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花も心を持っている 稚拙ですが民草が思いを伝えます

カテゴリ: 教育

In Deep「「すべての学校教育からダーウィンの進化論を排除せよ」…という理想的な動きが、イスラエルやトルコ、インドなど各国で迅速に進行中」によると、
ダーウィンの進化論を否定する動きがあると、
英国ガーディアンのオピニオン記事に「ダーウィンの進化論を学校教育から排除する動きは学問の後退を意味する」という記事が出ていたそうです。

記事の中に、
これに関しての驚くべきニュースは今年初めにもあった。インドの教育担当大臣が高等教育について発言した際に、「ダーウィンは科学的に間違っている」と主張したのだ。さらに大臣は、「人間は進化したサルではない」とも述べた。と、
「人間は進化したサルではない」とインドの教育担当大臣が発言した事を、ガーディアン問題にしはていますが、
ガーディアンとしては
科学的な証拠と合理的な議論を守るためにも、私たちは、進化論を排除しようとしている国々に話しかける必要がある。とあくまでもダーウィンの進化論の総てを真実とし、合理的な議論を守る為にも、進化論排除を阻止する必要があると思っているようです。

しかし、ダーウィンの進化論にかかれているという
生命誕生が偶然の産物であるという説は、
誕生から40億年やそこらしか経っていない地球では、確率的に絶対に不可能なのだそうです。

フレッド・ホイル / チャンドラ・ウィクラマシンゲ共著『生命はどこからきたか』 第14章 より

30個の不変なアミノ酸を持ち、100個の結合部分からなる短いポリペプチド鎖でさえも、20の 30乗、約 10の 39乗回にもなる試みが行われて初めて機能を持つ酵素となる。

300個の不変部分を持ち、1000個の結合部分からなる酵素の場合は、要求される試みの回数は 20の 3000乗で与えられ、それは 1の後に 0が 390個も並ぶ数である。

さらに、われわれはただ一種類の酵素だけを取り扱うのではなく、最もシンプルな有機体でさえ 2000種類、われわれのような複雑な生物では約 10万もの酵素と関係しているという点でも超天文学的な数である。

この様に生物を形作るアミノ酸が偶然の産物として形作られる為だけでも大変な事ですし、
最もシンプルな有機体でさえ2000種類の、複雑な生物になると、10万もの酵素と関係しているということですので、40億年や50億年では絶対に無理という事になるのではないでしょうか。

In Deepさんご自身も、下記のように地球が誕生から1000兆年経っていたとしても、
偶然に人間などの高等生物が形作られる可能性はないと言っておられます。
人間というか、高等生物の身体というのは、このような酵素が「 10万などの桁で関係している」わけです。

ですので……たとえば…… 1000兆年を 1000兆回くらい繰り返すという時間があるなら……アミノ酸の 1つくらいは偶然に生まれる可能性が……いや……ないですね、やはり

ガーディアンの記事の中に

抗生物質への耐性菌の出現を理解するためにも進化論は必要だし、地球温暖化に対応する方法にも、あるいは新たな害虫への対策や、持続可能な食糧源の探索のためなど、人類の繁栄は、進化論的な証拠によって決定されているといっていもいいのだ。と、

ダーウィンの進化論で唱えられている適者生存の法則にのっとって、
生物が生き抜くために進化して来たという所は事実だろうと思われます。
しかし、だからと言って生物誕生の経緯まで、
ダーウィンの説が絶対であるとはならないのではないかと思います。

先日来「双子の遺伝子」(ティム・スペクター著)を読んでいたのですが、
全く同じDNAを持って生れた一卵生双生児であっても、
遺伝子情報のままに反応するとは限らないのだそうです。
双子の片方が遺伝子情報の通りを発現したとしても、
もう一方の双子の片割れが「エピジェネティック」に、遺伝情報の発言を止めることもあるという事で、
この本の副題に「エピジェネティックス」が二人の運命を分ける と書いてあります。

