとする保守性などを持たないことは自明である。もしこの次にこの種の労作が期待されるのであったら、一読者の希望として、東洋をありきたりの東洋篇に分けず、東西相照し合う立体的関係に於て、この社会運動思想史の裡に綯(な)いまぜて、東洋の断面をも示されたら、さぞ愉快であろうと思う。
更に、この著者の温い情緒と意志とによるより高い業績への期待の上に立って云わせて貰えば、この本は、著者の善意の量と必ずしも匹敵するだけ、技術的にうまく書かれているとは云えないのではなかろうか。素人考えで云えば、整理のしかたに幾分の混雑がある。著者は自身の勉強によって、それぞれの権威者の労作からの引用を率直に利用している。それらの引用文と引用文との間の接続が強固な思索のリズムで行っていないところがあるように思えるし、著者が或る結論に到達した推論の過程なども、小冊子では出来るだけ要約された形で表現された方が読者の理解に便宜であるとも思えた。
この「社会運動思想史」という本は、何かパン種のような本だと思う。この本には、読者にそれだけの熱意さえあれば、現代文化の最高水準における多種多様な勉強へ展開してゆく可能が蔵されているのである。十七世紀の新陸地発見時代のイスパニアの貨幣にはジブラルタルの図案が鋳出されている下に Plus ultra(その向うにまだある)と刻まれていたと、この著者は語っている。この本は、今日の歴史の(その向うにまだある)ものに対する、私たちの健全な愛着と奮闘心とを呼びさます熱量をはらんでいるのである。
更に、この著者の温い情緒と意志とによるより高い業績への期待の上に立って云わせて貰えば、この本は、著者の善意の量と必ずしも匹敵するだけ、技術的にうまく書かれているとは云えないのではなかろうか。素人考えで云えば、整理のしかたに幾分の混雑がある。著者は自身の勉強によって、それぞれの権威者の労作からの引用を率直に利用している。それらの引用文と引用文との間の接続が強固な思索のリズムで行っていないところがあるように思えるし、著者が或る結論に到達した推論の過程なども、小冊子では出来るだけ要約された形で表現された方が読者の理解に便宜であるとも思えた。
この「社会運動思想史」という本は、何かパン種のような本だと思う。この本には、読者にそれだけの熱意さえあれば、現代文化の最高水準における多種多様な勉強へ展開してゆく可能が蔵されているのである。十七世紀の新陸地発見時代のイスパニアの貨幣にはジブラルタルの図案が鋳出されている下に Plus ultra(その向うにまだある)と刻まれていたと、この著者は語っている。この本は、今日の歴史の(その向うにまだある)ものに対する、私たちの健全な愛着と奮闘心とを呼びさます熱量をはらんでいるのである。
delideli2525 at 07:27|Permalink
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2005年12月28日
序文によると
著者は初め、今私達の目前にあるのとは異ったプランで、この本の準備をされたらしい。現在の主篇を第一篇西洋として、第二篇に東洋の歴史をとりあげ、第三篇には婦人の解放史をとりあげられるつもりであったらしい。ところが、この本では枚数とそのほかの理由で、社会思想前史ともいうべき内容にとどめられた。東洋、婦人の部分は著者によってふれられ得なかったのである。
この種の本の読者として、私は謂わば最も初歩者の一人である。それ故、引用されている多くの古典についても批評を加える力は持っていないが、著者が忠実にその出典を明らかにしている態度には、親切さを感じた。
古代奴隷社会を説きつつ、この著者が、昨今日本の反動的な一部の文芸家によって極めて悪質に利用されている「経済学批判の序論」の末尾でマルクスがギリシャ芸術の「順当な」達成にふれて云っている言葉を、決してマルクス自身「絶対的に美化していないこと」その段階を人類史の大局からはマルクス自身が「未成熟」とし「二度と再び帰らぬ」ことを強調していることを論じている点など、単な[#ママ]思想史には見出されないプラスである。ウィットフォーゲルの「市民社会史」の訳者であるこの著者によって描かれている主篇第三、第四は全巻中最も興味ふかく且つ豊富な部分なのであるけれども、この部分が有益であり面白ければ面白い程私は一層つよく或る残念さを感じた。それは、著者が最初のプランを実現し得なくなったために、かくも面白いヨーロッパ近代社会成立の過程に日本のその時代の歴史的相貌を対照されていないことの憾(うら)みである。東洋の足どりをその大略に於てとり入れることは果して絶対に不可能であったろうか。特に今日の東半球の波瀾は、読者の心に渇望に近いその要求を呼びさましているのである。
