フットボール・クレイジー
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2022年12月25日 01:13      [posted by der_ball_ist_rund]

【FWC2022】総括(3) 平準化する戦術と個の価値

ふだんはJリーグとドイツのブンデスリーガしか見てないので、日本もドイツもいなくなった時点で興味はあらかた失われたのだが、それでも準決勝や決勝はおもしろかった。モロッコの躍進、クロアチアの落ち着き、そしてメッシのアルゼンチンとエムバペのフランスの決勝。

だが、ここに至るまでにドイツはもとより、スペインもイングランドもベルギーもポルトガルもブラジルも姿を消していた。イタリアは出場すらしていなかった。一方でアジアからは日本、韓国、オーストラリアがグループを突破し、アフリカからはモロッコのほかにセネガルも勝ち上がった。

もちろんこの結果だけを見て世界のフットボールのヒエラルキーが揺らぎ始めたと即断することはできない。ヨーロッパの強豪国にブラジル、アルゼンチンを加えたいくつかの国とそれ以外の地域の国々との間には依然としてはっきりした力の差がある。その覇権はまだしばらくは続くだろう。

しかし、ポゼッションであったりゲーゲンプレッシングであったりポジショナル・プレーであったり、新しい戦術があっというまに名前をつけられて世界中にひろまり、それが理論的に解析されて標準化される今日では、圧倒的に有利ななにかを持ち続けることは難しくなったのもまた事実だ。

感染症や戦争があったとはいえ、世界中で人の往来が盛んになる現代では、あらゆる国の有望な人材にトップ・リーグへのアクセスがある。そうしたなかでフットボールの世界における国単位の優劣は容易に平準化して行くだろう。モロッコが準決勝に進出したのはそのことを強く印象づけた。

しかし一方で、どのような優れた戦術があっても、結局のところ最後にボールをゴールに押しこむには傑出した個の存在が必要なのではないかと思わされた大会でもあった。メッシ、エムバペ、レヴァンドフスキ、ロナウドら、戦術とは結局彼らにどうやって気持ちよく仕事をさせるかという「お膳立て」のバリエーションに過ぎないのではないかと思わずにいられないシーンも少なくなかった。

フットボールの戦術自体は緻密になり進化しつつも平準化、標準化する一方で、最終的に試合を決める卓越した個の力が必要とされるなら、世界のフットボールは、理論的でコレクティヴなベクトルと、あくまで個的で偶発的なモメントとの間で揺れ動くことになる。それ自体はおそらくあらゆるチーム・スポーツが直面するアポリアであり、同時におもしろさでもあるわけだが、今回のワールドカップはそのふたつのファクターの微妙な位置関係をあらためて示唆した気がした。

競技以外のところで印象に残ったのは、驚くべきテクノロジーの進歩だ。VARやゴールライン・テクノロジーはすでに各国のリーグ戦でも導入されているが、半自動オフサイド判定システムはこれまでとかく議論になりがちだったオフサイドの判断にかなりはっきりした答えを出した。しかし、その一方で、腕が出ていたか肩だったかの違い程度でオフサイドかどうかが決まるような類の厳密さはそもそもフットボールに必要なものなのかという疑問も残った。

ワールドカップであればこのレベルのテクノロジーも使えるが、そのためには膨大な投資とそれを運用する人の確保が必要になる。各国のリーグでも2部以下だったりカップ戦ではVARの利用すらままならないのが実態で、そうした人力でマネジメントする試合とすべてが神の視点で裁かれる試合の格差が大きくなりすぎるのはフットボール全体にとって必ずしも幸福なことではないのではないか。

スペイン戦で三笘が折り返したボールがアウト・オブ・バウンズだったどうかなど、人力ではどうやっても見極めようのないことまでも、テクノロジーの力を借りて白黒つけなければならないのか、それをどこまで追求するのか、テクノロジーの導入によるベネフィットは大きいことはもちろん前提としたうえで、それを無批判に推し進めてよいかは考える必要があると思った。