この様に適者生存の働きというものは、
進化論でなくても説明する方法は幾らでもあるのではないかと思います。

話は変わりますが、DNAが発見された当時は、人間の運命はDNAで決まっていて、
DNAは動かしがたいものであると思われていたようですが、
研究を重ねるに従って、DNAは最初思われていたほどには絶対的なものではなく、
時によってDNA情報をONにしたりOFFにしたりすることがあるのだそうです。
(専門的なことでその意味は必ずしも分かってはいないのですが、
DNAをONにしたりOFにしたりする方法として、
長期的にはメチル化によって、短期的にはマイクロRNAによる微調整によってとあります。)

それに、一寸だけ書いてあったのですが、妊娠で人体が構成されるとき、
DNA以外の情報に従う部分もある事が分かって来ているらしいです。

遺伝子について、これ迄言われていた4つの仮説
①遺伝子は人間の核心、青写真、生命の書である。
②遺伝子と遺伝による運命は変えられない。
③環境(外的要因)は遺伝子に永続的な影響を与えない。
④両親や祖父母が環境から受けた影響をあなたは受け継がない。つまり獲得形質は遺伝しない。

これらの仮説について、
必ずしもそうとは限らない事を詳しく検証しておられます。

科学的発見はそれまでの定説を覆す事がしばしばある様ですから、古い固定観念に縛られていながら、
自分が科学的な人間であると言うために、新しい説を否定したがる層が、何時の時代にも有るものの様ですね。
In Deepさんによると、先ほどご紹介しましたホイル博士は、
共同研究が認められ、ホイル博士と共に研究した共同研究者他の2人には、
その研究が認められた事によってノーベル賞が与えられたのに、
ダーウィンの進化論を否定しているという事で、ホイル博士一人だけが、
同じ研究の共同研究者だったのに、ノーベル賞を貰えなかったのだそうです。

これはダーウィンの進化論に反する事(パンスペルミア説)を言ったらこれだぞ、
という脅しの意味も有るのではないかと、In Deepさんは言っておられます。

これは天動説に拘ってガリレオを殺したキリスト教会の過ちと、
一寸似ている気がしますね。


参考資料(2019・2・14 追記)

[特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」

                       投稿日:2018年6月7日 更新日:
https://indeep.jp/dna-barcoding-survey-reveals-new-evolution-theory/


In Deep「ジ・エンド・オブ… : アメリカの若者たちにのしかかる「絶望の米国社会システム」。しかしそれは日本も同じだということもまたわかっていて」に、
今アメリカ(日本も)の若者や子供達が置かれている悲惨な現実についての論評と、
アメリカで問題提起されている記事を紹介しておられました。

今の若者達が育つ課程で親や社会がしてきた恐ろしいほどひどい事の数々を列挙しておられます。

①生まれてすぐにアメリカの子どもたちは、毎日、見知らぬ人に預けて育てられ、母性のケアを奪われて就学までの 5年を過ごす。

②アメリカでは、若者たちの 90%が 12-13年間、公立学校に通うことを余儀なくされている。

しかし、アメリカの公立学校は子どもたちにとって良い場所とはいえない。公立学校は、犯罪、薬、放蕩、平凡な教育と政治宣伝に満ちている。

③そして、アメリカ人の約 70%が大学に入学する。

多くの若者たちが大学で一見すると華やかに過ごすが、同時に、その人たちの多くが、巨額の借金を負って卒業する。
④しかも、就職の見通しも悪い。


ホームアローンから、奨学金負債迄、現在の若者達が置かれている状況の厳しさは
日本の若者の置かれている状況と殆ど同じなのかも知れません。

最近、英ロンドン大学では、「赤ちゃんは親から顔にふれられることによって、脳が成長していく」ということがわかったことが論文で発表されているそうです。
それ一つとっても、生れて間もなくから5歳まで殆どずっと、
保育園に入れられる今の子供達は可哀想ですね。
そして、子供の約90%が私立は授業料が掛かるので公立の学校に行く事になるのですが、
公立の学校が、犯罪、薬、放蕩、平凡な教育と政治宣伝に満ちているのでは、
何のために学校に行っているのか分からない感じですね。
でも、小さいときから親に見守られず放任され・寂しさを我慢させられ続けて来た少年達の中に、
一寸大人に近づいたという自信から、羽目を外したがる子が出てたとしも、
その子だけの責任と言うわけには行かないも知れません。

