2017年02月23日

レトロを探せ その13

先々週の週末に熱を出してしまい、ちょうど土曜(祝日)日曜とかぶってしまったため医者へは行かず、月曜には熱が下がっていたのでただの風邪だとは思うのですが、なかなか咳が抜けません。

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ピカちゃん§東京電力のピカちゃん

これまでもよく通っていた道の、信号の近くにある電柱に懐かしいキャラクターが!。

名前までは知りませんでしたが、私が子供だった昭和40年代くらいによく見た東京電力のキャラクター、ピカちゃんです。1995年に河口湖で見かけて、そのときですら「懐かしい〜」と思ってカメラで撮影したものの、夜間だったので写真がブレてしまい、どこかに残っていないか密かに探していたんですよね。こんなに近くに残っていたとは(笑)。

Wi〇ipediaによると1964年登場だとか。この看板は記載されている市外局番が4ケタなので、やはりそれなりに古いものと思われます(現在市外局番は3ケタ)。


dennismoore1988 at 20:52|PermalinkComments(0)clip!おもしろフォト 

2017年02月05日

一旦閉店

say yousay you地元のスーパー、S友が、建て替えのため一旦閉店となるそうです。私は母の介護に使うものを買いによく行くので、その時に店内の案内を見て知っていましたが、昨日(土曜日)の新聞の折り込みチラシに、売り尽くしの広告と共にその案内が書かれていて、昨日行ってみたらとんでもない混み具合でした(笑)。

建物の外側に設置されたプレートには、昭和51年11月26日の日付が。もう41年も前ですね。ひょっとすると、これはオープンした日付かもしれないですね。そんな気がしてきました。当時私は小学〇年生。もちろん、当時のことははっきりと覚えています。

というのも、このお店がオープンしたちょうどその頃足を怪我していて、一か月くらい学校を休んでいたからです。休んでいるちょうどその間にオープンして、開店日に医者へ行った帰りに寄ったような記憶があります(笑)。

当時、地元では一番大きな商業施設で、店内にエスカレーターがあるというのも、他には同じスーパーの〇エツくらいだったんじゃないでしょうか。

say yousay you〇エツにも軽食コーナーがありましたが、S友にはさらに、最上階(3階)にレストランまでありました。現在レストランはなくなってしまいましたが、左画像で言うと一番上の窓、×型に筋交いが入った窓の部分です。右の画像が、現在の店内のそのあたり。本来この奥にもスペースがあって、そこがレストランでした。現在はバックヤードになっているようです。

店内にこんなレストランがあるなんて、デパートみたいだと思いました(笑)。もちろんこの駅にはデパートなんてありませんから、ものすごく豪華な感じがしました。ここで食べた、上に生クリームが乗ったパンケーキ、美味しかったなぁ。

say youplease please meそれからここには、レコード店もありました。もちろん、CDではなくてレコードです(笑)。左画像がレコード店があったあたり。現在はなんだか寂しい感じになっています。

当時この駅周辺には個人経営の小さなレコード屋がありましたが、S友ができてからはここ一辺倒になりました。やっぱりお店も広かったですし、品ぞろえが多少良かったですから。楽器の小物も置いてあって、フォークギター用のモーリス弦や、クラシックギター、エレキギター用のヤマハ弦(あんまり選択肢がありませんでした・笑)、そしてピックも買いました。もう少し大きくなって、中学生くらいになると〇宮へ一人で行くようになって、もっと大きなレコード屋があることを知るようになると、段々ここで買うことも少なくなっていきましたが。

ここにあったレコード屋で、私が確実に買ったと断言できるのが右のレコード、ビートルズの『Please please me』です。ビートルズのアルバムで私が初めて買ったレコードでした。中一くらいだったでしょうか。


前述の介護に使うもので、ここにしか置いていないものとか、ここが一番安いというものがあるので、たとえ一時的にでも閉店されるとちょっと困ります。来年の秋にはリニューアルオープンということですので、間違いなく再開して欲しいと思います。

...あっ、例年年賀状をここで作っているんだった。来年どうなるんだろ。


dennismoore1988 at 19:01|PermalinkComments(2)clip!街の記憶 

アドバルーン その2

アドバルーンアドバルーン都内では最近殆ど見ない...というか、私は(都内では)見たことがないですけれど、私の地元では空に邪魔するものが少ないので、今でもごくたまにアドバルーンを見かけることがあります。

画像は、昨年12月のある土曜日に見かけたもの。国道沿いに新規オープンしたパチンコ屋さんのアドバルーン。この前に見たアドバルーンもこのそばで、その時はコンビニの開店を知らせるアドバルーンでした(6,7年前)。

