2025年01月10日 00:43
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【FC東京】2024年シーズンレビュー
2024年シーズンは難しいシーズンだった。2022年に着任したアルベル監督が2023年シーズンを半分終えたところで解任、そのあとを受けたクラモフスキー監督の2年めになったわけだが、クラブとしてなにを目指し、どこをねらうかあまりはっきりしないまま開幕を迎えた感があった。
補強としては鹿島からレンタルで荒木を、新潟から高を、札幌から小柏を、ドイツからは元横浜FMの遠藤を獲得、積極的な強化を行った。前年のメンバーの主力も残留して十分戦えるメンバーがそろっており、少なくともタイトル争いに参加できる程度のベースは整えた。前年半年の助走を経てクラモフスキー監督の真価が問われた。
シーズン前半を8勝5敗6分、勝ち点30(1試合あたり1.58)の6位で終えたが、シーズン後半は負けが先行、9月から10月にかけて5試合負けなし(4勝1分)で勝ち点を稼いだ時期もあったものの、7勝9敗3分で勝ち点24(1試合あたり1.26)と振るわず、シーズン通して15勝14敗9分で勝ち点54(1試合あたり1.42)で7位に終わった。
松木、荒木、野澤大、バングーナガンデらがパリ・オリンピックを含むU23代表招集などで稼働できなかった期間があったほか、松木は7月に海外移籍、織り込み済みとはいえむずかしい舵とりを迫られたことは否めない。また期待された小柏が離脱をくり返して5月から7月はまったく出場できなかったことも響いた。
以前から強度一辺倒でゲームプランがうまく行かなかったときのプランBがないと揶揄されていたクラモフスキー監督だったが、自陣からしっかり組み立てる、当てて落として飛ばす、トランジション重視、ゲーゲンプレスからのショートカウンター、ポジショニング、少ないタッチでボールを動かすなど、現代フットボールの基礎教養というか基礎体力みたいなものを落としこもうという意志ははっきりしていたし、その面での前進は確かにあったと思う。
いいときにはしっかりパスがつながりながらスピード感のある押し上げができてフィニッシュまで行けるが、一方で敵のしつこいプレスにハメられたり、一発で裏を取られたりすることも多く、戦いぶりが安定しないまま3歩進んで2歩下がるをくり返したシーズンだったという印象。落としこみに時間がかかり、チーム戦術が成熟するところまで行けなかったということだと思う。
こうした基礎教養を重視する点においてはアルベル監督もクラモフスキー監督も大差ないと思っていて、その意味ではここ3年の取組にニュアンスの変化はあっても大きな断絶はない。今のチーム構成がこうした現代フットボールに合っていないとも思わないし、方向性が間違っているわけではもとよりない。ただ、それを実戦に落としこむ方法論が十分でなかったのではないか。
戦績からいえば11月に3連敗したのが痛く、このうちどれか1試合でも勝てていればクラモフスキー監督続投もあったのではないかと思っている。戦略担当として鳥栖の前監督である川井健太あたりを招聘しヘッドコーチに据えれば、クラモフスキー体制3年目でタイトルをねらう目はあったと思うが、シーズンが尻すぼみで終わったことで9・10月の好調があだ花に終わってしまったのは残念だ。
たらればになるが、11月の3試合のうちひとつでも勝てていればシーズン最後の9試合を6勝2敗1分、最終の勝ち点57(1試合あたり1.50)となり、ヴェルディを上まわって6位でフィニッシュできていたはずだった。シーズン後半の戦績も8勝8敗3分と勝敗を五分にできていたのだ。優勝争い(町田)、残留争い(湘南、磐田)をしているクラブとの対戦となり、それを上まわる危機感がもてなかった。
やるべきことはリセットではなく継続であり上積み。国立競技場でのホームゲーム開催もあって興行的には好成績を挙げたが、肝心のフットボールでは中途半端な結果しか残せなかった。東京という恵まれた後背商圏をもちながら、その商業的なアドバンテージを本業であるフットボールに還元できず、ともに東京都を本拠地にする町田やヴェルディ東京の後塵を拝することになったのは失策だったというほかない。
また本来のホームグラウンドである味の素スタジアムでわずか3勝しかできなかったこともサポーターのフラストレーションとなった。このことがクラモフスキー監督のもとで取り組んでいるフットボールの声価を必要以上に毀損したことは否めない。ときとして説明のつかないジンクスのようなものに囚われるのは勝負の世界ではよくあることだが、それを過剰に意識してしまうとネガティブなイメトレとして呪いになる。
そうしたことも含め、2024年シーズンはいろいろな意味で歯車がかみ合わず、ちぐはぐで不安定、中途半端で実態以上にイメージの悪いシーズンになってしまった。俵積田や野澤大、安斎、土肥、岡ら若手の台頭、仲川や遠藤が見せてくれた戦う姿勢など、来季への手がかりもあったが、取組を成果に結びつけることのできなかったシーズンだった。
さいわい主力が残留、来季に向け規模は大きくないものの補強も的確にできている。2024年の試行錯誤の意味や価値は2025年の戦いで示すしかない。アルベル監督、クラモフスキー監督とともに少しずつ積み上げてきたベースのうえに、どんなピースを上積みするのか、2024年シーズンをムダにしないために、松橋監督の下でしっかりした準備をしたい。
│Comments(0)
│FC東京 | Jリーグ
2023年09月21日 22:21
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】ジャッジリプレイの見かた
2023年9月19日にDAZNで配信された「ジャッジリプレイ#26」についていくつか意見を見た。この番組は審判の判定についてきちんと検証を行う我が国では珍しい番組でもあり、ずっと熱心に見ているものでもあるので、この機会に審判について思うところをまとめてみた。
審判の泣きどころ
もうかなり以前になるが、国際主審だった上川徹の講演を聞いたことがある。まだVARが導入される前で、その是非が議論されていた頃だったが、いろいろ印象に残る発言があってとてもためになった。たとえば以下のようなものだ。
- カウンターを後ろから追いかけているときにシュートを打たれ、それがバーに当たって下にハネた時のゴールの判断はいちばんの泣きどころ(2010年南アフリカワールドカップ決勝トーナメント1回戦・イングランド×ドイツでの事象を念頭に)。
- 人の目ではどうしても見きれない部分は出てくる。
- 選手の怒り方やスタジアムの雰囲気で「これはたぶんファウルがあったな」という察しはつくが、自分の目で見えなかったものを雰囲気でファウルと判断するわけに行かない。
- 見えなかったものを憶測で判断するのは審判として最もやってはいけないこと。
VARがないなかでは、テレビで試合を見ている人も、スタジアムの観客も、なんならベンチもリプレイでなんども問題のシーンを見返すことができるのに、最も重い責任を負った審判だけが自分の目に見えたことの一瞬の残像だけですべてを判断しなければならないというある種の逆転現象が起こる。この講演で上川は「人間の目で見きれない部分を補うという意味での技術の導入はあってよいと思う」との意見だった。僕はそれまで「誤審も含めてフットボールの醍醐味」派だったが、このときを境に少しずつ考えが変わっていったと思う。
リスペクトとは
「ジャッジリプレイ#26」で取り上げられた三つのプレーのうち、特に気になったのが鹿島×C大阪の25分に鹿島のピトゥカが退場となったシーンだ。このシーンでは鹿島の岩政監督も審判への抗議で警告(イエローカード)を受け、さらに笠井通訳が審判への侮辱で退場を命じられた。また鹿島のスタンドから「シンパン、シンパン、ヘタックソ」というチャントが声をそろえて繰り返された。
ピトゥカのプレーは当初カードのないファウルとされたがVARが介入、OFRの結果レッドカードに判定が変更となったものだが、リプレイを見る限りC大阪の喜田の足首の上あたりを横から踏みつけており、意図的ではないにせよ大ケガになり得る危険なプレーで退場の判断は妥当だと思った。またTwitter(現X)などで意見表明している鹿島サポの大半もこの判定自体は受け入れているように見受けられる。
問題は審判に抗議した監督、通訳への懲戒処分と、スタンドのチャントも含めて「リスペクト」を求めたジャッジリプレイの桑原アナに対して、「鹿島側がヒートアップしたのはその前のC大阪のラフ・プレーへの対応と一貫性がないから」「リスペクトを求めるならリスペクトに値するジャッジをすべき」「ピトゥカの退場はしかたないが鹿島のみが悪者であるかのような説明は悪質な『切り取り』だ」等の意見が散見された。
