dendrodium

花も心を持っている 稚拙ですが民草が思いを伝えます

ステルス革命(隠密裏の主権者変更)の阻止を訴えます。
民主主義国日本の主権者は私達国民です。
TPP導入で日本の主権を投げ出し、
憲法改正で国民の主権を奪おうとしている安倍政権。
私達は私達の為の国「日本国」を守らねば、
政府や外国企業の奴隷にされてしまいます。(こちら

面白い記事を見かけましたので転載させていただきます。
   (一部引用)
問題は、前次官が売春婦を買ったのかどうかではない。そんなのは、どうでもいい事だ。安倍晋三がスカトロ大好きでウンコ大好きだろうが、それはどうでもいい。個人の趣味だ。問題は、安倍晋三が自分の都合で文部行政を捻じ曲げたのか、否か、と、そこです。売春次官を国会に証人喚問して、真相を明らかにすべき

そうなんです、菅さん。
前川前事務次官が売春したかどうかなんて、
安倍総理がやったかも知れない悪事と較べたら小さなことなのです。

安倍総理が自分の都合で、文部行政を捻じ曲げたかどうかを明らかにする為に、
前川前事務次官を証人喚問して、国会で事実を明らかにしようではありませんか。
この儘有耶無耶にしておいたのでは、安倍総理の嫌疑も晴れないままになってしまいますよ。

本当に安倍総理に疾しい所がないのだったら、
前川前事務次官を証人として国会に招致せねば嘘でしょう。
例え野党が「必要ない」と言ったとしても、
安倍総理の潔白を明らかにする為に「証人喚問は絶対に必要」と、
菅官房長官が仰らない理由が分かりません。

前川前事務次官の証人招致を拒否し続けておられたのでは、
菅官房長官は安倍総理が「黒」だと知っておられる、という事になってしまいますが?

売春次官を証人喚問しろ

売春次官を証人喚問しろ
野次馬 (2017年5月24日 03:28) | コメント(1)

国民のカネ100億円をお友だちにプレゼントした政治家と、自分のカネで売春婦と遊んだ役人と、どっちが悪い? というような話なんだが、こういう時にウンコ投げ合いになるようなネタに走るというのは、さすがにウンコ大好きスカトロ安倍晋三ですねw そもそもこの文書、最初っから「公文書」なんかじゃない。単なる文科省内部のまとめメモだというのは判明している。作った部署や人の名前もないし、提出先もない。そんな公文書はありません。


問題は、前次官が売春婦を買ったのかどうかではない。そんなのは、どうでもいい事だ。安倍晋三がスカトロ大好きでウンコ大好きだろうが、それはどうでもいい。個人の趣味だ。問題は、安倍晋三が自分の都合で文部行政を捻じ曲げたのか、否か、と、そこです。売春次官を国会に証人喚問して、真相を明らかにすべき。


政治の使命は、この国に生きる人々の生命財産を守ること、そう考えます。安倍総理は誰のための政治を行っていらっしゃいますか?安倍総理はきっちりとお仕事をされております。庶民を犠牲にして大企業を儲けさせる。そのご活躍ぶり、歴代の総理大臣を見てもナンバーワンです。庶民から搾り取った税金で、庶民への再分配は最低限に抑え、真っ先に手当をするのは、選挙や権力基盤づくりでお世話になった経団連や大企業など資本家、高額納税者への御恩返し、とことんオイシイ減税、補助金メニューを提供。一方で派遣法を改悪し、働く人をコストとして切り捨てやすくするルール改正などを取り揃える。
おかげで上場企業は、あのバブルの時よりも儲かり、過去最高益。一方で、中小零細企業の解散・休業は過去最高。見ているのは大口の支持者のみ。まさに大企業ファースト。これぞ額に汗を流す政治家の鏡ではないでしょうか?安倍政権になってからは、正規の雇用は36万人減って、非正規は167万人も増えています。ですが、安倍総理は以前、正規の雇用が増えたとおっしゃっていました。確かに、2015年、労働力調査を見てみると正規では前年比で26万人増えています。まさにこれこそが、アベノミクス効果ではないですか?この正社員26万人のうち25万人は介護福祉職、介護福祉職のうち福祉施設介護員は、全産業平均より月々11万円給料が安いんです。

もちろん安倍総理はここにも改革を進めます。月額たった1万円ほど上げるそうです。現在、労災認定で一番多いのが心の病、その中で労災申請、過労自殺のトップが介護福祉職。現場の悲鳴は聞こえないふり、細かい中身は見ないで頂きたい、表側の数値だけで判断するんです。これこそがアベノミクスの神髄ではありませんか?安倍晋三閣下は、行政府の長であるばかりか、立法府の長でもあるとご本人が宣言されました。司法の長になられるのも時間の問題ではないでしょうか?
もう一つ面白い記事を見かけましたので、
続きに、複写させて頂きます。
国民は安倍政権の強引で不公正な政治に、こんなにも危機感を持っているのですね。何としても安倍総理を辞任させましょう。続きを読む

