2004年08月19日

投票に行かない権利2

 勘違いをされる前にまず最初に言っておきたいことは私は投票に行っている人間であるということ。そして投票に行った方が良いのではないかと考えていることも念頭においていただきたいと思います。

 なぜ私が「投票に行かない権利」を主張するかという理由はそれがまぎれもない事実だからです。その事実を無視して他人に「投票に行くべし」というのは思想の押し付け以外の何物でもないですし、その思想を投票に行かない人に押し付けても「洗脳」はできても「説得」はできないと思います。特にある種の意思を持って投票に行かない人はますます投票に行かなくなるでしょう。「投票にいくべし」と考えている方はまず原点に立ってどうやったら投票に行かない人が投票に行くようになるのかを考えていく必要があると思います。とにかく現在、投票に行かせたがる人が当たり前のようにする主張の傾向とその間違いを探ってみたいと思います。

 人を投票に行かせたがる人間と言うものがよくいうのが「投票は権利であり、義務でもある」というような主張です。これは明らかに間違いです。「参政権」という言葉からも分かるとおり投票とは「権利」であるのです。「権利」の意味を簡単に言うと「ある行動について自由に行ったりできる資格」です。一方「義務」を簡単にいうと「しなければならないこと」です。つまり、この2つが同時に成り立つことは論理的に矛盾してしまいますからありえないのです。そして、「義務」とは「権利」の対義語であることも忘れては行けません。結論として投票とは「権利」である以上、投票には行かなくても良いということになります。これが私の言いたい「投票に行かない権利」です。
 私が調べたところ「投票に行くべし」と主張する方で感情論ではなくその明確な根拠を示せた方は1人もおりませんでした。若干1名「憲法に根拠がある」と主張されていた方もおりましたがやはり論理的な説明ではなくその方の憲法の拡大解釈どころか単なるデッチ上げという結論に至ってしまいました。結局はこれも「参政権」というものがある以上「投票は権利であり、義務ではない」という結論になります。
 それから投票に行く人が良く言う「投票に行かない人間には政治に文句を言う資格が無い」という主張。これも感情論以外に根拠の無いものです。私もさすがにどこにも投票しないで「やっぱり?党はダメだな」というのは感情的に嫌ですがこれも含めて具体的な政策などについて文句を言ったりする資格は誰にでもあるのです。投票に行かなかった人が自分に対して「文句をいうのは筋違いだな」と考えて文句を控えるのは特に問題はないと思いますがそれを他人に押し付けて「お前も投票して無いなら文句を言う資格はないんだから言うな」というのは単なる人権侵害になってしまいます。この辺のことはよく理解しておかなければなりません。

 そして私が「投票に行かない人」に言いたいことは、「投票に行かなければならない」というような根拠は全く無いので貴方が投票に行かないことは全く問題ない行動と言えます。貴方に投票を強要しようとしている人がいましたらその根拠を聞いてみましょう。おそらくその根拠は完璧なものではなくその人の「幻想」に基づくものでしょう。しかし、投票に行く人の「感情」という事実は忘れてはなりません。論理的に完璧な理由は無いにしても「投票すべし」と考えている人の多くは「投票に行かない人より立場的に上だ」とか「投票に行かないなんて信じられない」というような「感情」を持っている傾向にあるのです。そういう「感情」があるという事実には十分に注意をしましょう。


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この記事へのコメント

1. Posted by hori   2004年08月19日 04:56
お初ですがちょっと思った事をつらつらと…。

私も投票に行きはしていますが、行かずに政治批判をしてもいいとも思っています。
確かに義務だと言う人は間違っていますね。
そして「投票に行かない権利」も当然ながら主張していい。
しかし、
>投票に行かない人間には政治に文句を言う資格が〜
のくだりには少し疑問を感じます。
確かに投票に行かず声高に政党批判をしてもいいでしょう。
しかし現在国民が正当な方法で政治に参加する意思を表明できるのは投票する事と投票される側に回る事しかないのも事実です。
それを自らの手で放棄したのであれば参加資格がないとも言えるのではないでしょうか?
一切口出しするなとまで言うのはおかしいでしょうが、参加を放棄した訳ですからその人の声は反映されなくても当然だという事は認識すべきだと思います。

>「投票すべし」と考えている人の多くは〜
投票した者の立場が上であるという事は感情的な判断なんでしょうか?
政治に参加しようと意思表明した者とそれを放棄した者、この二者には相対的ではあってもその差が明確に存在すると考えられませんか?
支持政党が表明されていないという点では同じであっても白票は投票率という数字に反映されるわけです。
投票率は国民の政治への関心・参加意識と言えるでしょう。完全に反映されているとは言えなくても一定量の示唆にはなるはずです。
この数字から外れた人と枠内に入っている人、私はこれに格差がないとは思えないのです。
この差を感情でしかないと断定してしまうのはどうでしょうか。
2. Posted by Rashita   2004年08月19日 15:54
私は「選挙に行くべきだ」と声高に主張したいわけではありません。

が、2,3指摘を。
権利と義務ということですが。
日本国民は生存する権利を有していますが、ということは、「死ぬことができる」権利も同時に有していることになるのでしょうか?。

それと憲法第十二条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

という国民の不断の努力というのが、投票による政治参加ということにはならないでしょうか?
3. Posted by itten   2004年08月19日 16:04
投票に行かない理由は様々です。確かな情報も得られないのに選挙運動中だけ名前を連呼するような人達に大事な一票を投じるなんて無謀な事を多くの人がなし得る現実に目眩がします。そういう安易な行動が日本の政治を変えてこなかったとも云えるのではないでしょうか。
また白票は全く無意味です。それで政治の参加意識を持つなんて自己満足にすぎません。
4. Posted by dendo777   2004年08月20日 00:10
 コメントありがとうございます。

>現在国民が正当な方法で政治に参加する意思を表明できるのは投票する事と投票される側に回る事しかないのも事実です。
 これに関しましては現在の投票制度におきましては政党を選ぶことはできますが具体的な政策ついては選ぶことが出来ません。ですから私は政党に文句を言うのは少し違うと思いますが具体的な政策についてなどに文句をいうのは誰であっても良いと考えております。
 白票におきましては現在のところ投票に行かないのと同じことであると言えます。投票率というものは発表されますがよっぽどの白票の偏りが見られない限りその意味については取り上げられることはないでしょう。そして、白票に対しても「結果に従いますという委任状である」と解釈する人もいますので結局は「解釈の問題」ということになると思います。

>「死ぬことができる」権利も同時に有していることになるのでしょうか?
 この件に関しましてはすべての法律に明るくないので何とも言えませんが「自殺をしてはいけない」のような法律があればしてはいけないと思います。例えるなら「言論の自由」はありますが「脅迫」は法律によってしてはいけないことになっています。なければしてよいと言うことになります。ここまでいくと「宗教」の問題になってしまうのでこれ以上は申しません。

>自由及び権利は、国民の不断の努力によって〜
 これにつきましては、自由及び権利をなくすような方針の政党が存在するならば国民全員が投票によって防ぐべきだと思いますが現在そのような主張をする政党はおりませんので投票によってそれが破られるということは無いと言えます。よって、現在において投票をしなくても憲法違反にはならないのではないでしょうか?
 それに投票の他にも「努力」は出来ると思います。例えば警察官などは取締りをすることで国民の自由及び権利を守っているのではないでしょうか?一般市民でも「自由や権利」を侵害するような行為をみたのなら警察に知らせたりできると思います。

 ittenさんの意見は私も分かる気がします。現在の法律では選挙公約を破ってもまったくお咎めなしですし、現に公約を破る議員もとても多いという現実があります。ですからとにかく選挙に通れば良いと考え選挙運動中は有権者を騙すこともしばしばみられるのです。
 それでもなぜ私が投票に行くのかといいますと「ひょっとしたら政治が良くなるかも」という「希望的幻想」を持っているからです。ある意味宝くじを買いに行く感覚に近いものがあるのかもしれません(笑)。
5. Posted by Rashita   2004年08月20日 06:44
どうも。これ以上突っ込んでもあまり仕方がないみたいですが、一応。