もうひとつ、今回はカタールからも遠くない黒海の沿岸で大規模な戦争が戦われている中でのワールドカップとなった。また、開催国であるカタールの人権状況に大きな問題があることが大会前から指摘され、それに抗議する動きも一部であった。

大会自体は大きな混乱もなく実施されたが、フットボールが常に社会的、政治的な「状況」とともにあること、そして「スポーツに政治を持ちこむな」的な物言いがそれほど自明ではなく、楽観的に貫徹できるものでもないことをあらためて感じた。

フットボールはこれまでも人種偏見に厳しく対応してきた歴史がある。人権の問題は当然その地続きにあるもので、出稼ぎ労働者を酷使して建設されたスタジアムでのワールドカップは受け入れられないという議論にも肯くべき点はあるし、JFAの田嶋会長が「今サッカー以外のことでいろいろ話題にすることは好ましくない」とコメントしたのはいかにも「世界の複雑さ」への視線を欠いて浅薄な感を免れなかった。

COVID-19のパンデミック以降初めて開催されたワールドカップでもあったが、スタジアムではマスクをしている人もなく、歓声もふつうに聞こえ、世界がすでにこの疾患を過度に気にしないモードに入っていることを印象づけた。良し悪しは別として、日本もおそらくそういう方向に行くんだろうなと思ったし、それはそれでいいというか、そうでないともう世の中は回って行かないのかもしれない。

いずれにしても、このワールドカップが世界に対して、戦争があってもCOVID-19があってもフットボールは変わらずここにあると示したのは間違いないし、それは正しいステートメントであったと思う。僕たちはフットボールのある非日常から、フットボールのある日常に戻って行く。寝不足の日々はとりあえず終わった。



Comments(0)2022ワールドカップ 


2022年12月19日 15:05      [posted by der_ball_ist_rund]

【FWC2022】総括(2) ドイツ代表 自画像の修正

ドイツは1871年にプロイセン王ヴィルヘルム1世と鉄血宰相ビスマルクによって統一されるまで諸侯が分立していた後進国であり、統一後も第一次世界大戦、第二次世界大戦に負け続けた戦敗国でもあった。このため早くから海外進出を果たしたイギリスやフランス、スペインと異なり、アジア、アフリカ、アメリカに植民地などの国外領土をほとんど持たなかった。

旧植民地だったアフリカ諸国出身の選手が多いフランス代表などと比べると、ドイツ代表は先祖代々中央ヨーロッパに住んでいるようなゲルマン系の選手が多く、例えば2002年のワールドカップ決勝でブラジルと戦った時のドイツ代表には、ガーナ出身で幼少のころにドイツに移住したゲラルド・アサモア以外に黒人選手はいなかった。

前回、日本代表について書いた中で、ドイツには自国のフットボール像についての明確な共通理解があると書いた。そのキーワードは屈強な身体と不屈の精神、合理性と効率性、規律と献身といったある意味ドイツの国民性みたいなもので、それらをベースにしながらドイツは強豪としてワールドカップの優勝を初めとするフットボールの輝かしい歴史を積み上げ、それをひとりひとりの国民の記憶に刻みこんできた。

しかし、欧州連合域内の移動の自由が保障され、人の往来が活発になると、ドイツもまた多様な出自の人々を抱えるようになった。ドイツ国内の民族問題といえば、戦後の経済成長期に労働力不足を補うため大量に受け入れたトルコ移民が中心だったが、経済的に豊かで治安も安定したドイツには、いまや世界のあらゆる地域に出自をもつ多くの人が集まるようになった。

今回、日本と戦った先発メンバー11人のうち、リュディガーはシエラレオネ、ニャブリはコートジボワール、ムシアラはナイジェリアに起源をもつ。ギュンドアンはトルコ系ドイツ人だ。ベンチにいたサネはセネガル、ムココはカメルーンに縁がある。生まれはドイツでも両親またはそのいずれかがドイツ国外の出身であるということはドイツでもあたり前になったのだ。

