2007年06月17日

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2007年6月17日です。  
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2006年03月30日

第3章 戦火はきえても 第19節 プチ・ブルジョワ (完)

  朝鮮動乱勃発
   
 「雀の学校」「山中湖キャンプ」は、一郎にとっては一入感慨深いものであった。
 去年は、少年部の一会員として参加して新しい事にふれた。そのころ、世界には戦争は無かった。いつまでもつづく平和を願いながら、心和む「キャンプ」というものに感激した。
 ところが、今年は約一ヶ月前に、朝鮮半島の北部から「金日成」の軍隊が、いきなり怒涛のように南朝鮮地域に侵入して来た。アジア情勢に関心の薄かった一郎は、この戦争に一抹の不安を抱きながら今年は、弟のような小学生たちを連れてリーダーとして来たのである。しかし、時代はどう流れようと、富士山もキャビン周囲の草花、湖水に浮く「ブイ」のドラム缶の凹み、梯子の傷まで、昨年の夏と同じ感じで一郎を迎えてくれた。

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2006年03月23日

第3章 戦火はきえても 第18節 各種学校

 指圧学院

 社会は、徐々に諸々な産業が復活してきた。しかし、一郎の貧乏暮らしは相変わらずである。
 夏休みを迎えるまではYMCAの活動参加も土曜日だけにして、日曜日でも多種雑多な臨時アルバイトをして暮らしをささえた。「使い捨てカイロ」ごとき建設現場の下働きや3K(汚い、きつい、危険)を気にせず低賃金に甘んじ、怪我、病気をしても自己負担ならいくらでも仕事はあった。その日払いが原則だ。週給もあるが、ある時は支払日には雇い主が消えて泣かされたこともある。その点では、ヤクザ組織(関東尾津組・東声会・住吉会など)の傘下にある仕事では低級労働者を泣かすようなことを見聞したことがなかった。  続きを読む
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2006年03月16日

第3章 戦火はきえても 第17節 門は叩かれた

   そこで、わたしは言っておく。求めなさい。
   そうすれば、与えられる。そうすれば、見つかる。
   門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。
   だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、
   門をたたく者には開かれる。(ルカ福音書11―9)

 一郎は、自分の戦争末期と敗戦後約五年間の中で強い思い出をまとめてみた。労働量に対してカロリー摂取不充分と栄養バランスの崩れた食生活。太平洋戦争前の瀬戸内海や上野公園、玉川の砧村、奥多摩と奥日光の父とのハイキングで鍛えた素直な心身が、過酷な軍事教練と軍需工場で傷だらけになってしまったと感じた。  続きを読む
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2006年03月09日

第3章 戦火はきえても 第16節 山中湖

 米国の学校制度を取り入れた「633制」でも日本の学校は「夏休み時期」「入学、卒業時期」は戦前、戦中とおなじだった。YMCA少年部は七月下旬に、富士吉田の山中湖にキャンプ生活四泊五日のプログラムを作った。一郎は、キャンプという言葉は戦前の小学校時代のボーイスカウトで知っていたが体験がない。軍国少年時代は、富士吉田地区や習志野などで軍事教練として経験している。
 米軍占領期下日本国の「YOKYO・YMCA・BOYS・CAMP」とゆうものは、いかなるものかとつよく興味をもち、彼は仕事をやりくりして参加した。
 生活協同組合の八百屋も自由経済復興で、日毎に競争相手がふえて閑散となっている。
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2006年03月02日