 >例えるなら「言論の自由」はありますが「脅迫」は法律によってしてはいけないことになっています

この例えですが、「言論の自由」を有しているということは、何も話さなくてもよいという自由を有しているというのが、この場合関連性があるのではないでしょうか。
・選挙にいく権利→選挙に行かない権利
・生きる権利→生きない権利
・言論をもつ権利→言論を持たない権利
あまり脅迫というのは関係ないと思われます。

また、してもよいかどうか、ではなく権利を持っているかどうかが私の疑問のポイントです。だからあまり「宗教」的なことではありません。純粋に法律的な話です。

 >自由及び権利をなくすような方針の政党が存在するならば

ということですが、それはつまり今の与党が日本国民の自由と権利を完璧に守っているという認識をお持ちになっておられるということですか。
認識の違いといえばそれまでですが、私はそうは思いません。少しずつ少しずつ我々が得られるべきものが失われてきていると思います。
特に沖縄の方はそう感じておられるかもしれません。

最後にもう一点
 >一般市民でも「自由や権利」を侵害するような行為をみたのなら警察に知らせたりできると思います

これは、不断の努力とはいえません。そういった「特別」な行為ではなく、日常的な努力が日本国民に義務付けられているというのが憲法の意味だと思います。


突き詰めていけば、私は投票に行かない権利があろうが、なかろうがそんなことはどうでもいいのです。
今現在このような社会情勢の中で、政治に無関心であるという態度は一国民として、あまりにも楽観的過ぎるか無責任すぎると感じているだけです。

ittenさんの言われているように、中身のない投票なんて全然意味がありません。
この問題を解決するためには、卵か鶏かになってくるんですが、投票に行くことがまず第一なんじゃないかなと思います。そこから政治的関心が広がるようなことがわずかながらでもありうるなら、多少でも意味のあることだと思います。
押し付けというよりは、お願いに近い感じですね。

長くなってしまいました、どうも失礼しました。
6. Posted by jet   2004年08月20日 18:22
で、結局何が言いたいんですか?
7. Posted by dendo777   2004年08月21日 01:12
 コメントありがとうございます。

 「生きない権利」については具体例として言論の自由を取り上げ「脅迫」を禁止するような法律があることから権利にも制限があるとこを示そうと考えました。「宗教」といったのはこのままだと善悪問題になりそうなので私が先走りすぎて使ってしまいました。申し訳ございません。そして、私が調べましたところ「自殺をしてはいけない」という法律はありませんでした。このことから「生きない権利」もあるのだと言えます。

>日本国民の自由と権利を完璧に守っているという認識
 これにつきましては私は守っていると考えておりましたが、もしRashitaさんが与党が守っていないとお考えならば、できればその根拠をお教え願いたいと思います。それから与党以外にも、どの党が守っていない傾向にあるのかとその根拠はどこにあるのかもお教え願いたいと思います。本当に与党が日本国民の自由と権利を蹂躙しようとしているならば大変な問題になると思いますのでその点の重要性はご理解願いたいと思います。

 それから私は「犯罪」については「非日常性」のことだとは思っておりません。小さな犯罪などは私たちの周りで毎日のように起こっていると思います。例えば「投票」につきましては「投票していない人は政治に文句をいうな」のような言論の自由を侵害や「強要罪」にもなりかねない発言もみられます。こういう憲法違反を野放しにしないことは「不断の努力」と言えないのでしょうか?「投票」も「不断の努力」として考えることは私も正しいと思いますがそれが「誰にとっても絶対に正しい」とは言い切れないと思います。

 それから私も政治に無関心なのは良くないと思いますがすべての人が政治に関心を持つことは「理想」でしかないと思います。しかし、100%は無理でもそれを目指すことは出来ると思います。問題は「どのようにして政治に関心を持ってもらうか」ということではないでしょうか?これについては現在政治に関心のある人達すべての命題だと思います。政治に関心の無い人は自分に直接被害が無い限りいつまで経っても無関心なままだと思いますから・・・

 最後に私が何が言いたかったかというと今までに良く見られるような「投票は義務」や「投票しなかった人に政治批判する資格は無い」などの主張は間違っていたということです。土台から間違っているような主張をしても説得力が無いと思うのでとりあえず今までの間違った土台は崩すことをこころみてみたのです。これをしないといつまで経っても進歩の無い水掛け論が続くと思われたからです。そしてこれから新たに根拠のある主張を探していかなければならないと私は考えております。
 
8. Posted by Rashita   2004年08月21日 08:01
どうも、丁寧なコメントありがとうございます。

私は与党が人権などを蹂躙しようとしている、とは思っておりません。が、本来であれば得られるであろうもの、あるいは得ないですむはずだったものがこの日本に存在しているのではないかと思っております。年金問題、沖縄問題、日米安保に関する日本の出費、中国へのODA・・・
これらの問題を全て与党の責任にするつもりはありません。彼らを選出してきた国民にもその責任はあるでしょう。しかし、政治家は誰一人として責任を取っていないのも事実です。

これはある意味で我々の権利がある種剥奪されていると考えることもできると思います。(「権利」という言葉をどのように捉えるかで、それは変わってくると思いますが)

これ以外のことは、大体主張されていることは飲み込めます。

 >これをしないといつまで経っても進歩の無い水掛け論が続くと思われたからです

こういう発想はとても大事だと思います。
これからもがんばってください。
9. Posted by でく   2004年08月21日 15:59
トラバありがとうございました。

すべてのコメントを読んでいないので、的外れなコメントになるかもしれませんが、ひとつだけ。

権利の話がありましたが、「参政権の放棄」、「選挙に行かない権利」にはやはり政治に対する意見を言う権利も一緒に放棄しているということにならないでしょうか?

もしどの党もだめ。
どの人もだめ。
今の政治は根底から良くないなど、いかなる理由があっても、白票という選択肢もあります。

この投稿には関係ないかもしれませんが、現在国会議員選挙は投票率50%を下回り、投票に行った人の半数の承認で国が動いています。
いわば有権者の25%以下で国政が左右されているということになるわけです。この少ない承認で国が動いていることが投票に行く私にとっては残念な理由です。

つらづらと書きましたが、私は選挙にこれからも行きます。
10. Posted by jet   2004年08月21日 20:31
つまり「投票行かないぐらいでグダグダ言うな」っていう解釈でよろしいか?
11. Posted by nuagebleu   2004年08月21日 22:14
トラックバックありがとうございました。

さて、私は自分のブログの中で、
「こんな政治状況じゃ投票に行く気も失せるよ」
旨の発言をしていますが、基本は選挙に行くべき派です。

権利や義務、法律的解釈はさておき、選挙で問題なのは
「投票率がいくら低くても、当選者の数が変わらない」
と言う点です。

極端な例を挙げると、
・人口10万人の一人区で
・候補者が10人いる
・いざ選挙では、わずか一人の選挙民しか投票しなかった

それでも、そのたった一人に投票された候補者は当選なのです。

これでは、その当選者がその後行う政治活動が、民意を反映したものであるかの担保がない事になります。

尤も、実際にはこんな極端な例はあり得ないし、また、あまりに低い投票率の場合に何か法的措置が規定されているのかもしれません(スミマセン、法律よく知らないので)し、さらに、私たちの多くがなんだかんだ言って仕事を遂行する上でそれなりに氏名や責務を果たそうと努力するのと同様、政治家も同じと思いますが、いずれにせよ健全な民主主義の状態ではない。