In Deepの前記事「「地獄の完成」 : アメリカ人の薬物での死者数の増加は究極的な段階に。その中でアメリカ当局は「モルヒネの1000倍強力な鎮痛剤」を承認するという地獄の上塗りも 」によると、
現在既に使われている強烈な鎮痛剤(今回承認されたものの10分の1の強さ・モルヒネの100倍)による死者増と、アメリカでも増え続けている自殺者数が、
昨年のアメリカの平均寿命を0.1%押し下げたのだそうです。

現在のアメリカでは専業主婦になって子供をずっと見ていたくても、
経済的にやって行けないので、共働きせざるを得ない家庭が多いのだそうです
アメリカも1950年代は専業主婦が多かったそうですが、
昔はいろんな意味で長閑だったのですね。

昨日高校の同窓会誌が届いたのですが、その中にペシャワール会の中村哲さんの話が載っていました。
私達の高校は昨年旧制中学+高校で創立100周年でした。
今年は101年、新たな出発という事で、福岡国際会議場を借りて、
「福中・福高百年 日々に新たなり 語り合う福高時代 語り継ぐ夢と希望」と題し、
中村哲さん他3名でパネルディスカッションをしたそうです。

色んな話の中で、高校時代の思い出をと聞かれて中村さんが、
次のような話をされたそうです。
    (引用)
中村 一番印象に残っているのは、修学旅行をさぼって一人で山に登ったことです。あの頃九州縦断が夢でした。病気だと言って修学旅行の積立金を引き出しました。ただ旅費が足りず、担任の先生に学割を申請しました。
  先生は病気が嘘だと分かったはずですが、「ゆっくり保養して下さい」と学割をくれました。
あの頃の先生は規則で生徒を縛り上げても伸びないという考えがあったと思います。
そういった浪花節が通じました


このときの担任の先生も素晴らしいけれど、
あの頃は先生にも生徒にも、その位余裕がある、好い時代だったのだろうと思います。
中村哲さんは私より3歳位お若い方ですから、略同年配と言えると思いますが、(私は昭和37年卒)
戦後の混乱も一段落し、まだ戦後刷新された空気も残っていた、好い時代だったのだな~と、
よい時代に高校時代を過ごさせて頂いた幸せを、改めて感じさせていただいています。

続きを読むにアメリカが自国の若者たちにしてきた恐ろしいほどひどいことの数々を複写させて頂きます。

続きを読む

私の闇の奥「アサド大統領は残忍暴虐な独裁者か?」の記述の中に、
    (引用 紫字部分)
近頃、米国の大学で、極端な思想を持った学生が、自分たちの考えに反することを口にする教授を問答無用に吊るし上げ、果ては暴力沙汰にまでなるといった事態が多発しているようですという一節があります。
米国の大学事情について、ノーム・チョムスキーさんが以前に、
ポストモダニズム:権力の道具』と題するスピーチ(動画)をしておられ、
大学人の間ではポストモダニズムが流行っていて、「真実(Truth)とか歴史的事実(Historical Fact)などというものはない」と主張することで強引に自分の主張を押し付けてくる人が多い、と知識階級の人々を批判しておられるそうです。

真実とか歴史的事実を否定するポスト・モダニズムを批判されるノーム・チョムスキーさんが、
どうしてアサド大統領のことを、「何十万というシリア自国民を容赦無く殺戮した戦争犯罪人」等と断定されるのでしょう?
それは、大の親友であるRichard Falkという人物からだと思います。との事でした。

リチャード・フォーク(Richard A. Falk、1930年11月13日-)は、アメリカ合衆国法学者政治学者プリンストン大学教授。専門は、国際法国際政治学平和学。(ウィキリークス)だそうです。

