2017年06月24日

アイスコーヒー

カップ私、コーヒーは普段、アイスで飲むことが殆どです。もちろん、出されたりすればホットコーヒーも飲みますが、普段自分で買ったりお店で注文するときは、冬でもほぼアイスコーヒー。

左画像は、某コンビニ、およびその系列のスーパーや施設などで売られている、その場の機械で一杯ずつミル、ドリップしているコーヒーのカップ。

一杯100円は結構おトクです(レギュラーサイズ)。やや苦みが強いコーヒー。その香りが店内に広がって、周りのお客も飲みたくなるという相乗効果を狙っているのでしょうか。ドーナツはそれほど当たったという印象はありませんが(笑)、このコーヒーは美味しいです。

あるとき、家に帰る途中でこのコーヒーを買ったときに家でカップを捨てようとしたら、このカップが結構しっかり作られていることに気づきました。通常氷を入れた状態で、冷凍ケースに入れて保管、陳列していますので、強度を持たせて作らなければならなかったのでしょう。そのまま捨てるのはもったいないと思って、このカップを捨てずに家で再利用しています(笑)。二年くらい経ちますけれど、まったくヒビも入らず使っています。

以来、近所でこのコーヒーを買うとカップを持ち帰るので、今は4つか5つほどになっています(笑)。

アイスコーヒーなんだかいいじゃないですか。

家で飲み物を入れても、外で買ったものみたいです。

外で買うと100円ですが、家で作ればそんなにしません。しかもカップは洗って使えば何年も使えます(笑)。

もちろん、コーヒー以外の飲み物もこのカップで飲めますが、コーヒーだったらこれ↓。



コーヒー§UCC 職人の珈琲 ミルクに最適

以前は赤いラベルでしたが、最近この白いラベルに変わったようです。

酸味はあまりなく、やや甘め。苦みも適度です。

ペットボトルに入ったものや紙パックのものなど、色んなメーカーのコーヒーも試しましたが、最終的にこれに落ち着きました。同じシリーズで無糖の黒いラベルのもの、低糖の緑のラベルのものもありますが、緑のラベルだと低糖はいいのですが、なんだか味が薄い印象があります。

私が買うお店では一本大体90円くらいで930ml、上のカップだったら3,4杯楽しめます。




dennismoore1988 at 16:14|PermalinkComments(0)clip!ドリンク類 

2017年06月18日

Sting (6月8日 日本武道館)

日本武道館日本武道館スティングのコンサートに行ってきました。ポリスはそれなりに聴きましたが、実は私、スティングはそれほど好きというわけでもありませんでした(笑)。

1990年代あたりのスティングは、なんだかエスニックというかオリエンタルというか、ちょっと変わった衣装を着ていたイメージがあって(笑)。演奏している音楽も、一つの音楽にカテゴライズしにくい独特の世界観を持っていて、割合ロックとかフォークとか、はっきり分類されるような音楽が好きな私の好みではありませんでした。そもそも、ソロになって初めの頃に人気が出て認識された"Will be together"が、あまり好きになれなかったんですよね。

それでもBSなどでライヴが放送されれば、その度に録画はしていました。

前の記事に書いたように、今回はカミさんが見たいというので私もお付き合いです。

私は普段、日常的に朝とか昼のニュースバラエティ番組をほぼ毎日タイマーで録画して、大きなニュースがなければ全く見ないで消すことも多いのですが、少し前に朝の番組にスティングが出て生演奏をしたとき、たまたま録画してあって見てみたら(昨年11月、日本テレビの『スッキリ』という番組、結構大物アーチストがスタジオに来て演奏することがよくあります)、原点であるロックに回帰しているということを言っていたので(その時の生演奏も)、少し楽しみにしていました。

『Ghost in the machine』グッズ売り場では、ポリス時代の『Ghost in the machine』を購入(左画像)。中学生の頃(?)友人、R.H.からレコードを借りて聴き込んだ唯一のオリジナル・アルバムでした。