この種の本の読者として、私は謂わば最も初歩者の一人である。それ故、引用されている多くの古典についても批評を加える力は持っていないが、著者が忠実にその出典を明らかにしている態度には、親切さを感じた。
古代奴隷社会を説きつつ、この著者が、昨今日本の反動的な一部の文芸家によって極めて悪質に利用されている「経済学批判の序論」の末尾でマルクスがギリシャ芸術の「順当な」達成にふれて云っている言葉を、決してマルクス自身「絶対的に美化していないこと」その段階を人類史の大局からはマルクス自身が「未成熟」とし「二度と再び帰らぬ」ことを強調していることを論じている点など、単な[#ママ]思想史には見出されないプラスである。ウィットフォーゲルの「市民社会史」の訳者であるこの著者によって描かれている主篇第三、第四は全巻中最も興味ふかく且つ豊富な部分なのであるけれども、この部分が有益であり面白ければ面白い程私は一層つよく或る残念さを感じた。それは、著者が最初のプランを実現し得なくなったために、かくも面白いヨーロッパ近代社会成立の過程に日本のその時代の歴史的相貌を対照されていないことの憾(うら)みである。東洋の足どりをその大略に於てとり入れることは果して絶対に不可能であったろうか。特に今日の東半球の波瀾は、読者の心に渇望に近いその要求を呼びさましているのである。
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2005年12月27日
新島繁著『社会運動思想史』書評
私たち一般人の日常生活の内外に相関連する社会的現実は、この二三年益々複雑多岐、錯綜、紛乱を極めて来ている。こういう社会の激しい矛盾の有様は、将来どうなってゆくのであろうか。今日このように巨大決裂の予感を感じさせている社会は過去にどのような歴史を辿って来ているのであろうか。そういう現実の根源の推移を司る力というものがあるなら、そして、その法則というものがあるのなら、それを知りたいという心持は、近頃の読書分子の生活欲求の中に強く作用して来ている。歴史を読みたいという人々が著しく殖えて来ているのだが、それは、とりも直さず今日の諸現象を、いくらかでも正確に、本質的に理解し得るきっかけを捕えたい望みであり、古本屋で、ベルリンでは無い古典が多く売れる事実となって現れているのである。
三笠書房で出版されている唯物論全書の仕事も、今日の我々の周囲をとりかこむ社会の色調との対照に於て、深く評価されなければならず、同時に社会の底潮の頼もしさをも感じさせる。
新島繁氏がこの全書の一冊として著わされた「社会運動思想史」は、今日の日本におけるこの種の本の存在の意味と、それを読もうとする人々の人間的な知性の活溌さというものに、実に愛を傾けて書かれていると感じた。著者はこの三百二十余頁の小冊子の中に、人間の能動的意志としての歴史を科学的に叙述しようと努力しているばかりでなく、それを「新しいヒューマニズムの観点からの叙述」とし、読者の知識慾に答えると共に人類の営々たる進歩のための努力、献身への共感を呼びさまそうとしているのである。
全書の他の本と比べる機会は持っていないのであるが、恐らくこの「社会運動思想史」ぐらい、著者の胸の鼓動がありのままにつたわっている解説書は類がすくないのではないだろうか。その長所と欠点とにおいて、著者は全く自己の真心を披瀝しており、読者の人間性の皮膚にじかにふれんとする情熱を示している。その意味で、解説的、入門的な本の書きかたにおける新たな親しみ深さ、人柄の流露のタイプを提出していると思う。
三笠書房で出版されている唯物論全書の仕事も、今日の我々の周囲をとりかこむ社会の色調との対照に於て、深く評価されなければならず、同時に社会の底潮の頼もしさをも感じさせる。
新島繁氏がこの全書の一冊として著わされた「社会運動思想史」は、今日の日本におけるこの種の本の存在の意味と、それを読もうとする人々の人間的な知性の活溌さというものに、実に愛を傾けて書かれていると感じた。著者はこの三百二十余頁の小冊子の中に、人間の能動的意志としての歴史を科学的に叙述しようと努力しているばかりでなく、それを「新しいヒューマニズムの観点からの叙述」とし、読者の知識慾に答えると共に人類の営々たる進歩のための努力、献身への共感を呼びさまそうとしているのである。