学部新設「薄弱な根拠」 前次官が証言した選定過程とは

2017年5月26日

  

 獣医学部の新設をめぐる国家戦略特区の選定過程に何があったのか。25日に記者会見した前川喜平・前文部科学事務次官は、必要な手続きが踏まれずに進められたと証言し、「行政がゆがめられた」と語った。4カ月前まで学部新設の認可権限を持つ文科省の事務方トップだった人物の証言に、官邸周辺は疑惑の打ち消しに追われた。

 「極めて薄弱な根拠のもとで規制緩和が行われた」「公正公平であるべき行政のあり方がゆがめられた」

 前川氏は25日の記者会見で、国家戦略特区で「加計学園」の獣医学部新設が認められた経緯について、「条件」が満たされていないのに進んでしまった、と強く批判した。

 安倍政権は2015年6月に閣議決定した「日本再興戦略」で、獣医学部の新設を認める前提として四つの条件を設けた。おもに、①獣医師の需給動向を考慮する②生命科学など新たに対応すべき分野が明らかになる、などを規制を緩和する「ハードル」として示した。

 まず、獣医師数について、獣医行政をつかさどる農林水産省は、家畜やペットの数が年々減っていることもあり、「獣医師の数は不足していない」との見解を最後まで変えなかった。また、生命科学をめぐっては、新薬を開発する際の動物実験を担う獣医師の養成が課題とされているが、薬事行政を担当する厚生労働省は具体的なニーズについて明らかにしていない。

 前川氏の証言によれば、そうしたさなかの昨年秋に、「官邸の最高レベルが言っている」などと特区を担当する内閣府から文科省が伝えられたとされる文書を、担当課から示されたという。

 前川氏は会見で、農水省からも厚労省からも条件をクリアするための明確な回答がないまま、獣医学部新設が認められたとし、「実質的な根拠をもって示されているとは思えません」と指摘した。

 条件が整っていないということだけでなく、開学の時期についても疑問を呈した。文科省は大臣の意見として「2019年4月」を提案したとされるが、前川氏は、「内閣府の回答は最後通告に近いもので『18年4月の開学は決まったことだ』(と伝えられた)。そこに、総理のご意向という言葉も出てくる」と話した。

此の問題について昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」では、
前川前事務次官のインタビューを映像入りで詳しく報道していました。
加計学園の獣医学部の問題の他に前川氏は、
前川前事務次官の信用を失墜させる為に、安倍シンパが週刊誌に報道させたと思われる、
前川氏が風俗店に通っていたという件に付いても、詳しく説明しておられました。
当時、生活苦に苦しむ女性(女子の貧困)の問題が浮上していたので、
その実態を詳しく知る為に風俗店に行きました。
そして子供の貧困と母親の貧困とは切り離せない問題だと思いました。
という風なことを話しておられました。

今朝の京都新聞にも一面トップで
加計文書「確実に存在」
と大きく扱われています。

又、今朝の朝日放送「モーニングバード」でも、前川前事務次官のことを詳しく紹介していました。
前川前事務次官が前川製作所の御曹司であるという事は既に聞いていたのですが、
前川氏の実妹はあの中曽根康弘元総理のご長男の嫁(弘文氏の妻)なのだそうです。
前川前事務次官は国会の証人喚問にも応じると明言しておられます。

安倍総理は今度も逃げ切る積りでしょうが、
ちゃんと前川氏の証人喚問がされたら、安倍総理には辞任しかないと思います。
自民党議員は野党の証人喚問の要求を拒否して、安倍総理を助けるのでしょうか?
中曽根元総理は安倍の味方をして、親戚を悪者にする安倍総理を支え続けるのでしょうか?