もう一つ、1986年にリリースされたベスト盤が欲しかったのですが、そのアルバムは現在同じものは廃盤になっていて、何曲か追加されたうえでジャケットも変わってしまってしまっているようです。

...となると、当時聴いた時とは印象が変わってしまうんだよなぁ。一曲目が『Roxanne』から始まる、非常に完成度の高いベストだと思っていたのですが。ちなみに今回、コンサートパンフはなかったようです。カミさんはバッジのセットを買っていました(笑)。

コンサートは7時頃開演。最初、Stingが出てきて少し歌った後は、彼の息子であるジョー・サムナーがギターを弾きながら数曲。ギター一本だけでも十分聞かせられる力を持った人だと思いました。その後、ジョーの友人だというバンド(ザ・ラスト・バンドレーロス)が出てきて数曲。このバンドのメンバーは、スティングの出番になってからはコーラスなどで参加していたみたいです(ステージ全体が見渡せなかったのでよく分かりませんが)。

私たちの席は上手側の一番端、前後で言うとやや後ろのブロックで(アリーナ席)、ステージ全体、特に奥の方は殆ど見えませんでしたが、ブロックの一番前の列だったので前に人がいないので邪魔されず、楽な場所でした。

日本武道館スティングの出番は7時半くらいから。やはりシンプルなバンド編成で、全体にロックテイストが強い演奏でした。ポリス時代の曲もふんだんに取り入れられ、私も満足できるコンサートでした。私がポリスで一番好きな"Magic"も演奏しました。

驚きなのは、65歳にもなるのに、ヴォーカルがあまり衰えていないこと。スティングのヴォーカルは、それ自体がもう楽器のようなものだと思うんですよね。普通だったらギターのソロが入るようなところでも、スティングが「Wooh」とか「Yeahhh」とか、ハミングみたいな歌声とかが入ることがしょっちゅうです(笑)。高音もでているし、本当にすごかったです。息子のジョーが歌ったとき、高音が父親に似ているな、と思いましたが、やはり本人の歌は全く別物でした。この人のヴォーカルも他の人には全く真似ができない、唯一無二のものです。

またスティングは、全編で年季の入ったベースを弾いていました(アンコールの"Fragile"ではガット・ギター)。

§Mrs.Arthur

いや〜よかったです。ポリスの初期の曲が盛り上がってました。


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dennismoore1988 at 19:15|PermalinkComments(0)clip!音楽(ロック・ポップス) 

2017年06月11日

ホイコーロ定食

昨年からの懸案事項であった、飯田橋「えぞ松」のホイコーロ定食を食べてきました。学生の頃から仲間うちで「ホイコーロ」と呼んで食べていた定食です。

日本武道館から飯田橋まで歩く途中にお店があるのだから、もう「食べていけ」と言われているようなものでしょう(笑)。スティングのコンサートが終わったのが夜9時半くらい。「えぞ松」は日付が変わる頃まで営業しているようなので、時間的には余裕です(家に帰る時間が遅くなるだけ)。カミさんも楽しみにしていました。

お店には仕事帰りのサラリーマンや、学生風のお客がチラホラといました。私の後輩にあたる学生か、R科大生かもしれません。

§「えぞ松」のホイコーロー定食 680円ホイコーロ

初めて食べたのは大学生の時。サークルが終わった後に先輩に連れていかれたのが最初でした。恐らく一年生の時。何度かブログにも書いていますが、初めて食べた時は400円くらいだったような記憶があります。

普段私は、中華料理店では殆どラーメンしか頼まないのですが、お店では先輩たちがみんな「ホイコーロ定食」を頼んでいて、「絶対美味しいから食べてみな」というので、私もホイコーロ定食を頼むことに。そのときはまだ、「ホイコーロ(回鍋肉)」という料理のことすら知りませんでした。

ところが、料理が出てきてびっくり。お皿に盛られたご飯の量が尋常ではなく、その上にホイコーロが乗っているという、豪快な定食でした。キャベツの切り方も雑で大きいし(芯のところも固いまま入っています・笑)、バラ肉は焼肉みたいに分厚いカットでした。そして、先輩が言う通り美味しい!。