確かにたとえば9分、C大阪の喜田と香川が鹿島の松村をはさみこむようにして足首あたりを踏みつけたプレーがファウルにはなったがノー・カード、10分にはC大阪のセアラが鹿島の安西とボールのないところで交錯し安斎が傷んだ事象がノー・ファウル、16分には再びセアラが関川と空中戦で競り合った際に関川にヒジが入ったように見えたがノー・カードのファウルとなり、特に16分のシーンの後では岩政監督がおそらくは2回めのラフ・プレーであるとして強く警告を求めているのが画面からもわかった。
こうした流れを踏まえれば、桑原アナが「実はこの前にC大阪の方にもファウルがあり岩政監督が抗議をしていた経緯があって」とひとこと説明を入れても理解を助けるためによかったとは思うものの、だからといってリスペクトに欠けるチャントや審判への侮辱が許されるわけではないのは自明。経緯があったとしても事象そのものはまったく別のプレーであり、リスペクト欠く行為はそれ自体として許されないものなのだから、この日の番組の構成を見ても「切り取り」批判はあたらないだろう。
「リスペクト」に関していえば、ここで桑原アナが求めているのは、ひとつの試合に関わりともにそれを運営する当事者どうし、職業人どうしとしての尊重のことであり、それは仕事ぶりの巧拙やパフォーマンス以前の、その前提としてあるべきものである。「リスペクトに値するジャッジ」というものがあるのではなく、いいプレーをし、いいジャッジをするためにまず相互のリスペクトから始めましょうということである。
無謬でなければリスペクトを受けられないというのであれば、へたくそな選手、采配を間違った監督はリスペクトしなくてよいのかという話になるがもちろんそんなことはない。審判はむずかしい役割であり、どうしても見きれない部分もあるしミスもある、マズい運営をしてしまうこともある、それでも審判がいなければ試合はできないのだから、まず互いの立場、互いの職分や職責を尊重しリスペクトすることがすべてのスタートで、それは選手、監督、その他試合運営に関わる人たちすべてについて同じことである。そして仕事の出来の巧拙、パフォーマンスのよしあしに対する評価や批判は、あくまでリスペクトが先にあったうえで成り立つもの、なされるべきものだ。
ジャッジリプレイの見かた
「ジャッジリプレイ#26」では鹿島×C大阪のほかにも、浦和×京都の試合で京都の福田が浦和のリンセンをエリア内でホールドしたプレー(75分)が取り上げられた。試合ではノー・ファウルとしてプレー・オンとなり、VARの介入もなかったが、番組では出演者がいずれもファウルとしてPKを与えるべきであったという意見で一致した。
これに対して、浦和サポを中心に「番組で誤審だったと言ってもらっても結果が修正されるわけではない」「明らかな誤審を取り上げる意味がない」といった意見がネット上で見られた。また、「誤審であることは明らかだが、番組ではどうしてこのような誤審が起こったのか、またなぜVARが介入しなかったのかを議論すべきだ」という意見もあった。
ドイツに住んでいた頃(1990年代後半から2000年代にかけて)、試合が終わって夜のダイジェスト番組などの時間になると、DFBの審判部長的な人が出てきて話題になった判定について説明することが結構ふつうにあったと記憶しており、審判自身のコメントも事後的に出されることがあったと思う。もちろんドイツでも誤審はあるが、審判の判断についてオープンに議論することは当然と考えられていたと思う。
2002年に帰国し、日本でもフットボールを見始めたが、判定に文句を言う人はたくさんいても、それがカジュアルかつオープンに議論される場というのはほぼなく、判定に関する事象はある種のタブーであるかのようにいくつかの例外的なケースを除いて取り上げられることがなかった。
そんななかで、「ジャッジリプレイ」は知る限り判定に関するオープンな議論の場としてようやく現れた番組である。
「ジャッジリプレイ」はあくまでDAZNのプライベートな番組であり、JFAやJリーグに属する立場の人が出演し判定についてコメントするわけではないが(以前は原博実Jリーグ副理事長(当時)が出演していた)、Jリーグの試合の放映権を持つDAZNが試合映像を使い、またプロフェッショナルレフェリーであった家本政明が解説の役割を担っていることもあって、直前の週に行われた試合で話題になった判定の「答え合わせ」をするような「半オフィシャル」の番組と受け取られているのではないかと思う。
もちろん、僕自身も週末に試合を見てモヤる判定があれば、ジャッジリプレイで白黒つけてくれ的な気持でツイート(ポスト)することもあるし、「正解を知りたい」「間違いを正してほしい」という気持ち自体はよくわかる。
しかし「ジャッジリプレイ」の存在価値は、ルールをきちんと理解したうえでフットボールを見ること、きちんとしたルール理解のうえで見れば判定のなにがどう議論になるのかを知ることにあり、決して「正解」を出したり、なにかを裁いたりするための番組ではない。
ルールを理解してゲームを見るのは、きちんとした地図を持って旅をするのと同じで、今何が起こっているのか、何が問題なのかを、より鮮明に、よりリアルに感じとるために必要なことである。試合が終わった後にそれを議論し、ああでもないこうでもないと考えをめぐらせること自体に意味や学びが、それゆえ喜びがあるのであって、正解を性急に知ろうとすること、それによってただ溜飲を下げようとすることは、そうしたフットボールを見る楽しみを一面的で深まりのない、貧しいものにしてしまう。
その意味では「ジャッジリプレイ」の構成や出演者の議論自体にももちろん改善の余地はあると思うが、少なくともなにをポイントにどの事象を取り上げるかなど工夫の跡は十分窺えるし、単なる判定の「正誤の答え合わせ」に終わらない、議論されるべきテーマへの問題意識がある。人が裁く以上判定の誤りは残念ながらなくならないし、VARの運用も含めて判定を取り巻く環境にも議論し高度化を図るべき論点は無数にある。誤審があったとして、なぜそれが起こったのか、なにかを変えることで同じ誤審を起こさないようにすることができるのか、それを議論し知恵を出し合うことには意味がある。
審判なしに試合はできない
レベルは違うが、僕自身も四級審判のライセンスを持っていたことがある。更新してないので今はもう失効しているが、子供が小学生のころクラブに所属しており、親として試合の審判ができるようにしておく必要があって取りに行ったのだ。実際に笛を吹いたのは小学校のグラウンドでやった練習試合ひとつで、あとは副審をなんどかやっただけだが、それでもむちゃくちゃ緊張するし、子供らもいっちょまえに文句を言うし、親はヤジるし、笛はかなり力を入れて吹かないとヒョロヒョロと説得力のない鳴り方しかしないし、スローインで「赤ボール」と言いながらハンドサインではあせって逆を示してしまい小学生に「どっち?!」と突っこまれるし、これは大変な仕事だと思ったのを覚えている。
もちろん試合を見ていれば判定に不服もあるしフラストレーションもあるし、ときとして実際誤審もあるわけだが、審判がいなければ試合が成り立たないし、そしてまた選手も監督も運営も人がやる以上それぞれにミスや不具合を宿命的に抱えているのであり、審判にだけ無謬を求めることはできない。満足できる判定をしてもらえなければリスペクトできないとか、結果を変えることができないなら検証など必要ないというようなつたなく、幼い考えしか持てないのなら、自分で四級のライセンスを取って小学生の試合でいいから一度笛を吹いてみればいいと思う。きっと見える世界が変わるし、審判という仕事を引き受けてくれていること自体をリスペクトできるようになるはずだ。
│Comments(0)
│Jリーグ
2019年05月27日 00:34
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】例の誤審をめぐって
既に先週のことになるが、Jリーグ第12節、湘南×浦和の31分、湘南の杉岡が放ったシュートが右ポストに当たって内側に跳ね、左側のサイドネットに跳ね返ってピッチに戻ってきた。ボールは完全にゴールラインを越えていたが、審判はゴールを認めず試合を続行させた。これが誤審だということで大きな批判を浴びている。
まず、判定の妥当性ということからいえば、このシーンは間違いなくゴールであり、誤審であることに疑いはない。議論の出発点としてまずそれは確認しておきたい。
問題になるのはだいたい以下のような点だと思う。