このブログ主さんは前の記事ノーム・チョムスキーのこと」で、チョムスキー氏はある意味で米帝支配者層に利用されている面を感じる事ができました。と書いておられますが、
この記事のコメント欄には
ノーム・チョムスキーはCIAの給与リストに
その名が載っている工作員、ゲイト・キーパーです
。と断言する人までありますね。
彼によると、
人々の信頼を集めた上で誤情報を流し、分裂させる。
本当に本当の真相が皆に知られないようにする。
それが彼の活動です。
現に彼は政治家等、真の邪悪な犯罪者たちの
パペットに過ぎない連中への批判はするが
裏に隠れた極悪人どもについては言及しません

と書いておられます。

一旦は真ともなことを書いて人々を信用させ、その後嘘の情報を流して支持者を分裂させる・・・・・
例え、チョムスキーさんがそれでなかったとしても、
何所かの誰かがこういうトリックを使っているという事はあり得そうですね。

今大学で流行っているポストモダニズムでは、
真実や歴史的事実などはないと主張しているのだそうですが、
実験や観測を最重要視している筈の西洋の学問の府アメリカで、
事実(真実と歴史的事実)を調べることを否定するとは驚きですね。
科学での実験結果は歴史的事実と言ってもよいものと言えるのではないでしょうか?

ポストモダニズムの人々は、脳内妄想だけが真実であるとでも言うのでしょうか?
そして自分たちの考えに反することを口にする教授を問答無用に吊るし上げ、果ては暴力沙汰にまでなる

と来たら・・・・・

アメリカの大学と言うか、大学生はもう可也壊されてしまっているのですね。
アメリカは20年近くも戦争中なのですから、大学も何が真実(所謂正しき事)か、
学生に対して教える事が出来ないのでしょうね。

日本はアメリカの後を追っているとよく言われましたが、
こんな後は追ってほしくないですね。

マスコミに載らない海外記事「ハーバード大学の偽ニュース・サイトに関する偽ガイド 21世紀のアメリカ“禁書目録”」に、アメリカで一番の名門大学とされているハーバード大学で、
カトリック教会の禁書に習った様な、禁書目録が発表されたそうである。

あらゆる重要な問題に関して真実を語っているものを悪く言い、信頼に足る代替ニュース、情報、分析を中傷し、検閲官として機能しているFactCheck.org、Politifact、Snopes.com、ワシントン・ポストFact Checkerや他の自称事実チェック・サイトの利用を勧めている。と言って此の記事の筆者は怒っておられるが、
ハーバード大学がこういう発表したのは、
ハーバード大学がやっと、大学というものの本当の姿の一部を、
一般ピープルの目に曝してくれたと言うべきなのかもしれない。

アメリカもそうだと思うけれど、
私達日本人は子供の頃から「学問の自由」とか、「思想信条の自由」とかが、
学問の府にはある様に教えられてきた。
しかし、それらの自由は権力者の利益に反しない限りの自由であって、
何者にも犯される事のない自由ではなかったのではないだろうか?

これ迄、可也自由が認められていたとしても、
一般ピープルを学問というものに、帰依させたいが故に、
絶対権力者も今は我慢の為所と、
学問の府が真実と認めることを真実と認め、
それらに基づく思想信条の自由を、許していただけなのではないだろうか。

現在の世界においては、学問の府を創って一般ピープル操作にしようと目論んでいた強権グループが、
無理な計画と数々の失策が祟って、可也追い詰められているらしい。
だから、これまでのように大学に真実を教えさせると、
彼らにとって致命傷となるかも知れない状況になっている。

彼等が系統的に学問なるものを教える為の学校制度を創ったのは、
一般ピープルを、彼等が決めた学問というものを修めさせることで、世界中の価値感を統一し、
自分達のために使いやすい人間を、多数作るのが目的だったのだから、
自分たちにとって致命傷となるかも知れない事態に於いて迄、
大学に真実の追究をさせる気は、当初から彼らにはなかったのである。

学問の自由も思想信条の自由も、学問なるものを信じさせる為のツールに過ぎなかったのである。

これ迄一般ピープルは単純に、学問の府には思想信条の自由が、
本当にあると思い違いしていただけなのである。
学校で教えられる事には、本来は疑っても良いような事柄が多数あっても、
ずっとそういう教育がなされて来たというだけの理由で、
殆どのものが疑われる事なく、教え続けられている事柄が沢山あるのではないだろうか?