ただ、これはあくまで個人的なべき論レベルです。
今の日本では、棄権・白票に罰則がないわけですから、投票しないのはもちろん自由です。
12. Posted by dendo777   2004年08月22日 00:53
 コメントありがとうございます。

 確かに政治家は責任感と言うものが希薄な気がします。責任をとるといっても「離党」とかであって国民にしてみれば「なにそれ?」って感じです。権利については私は剥奪されているとは思いませんが制限が多くなってきた気はします。

 白票につきましては以前のコメントで触れましたので省略します。

>つまり「投票行かないぐらいでグダグダ言うな」っていう解釈でよろしいか?
 これにつきましては、「間違った考えを他人に押し付けるのはおかしい」または「押し付けるような発言はおかしい」ということです。

 投票率についてはその「低さ」に問題があるという考えが定着しておりますが投票率が低くなった場合は政治に関心のある人にとってはある意味ラッキーです。なぜなら自分の1票の重さが増すからです。しかしながら今のままでは好きな政党は選べても具体的な政策自体は絶対に選べません。そして「投票」ばかりに重きをおいてしまいますと「私が選ばれたのだから私のどんな政策にも従うべきだ」という独善的な政治家の存在を許すことになってしまう恐れがあります。「投票」1つにおきましてもその解釈は当選した政治家の思い通りになってしまうという現状は恐ろしいものがあります。
13. Posted by おてる   2004年08月24日 18:31
おてるです。
実際に投票に行かない権利があるかどうかは、法律学者さんのコメントなどを
聞かないと判りませんが、投票に行かない人はただ権利を放棄しているだけですよね。
そして「権利を放棄する権利」はあるのでしょうか。

「投票に行かない人間には政治に文句を言う資格が無い」という主張には反対だ
という意見には同意できます。これはカテゴリーに分けると、政治に文句を言う
点については言論の自由の権利に入るのではと思いますが。
いずれにしても専門家の知識やコメントがないと判らないことばかりです。

さて権利についてですが、
何かの権利をいつの間にか剥奪されるという点には納得いきません。
是非 dendo777さんにエントリーのリクエストをお願いしたいのです。
もうじきなくなる「電話加入権」についてはどんな風にお考えでしょうか。
担保にもなる権利です。無理にとは言いませんが、お暇な時にこの点についても
是非エントリーをいつかはお書きいただければと望んでいます。

最後に、今回のエントリーに関係したコメントだけではなくて失礼しました。
14. Posted by yoshihiroueda   2004年08月24日 23:59
「投票に行かない権利」は、「誰がとおっても良いという権利」、「誰が通っても文句を言わない権利」と同じ意味です。もちろん、そういう権利は誰にもありますよね。
15. Posted by dendo777   2004年08月25日 00:45
 コメントありがとうございます。

 「権利を放棄する権利」があるのかは私には分かりませんが投票に行かないことは「選挙権の行使」と言えるでしょう。記事内にも述べました「権利」の意味を考えればおのずとお分かりになると思います。

 「電話加入権」については、私は現時点においては良く分かりませんのでそのうちに調べてみたいと思います。
 
>「投票に行かない権利」は、「誰がとおっても良いという権利」、「誰が通っても文句を言わない権利」と同じ意味です。
 これにつきましては根拠が示されておりませんので残念ながらyoshihirouedaさんの「解釈」だと言わざるを得ません。だからと言って間違っているとも断言できませんが根拠が示されていない以上、万人が納得する主張とは思えません。
16. Posted by dendo777   2004年08月25日 23:41
追記
 電話加入権は国に保証されている権利ではなく、NTTと個人との契約に過ぎないといえます。それに正確には電話加入権ではなく「施設設置負担金」となっておりますので「権利」としては別問題ではないのかと思われます。この先、私がこれを記事として取り上げる可能性は今のところ低いです。もし、おてるさんが記事にしていただければ何かしらのコメントをさせていただきたいと考えております。
17. Posted by yoshihiroueda   2004年08月26日 00:55
「投票に行かない権利」=「誰がとおっても良いという権利」
とうのはストレートフォワードな言い換えと思っていましたので根拠を求められると思っていませんでした。言い換えであって演繹や帰納ではありませんので根拠という形にはなりませんが、説明しましょう。
「投票権」= あなたに議員/首長を選ぶ権利(の一部)があります。
「棄権」= 私は誰も選びません。= 残る有権者の皆さんで決めてください。= 誰が通っても良いです。
「投票に行かない権利」は、この「棄権」をする権利ということですよね。
いかがでしょうか。私にはこれ以上丁寧に説明することは難しいと思います。
それとも「投票に行かないけれども、誰がとおっても良いといっている訳ではない」とおっしゃっているのでしょうか。それとも「投票に行くこと」と「誰かが選ばれること」が独立の事象、概念とおっしゃっているのでしょうか。

それから
> 投票に行かないことは「選挙権の行使」と言えるでしょう。
に関してですが、一般には、「選挙権の行使」は「投票に行く」ということを意味しています。これも根拠を問うものではなく、言葉の言い換え(= 同義)に近いです。聞き手の混乱を避けるため、「投票に行かない権利」の話をするときには、「投票に行かない権利」か「選挙権の放棄」と、そのまま言ったほうが良いでしょう。「放棄する権利がある」との主張は理解していますが、「権利Aを放棄する権利の行使」と「権利Aの行使」は異なります。
18. Posted by dendo777   2004年08月26日 01:42
 コメントありがとうございます。

>「棄権」= 私は誰も選びません。= 残る有権者の皆さんで決めてください。
 やはりこれもyoshihirouedaさんの言い換えに過ぎません。実際のところ私も少しはそう思いますが「「棄権」= 私は誰も選びません。= 誰も当選させたくありません」という主張をする人もいると思いますし、この主張も根拠を持って間違っているとは言い切れないでしょう。これらはやはり「解釈」という枠内をでないものだと思います。

>一般には、「選挙権の行使」は「投票に行く」ということを意味しています。
 確かに一般的にはそうですがそれが絶対に正しいわけではないのです。厳密に考えてみますと「選挙権」には「投票に行く行動と投票に行かない行動」が定義として含まれているのです。それは否めない事実であります。その事実を認識いただくためにわざと記事の題名を「投票に行かない権利」とさせていただきました。「選挙権の放棄」という言葉を使いますと「投票してはいけない」ということになってしまいます。あくまでも投票しない人は自分の意思でしないのですから「選挙権の放棄」をしているとは言えないのではないでしょうか?「選挙権の放棄=投票に行かない」ではなく「選挙権の放棄=投票に行けない」。わずかな違いではありますが同義とはみなせない重要な違いだと思います。
19. Posted by yoshihiroueda   2004年08月27日 00:54
うーん、意見の相違と言うより、ロジックの基盤が異なるように思います。

私は誰も選びません。= 残る有権者の皆さんで決めてください。
は、「私の言い換え」ではなく、選挙の仕組みそのものです。
私は誰も選びません。= 誰も当選させたくありません
は、自分が選ばないことによって当選者が出ないという結果にはならない(投票率が50%切っても選挙は有効です)という「根拠」を持って「間違っている」と言い切れるでしょう。「ふさわしい人がいないので選ばない」という主張は聞きますが、「選ばないから当選者をだすな」という主張をする人は聞いたことがありません。あ、昔ジャイアンツがドラフト会議をボイコットして、我々が出席していないからドラフト会議は無効だと主張したことがありましたね。

> 「選挙権」には「投票に行く行動と投票に行かない行動」が定義として含まれている
というのはきいたことがありません。どこにその定義が示されているのでしょうか。「投票に行く行動と投票に行かない行動」が存在するのは事実ですし、そう主張されているのは分かりますが、それが「選挙権」に含まれているのですか。