・なぜこんな誤審が起きたか、審判は見えなかったのか
・プレーが中断した後の対応は適切だったのか(なぜ判定を覆すことができなかったのか)
・守備側の選手はどうすべきだったのか
・SNSなどでの審判批判について
・対策はどうするのか
順に検討して行きたい。
なぜこんな誤審が起きたか、審判は見えなかったのか
このシーン、主審からはボールが右のポストに当たった後、左の何に跳ね返ってピッチに戻ったかは見えなかったと思う。そもそも、ゴールインの瞬間を後ろから見るのが宿命の主審にとって、ボールがぎりぎりゴールラインを越えたかどうかの判定はほぼムリ。
一方、副審側からは見えていた可能性があった。だが、ボールの跳ね方などから、経験上これはファー側のポストに当たったに違いないと判断して、プレーを続行するようインカムを通してサポートしたらしい。結局この「臆測」に基づいた判定が禍根を残すことになる。
この点での審判団の技量は低かったと言う他ない。とはいえ、審判にとって酷なのは、審判以外のすべての人は、プレー直後から様々な角度から問題のシーンを何度も繰り返しリプレイで見られるのに、審判だけは肉眼で、たった一度だけ実際にそのシーンを見ることができるだけで、それを頼りに判定を下す以外に方法はないということだ。
それが仕事だといえばそれまでだが、そういう意味では一度そう見えてしまったらもう確かめようがないということ。ここに判定の難しさがあることは知っておかなければならない。
プレーが中断した後の対応は適切だったのか(なぜ判定を覆すことができなかったのか)
この試合では、問題のシーン直後にプレーが途切れたところから、湘南の選手も監督を初めとするベンチのスタッフも総出で激しい抗議を行っている。一方で浦和の選手からは「早く試合を再開すべき」旨のコミュニケーションはほぼなされておらず、またスタジアムの雰囲気(特にホーム側の浦和サポ)も執拗な抗議を続ける湘南に対してブーイングなどはなく、静観している印象がある。
この状況から、審判は「もしかしたら入ってたのかも」「やっちゃったかも」と思っただろう。しかし、審判団は集まって協議することもせず、湘南に対し「ゴールではないので試合を続ける」旨のコミュニケーションだけを行っているように見える。
この段階で間違いを認め、判定を覆すことができなかったのかという批判がある。
しかし、「ノーゴール」という当初の判断を覆すに足る確証は審判団には与えられていない。彼らは映像を参考にすることができないし、選手の抗議やスタジアムの雰囲気を根拠に「やっぱりゴールでした」なんてことは絶対にできない。
それを許せば、気に入らない判定には審判を囲んで執拗に抗議すれば覆る余地があるということになる。主審が判断した後、副審や四審のサポートを受けて判定を覆すことはあり得るし、それ以外にピッチや備品などに明らかな痕跡が残っているときには判定を見直す余地はあるかもしれないが、すくなくとも判定により不利益を受けたチームからの抗議を根拠に判定をひっくり返すことはあってはならない。
最もよくゴールを視認できたはずの副審から「ノーゴール」のサポートを受け、もう一人の副審も四審も異議を唱えなかった時点で判定は決まってしまったのであり、これを覆すに足る「新証拠」は審判には与えられていないのだから、集まって協議したところで判定は動かない。
判定は誤っていたが、判定後の対応は正しかった(というかあれ以外にやりようがなかった)と思う。繰り返しになるが、「審判以外のすべての人は、プレー直後から様々な角度から問題のシーンを何度も繰り返しリプレイで見られるのに、審判だけは肉眼で、たった一度だけ実際にそのシーンを見ることができるだけ」ということだ。
そのために繰り返しリプレイを見て「誤審だった」との確信を強化して行く「審判以外」の人たちと、一度限りの肉眼の記憶以外に頼るもののない審判との不幸なギャップは深まるしかない。
守備側の選手はどうすべきだったのか
これに対し、守備側の浦和の選手が、「いや、入ってましたよ」と自己申告すべきだという意見も見られた。
特にGKはかなりはっきりゴールシーンが見えていたはずで、審判にそう申告すれば判定を動かすこともできたのではないかということだ。実際、GKはゴール後のボールを無造作にセンターサークルの方に投げており、彼にとってゴールが自明であったことを示唆している。
確かに、守備側の選手から「入っていた」と申告があれば、審判は新たな客観的な確証を得たことになるから、判定を見直す余地はあったと思う。
しかし、それを守備側の選手に求めるのはやはり無理がある。もちろんフェアプレーの精神は求められるべきだが、ふだんの試合では少々のミスジャッジ(どちらのスローインか、ファウルかノーファウルかなど)があってもアドバンテージを受けたチームの選手が自らその修正を求めることはまずない。
それどころか誤審を誘発するために審判を欺く行為すら珍しくない。もし今回、浦和のGKに自己申告を求めるなら、こうした行為もふだんからもっと厳しく指弾され、処遇されるべきではないだろうか。それをせず、今回のシーンにだけ守備側に自己申告を求めるのはいかにも恣意的でありご都合主義的であるという他ない。
どの程度重要な誤審になればそれによってアドバンテージを受けたチームから自己申告する責任が生じるのかなんていう線引きはムリであり、選手らはプロとして何よりもまず第一に勝つことが求められている以上、その判断を選手自身に求めるのはムリだし筋違いだろう。
現役の選手によるSNSなどでの審判批判について
ひとつ残念だったのは、現役のJリーグの選手から、誤審に対し審判を批判する意見が少なからずSNSなどに投稿されたことだ。「選手は試合に命をかけている」的なものも散見され、ふだんから判定に対していろいろな不満があることをうかがわせる内容のものも少なくなかった。
まず残念なのは、プロとして自分の職業上の「素朴な意見」を公開の場であるツイッターなどに軽々しく投稿してしまう不用意さであり、情報管理に対する意識の甘さである。
例えば、僕は会社員だが、自分の仕事に関する不満や関係者の批判などをツイッターその他のネット上の公開の場に書きこむことは絶対にしない。そんなことは仕事の中で問題提起し、解決を図るべきことだからだ。
これらの選手は、逆に自分のことを審判が「今日のあいつのシミュレーションひどかった。ありえないレベル」とツイッターに書きこんだとしても甘受するのだろうか。意見を持つのは自由だが、その発表の仕方には社会的責任が伴うということをまったく理解できておらず、想像力が足りなすぎると思う。こういう人たちがリーグでプレーしているのかと思ってちょっとげっそりした。
もうひとつ残念だったのは、彼らの意見に審判に対するリスペクトがまったく感じられないことだ。
もちろん個別に納得できない判定はあるだろうが、審判もまた、選手と一緒に試合を作っているサッカーファミリーの仲間であり、誤審はあっても互いの立場や職分は尊重すべきであるという基本的な認識が欠けているのではないだろうか。
選手が試合に命をかけているのなら、審判も試合に生活がかかっている。華々しいトップリーグで活躍する選手たちは、ピッチを駆け回る選手だけがフットボールにおいて最も重要な存在だと思い、知らず知らずのうちに審判を「スタッフ」として見下すような目線で接しているのではないか。
対策はどうするのか
まずはVAR(ビデオアシスタントレフリー)の導入を急ぐべきだと思う。追加副審やゴールラインテクノロジー(GLT)の導入も考えられるが、追加副審には実効性に疑問があるし、GLTは今回のようなシーンにだけ効果のある対策の割りにカネがかかると聞く。
審判に判定を顧みる機会を与えるという意味ではVARが今のところ最も優れており、各国のリーグでも導入が進んで、利用の方法も定まりつつある。
繰り返しになるが、スタジアムの雰囲気から「やっちゃったかも」と思っても、審判は雰囲気で判定を覆す訳には行かない。ビデオを参考にする訳に行かないし、ましてや抗議や雰囲気で判定を覆すことはできるはずもない。主審も孤独なのだ。
審判以外の誰もがリプレイで何度もシーンを振り返っているのに、最も正確な判断を求められる審判だけが、たった一度の肉眼での「目撃」だけを頼りに判定しなければならないという非対称性が今回のような問題の原因のひとつ。審判が「ヤバい、やっっちゃたかも」と思った時に、判定の正誤を確認する手段を提供するのがVARであり、今回もVARがあれば審判は救われたと思う。
あと、原博実副理事長も言っていたが、審判や判定に関する議論はもっとオープンにやっていい。DAZNで公開されている「Jリーグジャッジリプレイ」はいい試みだが、審判はもっと選手にも、サポにも近い存在でいい。それはむしろ、審判の権威を守り、サッカーファミリーが相互にリスペクトする助けになりこそすれ、その逆にはならないと思う。
