楽しめ定年退職者!

学校を出てから40余年、社会の紆余曲折を経験し昼夜を問わず働き続け、妻には遥か昔に愛想をつかされ、子供らは何時の間にやら独り立ち。初老を引きずり退職後の生活に。こんな自分に似た人はゴマンといるに違いない。先輩後輩諸氏はどのように楽しんでおられるのだろうか? 元気なうちに楽しんでおかないと。 皆で楽しみを分かち、広く、深く、そして長々と楽しみたいものである、人生を卒業するまでは・・・。

第5回インドネシア-ブロモ・マラソンを走る。ブロモ山に登る。

2017.10.01 SUN(マラソン)~ 2017.10.02 MON  (登山)
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  景色が良く、面白そうなマラソンは無いかとこのサイトで探していた。 何となく目についたのが、インドネシアの東ジャワ島のブロモマラソンであった。 地図で探すとブロモ山はスラバヤから南南西100km程のところにある。

  毎度のことだが、初参加の海外マラソンは、会場へのプローチやホテルの確保、更に、レストランやコンビニの有無など不明で不安な点がいっぱいある。
  
PA010643  今回も大会のウエブサイトを隅々まで読んだり、現地の大会スタッフにメールで質問したりした。 なんとか大会会場へのアプローチと、宿の確保の見通しが立ち、最大の不安が解消された。 

  多少の不安を残しつつ「大会参加登録」をクリックし参加料を払い、アタリを付けておいたLCCのエアアジアのチケットの購入を進めた。

また、スラバヤ空港から大会会場となるトサリ(Tosari)の集落までのバスの往復と、トサリの民宿の予約と、それらの費用の支払いも、大会のウエブサイトやスタッフとのメールのやり取りで、ほぼ同時に完了した。 

(注:宿泊料の支払いに問題があった。スタッフの計らいでカードで決済することができた。)

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  このブロモ山域は、BTS(Bromo/Tengger/Semeru 30km~170km ウルトラトレイル)のトレイルランニングの大会のコースにも使われている。 後で調べて判ったのだが、こちらのトレイルの方が人気があるようであった。

  注: 民宿については、後でコメントする。 

  また、今回は大会スタッフのブライアン(21歳 写真中央)と親しくなったので、連絡方法がわかれば後程アップロードする。 彼は日本にあこがれを持っており、僕の名前と顔をすぐに覚え、僕をVIPの様に扱ってくれた。 英語はそこそこで、日本語は片言を話す。 日本人の知人を多く持ちたいようであった。


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 P9290441  大会は10月1日の日曜日だが、僕は木曜日の夜行便で羽田を飛び立ち、KL(クアラルンプール)で飛行機を乗り継ぎスラバヤ国際空港に金曜日の朝11時前に到着した。 

  (写真: 上海からの Siming 32歳,  スラバヤ空港にて)

  スラバヤ空港では国際ターミナル(T2)から国内線ターミナル(T1)へ空港シャトルバスで移動し、そこで、大会の主催者が手配したバス(下写真)に乗ることになる。  

  バスの出発まで、充分な時間が無く、焦ってイミグレーションを通り、手荷物を回収し、シャトルバスでT1に移動したが、問題なく大会のバスに乗ることが出来た。 バスは予定時間より、40分ほど遅れて出発した。  焦って、損をした。
 
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  標高1600~1800mにあるトサリの集落 までは、4時間以上かかる。  初めは高速道路を走るが、やがて、国道を行き、順次、細い道に変わってゆく。

  勾配が目出ち始める頃から、道はつづら折りの細い山道となり、バスはエンジン全開でゆっくり登ってゆく。 標高を稼ぐにつれて涼しくなってくる。 


weatherforecast03  場所にもよるが、トサリでは朝夕は15℃前後まで気温が下がり、昼間も25℃前後までしか上がらず、終日、快適に過ごせる。
  
  そのバスで、近くに座ってた数名のランナー達とずっとお喋りして楽しく過ごした。  トサリに到着する頃には、みんなで意気投合して、一つのチームが出来上がっていた。 そのチームは大会が終わるまで、一緒に行動するようになった。
 
(下写真:大会のバスと そのバスの終点の「トサリ・ブロモ・カフェ」の駐車場)
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  「トサリ・ブロモ・カフェ」の駐車場に到着したときは土砂降りだった。 小雨になるのを待って、小型のマイクロバスに乗り換えて、急で細い舗装路を登って大会受付会場であるテラス・ブロモ(下写真)に到着した。
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  大会受付会場へ夕方5時頃に到着し、殆ど待つことなく、ゼッケンや参加賞のランニングシャツを受け取ることが出来た。 時差が2時間あるので、僕は多摩の自宅を出てから大会受付まで、24時間近くかかったことになる。

P9290463  みんなで話し合い、翌土曜日は 「ブロモの日の出」を見に行くことになった。 そして、その後はいったん解散して、各自で過ごすことに決めた。 

  僕は「日の出」の見物の後、民宿からスタート地点までを確認したり、集落内の店屋やレストランを探したりするのに、時間を費やそうかと考えていた。

  ところが、各自がそれぞれの民宿に分かれてからは、うまく連絡が取れなくなり、結局、僕は「ブロモの日の出」を見に行けなかった。 みんなの宿に WiFiの設備が無く連絡しあえなかったのだ。 (僕はWiFiルーターを持参してきていた。)