第3章 戦火はきえても 第15節 YMCA少年部

 キリスト教と八百万の神

 一郎は、東京YMCA少年部に入会した次の土曜日から、毎週欠かさず午後一時には少年部集会所に来ていた。折畳式の椅子に腰掛け、中高生メンバーと一緒に笠谷主事、中村藤太郎氏などから「キリスト教」に関する講義を漠然と水泳のことを考えながら聴いた。
 ある日は、ぶあつい両手で抱えるほど大きな「旧約聖書」を……ある日はA-5版・単行本のような「新約聖書」を……ある日は、リーダ有志の熱演紙芝居で、中近東砂漠荒野での神様との出会い話は珍しくも、なにやら奥の深い荘重性を感じた。
戦前、戦争中の国語の教科書の絵では、「神武天皇」は刀剣や弓を持っていたが、「モーゼ」や「キリスト」は武器を持っていない。モーゼの「十戒」やヨハネの福音書は「言葉」が主体であった。
十二月二十四日の午後は、青年会や英語学校生徒有志などが演ずるキリスト降誕の寸劇などを無料のケーキを味わいながら楽しんだ。
 ほとんどは、都心の中高校生、約四十名がメンバーで五名から九名が一組となり、五つのグループが出来た。大学出の壮年クリスチャンが各組のリーダーを担当している。
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2006年02月23日

第3章 戦火はきえても 第14節 生活向上

  学生服

 一郎の、八百屋稼業と夜間部高等工業学校通学は日毎に順調な流れに乗って行った。あの辛かった耳朶、手指、足指の霜焼け、皸などに責められることはなくなった。
軍国中学校時代から愛用していた色褪せた戦闘帽は、練馬徳田から芝浦に引越しするさい
辛苦の思い出と共に無くなれとばかり不用のガラクタ、雑巾にもならない破れちぎれた、虱のたかったシャツなどと一緒に裏庭で燃やしてしまった。
 巷では、未来を夢見る映画や歌が続々と生まれている。

    青い山脈     
       藤山一郎&奈良光枝 歌 昭和24年           
          西条八十 作詞・服部良一 作曲

♪ 若くあかるい 歌声に
  雪崩は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜   
  空のはて       
  今日もわれらの 夢を呼ぶ
         2,3,4節省略  続きを読む
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2006年02月16日

第3章 戦火はきえても 第13節 生活協同組合

 東京港芝浦三丁目

 孤独な復員兵士と苦学生風に見える二人組み強盗未遂事件で一郎の両親は、気分にそうとう打撃を受けたようだ。
 質屋というものは、夜の八時から十時ごろに客脚が多いことを一郎は知った。ところが、事件以後は夜の八時前には店を閉めてしまうようになり二人とも、昼間は何処かに出かけることが多くなった。
 新しい仕事を探していることが分かる。夫婦が一部屋で黙々と足袋やワイシャツを『シンガーミシン』を使って作る仕事は深夜を越すことが多くなった。
 社会は「インフレ」がすすみ、内職のような仕事で稼ぐ利益は、その日の闇流通の食物を買えばとんでしまう。一見平和、安穏に見える姿だが現実は和気藹々と行かない。
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2006年02月09日

第3章 戦火はきえても 第12節 江古田と徳田

 静子の結婚

 東京は、ますます食料不足となり労働運動は激しさを増してきた。一方、資本家陣営も態勢を挽回せんとあせる。社会党も共産党も内部分裂をおこした。吉田茂内閣が総辞職して、片山哲内閣の社会、民主、国協の三党連立政権がうまれ混沌の様相である。
 そんな世相のある日、善作がシベリア抑留所で病死した事を、帰還した彼の戦友から聞いた。戦争末期以来、善作の音信は途絶えていたので、悲報は覚悟していた故か、夏木家は、その戦友の報告を冷静に受けとめた。
 その戦友も、シベリアの酷寒地獄の様子や苦労話はいっさいしなかった。遺髪一つ持ち帰えれなかった事を、しきりに謝罪していたが、善作の兄である精一は「ロシアのシベリアでは仕方ありません……」と戦友をねぎらっていた。
 あの日から、一年半も過ぎているが、まだ、社会には戦争が原因となった多種多様の悲劇を背負った人がたくさんいる。体力の無い者や病弱の者は、気苦労が衰弱に拍車をかけるのであろう次々と老木が枯れるように亡くなっている。巷の葬式など簡単に運んでいる。都会では棺桶一つさえ不自由をきたしている。
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2006年02月02日