アドバルーンの「バルーン」は、白と赤のツートンカラーというイメージですが、真っ白というのも斬新です(笑)。


この新しくできたパチンコ屋さん(かなり大きい)があった場所、昨年まではスーパー銭湯がありました。まだスーパー銭湯という存在が一般的ではなかった20年以上前くらいですかね。その銭湯ができたのは。ブログに何度か書いていますが、この辺りは比較的新しい街で、JRの駅ができた昭和30年代後半くらいから発展してきた街なので、銭湯というものは私が知る限り昔からなくて、当然家にお風呂もありましたから、「銭湯に行く」という感覚が私にはありませんでした。

私が高校生くらいだったでしょうか、そのスーパー銭湯(そういう呼び名も殆ど浸透していませんでした)ができたのは。その頃は老人が行くというイメージでした。実際私の両親が所属していた地元の自治会かなにかで、老人が中心のメンバーで何度か行ったことがあるような話を聞いたことがありました。そのスーパー銭湯では、日常的に「大衆演劇」的な催しが開かれていました。

私も東京に住んでいた頃に銭湯へ行くことを覚え、地元に帰ってからその銭湯にも二、三度カミさんと行ってみました。大衆演劇は見ませんでしたが(笑・確か別料金)、食事は結構おいしかったです。

私としてはパチンコ屋よりはスーパー銭湯が存続していた方がよかったのですが、確か契約満了かなにかで営業を終了するということがアナウンスされていたと思います。お風呂の施設もかなり古くなっていました。まぁ、スーパー銭湯は他にも行ける範囲であと二軒くらいありますので、最近はそちらに年に一、二回くらい行っています。「普通の」銭湯的な銭湯は、現在でもこの辺りにはありません。

※関連記事

§アドバルーン(2006年に見かけた時に記事にしたもの)

(以下プライベートモードになります)


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dennismoore1988 at 16:31|PermalinkComments(2)clip!ノンセクション・雑談 

2017年01月28日

Chris Hillman

Chris Hillmanクリス・ヒルマン(Chris Hillman)...彼の名前は、ダン・フォーゲルバーグ(以下DF)のことを深く聴き始めた頃から知っていましたが、ここ数年、彼の音楽活動の軌跡を深く知るにつれて、どんどん私の中で彼の重要度が増してきました。

(左画像:1976年『Slippin' away』より)

※関連記事 §パズルのピース

そして最近、もし彼がいなかったら私はDFの音楽に出会っていなかったかもしれないという事実に気が付いてしまいました。もし仮に他の場面でDFの音楽を耳にする機会があったとしても、出会った時の状況、気持ち、楽曲によっては全く違った印象を受けるかもしれませんから、そういう意味ではクリス・ヒルマンは私にとって恩人であると言っても過言ではありません。


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以前記事に書いたように、私がDFの音楽に出会ったのは、高校二年の時でした。当時の新譜であるアルバム、『High country snows(邦題『遙かなる心と絆』)』1985年)の中の、"Go down easy(リンクはYoutubeへ)"という曲を、たまたまFMで耳にしていい曲だな、と思ったことがきっかけでした。初めて聴いたその曲はフォーク・タッチの優しい曲で、収録されているDFのアルバムや、その他のアルバムを買い集めてだんだんと深入りしていきました。

※関連記事 §出会いの曲

HIGH COUNTRY SNOWSHIGH COUNTRY SNOWS"Go down easy"が収録されたアルバム、『High country snows』(左画像=私が初めて手に入れたDFのLP)は、全体としてはカントリー、ブルーグラスを演奏しているアルバムですが、"Go down easy"はたまたま収録されている他の曲に比べてカントリー、ブルーグラス色があまり強くなく、私は完全な「フォーク」だと思って耳にしていました。私の出会いとしてはそれがよかったのだと思います。変にカントリー色が強い曲を初めて耳にしても、私はDFの他の曲を聴いてみようとは思わなかったかもしれません。

このアルバムはDFが、自分の音楽のルーツの一つであるカントリー、ブルーグラスに立ち返るために作ったアルバムで、カントリー、ブルーグラスのミュージシャンがゲストとして参加しており、その一人がクリス・ヒルマン(以下CH)でした(上段画像右、ジャケを開いて中央右下がCH)。そして、このアルバムをDFに作ることを決意させたきっかけがCHでした。つまり、このアルバムがなければ私が"Go down easy"を耳にすることはなく、CHがいなければこのアルバムが作られることもなかったわけですから、CHがいなければ私がDFに出会うこともなかった(かもしれない)、ということになるわけです。


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CHはバーズのベーシストとして有名ですが、もともとはカントリー、ブルーグラスのバンドでマンドリンを弾いていたミュージシャンで、バーズにベーシストとしてオファーされたときには、ベーシストとしては素人であったにもかかわらず参加することになりました(1964年、CH20歳の時)。