今回の判定は誤審としか言いようのないもので不幸な出来事だったが、過剰な審判バッシングに終始するのではなく、どうやって審判の技量を向上するか、そしてまた、それでも限界のある人力の判定をどうやってサポートするかという議論につなげて行くべきものである。
│Comments(2)
│Jリーグ
2015年12月08日 22:18
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【オフに考える】2ステージ制結果検証
チャンピオンシップ(CS)が終わった。年間勝ち点1位かつ2ndステージ優勝の広島、年間勝ち点2位で1stステージ優勝の浦和、年間勝ち点3位の大阪が出場、まず2位と3位の対戦で延長の末勝利をおさめた大阪が決勝に進出、広島と対戦した。決勝はホーム&アウェイだが、アウェイで逆転勝ちした広島が、ホームでも1点を先制されながら追いついて2試合合計で優勝を決めた。
3試合はいずれも上位同士の対戦にふさわしいレベルの高い試合になった。準決勝延長での、味方からのバックパスがポストに当たるハプニングからのカウンターでの勝ち越し点、決勝第1戦でのアディショナル・タイムでの逆転など展開も劇的で、ゴールデン・タイムに地上波で放送した視聴率も悪くなかったという。
また、1stステージ、2ndステージそれぞれに優勝争いがあってシーズンに二度ヤマ場があった上、シーズン終盤にも優勝争い以外にCS出場権を巡る争いがあるなど見せ場が広がったことからか、シーズン全体の入場者数も前年を上回ったらしい。スポンサー収入も増えたという。
FC東京も、最終節までCS出場の可能性が残っており、それはつまり優勝の可能性が残っているということで、3位に入ることの重要性は例年とはけた違いに大きかった。残念ながら最終節に引き分けてCS出場を逃したが、それは同じように最終節でACLを逃した2008年の落胆とは比べものにならない残念さだった。
シーズンを面白くするという意味では2ステージ制は一定の成果をおさめたし、これまでJリーグに興味をもっていない層にアピールするという点でも意義はあったと思う。リーグ全体としての盛り上がりは確実にあった。
しかし、このシステムを導入した時に指摘された問題点は結局のところ何も解決していない。
まず、年間勝ち点の尊重という観点から年間勝ち点3位までのクラブをCSに参加させた結果、「年間勝ち点の下位クラブが上位クラブに勝って順位が入れ替わる」という現象が起こり得ることになった。実際、浦和は1stステージ優勝かつ年間勝ち点2位であったにも関わらず、勝ち点差9で3位だった大阪に負けて年間順位は3位に繰り下がり、その結果、ACLのストレート・インを決め損ねた。このことの合理性はいかにしても説明し難い。
1stステージと2ndステージの優勝クラブが年間優勝を争うというかつてのCSの形式であれば、少なくとも対等な立場のクラブ同士の争いで、どちらが勝っても相応の正統性はあったが、CSの結果年間順位がひっくり返るということになれば、年間34試合戦って積み上げた勝ち点の意味は何だったんだという議論が出てくるのは避けられない。我々はCSをホームで開催できるというアドバンテージのためだけにシーズンを戦っている訳ではない。
結果的に広島が優勝して年間勝ち点1位の価値は守られたものの、1シーズン34試合を戦った後で、わずか2、3試合の「やり直し」で年間勝ち点の価値がひっくり返ることが現実に示された。競技としての公正さという観点からはいかにも不合理であり、この致命的な問題に対する答えは結局出されないままだ。
日程の問題もある。このポスト・シーズンを押しこむため、Jリーグは例年対比1、2週間繰り上げての日程消化を強いられた。そのため夏場に連戦が組まれる一方、シーズン終盤にはナビスコカップの決勝やインターナショナル・マッチ・デイの関係で試合が飛び飛びになった。10月24日に第32節を戦った後、2週間おいて11月7日に第33節、また2週間おいて22日に第34節と、シーズン最終盤の最も盛り上がる時期に何とも間延びし、気勢を削がれる日程になった。最も気候がよく観戦日和の11月にリーグ戦が2試合しかないというのはちょっと考えられない。
その後もひどい。例年、ポスト・シーズンはクラブ・ワールド・カップなどがあり、天皇杯までの間が空くのだが、そこにCSを押しこんだためにさらにいい加減な日程になった。特に、CSに出場しないが天皇杯に勝ち残っているクラブにとっては、11月22日の最終節のあと、1ヵ月以上おいて12月26日に準々決勝である。その間、選手や監督の去就が発表されたりもする。間が抜けていることこの上ない。
サポの固定化、高齢化から来るJリーグ人気のじり貧を回避し、新たなファンを獲得するという所期の目的からは相応の意義のあった2ステージ制でありCSであるが、公正なリーグ戦を歪めるという致命的な問題点はやはり看過し難い。日程の問題も含め、この点は是非とも改善して欲しいと思う。
日程はともかく、年間順位を歪めるという点については名案がある。
年間順位は勝ち点順で確定し、CSは別タイトルとするのだ。例えば年間勝ち点1位、シーズン前半1位、後半1位、ナビスコカップ優勝の4クラブが一発勝負のトーナメントで争い、優勝クラブにはシーズン優勝とは別の「チャンピオンシップ優勝」という新たなタイトルが授与される。出場クラブには洩れなく5千万円程度の出場賞金、優勝にはさらに1億円、2位には5千万円の賞金が出るようにすれば出場、優勝への意欲もグッと上がるだろう。
タイトルの重み、有難みが違うという人もいるかもしれないが、心配はない。ターゲットにしているライト層は、それが何を争っている大会なのか、そもそもリーグ戦とナビスコカップと天皇杯の違いもどうせ分かっていないのだ。今からタイトルがひとつ増えたぐらいで遠慮することはない。テレビが大きな声で「絶対に負けられない戦い」「プライドをかけた真の年間王者」とか何とか煽ってくれればそれで十分。「何だかよく分からないけどすごい大事なタイトルらしい」ということが伝わればいい。
その辺を適当にごまかしながら盛り上げるのは地上波の得意技だ。今回の決勝第1戦を放映したTBSは、実は第2戦があるということに試合中まったく触れず、したがってアウェイ・ゴールの意味や、このまま試合が進めば第2戦でどういう結果が出れば優勝が決まるのかも一切話さず、あたかもその試合で優勝が決まりそうな体で放送を続けた。
当然、良識あるフットボール・ファンからは厳しい批判を受けたが、僕はそれはそれでありだと思った。CSを見て喜んでくれるライト層にはそんなことはもともとどうでもいいからだ。それより最後まで試合そのものを楽しんでくれた方がいい。続きがあるなんてことは試合が終わった後にでも「へぇ、そうなんだ」程度に理解してくれれば十分ではないか。けしからんと腹を立てるような人はアナウンサーがそれを説明しなくても初めから分かっている人だ。
日程の問題は解消しないが、どうせポスト・シーズンをやるのなら、そしてそれが新しいファン層の開拓に一定の意義があるのなら、「チャンピオンシップ」という新しいタイトルをリーグ戦のシーズン優勝とは別に設け、高額の賞金を争うボーナス・ステージにすればいい。我ながら素晴らしい名案だわ。
【関連コラム】
■2ステージ制とかあり得ないでしょ 2013.5.22
■なぜ2ステージ制なのか 2014.1.20
■新2ステージ制は何を争うのか 2014.1.26
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2015年11月29日 21:40
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】フットボールとレイシズム2015
浦和レッズのサポーターと思われる人物が、ガンバ大阪の黒人FWパトリックに宛てて、人種的な偏見に基づく侮辱的なリプライをTwitterで飛ばした問題。その後、パトリック、浦和、大阪双方のクラブからのコメントが出ているが、まだ問題として十分に対応され、収束したとは言い難い。
フットボールとレイシズムについては、1年半前にやはり浦和の関係者が人種差別的な横断幕をスタジアムに掲出し、その後浦和が無観客試合を余儀なくされた時に書いたテキストがあるので再掲しておく。さっき読み返したが我ながらよく書けているのでこれに書き足すことはあまりない。是非読んでみて欲しい。
フットボールとレイシズム(事件編) 2014.3.11