P9300514  バス友のデイアンは ご近所のバス友3名を誘い、雇ったジープ(写真)に乗って「ブロモの日の出」を見に行った。 

  デイアンはインドネシア人(ジャカルタ在住)なので、トサリの人たちと問題なく会話できるのだ。

     注: 主催者の発表ではフルマラソンへの参加者は293名のようである。昨年の100名に満たない参加者より大幅に増加していた。 

      +++
PA010536  日曜の朝、つまり、大会の朝は、タイのチェンマイから来たBob( 55歳)と共に、朝5時頃に民宿を出発し、大会会場まで歩いて向かうことにした。 

  僕等の民宿から大会会場までは 3.4 ㎞ だ。 その朝はシャトルバスが運行されており、通りかかった警察のピックアップ=シャトルバス(写真)に「乗ってけ!」と誘われたが、それを断り、ウォームアップと称して Bobとお喋りしながら歩いた。 予定通り6時少し前に大会会場に着いた。 Bobの着ていたシャツはこの大会用に作ったらしい。(写真) 
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       身体がいいあんばいに暖まった。
   大会会場で バス友とすぐに再会し、再び賑やかなお喋りが始まった。 みんな健康でとっても活発なのだ。
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  スタートは7時だ。 それまでの20-30分間は、主催者のバハサ語のお喋りがずっと続き、やがて、響きの良いバリダンスが始まった。(下写真) そして、国歌斉唱があり、再びお喋りが始まった。


  
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  バハサ語は全く分からないが、そこそこの盛り上がりがあるようだった。 盛り上がるバハサ語を心地よくぼんやりと聞いていると、突然、スタートのピストル音が「パーン!」と鳴り響いた。  

  驚いた! 寝耳に水だ。 まだ、スタートの7時まで5分以上ある。 300名近くのランナーがゆっくりと走り出した。
  
PA010559  ほんと、英語でそれなりのアナウンスをしてもらいたかったぁ。。。  とにかく、慌ててGPSをセットし、20-30秒遅れで時計をスタートさせた。 

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  マラソンコースは、200メートルほど舗装路を直進し、そこから右折し、細く急な脇道を登る。 朝日のあたる石畳の尾根道だが、余りの急坂のため、走り出し直後であるにもかかわらず、ほぼ全ランナーが歩いている。 今回が初トレランのバス友ミシェルが僕についてきたが、15分もすると、少し遅れ始めた。 
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PA010579  コースは尾根道を少し下り民家の脇をすり抜けやがて舗装された農道に出る。 続いて、畑の脇にある未舗装の農道を通り、高度をグングン稼いでゆく。 

  いっぽう、交通規制は全く行われていないので、ランナーのすぐ横をオートバイや車がすり抜けてゆく。 

  この危なさや、スタート時間などの曖昧さを「おおらか」と言えばいいのだろうか?  本邦では考えられない。 日本を離れて初めて理解(?)出来る「東南アジアのおおらかさ」なのかも知れない。

  僕はそんな「おおらかさ」に少し安らぎを感じる。

  ランナーの横を通り、急な坂道を駆け上がるオートバイがまき散らす青い排気ガスは実に臭く、思わず首に巻いたバンダナで口を覆う。  これは「おおらか」とは言い難い。
 
  注:今回は汗拭き用とマスクを兼ねてバンダナを持参し首に巻いていたのだ。 これが正解だった。 

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  出発地点の標高は1817メートルだ。そして、半時間も走ると標高2000メートルを超え、2463メートル(主催者のデータ)まで登る。 練習不足の所為ではなく。。。少し希薄になった酸素の所為で登り坂になると途端に息苦しくなってくる。 

  コースは部分的に舗装路を走るが、前半の7~8kmは土埃の舞う農道や石畳だ。 まさしくトレイルランのコースだ。
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PA010603  喘ぎながら尾根筋へ続く農道を登りきると、噴煙の上がるセメル山(3676m)が見えてくる。 富士山より百メートルだけ低い活火山だ。
  
  感動する。 素晴らしい視界が開けてくる。 

  距離は8㎞余りを走ったところである。  
  そこからは進むにつれ、展望がますます良くなり、走っては写真を撮り、再び走っては写真を撮るのを繰り返す。 

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PA010640 注: サービスエイドは所々にある。 給水はペットボトルをくれるので、まるまる1本を貰って走る。 ショルダーベルトのポケットにすっぽり収まるので水の補給は簡単だ。

 食物はバナナしか準備されていない。 日本で買うバナナに比べると外見は悪いが、味覚は良い。 もっとも、それ程食欲がないのでバナナだけを口にして走り続けるのもあまり苦にならない。


  写真を撮りながらも、ブロモ山域の山襞の美しさに魅せられたり、カルスト内部の平原を走る車に見入ったりして、ランニングの速度が極端に遅くなってしまった。 日本からはるばるこの地まで来て、たとえ10分や15分ほど遅れても、この素晴らしい景色を堪能しないのは、本末転倒かもしれないと自分に言い聞かせて、落ち着いて写真を撮りまくった。 

  僕は、脇道に逸れたりして、たっぷりと景色を堪能した。 この「急いで走ってはいけないルート」が2-3キロ続く。
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  その2-3㎞を走り終ると、道は左に折れてトサリの集落に向かって急な舗装路を下ってゆく。 



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  やがて、そこそこのスピードが出せる緩い下り坂となり、距離が稼げる。 