Sweetheart of  the rodeoTHE BYRDSその後、バーズが分裂しかけた頃にグラム・パーソンズと出会い、彼をバーズの正式メンバーとして迎え入れ、バーズはそれまでの音楽とは全く違う方向性を示した、カントリー・ロックの名盤という呼び声も高い、『Sweetheart of  the Rodeo(邦題『ロデオの恋人』)』1968年 左画像、左)をリリースしました。

ところがグラム・パーソンズはアルバムが発売される前にバーズを脱退、CHも後を追うようにバーズから離れ、グラムと一緒にカントリー・ロックを主体としたバンド、フライング・ブリトー・ブラザーズを結成します(1968年)。恐らく、グラムと出会ったことで、眠っていたカントリーの血が目覚めてしまったんでしょうね(笑)。

グラムはここでもアルバムを二枚作ったところでバンドを脱退(その後、ソロ・アルバムを二枚制作した後に麻薬のオーバードーズにより、1973年、26歳で死亡)、CHもしばらく続けた後に抜け、今度はスティーヴン・スティルスらと、これもカントリーの要素を含んだ音楽性のマナサスを結成します(1972年)。

THE FLYING BURRITTO BROS/MANASSASCHRIS HILLMANマナサスはあくまでもスティーヴン・スティルスのソロの延長であり、またスティルスの軸足がCSN(Y)にあることもあり、マナサスもアルバム二枚を残して消滅。CHはリッチー・ヒューレイ(バッファロー・スプリングフィールド、ポコ)、J.D.サウザーらとサウザー・ヒルマン・ヒューレイ・バンドを結成します(1974年)。

そのバンドもアルバムを二枚制作して解散。当時はきっと、思い付いたら一緒になって、なにかが完成したらまた離れて...というユニットが沢山あったのでしょう。

1976年からはソロ活動を始めます。活動初期はAORに近いロック色の濃い音楽を演奏していましたが、1980年代に入ると次第に音楽の方向性をカントリー、ブルーグラスそのものにして活動していきます。


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1979〜1981年頃、かつてバーズの盟友であったロジャー・マッギン、ジーン・クラークと活動した後、1982年にCHは、ソロ・アルバムとしては3作目にあたる『Morning sky』というアルバムをリリースします。

このアルバムのタイトル曲"Morning sky"が、実はDFの曲のカヴァーでした。

SOUVENIRS"Morning sky(DF版 リンクはYoutubeへ)"...DFのセカンド・アルバムにあたる『Souvenirs(邦題『アメリカの想い出』)』(1974年)に収録されている曲でした。

『Souvenirs』は、もちろんずっと前から聴いていましたが、このアルバムの中で"Morning sky"は、私にとってはあまり好きな曲ではなく(笑)、やっぱりあまりにもカントリー、ブルーグラスの色が強くて、どちらかというと敬遠しがちでした(笑)。このアルバムだと私が好きな曲は、"There's a place in the world for a gambler"とか"Illinois"、"Better change"あたりをよく、自分で編集して作るベストには選曲します。

実はDFの"Morning sky"に参加しているバンジョー、スティールギター奏者のアル・パーキンス(マナサス、サウザー・ヒルマン・ヒューレイ・バンド)がCH版の"Morning sky"にも参加しているので、そのあたりからこのカヴァーが実現したのかもしれません。『Souvenirs』(当時DFは20代前半)には、他にもかなり豪華なミュージシャンが参加しており、プロデューサー(演奏にも参加)はジョー・ウォルシュ(後にイーグルスのメンバー)ですし、グラハム・ナッシュ(CSN(Y))、ジョー・ララ(マナサス)、ドン・ヘンリー(イーグルス)、グレン・フライ(イーグルス)、ポール・ハリス(マナサス、サウザー・ヒルマン・ヒューレイ・バンド)など、CSN(Y)人脈とイーグルス人脈が多く参加しています。

恐らくDFがアマチュアの頃から第一線で活躍していたCHにカヴァーされて、アルバムのタイトルにまで使われたことがきっかけで、その頃CHが没入していたカントリーの世界に足を踏み入れたからこそ、『High country snows』が作られたのだと思います。ちなみに、DFのコロラドの高地にある家の元の持ち主はCHで、若い頃売りに出ていたのを見つけて購入したのだそうです(1975年頃、Paul ZolloによるDFのbiographyより)。