フットボールとレイシズム(始末編) 2014.3.18
FIFAがレイシズムに敏感に反応するのは、それがフットボールの根幹である多様性、開明性、普遍性を一瞬で台無しにする最大のリスクだからである。世界中で一種の共通言語として、おそらく最もポピュラーなスポーツとして共有され、選手が国境を越えて流動し、ワールド・カップでは遠く離れた国同士が同じ時刻にひとつのコンテンツを息をつめて見つめる、そのフットボールのグローバルな価値を、レイシズムはたやすくズタズタにするからである。
したがって、今回の事件に対しても断固とした対応が取られなければならない。十分な対応がなされなければ、日本はレイシズムに寛容な国だと受け止められ、グローバルなフットボール・ファミリーから放逐されることだって考え得る。手遅れになる前に、JFAがイニシアチブを取って「政治的に正しい」対応を行うことが必要だ。
だが、今回の事件で難しいのは、まず、横断幕がスタジアムに掲出されたというような、明らかにクラブの支配領域内で起こった出来事とは異なり、Twitterというバーチャルな空間で、匿名の個人によってなされた行為だということ。やらかしたヤツはおそらく高校生だと思われるが、中高生の自意識が先走ったクズのようなツイートをいちいちクラブがコントロールすることは不可能。その意味で、事前抑止は極めて困難な事象だ。
さらに、この行為者が本当に浦和のサポーターかも分からないということ。過去のツイートや推測される属性からはおそらく浦和のサポーターだと思われるが、誰かがクラブを陥れようと、そのクラブのサポであることを偽装して不穏当なツイートをすることは止められない。残念ながら匿名のゴミためのようなコミュニケーションからそのような悪意を排除することはできない。
事前抑止もクラブに責任を負わせることも困難だとした場合、いったい何がなされるべきか。
端的に言ってしまえば、地道な啓発活動以外にやるべきことは少ないと思う。手間もカネもかかる割りに実際に効果が上がっているかが極めて見えにくい、最もベーシックな手法でしか、このようなタイプの偶発テロみたいなインシデントを減らすことはできない。
こうした表現の何がいけないのか、なぜいけないのか、それがどのような影響を及ぼし、どれだけの人に大きな迷惑をかけたり無用の憎悪を掻き立てたりするのか、それが最悪の場合にどんな重大な事態に結びつき得るのか、そのことを、繰り返し、できる限り多くの人に伝え続けるしかない。
中学生や高校生が、身内でムカつくヤツに「死ね」と吐き捨てるようなこと自体はあり得ることであり、止めることはできない。しかし、それが人種や民族といった特定のステロタイプと結びつくとき、それは単なる考えの足りないガキの程度の低い戯言では済まされず、好むと好まざるとにかかわらず、社会的に大きな意味を帯びたメッセージになってしまう。
しかもそれがTwitterやInstagram、FacebookなどのSNSやブログなどを通じて、瞬く間に世界に共有され、ひとたび拡散されるともはや撤回できなくなる。一度放たれた火は、自分の意図を越えたところでどんどん燃え広がって、山や森を焼き尽くして行く。そうした、情報管理の不随意性、アンコントローラビリティについて、僕たちは僕たちの子供たちに真摯に教えなければならない。
国際化したとはいえ、日本語を話す日本人が大半を占め、海に囲まれた我が国で、人種や民族の問題を実感する契機は乏しい。いや、在日朝鮮人や外国人労働者の問題などを通じて、そうしたことを学ぶ機会はいくらでもあるはずなのだが、それが実感されないということは、おそらく自分たちが「差別される」側に立つ経験がほとんどないからなのかもしれない。
僕はドイツに住み、ヨーロッパを頻繁に旅行した8年間で、自分がマイノリティであるということの怖さ、不愉快さ、やりにくさ、難しさを実感した。乏しい経験ではあるが、子供たちに「外国人は出て行け」と歌いながら囃されたこともある。レストランであからさまにひどい席に通されたこともある。
黄色人種として、自分自身もまた人種問題に向かい合うべき立場にある日本人の子供が、黒人選手に「おまえは黒人奴隷なんだからおとなしく死ね」などとツイートできる、その恐るべき想像力の欠如は、彼自身の罪である以前に、それをティーンエイジャーにきちんと教育できていない我々自身の責任である。
だからこそ、個々のクラブだけではなく、JリーグでありJFAが時宜を逸することなく的確なメッセージを発信しなければならない。そして、試合前のメッセージの発表、研修・勉強会、広報など、当たり前のプログラムを倦むことなく続けて行かなければならない。それ以外に方法はない。もちろん、僕たち自身も、自分の子供たちにそのことを伝え続けて行かなければならないのは言うまでもない。
その一方で、この行為者をきちんと特定し、社会的に責任を取らせることも必要である。このような考えの足りない、意見とも呼べないような意思表明が、結果的に自分自身をどのような立場に追い込むのか、いかに割りの合わないことなのか、そのことも明確に示されなければならない。しかし、もちろんそれは、彼の属性をネット上の情報から特定し、さらして吊し上げることではない。それは私刑であり許されないことだ。
残念ながら、こういうケースは今後も繰り返されるだろう。人の心に入りこんでその考えをムリヤリ「修正」することができない以上、そこにどす黒い憎悪や反感が生まれることは止められないし、それはむしろ人間として自然な感情のひとつだからだ。
だが、その感情をどうコントロールし、どう表現するかは教育によって改善することができる。根本的な解決策はない。ただ我々が諦めた時、フットボールは死ぬ。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2015年11月21日 23:15
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【検証(4)】決戦前夜―熱狂と冷静の間の隘路
2010年12月4日、僕は京都の西京極にいた。最終節、東京は勝てば一部残留が決まる試合だったが、前半にあっさり先制され、後半にも追加点を奪われて敗戦、降格が決まったのだった。
ムービング・フットボールを標榜した城福浩監督がシーズン途中で更迭され、大熊清が後任監督に就任したが、強化に失敗して前線も中盤も核となる選手を欠いた状況で東京は苦戦を続けた。
この試合、落ち着いて戦えば勝機もあったと思うが、先制を許すと焦りが出て、前線のうちからロング・ボールを放りこんでは京都の屈強な最終ラインにはね返される繰り返しに。徹底してパスをつなぎマイ・ボールを大切にする、人もボールも動くフットボールは無残に瓦解し、我々はなすすべもなく寒風に立ち尽くした。
あれから5年、我々は今、優勝を争うチャンピオンシップ(CS)への出場権をかけてリーグ戦最終節を迎える。残留と優勝、求めるものはまったく違うが、重要なものを懸けて最終節にシーズンの総決算を迎えるという点では状況は似ている。
あの時、僕らに足りなかったのは想像力だった。当時僕はこう書いた。
「真摯さが足りなかったということではない。J2に落ちるのがどういうことなのか、落ちるとどうなるのか、落ちないために何をやり、何を捨てなければならないのか、そういうことの具体的なイメージができていなかったということだ」
「具体的に想像できないものと戦うのは難しい。今日の僕たちの敵は京都であると同時にそうした僕たち自身の想像力、あるいはその欠如だったのだと思う。今日の試合は大一番だ、大変な試合だと言いつつ、そして実際にそう思いつつ、しかし、それが本当にどれほど大事な試合であるかが僕たちには実感としては分かっていなかった」
「今季の東京はまさに実感のないままズルズルと後退し、ここ2シーズンの功労者であった城福監督を解任し、実感のないまま残留争いに巻き込まれて、最後には勝ち点が2足りずに降格の憂き目を見ることになった。すべては、気分や感覚でなく手に取ることのできる事実に即して物事を現実的に、具体的に考えて、問題をひとつずつ解決する力が、クラブにも監督にも選手にも、そしてサポにも欠けていたということではないのか」
今季、僕たちは重要な試合をいくつも戦った。0-2のビハインドから武藤の2発で追いついた開幕戦。何が足りないかを思い知らされた鹿島戦と浦和戦。シーズン終盤の大事な局面で勝ち点3を取ることができた大阪戦、広島戦。泣いたり笑ったりしながらも、「取りこぼし」は減り、1点差で勝ち点3を守りきる戦いができるようになった。
だからこそ、僕たちは今、3位にいる。