それからは練習の後にサークルの仲間でよく行きました。特に私の代は(文化系サークルにもかかわらず)運動部出身でよく食べる人間がそろっていましたから(笑)。私の代で飯田橋周辺でご飯を食べるときの、第一候補が「ホイコーロ」でした。学生の頃は調子が良ければ「大盛り」で頼むこともありましたが、本当にものすごい量でした。学生の頃から「このお店は一日にいったい何合ご飯を炊くのだろう?」と思っていたくらいです。

ちなみに実をいうと、私が学生の頃はいつも「えぞ松」ではなくて、系列店の「又兵衛」というところに行っていましたが、「又兵衛」は閉店してしまい、社会人になってから初めて「えぞ松」に入りました。そして、その後は感覚的に全く同じ「ホイコーロ」を「えぞ松」で食べています。今回、私は二年ぶり。カミさんは恐らく10年ぶりくらい。もちろんカミさんも、学生の頃から私が連れて行って何度も食べています。今はまた別のところに系列店があるようです。

そして、もちろん頼むのはホイコーロ。前述のように中華料理店ではラーメン類をメインに食べるのが私のポリシーですが、このお店に限っては麺類を食べた記憶がありません。

量が多いのはホイコーロに限ったことではなく、学生のときに立て続けにお店に行ったのかホイコーロではなくてチャーハンを頼んだことがあって(大盛りだったかもしれません)、その時は冗談ではなくて、子供の頭くらいのチャーハンの塊が皿の上に乗っていました(笑)。

ホイコーロ今回は、昔に比べるとやや量が抑えめだったかも?。いつも食べているわけではないので、たまたまだったかもしれません。でも、味は昔と同じでした。そしてこのお皿も。学生の頃からこのデザインだったような気がします。

抑えめと言っても、普段家で食べるときのご飯の量に比べると2〜2.5倍くらいはあったと思います。

上の画像にあるように、定食なので味噌汁が付きますが、味噌汁は昔に比べてだいぶグレードアップしています。昔は何日も継ぎ足して作っているのか?、というほど味噌の色が染み込んだ豆腐と、煮込んでぐずぐずになりかけた玉ねぎくらいしか入っていませんでしたが(もやしも入っていたかな)、今回はワカメが入っていました(笑)。

カミさんが食べきれるか怪しそうでしたので少しご飯をもらいましたが、二人共完食。美味しかったです。


§Mrs.Arthur

こんな多くても食べられるうまさよ。


dennismoore1988 at 23:41|PermalinkComments(2)clip!お店紹介(お食事系) 

2017年06月09日

記念メダルと100円玉

スティングのコンサートで、日本武道館に行ってきました。

アリーナ席へ行く一階の通路で、記念メダルの販売機を発見(笑)。観光地で見つけると、なるべく買うようにしています(その後、行方不明になってしまうことが多いのですが・笑)。

メダルメダル開演までまだ時間があったので、今回も一枚購入。

ホルダーが売られていて刻印機もありましたが、メダルだけ購入。私が過去に買ったものと比べて、やや小さめのサイズでした。一枚400円。

1000円札を機械に入れて、お釣りとして100円玉が6枚出てきました。

その600円は財布とは別のところに入れていて、今日になって出してみたら...なにか違和感が...。

100円玉左画像がその600円。

お分かりになりますでしょうか。

一枚だけ古い100円玉が!

