お元気でこの日を迎えられたこと慶びにたえません。
お誕生日おめでとうございます。
ご即位が50歳代半ばだったのに、平成も間もなく30年を数えることになります。
普通の勤め人だったら20年以上前に楽隠居した者も多い中、
天皇陛下には定年がなく、しかもご公務は可也ハードなものらしいのに、
後1年半も、今までのままにお続けになるのはお気の毒な気がしますが、
お元気で無事ご譲位されますようにとお祈り申し上げます。
今朝の新聞によると、ご退位までに是非当方にとの依頼が殺到していて、
益々お忙しくなられることになるのかもしれませんが、
宮内庁は陛下にご無理を強いたりしない様願います。
「(日本の)天皇陛下は象徴で、他の国の王様のように自由がきかない、内閣の言いなりに動かねばならないから、それでご高齢で大変だという事になるのか・・・・・」と娘が、今更のように言っていましたが、
ご高齢の陛下にご公務が次々と押し寄せている様は、
何とかして差し上げねば、
人道に悖るのではないかとさえ思えてきます。
特に几帳面なお方である天皇陛下が、
誠心誠意をモットーにしておられるのですから、
そのご負担は少々のものではなかったのではないでしょうか?
天皇陛下は日本国の象徴とはどういうものであるかを、
ご即位以来、身を挺して示してこられました。
今上天皇のお陰で平和憲法下の天皇像は、
国民と共にある天皇として定着してきているようです。
政府はもう二度と天皇を戦争の道具になどしないでほしいものです。
今度天皇が戦争責任を問われねばならない事態が起きたりしたら、
それこそ天皇家は滅亡させられかねません。
歴史的に代々の日本人が、天皇を大事にして来たのは、
天皇家の為と言うより寧ろ、日本人自身の為だったのではないでしょうか?
日本人同士が争うような事態が起きた時にも、
ある程度力を蓄えた勢力が、天皇を味方につけて皇軍と称する事で、
他の勢力が勝負あったと諦める位に、
天皇の存在が有効だったからではないでしょうか。
それで国民は内乱の苦労を最低限に押さえる事が出来たという風に・・・・・
そして天皇の存在は内乱の時ばかりでなく、
様々な要因で起きるかも知れない国難、
例えば先の敗戦の時のような場合に際しても、
国論をすばやく纏める為に、有効なのではないでしょうか?
そんな有り難い存在を持っている民族は、他にないかも知れません。
天皇は日本の宝とも言える存在です。
先人達が1000年かけて培ってきた宝を、
一時の権力者の都合で失う事になっても良いものでしょうか?
安倍政権だけでなく、今後の日本の為政者たちは、
もう二度と天皇を戦争目的に利用しようという考えは、起さないで欲しいものです。
それではお誕生日に際して行われた記者会見での
天皇陛下のお言葉を複写させて頂きます。
天皇陛下の一年は今年も、国民とよりそう一年だったようですね。
天皇陛下の記者会見
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会見年月日:平成29年12月20日
会見場所:宮殿 石橋の間
記者会見をなさる天皇陛下宮内記者会代表質問
- 問 この1年,天皇陛下はベトナムへの公式訪問や九州北部豪雨の被災地お見舞い,鹿児島県の離島3島訪問など,国内外でさまざまなお務めを果たされました。6月には「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し,9月には初孫の眞子さまのご婚約が内定しました。この1年を振り返りながら,退位の日までのお過ごしについてのお考えをお聞かせください。
天皇陛下今年2月末から3月初旬にかけて,皇后と共にベトナムを訪問しました。我が国とベトナムとの関係は,近年急速に進み,国家主席始め多くのベトナムの要人が我が国を訪れていますが,私たちがベトナムを訪問するのは,初めてのことでした。ベトナムでは,現在の国家主席御夫妻を始め,*4人の指導者に丁重に迎えられ,また,多くのベトナム国民から温かい歓迎を受けました。両国間の緊密な関係に深く思いを致しました。ハノイにおいて,先の大戦の終了後もベトナムに残り,ベトナム人と共にフランスからの独立戦争を戦った,かなりの数の日本兵が現地で生活を営んだ家族の人たちに会う機会もありました。こうした日本兵たちは,ベトナムの独立後,勧告により帰国を余儀なくされ,残されたベトナム人の家族は,幾多の苦労を重ねました。そうした中,これらベトナム人の家族と,帰国した元残留日本兵たちが,その後日本で築いた幾組かの家族との間に,理解ある交流が長く続いてきていることを聞き,深く感慨を覚えました。