安倍晋三は今上天皇のお心を故意に踏み躙り、
皇室の為にも国民のためにも最悪の選択を強行しようとしています。(こちら
以前から私は、此の安倍総理には一日も早く退陣して欲しいと希っていました。
ですから、今度こそ朝敵安倍晋三退治ができるかも知れない。
と私の胸は膨らんでいます。

マスコミに載らない海外記事「共和国の死」の中に、
肥大化した軍隊と、巨大な政治力を有するひと握りの腐敗した連中とに支配された古代ローマの陰の政府と同じ様に今のアメリカも陰の政府に支配され国民の権利はないも等しいものになっているそうである。

日本でも共謀罪法案が通されてしまったら、同様の事になるのかも知れないが・・・・・

上記「共和国の死」の中に
行政府は、自らにアメリカ国民を暗殺する権限を与えた。事に関する項目がある。

(一部引用)

行政府は、自らにアメリカ国民を暗殺する権限を与えた。国防権限法第1021条のもとで、行政府が、大衆暴動を鎮圧するために軍隊を街に出動させることができるようになり、軍隊を国内警察部隊としての活動禁止が終わってしまった。行政府は、テロリストである、あるいはテロリストと関係していると見なしたアメリカ国民を逮捕するよう、軍隊に命令できる。これは“特例引き渡し”と呼ばれている。軍隊によって拘留された人々は、適正手続きや、人身保護令の権利を否定され、軍施設に無期限拘留されかねない。かつては憲法修正第一項で、権利が守られていた活動家や反体制の人々は、無期限投獄に会いかねない。
憲法で守られている言論、信仰や集会は非合法化される。国家は、人々が行ったことに対してでなく、しようと計画していることでさえなく、煽動的だと見なす宗教、政治信条を持っているだけで、人々を拘留し起訴する権限を持っている。最初に標的にされたのは忠実なイスラム教徒だったが、彼らが最後の標的というわけではない。

民主的参加、投票、競合する政党、司法による監視や司法的立法といった外観は無意味な見せ物だ。絶えざる監視下で暮らし、どこでも、いつでも拘留される可能性があり、会話、メッセージ、集会参加、性癖や習慣が記録され、蓄積され、分析される、大企業の搾取を前にした無力な人々を、自由と表現するのは不可能だ。国家と、常時監視されている市民の関係は、主人と奴隷との関係だ。しかも、たとえトランプが消えたとて、手かせ足かせが外されることはないのだ。

オバマ大統領の時「大統領に国民を暗殺する権限が与えられた」のはTuesday  5 February 2013 の日付になっている。
此の大統領が国民を暗殺する権限に付いてのニュースを読んだ時、
如何して民主主義国の筈のアメリカで、
それが憲法違反として却下されないのか不思議に思ったものだったが・・・・・

司法省は去年のアメリカ大統領選挙へのロシアの影響を捜査する特別検察官に、
元FBI長官のロバート・ミュラー氏を任命したそうだけれど、
此のロバート・ミュラー元FBI長官は、2001年の9・11事件直前から12年間、ブッシュ政権の殆どと、
オバマ政権の半ば過ぎまでFBI長官を務めていた人物である。(任期2001年9月4日 – 2013年9月4日)
上記オバマ政権が大統領に国民を暗殺する権限を与えた時(2013・2・5)にも、FBI長官だった人である。

在任中のロバート・ミュラー元FBI長官が、
大統領の権限に驚くこともなく普通にFBI長官を努めていたという事は、
自分が仕える大統領のする事には一切疑問を持たないで、
決められたことだけを着実に果して行くという人物だったという事なのだろうか?

FBIとは、テロスパイなど国家の安全保障に係る公安事件、連邦政府の汚職に係る事件、複数の州に渡る広域事件、銀行強盗など莫大な被害額の強盗事件などの捜査を担当する所なのだそうである。
アメリカの大統領選にロシアが影響力を発揮していたとしたら、これはスパイ事件に当たるから、
担当部署に当たるFBIが去年の大統領選挙当時は、どうして気付かなかったのだろうか?

それを元々ブッシュ大統領の違法な戦争(イラク侵攻)でも、違法に気付く事なく、
憲法違反の法律(大統領の国民殺害の権限)も黙って見逃していた人物ロバート・ミュラー元FBI長官が、
FBIの捜査網にも引っかかる事のなかった大統領選挙へのロシア政府の関与を、
特別検察官として捜査するのだそうであるが、
そんな大統領に甘い人物が今回だけは如何して、
現職大統領の不法行為を見つける気になるのだろう?
    
ロバート・ミュラーという人物が、
ボスの息の掛かった者のする悪事は、どんな酷いことでも見逃すけれど、
ボスの敵の者の罪は、新たに創ってでも暴いてみせるという者だったら別だけれど・・・・・


民主主義国が本来の主人(国民)を裏切って、
巨大な政治力を有するひと握りの腐敗した連中のものとなった時、
国の衰退は避けられないものなのに、
それでも為政者達は反省する気になれないのだろうか?