この100円玉、現行の100円玉と同じものとして機械で認識されるんだ。確かに、Wikipediaで調べてみたら重さと直径は同じでした(4.8g、22.6弌法ちなみに、もう一世代前の100円玉も全く同じです。

しかし、今はもう2017年ですよ。1959年(昭和34年)の100円玉がお釣りで出てきますかね。58年前の硬貨です。そもそも誰が、どうしてこの機械にこの硬貨を入れたのか...。

以前記事にも書きましたが、この100円玉は家にたくさん(10枚以上)あるのが見つかりました。でも、この100円玉も使わずに手元に残しておきます。

ちなみに出てきた6枚の100円玉の製造年の内訳は、昭和34年1枚、昭和43年1枚、昭和47年1枚、平成9年1枚、平成25年2枚。最近は手にした硬貨の製造年を確認することもめったになくなりましたが、まだ昭和も頑張っています(笑)。

※関連記事

§レトロを探せ その8(古い硬貨に関する記事)






dennismoore1988 at 22:40|PermalinkComments(0)clip!ノンセクション・雑談 

2017年06月05日

スミス都へ行く

※再掲載記事(2017.06.05)

今、一番見直したい映画。

(初回掲載2009.08.26 23:01)
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スミス都へ行く<追記あり>(2009.08.30)

ネタバレにつながる恐れがある部分がありますのでご注意ください


選挙前にこの映画のことを記事にしようと思って、昨晩夜更かしして見てしまいました(笑)。追記あり(2009.8.30)

『スミス都へ行く』 Mr.Smith Goes to Washington 1939年 米

監督;フランク・キャプラ 

出演;ジェームズ・スチュアート、ジーン・アーサー、クロード・レインズ、エドワード・アーノルド、トーマス・ミッチェル、ビューラ・ボンディ

<あらすじ>

上院議員急死を受けて、ボーイスカウトのリーダーで生粋の愛国者、ジェファーソン・スミス(ジェームズ・スチュアート)が後任に指名された。しかし、実際は州の政治を裏で操る実業家テイラー(エドワード・アーノルド)が、政治に疎い彼なら自分の言いなりになるだろうと期待してのことだった。

そんなことも知らず、ジェフはおのぼりさん気分でワシントンに入る。そこには尊敬するペイン議員(クロード・レインズ)もいた。彼は、ジャーナリストとして巨悪と戦い、最後は敗れて死んでいったジェフの父の盟友だった。しかし、当時は正義の人だったペイン議員も、今はテイラーの子飼いの議員の一人に過ぎなかった。

政治について何も知らないことを記者たちになじられたジェフは、一念発起、国立青少年キャンプ場の設立を目指して、秘書のサンダース(ジーン・アーサー)の助けを借りて法案を提出する。

議会で読み上げられた法案を聞いて顔色を変えたのが、ペインらテイラー一派だった。キャンプ場の建設を目指す場所は、テイラーたちが長い間裏工作をして、ダムを建設しようとしていた場所だった。

テイラーたちは懐柔、脅迫、ありとあらゆる手段でジェフに法案をあきらめさせようとするが、ジェフは一歩も引かない。テイラーはペインたち一派やメディアなどを使ってジェフの政治家生命を絶とうとする。

対するジェフは、サンダースのアドバイスにより、議会で議事の進行を妨げるため、異例の長時間演説に挑む...。

以前この映画に対する三遊亭 円楽(ラベンダーマン)の感想を読んだことがあります。「今こそ日本の政治家に求められるのは、スミスの良識と行動力である」...この感想自体かなり前の感想(10年以上前)ですが、今の日本においてもまったく同じことが言えると思います。というか、国会議員(県議会議員でも市議会議員でもいいです)になったら、真っ先にこの映画を見ることを義務付けるべきではないでしょうか(笑)。

これもキャプラコーンのひとつ。実際の政治はそんなにきれいなものではないのかもしれません。しかし、政治の裏側を見て失望し、ワシントンを発とうとするジェフにサンダースが言った言葉を私たちは信じたいものです。

「リンカーンにも敵はたくさんいたわ。正義の人に敵はつきものよ。でも彼らはバカみたいにがんばった。そのバカが世の中をよくしたのよ。」...バカになれる政治家は、今の日本にいるのでしょうか。

この作品は、ジェームズ・スチュアートにとって出世作とも言える作品であり、若い頃の彼に対する「アメリカの良心を演じる俳優」というイメージを形成するのにも大きな役割を負っています。彼はこの作品で1939年のアカデミー主演男優賞にノミネートされています。