ムシアラのプレーを見れば「屈強な身体と不屈の精神」というのとはちょっと違うスタイルを感じただろう。時代的なものももちろんあるが、ドイツもまたそうした多様性を受け入れ、それを強みとしていろいろなものを変化させなければならない時代を迎えており、それは彼らのフットボールにも大きな影響を与えているし、ドイツ人自身もまだそれをしっかり消化できていない。

2006年から15年に亘って代表を率いたヨアヒム・レヴ監督が去り、ハンジ・フリック体制になったということは単なる監督の交替を意味しない。そこにはドイツ社会がこの多様性にどう対応するかというすぐれて現代的で政治的なテーマがある。フットボールはその写し絵に過ぎない。そこには日本の「自分たちのサッカーをして勝ちたい」といったままごととは違ったレベルの難しさがある。

今回はフリック監督にとって初めてのワールドカップだった。僕には、彼らもまた、自分たちのセルフ・アイデンティティのなにを貫きとおし、なにを変えて行かなければならないのか、それを見定めている途上にあるように思えた。日本戦でも「ちょっと思ってたより強いやん」という見こみ違いにその場で対応するだけのチームとしての意思統一が希薄で、ベースが構築されていないように感じた。

その後のスペイン戦、コスタリカ戦では帳尻を合わせたものの、日本に負けたことが最後まで影響して2大会連続のグループ敗退という不名誉な結果となった。フリック監督はこの結果にもかかわらず引き続き代表を率いることになりそうだが、それはこれが単なる試合指揮の問題ではなく、ドイツ代表の、あるいはドイツのフットボールの自画像の修正という大事業なのだということがわかっているからだろう。

多様性は疑いなく力の源泉である。同質性の高い集団が、逆境に直面した時に総倒れになるリスクを常にはらんでいるのに対し、集団の内部に多様性があれば対応できる問題の範囲も当然広くなる。しかし多様性を抱えた集団をマネージするのはそのぶん難しく、そこには高度なコミュニケーションのスキルとか理解できないものの存在を許容する寛容さとかが必要で、均質な集団を率いるよりもずっと効率が悪い。

それでもドイツ代表はそれをやるだろう。多様性を力に変え、それをエンジンに強い組織を作って行くだろう。なぜならそうやって問題をひとつひとつ解決しながら合目的的にステップを重ねて行くことこそがドイツ・フットボールの原像だからである。ドイツに格別の思い入れをもつ者として、強いドイツ代表の復活を期待している。


Comments(0)ドイツ代表 | 2022ワールドカップ


2022年12月17日 23:37      [posted by der_ball_ist_rund]

【FWC2022】総括(1) 日本代表「自分たちのサッカー」というナイーヴさ

まだ3位決定戦(クロアチア×モロッコ)と決勝(フランス×アルゼンチン)が残っているが、全体的な印象はもう変わらないと思うので今回のワールドカップをザッと総括しておきたい。今回は日本代表について。

4-2-3-1をベースにパスをつないで押し上げるのが基本スタイルで、前プレ、高い強度、トランジションという現代フットボールの基本概念を重視したモダンな戦い方だと思っていたが、大会ではドイツ、スペインと同じ組に入ってしまい、初戦がドイツ戦ということで難しいマネージを強いられた。

予選ではそうしたスタイルをベースにした主体的な戦い方で出場を勝ちとるが、実際にワールドカップが始まると、相手は強い国ばかりなのでそうも言ってられず、堅守速攻や後ろに重い布陣からのワンチャン狙いになったりするのはいつものこと。今回も大会が始まると3バックを含めたドイツ・シフト、スペイン・シフトで、選手交代が当たったこともあってドイツとスペインを破りグループ突破を果たした。

グループ・リーグの戦いについては別稿でも書いたのでそちらを見てほしいが、日本がグループを首位で突破できたのは、結局のところ、非ヨーロッパのフットボール事情に無頓着すぎたドイツ、スペインの自滅のおかげだった。

互いにガチでぶつかったコスタリカや、グループリーグの結果を知ったうえで対策する余地のあったクロアチアに勝つことができなかったのは、ドイツ、スペインに対する勝利が決して必然ではなく、偶然とまではいわないものの、いろいろな要素が作用したある種の「めぐり合わせ」だったことを示しているのではないか。