続きに
「共和国の死」の全文を複写させて頂く。

続きを読む

内田樹さんが天皇制に付いて話された『月刊日本』でのインタビュー記事を、ブログに載せておられました。
今上天皇が象徴天皇というものをどういうものと捉えておられ、
今後の天皇にも、天皇として守って行かせたいとお考えなのかなどについて、
内田さんのお考えなど多岐にわたって述べておられます。

いちいちに同感したと言ったらおこがましいですが、
漠然と思っていたことを、良く分かるように説明して下さっていると思いました。
昨年のお言葉で天皇陛下が示された天皇のあり方に付いてのお考えについて、
国民に諮って賛否を問うこともせず、
安倍政権は天皇陛下のご意思を握り潰そうとしています。
今上陛下はご在位期間を通じて身を持って体現して来られた象徴天皇像を、
向後の天皇も維持し続ける為に、天皇の定年制を希望しておられたのでしたが、
安倍政権は今上天皇一代限りのご譲位法案として終おうとしています。
(これでは今上天皇が高齢を理由に辞めたがっておられることを、
今上陛下の我儘と規定する事になりかねません。
しかも安倍政権は憲法に記載された皇室典範の改正をせず、
特例法で陛下一代限りのご譲位にしてしまおうとしています。

安倍総理に天皇への崇敬の念が少しでも有るのなら、
天皇陛下が一生掛けて取り組まれた新しい天皇像・象徴天皇像を、
一顧の値打ちもないと言わぬばかりに、踏みにじる様な強引な法改正など出来るはずがないと思うのですが・・・・・

以下に内田樹さんの当該記事を複写させて頂きます。

天皇制についてのインタビュー

『月刊日本』今月号に天皇制についてのインタビューが掲載された。このトピックについて長い話をしたのはこれがはじめてなので、ここに再録しておく。

―― 昨年8月8日の「お言葉」以来、天皇の在り方が問われています。死者という切り口から天皇を論じる内田さんにお話を伺いたい。

昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてきました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。
「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。
ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの慰藉とは「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。
死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。
憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。
憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。
「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。
「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。
天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはそのような意味においてです。

―― 天皇は非人称的な「象徴」(機関)であると同時に、人間的な生身の「個人」でもあります。象徴的行為では、天皇の象徴性(記号性)と人間性(個人性)という二つの側面が問題になると思います。

昭和天皇もそのような葛藤に苦しまれたと思います。大日本帝国憲法下の天皇はあまりに巨大な権限を賦与されていたために、人間的な感情の発露を許されなかった。だから、昭和天皇には余人の計り知れない、底知れないところがありました。開戦のとき、終戦のとき、天皇がほんとうは何を考え、何を望んでおられたのか、誰にも決定的なことは知らない。けれども、日本国憲法下での象徴天皇制70年間の経験は、今の陛下に「自分の気持ち」をある程度はっきりと告げることが必要だという確信をもたらした。
天皇は自分の個人的な気持ちを表すべきではないという考え方もあると思います。そういう考え方にも合理性があることを私は認めます。けれども、政治に関与することない象徴天皇制であっても、その時々の天皇の人間性が大きな社会的影響力を持つことは誰にも止められない。そうであるならば、私たち国民は天皇がどういう人柄で、どういう考えをする方であるかを知る必要がある。「国民の安寧と幸福」に資するために天皇制をどのようなものであるべきかは天皇陛下と共に、私たち国民も考え続ける義務があります。法的に一つの決定的なかたちを選んで、その制度の中に皇室を封じ込めて、それで「けりをつける」というような硬直的な構えは採るべきではない。
日本国憲法下における立憲デモクラシーと天皇制の併存という制度は、出発時点ではどういうものになるのか、想像もつかなかった。その制度が今こうしてはっきりとした輪郭を持ち、日本の社会的な安定の土台になるに至ったのには、皇室のご努力が与って大きかったと私は思います。天皇制がどうあるべきかについての踏み込んだ議論を私たち国民は怠ってきたわけですから。
しかし、国民が議論を怠っている間にも、陛下は天皇制がどういうものであるべきかについて熟考されてきた。「お言葉」にある「即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。そして、その模索の結論が「象徴的行為を果すのが象徴天皇である」という新しい天皇制解釈でした。私はこの解釈を支持します。これを非とする人もいるでしょう。それでもいいと思います。天皇制の望ましいあり方について戦後70年ではじめて、それも天皇ご自身から示された新しい解釈なのですから、この当否について議論を深めてゆくのは私たち日本国民の権利であり、また義務であると思います。