クリス・ヒルマン版"Morning sky"(スタジオ版が見つかりませんでしたので、バーニー・レドン(元イーグルス、フライング・ブリトー・ブラザーズ)、アル・パーキンスとともに演奏している1984年のライヴ音源のアドレスを↓   長い動画です。"Morning sky"は32分過ぎから。他にマナサスやブリトー、バーズの楽曲も演奏しています)

https://www.youtube.com/watch?v=qevlh3Xn3z8


EXILESそして、CHが自分の曲をカヴァーしてくれたことへのお礼なのか、DFも1987のアルバム、『Exiles』(左画像)で、マナサスの"It doesn't matter(リンクはYoutubeへ)"(CH、Rick Roberts, Stephen Stillsの共作、アルバムの中でCHの名前が作者としてクレジットされている2曲のうちの一曲)をカヴァーしています。

dennismoore1988 at 04:01|PermalinkComments(2)clip!音楽(ロック・ポップス) 

2017年01月14日

Stephen Stills

Stephen StillsManassas最近、これまでの人生で後悔していることが一つ。

どうしてもっと早く、スティーヴン・スティルス(以下スティルス)の音楽に出会っていなかったのだろう、と(笑)。

一昨年(2015年)の3月にCSN(クロスビー・スティルス&ナッシュ)のコンサートに行くために、それまであまり聴いていなかったその周辺の音楽を急ごしらえで詰め込んで勉強しました。

そのとき、まずManassasの音楽に興味を持ちました。Manassasは実質的にスティルスがメインのバンドで、クレジットも「Stephen Stills Manassas」となっています。他のメンバーはクリス・ヒルマン、ダラス・テイラー、ポール・ハリス、カルヴィン”ファジー”サミュエルズ、アル・パーキンス、ジョー・ララ。

恐らくこのバンドは、CSN(Y)では出来なくて、でもスティルスが演奏したい音楽を実験的にやっているようなバンドなのではないかと思います。フォーク、ロック、フォーク・ロック、カントリー、ラテン...様々な音楽の要素を詰め込んだアルバムです(ファースト・アルバムは右画像の一番右)。

そこから始めて、スティルスの純然たるソロ作品も聴きました(トップ左画像)。やっぱりCSN(Y)のメンバーの中では、スティルスの音楽性に一番興味を持ちました。

なんでしょう、彼の声は美声ではないですけれど、実に味があるんですよね。声を聞けば彼だと分かる独特の声で、他の誰にも真似ができないヴォーカル、そして真似ができない世界を持っています。ギターもまた上手い。2015年の来日公演でも殆どのソロを彼がエレキで弾いていましたが、きっと若い頃から研究熱心で、一日中ギターを手にしていても平気だったような部類の人なのではないかと思います。


CSN(Y)と言えば、ダン・フォーゲルバーグと関わりがあり、ダン自身がアマチュア時代からCSN(Y)や、各メンバーが過去に在籍していたバンド(バッファロー・スプリングフィールド、バーズ、ホリーズなど)の影響を受けていることは、ダン・フォーゲルバーグを聴きはじめた30年以上前から知っていたのに、CSN(Y)、そしてスティルスの世界に長い間足を踏み込めなかったことは、本当に失敗でした。ダンの作品にはこの周辺の人たち(CSNメンバーも含む)も多く参加していたというのに。

まぁ、今この年齢だからこそ理解できる部分もあるのかもしれません。もしもっと若い頃に彼の音楽に出会って、その後の私の音楽に影響を与えていたら、いろんなものが変わってしまって、今こうしてブログを書いていることもなかったかもしれませんから。これもまた運命と受け止めましょう(笑)。


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dennismoore1988 at 19:10|PermalinkComments(2)clip!音楽(ロック・ポップス) 

2017年01月07日

かつやのカツカレー

カツカレー 竹かつや-

§かつやのカツカレー(竹) 750円(税別)

少し前まで、私は外でカレーを食べることにそれほど積極的ではなかったのですが、状況が変わったのは2,3年前のことです。

ちょっとした諸事情で、家でカレーを何日も食べ続けるという状況が困難になりまして(体調面とかそういうことではなく、本当にちょっとした事情です)、二年くらい家でカレーを作らない時期がありました。なにしろ、家でカレーを作るときには市販のルー2,3種類を使って、一度に10皿〜15皿分のカレーが出来てしまいますので、4,5日カレーを食べ続けざるを得なくなってしまいますので、家では作らなくなったのです。ちなみに二年ほど家でカレーを作れない状況が続いた後、その事情は解決しておりますので、現在は家でカレーを作ることができます。

それまでも、そんなにしょっちゅう家でカレーを作るほどのカレー好きというほどでもなく、せいぜい三か月に二回くらいですかね。なにしろ一度作ると4,5日カレーが続きますから(笑)。でも、不思議なもので家で絶対にカレーが食べられないとなると、外ではどうしてもカレーが食べたくなってくるのです(笑)。そんなわけで、外食時のカレーの割合が増えてきた、というのが最近の事情です。