> 「選挙権の放棄」という言葉を使いますと「投票してはいけない」ということになってしまいます。
なぜでしょうか。永久に放棄すると言っている訳ではありませんし、たとえ「永久に放棄する」と宣言しても、その後の投票が制約される訳ではありません。「選挙権の放棄」は自分の意志でするものですよね。「投票に行けない=選挙権の剥奪」ですね。

私が「一般に」と書いたのは、コミュニケーションの道具としての言語/言葉の「共通の解釈」ということです。「(一度は疑ってかかったほうが良い)世間の常識」という意味ではありません。聞き手の混乱を避けるため、共通に解釈できる使い方をした方が良いです、というアドバイスでした。共通の解釈と違う意味で使う場合は、そう分かるように、毎回「(私の定義するところの)選挙権の行使」と書くと良いと思います。
20. Posted by dendo777   2004年08月27日 02:07
 コメントありがとうございます。

>ふさわしい人がいないので選ばない
 これについては「誰も選びたくない」と同義と考えられつまり「誰も当選させたくない」と同義に近いものがあるとは考えられると思うのですが投票していないほとんどの人が「他の有権者が決めてください」と思っているとするならばおおごとです。つまり、当選者に投票した人と投票を全くしなかった人は当選者を支持しているということになります。すると現在の与党は圧倒的な支持を得ているといえるでしょう。yoshihirouedaさんの解釈によると今回の参院選で与党に投票した人に加わえて日本国民の約半数の投票していない人が現在の与党を支持しているという計算になります。残念ながら私はこの解釈については支持できないとしか言いようがありません。

>「選挙権」には「投票に行く行動と投票に行かない行動」が定義として含まれているというのはきいたことがありません。
 確かに聞きなれないと思いますが事実です。記事と重複してしまいますがお分かりにならないようなのでご説明いたしますと「権利」は「ある行動について自由におこなったりできる資格」であります。これを「選挙権」に当てはめてみますと「投票について自由に行動出来る資格」となります。投票について自由に行動できるというのは投票の性質から考えてみましても「投票するかしないか自由に選べる資格」ということになります。よって「選挙権」には「投票をする資格」と「投票をしない資格」が含まれているのです。
 私がわざわざ「選挙権」について詳しく記しているのは逆説を記しておりますからです。単なるコミュニケーションとして「選挙権」を使う際にはここまで詳しく説明する必要はないと考えております。つまり、一般的に「選挙権」という言葉を使うにあたっては「投票できることor投票すること」と解釈して全く問題ないと思いますが「選挙権」そのものについてつっこんで考えてみた場合には必ずしもそうとはいえないということです。

 ところでyoshihirouedaさんに2つ質問があります。
 1つ目は、どの党も戦争を主張していて貴方は戦争を絶対に起こしたくないという考えを持っているような時でもいずれかの党に投票をなさいますか?そして、そうではなく白票を投じるならば貴方は他の有権者に任せるという意味で捉えられて良いとお考えですか?
 2つ目は「投票に行かない=選挙権の放棄」と考えた場合、投票に行かなかった人は一体いつからその人に選挙権が復権するのですか?
 なるべく厳密にお答えいただきたいと思います。できましたらその根拠もお教え願いたいと思います。
21. Posted by 結夜   2004年08月27日 12:32
ども。トラバいただきましてやってきました。
ちなみに結夜は「投票しないで、政治を批判しても"意味"がない」と思っとる次第ですが。
この手の話は"「価値観を押し付けるな」という言葉がすでに一つの価値観を押し付けている"という泥沼に陥るパターンが多いので。

ところでdendo777さんに一つだけお聞きしたい事があります。

>「権利」は「ある行動について自由におこなったりできる資格」であります。

とありますが、だとすると「基本的人権」は本人が望めば放棄することができるのでしょうか?
22. Posted by ueda   2004年08月28日 02:06
まだご理解が得られていないようです。つながっているのでひとつづつ順に確認させていただきたいとおもいます。まず、

> 私は誰も選びません。= 残る有権者の皆さんで決めてください。
> は、「私の言い換え」ではなく、選挙の仕組みそのものです。

というところはいかがでしょうか。私の意見、主張ではなく、論理的帰結であり、事実だと私は言っています。ある人が投票しない場合、残りの投票された票のうち多く取った候補者がえらばれます。これは事実としてご理解頂けますよね。この仕組みを知らなかった人とか、この仕組み自体が許せない/ボクが投票しないときに他の人で勝手に決めちゃやだという「意見」をもつ人もいるかとは思いますが、それによって事実は影響をうけません。

ではまた。これが確認できてから次に進めたいとおもいます。
23. Posted by dendo777   2004年08月28日 21:27
 コメントありがとうございます。

>「基本的人権」は本人が望めば放棄することができるのでしょうか?
この質問を私にされるのは少し的外れな気がします。なぜなら私は国から認められている権利は放棄できないのではないかと考えているからです。結夜さんの質問は「選挙権の放棄」を主張なさっている人にすべき質問ではないでしょうか?もしも「投票しないこと=選挙権の放棄」というのが正しいとなってきますと権利は放棄出来るということになるでしょう。こうなってくるともちろん権利という範疇である「基本的人権」も放棄できるということに なるでしょう。しかし、私は権利は放棄できないのではないかと言う立場なので言うまでも無く「基本的人権は放棄できないのではないか」という答えになります。現時点において私はこれが絶対に正しいと断言はできませんけど・・・

>私は誰も選びません。= 残る有権者の皆さんで決めてください
これが何故解釈かと申しますと「残る有権者の皆さんで決めてください」の部分が意思を示すものだからです。事実として示す場合には「私は誰も選びません=残る有権者の投票で決まってしまう」などとしなければなりません。残る有権者の投票で決まってしまうの はたしかに事実ですが、その心の内である「意思」は断言することができないので「解釈」 と言う言葉を使わせていただきました。少しの言葉の違いですがその違いは「事実」を示 すものと「意思」を示すものというようにまったく違っております。よって「残る有権者の投票できまってしまう」までは「事実」、「残る有権者の皆さんで決めてください」は全員がそういう意思をもっているとは断言できないので「解釈」ということになりました。
24. Posted by ueda   2004年08月28日 22:31
いえいえ、「私は誰も選びません。」に既に意志が入っているんです。その結果「残る有権者の投票できまってしまう」という事実を受け入れる意志です。人の心臓を刺しておいて殺す意志がなかったというのが通用しないのと同じです。
すみません、先のコメントで「ひとつづつ」と書きましたが「ひとつずつ」に訂正します。
25. Posted by 【号外】やまねこ新聞社   2004年08月29日 18:28
ワタシが投票権、参政権を大事にする理由はひとつです。
【それは「選挙」という制度を守るためです。】
ただ、この一点です。

選挙の投票率や選挙結果について、あるいはその関連性についてなど問題ではありません。
民主政治を行うための基本的な制度として、選挙制度は大事だと思っています。
この制度をこわしたくないと考えています。

もし、現行の「選挙制度」に不備があると感じるかたがいて、「もっと良い民主政治のための政治家を選出する方法論」があるのでしたら、ワタシは今の「選挙制度」を変えてもいいと思いますよ。が、現実はどうでしょうか。
冷静に考えて、他の問題のある国々の非民主的な政治手法よりも、良いのではないですか。
ただし、逆に、この投票率が、かなりの低下になりつつあれば、現行の選挙制度を変える動きがでてこないのはかえっておかしいと思いますよ。
その時です、怖いのは。それを危惧します。

多くの方が選挙に行かない理由は、当然ワタシもわかります。選挙結果が見えている選挙は多いですから。
だから、権利として行かなくてもいいです。
ただし、投票率が低下し続けたとき、安易に選挙制度を変える動きが出てこないとも限らないわけです。改善ならいいんです。ただし、改悪になる可能性だってあるのだということ、そこを考えてほしいなあと思っているわけです。

ワタシ個人が行く理由は、明解です。
現時点では、ヘンにこの制度を変えて欲しくないからです。「へんに」ですよ。
この制度が解体して、あるいは解体させて、どういう民主制度を築け、というのでしょうか。
ワタシにはわかりません。

ワタシは、せめて投票に行くことで、この「選挙制度」を肯定しているのです。
この制度は、決して悪い制度ではありませんよ。
むしろ、ワタシのような考えで選挙に行っている人間は、少なくないのではないでしょうか。
どうでしょうか。
−−山猫編集長−−40代・男
26. Posted by dendo777   2004年08月29日 19:13
 コメントありがとうございます。

 uedaさんにつきましては簡単にいうと「行動結果=意思」という考えということでしょうか?