だが、ここから必要なのは想像力だ。このひとつの試合が持つ意味、勝つことの価値、勝てば何を手にし、負ければ何を失うのか、何を捨て、何を守るのか、そうしたことを頭の中できちんと整理し、その上で何をすべきかを冷静に判断する力だ。
モラルは高くなければならないが、頭の芯は常に冷えていなければならない。いつも通り、勝つためにやるべきことをやるべきであり、何か特別なことを今から始めてはいけない。星勘定は先に検証した通り微妙なところもあるが、要は勝てば文句なくCSに出場できる訳であり、勝つための戦いをいつもと同じように地道に実行する以外にやることはない。
気合が入り過ぎて平常心を失い、前半のお粗末な失点でいきなり意気消沈する試合を僕たちは何度も目にしてきた。それを乗り越えるためには、やみくもに突進することではなく、これまでの33試合と同様に、リスクをコントロールしながらひとつひとつのプレーを丁寧にやりきることしかない。それは僕たちサポもおそらく同じことだ。
未知の世界だが、ここを乗り越えなければクラブとしての前進はない。経験がないことを言い訳にしていては、いつまでたっても壁を越えることはできない。今がその時なのははっきりしている。
熱狂と冷静の間に、勝者のための隘路はある。僕たちは今、その道を進まなければならない。
勝てばCS出場、そしてリーグ優勝すればクラブワールドカップがある。さらには来季のACL出場権も獲得できる。我々にはまだこれだけのチャンスが残っているのだ。これはすごいことだ。まずは明日の試合に勝ってCSを決めなければならない。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
2015年11月14日 16:58
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【検証(3)】FC東京ACL出場の条件
シーズンの最も盛り上がる時期にインターナショナルが入ってリーグ戦が2週間インターバルになるというアレな日程に一石を投じるべくダラダラやっている検証シリーズだが、今日はACL進出について考えておく。
しつこいようだがこれは東京が最終節で年間3位を確保、チャンピオンシップ(CS)に出場することを仮定している。
我が国に与えられたACLの出場枠は3.5。リーグ戦1位、2位、天皇杯優勝のクラブに出場権が与えられ、リーグ戦3位のクラブは予選に回ることになるが、天皇杯優勝クラブがリーグ戦3位以内の場合、天皇杯優勝クラブを含むリーグ戦上位3クラブが出場権を得て、4位のクラブが予選に回る。これがベーシックな認識である。
そして、天皇杯では鹿島が既に敗退、広島、浦和、東京は準々決勝に進んでいる。さらに確認しておきたいのは今季のJリーグの順位決定方式で、まずCS優勝クラブが1位、CS準優勝クラブが2位、3位以下はこれら以外のクラブの年間勝ち点順となる。
【広島、浦和、東京でCSを戦う場合】
取り敢えず、鹿島が2ndステージ優勝することはないと考え、広島、浦和、そして東京の3クラブがCSに出場するケースについて考える。
この場合、東京は準決勝に勝って決勝に進出すれば出場権獲得、万一準決勝で負けてもリーグ戦順位予選の出場権を得る。そして、広島、浦和、東京のいずれかが天皇杯で優勝すれば東京はCSの結果に関わらずACL出場権を得ることになる。
したがって、東京が万一CSの準決勝で敗退した場合でも、東京がACL出場権を得るのか予選に回るのかは、天皇杯の決勝戦か、あるいは広島、浦和、東京のいずれもが天皇杯で敗退するかのいずれかまで決定しないことになる。
【広島、浦和、大阪でCSを戦う場合】
万一東京が年間4位に終わりCSへの出場を果たせなかった場合でも、天皇杯で広島、浦和、大阪のいずれかが優勝すれば年間4位の東京はACL予選への出場権を得る。東京が天皇杯で優勝すればもちろんACL出場権を得る。
【広島、浦和、東京、鹿島でCSを戦う場合】
さて、前々回検討した通りかなり現実性の低い仮定だが、鹿島が2ndステージで優勝し、CSに進出した場合のことも一応考えておく。
東京が決勝に進出すればACL出場権を得るのは問題ない。
問題は、鹿島が準決勝で勝ち決勝に進出した場合。その場合、鹿島は年間2位以上となりACL出場権を獲得する。鹿島が決勝に進出するということは東京は1回戦または準決勝で敗退しているということで、広島、浦和より年間勝ち点が下位なのは確定しているから、年間勝ち点1位が広島、浦和のいずれであっても東京はシーズン順位4位ということになり、CS終了の時点では予選出場権も得られない。
天皇杯に懸けるしかなく、東京が天皇杯で優勝すればもちろんACL出場権を得るし、広島か浦和が優勝すればACL予選の出場権がこぼれ落ちてくる。
【広島、浦和、大阪、鹿島でCSを戦う場合】
万一東京が年間4位に終わった上に鹿島が2ndステージ優勝するというレア・ケースの場合は、天皇杯で優勝するしかACL出場の道はない。
===
なお、ACL予選は今年の例だと1試合のみのノックアウトで、東京のホームになるようだよ。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
2015年11月09日 22:30
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【検証(1)】FC東京年間3位の条件
東京は33節、柏とのアウェイ戦に勝ち、広島に負けた大阪と入れ替わって3位に浮上、チャンピオンシップ(CS)出場に近づいた。とはいえ4位大阪との勝ち点差は2。どうなるかは最後まで分からない。東京がCSに出場するために必要な最終節の結果を整理してみた。
●16節終了時点での勝ち点
3位 東京 62 最終節対戦相手:鳥栖(H)
4位 大阪 60 最終節対戦相手:山形(H)
【東京が鳥栖に勝った場合(65)】
大阪の試合結果(最大63)に関わりなく東京がCSに出場
【東京が鳥栖と引き分けた場合(63)】
大阪が勝ち(63)→東京の得失点差12に対し大阪は16以上となり大阪が出場
大阪が引き分け(61)か負け(60)→東京が出場
【東京が鳥栖に負けた場合(62)】
大阪が勝ち(63)→大阪が出場
大阪が負け(60)か引き分け(61)→東京が出場
仮に鳥栖に負けても大阪の結果次第でCS出場のチャンスはあるが、2010年の最終節にはそういう甘い考え方で痛い目を見ている。とにかく勝てば問題なくCSに出場できると考えていた方がいい。目の前の試合に集中するしかない。
なお、2位の浦和は勝ち点69で東京とは7の差があり、2位はもはや不可能。また、2ndステージの成績は勝ち点27で6位、首位の広島との差は10あり、これも逆転は不可能。したがって、東京がCSに出場するためには年間3位しかないということになる。
===
年間勝ち点では首位の広島が71、2位の浦和が69と2差なので、浦和が逆転の可能性あり。どちらが首位になるかでCSの組み合わせが変わってくる。CSの組み合わせについては次回検討する。広島は湘南と、浦和は神戸と、いずれもホームで戦う。
2ndステージを見れば、首位広島が勝ち点37、2位の鹿島が34と、鹿島にも数字上は優勝の可能性が残っている。しかし、最終節に広島が負け、鹿島が勝って勝ち点が37で並んだとしても、広島の得失点差が25、鹿島が13という現状から見れば、この12の差をひっくり返すのは現実にはほぼ不可能だろう。
したがって、CSに出場するのは、年間2位以上が確定している広島と浦和に加えて、年間3位の可能性がある東京か大阪のいずれか、というところまでは決まっていると考えていい。万一鹿島がCSに出てくると組み合わせが複雑になる。これも次回シミュレートする。
===
いずれにしても話は鳥栖に勝ってからだ。
│Comments(3)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
2015年10月11日 23:06
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】残り4試合をいかに戦うか
我々の立ち位置を確認しておこう。
30試合を消化して18勝7敗5分、勝ち点59で3位、残りは4試合である。得点40、失点27、得失点差13、首位浦和とは勝ち点6差、2位広島とは3差、4位G大阪とは5差だ。残り4試合は、9位湘南(H)、首位浦和(H)、8位柏(A)、14位鳥栖(H)となっている。
勝ち点59は既にクラブのシーズン記録を更新して過去最多。シーズンのこの時期に現実的な優勝の可能性を残しているのは初めてと言っていい。我々は未体験ゾーンに突入している訳だが、ここからいったいどう戦えばいいのか。