油断しているドイツ、スペインにはワンチャン勝てるが、ガチのコスタリカ、クロアチアには勝てない、この微妙な強さと弱さが日本代表の現在地なのだ。

それはよくいわれる「自分たちのサッカー」というナイーヴな言葉に端的に表れている。この言葉は日本にまだすべての国民が共有している「自分たちのサッカー」という概念がないことを逆に表している。

ドイツやスペインにはそれはある。おそらくコスタリカにもクロアチアにもあるだろう。そこには長い年月をかけて、勝ったり負けたり、喜んだり悔しさにテレビを窓から放りだしたりしながら形づくられてきた自国の「サッカーの原像」とか「共通の記憶」みたいなもの(吉本隆明なら「共同幻想」とでもいったかもしれない)があって、だからこそ「自分たちのサッカー」みたいなナイーヴなことをわざわざ言いだす人はだれもいない。

これに対して日本には「我々は監督がだれになっても、どんな選手がいても、細かい調整や変更はあっても、基本的にこういうチームでありこういう考え方でこういう戦い方をする」というナショナル・チームの大前提というか「基本合意」みたいなものが社会的に存在していない。

それは我が国においてサッカーを(野球や相撲みたいな)国民的スポーツとして、そのありようについて国民的な議論が起こったり結果に一喜一憂したりするようになったのがまだ最近のことで、十分な「共通の記憶」や実績という「歴史」が十分に積み上げられていないからなのかもしれない。「基本合意」的なものは、「これで行こう」といって合目的的に作り上げるものではなく、まさに歴史のなかで結果として形づくられて行くものだからだ。

いずれにしても、そうした「基本合意」とか「大方針」みたいなものが国民の間に共有されていない、形成されていないので、「自分たちのサッカーをして勝ちたい」みたいなマンガのセリフかと思うような物言いがメディアでもふつうに出てくるのだ。

「監督がだれになっても、どんな選手がいても、細かい調整や変更はあっても、基本的にこういうチームでありこういう考え方でこういう戦い方をする」という基本合意が十分に形づくられていれば、ボールを持とうが堅守速攻に全振りしようがそんなことは試合単位の些細な戦術調整でしかなくなるはずだ。「自分たちのサッカー」なんていう「本当の自分」ばりの自意識過剰な恥ずかしいポエムも自然と消えてなくなるはずなのだ。

我々の今回の戦いは「日本のサッカーというのは昔からこういうものなんや」とみんなが納得できるような「日本サッカーの原像」を形づくる長い道のりの、しかし大きなできごとだった。我々はドイツとスペインに勝ち、グループリーグを首位で突破して、準決勝に進出したクロアチアと引き分けた。その一方でコスタリカには無得点で負けた。そこになにがあったかはだれもが目撃したはずだ。その積み重ねこそが我が国のフットボールの「形」を少しずつ作って行くのだ。



Comments(0)2022ワールドカップ | 日本代表


2022年12月05日 21:36      [posted by der_ball_ist_rund]

【FWC2022】グループE総括

ドイツに住んでいたときにサッカーを見始めた僕としては、日本とドイツが同じグループになってうれしくもむずかしいワールドカップになった。多くの人と同じようにまあドイツが勝つんだろう、ドイツとスペインがグループリーグを突破するんだろうと思っていたのでこの結果には正直混乱している。

結局のところ、ドイツもスペインも日本を舐めていたのだと思う。もちろん彼ら自身もきちんとしたスカウティングはしていただろうし、分析もしていただろう。遠藤、鎌田、板倉といったブンデスリーガ活躍する選手もいるし、スペインでプレーしている久保もいる。ドイツもスペインも日本代表の情報はあったはずだ。

だが、かれらはその情報を実感としてきちんと戦術に落としこむことができていなかった。というか落としこむ必要を感じていなかった。要は「手なりでやって十分勝てる相手」だと思われていたのだ。想像力と危機感が欠けていたというほかない。