  ブロモ山側は晴れていたが、トサリ集落側は雲が多く、時折霧が立ち込める。(写真) 正に高原を行く道だ。 

PA010662  所々の道端には、白いプラスチック袋に入った肥料が積み上げられており、これが激しく匂う。(写真) 

  色々なランナーと抜きつ抜かれつでお喋りを楽しみながら20㎞地点近くまで舗装された坂道を下ってゆく。

  標高差で1000メートルほども下る。そして下りきった所のエイド(写真)から、とてつもなく急な登りに変わる。
  
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  道端には地元の子供や年寄りが物珍しそうにランナーを眺めながら声援を送ってくれる。 






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   登り坂は、極力、歩くことなく走り続ける様にしている。 そして歩いているランナーを追い越すことが度々ある。 彼らは思わず「You are a strong man! (アンタは強い!)」と声を掛ける。 

  ところが、下り坂になると全くその逆で、僕は膝や踝を労わりながらゆっくり走るので、今度は追い抜いたランナーに追い越される。 僕は彼らに「You are fast!(アンタは早い!)」と声をかける。

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   そんな「抜きつ抜かれつ」の走りが続き、やがて、見知らぬランナーとの会話が始まる。 色んなお喋りを楽しみながら走るのは、長丁場のマラソンの楽しみのひとつでもある。 多くのランナーと親しくなった。

   +++ 

PA010723  特筆すべきは、コースの30㎞地点くらいから7~8km続く登り坂だ。 舗装路を逸れて「裏山の農道」のような道から、いよいよでこぼこの石の道や、あぜ道を走るようになり、民家の庭先も走ってゆく。 

  30㎞を走り終えて、そこそこ疲労した脚に、急な登り坂の負担を課す。 走るにせよ歩くにせよ、更なる筋肉の酷使が強いられる。 珍しく僕の両脚がパンパンになった。 

  今回も服用した「芍薬甘草湯」が無ければ、僕の両脚は完全に痙攣していたことであろう。 この漢方薬の効果はテキメンで、「やばいかな?」とヒクヒクしそうな筋肉を意識しはじめてからでも、その甘い1包を口に含ませると、そのヒクヒクが、収まってゆくのである。 僕の場合は、その効果が3時間ほど続く。

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  農道は何時しか細いあぜ道となる。その細い道でさえオートバイがやってくるので注意しながら走る。 本当に日本では考えられない様なコース設定となっている。 

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    芋や玉ねぎの畑を横切る所が数か所ある。(下写真) 「おおらか」なコース設定と言えるのかも知れない。 ただし、この辺りになると前後を走るランナーの姿が見えなくなる。 

  ひとりで畑の中を走っていると「あれっ、道を間違えたかな?」と、とっても不安になることがたびたびだ。 このマラソンの面白い所かも知れない。

  殆どの畑は急な傾斜地に広がる。 本当に滑り落ちそうな傾斜地まで畑となっている。 村人は必死で生活しているのだ。 
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    あぜ道を走り終えてると、石畳の道(41km地点)となり、やがて舗装路に出る。 そうなると、このマラソンはいよいよ完走間近だ。 つづら折りの舗装路を1㎞あまり下ると、ゴール近辺のノボリが見えてくる。  みんなが和やかに迎えてくれる。
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  今回もゴールまでの時間、6時間プラス、は長かった。 でも、その分いろんなランナーとお喋りし、ゴールでお互いを讃えあった。 そして撮影した写真は400 ~500コマになっていた。 

  しばらく一緒に走ったシンガポールからのおじさん( シーン)や、フランスからのニコルと記念撮影したり、ランニングギアなどのおしゃべりで盛り上がった。(下写真)  

  そして、初トレランでバス友のミシェルも、7時間プラスで無事にゴールした。(写真)  
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   +++ 

  この地区は午後になると停電がある。 今回も停電があり、ゴールのゲートが萎んでしまった。(写真) 停電時のタイム等の計測機器やPCの操作をどのようにしているのか、他人事ながら心配だった。

  いっぽうで、殆どの民宿にはWiFiが完備されていない。 前述したように、大会前日の土曜日の早朝にジープを雇って皆で「ブロモ山の日の出」を見に行こうと話が纏まったが、各自がそれぞれの民宿に帰ってからは連絡が取れず、結局、僕は日の出を見に行けなかった。

   
+++ ブロモ山に登る +++

PA020789   それで、バス友のデイアンに通訳を頼んで、大会の翌日、つまり月曜の早朝にバイク・タクシーで民宿まで迎えに来てもらい、そして「ブロモ山の日の出」を見に行ける様、送り迎えの手筈をとった。 

  朝4時。外気温は10℃前後である。雨具や汗臭いT-シャツを含め、持ってきた殆どの衣類を着込んでバイクの後ろに乗った。 ヘルメットなど無い。 バイクにはスピードメーターやバックミラーも無い。 ヘッドランプは薄暗く、前方を余り良く照らしていない。 マフラーは半分で切れており、排気音が超うるさい。 
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    つづら折りの山道を、目いっぱいのスピードで登ってゆくオートバイの後ろのシートで半時間ほど我慢した。 無事に「キングコングの丘」にたどり着き、心底「ほっ」とした。

  大勢の観光客に混ざって日の出の写真やブロモ周辺の山々の写真を撮ることができた。 「キングコングの丘」は多くの観光客だけでなく、彼らを運んできたジープ200~300台が、その下の道に溢れんばかりに、延々と駐車していた。(上写真) 