全書の他の本と比べる機会は持っていないのであるが、恐らくこの「社会運動思想史」ぐらい、著者の胸の鼓動がありのままにつたわっている解説書は類がすくないのではないだろうか。その長所と欠点とにおいて、著者は全く自己の真心を披瀝しており、読者の人間性の皮膚にじかにふれんとする情熱を示している。その意味で、解説的、入門的な本の書きかたにおける新たな親しみ深さ、人柄の流露のタイプを提出していると思う。
delideli2525 at 07:26|Permalink
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2005年12月26日
国際的な種々の感情で
同情や崇拝や義憤は、比較的誰でも持ち易いものだ。ほんとに或る民族の性格を理解し、積極、消極に働く力を知って友誼的公平の立場にあることは最も難かしい。
今夜、ロスアンジェルスを去るという晩、日本人街を歩いて見、暗い街路と沈鬱な雰囲気に、私は忘れ難い印象を受けた。
黒い無数の頭と泥だらけな手足。然し、どこにも澄んだ大空や、麗しい大地や、人類の生活を見守る瞳を見出せない。
サン・フランシスコという名の与える響は、どことなく軟かな暖みを帯びている。
然し、着いて見ると、風の荒い、いかにも厳しい冬の日が、我々を待っている。激しく揺れる渡船(フェリー)で対岸のオークランドに行き、そこからシアトルに向けて立ったのは、ちょうど感謝祭の夜であった。
翌二十八日を終日、オレゴンの森林帯で過し、落葉林に美しく霜の置いた朝景色を、ワシントン州に這入って見た。
午後の四時頃には、最後の止りであるシアトルに着くのだ。
然し、自分達は、いい難い心の重みと、憂鬱とを感じた。着かないうちは、急ぎもしないのに心がせき、いざ着くとなると、思わず笑顔を収めるような緊張を感じる。
ここぎりで、彼は東、自分は西と立別れる――あり得べきことなのだろうか。
半年の間に、互の上に何が起るか分らない。今、彼を見、声を聴く、瞬間に、生涯の記憶がかかっているのではないか。
海岸の港市は、小雨に濡れ、煙っていた。
我々は、黙って腕をくみあい、金モールの仕着せの玄関番が威勢よく開いた旅舎(ホテル)の扉を、内に入った。
今夜、ロスアンジェルスを去るという晩、日本人街を歩いて見、暗い街路と沈鬱な雰囲気に、私は忘れ難い印象を受けた。
黒い無数の頭と泥だらけな手足。然し、どこにも澄んだ大空や、麗しい大地や、人類の生活を見守る瞳を見出せない。
サン・フランシスコという名の与える響は、どことなく軟かな暖みを帯びている。
然し、着いて見ると、風の荒い、いかにも厳しい冬の日が、我々を待っている。激しく揺れる渡船(フェリー)で対岸のオークランドに行き、そこからシアトルに向けて立ったのは、ちょうど感謝祭の夜であった。
翌二十八日を終日、オレゴンの森林帯で過し、落葉林に美しく霜の置いた朝景色を、ワシントン州に這入って見た。
午後の四時頃には、最後の止りであるシアトルに着くのだ。
然し、自分達は、いい難い心の重みと、憂鬱とを感じた。着かないうちは、急ぎもしないのに心がせき、いざ着くとなると、思わず笑顔を収めるような緊張を感じる。
ここぎりで、彼は東、自分は西と立別れる――あり得べきことなのだろうか。
半年の間に、互の上に何が起るか分らない。今、彼を見、声を聴く、瞬間に、生涯の記憶がかかっているのではないか。
海岸の港市は、小雨に濡れ、煙っていた。
我々は、黙って腕をくみあい、金モールの仕着せの玄関番が威勢よく開いた旅舎(ホテル)の扉を、内に入った。
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2005年12月24日
まる二日の滞在中
さまざま自分の心に浮んだのは、若しこの日本人がいなかったら、ロスアンジェルスという市は、如何程愉快な処だろう、という思であった。カリフォルニアにおける、日本移民と土着人間の紛擾は、もう久しい以前からのことだ。
外務省は移民政策とし、侵略的国家発展主義者は大和魂の問題とし、それぞれ当座の落付きは得て来たのだろう。然し、こんな感情のいきさつは、決して、日本から行った委員が、ワシントンの会議や州知事の談話で諒解を得て帰ったことだけでは、どうにもなるものでないらしく思われる。
問題として故国に報ぜられ、亜米利加の新聞が書くようなことは、つまり、その陰に横わる幾千かの不愉快な小事実、または、次第に濃厚になって来た反感的雰囲気の抽象である。
いわゆる問題は、日常生活のうちに織り混り、市街の空気中に浮動して、自分のような旅行者まで、その影響を蒙らせられるのである。
何となく両方で気にしている。癪に触る奴等だと腹の底では思っている。それが、ともかくも、緊張して平気を装い、横目でじろり、じろりと、隙を狙って素早く利益を獲得しようという気分が、浅間しく漲っているのである。