 山猫編集長さんの意見についてはよく分かります。たしかに貴方のような考えで選挙に行っている人間は少ないと思います。私が思いますに「人は当たり前のことには注意を払わない傾向」があると思います。民主主義に選挙と言うものは必要不可欠なものであるにもかかわらず参政権が当たり前になってしまっている現在においてはその重要性を再認識している人は本当に少ないと思います。これは「人の性」によるものでしかたのないことかもしれません。
 選挙制度につきましてはこれから変わっていくとしても今政治家になっている人に有利なように変わっていくでしょう。なぜならその制度を変えられるのは政治家だからです。特に過半数を超えているような与党に都合がいいように変わっていくと思います。あれほど国民から文句を言われている「天下り」が規制されないのと同じようにこれからも政治家に有利な法案だけが提案され可決していくのでしょう。
27. Posted by ueda   2004年08月29日 21:08
> 「行動結果=意思」
違います。「結果」は広すぎます。不確定要素が入る場合も含みますので。「誰も選ばない=残る有権者の投票で決まってしまう」は同義です。ですから意志を加えた「私は誰も選びません。= 残る有権者の皆さんで決めてください」も同義です。それから何度も言いますが、これは私の考え、意見ではありません。真理です。これを認められないと先へ進めません。
28. Posted by dendo777   2004年08月30日 01:50
 う〜ん、uedaさんのそれが正しいとするとそれは投票した人にも当てはまりますよね?つまり「私はA党に投票しました=しかし残る有権者の投票で決まってしまう」は事実で同義ということになり、これに意志を加えた「私はA党に投票しました=残る有権者で決めてください」も同義ということになります。私に関していえば投票した際に「この党の人が当選して欲しい」と思いながら「残りの有権者によって決まってしまう」という事実は存じておりましたが「残る有権者で決めてください」という意志はまったくなかったのですがこれについてはいかがお考えですか?意志と事実は別物なので同義にはできないと思うのですが・・・
29. Posted by ゆたか   2004年08月30日 16:09
単なる善意の行動や崇高な行動が、政治的立ち回りのうまい人間に利用されるだけになるのは、もはや前提です。だから、投票行動の肝は、「社会の意思決定システムに働きかけて、どう自分の目指す落しどころへ持っていくか」ということだと思います。自分なりの目論見と落しどころを描かずに、現実世界を動かそうとする人は、合気道の達人に殴り掛かる素人のようですね。現代日本の政治・社会システムの複雑さをなめてるとしか思えない。
たとえば、ぼくがアンシャンレジーム期のフランスにいたら、マリーアントワネットを権力の座につけるように、画策したと思います。民衆に対して、アンシャンレジームの弊害を「強調」して見せつけることで、民衆を動かし、「自由と平等」を実現できるからです(この意味で、ナベツネ氏には、もう少し分かりやすい悪役としてがんばって欲しかった)。
だから、自分が、自民党を排除したいと思っていたら、分かりやすく愚かな自民党党首を首相の座につけるために、自民党に投票することだってあります。
しかしながら、いままでの選挙では、投票行動のときに選べる選択肢を見るにつけ、効果的でフィージブルなシナリオが描けませんでした。ぼくは、そういう場合は、機が見えるまで、動かないで、待つことにしています。剣道と同じです。つけ込む隙が見えたとき、一気に攻めるべきで、機の見えないときに、やみくもに剣を振り回すと、逆に相手につけ込まれるだけですから。
ちなみに、「白紙投票」と「投票に行かないこと」の違いを取り沙汰している人は、ぼくには議論する価値のないことを議論しているようにしか見えません。だって、現実世界に対する影響は、どちらも大きく違いありませんから。
また、「投票結果は残りの有権者の皆さんで決めてください」という意思を持って投票に行かないのか、それとも「誰が当選しても納得いかない」のか、ということにこだわるのは、3m先を見て、自動車を運転するようなものです。ぼくにとって重要なのは、「決め方」ではなく、「結果として、どう決まるのか」ということです。正しい決め方をして、腐った社会に行き着くぐらいなら、汚い決め方をして、豊かな社会を実現する方が、百倍ましだというのが、ぼくのスタンスです。もちろん、「決め方」についても、よければ良いに越したことはなく、かつ、まだまだ改良が必要なので、そいう動きを加速するように現実を動かすチャンスがあれば、そうすると思います。
30. Posted by 結夜   2004年08月31日 17:55
なるほど、つまり「投票に行かない」という行為が
参政権を放棄している、と解釈するか
投票に行かない権利を行使している、と解釈するか、という選択なわけですね。

う〜ん、これは根拠を「法」に求める限りは、どっちともいえない気がしますねぇ。そもそも「法」なんて解釈しだいで、どうとでも取れるような書き方がされている事が多いし。
でも、少なくとも「投票に行かない」ことに罰則やペナルティがあるわけではないので、そう言った意味では「投票に行かない」という行為は法的には許されているのでしょうね。
「投票に行かない人間は、政治に口を出す資格が無い」という批判は受けるでしょうけど、これは、法を根拠にしたものでなくて「道徳律」の範疇ではないですか?
まぁ、道徳には法的な根拠は無いですけど、でもそれを「感情論」や「幻想」という枠に括ってしまうのも、また乱暴な気もちょっとします。

31. Posted by ueda   2004年08月31日 23:10
ゆたかさん、なるほど。これまでは投票する際の選択肢として効果的なものがなかったので、つけ込む隙をずっと待っているということですね。そしてここぞという機会がきたときに渾身の力を込めて一票投じる、と。
32. Posted by dendo777   2004年08月31日 23:31
 コメントありがとうございます。

 ゆたかさんに関しましては「意志」についてどういった意志を持っていたのかを答えていただきたかったのですが「意志なんてどうでもいい」というお答えのようで非常に残念です。せめて「こういう意志をもっていたがそれはどうでもいいこと」のように答えていただきたかったです。

 結夜さんに関しましては「言論の自由」という法があるかぎりそれは守るべきものではないでしょうか?「投票に行かない人間は、政治に口を出す資格が無い」が道徳律であろうと感情論であろう幻想であろうと法を破ってまでそれを押し付けるのは良いこととは思えません。私の意見としましては「道徳律」ももちろん大切だとは思いますがそれより「法」の方がより大切だと考えております。ですから「法」またはそれに勝る根拠が見つからない限り、自分以外の人の言論の自由も守るべきだと考えております。ちなみに私は「『投票に行かない』という行為が参政権を放棄している、と解釈するか投票に行かない権利を行使している、と解釈するか、という選択」につきましてはそんなに重要視しておりません。どちらにしても「投票に行かなくてもよい」という事に関しては変りませんと思っております。
 多くの人は、自分の基本的人権は守ろうとしますが他人の基本的人権を尊重しようとは思っておりません。私が一番言いたいことは自分と全く正反対の意見を言う人がいた時に反論したり無視したりすることは全く問題ないと思いますが、意見そのものを言わさないようにするのは良くないことだ、ということです。
33. Posted by 結夜   2004年09月01日 18:59
えぇと、法に定められた「思想と言論の自由」は、「投票に行かない人間には、政治に参加する資格が無い」という思想や言論もまた対象となるのではないでしょうか?
極端な話、「投票に行かない人間なんかには人権はない!」といった過激な思想であっても、それが「思想と言論」の範疇である限り、法的には問題ないですよね。(道徳的には「良くないこと」ですが)
結局、法の枠内のみで語るならば「投票にいかなくても問題ない」のと同じく、「投票に行かない人間には、政治に参加する資格が無い」という思想や発言にもなんら問題ない、ということになると思います。