もちろんドイツやスペインと日本の間には本来は歴然たる力の差がある。しかしそれは百回戦っても歯が立たないというほど致命的なものではもはやない。そのことを彼らは知ろうとしなかったし、あるいは知っていたつもりでも実感として理解できていなかった。彼らは敵としての日本代表の現在地を見定める真摯な努力をしていなかった。怠慢であり、舐めていたといわれてもしかたがない。

日本が個人技や一発モノも含めよく戦ったのは間違いないし、森保監督の柔軟で思いきった采配も当たった。しかしそれが奏功して試合に勝ちきることができたのは、彼らが「もしかして日本に負ける可能性もある」ということを真剣に考えていなかったからに他ならないと僕は思っている。

その背景のひとつにUEFAネーションズリーグがあると思う。インターナショナル・マッチデイにヨーロッパの国どうして代表のリーグ戦を組むことで、ヨーロッパの国々はそれ以外の地域の国と他流試合をする機会がほぼない。こうした内向きの姿勢が、ヨーロッパ以外の国への関心や実感を失わせることにつながった可能性は十分あると思っている。

逆に、ドイツとスペインに勝った日本がコスタリカに負けたのは、日本の側に慢心があったからだと思う。ドイツに勝ったことで「ドイツに勝てたのだからコスタリカはチョロい」というイヤな空気が日本中に蔓延してしまった。それは「日本とコスタリカに勝ってドイツとスペインで勝ち抜け」と思っていたドイツ人やスペイン人と同じことだ。

こうしたムードは意識のうえで否定しても無意識の奥深くにじんわりとしみこみ、ひとつひとつの判断を少しずつ狂わせる。そしてその狂いの積み重ねはときとして大きな過ちを招く。あの試合、ドイツ戦のときに見せたような必死の形相はなく、コスタリカのボールを持っても攻め急がないスタイルにつきあって工夫もないままなんとなく前半を終えてしまった。

決死の覚悟、全力以上のものを出さないとやられるという危機感は窺えず、「ドイツに勝ったからといってコスタリカに勝てる保証はなにもない」というあたりまえのことがあいまいになってしまった。先制されて目が覚めても遅かった。結局1点も取れなかったのだから完敗だ。でもまあこの試合に勝っていたらスペイン戦の勝利はなかったと思うが。

そういう意味では次のラウンド16のクロアチア戦は微妙な試合になる。クロアチアはヨーロッパ各国の主要クラブで主力として活躍する選手を多数擁する強豪である。

クロアチアはすでにグループリーグでドイツとスペインに勝った日本を見ている。どの選手がどんなプレーをしているか、得点がどうやって生まれたか、間違いなく分析しているだろう。そしてなにより、その情報をしっかりピッチ上のプレーに落としこまなければ何が起こるかわからないということを二度も目の当たりにしている。

ドイツは初戦であり日本に負けてもまだ先があった。スペインは得失点差からしてほぼ勝ち抜けが決まっておりむしろ2位での勝ち抜けの方が有利だという見方もあったほどだった。なんならドイツ×コスタリカの経過から「このまま負けても(カッコ悪いのを別にすれば)勝ち抜けは大丈夫」という認識はあっただろう。

しかしクロアチア戦は一発勝負の決勝トーナメントである。なんであれ「勝つしかない」ことは互いにはっきりしている。クロアチアが日本を舐めてかかってくれる要素は乏しい。むしろ日本の方にクロアチアをドイツやスペインより格下と見る空気が生まれそうな気がして怖い。すでに「勝てば次はブラジルか?!」みたいなムダな皮算用をしている人も少なからずいるだろう。

日本にとって決勝トーナメントはまだ勝ったことのない領域である。ここに出てくる国はどこであれ簡単に勝てる相手ではない。ドイツとスペインに勝ったとしてもそれでなにかが保証されるわけではないのだが、それをわかったうえで勝ち上がった経験が我々にはないのだ。前回もベルギーとガチでやりあいながら最後の最後にやられた。そこはまだなんというか国民的な記憶のない領域。そこに我々は今回切りこもうとしている。

チャンスは当然ある。それをつかめるかどうかは結局我々自身の覚悟にかかっている気がする。



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