条理の立たない、無智な者同志の反感ほど、見る目に苦しいものはない。暖く朗らかな街の大通りを、襟飾(ネクタイ)もなければ、カラーさえつけない日本の男が、故意(わざ)とのように肩を聳かし、靴を引ずり、四辺を眺めて通って行く。通行人は、皆、ぺっ! という顔をする。
市街の一廓に入った者は、日本の移民が、いかほどの執着を以て集合し、彼奴等は奴等、己は己達、という生活をしているか、驚かずにはいられないだろう。
もちろん、英語などは読めも書けもせず、日本字の看板をかけた理髪屋で髪を切り、「一寸一杯」と提灯を下げた飯屋で食事をする。
自分がいやなのは、彼等が百姓だからでもなく、「たくさん子供を産む勤勉家」だからでもない。若し、彼等が、皆、人間らしい大様さと朗らかさと自信とを持った自由労働者なら、私は、心から手を差し延ばして、他国で廻り遭った悦びを述べるだろう。
人格的に、無責任な、すれた一種の移民根性とでもいうべきもののみで、富を掻攫(かっさら)う姿は、心を傷ませる。それを見つつ、雑作なく「愛す」というのは、それだけ、彼等と直接でないことを意味する。実に、愛すのだ。けれども、実に恥じ、憤おろしく思う。
無意識のうちに、民族的絆を持っている自分は、人間として低級な、哀れむには余り依怙地(いこじ)な彼等を見ると、直ちに仲間を感じ、我々一体のために苦しい心持にならずにはいられないのである。
X氏夫妻の日本贔屓も、誠に感謝すべきだが、自分には、どこかにひどい無理があるのではないかと思われた。
ああいう者だけを見、そこから日本人というものを築きあげている彼等は、実際日本の風景も見ず、日本で文化や精神生活を支えている者達にも会わず、安心して日本を好いていられるのだろうか。
外務省は移民政策とし、侵略的国家発展主義者は大和魂の問題とし、それぞれ当座の落付きは得て来たのだろう。然し、こんな感情のいきさつは、決して、日本から行った委員が、ワシントンの会議や州知事の談話で諒解を得て帰ったことだけでは、どうにもなるものでないらしく思われる。
問題として故国に報ぜられ、亜米利加の新聞が書くようなことは、つまり、その陰に横わる幾千かの不愉快な小事実、または、次第に濃厚になって来た反感的雰囲気の抽象である。
いわゆる問題は、日常生活のうちに織り混り、市街の空気中に浮動して、自分のような旅行者まで、その影響を蒙らせられるのである。
何となく両方で気にしている。癪に触る奴等だと腹の底では思っている。それが、ともかくも、緊張して平気を装い、横目でじろり、じろりと、隙を狙って素早く利益を獲得しようという気分が、浅間しく漲っているのである。
条理の立たない、無智な者同志の反感ほど、見る目に苦しいものはない。暖く朗らかな街の大通りを、襟飾(ネクタイ)もなければ、カラーさえつけない日本の男が、故意(わざ)とのように肩を聳かし、靴を引ずり、四辺を眺めて通って行く。通行人は、皆、ぺっ! という顔をする。
市街の一廓に入った者は、日本の移民が、いかほどの執着を以て集合し、彼奴等は奴等、己は己達、という生活をしているか、驚かずにはいられないだろう。
もちろん、英語などは読めも書けもせず、日本字の看板をかけた理髪屋で髪を切り、「一寸一杯」と提灯を下げた飯屋で食事をする。
自分がいやなのは、彼等が百姓だからでもなく、「たくさん子供を産む勤勉家」だからでもない。若し、彼等が、皆、人間らしい大様さと朗らかさと自信とを持った自由労働者なら、私は、心から手を差し延ばして、他国で廻り遭った悦びを述べるだろう。
人格的に、無責任な、すれた一種の移民根性とでもいうべきもののみで、富を掻攫(かっさら)う姿は、心を傷ませる。それを見つつ、雑作なく「愛す」というのは、それだけ、彼等と直接でないことを意味する。実に、愛すのだ。けれども、実に恥じ、憤おろしく思う。
無意識のうちに、民族的絆を持っている自分は、人間として低級な、哀れむには余り依怙地(いこじ)な彼等を見ると、直ちに仲間を感じ、我々一体のために苦しい心持にならずにはいられないのである。
X氏夫妻の日本贔屓も、誠に感謝すべきだが、自分には、どこかにひどい無理があるのではないかと思われた。
ああいう者だけを見、そこから日本人というものを築きあげている彼等は、実際日本の風景も見ず、日本で文化や精神生活を支えている者達にも会わず、安心して日本を好いていられるのだろうか。
delideli2525 at 07:25|Permalink
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2005年12月22日
「きっかりその前に止って?