疑問符を打ちたいものの中で単純な事柄では、
日本に於いて西洋史は可也詳しく教えられているが、
東洋史は中国の事が殆どで、
お隣の韓国の歴史さえ、余り教えられてはいなかった様に思う。
私は4~5年前、テレビで韓国の歴史ドラマを見て初めて、
チュモン大王という高句麗の創設者の名前を知ったのだった。

海を隔てているとは言え、お隣の国であるベトナムの事も、
殆ど知る機会がなかったので、
ベトナムの事で私が知っているのは、ベトナム戦争の事位である。

この様に近隣国の事を殆ど教えないで、
日本から遠く離れた西洋の歴史は、可也詳しく教えていたのも、
教える側に、或意図があったからではないだろうか?

最近日本人がもっと英語が使えるようにならねばならぬと言って、
小学校から英語を教える事になったそうであるが、
近年までは中学高校の6年間も英語を習っても、
英語で自由に会話が出来る様になる者は殆どなかった。
これは本当に、生徒達や教師の能力不足のせいだったのだろうか?
もしかしたら日本人総てが、
英会話に堪能になる事を、
日本の権力が嫌っていたからなのではないだろうか?

想像すると切りがないけれど、
学問の自由などと言うものなど、
始めからあった試しはなかったのではないだろうか?
あったのは、所謂文明圏なる西洋社会のものの考え方を、
世界の共通認識とするための教育機関であって、
私達は西洋人に洗脳される為に、
学校に通わされていたのではないだろうか?

吉永小百合さんが嫌いなわけではない事を前もってお断りしておかねばならないが、
昔、吉永小百合さん主演された「キューポラのある町」という映画に付いて、
一寸物申したい気持ちがある。
此の映画の主題が何だったかはよく覚えていないのだけれど、
此の映画の中で、誰かのお父さんの役の人が、
「自分には学問がないから、~が出来ない」というような事を言って、嘆く場面があり、
映画のその場面で、学問がないから~という言葉に、
異を唱える者が一人もなかった事が、印象に残っている。

あのキューポラのある町という映画は、表面上のテーマは兎も角、
日本人に「学問がなかったら社会に出て何も出来ない人間になる」と
思い込ませるのが目的の洗脳映画だったのではないだろうか?

学問がなくても田中角栄氏は立派に事業を起こし、
総理大臣にまで出世して、
日本のために日中国交正常化を果すという、立派な業績まで残された。

安倍晋三氏は大学まで行っても、
自分の出身大学の名前さえ書き間違える漢字能力しか持てず、
云々をデンデンと読んだと言って、笑いものにさえされている。

知識などというものは、
何も高校や大学に行かないでも、
本を読んだり、実地に見聞を広めたりで、
必要な知識を得る事は可能な筈である。

しかし、昭和30~40年代の頃、
しきりに、「学問がなければ・・・・」的な言動が、聞かされたものだった。
その頃から、日本が豊かになった所為もあるだろうけれど、
高校進学率がどんどん上がって行った。
それから数十年後には、
大学の進学率が嘗ての高校進学率に並ぶ程になって来ている。

それで日本人はそんなに賢くなっただろうか?
実地には殆ど役に立たない事を延々と習って、
卒業後仕事で使う知識だけは忘れないかも知れないが、
大部分の知識は卒業後殆ど使う事もなく、
40歳を迎える頃には、学校で習った殆どの事は、
忘れているのが実態なのではないだろうか?