この作品におけるジェームズ・スチュアートの演技には、まだぎこちないところもありますが、いい味を出しているのがペインを演じるクロード・レインズです。昔は正義の人、今は黒幕実業家の言いなりですが、かつての盟友の息子、ジェフの出現によって昔を思い出し、完全なワルになりきれずに葛藤を抱える姿を好演しています。結局良心の呵責に耐えかねた彼の告発によって、作品の中でジェフの正義が証明されます。彼の重厚な演技が、この映画を引き締まったものにしています。

また、この作品でジェフの母親を演じているのは、ビューラ・ボンディ(台詞はほとんどありませんが)。この親子コンビは後の名作『素晴らしき哉、人生!』でも再現され、1980年にジェームズ・スチュアートがAFI(アメリカ映画協会、American Film Institute)にLifetime Achievement Award(生涯功労賞)を贈られたときにも(相当高齢だと思うのですが)ビューラ・ボンディも授賞式に呼ばれ、コメントを送っています。私は知りませんが、他にも親と子としてキャスティングされているのかもしれません(※)

(※追記)Wikipedia英語版によると、やはりビューラ・ボンディとジェームズ・スチュアートは、『スミス都へ行く』、『素晴らしき哉、人生!』の他に、"Vivacious lady"、"Of human hearts"(ともに1938年)でも親子として共演していたようです。母と子という関係でしたが、やはりゴールデン・コンビだったんですね。

ちなみにビューラ・ボンディは1981年1月に、92歳で亡くなっています。ジェームズ・スチュアートのAFIの表彰式がその前の年でした。そこではジミーを祝福する言葉を元気にしゃべっていましたが、それから間もなく亡くなったということになりますね。



dennismoore1988 at 22:39|PermalinkComments(4)clip!映画 

2017年06月04日

牛肉と醤油

牛肉脂の甘みが感じられるような、国産のちょっといい牛肉を食べるとき、私はいつも焼肉のたれを使わずにただの醤油だけで頂きます。

昨日食べた肉(左画像)も、そんなに高い肉ではありませんでしたが美味しい肉で、やっぱり醤油で頂きました。普段あまり市販の、焼き肉のたれは使いません(昨年あたりから「宮のたれ」をたまに使うようになりました)。

そして醤油で食べる美味しい牛肉の味は、私にとっては原体験の味なのです。

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私が幼稚園児くらいだったころ、父が会社(家電メーカー)で社品の「ホットプレート」というものを買ってきました。30センチ×50センチくらいあったのでしょうか(もうちょっとかな)。長方形の、かなり大きなものでした。

家では外でバーベキューとかキャンプとかそういう習慣はなく、家の中でこのホットプレートを使って年に一度か二度くらい、肉屋でちょっといい肉(我が家では「牛肉の上(じょう)」と呼んでいました)を買ってきて焼いて食べるというのが、我が家のたまのごちそうでした。

ホットプレートが大きいのでお膳の上にも置けず(笑)、床の上に新聞紙を敷いて、その上にホットプレートを置いて肉を焼きます。私は小さいし姉もまだ小学生。ホットプレートは熱いし油が跳ねるので、肉を焼くのは専ら父の役目でした。

ホットプレートの上に牛脂を転がして、父はひたすら肉を焼いていました。そして、一通り肉を焼き終えてみんなに配り、みんながご飯を食べ終わった後に、残った少しばかりの肉でササッとご飯を食べる...それが我が家で牛肉を食べるときの、父のいつものパターンでした。

子供ながらにその姿を見てかわいそう...というか、ある種の理不尽を感じていましたが、今になって考えると、父はそんなに焼肉が好きではなかったみたいです。その後の食生活のパターンを考えると(笑)。


その頃から、いつも牛肉には醤油。それが我が家の掟(笑)でした。

もちろん、焼き肉のたれというものも世間では売られていたと思いますが、我が家では醤油一辺倒。家で焼肉のたれのビンを見たことはありませんでした。大人になってから、初めて市販の焼肉のたれを使って食べた時、最初は美味しいと思いましたが、なんだか甘ったるくてすぐに飽きてしまいました。