一般に、逆転が現実に可能な勝ち点差は試合数と同数が目安と言われる。だとすれば、残り4試合で首位との勝ち点差6は結構キツい数字だ。だが、ラッキーなのは首位浦和との直接対決を残していること。自力で勝ち点差3を詰めるチャンスがあるということだ。
逆にここで負けると勝ち点差は9に広がり、優勝戦線からは完全に脱落する。もちろん容易な相手ではないが、このラスボスを倒さないことにはどの道タイトルなどあり得ない。ホーム・ゲームであることは大きなアドバンテージだが、いずれにしてもこれが今季最も重要な試合になるのは間違いない。
しかし、東京が到達し得る最大の勝ち点は71。浦和は2勝すればこのラインに到達するが、得失点差が東京の13に対して浦和は26あり、同勝ち点ではおそらく順位で上回れない。ということは、浦和にはあと1勝しかさせてはならないということになる。また、2位広島も得失点差33と大きなアドバンテージがあり、3勝されてしまうとキャッチアップは事実上不可能になる。
だが、浦和は東京との試合の他に、G大阪、5位川崎と上位との試合を残している。また、広島も同様に大阪、川崎との試合を残しており、大阪、川崎の奮起に期待はできるだろう。結局、タイトルは決して近くはないが、非現実的でもないということ。自力での優勝はなく、残り試合を全勝して、何が起こるかを見てみるしかない。
タイトルを目指す一方で、チャンピオンシップ出場権が得られる年間3位以内という目線も意識しなければならない。大阪との勝ち点差を考えれば、3勝または2勝2分で3位を確定できることになる。2勝2分で勝ち点8を上積み、67で年間3位以上というのが最低限の目標になるだろう。
我々はこれまで、シーズンのポイントとなる試合に弱く、好調な時期があったシーズンも終わってみれば中位に甘んじるにが常であった。今季もシーズン前半では広島、鹿島、浦和に負け、勝負どころで勝ちきれない弱さをさらけだしてしまった。
シーズン後半も、川崎とのアウェイ、鹿島とのアウェイと悔しい敗戦はあったが、ここにきて大阪、広島に競り勝っており、勝負のかかった試合でも一歩も引かない戦いができるようになってきたように見える。
シーズン前半のホーム鹿島戦、アウェイ浦和戦では、運命の一戦と気合が入り過ぎ、本来できることまでができなくなって、ゲームプランの崩壊とともに修正が効かずあっさり負けてしまった。今季こそ宿敵を倒すという気負いが強すぎて、自縄自縛になっていたことは明白だった。
シーズンもこの段階で、あのナイーヴな戦いを繰り返すのであれば、我々にはもともとタイトルなどムリだったということ。2010年12月、西京極でのあの無残な試合から進歩していないということになる。
我々がやるべきことは、ムダにテンションを高めることではない。必要なのは、局面の重大性を認識した上で、基本的な約束事をいつもと同じように完遂する仕事本位のアプローチだ。浮かれることでも、恐れることでもなく、今季ここまで積み上げたものを自ら信頼し、ひとつひとつのプレーを丁寧にやりきる地に足の着いた戦いだ。
我々が今季ここまで来たのは決して偶然ではない。それだけの戦略と戦術があり、それを実行する個々の選手の力があり、それを統合するマネジメントがあったからだ。失点しなければ負けることはないというボトムラインと、その上で相手より1点多く取れば勝てるというトップラインで形成される今季の我々の方法論は強固なものだ。
我々はそれを残り4試合で示さなければならない。そのためにはクールであることが何より重要だ。我々のフットボールは我慢のフットボールだ。頭に血が上っては我慢のフットボールはできない。
ここからは我々サポも未知の領域だ。熱くなるのは仕方ないが、ここまで戦ったチームを信頼してサポートしたい。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
2015年06月21日 20:51
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【中断期間コラム】Jリーグの審判はこれでいいのか(3)
もはや中断期間じゃなくなっちゃったけど、ジャッジについて考える最終回、「ジャッジをめぐるメディアやサポーターの受け止め」について。
これまで書いてきたことと被る部分もあるけど、少なくともジャッジを批評するのであれば、またはジャッジにケチをつけたり、文句を言ったりするのであれば、まずは、メディアにも、またサポにも、ルールをきちんと勉強して理解して欲しい。
フットボールのルールは比較的シンプルで分量も少ない。もちろんその解釈のために付属のドキュメントがあったりFIFAのシーズン毎の通達があったりはするが、それにしても理解するべきことはそれほど難しくない。
公のメディアで判定を論ずるのであれば、その判定がルールに照らしてどうおかしいのかきちんと検証してからにするべきである。第1回で取り上げた湘南の菊池のシュートについては、初めから「誤審」と決めつけたかのような報道も目にしたが、その断定的判断はどこから出てきたのか、ルール以前の問題だ。
サポーターも、試合中や終了直後に感情論でガーガー言いたくなる気持ちは理解できないではないが、ルール的に正しいジャッジにいつまでも難癖をつけ続けるのは見苦しい。競技規則は常に公開されている。一度目を通すべきだ。
■サッカー競技規則
■競技規則の解釈と審判のためのガイドライン
仮に誤審があったとしても、審判員個人を非難するのは慎むべきだ。特に、前回の配当で自チームに不利な誤審をした審判が次に割り当てられた時に、審判紹介からブーイングをしたりするのは考えられない非礼である。
審判も人間だから誤審はある。技量を向上する努力は不断に求められるし、誤審で試合結果が左右されないように審判の増員、ゴールライン・テクノロジーやビデオ判定の導入などの手立ては講じられるべきだが、審判に無謬を求めることはできず、誤審を完全にゼロにすることはできない。
そうであれば我々は誤審を受け入れなければならない。いや、我々は既に、自軍に有利になった誤審は既に受け入れているではないか。そうであれば不利になった判定も同様に受け入れなければならない。不利になった誤審だけを指弾するのは、いくらその指摘が正しくてもフェアではない。
当然だが審判がいなければ試合は始まらない。アマチュアの試合を見ればよく分かるが、我々はフットボールをしたいがために、わざわざ審判に来てもらっているのである。審判に裁いてもらわなければ試合が成立しないということ自体が本来恥ずべきことなのだ。そんなに審判が嫌いなら試合なんかしない方がいい。
審判の割り当てが発表されると、「あの審判はあの試合であんな誤審をしたからダメだ」「今日の主審はこないだこんなミスをしたヤツだから今日も思いやられる」的な声が聞こえてくることも少なくないが、そんなことを言っていたら裁いてもらえる審判なんてじきに誰もいなくなってしまう。
それにそんな目で見ていては、フェアなジャッジも誤審に見えてしまうだろうし、試合だって面白くないだろう。初めから偏見を持ってジャッジを見たり、発表の時からブーイングしたりすることで得する者は誰もいない。審判の印象だってムダに悪くしてしまうかもしれない。
技量の巧拙はあるにしても、この試合に来て裁いてくれること自体がリスペクトの対象のはず。技量が優れているからリスペクトするのではない。技量に限界があり、ミスが不可避な人間同士が、敵、味方、中立に別れ、ひとつの試合を成立させようとそれぞれ努力するからこそ互いに対するリスペクトが必要なのだ。
どこかアウェイのスタジアムで、試合前の審判紹介に拍手があった。審判が誰であれ、発表の時にはフェアなジャッジへの期待を込めて拍手するくらいのリスペクトを我々も持ちたいと思った。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2015年06月15日 23:40
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【中断期間コラム】Jリーグの審判はこれでいいのか(2)
さて、今回は「ジャッジをめぐる情報の公開性」についてである。
ジャッジをめぐっていろいろフラストレーションがたまる原因のひとつが、それがオープンに議論されないことにある。
オフサイドの判定がタッチライン側からのリプレイ画像で検証されないのは日常茶飯事だし、ダイジェストでPKにつながったファウルのシーンが放送されないのは当たり前。議論になっている判定も、スカパーはともかく、NHKのダイジェストではほぼ見ない。