「自分と全く正反対の意見を言う人がいた時に反論したり無視したりすることは全く問題ないと思いますが、意見そのものを言わさないようにするのは良くないことだ、ということです。」というdendo777さんの「思想と言論の自由」に対する価値観は「正しい」と感じます。ですが、

>これにつきましては、「間違った考えを他人に押し付けるのはおかしい」または「押し付けるような発言はおかしい」ということです。

というような、上記のレスなどはdendo777さん自身の「思想と言論の自由」に対する価値観に反しているように結夜には思えるのです。
文章を読ませて頂いていると、時折「投票に行かない人間には、政治に参加する資格が無い」と発言すること自体を「おかしい」と"否定"されているのではないか? と感じられてしまうのです。揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、たとえば、

>「投票していない人は政治に文句をいうな」のような言論の自由を侵害や「強要罪」にもなりかねない発言もみられます。

などは、あまりに乱暴ではないでしょうか。
「思想と言論の自由」という法が「思想と言論の自由を否定する思想や発言」を法的に罰する事は、ありえませんし、それが罰せられるならば「思想と言論の自由」などそもそも無いということになります。
「投票していない人は政治に文句をいうな」という"発言"が「強要罪」として裁かれるようであれば、それこそ言論統制ではないでしょうか?
たとえ話であっても、こういった記述を読むと「発言」する事自体を否定しているように感じられるのです。

参政権に対するdendo777さんのご意見は「法の一つの解釈」として非常に面白い見方だと思いますし、また納得させられた部分も多数あります。
ですが、「投票していない人は政治に文句をいうな」という発言に対するご意見の中に少々、矛盾を感じたので。
34. Posted by dendo777   2004年09月02日 00:58
 コメントありがとうございます。

 重要なことは「言論の自由」があるからといって何を言ってもよいというわけではないということです。例えば人を侮辱する言葉を発した場合は侮辱罪という法に引っかかるのです。言論の自由が認められているから侮辱してもよいと主張しても状況にもよるでしょうが裁判所ではほとんどの場合認められないでしょう。つまり「言論の自由」の「自由」は完全なる自由ではなく、他の法により制限が生じているいうことです。
 「投票していない人が政治の文句をいうのはおかしい」という主張は法的には全く問題ないのですが「〜するな」という形は命令形ありそれを相手に強要をしているわけですから強要罪にひっかかる行為だと言えるのです。これに関しまして「押し付け」という言葉を使わせていただきました。
 私の記したことに関して言わせていただきますと「〜という考えはおかしい、間違っている」とは主張しておりますが「〜しろ、〜するな」というような命令形には一切しておりません。その点に関しましては再三ご確認のほどをよろしくお願いいたします。

 法律と言うものは難しいもので微妙な言い回し一つで成り立ったり成り立たなかったりします。例えば「死んじゃえ」「夜道に気をつけろ」というのは問題ないみたいですが「殺す」などという単語が使われたとたんに「脅迫罪」が成立するのです。
 何を主張するにしても法に引っかからないように発言する必要があることは忘れてはいけないことだと思います。
 
35. Posted by 結夜   2004年09月02日 18:26
「投票していない人が政治の文句をいうのはおかしい」「〜まちがいだ」は法的に問題がなく、「〜しろ、〜するな」と語尾が命令形になると強要罪になる、あるいは抵触する。
……ならない、です。

強要罪は、本人または親族に、危害を加える旨を"告知"して"脅迫"し、または"暴行"を用いて相手に義務の無い事を行わせる、または権利の行使を妨害した場合に適応される法律です。

発言の語尾が命令形になっただけでは、適応されません。
投票に関する発言ならば強要罪が適応されるのは、
「投票しないならば、おまえを殴る」
「投票しないならば、家族に危害を加える」
といった場合です。
「投票しないならば、おまえの友達を殴る」という発言ですら強要罪にはあたりません。(この場合、"友達"本人が告訴すれば"おまえの友達を殴る"の部分が脅迫罪にあたる可能性はあります。)

したがって、申し訳ありませんが「発言の語尾が命令形で相手に強要しているから強要罪にひっかかる」というご意見には、法的な根拠は無いと言わざるおえません。

また、侮辱罪は親告罪です。
「侮辱された」という"本人"が、被害届をだし、それが受理され、実害を立証して、司法によって刑が確定した時点で、初めて「罪」となります。刑が確定されない限りは、如何なる発言も、「思想と言論の自由」の保護下にあります。


「投票しない人間に、政治を語る資格は無い」
「投票しない人間が、政治に文句を言うな」
上記発言には、個人に対して危害を加える旨を告知する文章がありません。したがって"法を根拠"とするかぎり上記発言は、脅迫罪にも強要罪にもあたりません。「思想と言論の自由」の保護対象、法的に守られ尊重される主義主張の一つです。

「戦争を知らない人間に、戦争を語る資格は無い」なんかもよく使われますね。これらも、法的にはなんら問題ないと言わざるおえないのでしょう。

だいぶ長くなりましたが、dendo777さんの仰る"「押し付け」発言は触法の可能性がある"という点だけ、「間違っているのではないか?」と意見を述べさせていただきました。
36. Posted by dendo777   2004年09月03日 02:23
 コメントありがとうございます。

 今自分なりに調べてみましたところ大体は結夜さんの言うことが正しいと思います。しかし、かなり強引にはなりますがこう反論する人もいると思います。
→強要罪は「生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、または暴力を用いて〜」となっているのでこの中の「自由」ということに注目してみますと「〜言うな」というのは言論の「自由」に害を加えている旨とみなすことができます。危害と言うのは刑法にもあるとおり殴るとか身体的なものには限らないのです。よって「〜言うな」のような命令は「自由」に害を加えているので「強要罪」になりうるのです。
 先にも記したとおりこれは私の意とする所ではありませんが結夜さんはこれについてどう論破致しますか?

>司法によって刑が確定した時点で、初めて「罪」となります。
 このあたりにつきましては少しひっかかる所があります。あとの文章を拝見いたしますところ、刑が確定しない限りその行動をしてもよいことのように感じました。だとすると殺人を起こしても殺人罪が確定するまでは殺人をし続けてよいと言っているのと同じということになってしまいます。それともそれが「親告罪」に限られると言うならばおなじ親告罪である強姦も罪が確定するまで強姦し続けてよいということになります。法というものは罪を確定するものではなく行動を規制するものなので裁判所が罪を確定する前であろうとその行動は規制されているのではないでしょうか?わかりやすく申しますと「殺人罪になったから殺人をしてはいけないではなく、法によって殺人が規制されているから殺人をしてはいけない」のです。
37. Posted by 結夜   2004年09月03日 20:43
法を根拠に、道徳論を抜きにして語らせて頂くと、
殺人というのは、これ死刑だとか戦争時の殺人とか安楽死問題とかありますが、基本”不当行為”です。
したがって、裁判では殺人という不当行為を「行ったのか、行っていないのか(行ったと証明できるのか)」が焦点となります。
対して親告罪というものは、「基本”正当である行為”が、不当に行われたのか」が問われるのです。
この基本正当である行為というのは、
強姦罪であれば「性交」であり
侮辱罪であれば「発言」です。
強姦罪は、被害者が「この性交は正当ではなかった」という告発があって始めて、裁判によって「問題とされる性交が正当なものではなかったか(つまり合意であったか、なかったか)」が検討され、司法が「正当ではなかった」と判断して始めて「強姦」になり不当行為となるのです。
親告罪であるから、強姦という犯罪は刑が確定されるまで許される、というわけではなくて、司法によって刑が下されるまでは「性交」であって「強姦」では無いのです。
実際、レイプ犯罪は、被害者本人が告発を望まなかったため「強姦罪」としては刑に処されないかった事例が多くあります。(現行犯逮捕の場合、通常被害者本人が告発の意思がないときは、障害罪などの別件で罪に問う事が多いです)
まぁ、強姦罪は色々と複雑で難しいですね、夫婦間レイプ事件なんかの裁判の傍聴記録を読むと、正当な性行為であったか強姦にあたるのか、でかなり揉めていたりしますし。