今も、普通の焼肉のたれも家の冷蔵庫に入っていますが、家でそれを使うのは殆どカミさんです(笑)。私は小さい皿に少しだけ焼肉のたれを出して、二、三切れそのたれで食べて、残りは醤油で頂きます(笑)。


そして、少しいい牛肉を醤油で食べた時だけ、「あぁ、小さい頃食べたあの味だ」と思い出すのです。

父が買ってきたホットプレートは、焼肉の他にホットケーキとかお好み焼きを作るときに使うことがありました。両親には申し訳ないのですが、家で作ったお好み焼きは、美味しいとは思えませんでした(笑)。



dennismoore1988 at 18:51|PermalinkComments(2)clip!その他フード・ドリンク 

2017年06月03日

カールと植物物語

カールスナック菓子の「カール」(明治)が、中部以東では8月生産分をもって販売終了というニュースには驚きました。販売低迷がその理由だということですが、少なくとも私は最近までよく買っていましたよ(笑)。1968年発売でしょ?。実は「同い〇し」なんですよ(笑)。

左画像のカレーあじは、先日ニュースを知る前に3つ買って、残っていた二つのうちの一つ。右のチーズあじは昨晩、たまたまコンビニで見かけて2袋買ったうちの一つ。つまり、現在我が家にはカールがカレー2袋、チーズ2袋の合計4袋あります。ニュースを聞いてから、スーパーで売り場を見ても全然見当たらないのですが、昨晩はたまたまありました(お店にあったのはチーズあじだけ)。

西日本では9月以降も販売されるということなので、最悪通販とかでも買えるのかもしれませんが、一番の問題は販売を継続するのが「チーズあじ」と「うすあじ」だけだということ。「カレーあじ」はなくなってしまうようなのです。

私は、カールの「カレーあじ」が一番好きなんですよ。こちらのスーパーでは安い時で一袋68円くらいまで値段が下がることがあって、そんなときにカールを買うのですが、買う頻度はカレー2〜3に対してチーズ1くらい。カレーあじを何袋か買って、「たまにはチーズも食べたいから」とチーズを一袋混ぜる、といった感じです。

カレーあじは、以前も一時定番落ちして、たまに復刻版として売られていた時期がありました(左サイドバーの「ブログ内検索」で「カール」と入力して検索すると、カールに関する記事がいくつか出てきます。そこにも関連したことを書いています)。その頃が一番、私がカールと離れていた時期でしたね。

カレーあじが一番美味しいと、私は思うんですけれどね(笑)。



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そしてもう一つ。我が家の定番が植物物語販売中止になりました。

ボディーソープの植物物語 ヒーリンググリーン(森)の香り(ライオン)

植物物語として4つある香りのうち、この「ヒーリンググリーン(森)の香り」と「ハッピーベリーの香り」の2種類がなくなったそうです。

これは全然知りませんでした。我が家では5袋くらいまとめて買うので、前回買ったのはもう何ヶ月か前で、現在2袋家に残っていました。「ヒーリンググリーン(森)の香り」は、今年の3月で生産終了していたそうです。

先ほど色々なCMソング、それから転じて小林 亜星などについてWi○ipediaなどで調べている過程で、たまたま知りました。我が家ではずっとこれだったんだけれどな。

以前は近所のドラッグストアで買っていたのですが、何年も前にそのお店が「植物物語」の取り扱いをやめてしまって、だったら他のボディーソープに変えてみようと思っていくつか使ったのですがどうしてもなじめず。それでなんとかこの植物物語を扱っているドラッグストアを見つけて(家から2〜3キロ)、いつもそこで買っていたので、どうしても買うときはまとめて買っていました。そのドラッグストアで他にわざわざ買うものもないので、本当にボディソープがなくなりそうな時に買いに行くだけでした。

他のボディーソープだと水で流しても何となくヌルッとした感じが残ったり、匂いがしつこかったりするような感じがありましたが、この「植物物語 ヒーリンググリーン(森)の香り」はそれが全くありませんでした。