  観光で成り立つ村々なのだとつくづく感じた。

  写真を撮影し終えて、これで帰れるのだと理解していた。 全く英語の通じないオートバイの運転手ソーグン君が、もと来た道を引き返すことなく、僕を後ろに乗せたまま、急坂を下り始めた。 大回りして、帰るのかと思い始めた。 しかし、僕を乗せたオートバイは、カルデラの中に下ってゆき、その底に広がる霧の中を進み始めた。  民宿とは逆の方向だ。 砂漠のような火山灰の平原をアクセルを全開で走りだすのである。 どこに行くのか聞きたくとも通じない。 

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    確かにモトクロス用のオートバイなら、アクセル全開で走りたくなる平原であるのは理解できるが。。。 

  時々、柔らかい火山灰にハンドルを取られ、転びそうになりながら、四駆のジープと争う様に霧の中を走っていった。
 

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  「スローリー、スローリー」と何度叫んでも聞いてもらえなかった。 僕の眼鏡は霧中の走行で露が付着し視界をほとんど無くしていた。  ソーグン君は時に「イャホー!」と嬌声を発していた。  

  前方に山裾が見えてきて、ようやくブロム山めがけて走っているのが分かってきた。


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  冷たい霧の中を20分近く走り、オートバイはブロム山の麓で止まった。  彼は、僕の時計を指さし、「ここで待ってるから、山に登ってね。。。」と指さし会話で意思表示した。 

  完全に冷えた僕の身体は、20分ほどのブロモ山への登りでようやく身体の芯だけが暖かくなってきた。 山頂にたどり着いても、まだ、鼻水を垂らしていた。
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   もし、時間があれば、シッカリした靴を履き、埃除けにスカーフを首に巻いて、少し暖かくして登ることをお勧めする。 

  大量の水蒸気を吐き出す火口は、その規模と音圧が半端ではなく、訪れないと解らないスケールと迫力を体感できる。 加えて、朝霧の向こうに見える山並みの美しさは、充分に感動に値する。(下写真)

PA020848b  幸い、全行程を通し、転倒や急ブレーキも無く、無事に民宿まで送ってもらった。 最後の最後までひやひやのオートバイ・タンデム・ライドのブロム登山であった。

  注: ブロモ山域への入山料は約2200円(IDR220.000)が必要だ。 ブロモへの途中の店屋の前でバイクを止めて、この金額を払って、チケットをもらう。 

  キングコングの丘への通行料かと思い支払ったのだが、後でチケットをよく見るとブロモ山域(ブロモ山、テンガー山、セメル山、)への一日入山料だった。 日本と比べ物価が10分の1程度の彼らにとって、環境保護のための貴重な収入源なのであろう。 

  オートバイの運転手君のソーグン君には約2000円(IDR200.000)を支払った。 同じくオートバイを雇ったシンガポールから来たランナーは3000円を支払ったと言っていた。 いずれの金額も、きっと、観光客に対する割増料金がたっぷり含まれているのだろう。


  この美しい自然をやはり大切に保存してゆきたいとつくづく感じた旅であった。

  
 +++ トサリの民宿(ホームステイ)+++

  僕の子供の頃の生活は、自宅に風呂も無く貧しくシンプルなものだった。 ちょうど、その頃を思い出すような何もない民宿の部屋だった。 そして、今の生活が如何に恵まれ、究極とまで言えるほど便利で快適になっているのを、再確認するのに、いい機会であったと言えるかも知れない。 

無かったもの= タオル、石鹸、シャンプー、お湯、テレビ、ドライヤーや歯ブラシなどのアメニティ類、トイレットペーパー(イスラム圏ではトイレットペーパーは使わず、水で洗うのだ。)、湯船、WiFi.  

有ったもの= 蟻。 蜘蛛。 トイレの汚れ。 飲み水(全員で共用)。


 下写真: 民宿の内部と外部 (トイレの写真はおぞましいので略)
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P9290468  何度か食事に行ったラーメン屋。 
  200円のラーメン定食。 
  おばちゃんが肉団子をおまけしてくれた。 バナナの皮で包まれたのは、柏餅のような蒸した米餅だ。 名前を聞いたが記憶できなかった。 





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   民宿の親父さん(建物の入り口に佇む。) 視力が完全に無い様である。 英語を話す。 親切な人だ。 


 +++ マラソンを応援してくれた集落の人たち +++

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   Terima kasih atas dukungan Anda.  応援ありがとう!

   +++ 出費の概算 +++

航空運賃    ¥62,865.- (手荷物料・保険料を含む。)
席の移動登録  ¥2,000.- 
   (行きの便: 三人がけシートを独りで使って横になれた。)
リムジンバス    ¥1540.-
          ¥1440.-
京王 (round)     ¥420.-
エントリー            ¥7,000.- (IDR 700.000)
ローカルバス   ¥4,000.- (IDR 400.000)
民宿        ¥11,700.-(IDR 1,1700.000)
Premier Inn              ¥4500.-  (スラバヤ。お勧め。Agoda で予約)
リムジン・タクシー(Premier Innへ) ¥600.- (IDR 600.000)
WiFi ルーター   ¥3,967.-
ブロモ登山     ¥4,400.-(IDR 200.000/バイク、220.000/入山料)
その他      ¥10,000.- 空港での食費や両替費用など。
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 合計     約¥115,000.- 