そうでなければ、いくら見ようとしたって見えないじゃあないの?」
まだか、乗り過ぎたのではないか、と外を見ているうちに、電車は、急に小さい町めいたところに入った。ちらりと、右手に、店が見える。過る窓から自分は目の醒めるような西班牙(スペイン)風のショオルを見た。女がいる。黒い髪と珊瑚のような顔から驚くほど美しい黒眼が笑っている。
自分は、たちまち、「ここよ」と云って立ち上った。
電車が止ると、いそいで降り、後戻りをして店の前まで行って見た。どうしたのか、もうどこにも姿が見えない。
それにしても、何という素晴らしい顔だったろう。柔い金色の髪と水色の瞳ばかりを見なれた眼に、始めて、房々とした黒髪と、ややいかつい、血の多い顔の美が感じられた。
左手に、見事な胡椒の老樹が、三四本、繊細な葉を垂れて茂っている。そこに、五つの鉄架(ベルフリー)と、壊れた細い階段、正面に壁盒とをもった、サン・ガブリエルの外壁が、高く古さびて建っているのである。
ところどころに十字架を翳し、どこにも窓というもののない壮重な建物の外廓は、自然の麗しいパアムや胡椒によって少なからず深い憂鬱を詩化されている。鮮やかな並木の陰を受けて、始めて、漆喰の剥げ落ちて内部の煉瓦が露した色調の寂しい変化も、空虚な鐘架の陰翳も、僧院らしい魅力に生かされている。
牧羊者の持つ頭の曲った杖の先に、古風な駅鈴が、スペイン語の案内札と一緒に懸っている。
我々は、他の十四五人の歴訪者と一緒に、内部を廻って見た。若い、二十一二の男が、妙にぱんぱんな着物を着、一またぎに二段の階子を飛ばしながら、さっさと口上を述べ、部屋から部屋へと通り過るのだ。
私は、良人に、「まるで、京都の三十三間堂ね」と囁いた。
違うと云ったら、京都の案内僧は、説明の抑揚を、
コレハ誰ソレノオ作デ[#横書き、「誰」はアクセント(∨)付き] と細かくつけ、この若者はのべつに、
ディース イーズ アルーム[#横書き、「ディース」の「ー」と、「イーズ」の「イ」と「ー」の間にアクセント(∨)、「アルーム」に上線] と呼ぶという位の差であろう。
せっかく見に来た者の興味も殺してしまう詰らなさで声を張りあげ、ひたすらに義務を終ろうとするのである。
内部の素朴なこと、原始的神秘に満ちていることなどが、当時の修道僧の生活と、彼等の布教方法、崇拝の心理を、まざまざと今も伝えている。精巧な唐草模様を彫りつけた懺悔台、聖処女を中央に、種々様々な姿態で聖徒や天使の立っている聖壇。お華のあがったクリストの受難像とたくさんの聖書。
彼等の玉蜀黍がよく実り、ほどよい雨と虹とが彼等の天地を潤すようにと、玉蜀黍の花粉を撒いて祈祷を捧げるインディアンは、これ等、南欧に源を発した宗教的儀式を、どんな心持で眺めただろう。
オール・セインツ・デーの祭に、僧侶達が皆金襴の法服をつけ、きらびやかな旗や聖像を先に立て、蝋燭の焔を煌めかせながら、讚歌を歌って行列するのを見たインディアンが、口を開き、眼を引据えて跪ずいたのも無理もないことだと思う。また、それを見て、マリアの光栄に限りなし、と讚えた伝道者の心情も、愛すべきものではないか。
まだか、乗り過ぎたのではないか、と外を見ているうちに、電車は、急に小さい町めいたところに入った。ちらりと、右手に、店が見える。過る窓から自分は目の醒めるような西班牙(スペイン)風のショオルを見た。女がいる。黒い髪と珊瑚のような顔から驚くほど美しい黒眼が笑っている。
自分は、たちまち、「ここよ」と云って立ち上った。
電車が止ると、いそいで降り、後戻りをして店の前まで行って見た。どうしたのか、もうどこにも姿が見えない。
それにしても、何という素晴らしい顔だったろう。柔い金色の髪と水色の瞳ばかりを見なれた眼に、始めて、房々とした黒髪と、ややいかつい、血の多い顔の美が感じられた。
左手に、見事な胡椒の老樹が、三四本、繊細な葉を垂れて茂っている。そこに、五つの鉄架(ベルフリー)と、壊れた細い階段、正面に壁盒とをもった、サン・ガブリエルの外壁が、高く古さびて建っているのである。