これがなくなるとキツいなぁ。今の在庫がなくなったら、植物物語で残っている「リフレッシュグレープフルーツの香り」でも試してみるか(ず〜っと前に何度か使ったことはあったような気がしますが、「ヒーリンググリーン(森)の香り」の、しつこくない爽やかな香りにはかないませんでした)。


dennismoore1988 at 23:26|PermalinkComments(2)clip!お菓子・スイーツ・アイス 

2017年05月29日

"Samba de uma nota so"


マイケル・ジョンソンの"ワン・ノート・サンバ"



ギターを弾く身として、3フレット以上左手のポジションが動くときは、どうしても指板を見てしまうものだけれど、明らかに指板を見ずに大きくポジションを移動するところがいくつもあります。やっぱりこの人、おかしいわ(笑)。

しかも、歌いながらですからね。

演奏は2010年。どうしてこんな超絶演奏の動画が、視聴数2300くらいなんだろう。こんな演奏ができるミュージシャンは、世界中探しても彼しかいないというくらいの演奏だと思いますけれどね。



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dennismoore1988 at 21:06|PermalinkComments(0)clip!Michael Johnson 

2017年05月20日

ピクニック

ピクニックピクニック地元の大型ショッピングモールでピクニック(森永乳業)を購入。

この「ピクニック」を見ると、中学一年の時に両手首を骨折して入院した時のことを思い出します(笑)。入院していた病院にピクニックの自動販売機があったのです。

手首が折れているだけで身体は元気なのに、病院の食事は美味しくないし、量も少ないので食べる楽しみを奪われていた私は、一日に一つくらい、このピクニックを買うことだけが楽しみでした。当時はこういう形の容器ではなくて普通の四角い、直方体の形の容器でした。現在のピクニックには「ヨーグルト味」というのがありますが、当時は「ヨーゴドリンク」という名称で、「ヨーゴドリンクって何だろう?」と思っていました。

画像で、左のストロベリーが私が買ったもの(右のカフェ・オ・レはカミさんが購入)。入院中もストロベリー味がお気に入りでした。昔からビンの「いちご牛乳」も好きでした。コーヒー牛乳はまぁ普通にありますけれど、いちご牛乳はそんなに飲む機会がなかったので。


この入院は、私にとって初めての入院でした。鉄棒から落ちて左手首を複雑骨折、右手首にひびが入り、左手にはギプス、右手には包帯を巻いていました。最初、左手の痛みがあまりにもひどいので、右手のひびに気付かず、数日経っても右手の鈍い痛みが引かないので調べてみたら、ひびが入っていることが判明しました。

最初の数日は痛みもあるしおとなしくしていましたが、ある程度痛みがひけば、入院は退屈なだけでした。幸い大部屋で、周りの人と話したり、家族や友人が見舞いに来ることが楽しみでした。この入院には当初、母が付き添いで一緒に泊まり込んでいました。他を見てもそういう人が結構いたので、そういう病院だったのでしょう。ある程度元気になって、何でも自分でできるようになった頃には、母には帰ってもらいましたが。

今でもよくわからないのは、入院中に小学校時代の教頭先生がお見舞いに来たことです。別に個人的には何もつながりがない先生で、どうして私が入院していることを知ったのか、知ったところで、小学校はもう卒業していてお見舞いに来るほどの関係性でもなかったですし、他の人のお見舞いのついでだったのか...。謎です。お見舞いに、私が大好きな五十番(地元のラーメン屋)の餃子を持ってきてくれたのはものすごくうれしかったですけれど(笑)。


大部屋の他のベッドには、バイクの事故でひどい怪我をして、ずっとおもりで背骨(?)を引っ張ったままベッドから全く動けない人とか、近くの工場で仕事中にアキレスけんを切ったおじさん、鎖骨かどこかを折って、右手を自分の前に出した状態で固定されている初老のおじいさんなどがいました。両手が不自由だけれど、私のけがはまだ軽い方だったのかもしれません。中学生の私は、部屋の中で一番年下でした。