第3章 戦火はきえても 第11節 学校の給仕

 さらば鶴見

 一郎は、協和化学株式会社を六月いっぱいで依願退職届けを提出した。彼は、上司に理由を訊かれたが、まともな回答ができない。うやむやな理由をこじつけるので事実を知らない庶務課や人事課の係りは、一郎の人格に不信を抱いたり困惑していたが七月早々に受理された。
 約二十一ヶ月の勤務であるから退職金もでない。六月の給料と七月半月分の手当てだけを受け取り、東京都練馬区徳田地区で暮らしている両親の家に、連絡もせずにいきなりもどった。
 一郎の父母は、彼から簡単に事情を聞いて狼狽していたが、すこし成長してもどった長男と、また、共に暮らせる安堵の嬉しさがあふれていた。
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2006年01月26日

第3章 戦火はきえても 第10節 鬼 火

 夜のプラットホーム

 夜間部の通学はたのしい事だが苦しい。むだな努力では無いと信じ、新しいことを教わるおもしろさに眠気もしばし消えるが、最終科目時間ともなれば瞼がしぜんに閉じてしまう。

 ときには、坊主頭ががくんと落ちて、おでこが机に当たり目が覚める。教師も周囲の者も苦笑するが、だれもバカにしたり叱責はしない。三分の一が、こっくりを漕いでいる。数人は完全に肘を机にはって寝ている。

 学校から配られる半紙は粗悪で、消しゴムを使うのが難しくすぐ破れる。鉛筆はちびってもホルダーで支え数cmになるまで使う。会社で使用している作業日報などや、しっかりした洋紙などの不要になったもので空白のある紙は、大小不揃いでもB5版サイズに揃え、端の数箇所に錐で穴を開け、薄い物は木綿糸、厚い物は凧糸や紙縒りで綴じてノートブックにする。
 梅雨の時季には、会社の作業で使い古したゴム前掛けなどを利用して簡単な合羽を作った。
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2006年01月19日

第3章 戦火はきえても 第9節 夜学に群れて

 夏木一郎は、協和化学工場の仕事を、楽しみながら専念した。サルファ剤、完成一歩手前の加水分解という工程作業にうちこんだ。直径、深さも約1mもある遠心機に、濾過用の厚い木綿の白布を敷き入れ、白色粘土状のサルファ剤原料を充填して、水を大量に流し込みながら回転させる。その部屋はガラス窓の天井が高い。並列した2基の遠心機から白濁した水分が抽出される。

 一郎は、最近の流行歌を唄いながら作業する。構内に歌声が反響する。モーターと革ベルトの摩擦音もリズミカルに流れる。モーター軸に潤滑油をさしたり、構内の三和土を太い水道ホースをつかい、水を大量に放出しながら化合物の残滓を清掃する。黒いゴム長靴、黒色のゴムびきの大きな前掛け、白い作業帽、軍手など作業が終わると指定の場所に吊るすときがうれしい。  続きを読む
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2006年01月12日

第3章 戦火はきえても 第8節 世間知らず

 世相は、ますます混沌として流れている。そのような時、衣食住は貧しくとも無事に敗戦後二度目の正月を無事に迎え春も初夏も過ぎ梅雨時になった。大部屋での雑魚寝。着のみ着のまま。それでも食住は会社の力で守られ洗面、肌着の洗濯など自己管理で生活の基本は安定している。

「おやじ」の愛情、裁量でお節料理もいただいたが、昨年よりも、種類、質量などが落ちてきた。食料の流通機構や経済的、社会的バランスの振幅が大きくなり、貧富の差、取引の習慣など戦争中から踏襲されている常識などがくずれてきた。