ハノイ訪問ののちに古都であるフエを訪問しましたが,ベトナム独立運動の先駆者で,日本の支援を求めて我が国に滞在した時期もあるファン・ボイ・チャウの記念館も訪れました。ここでも日本とベトナムとの様々な交流の歴史に触れることとなりました。今後とも両国の友好関係が一層進展していくことを願っています。
ベトナム訪問ののちにタイを訪問し,昨年10月に崩御になったプミポン国王との長い交流の日々を懐かしく思い出しながら,最後のお別れをいたしました。
今年も残念なことに,幾つもの自然災害が起こりました。特に7月には九州北部がまれに見る豪雨に見舞われ,多くの人命が失われるなど,大きな被害を受けました。10月に福岡県朝倉市と大分県日田市をお見舞いに訪れましたが,朝倉市に向かう車中から見た災害の大きさは,自然の力の恐ろしさを改めて感じさせるものでした。被害に遭った人々が深い悲しみの中にありながら,皆で協力して懸命に復興に取り組んでいることを,心強く思いました。
また,11月には鹿児島県屋久島を訪れ,その西方12キロに浮かぶ口永良部島で,2年半余り前に起きた火山噴火によって屋久島への全島避難を余儀なくされた人々をお見舞いしました。噴火に先立ち避難訓練を行っていたこともあって,幸い速やかに全島民が無事に屋久島に避難したと聞きました。屋久島の人々の助けを得て避難生活を送り,今は多くの人が口永良部島に戻り,復興に取り組みながら元の生活に戻りつつあることを,うれしく思います。
我が国は豊かな自然に恵まれていますが,同時に自然災害の脅威に晒されており,こうした事態に備え,また,不幸にして災害が起こった時,人々が助け合うことがどれほど重要かということに,思いを深くしました。
この11月の屋久島訪問に続けて,沖永良部島と与論島を初めて訪問しました。これは,平成24年2月に一度計画されながら,私の心臓バイパス手術のために見送られたものです。島の美しい自然に触れるとともに,島の人々が,それぞれの伝統を育み,その自然をいかして生活を送っている姿を,頼もしく思いました。
今年,宗像・沖ノ島と関連遺産群がユネスコの世界遺産に登録されたことは,喜ばしいことでした。10月に福岡県で行われた「全国豊かな海づくり大会」に出席する機会に宗像大社を参拝し,4世紀から9世紀にかけて沖ノ島に奉献された
宝物 を見ました。沖ノ島は,我が国と朝鮮半島との間に位置し,航海の安全と交流の成就を祈る祭祀がそこで行われ,これらの宝物 は,その際に奉献されたとのことでした。また,それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝しました。今から約1300年前に,高句麗からの渡来人がこの地に住み,建てられた神社です。多くの人に迎えられ,我が国と東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。
私たちの初孫である,秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し,来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく,二人の幸せを願っています。
この度,再来年4月末に期日が決定した私の譲位については,これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれたことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係する人々と共に行っていきたいと思います。
今年も残すところ僅かとなりましたが,
来 る年が国民皆にとって良い年となるよう願っています。ベトナムにおいて最高指導部を構成する国家主席,共産党中央執行委員会書記長,首相,国会議長の4名である。