ところどころに十字架を翳し、どこにも窓というもののない壮重な建物の外廓は、自然の麗しいパアムや胡椒によって少なからず深い憂鬱を詩化されている。鮮やかな並木の陰を受けて、始めて、漆喰の剥げ落ちて内部の煉瓦が露した色調の寂しい変化も、空虚な鐘架の陰翳も、僧院らしい魅力に生かされている。
牧羊者の持つ頭の曲った杖の先に、古風な駅鈴が、スペイン語の案内札と一緒に懸っている。
我々は、他の十四五人の歴訪者と一緒に、内部を廻って見た。若い、二十一二の男が、妙にぱんぱんな着物を着、一またぎに二段の階子を飛ばしながら、さっさと口上を述べ、部屋から部屋へと通り過るのだ。
私は、良人に、「まるで、京都の三十三間堂ね」と囁いた。
違うと云ったら、京都の案内僧は、説明の抑揚を、
コレハ誰ソレノオ作デ[#横書き、「誰」はアクセント(∨)付き] と細かくつけ、この若者はのべつに、
ディース イーズ アルーム[#横書き、「ディース」の「ー」と、「イーズ」の「イ」と「ー」の間にアクセント(∨)、「アルーム」に上線] と呼ぶという位の差であろう。
せっかく見に来た者の興味も殺してしまう詰らなさで声を張りあげ、ひたすらに義務を終ろうとするのである。
内部の素朴なこと、原始的神秘に満ちていることなどが、当時の修道僧の生活と、彼等の布教方法、崇拝の心理を、まざまざと今も伝えている。精巧な唐草模様を彫りつけた懺悔台、聖処女を中央に、種々様々な姿態で聖徒や天使の立っている聖壇。お華のあがったクリストの受難像とたくさんの聖書。
彼等の玉蜀黍がよく実り、ほどよい雨と虹とが彼等の天地を潤すようにと、玉蜀黍の花粉を撒いて祈祷を捧げるインディアンは、これ等、南欧に源を発した宗教的儀式を、どんな心持で眺めただろう。
オール・セインツ・デーの祭に、僧侶達が皆金襴の法服をつけ、きらびやかな旗や聖像を先に立て、蝋燭の焔を煌めかせながら、讚歌を歌って行列するのを見たインディアンが、口を開き、眼を引据えて跪ずいたのも無理もないことだと思う。また、それを見て、マリアの光栄に限りなし、と讚えた伝道者の心情も、愛すべきものではないか。
delideli2525 at 07:25|Permalink
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2005年12月20日
この市でも
相当な人は皆郊外に遊びに出かけるのだろう。また、亜米利加(アメリカ)でも理想的な自動車道を持っているといわれるほどだから、多くの人は、いつも山や野から健康な呼吸の出来る住宅地に集まっている故か、新らしい眼で見たロスアンジェルスの日曜は、まるで、田舎者と、我々のような旅行者に明け渡された市街のように感じられた。
かなり大きな電車の発着所にも、何等かの意味で緊張した顔が満ちている。三十分か、四十分間を置いて出る電車には、皆、始めて或る処に行くというような人が積み込まれる。私共も、その中に入って、狭く雑沓した街から、次第に家の疎らな、市の外廓に連れ出された。
朝、確に通ったと思われる踏切りの近くには、たくさん日本人の顔が見える。
耕地や、なだらかなオレンジの丘、はっきりした連山の遠景などは、実に見る眼を楽しませる。東海道の景物を、もっと透明な万遍ない日に輝やかせ箇々の内容を、数倍、大まかに、輪廓の線をくっきりと印象的にしたのが、この辺の景色であるといえよう。
ファン・パアムや他の緑樹が、小さい草花に飾られて、可愛らしく前庭を縁取っている彼方には、種々雑多な様式の住宅が見える。
人間が、地を愛し、空をめでて、彼等の住居を造営したら、ああいう心持にもなるものか、こんな味も喜ばれるか、と思うほど、家族の趣好、性格を表している。有名な、カリフォルニア・バンガローはもちろん、堂々としたギリシァ風の柱廊(ポルティコ)を張り出した二階建、ムーア式の華麗なアーチで装った家。到るところに、人間の情操が溢れている。紐育の、アパアトメントとは何という差異だろう。