   +++ 完走のメダルと完走証(下写真)+++

   PA040865 Cert of the Marathon2










 マラソンの結果: https://bromomarathon.com/2017-race-results
    参加者名、タイム、順位などが掲載されている。
           
   このサイトから参加者数などを、拾いだしてみた。 
      完走    / DNF   / 総エントリー
    男 105  / 34  / 170
    女  17  /  9  / 32
   合計 122  / 43  / 202名
   参加者のなかでの完走率 男 75%、 女 65% 



      +++ 

  日本全国、あちこちで開催されている42kmのマラソンは、僕にとっては「苦しいが、走ればゴールできるマラソン」と思えてしまう。 

Garmin_Altitude  このブロモ・マラソンは、距離こそ42kmだが、上り下りが多く、50㎞かあるいは、それ以上の距離のマラソンの様であり、あるいはウルトラ・トレイルのような苦しさと面白さが共存するマラソンと思える。

  そんな中で、普段はめったに見られない広大で貴重な自然の光景に感動し、写真を撮りまくり、いろんな国のランナーとお喋りしながら、楽しく完走できた自分自身を「幸せ者」だと強く感じる。

   +++

  帰りは飛行機で12時間余りかけて、深夜の羽田に降り立った。 そこには、活力で溢れ、多忙な近代都市が、明日の夜明けを待つように、じっと静かに横たわっていた。 自分が生活する「現実」の世界に戻って来たのを感じた。

  マラソン旅行は、今や僕にとっては、「白昼夢の中を徘徊する」ような、異次元の旅行となってしまっている。  さて、次の「徘徊」は、2週間後。 距離が長く、ナイトランなので、かなり不安だが、楽しみが続くのである。

   + Pros and Cons (良し悪し)+

> スタート地点の「Teras Bromo」はグーグルマップで検索できる。
> 多くの人には、英語は通じない。
> やや寒いことがあるので、フリースなど持参のこと。
> 21k、42K は トレランシューズが良い。
> 足首に小さなスパッツを装着してもよい。

> シャンプー、石鹸、タオルを持参のこと。
> 宿泊施設は「ブロモ・コテージ」のみ。  
> アルコールの販売は規制が厳しく、
    ブロモ・コテージ以外の店舗では売られていない。

> コンビニは無い。 小さな店舗のみ存在する。 
> PETボトルの水は容易に買える。
> ツーリスト向けの価格が設定されている。ボラれるので注意のこと。

> レストランは殆どない。 小さな店やのみ所々にある。
> 防災用品にあるような非常食やオヤツを持参するのは、良い。
> 停電はほぼ毎日ある。

> 両替出来るところは無い。
> 2万円をIDRに両替したが、半分以上残った。
> 喫煙者が多い。 

> エアアジアはなかなかセコイが、色々なサービス改善に努めている様だ。




 ++++ 完 ++++ 

巨峰の丘マラソン 10Kmを走る。

2017.09.17 Sun

S__15867975  10名余りの友人らと年中行事だ。 皆で5~10kmを走り、会場で巨峰を食べ、温泉で汗を流し、ワインと美食を堪能するのだ。 

  例年は暑さでうんざりする時期の大会だが、今年は20℃前後の気温と、雨が降り出しそうな曇り空で涼しく快適に走れた。 

  また、台風の影響で東京や関東圏に強い雨が降った様で、高速道路上の車の数は少なく、更に、このマラソンへの参加者も何時もよりかなり少なく、アプローチを含めたストレスはとっても少なかった。
 
  +++  +++  +++ 
 
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  大会で10kmを走るのは、ここだけだ。 おおよそ1時間のランは僕にとって実に短い時間に感じられれ、身体が暖まった頃には、もう、後半になっているのだ。 

  一方で、他の大会と比べこの大会の(10kmおよび20kmの)コースは驚くほど急だ。 靴の紐をしっかり締めて急な坂道を全力で一気に下るのがこの大会の醍醐味かもしれない。 

P9170388  残念ながら、その急な坂道の下りは僕にとってソロリと走るのが、必須となってきた。  今年は特に数日前の登山で膝が重く痛くなり、例年以上にゆっくり、ソロリと下る必要が出てきてしまった。

  何時もの単独行とは違い、大勢の仲間で走ったり、あちこち行くのは実に楽しいものだ。

きっと、来年もまた、みんなで走るだろう。 


    +++++++ 完 +++++++ 

35年ぶりに剱岳を登る。

2017.09.14 THU - 09.15 FRI 

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   『自分にとって登山はもう過去の思い出であり、高く急峻な山を登る体力・気力は残っていないのだ。』と いつの間にやら観念し、”登山”とは若かった頃の趣味と位置づけていた。

  一方で、ジムの筋トレ仲間であるT氏が以前から剱岳に憧れを抱いているのを知らされたのは3か月前の6月頃だった。 

  僕にとっての剱岳は36年前(1981年11月)に雪崩で3人の友を亡くした悲しい山であったが、最も好きな山でもあった。 

  遭難当時は剱岳の池ノ谷に何度も通い、遭難事故の翌年の9月になってようやく雪の下から3人の遺体を発見して回収を終え、僕の剱岳への登山は終わってしまった。 
  
(下写真:1982年9月23日:池ノ谷からヘりを見る。:遺体回収)
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  T氏の剱岳への憧れはかなり強いようで、僕は繰り返し懇願され、7月の終わり頃ついに話を受けてしまった。 登山の時期は山に静けさが戻る9月を選んだ。 