そんな事のために6・3・3・4と16年間、
学業成績の高低が、人間の価値を決めるかの様な競争場裏の学校で、
人は四苦八苦して過ごす幼少年時代を過ごさねばならないのだろうか?
今の日本の習慣は、本当にこれで良いのだろうか?

ハーバード大学という世界有数の学問の府で、
大学とはどういうものであるかという事が暴露された。
その大学を卒業した人には哀しい限りだろうけれど、
これが学問という名のイカサマに気付くきっかけとなれば、
一般ピープルにとっては、寧ろ喜ぶべき事なのではないだろうか?



街の弁護士日記「あまりに犯罪的な  文部官僚の日本人愚鈍化計画」を読んで、私は初めて文科省が十年後に5割超の学部授業を英語で実施することを期待しているということを知った。 そしてそれがどんなに日本人の愚鈍化に繋がるかという事も知ったのだった。 母国語による思考を超える思考を外国語で行うことはできない。 高等教育を外国語で行うということは、 教育水準と、思索する力の水準を著しく低下させる狙いだ。 という事なのだそうである。 確かに私達は母国語(私の場合母国語以外出来ないが)でものを考える時、 それは自分の頭を思考対象の為だけにフルに使う事が出来る。 しかし、外国語でものを考えるとすれば、その考えている対象を一旦母国語に翻訳して理解せねば、次の思考に進ませる事は出来ないだろう。 だから文学や哲学を外国語で勉強すれば、外国語は可也身に付くかも知れないが、 物事を深く考える力はつかず、母国語で勉強したのとは比較にならないほど、 単純な思考力しか育たないとなることだろう。 つまり、哲学的な人間を育てるには、母国語で教育する(考えさせる)べきであり、 外国語で教育する(考えさせる)という事は、思考力の教育を二の次にするという事になるだろう。 以前或るテレビでフィリッピンではどうして、学校の授業が総て英語で行われているかの理由を、説明しているのを聞いた事がある。 フィリッピン語には、数学にしても科学にしても、その事物や考えに対応する言葉がないので、 フィリッピンでは英語で教えるしかないのだそうである。 しかし、日本の場合は明治時代に西欧文明によって齎された殆ど総ての文物に、 ものの意味を含む漢字を当て嵌めて、 日本語として通用する新語を、明治の先人が創ってくれていたのである。 その名を初めて見た時、その漢字をすんなり読めなかったとしても、 字を見ただけで、その意味する所を大体理解させる力を、漢字は持っている。 明治の先人たちは新しい事物を、その物の性質又は意味するものを教えてくれる漢字で表記する事で、 日本人の殆どの者に伝わる工夫をしてくれていたのだった。 だから、日本人は科学や数学を含む西洋文明を、 日本語だけで教育する事が出来、理解させる事が出来る様になっているのである。 世紀の愚策 世界一うまくいっている日本の教育を壊す大学入試改革に反対するに紹介しておられるOECDが2011年に行った成人力調査・成人スキル国際比較によると、 日本の成人は読解力・数的思考力共に世界一の成績だったそうである。 そして国民の学力格差も、世界一少ない(読解力)か、世界で三番目(数的思考力)に少ない格差だったそうである。 文部省のこの英語で学部授業をする取り組みに対して東京大学は、 『東京大学は、多民族国家アメリカやイギリスとは異なった社会環境と日本語という国語をベースに高い教育研究水準を達成してきた日本の国立大学である。教育・研究・運営のほとんどすべてが英語だけで行われる、英米の有力大学と同じグローバルキャンパスモデルをそのまま採用することはできない』 と英語化お断りの「構想調書」を出したそうである。 日本人が国語をおろそかにして英語教育に力を入れ過ぎるるという事は、 欧米人に使いやすい奴隷になる為に、 幼少から努力を重ねさせられるだけでなく、 日本人は欧米人にとって使いやすい奴隷になるために、 日本人の優秀な思考力迄犠牲にする、 という事になってしまうのだという事を、 肝に銘じておかねばならないのではないだろうか?

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