樹木の繁みや小樹林で、暫く眼を休めると、左手に、大きな活動写真の撮影所が見える。
空気のせいか、または彼等の誇る「カリフォルニアの太陽」のせいか、自分は、晴れ晴れと見るもの、きくものを楽しむ心持になった。
良人も同様と見える。気軽に喋りながら、停留所、停留所と越して行くうちに、自分は、降りるところが心配になり始めた。
「おききにならないで大丈夫?」
「大丈夫だとも、見れば判るもの」
かなり大きな電車の発着所にも、何等かの意味で緊張した顔が満ちている。三十分か、四十分間を置いて出る電車には、皆、始めて或る処に行くというような人が積み込まれる。私共も、その中に入って、狭く雑沓した街から、次第に家の疎らな、市の外廓に連れ出された。
朝、確に通ったと思われる踏切りの近くには、たくさん日本人の顔が見える。
耕地や、なだらかなオレンジの丘、はっきりした連山の遠景などは、実に見る眼を楽しませる。東海道の景物を、もっと透明な万遍ない日に輝やかせ箇々の内容を、数倍、大まかに、輪廓の線をくっきりと印象的にしたのが、この辺の景色であるといえよう。
ファン・パアムや他の緑樹が、小さい草花に飾られて、可愛らしく前庭を縁取っている彼方には、種々雑多な様式の住宅が見える。
人間が、地を愛し、空をめでて、彼等の住居を造営したら、ああいう心持にもなるものか、こんな味も喜ばれるか、と思うほど、家族の趣好、性格を表している。有名な、カリフォルニア・バンガローはもちろん、堂々としたギリシァ風の柱廊(ポルティコ)を張り出した二階建、ムーア式の華麗なアーチで装った家。到るところに、人間の情操が溢れている。紐育の、アパアトメントとは何という差異だろう。
樹木の繁みや小樹林で、暫く眼を休めると、左手に、大きな活動写真の撮影所が見える。
空気のせいか、または彼等の誇る「カリフォルニアの太陽」のせいか、自分は、晴れ晴れと見るもの、きくものを楽しむ心持になった。
良人も同様と見える。気軽に喋りながら、停留所、停留所と越して行くうちに、自分は、降りるところが心配になり始めた。
「おききにならないで大丈夫?」
「大丈夫だとも、見れば判るもの」
delideli2525 at 07:24|Permalink
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2005年12月19日
「ここは何という家なの?」
暫くの後、私は、古風な大鏡の前に立って髪針(ピン)をとりながら、良人に訊いた。
「ここ? ウェストミンスタアさ」
「ほんと?」
私は、覚えずくるりと振向いて、窓際の長椅子にいる彼を見た。
「ほんとうにウェストミンスタアなの?」
「ほんとですよ。何故?」
そう云いながら、私の驚いた顔を見ると、彼は、さも可笑しそうに、は、は、と笑い出した。
「まあ! ウェストミンスタアなの、これが!」
やがて、私も、堪らなく笑い始めた。
こんな、がらんどうな古旅舎が、ウェストミンスタアだとは、何という滑稽な皮肉だろう。
私共が、結婚するとき、自分達の小さい部屋を、ウェストミンスタアより尊いところだ、と云い云いしたことがあった。それはもちろん、倫敦(ロンドン)の国立大寺院を指していたのだ。四月頃、欧州へ渡ったら、是非行って見ましょう、と空想していたところだ。それが、大西洋は渡らず、アリゾナの砂漠を横切って、こんなウェストミンスタア・アベーに辿り着いたとは、云い難い一種の淋しさと滑稽とを感じずにはいられないのだ。
初め、陽気に声をあげて笑い出した自分は、だんだん真顔になって、鏡の面を見つめた。
風呂をつかい、さっぱりと髪を結いなおし、軽い絹服に換えると、私は良人と連立って旅舎を出た。
天気はいかにも暖かで、厳めしい客間に閉じ籠ってはいられない心持を誘い出す。先刻、夫人の云ったオールド・ミッションの一つに行って見ようというのである。