―― 象徴的行為は死者と自然に関わる霊的行為です。これはシャーマニズム的だと思います。

どのような共同体にもそれを基礎づける霊的な物語があります。近代国家も例外ではありません。どの国も、その国が存在することの必然性と歴史的意味を語る「物語」を必要としている。天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきた。その本質的機能は今も変わりません。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはそのことです。しかし、鎮魂慰霊すべき「死者」をどう設定するか、これが非常に難しい問題となります。
伝統的に、死者の鎮魂において政治的な対立や敵味方の区分は問題になりません。「死んだら誰もが仏になる」というのは、死者を識別してはならないという私たちの中に深く根付いた死生観を表す言葉です。「こちらの死者は鎮魂するが、こちらの死者については朽ちるに任せる」というような賢しらなことはしてはならない。
かといって、「四海同胞」なのだから人類誕生以来の死者全てを同時に平等に鎮魂慰霊すればいいという話にはならない。それでは「国民統合」の働きは果たせない。象徴的行為の目的はあくまでも国民の霊的統合ですから。どこかで、ここからここまでくらいが「私たちの『死者』」という、範囲について国民的合意を形成する必要がある。
だからこそ、陛下は戦地を訪れておられるのだと思います。宮中にとどまったまま祈ることももちろんできます。けれども、それでは誰を慰霊しているのか判然としなくなる。戦地にまで足を運び、敵も味方も現地の非戦闘員も亡くなった現場に立つのは、「ここで亡くなった人たち」というかたちで慰霊の対象を限定するためです。日本人死者たちのためだけに祈るわけではもちろんありません。アメリカ兵のためにも、フィリピン市民のためにも祈るけれど、「人類全体」のために祈っているわけでもない。そのような無限定性は祈りの霊的な意味をむしろ損なってしまう。死者はただの記号になってしまう。だから、「敵味方の区別なく」であり、かつ「まったく無限定ではない」という条件を満たすためには、どうしても「現場」に立つしかない。それが鎮魂慰霊のために各地を旅してきた陛下の経験的実感だと私は思います。
鎮魂は日本に限ったことではありません。他国には他国の霊的な物語がある。たとえば慰安婦問題がそうです。日韓合意は日本との経済関係や軍事的連携を優先するという合理的な考え方に基づくものだったけど、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に」解決するには至らなかった。韓国の人たちが「このような謝罪では、死者が許してくれない」という死者の切迫を感じているからです。南京大虐殺もそうです。
鎮魂慰霊というのは生きている人間の実利にはかかわりがありません。そんなことをしてもらっても生きている人間たちの現実には何一つ「いいこと」があるわけではない。けれども、恨みを抱えて死んだ同胞の慰霊を十分に果たさなければ「何か悪いこと」が起きるということは世界のどの国でも、人々は実感しています。死者の切迫とは「これでは死者が浮かばれない」という焦燥のことです。そして、その感覚が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。「成仏できない死者たち」が現実の政治過程に強い影響を及ぼしているという点では、実は古代も現代も変わらない。その意味では私たちは今もまだ「シャーマニズムの時代」と地続きなのです。
ですから、「死者をして安らかに眠らせる」ということが近代国家にとってもきわめて重要な政治的行為となりうるのです。死者のことなんかどうでもいいじゃないかと思っていると、死者は蘇って、「祟り」をなす。死者の切迫をつねに身近に感じて、その怒りや恨みや悲しみを鎮めようと必死で祈り続ければ、死者はしだいに遠ざかり、その影響力も消えてゆく。そういう仕組みなんです。そのことはわれわれ現代人も実際には熟知している。だからこそ、陛下は旅を止めることができないのです。

― しかし安倍政権の対応は冷ややかでした。

官邸の人たちには鎮魂や慰藉ということが統治者の本務だという意識がないからでしょう。天皇は権力者にとって「玉」、「御輿」でいいと、そう思っている。僕は安倍政権の人々からは天皇に対する素朴な崇敬の念を感じません。彼らはただ国民の感情的なエネルギーを動員するための「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。そのためには天皇を御簾の奥に幽閉しておく必要がある。国事行為だけやっていればいい、個人的な「お言葉」など語ってくれるなというのが政権の本音でしょう。それに、今回、陛下が天皇制の「あり方」についてはっきりしたステートメントを発表された背景には、安倍政権が国のかたちを変えようとしていることに対する危機感が伏流していると私は思っています。
正面切っては言われませんけれど、僕は感じます。