  +++

  T氏の車で20時過ぎに多摩を出発した。35年間で様変わりしたであろう馬場島には深夜2時半頃に到着した。 木曜日の未明であるにもかかわらず、馬場島の公共駐車場には空きスペースが無くなるほど多くの車が駐車していた。 

  車中でわずかな時間の仮眠を取り、5時頃にヘッドランプを点けて出発した。 古い記憶では馬場島から早月尾根の登山口までは数百メートルのはずだったが、おかしいなと思いながら真新しい舗装路に沿って登山口を行き過ぎそのまま進んでしまい、半時間ほど時間をロスをしてしまった。 僕の風化した35年前の記憶は実に当てにならないのを思い知らされた。
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  早月尾根は登山口からいきなり急登が始まる。 半時間ほど歩いて松尾平に着き、平坦な道を暫く進む。  だが、それ以降は標高2200メートル地点にある早月小屋(以前は伝蔵小屋と言っていた。)まで、ずっと急な登り坂が続くのだ。

  僕らは伝蔵小屋まで6時間程時間を要した。 

  筋骨隆々のT氏は、トレーニングと称して荷物(と体重)が非常に重い。 登山口から喘ぎながらの登高となってしまった。 休息を終え彼と共に登り始めても、30分程進んだ所で登ってこないT氏を20分ほど待つような登高が伝蔵(早月)小屋まで繰り返された。
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  伝蔵小屋に10時頃までに到着できれば、その日のうちに登頂してから伝蔵小屋に泊まろうと考えていた。 実際は11時半ちかくの到着となった。 その日は伝蔵小屋までとし、登頂を翌日にした。 伝蔵小屋は当時の面影を少し残していた。 

  小屋では午後8時が消灯であったが、僕は疲れの為に消灯時間の前に熟睡してしまっていた。 目が覚めたのが午前3時頃であった。 以降、寝床でぼんやりして4時に起き、パンを口に入れながら、ゆっくり出発の準備をした。 他の数名の宿泊者も準備を始めていた。

    T氏は、慣れない登山と重い荷物による筋肉痛が朝になっても回復しなかった。 それゆえ、山頂には向かわず伝蔵小屋から下山することになった。 僕は独りで登頂し、折り返して馬場島に下山することにした。

  伝蔵小屋の下駄箱の向かいの壁際には、荷物をデポ(仮置き)する棚があった。 僕は入山時から荷物を軽くしていたので何もデポしないで山頂に向かった。 

  出発時刻は日の出の1時間ほど前の4時半と決めていた。 少し着込んで小屋から外へ出ると、星が輝いていた。 ヘッドランプを点け、ゆっくりと山頂に向かった。  
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  数百メートル前方には登山者のヘッドランプの明かりが見え、振り返れば富山の街の光が輝いていた。(上写真) 外気温はおそらく4~5℃かそれ以下だ。 ところどころの道端に霜柱が出ていた。

 

P9150265  伝蔵小屋から上部の痩せ尾根を眺めていると、昔の記憶がぽつりぽつりと思い起こされてきた。 

  尾根に取り付き岩峰の急斜面を登りはじめて、改めて自分の衰えた運動能力を知る羽目になった。 60歳代半ば故であり、更に、登山から遠ざかった30年余による身体の老化だ。 持久力とバランス感覚の衰えが顕著であった。 

  毎朝ランニングをしていても、当時の10分の1程度の心肺機能と持久力しかない。 そして、バランス感覚が悪くなり、細く切り立った尾根筋に立つと「へっぴり腰」になってしまった。

    +++

  登り始めて20分もすると身体の芯は温まったが、北東からの冷たい風に指先の感覚が無くなり、鼻水が出てきた。 歩き始めて30~40分で周りが明るくなってきた。 ヤッケを着てヘルメットを被った。 外気温は0℃前後に感じられた。 

P9150261  森林限界を超え、むき出しの岩の間を登るようになった。 ルートを間違わない様に踏み跡と岩に塗られたマークを見ながら、息を切らせ、時折息を整えるため歩くのを止めて進んだ。(写真) 

 「カニの横ばい」を含め、所々に鎖が張られているルートを見定め、ゆっくりと着実に登った。 学生時代に、この「カニの横ばい」を渡る自分の姿のスケッチを描き、絵手紙にして何名かの山好きに郵送したのを思い出した。  

  岩に手をかけ、しっかりスタンスを取り、身体をスックと岩から離して立ち、ゆっくりと、しかし、リズミカルに攀っていると嘗ての岩登りの楽しさをうっすら思い出してきた。 やはり、若かった頃はこの感覚の虜になっていたのだと改めて認識した。 
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  頂上へは2時間半を費やし7時に到着した。 岩陰の水が凍って黒く光っていた。 頂上からの眺めは素晴らしかった。 剱岳から遠ざかった35年間に多くの山の名の記憶が風化していた。

  頂上では、7-8名の登山者が思い思いの写真を撮っていた。 僕は数枚の写真撮影を終え、5分後に伝蔵小屋に向けて下山を始めた。 
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  急な坂を降りるうちに、嘗てのバランス感覚を少し取り戻し、切れ落ちた谷間に身を曝け出す恐怖感がヘンテコな快感に変わる不思議さも思い出してきた。
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  伝蔵小屋には9時に到着した。 そこで、暫しの休息を取り、食物と水を口にし、薄着になって急な早月尾根を下り始めた。