例えば外でカツ丼を食べたとして(20代の頃に、外でカツ丼を食べることに凝っていろんなお店で食べた時期があります)、カツ丼の味はどのお店でもそれほど変わりませんし、お寿司だったらもっと変わりませんが、カレーはお店によって味が違いますからね。色々なお店で食べる楽しみがあります。その点ではラーメンと似ているかもしれません。

これまで、ブログで記事にしてきたように色々なお店でカレーを食べましたが、カツカレーを食べた時に毎度思うのは、「カツが貧弱」な店が多いということ。カツ自体はお店で揚げているのかもしれませんが、薄かったり小さかったり、全体として貧弱に思えてしまうのです。

カツカレーそして、最近食べたカツカレーでは、ここが一番。カツ専門の外食チェーン「かつや」です。こちらだと郊外型店舗が街道沿いにあるイメージですが、都内の都心部にもあります。メニューで「かつやの定番」と謳っているカツ丼(梅)は490円(税別)と、値段が安めなのがいいです。以前からお店の存在は知っていたのですが、昨年初めて入りました。

ここはさすがにカツの専門店ですので、カツがしっかりしています。

松、竹、梅とランクがあって、下のランクから梅は80gのロースカツを使用(590円・税別)、竹は120gのロースカツを使用(750円・税別)、松は80gのロースカツを二枚使用+ライスが大盛です(950円・税別)。

他のメニューも美味しい割には値段が控えめ。最近お気に入りです。どこの店舗でもそうなのかは不明ですが、行くと毎回100円引きの券をくれるので、二回目からは実質100円引きになります。ただ、家から遠いのがちょっと難点。家から行けるお店は二軒あって、どちらも家から3キロくらいあります。昨日の夜、カツカレーを食べに寒い中自転車を漕いで行ったら、今日はなんだか熱っぽいです(笑)。

カツ丼ロースカツ定食左:カツ丼・梅(ロースカツ80g使用) 490円(税別)
右:ロースカツ定食(ロースカツ120g使用) 690円(税別) 


dennismoore1988 at 23:58|PermalinkComments(2)clip!お店紹介(お食事系) 

2017年01月03日

飯田橋駅ホーム移設工事

飯田橋駅飯田橋駅年末に飯田橋へ行きましたが、その前に飯田橋を訪れたのは10月くらいだったでしょうか。

その時にJR飯田橋駅の西口(早稲田通りに出る出口)が覆われていて、重機が入っているのは気付きましたが、改修工事か補強工事か、そんなところかなと思っていました(左画像二枚:2016年10月撮影)。

その時は東京メトロを使っていたので、JRの駅の構内にも入りませんでした。

飯田橋駅飯田橋駅ところが、年末に行ったところ、駅舎が完全になくなっていました(笑・左画像二枚:2016年12月撮影)。

これは大掛かりな工事だと思って調べたところ、なんと駅舎だけでなくて、ホームを移設する工事をしているのだそうです。右側の画像の奥の方に見えるのが駅のホームですが、このホームを200メートルほど市ヶ谷寄り、画像で言うと手前に移すそうです。そのため西口駅舎を取り壊して、臨時の出口を南側に作っています(下の画像)。

飯田橋駅を利用する人ならわかると思いますが、飯田橋駅のホームはちょうどカーブのところにあるため、電車から降りた時に電車とホームの間が広くあくところがあるんですよね。もちろん私は落ちたことはないですが、最大で33センチの隙間ができるそうなので、朝の通勤ラッシュ時とか、夜酔っぱらった人が乗り降りするときなんかは危ないかもしれません。

飯田橋駅(左画像)臨時の出口

そして、これまでは電車から降りて西口へ出るには、100メートルくらいの長い坂になった通路を歩いていかなければなりませんでしたが、新しいホームはこれまでの西口があった早稲田通り(牛込橋)の真下あたりに来るようなので、主に西口を利用することが多い法大生や東京理科大生には朗報と言えるでしょう。もっとも、完成予定は2020年だそうですので、現在大学に在籍している学生は、その恩恵にあずかることは少ないかもしれませんが(笑)。

しかし、ますます飯田橋の風景が私の知っているものから変わってしまうなぁ。

御茶ノ水駅聖橋※御茶ノ水駅も、聖橋口周辺を中心に再開発の真っ最中です。

神田川の上に造られているのは、工事の作業を行うための仮設桟橋だそうです。この工事も最終的には2020年完成予定。東京オリンピック前に、ということでしょう。


dennismoore1988 at 23:42|PermalinkComments(4)clip!街の記憶 

2016年12月30日

あ・え・て大盛 ゴーゴーカレー

えぞ松日曜日にカミさんと都内に出たので、最初帰りにホイコーロでも食べようかと思っていたのですが、飯田橋へ寄るのは時間的に無理だったのでその日はまっすぐ帰り、あらためて昨日(29日)行ってみました。私は2年前に一人で食べましたが、カミさんは恐らく10年ぶりくらいです。