 戦後、数ヶ月ほどは素朴な農漁樵の生産者も戦争中の帝国、軍国意識の惰性で暮らしていたが、占領政策も内政も不備だらけで矛盾が沸騰した。とくに、食料に関しては自由競争時代にはいった事によりすべてが変化し始めた。
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2006年01月05日

第3章 戦火はきえても 第7節 庶民の思潮

 大都市に居住する人々の食料問題が深刻になってきた。
 昭和二十一年五月一日のメーデーは「労働運動の夜明け」が来たよろこびの集会となり、約五十万人が宮城前広場に集まった。お祭り騒ぎと「働けるだけ食わせろ」のテーマで、その日は暮れたようである。協和化学工場寮住人も、少年工と予科練あがり以外は、みな成人で家族に仕送りしている者もいる。タブロイド版の新聞を漁り読み、古ラジオでニュースを聞き、休日には映画館でニュース映画を見て政治判断をしている。家族的雰囲気の会社で、生産業務が順調だから生活改善の要求を自社に向ける者はいない。しかし、世相のバスに乗り遅れまいとする風潮は、この鶴見工場にもながれこんできた。
 
 久米さんは、慶応大学経済学部卒業で思想が確立していたが、ほかの連中は、物理学校出の者以外は大学の学問など受けていない。軍国教育と年齢に応じた社会的な経験のちがいだけである。戦後、なにかにつけて話題になる思想云々など一郎と大差ないであろう。
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2005年12月29日

第3章 戦火はきえても 第6節 リンチ 

 泥 棒

 お彼岸が過ぎて枯れた雑草の根元に新しい芽がふえだした。敗戦後、数ヶ月は放置されていた諸々の雑具や化学薬品の充填されたガラス壜などが積み換えられ、整理整頓が徹底されだした。食料倉庫などは、とくに厳重にチェックされる。巷では、復員兵が日毎に増加し、浮浪者の中には両親を失ったり、はぐれたりした子どもがたくさん目立ちだしている。

 鶴見駅前の闇市界隈には、次々にバラックが建ち、本格的な木造建築もあらわれた。奇跡的に協和化学工場は、戦災に遭わず物資がたくさん倉庫に在るということは、飢えた者たちの目にはよく分かるらしい。ともあれ、煙突から煙が毎日出ている。戦争中から休むこともなく操業している会社など、京浜地区では珍しい存在であろう。

 トラックが、毎月のように米俵を満載して工場に向かって走る様子は、焼け跡を放浪する者から見ても、闇市界隈にうごめく人々から見ても、羨望の的に映っていたかもしれない。  続きを読む
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2005年12月22日

第3章 戦火は消えても 第5節 尻の痣

 協和化学工場は「サルファ剤」の製造と「ビタミンB剤」の生産が順調に運んでいた。
 春のお彼岸が来た。土曜日の午後、少年工四人(中村君は正月から行方不明)の仕事は工場裏の物置小屋内の整理整頓であった。この工場も、戦争中は中学生や青年団が動員されていたらしい。製薬業務の間でも軍事教練をしていたのであろう。木銃、木剣、竹刀が乱雑に入れてある。一郎は、九段の法政中学を思い出した。この木銃や竹刀で、どれほど苦労したことであろう。道場でしごかれたことと、千葉県の習志野や富士、滝が原での汗にまみれて行軍したことや蝿と睨めっこした事まで思い出した。それぞれ十本づつ荒縄で結わいて小屋の隅に立て掛けた。
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2005年12月15日