―― 天皇陛下のお言葉は、そもそも日本にとって天皇とは何か、という問題を提起していると思います。

この70年間、私も含めて日本人はほとんど「天皇制はいかにあるべきか」について真剣な議論をしてこなかった。私が記憶する限り、戦後間もない時期が最も天皇制に対する関心は低かったと思います。「天皇制廃止」を主張する人が周りにいくらもいたし、冷笑的に「天ちゃん」と呼ぶ人もいた。それだけ戦時中に「天皇の名において」バカな連中がなしたことに対する不快感と嫌悪感が強かったのだと思います。東京育ちの私の周囲には、天皇に対する素朴な崇敬の念を表す人はほとんどいませんでした。私もそういう環境の中で育ちましたから、当然のように「現代社会に太古の遺物みたいな天皇制があるのは不自然だ。何より立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立するはずがない」と思っていました。その頃に天皇制の存否についてアンケートを受けたら、たぶん「廃止した方がいい」と答えたと思います。
しかし、それからだんだん大きくなって、他国々の統治システムについて知り、自分自身も政治的なことにかかわるようになって、話はそれほど簡単ではないと思うようになりました。ソ連や中国のような国家は、たしかに単一の政治的原理に基づいて統治されているわけですけれども、どうも息苦しい。そういう国では権力者たちはほとんど不可避的に腐敗してゆく。アメリカやフランスの場合は、それとは逆に頻繁に政権交代が行われ、対立する二つの統治原理が矛盾葛藤しているけれど、どうもこちらの方が住みやすそうに見える。そういう国の方が統治者が間違った政策を採択したあとの補正や復元の力が強い。どうやら「楕円的」というか、二つの統治原理が拮抗している政体の方が「一枚岩」の政体よりも健全らしい、そう思うようになりました。
翻って日本を見た場合には、天皇制と立憲デモクラシーという「氷炭相容れざるもの」が拮抗しつつ共存している。でも、考えてみたら、日本列島では、卑弥呼の時代のヒメヒコ制から、摂関政治、征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきたわけです。この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。
大日本帝国の最大の失敗は、「統帥権」という天皇に属し、世俗政治とは隔離されているはずの力を帷幄奏上権を持つ一握りの軍人が占有したことにあります。「統帥権」というアイディアそのものは天皇の力を不安定な政党政治から隔離しておくための工夫だったのでしょうが、「統帥権干犯」というトリッキーなロジックを軍部が「発見」したせいで、いかなる国内的な力にも制約を受けない巨大な権力機構が出来てしまった。拮抗すべき祭祀的な原理と軍事的な原理を一つにしてしまうという日本の政治文化における最大の「タブー」を犯したせいで、日本は敗戦という巨大な災厄を呼び込んだ。私はそう理解しています。
だから今は、昔の私みたいに「立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いた。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。
―― 「國體護持」ですね(笑)

「國體」というのは、この二つの中心の間で推力と斥力が働き合い、微妙なバランスを保つプロセスそのものことだと私は理解しています。「國體」というものを単一の政治原理のことでもないし、単一の政体のことでもない、一種の均衡状態、運動過程として理解したい。祭祀的原理と軍事的・政治的的原理が拮抗し合い、葛藤し合い、干渉し合い、決して単一の政治綱領として教条化したり、制度として惰性化しないこと、それこそが日本の伝統的な「国柄」でしょう。
安倍内閣の大臣たちが言う「国柄」というのは固定的なイデオロギーや強権的な政治支配のことですけれど、僕はそういう硬直化した思考ほど日本のあるべき「国柄」の実現を妨げるものはないと思います。
そう考えるようになった一因は、何年か前に韓国のリベラルな知識人と話したときに、「日本は天皇制があって羨ましい」と言われたことです。あまりに意外な言葉だったので、理由を尋ねるとこう答えてくれました。
「韓国の国家元首は大統領です。でも、大統領は世俗的な権力者にすぎず、いかなる霊的価値も担わないし、倫理の体現者でもない。だから、大統領自身もその一党もつい権威をかさに不道徳なふるまいを行う。そして、離職後に、元大統領が逮捕され、裁判にかけられるという場面が繰り返される。ついこの間まで自分たちが戴いていた統治者が実は不道徳な人物であったという事実は、韓国民の国民統合や社会道徳の形成を深く傷つけています。それに比べると、日本には天皇がいる。総理大臣がどれほど不道徳な人物であっても、無能な人物であっても、天皇が体現している道徳的なインテグリティ(高潔性)は傷つかない。そうやって天皇は国民統合と倫理の中心として社会的安定に寄与している。それに類する仕組みがわが国にはないのです」という話を聞きました。
言われてみれば確かにそうだと思いました。日本でも総理大臣が国家元首で、国民統合の象徴であり、人としての模範であるとされたら、たちまち国中が道徳的な無規範状態に陥ってしまうでしょう。
18世紀の近代市民社会論では、「自分さえよければそれでいい」という考え方を全員がすると社会は「万人の万人に対する戦い」となり、かえって自己利益を安定的に確保できない。だから、私権の制限を受け入れ、私利の追求を自制して、「公共の福利」を配慮した方が確実に私権・私利を守れるのだ、という説明がなされます。「自己利益の追求を第一に考える人間は、その利己心ゆえに、自己利益の追求を控えて、公的権力に私権を委譲することに同意する」というロジックです。「真に利己的な人間は非利己的にふるまう」というわけです。
でも、私はこの近代市民社会論のロジックはもう現代日本においては破綻していると思います。「このまま利己的にふるまい続けると、自己利益の安定的な確保さえむずかしくなる」ということに気づくためには、それなりの論理的思考力と想像力が要るわけですけれど、現代日本人にはもうそれが期待できない。
しかし、それでもまだわが国には「非利己的にふるまうこと」を自分の責務だと思っている人がいる。それだけをおのれの存在理由としている人がいる。それが天皇です。
1億2700万人の日本国民の安寧をただ祈る。列島に暮らすすべての人々、人種や宗教や言語やイデオロギーにかかわらず、この土地に住むすべての人々の安寧と幸福を祈ること、それを本務とする人がいる。そういう人だけが国民統合の象徴たりうる。
私は天皇制がなければ、今の日本社会はもっと手の付けられない不道徳、無秩序状態に陥っているだろうと思っています。