が、なんと。早々と年末年始の休みに入っていました(笑・トップ画像)。サラリーマンや学生相手の都心のお店はそんなものですかね。

学生時代、初めてここでホイコーロ定食を食べた時の衝撃は忘れられません。本当は学生時代、画像のお店「えぞ松」ではなくて、早稲田通り沿いにあった系列の「又兵衛」というお店でしか食べたことはなかったのですが、「又兵衛」はずいぶん前に閉店してしまいましたので、その後はここ、「えぞ松」で同じホイコーロ定食を食べています。この「えぞ松」も以前は別の場所にあり、飯田橋周辺の再開発に伴い、場所の移転を余儀なくされています。

ゴーゴーカレーもう昨日は、ガッツリ食べることしか頭になくて朝も控えてきたので(笑)、カミさんは初めてとなる「ゴーゴーカレー」に挑戦。

黒っぽいルーの金沢カレーブームの火付け役として、都内の繁華街でよく見かけます。以前は大宮にもあったのですが、いつか食べようと思っている間になくなってしまい(笑)、私は都内で初めて食べました。

黒っぽいルーということで、以前記事にした、私が探し続けていたカレーに何となく似ているような似ていないような...私が探しているカレーは家で作るカレーですから、全く別物であることは確かですが。

お店に置いてあったチラシに、金沢カレーについての説明が書かれています。

※金沢カレーとは
金沢市を中心とする石川県のカレーです。
・ルーは濃厚でドロッとしています。
・ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっています。
・付け合わせとしてキャベツの千切りが載っています。
・ステンレスの皿に盛られています。
・フォークで食べるのが金沢カレーの食し方。


それぞれのカレー(トッピングによる)にはライスの量によってサイズがあって、少ない方からヘルシークラス、エコノミークラス、ビジネスクラス、ファーストクラスとなっており、それぞれライスの量は250g、350g、520g、700gとなっています。この記事を書くために調べるまで知りませんでした(笑)。ファーストクラスって、ライス700gなんだ...。

ロースカツカレーロースカツカレーいってしまいました、ファーストクラス(笑)。まぁ、もともとホイコーロを食べるつもりだったのだから、これくらいはいっておかないと。

ロースカツカレー・ファーストクラス(画像左 990円)
ロースカツカレー・エコノミークラス(画像右 780円)

※ロースカツカレーのみ?、ゴーゴータイム(開店から夕方5時55分まで)はそれぞれ100円引きなので(店舗による)、実際はそれぞれ890円、680円でした。キャベツはお替り自由です。

右はカミさんが頼んだエコノミークラス。これが通常サイズですね。ライスの「盛り」の高さの違いに注目(笑)。

ファーストクラスGO SATOただ、ファーストでライス700g(エコノミーの倍)ということですが、割とパサパサした食感のお米なので、おなかにそんなにズシッとくる感じはありません。ココ壱でライス700gだともっとくると思います(私は500でおなかいっぱいです)。

色んなトッピングを沢山載せたメジャーカレー(ロースカツ、チキンカツ、ウインナー2本、エビフライ1本、ゆで玉子)がサービスメニューとしてあります(エコノミークラスで1,000円)。まぁ、揚げ物がそんなにたくさん載っていても胃がもたれそうなので、私はロースカツ1枚(薄いけれど、その場で揚げていました)で十分です(笑)。

メジャーカレーには他に、チャレンジメニューではないですけれど、目玉メニューとしてライス1.5キロ、ウインナー4本、ロースカツ1枚、エビフライ2本、チキンカツ1枚、ゆで玉子1個、総重量2.5キロというメジャーカレー・ワールドチャンピオンクラス(2,550円・1日限定5食)というのもありますが、もちろん挑戦するつもりはありません(笑)。

カレールーに関しては、美味しいのですが一つ難点は、出てきた時点ではライスにべチャッとかけた状態で出てくるので、周りに流れてしまうような感じになるのが残念。私は、ライスにせき止められたダムのようなルーにライスを浸して食べたい派なので(笑)。


§Mrs.Arthur
ルーがちょっと少ないなあと思いましたが、おいしかったです。
また食べたいなあ。
でも、福神漬けは真っ赤っかだったなあ。
食べましたが。


dennismoore1988 at 11:31|PermalinkComments(3)clip!お店紹介(お食事系) 