その、右手を固定したままの斎藤さんというおじいさんと、やはり病室に泊まり込んでいた奥さんには可愛がってもらって、私の方が先に退院したのでそのときに、「今度遊びに来ますからね」と言って、実際に退院後病室に顔を見に行きました。退院後もマッサージに通ったので、病院へ来る機会はあったのです。自分がいたベッドにはもちろん他の人がいましたし、そのほかのベッドも人が入れ替わっているところがあったり、何となく寂しい気持ちになりました(笑)。

友人のR.H.とは小、中学を通じてこの年初めて違うクラスになっていたのですが(そして、中学卒業までこの年が唯一、違うクラスでした)、二週間ほどの入院中、何度も遊びに来てくれました。R.H.が来た時、夕方病院の屋上で、何でもないようなことを話していたことをよく覚えています。


そういえば今回ピクニックを買ったショッピングモールは、私が入院していたS整形外科のすぐそばでした。そして、ピクニックの発売年を調べてみると、1981年(昭和56年)。まさに私が入院した年です。あの当時、まだ発売されたばかりだったんだな。

dennismoore1988 at 19:26|PermalinkComments(2)clip!ドリンク類 

2017年05月18日

アメリカのドラマ

私の家で見ることができるCSチャンネルで、『ベン・ケーシー』『奥さまは魔女』が始まり、来月からは『コンバット!』が始まります。これまでも放送されたことがあったのかもしれませんが、たまたま今回第一回の放送から間に合ったので、録画しています。

懐かしいですね。いや、リアルタイムではないのですが、再放送で見ていました。


この中で一番記憶が古いのは『奥さまは魔女』(1964年〜1972年)ですかね。これは子供の頃からよく再放送されていました。観客(?)の笑い声が聞こえるというのが印象的でした。

サマンサのお母さん(魔女)を演じてるアグネス・ムーアヘッド。聞き覚えのある名前だなと思ったら、ジェームズ・スチュアート主演の映画『甦る熱球』(1949年)で、ジェームズ・スチュアート演じるモンティ・ストラットンの母親役を演じていた人でした。『奥さまは魔女』のコミカルな演技とは正反対の役で、全然気が付きませんでした。


そして『ベン・ケーシー』(1961年〜1966年)。

「男、女、誕生、死亡、そして無限」

のオープニングがあまりにも有名です。これは、1980年代の終わりか1990年代の初め頃、世間で「レトロブーム」なるムーブメントが巻き起こったときに、ブームに乗る形で夜中に再放送されたのを見ました。


そして『コンバット!』(1962年〜1967年)。

実は私、このドラマはそれほど面白いとは思っていなかったのですが(笑)、私の父が大好きで、夕方5時くらいから再放送されていた頃(私が中学生くらいの時だったでしょうか)、父が家にいるときは必ず見ていました(笑)。

民放系BS局では、これも私大好きだったのですが、『スパイ大作戦』(1966年〜1973年)も現在放送されています。


これらのドラマは、いずれも吹き替え版なんですよね(『コンバット』はまだ始まっていませんが、『ベン・ケーシー』や『奥さまは魔女』と同じチャンネルなので、恐らく同じく吹き替え版でしょう)。それがいいのです。字幕だとずっと画面を見ていなければなりませんが、吹き替えだと音だけでも理解できるので。

そして、どのドラマも、そのオープニングのテーマ曲や演出(前述の「男。女...」みたいな)がずっと心に残っています。

ブルーレイの容量がいくらあっても足りないですよ。それから、見る時間も(笑)。


『コンバット』などを放送しているチャンネル、FOXクラシックでは、『大草原の小さな家』(1974年〜1982年)も放送されています(これは字幕スーパー)。

小学三年生の時の担任の先生(30代くらいの女性)が、このドラマに感化された人で、ことあるごとにこのドラマが素晴らしいということを言っていて、その先入観があるせいか、どうも私は好きになれませんでした(笑)。

dennismoore1988 at 22:55|PermalinkComments(2)clip!テレビ・ラジオ