―― 確かに東日本大震災の時、菅直人総理大臣しかいなかったら、もっと悲惨な状況になっていたと思います。

震災の直後に、総理大臣と天皇陛下のメッセージが並んで新聞に載っていました。全く手触りが違っていた。総理大臣のメッセージは可もなく不可もない、何の感情もこもっていない官僚的作文でしたけれど、天皇陛下のメッセージは行間から被災者への惻隠の情が溢れていた。その二つを読み比べて、「国家的危機に際してこんな言葉しか出しえない政治家は国民統合の中心軸にはなれない。でも天皇陛下なら国民を一つにまとめられるだろう」と思いました。

―― 内田さんは天皇の役割について「権威」ではなく「霊的権力」「道徳的中心」という言葉を使っています。

道徳というのは別に「こういうふうにふるまうことが道徳的です」というリストがあって、それに従うことではありません。そう考えている人がほとんどですけれど、まったく違います。道徳というのは、何十年、何百年という長い時間のスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという思考習慣のことです。ある行為の良し悪しの判断というのは、リストと照合して決められることではありません。「私がこれをしたら、死者たちはどう思うだろう」「私がこれをしたら未来の世代はどう評価するだろう」というふうに考える習慣のことを「道徳的」と言うのです。
道徳心がない人間のことを「今だけ、金だけ、自分だけ」とよく言いますけれど、言い得て妙だと思います。不道徳的であることの最大の条件は「今だけ」という考え方をすることです。四半期ベースでものごとの当否を決めるような態度のことを「不道徳的」と言うのです。
ですから、次の選挙まで一時的に権力を付託されているに過ぎない総理大臣と悠久の歴史の中で自分の言動の適否を判断しなければならない天皇では、そもそも採用している「時間的スパン」が違います。安倍政権は赤字国債の発行でも、官製相場の維持でも、原発再稼働でも、要するに「今の支持率」を維持するためには何でもします。死者たちはどう思うか、未来の世代はどう評価するかというようなことは考えていない。自分の任期が終わったあとの日本についてはほとんど何も考えていない。
天皇の道徳性というのは、そのときに天皇の地位にある個人の資質に担保されるわけではありません。1500年という時間的スパンの中に自分を置いて、「今何をなすべきか」を考えなければいけない。そのためには「もうここにはいない」死者たちを身近に感じ、「まだここにはいない」未来世代をも身近に感じるという感受性が必要です。私が「霊的」というのはそのことです。天皇が霊的な存在であり、道徳的中心だというのは、そういう意味です。

―― 古来、天皇は霊的役割を担ってきました。しかし、そもそも近代天皇制国家とは矛盾ではないか、天皇と近代は両立するのか、という問題があります。

現に両立しているじゃないですか。むしろ非常によく機能している。象徴天皇制は日本国憲法下において、昭和天皇と今上陛下の思索と実践によって作り上げられた独特の政治的装置です。長い天皇制の歴史の中でも稀有な成功を収めたモデルとして評価してよいと私は思います。国民の間に、特定の政治イデオロギーとかかわらず、天皇に対する自然な崇敬の念が静かに定着したということは近世以後にはないんじゃないですか。江戸時代には天皇はほとんど社会的プレゼンスがなかったし、戦前の天皇崇拝はあまりにファナティックでした。肩の力が抜けた状態で、安らかに天皇を仰ぎ見ることができる時代はここ数百年で初めてなんじゃないですか。