2016年12月23日

アルバイト研修

今日はカミさんと自転車で遠出。私の母校である高校がある街へフラフラと行ってきました。

現在は合併して同じ市になりましたが、高校生当時は隣の市でした。私の家から高校までは、距離でおよそ10卅宛紂⊆転車で50分くらい。高校入学当初は電車を使って行っていたのですが、JRから私鉄への乗り換えがあってその改札間の距離が長く、しかも高校の最寄駅から高校まで20分近く歩かなければならないので、高校一年の夏休み前には、殆ど自転車通学になっていました。ただし、私鉄の定期だけは買い続けていました。大雨の日なんかは電車を使うことがあったのと、帰りに大宮で遊んで帰るようなこともあったので。私鉄の定期はずいぶん安かったですから。JRは高かったので、定期は持ちませんでした。

コンビニエンスストア途中、高校がある旧市内の、とあるコンビニの前を通過。これまでにこのブログで、大学時代にコンビニエンスストアでアルバイトをしていたことを書いたことがありますが、それがFマートでした。

大学生活で(飲食代、サークルなどで)お金がかかって、高校、予備校までのあまりお金を使わない生活に比べると、お金の出ていくスピードが急激に速くなりました(笑)。

入学からしばらくは夏のプールのバイトや短期で即日払いのバイトなどで何とかつないでいましたが、いよいよ定期バイトもしなければという状況になって大学一年の冬に応募したのが、地元の隣町で新規オープンするというコンビニ、Fマートでした。サークルが特殊で、年に二回ある大きな演奏会の前は二週間くらい毎日昼から夜まで練習というところだったので、日中のアルバイトだとどうしても休む期間が出てくるので、アルバイトは深夜にしました。深夜だと時給もいいですし(笑)。結局サークルでは、年に三回も合宿があるので、深夜でも休みを取らなければならないことは同じでしたが。

お店は新規オープンなので、オープン前に雇われた新規のアルバイト、パートさん全員が一からしっかりと研修を受けて、仕事を覚えました。新規オープンの店にしたのは、それが狙いでした。一からしっかりと教えてもらえそうだし、アルバイト間で能力の違いもないのでいいだろうと。

仕事に関してはオープン前の店舗でマニュアルを使って、本部の社員さんも交えてしっかり教わったので、店がオープンしてもすんなりと仕事に入れました。ちなみに最初の頃は、そんなに大きくない店だったこともあり深夜勤務でも一人のことが多く、すべての仕事を完全にこなせないと店が回らなくなります。ちなみに私は宅配便の受付が苦手で(四角い段ボールならマニュアル通りやればいいので簡単ですけれど、形の変わったものとかゴルフとかいろいろ面倒なので)、アルバイトをしていた3年間くらい、ひたすら宅配便のお客が来ないことを願い続け、運よく面倒な受付は来ませんでした。私がアルバイトを始めてからしばらくして、全国的にコンビニ強盗が増えたため、本部の指導もあって深夜は原則二人勤務になりました。

お店がオープンしてから数ヶ月はPOSレジではなくて、手打ちでした。今はもうできないですけれど、慣れると結構早く打てるようになりますし、商品の値段も結構覚えられました。

コンビニエンスストアで、先ほどのお店に戻りますが、私のお店がオープンする前に一度だけ、深夜勤務のアルバイト全員が、研修という名目で画像のこのお店に派遣されたことがありました。私のお店の店長さん(この方もコンビニに関して、それまでは全くの素人)が、店長の研修だか集まりだかでこちらのお店の方と知り合いになってそういう話になったそうです。

今から30年近く前のある日の夜中、このお店に行きました。実際に夜勤の時間帯にお店で過ごすというのは、それが初めての経験でした。研修と言ってもとりあえずその日は、一晩中お店の中に突っ立ってお店の人の動きや仕事を見て覚えるだけというものでした。車の通りが多い道沿いで駐車場も広く、夜中でも結構人の出入りがありました。

その研修の途中で、このお店に見たことのある顔の男がお客として来店してきました。高校時代のクラスメイト、Iでした。まぁ、高校と同じ市内ですからそんなこともあるわけですが、よりによってこんなピンポイントの偶然があるかね(笑)。Iの方から「よぉ、何やってんの?」とかなんとか話しかけてきた記憶があります。高校を出てから初めて会ったので懐かしかったです。

高校二年の時に同じクラスだったのかな。クラスの中では派手なグループの人間で、見た目は茶髪でパーマでヤンキーそのもの。勉強そっちのけで授業中はいつも騒いでいるような人間でした。私は通常、そういったタイプの人間とは距離を置くのが普通なのですが、高校二年の時のクラスはとてもいいクラスで、クラスの男子全員といい関係を保っていて、その年のクラスでは(ちょっとツッパッた感じの)Iのグループとも、私が当時スクーターに乗っていたことなどから付き合いがあって、Iの家にも遊びに行ったことがありました。地元に古くからある家のようで、家の建物は古かったですが、敷地がものすごく広くて、竹林が敷地の中にあるような旧家でした。