  下り始めて、じんわり出てきた膝と足首の痛みを我慢すること3時間、12時丁度に馬場島の登山口に到着した。 

   +++ 

map1  今回の伝蔵小屋は素泊まりとし、食物はすべて持参した。 尾西のアルファ米1食分とパンを2食分、それに少しの予備食だ。 1日半の行程ではこれで十分であった。 アルファ米を食べるのは35年ぶりであったが、その味覚はほとんど向上していなかった。 T氏の大きなリュックの中には大量の食物が入っていたようで、小屋でドーナツやお握りを少し分けてもらった。
     
  水は2.5リットルを持参し、伝蔵小屋で水を買い足す事は無かった。 もっとも松尾平に到着する頃には、水をほぼ完全に飲み干し、かなり喉が渇いていた。 馬場島に到着して、沢から引かれた水を1リットルほど飲んでしまった。

   +++ 

  早月尾根の登山口脇に慰霊碑がある。 ゆっくり眺めていると、雪崩で命を落とした3人の思い出がよみがえり、人の命のはかなさと、20代で人生を終えた彼らが哀れに思え、涙が出てきた。 

  僕は彼らの2~3倍の人生を、家族や友人等と共に喜怒哀楽に奔放されながら歩んで来た。 幸せな人生をおくれているのだとしみじみ感じた。 

  やはり人生とは長く楽しく元気に生き抜いてゆくべきものなのであろう。 

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下写真: 35年前の馬場島荘の広場での打ち合わせと、当時の馬場島荘(右)
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追伸(9月16日記入):   
  小屋に泊まった9月14日の夜は歓談室で宿泊者と釣りの話や山の話など楽しいひと時を持つことが出来た。 それぞれの生き方や楽しみ方を学ばしてもらい、感謝である。

  それほどひどくは無いが、下山翌日の16日になり膝の痛みと脚の筋肉痛が出てきた。9月10日に70kmを走った時よりも、筋肉痛が多く出てきたようだ。 そして、明日の17日には10kmのランニング大会がある。 雨に降られそうだが、可能であれば元気に走ってみたい。


      ++++ 完 ++++

第5回白山白川郷ウルトラマラソン 70km を走る。

2017.09.10 Sun

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   僕にとっては2度目の『白山白川郷のウルトラマラソン』だ。 昨年は50kmに参加したが、今年はその距離が伸びて70㎞になった。 100kmはコースが変わったが例年通り今年も準備されていた。 僕には完走の自信は無い。 

    宿は大会会場から少し離れた場所だが「飛騨古川ユースホステル」にした。 会場まで自動車道を経由して50分余り、距離は60kmほどだ。 大会スタート会場近くの宿を探したが全く見つからなかった為だ。

  100kmも70kmも一緒に朝5時のスタートだ。 スタートの1時間ほど前に会場へ到着したかったので、3時にユースホステルを出発することにした。 まだ真っ暗だ。 早朝の大会会場の外気温は少し肌寒い程度で、17-18℃前後であろう。 

  +++

   スタート会場の駐車場は白川郷インターチェンジを降りてから右折し大会の駐車場へ向かう。 駐車場の案内表示や誘導員の指示で問題なく到着できた。 空腹ではなかったが、パンをひと切れ口にして、そのまま走る準備をした。 やや肌寒いので薄手の長袖ジャンパーを羽織りスタート時間を待った。 

    石川県側の手取川周辺の気温は30℃前後まで上昇すると予想が出てたので、最も涼しそうなランニングシャツを着ることにした。  そして、到着地点まで託送してくれる荷物には、着替えとペットボトルの飲料水2本とパンを選んだ。 

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   スタート会場では他の大きな大会の様にトイレの数が少なく長蛇の列が出来ていた。 幸い、スタートまで小一時間あったので、僕はゆとりをもってトイレを済ませることが出来た。 

  羽織っていたジャンパーも託送荷物に入れだ。トラックの荷台の前の係の人が要領よく荷物を捌いていた。 

     託送荷物用には大きなビニル袋が用意されていた。松任にゴールし、そのまま自宅へ戻る人が少なくないようだ。多くのランナーは走り終えた翌日から仕事なのであろう。 誰かが言ってた。100㎞は、大会の制限時間よりも、当日のうちに自宅へ戻れる最終電車の時間制限の方が厳しい。。。と。 
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     夜空に青みが差し込み始めた頃、100kmと70kmのランナー合計1500名程がスタートラインに集まった。 なかなかの賑わいだ。 僕は列の最後尾に並んで何時もの様に全く緊張することなくスタートを待った。   

    下弦に近い月が山の上に浮かび、快晴を予兆するキリ雲が山の麓を柔らかく包んでいる。 5時の10秒前からカウントダウンが始まり、5時きっかりに先頭が動き始めた。数分後に最後尾もゆっくり動きだした。 長距離なのですべての選手たちは実に落ち着いて走っている。 

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     ルートは白川郷の真ん中を横切る。 夜明け前の合掌作りの家屋がぼんやりと厳かに佇み、「古き良き日本の故郷」を心の片隅で味わいながら走り抜けた。  