いったい、この辺に、オールド・ミッションと総称されている古い修道院は、非常にたくさんあるらしい。カリフォルニアが、まだ闘牛士(トーレアドール)の王の支配の下にあった時分、遠いスペインから、多数の伝道者が渡来した。千七百、八百年代の命がけの航海の後、彼等はメキシコやその他地図に名も載せられないような海岸から、次第次第に幾年もかかって、内陸に巡教して来た。そして、当時、住民の大多数を占めていたらしいメキシカンやインディアンを手懐(てなず)け、教え、毎日生命を危険に曝して、ところどころに修道院を建てた。旧教で、ロスアンジェルスの附近には、時にフランシス派の伝道が行われたらしい。
我々が行こうというのは、サン・ガブリエル修道院で、市の中心から電車で小一時間の距離にあるところなのである。
紐育などで、日曜というと、朝はまるで無人境になったように静かだ。十時過頃から、そろそろ晴着をつけて白い手袋を穿(は)め、教会に出かける往来が繁くなって、午後は、公園や主だった街路が、散歩の人で一杯になる。閉って、飾窓だけ開けた店舗の前を、身分相当に小ざっぱりとした人が、喋り、笑いして、ぞろぞろ通る。日曜の市街は人と人とが見あい見せ合う、流行の陳列館になってしまうのである。そういうことが厭な人々は、遠い郊外に出て行く。――
「ここ? ウェストミンスタアさ」
「ほんと?」
私は、覚えずくるりと振向いて、窓際の長椅子にいる彼を見た。
「ほんとうにウェストミンスタアなの?」
「ほんとですよ。何故?」
そう云いながら、私の驚いた顔を見ると、彼は、さも可笑しそうに、は、は、と笑い出した。
「まあ! ウェストミンスタアなの、これが!」
やがて、私も、堪らなく笑い始めた。
こんな、がらんどうな古旅舎が、ウェストミンスタアだとは、何という滑稽な皮肉だろう。
私共が、結婚するとき、自分達の小さい部屋を、ウェストミンスタアより尊いところだ、と云い云いしたことがあった。それはもちろん、倫敦(ロンドン)の国立大寺院を指していたのだ。四月頃、欧州へ渡ったら、是非行って見ましょう、と空想していたところだ。それが、大西洋は渡らず、アリゾナの砂漠を横切って、こんなウェストミンスタア・アベーに辿り着いたとは、云い難い一種の淋しさと滑稽とを感じずにはいられないのだ。
初め、陽気に声をあげて笑い出した自分は、だんだん真顔になって、鏡の面を見つめた。
風呂をつかい、さっぱりと髪を結いなおし、軽い絹服に換えると、私は良人と連立って旅舎を出た。
天気はいかにも暖かで、厳めしい客間に閉じ籠ってはいられない心持を誘い出す。先刻、夫人の云ったオールド・ミッションの一つに行って見ようというのである。
いったい、この辺に、オールド・ミッションと総称されている古い修道院は、非常にたくさんあるらしい。カリフォルニアが、まだ闘牛士(トーレアドール)の王の支配の下にあった時分、遠いスペインから、多数の伝道者が渡来した。千七百、八百年代の命がけの航海の後、彼等はメキシコやその他地図に名も載せられないような海岸から、次第次第に幾年もかかって、内陸に巡教して来た。そして、当時、住民の大多数を占めていたらしいメキシカンやインディアンを手懐(てなず)け、教え、毎日生命を危険に曝して、ところどころに修道院を建てた。旧教で、ロスアンジェルスの附近には、時にフランシス派の伝道が行われたらしい。
我々が行こうというのは、サン・ガブリエル修道院で、市の中心から電車で小一時間の距離にあるところなのである。
紐育などで、日曜というと、朝はまるで無人境になったように静かだ。十時過頃から、そろそろ晴着をつけて白い手袋を穿(は)め、教会に出かける往来が繁くなって、午後は、公園や主だった街路が、散歩の人で一杯になる。閉って、飾窓だけ開けた店舗の前を、身分相当に小ざっぱりとした人が、喋り、笑いして、ぞろぞろ通る。日曜の市街は人と人とが見あい見せ合う、流行の陳列館になってしまうのである。そういうことが厭な人々は、遠い郊外に出て行く。――
delideli2525 at 07:24|Permalink
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