第3章 戦火はきえても 第4節 耐え難きを耐え

 昭和21年 元旦のGHQ

 一郎たち少年工に、絶えず気を配ってくれたのが、中国大陸から帰還した陸軍航空大尉の久米さんである。彼は、昼休みなど休憩時間や夜食あとの自由時間に世相の説明をしてくれる。
 「今にみろ、そのうち米国とロシヤが戦争するぞ……」と。そのほか国内の将校や軍属の一部が、本土決戦のために温存してあった物資などを横領していることを嘆きながら語っていた。
 一郎は、戦後数ヶ月で久米さんは何処で何を根拠に、これらの情報や意見に自信をもって話ができるのか、ただただ驚嘆し畏敬した。久米さんの意見を寮の復員兵も真剣に聴いていた。 
 中国大陸での体験談が物凄い。捕虜にしたゲリラ兵を空手の練習台にして惨殺したもようや、飛行場隅で自栽培した南京豆は美味だったとか、豚料理の方法などと話題は広くて尽きない。
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2005年12月08日

第3章 戦火はきえても 第3節 一粒の米

  闇 市

 一郎は、製薬会社の一ヶ月の給与十五円を初めていただいた。鶴見駅前闇市のバラック店先で、炊きたての白米飯を丼一杯五円で、界隈を徘徊する人たちに売りつけている露天があった。その飯は、陽射しを受ける米粒は銀色に輝やく。
 それを、『銀シャリ』とゆう愛称で庶民は渇望した。入社以来、栄養失調になるようなこともなく、会社の食事でありがたく暮らしていた。しかし、主食はつねに混ぜご飯である。
 芋、大麦、小麦、高粱などが半分を占めている。一郎も奮発して、ある日、その銀シャリを、おない年の仲間と連れ添って食べに行った。戦後、はじめての外食である。

 期待は裏切らなかった。じつに美味い。立ち食いしているのは、進駐軍労務者がほとんどであった。醤油か食塩を少しふりかけるだけだが、ひとくち食んだ瞬間は、頬の内側が緊縮して本能的に掌が咀嚼筋のところにゆく。
 闇市には、多種多様の生活用品が売られている。そして、その界隈には、日本人ヤクザが戦後の露天商組合組織を早くも統率し縄張りを拡張していた。  続きを読む
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2005年12月02日

第3章 戦火はきえても 第2節 鶴 見 川

 芦穂橋

 国電、(旧東海道線、省線、東北線)鶴見駅の東口に下車して、湾岸に向かい、1kmほど歩いたところに、鶴見川が静かに流れている。その川は、鶴見地区にも幾つかの橋を架けさせている。その一つは芦穂橋という。この橋の袂一画、西側敷地に爆撃をうけずに鉄筋ブリキ屋根の大きな建物が、いくつか灰色の姿で建っていた。そこが協和化学株式会社である。
 川から港湾寄りの地区も焼け野原である。白く見えるビルでも内部は焼失している。焦土パノラマの中に、壊滅工場の煙突だけが入道雲を背景に倒れず残り立っているのがめだつ。
 工場正門を入ってすぐ右側の三階建てが、事務所と研究室になっている。その棟つづきが平屋の大食堂。その横が約5m四方の水槽。その隣は、約3m四方の液体苛性ソーダの貯槽で、そのならびから、メチルとエチルアルコールの入ったドラム缶倉庫とつづく。
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2005年11月14日

第3章 戦火はきえても 第1節 虚脱から

 夜は明けた。
 小鳥たちのさえずりが、かすかに聴こえてくる。酒折駅から一番列車発車の汽笛が朝を知らせる合図のようだ。そのほか、この小さな部落の一画からは人々の暮らしの音はまだ起きていない。
 一郎は、煎餅布団に大の字で寝かされていた。目覚めたとき視覚と意識に「朝だよ……」とささやいたものは、陽射しの反射が淡くさしこんでいる土間であった。
 彼は、つぎに台所の煤けた天井や壁に架けてある笊、蓑、藁帽子などを、ゆっくりと小鳥の唄を聴きながら眺める余裕をあじわった。
 体のどこも動かさないで、視線だけをはたらかせている。お爺と、シイちゃんが静かに起き上がるまで昨日の出来事を追う。こんな朝は何年振りであろう。
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