―― 最後に、これから我々はいかに天皇を戴いていくべきか伺いたいと思います。

それについては、私にはまだよく分からないです。世界中で日本だけが近代国民国家、近代市民社会の形態をとりながら古来の天皇制を存続させている。霊的権力と世俗権力の二重構造が統治システムとして機能し、天皇が象徴的行為を通じて日本統合を果たしている。こんな国は見回すと世界で日本しかない。どこかよそに「成功事例」があれば、それを参照にできますけれど、とりあえず参照できるのは、過去の天皇制が「うまく行っていた時代」しかない。けれども、それを採用するわけにはゆかない。社会の仕組みが違い過ぎます。
かつてレヴィ=ストロースは人間にとって真に重要な社会制度はその起源が「闇」の中に消えていて、たどることができないと書いていました。親族や言語や交換は「人間がそれなしでは生きてゆけない制度」ですけれども、その起源は知られていない。天皇制もまた日本人にとっては「その起源が闇の中に消えている」ほどに太古的な制度だと思います。けれども、21世紀まで生き残り、現にこうして順調に機能して、社会的安定の基盤になっている。いずれ天皇制をめぐる議論で国論が二分されて、社会不安が醸成されるリスクを予想した人はかつておりましたが、天皇制が健全に機能して、政治の暴走を抑止する働きをするなんて、50年前には誰一人予測していなかった。そのことに現代日本人はもっと「驚いて」いいんじゃないですか。

「共謀罪」法案、衆院通過 自公維の賛成多数

2017年5月23日16時24分

 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正案が23日、衆院本会議で自民、公明、日本維新の会などの賛成多数で可決され、衆院を通過した。政府・与党は今国会での成立を目指す考え。民進、共産など野党4党は採決に反対した。

 「共謀罪」法案は、組織的犯罪集団を対象に277の犯罪を計画し、資金調達などの準備行為を処罰する内容。犯罪を実行に移した段階から処罰する日本の刑事法の原則を大きく変えるものだ。政府はテロ対策を前面に打ち出し、国際組織犯罪防止(TOC)条約の締結には、法案の成立が必要だと訴えている。

 自公維3党は、取り調べの可視化(録音・録画)やGPS(全地球測位システム)捜査の制度化の検討を盛り込むなど法案を一部修正したが、内心の自由などを制約しかねない法案の本質部分は変わっていない。民進、共産、自由、社民の野党4党は、内心の自由を侵し、捜査権限の拡大で社会の監視が強まるなどとして法案に反対している。

共謀罪法案が衆議院を通過したそうです。
政府は国連の国際組織犯罪防止条約に加わるのに「共謀罪」が必要と主張していましたが、
法案をめぐり、国連のプライバシー権に関する特別報告者のジョセフ・カナタチ氏(マルタ大教授)と政府が激しいやりとりを交わしているこちら)そうです。

国連の国際組織犯罪防止条約に加わる為には、共謀罪を創る必要等全然なく、
現行法で充分事足りるのだそうですから、
国連から共謀罪に対して、人権(プライバシー権)侵害とのクレームが来たのに、
尚政府が共謀罪法案に固執するのは、絶対オカシイと思います。

警察でも何でもお役所は、組織としてこなした仕事によって、
従業員は存在感を築き上げていくものです。
だから麻薬撲滅の組織は麻薬撲滅の為に一生懸命働く一方で、
麻薬組織が完全になくなったら、警察のその組織は無用となり、解体される事になる筈です。
それでは命がけで培ったノウハウも、何の値打ちもなくなってしまうでしょう。
そこで組織として生き残る為に、
担当者達は麻薬組織を完全に潰すことを避けようとするとの噂があります。
(それは暴力団の対策組織にも同様の事が言えるでしょう。)
苦労して働いてもその組織がなくなったら、
担当警察官達は、そのために磨き上げたノウハウが総て無駄になってしまい、
又一から新しい仕事に取り組まねばならなくなるのですから、
出来ればその道のエキスパートとして、経験値が生かされる事を希望するのは、当然の人情と言えるでしょう。

警察署に新たに共謀罪の部署が出来るということは、
共謀罪関連のエキスパートを創るという事に繋がります。
エキスパートとして常に手柄を上げようとする人間を生み出す事になるでしょう。

彼等は作ってでも共謀罪の犯人を挙げる努力をしかねません。
普通の犯罪だったら”やったこと”を咎められるのですから、証拠が必要ですが、
共謀罪の場合は、まだやっていない段階で検挙出来るのですから、
証拠も何も必要ではありません。
只、訴え出るものさえあれば事件に出来るのです。
組織としての実績を積み上げる為に、彼等は場合によっては、
(警官の)下働きの者に、訴え出させて、
何もない所に犯罪を創りだす事さえしないとは限らないでしょう。

こんな危険な共謀罪の担当者が創られる前に、
共謀罪など絶対に廃案にしてしまわねば、
悔いを千載に残す事になるではないでしょうか?

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