さて、同じ親告罪である侮辱罪も、
被害を受けたという告発がなければ、それは正当な発言であって「侮辱」ではありません。
また、司法の手によって「不当な発言である(侮辱である)」と判断されない限り、やはり正当な発言であって不当行為では無いのです。
コレに関しては、よく政治家さんが雑誌記事に対して「侮辱罪や名誉既存」などで訴える事例が多数ありますが、実際に裁判所によって「不当」だと判断されない限り発言は「思想の自由、言論の自由」として保護されています。
38. Posted by 結夜   2004年09月03日 21:02
長くなるので二つに分けさせて頂きましたが、強要罪についてです。
そうですねぇ〜論破はできません。
ただその場合、「〜しろ」という命令形の発言が、「〜しろ、しないと殺すぞ」などのと同等の、自身の精神が脅かされるほどの「脅迫」に値すると立証できない限りは、 強要罪として判決がくだることはないでしょう、「実際に、訴えてみてはどうですか?」ってぐらいしか言えないですね。
しかし、今後も絶対に強要罪として判決がくだる可能性がまったくないのか? と問われれば「解りません」としか答えられません。
法の適応範囲は時代によって変わるものですしね。
現状で訴えても、おそらく過去に判例が無いので始めは裁判所で相手にされないでしょうけど、同様に考えるひとが何人も「〜しろ」という命令形の発言を強要罪として告発していけば、もしかしたら「強要罪である」という判決が下る事もあるかもしれません。

ただまぁ、これは法律論の範疇ではないかもしれませんが、「〜しろ」という命令形の発言が、一度でも「強要罪である」という判決がくだったら、これ社会は大混乱ですよ。
その判例が、その後の裁判の根拠とされるのですから。
親が子供に、「勉強しろ」といったら強要罪になるのか?
サラリーマンが街頭インタービューで「総理は辞任しろ」と言ったら強要罪になるのか?
「あれしろ、これしろ」もう際限無く強要罪にあたるかどうか問わなくてはなりません。
そして権力者にとって発言を封じるのにこれほど便利な法はないでしょう。
国会で「〜しろ」といったら、それだけで裁判を起こせるのですから。
「自衛隊は撤退しろ」だって、その内容以前に「〜しろ」というのは強要罪にあたるのではないか? と問題にされるわけです。

そもそも「言論の自由」と、発言を裁く法の存在は矛盾をはらんでいるのです。
法は完全なものでは無く、多くの矛盾をはらみながらも、必要なものですから。
だからこれらの発言を裁く法は慎重に扱われなくてはならないと思うのです。
とくにその適応の範囲を広げようとする動きに対しては、注意しなければならないのではないでしょうか。
ただでさえ最近、「個人情報保護法案」など発言を裁く法が増えてきたり、
思想的なビラを配っていた人間が警察に拘束されるという事件が起きていたりするのですし。

長くなりましたが、最後に。
結夜も押し付け的な発言や「べき論」は好きではありません、「お前の考えを押し付けんなよ、うぜぇな」なんて思うこともありますし、自分のblogでそんなことを書いたりもします。ですがその反面、結夜自身べき論や押し付けを「必要」だと考える人の心情も理解できる場合もあるのです。
世の中も、民主主義も、不完全ですから。
「〜しろ」と言う人も、感情論も、議論には必要じゃないかなぁと思うのです。
ですので「言論」には可能な限り「言論」でもって相対するべきだと思っているのです、法に問うのではなく 。
ありきたりな台詞で恐縮ですが、やはり「思想と言論の自由」の精神は以下に集約されるのではないでしょうか?

『君の意見には反対だ。だが、君がその意見を言う権利は僕も命をかけて守ろう』

長文失礼しました。
39. Posted by dendo777   2004年09月04日 01:27
 コメントありがとうございます。

>親告罪であるから、強姦という犯罪は刑が確定されるまで許される、というわけではなく て、司法によって刑が下されるまでは「性交」であって「強姦」では無いのです。
 これに関しましては意義ありです。司法によって刑が下される前にすでに「強姦」なのではないでしょうか?「強姦罪」にはなっていませんが「強姦」という事実はおこなった瞬間に発生するのです。裁判所ではあくまでも「強姦」があった事実を証明する場であり「性交」を「強姦」に変える場ではありません。事実というものが事前にあって、その証拠があってはじめて検事が主張することができるのです。ですから正確には「強姦罪は裁判所によってはじめて生じますが、強姦という事実は判決以前にあったと考えることができる」のではないでしょうか?裁判所が認めなくても事実と言うものは存在するのです。裁判所ができることは事実があったそのあとで事実を当人以外の人がはじめて認識できる場所でしかありません。

>自身の精神が脅かされるほどの「脅迫」に値すると立証できない限りは、強要罪として判決がくだることはないでしょう
 これにつきましては次のような考えがあります。
 『脅迫とは、人の生命、身体、自由、名誉または財産に対してこれから害悪を加えるぞと告知することで ある。(中略)告知される害悪は、四囲の状況に照らして、人を畏怖させるに足るものでなければならないが、被告知者が現実に畏怖することまでは必要ない。また、告知された害悪が犯罪を構成するものである必要はない(以下略)』」(町野・中森編 『刑法2各論』有斐閣アルマ、33−34頁)
 つまり、言われた当事者が実際に畏怖しなくても一般的に畏怖するような内容であれば脅迫にあたるらしいのです。
 ここから先は私の考えですが、おそらく「〜しろ」と命令した人に関係して脅迫罪になったりならなかったりするのではないでしょうか?つまり命令をする人がテロリストだったり、暴力団の組員だったりしたり、もしくは私はテロリストです、など例えそれが嘘であってもそのような発言があればほとんどの人は畏怖しますから強要罪が成立するのではないでしょうか?つまり、一般的に恐怖を与えないような人と場合は結夜さんのおっしゃるとおり「命令形」では強要罪が成立せず、逆に恐怖を与えるような存在の人(ネットでいえばハッカーなど)が「命令形」を使った場合は強要罪が成立するのではないでしょうか?
 