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     白川郷の集落が少し遠のいた辺りから緩い登りとなった。 まだパワーがあるので登り坂は全く気にならない。  最初のサービスエイド(SA)が大会駐車場の脇にある。 このエイドの手前から 19 km 地点まで登り坂が続く。
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  2番目のサービスエイド(SA)馬狩料金所に到着するころに、朝日が出てきた。急に眩しくなった。 朝日を浴びると元気が湧いたが、反面、午後の暑さの危惧が早くも大きくなっってきた。 もう、すでにたっぷり汗をかいていた。
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     朝日と雲海と青空が織り成す風景は、素晴らしいものだった。 空は青みを増し、初秋の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで足取りも軽く走行できた。  初マラソン参加の大会運営担当の白木君(下写真)に追いついた。 フルもハーフマラソンも走ったことがないようで、初参加の大会が70kmのようだ。 思わず「激」を飛ばしてしまった。
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   まだまだ序盤なので、歩いてるランナーは少ないが、最高点である三方岩のトンネル近くになると、ぽつぽつ歩いてるランナーが出始めた。 三方岩のトンネルまで 18.5 km 程であった。 





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      三方岩のトンネル(上写真)を抜けると目の前に白山の山並みが広がってくる。 ここから70kmのゴールの手前まで、延々と長い下りが続く。 登坂で疲弊したランナーたちは水を得た魚の様に、そして、我慢して歩いてきた鬱積した不満を解消するように、一気に加速して坂を駆け下りて行った。 

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  僕も周りのランナーと同じような速さで駆け下りてしまった。あたかも膝がそれほど強くはないのをウッカリ忘れてしまったように。

      事実、過去数週間の筋トレが効いてきたのか、30㎞程は膝が全く痛くはなかった。しかし、やはり、ホワイトロードを終えた35㎞くらいから、足首が痛くなり、膝もスムースに動かなりってきた。 足首は古傷の痛みかも知れない。 漢方薬の「芍薬甘草湯」を口に含ませた。
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  漢方薬が効いてきたのか、痛みは殆ど感じなかったが、速度は極端に遅くなってしまった。 

  暑さが気になりだしたのは、40㎞手前の「一里野温泉」辺りからだ。 時折心地よい風が正面から吹いてくるが日影が少なくなり、坂道を下るに従い、強さを増して輝く太陽にジリジリ照らしつけられる。 気温は30℃に迫っているようだ。

 40㎞以降の手取りキャニオンロードは、暑さとの闘いの道であった。 以前のウルトラマラソンの様に、エイドからエイドへ渡り歩くような、苦しい走りとなってしまった。

  そして、ゴール到着予想時間を計算しながら、時折歩くようになり、エイドでは十分すぎる程の水分を補給した。 
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  手取川を離れ、パーク獅子吼へむかう最後の3キロの登りは、まさに強い西日にほだされて最後の力を振り絞って登る道であった。 パラグライダーの着地地点の直ぐ後ろの丘が70kmのゴールである。 反対方向に100kmのランナーが70kmのチェックポイントを通過し、坂道を下ってくる。

  声援してくれる人の数に対し、ランナーの数が極端に少なく歩くのは気が引けたので、ゆっくりながらも走りながら、汗だくで坂道を登り切りゴールに向かった。

  ゴール手前は女子高生たちのハイタッチによる歓迎を受け、時間制限の20分前に長かった70kmを無事に完走できた。 完走の感動は無かったが、倒れこむほどの疲れも無かった。

  天気がもう少しランニングに適していると、遥かに楽しく走れたのかもしれない。 ゴールでは、ペットボトルの配布がなかったので、自動販売機で冷たい水を買って飲もうとしたが、全て売り切れになっていた。 
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  完走症と参加証のブルーのT-シャツ、ゴールでの写真と、それぞれのメッセージが書かれた木のお札が今回のお土産だ。

 + + + + + 

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 <所感>
> 事前のUTマラソンに対する練習をもう少し検討する必要がある。つまり、より長い距離を走る練習がいる。
> すべてのサービスエイドでの補給食物の量が極端に少ない。42㎞のマラソンと異なり、それなりの栄養補給が必要だが、僕には量が足りなかった。次回はパンを持って走る様がよさそうだ。
> 暑すぎた。 後半のエイドの数をもっと増やしてほしかった。 諸事情があると思われるが、さらに1-2週間ずらして、残暑の収まる時期に開催してもらいたいものだ。



     +++++ 完 +++++     

三保の松原:富士を見ながらをチャリとマグロ丼。

2017. 09. 01 FRI 

   チャリンコ仲間3名でのポタリングだ。
   多摩地区からは、三保の松原の無料駐車場までは車で2時間半ほどかかる。 自宅は6時半ごろに出発した。

   雨か曇りの天気予報だったが、幸いに「快晴」になった。 晴れ男が揃ったのだ。 皮肉にも誰も日焼け止めクリームを持ってこなかった。 

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 清水インターで高速から降り、20分余り走りで「三保の松原無料駐車場」に到着した。ウイークデーでガラガラの駐車場に問題なく駐車し、さっそくチャリンコを組み立てた。 今回は、三保の松原からチャリンコ道路を北に進み、北端から南下し、安倍川の手間で折り返すルートだ。 距離で30kmあまり、時間で3時間ほどだ。  

   そして、昼前に三保の松原駐車場に戻り、車で清水魚市場に移動し、おいしいマグロ丼を食べるツアーだ。






  +++  

写真左:雲が晴れて富士山が出てきた。 写真右:まずは全員で記念撮影。  
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正面に富士を見ながら北端へ向かう。
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           富士山が綺麗だ。
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清水魚市場の食堂へ。。。
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 写真: 上海鮮定食¥1200で満足な昼食だった。



+++++++++++ 完 +++++++++++++ 
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