当時Iのグループの(ちょっとワルそうな)人間に言わせると当時の私は、教室でのまじめで(あの高校内での成績に関してだけは)優等生そのものの私と、普段スクーターに乗ったりタ〇コを吸ったり、学校をサボることもよくあった私のギャップが面白かったそうです(笑)。どちらが本当の私なのか?(笑)。二年の時はそういう連中とツルんで外泊するようなこともあったので、学校の成績はかなり落ちましたが(笑)。

Iは、見た目は派手で授業に関しては邪魔でしかない人間でしたが(私は高校の勉強で授業だけは真剣に聞いて、そこで覚えるだけで家では試験前を除いて勉強をしていなかったので、授業の邪魔をされるのが本当に嫌でした)、実際に付き合ってみるとなかなかいいやつで、嫌いではなかったです。授業の時に先生をからかったりするようなときにも、Iに関しては余裕のようなものを感じました。

夜中に突然私の目の前に現れたI、高校を出てから二年近く経ってそのとき初めて会い、またその後一度も会っていません(笑)。


結局今日は色々回り道もして25キロくらいは自転車で走った計算になるのかな。高校時代はほとんど毎日通っていた距離なのに、足が痛いです(笑)。


私がアルバイトをしたお店は、私がアルバイトをしている大学時代の間に店長さんが風邪をこじらせて亡くなってしまったこともあって(一般の会社を定年退職された後に、第二の人生としてコンビニを始めた方でした)、私が大学を出て就職してから何年ももたずに閉店してしまいました。そのお店だけではなく、こちらの地元ではFマートは比較的すぐに閉店してしまうイメージ(笑)。あまり長く続いたお店がありません。最寄り駅の駅前という一等地にあったFマートですら閉店してしまい、現在その場所は他の大手コンビニになり替わっています。

しかし、私が研修に行った画像のお店は、あれから30年近く経った今も同じ場所にあります。


dennismoore1988 at 21:55|PermalinkComments(2)clip!私・ひと 

2016年12月18日

サッポロ一番 みそラーメン

みそラーメンみそラーメンいつもより安かったので買ってみました。

§サッポロ一番 みそラーメン(サンヨー食品)

私、これを食べるのは恐らく40年ぶりくらいです。あんまり、味噌ラーメンって普段食べないんですよね。インスタントでも外のラーメン屋でも。昔このインスタントラーメンを食べた時は、そんなに美味しいと思いませんでした。

ただ、我が家には昔からこのラーメンがよく家にあって、それは私の父がインスタントラーメンを食べるときは、必ずこのみそラーメンだったからです。本当にこれ専門でした。CMに出ていた俳優の藤岡某さんのことは、昔から好きじゃなかったみたいですけれど(笑)。

サッポロ一番のしょうゆ味は、子供の頃食べ過ぎて飽きてしまい、これも30年近く食べていなかったのですが、何年か前に久しぶりに食べてみたところ、昔よりだいぶ美味しくなっているように感じたので、みそラーメンも美味しくなっているかもしれないと思ったのも、今回このみそラーメンを買ってみた理由の一つです。

みそラーメンみそラーメン40年ぶりのみそラーメン。まぁ、やはり昔の味は残しつつ、多少レベルアップしているような気はしました。一つ目を食べてまだ二つ目に手が伸びないまま、数ヶ月経ちましたけれど(笑)。どうしても他のラーメンを優先してしまいます。

外で食べるときも、カミさんは味噌ラーメンをよく食べていますけれど、私は外で味噌ラーメンを食べたことがありません。

もちろん、ラーメンはしょうゆ味が一番美味しいと思っている、というのもありますが、「味噌ラーメンとはこういうもの」という、一つの完成形が私の中にあるということが一番大きいと思います。

味噌ラーメンそれが左の味噌ラーメン。

私の父は普段、家で料理をすることはそんなにありませんでしたが、年に何度か本格的な味噌ラーメンを作ることがあって、それがこのラーメンです。私の中の味噌ラーメンは、それで固まってしまっているのです。

左画像のラーメンは、父からそのレシピを直接聞いたカミさんが作ったもの。私はそのレシピを聞いていませんので、今となってはカミさんしか作れません。父は、どこかの中華料理屋で作り方を教わったと以前言っていました。本当かどうかは分かりませんが(笑)。確かに美味しかったです。しかし、インスタントはみそ専門で自分でも作って...父はそんなに味噌ラーメン好きだったのかな?(笑)。

これを作るためには普段家で使わないものを用意しなければならないので、画像も10年くらい前のものです。久しぶりにカミさんにリクエストしてみよう(笑)。


dennismoore1988 at 12:06|PermalinkComments(2)clip!インスタント・カップめん