 私の結論と致しましてはどちらにせよ結夜さんのおっしゃるとおり「〜しろ」だけでは強要罪は成立しないようです。ただし例えばネットにおいて事前事後に「私はハッカーである」などの発言をしていれば強要罪が成り立つのかもしれません。ここまできてみますとだいぶ本論からはずれてしまいました・・・
40. Posted by らも   2004年09月11日 01:23
コメントのみで失礼します。

少し時間的な流れに乗り遅れてしまいましたが、乗り遅れついでに、投票権のお話で・・・
私も政治に大変興味を持つものです。
ただ、最近(ここ数年)の選挙になるとどうしても投票所に足が運べないのです。理由は誰に、どの政党に投票したら自分の思いを表現できるのかわからないからです。どの立候補者もどの政党も完璧に自分の考えと一致しているわけではないですよね。それでも誰かを選ばないと「日本の政治を考えていない」という旨の事を言われます。

権利云々の話は少し私には難しすぎましたが、私自身投票に行かない権利を行使しているのではなく、投票に行けないのです。この政党のこの政策のみに賛同するから、投票するという事ができないのです。実際こういう人は多いのではないかと思っています。実際に街頭演説や各政党の一時流行ったマニフェストなんかを熟読して、私と同じ意見に辿りついた方もおられます。

投票しないなら政治に口を出すなと言われることもつらいのですが、何より投票するに値しない(と自分が考えている)政党、立候補者しかいないのが悲しいです。また、今その声を響かせる場所が自分にはないのがくやしいです。

何かこのことについてコメントしてほしいとかではなく、同じように政治に興味を持ち、投票について論じられているここに失礼を承知で発言させていただきました。申し訳ありません。
現在、少しずつブログを始め、考えを文章にまとめる練習をしながらいろんなブログを読ませていただいています。読むこちらがいろんな考えを脳みそから呼び起こせるネタを楽しみにしています。TBさせていただくこともあるかもしれません、よろしくお願いします。
41. Posted by dendo777   2004年09月12日 00:41
 コメントありがとうございます。
 私と致しましては「投票する、しない」よりも「何も考えずに投票をする」ことの方が恐ろしいことだと思います。投票うんぬんで考えてしまうとどうしても投票さえすればよいという考えに偏りがちだと思います。自分の1票のせいで政治家になる人が決定してしまう可能性があり、その政治家が暴走した場合にはその1票はとても無責任な投票であったとも考えてしまいます。政治不信は政治家せいだと考える人がほとんどですが、現在あるような投票を絶対視する視点に立つとその責任は政治家を選んでいる我々にあると言えるでしょう。
42. Posted by HIRO   2004年10月15日 08:50
投票に行かないというのは棄権ということですよね。
10人の仲間から2人が立候補し、1人が残りの9人を
基本原則にのっとり、10人から集めたお金で取り決めや管理をする。
すべてに投票権があり、投票にどちらに任せるかきめれる。
これで投票に行かない人っていうのは人選、政治はあなたたちにまかせます
ってことではないでしょうか。それで何か文句があるならあなたが立候補してくださいってことです。もしくは仲間を出てゆくかクーデターかなにかしないといけないかもしれません。1億という人間の中ではわかりにくいですが
10人ぐらいの少人数でかんがえればわかるようなきがします。
的外れないけんかもしれませんが。。
43. Posted by HIRO   2004年10月16日 02:28
これは世界が100人の村だったら的発想ですねw
だから私は基本的に選挙にいかないということは
委任すると考えます。いかないというの権利では
ありますが権利には責任がともなうとおもうのです。
今の立候補者、党のなかから
私は何も選んでいないということは全てを選ぶということ
であるとおもいます。その他の投票者に結果を委託する
という責任をおっているとおもいます。そして自分が立候補
しないということは現在の立候補者に責任をゆだねている
ということになるとおもいます。そういうことから
投票に行かず立候補してないから政治が悪いといえるというのは
間違っているのではないかとおもいます。悪いという状況
を委任しているわけであるから、それも悪いのです。
結局投票に参加しないことで政治が変わることはなく
投票者が少人数になりかれらの表の重みが増すだけ
なのです。そこまで理解しての投票に行かない権利で
あれば納得できます。
前回の参院選には参加していないもんで・・ぐらいの
謙虚さはほしいですw
44. Posted by ko   2004年10月26日 04:41
在日外国人の税制優遇で騒いでる人がいた、
私は税務署員では無かったので黙っていた。
在日外国人の生活保護不正受給で騒いでる人がいた、
私は生活保護を貰う様な生活をしてなかったし、
まわりで生活保護を断られた知人を持たなかったので黙っていた。
在日外国人の公団不正入居で騒いでる人がいた
私は持ち家なので黙っていた。
在日外国人の参政権で騒いでる人がいた、
私は民主党が大丈夫だといっているので黙っていた。

そして70になった
在日の年金救済金給付が決まり、日本人の年金は貰えなくなった。
私は年金生活者だったので、運動を起こした。
いや起こそうとおもった。

でも起きあがれなかった。

【ある老人の手記】
45. Posted by かとくま   2005年12月27日 00:22
生んでくれって言ってないのに親が生んだ。
こんな政府に俺がしてないのにした、
こんな世の中に納得いかない、
何だか子供の主張みたいです。
システムに反抗するのに何もしない反抗っていうのは
一番情けない気がします。

どいつに投票しても仕方ないと思うぐらいなら
大きなデモ抗議でもテレビにでれるぐらい有名になって
自分の主張をいうなりすればいいと思うんですがどうでしょう?

46. Posted by 司法試験口述試験の棄権の自由   2007年07月28日 20:31
 昔、司法試験の口述試験の憲法の過去問(平成2年頃)を読んだことがありますが、その中に、『「棄権の自由」を認める者の立場で、棄権の自由の憲法上の根拠条文を挙げよ』という内容の設問があったような記憶があります。

47. Posted by 司法試験口述試験の棄権の自由   2007年07月28日 20:31
続きです。

 その答は
憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服されない。

のいずれかを使うか、両方を使うというものであったような記憶があります。

 なお、選挙権は、権利であるから、権利の放棄は自由であるという論法もあるそうです。その答では、理由は、忘れましたが、その論法は使わない方がよいというものであったようですが・・・

 参考までにコメントしました。
48. Posted by 司法試験口述試験の棄権の自由   2007年07月28日 20:38
 なお、私個人の現在の考えでは、棄権は何ら、恥ずべきことではないというものです。

 なぜならば、棄権をするということは、棄権をしない者の多数決の決定に従いますという意思表示ですから。

 株主総会や、同窓会でも、棄権をする人はたくさん、いますが、そのことを恥じている人は、あまり、いないはずです。きっと、その場合も、棄権は、棄権をしないで、権利を行使した人の多数決の決定に従うという意思表示であると、多くの人々は、思っているのでしょう。

 なお、株主総会では、最近は、自宅のパソコンや携帯電話を使ったインターネット投票が普及しているようです。私も、それを利用していますので、株主総会を棄権したことは1回もありません。
49. Posted by karma   2009年08月31日 16:37
1 「白票」を投じるべき。

選挙に行かないのは論外で非国民。
ある意味、世の中に対して不満をいう権利を放棄している訳で、こいつは一切そのようなことは言わない覚悟があるんだろうね。

もっともらしい理屈を並べてルール(というか義務)を果たせない自分を擁護している、とするなら単なるアホな子供か、たちの悪いどうしようもないオトナか、どちらかだ。

頭を冷やして考えてみたほうが良い。世の中に所詮生かされている自分が、公のために唯一可能な奉仕とでも考えたらどうかね?
50. Posted by 通りすがり   2009年11月16日 08:31
5 私は、選挙には行ってません。
過去には行ったこともありますが、選挙に行くべき、という論調と、今の政治に参加したいと思えないので。
本当に、意見の押し付けはやめていただきたいものですね。余計、選挙に行きたくなくなりますw

政治についての文句は、言いますよ。
プライベートでは自由ですから、そんなもの。
公のために奉仕なんてするつもりないですね。
行きたくないものは、行きたくないです。
51. Posted by 投票はしません。   2010年04月02日 12:38
投票しないのも意思表示。
ボイコットみたいな物だと思います。
「誰がやっても変わらないんだから勝手にやってくれ」みたいな・・・
選挙に参加しないことで今の政治全体を批判してるんですよ。
もし仮に投票率が10%を切るくらいまで行ったらデモなどが頻発し、今の腐った政治も変わると思います。

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