こういう、議論を避けているかのような対応は決定的な不信を招く。もちろん判定に関する議論の中には的外れのものも多く、すべてに直対応する必要もないかもしれないが、少なくともオフサイドの判定は試合中にきちんとストップ・モーションで検証するべきである。
微妙なファウルの判定も複数のアングルからきちんと見直す必要がある。特にPKにつながったエリア内のファウルや、逆にシミュレーションと判断されたプレー、ファウルを取ってもらえなかったが怪しいプレーなども検証の必要がある。
試合中ももちろんだが、ハーフタイム、試合後、そしてダイジェストなどでも「疑惑の判定」に触れるのをタブーにしてはいけない。浅薄な感情論や印象論で正当な判定にケチをつけるのは避けたいが、そのためにはアナウンサーや解説者もルールを勉強する必要があるのは当然だ。というかそのための解説者だ。
だが、こうしたメディアの対応だけではもちろん足りない。重要なのは審判員やリーグ、協会が自ら判定についてしっかり語ることである。
かつて、JFAの松崎審判委員長がウェブ・サイトでJリーグの試合での判定についてコメントを述べるコラムを連載していて、僕はこれを熱心にチェックしていたが、残念ながら退任とともにブログも終了してしまった。その後、同様の試みを知らないが、こうして「疑惑の判定」について責任ある立場にある人がきちんとコメントを述べ、時に誤審を認めることは極めて大きな意味があった。
家本政明の著書「主審告白」も面白かったし、オフにはスカパーなどの番組に現役の審判員が出演することもあるが、そのように審判員がレフェリングについてオープンに語る機会は多くない。ましてや、オン・シーズンに、個別の判定に関して審判員が自ら判定の根拠を説明することはない。
試合直後の審判員自ら説明することが難しければ、せめてその日のダイジェストでリーグの責任ある立場の人がコメントすべきだと思う。
そんなことをしたら審判員の技量の未熟さが露見し、判定に対する信頼が失われ、試合をコントロールすることが難しくなるのだろうか。僕はそうは思わない。前回述べたように、Jリーグのジャッジの水準は決して酷くなく、判定にケチをつける意見の多くは負けた鬱憤をぶつけるだけの言いがかりである。ある行為がどうしてファウルと判定され、直後の別の行為がファウルにならないのか、繰り返しきちんと根拠に基づいて説明することで、そうした判定に対するノイズを減らさなければならない。
判定が事後に公開の場できちんと検証されるということは、審判員にも緊張感をもたらすだろう。それは短期的には拙いレフェリングへの批判を引き起こすことになるかもしれないが、長い目で見れば必ず技量の向上につながるはずだ。
Jリーグのすべての試合には審判アセッサーが置かれており、当日の主審、副審のレフェリングは100点満点で点数化されるという。これをそのまま公開することは難しいかもしれないが、レフェリング、判定に関する情報はもっと公開されるべきだし、審判員も、リーグも、協会ももっとオープンに議論に加わるべきだ。
ジャッジをめぐる情報が十分に公開され、共有されれば、判定に対する、過剰で不当な批判は減るのではないだろうか。
│Comments(4)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2015年06月14日 21:22
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【中断期間コラム】Jリーグの審判はこれでいいのか(1)
6月7日に行われた川崎×湘南の試合、54分に湘南の菊池がカウンターで攻め上がりながらゴールほぼ正面30メートルほどの位置から放った強烈なシュートは、クロスバーを直撃し下に跳ねてバウンド、再びクロスバーに当たってピッチ内に戻った。
西村主審の判定はノーゴールだったが、下に跳ねたボールはゴールラインを越えたようにも見え、湘南がリーグに意見書を提出する騒ぎになった。
今季はこの他にも物議を醸した判定がいくつかあり、ジャッジに対する議論も高まっているようだが、果たしてJリーグのジャッジのレベルは本当にそこまで低いのか。あるいはそこには何か別の問題があるのか。何らかの対応が必要なのか、あるいはこのままでいいのか。
僕には、そこにはいくつかの異なる問題が複合しているように思える。おおまかに分けるとだいたい以下のような感じだ。
1. ジャッジそのものの質とその限界を補う手立て
2. ジャッジを巡る情報の公開性
3. ジャッジを巡るメディアやサポーターの受け止め
今回は、「ジャッジそのものの質とその限界を補う手立て」について考えてみたい。
結論からいえば、僕はJリーグの審判のジャッジがそんなに拙いと感じたことはない。もちろん個々の判定や試合の運営に疑問を感じることはある。しかし、それは選手のプレーや監督の采配に疑問を感じるのと同じで、人間がやっている以上無謬ではあり得ないのだから、「今のファウルだろ」とか「オフサイドじゃないだろ」的な疑問が生じること、そのレベルの微妙な判定があることはむしろ当然だ。
そうしたレベルの微妙な判定をいちいちヒステリックに論難することの是非は別に考えるとして、それを越えてJリーグの審判のレベルが国際的に見ても明らかに低いとか酷いということはないと僕は思う。試合の中の微妙な判定や誤審はどこの国のどのリーグでも日常茶飯事だ。僕はブンデスリーガの試合を年に何十試合もテレビ観戦しているが、ドイツ人のアナウンサーも「今のはオフサイドではありませんね」「このPKは疑問ですね」などと年がら年中言っている。同じなのだ。
僕自身も何年か前に4級審判の資格を取り、拙いながらも審判目線で試合を見てしまうが、「あり得ねぇ」的な大誤審などはほとんど見たことはなく、まあ怪しいけど裁量の範囲内だろうとか、見えなかったんだろうなとか、見逃したな、とか、ほとんどは理解できる判断。むしろ「ルールから考えればおかしくないだろ」「当然の判定だろ」と審判の肩を持ちたくなるようなケースも少なくない。
例えば冒頭の例でも、リプレイを見る限り、ボールがバウンドした際の位置が、ゴールラインを完全に越えていたかどうかは極めて疑問だと思う。内側から見た場合に、ボールが外に出たかどうかの見極めは難しく、真上から見てボールの一番ピッチに近い端がゴールラインの最も外側を完全に越えるためには、内側からは相当向こうに行っちゃった状態に見えなければならない。少なくとも菊池のシュートは「これは完全に入ってるでしょ」というレベルではまったくなく、これを誤審だと断定するのはムリがある。
さらに、バーを叩いたボールがゴール内で跳ねて戻ってくるのは、後ろから選手を追いかけている審判からは最も見えにくく判断の難しいプレーであり、問題のシーンでは主審からも副審からもボールが完全にゴールラインを越えていると判断することは困難な状況だったと思う。あれを自信を持ってゴールと判断する審判は海外にもいないと思う。
Jリーグの審判は概ね勤勉で勉強熱心、規則やFIFA、リーグの求める基準に忠実。少なくとも海外のリーグに比べて著しく見劣りするとか、「だから日本の審判は」などと言われるような水準ではまったくないということだ。
だが、それは日本の審判の技術に向上の余地がないということではまったくない。先に書いたように、日常レベルの「今のファウルだろ」的に微妙な判定はいくらでもある。こうした個々のプレーの判定における技術は不断の向上が不可欠である。ますます攻守の切り替えが速くなり、運動量が増え、ワンタッチでボールがめまぐるしく回る現代サッカーにあっては、ポジショニング、争点の予測、瞬時の見極めなどの技術の向上なしに試合を裁くことはむしろ不可能だ。
加えて審判を欺くプレーをする選手も少なくない。審判の判定にことさらにケチをつけて有利な判定を引き出そうとすることが戦術であるかのように考えているクラブもある。こうした輩を放置して審判の判定だけを批判するのはまったくの片手落ちであるが、ともかく、審判はそんなヤツらにも対応しなければならず、シミュレーションを見極める目、恫喝に動じない胆力も必要になる。
一方で、先にも書いたように、どのようにしても見きれないケースというのはある。典型的なのが今回の菊池のシュートのようなゴールの判定だ。2010年ワールドカップでのドイツ×イングランドで大問題になった誤審もこれであった。その結果、ゴールラインに追加の審判を置いたり、所謂ゴールラインテクノロジーを導入するなどの試行が続けられているのは衆知の通り。
その他にもビデオ・チャレンジは以前から話題になっている。こうしたテクノロジーの導入については賛否があるだろうし、僕自身はどちらかといえば懐疑的だが、フェアなフットボールをするためにはフェアな判定が不可欠である一方、人間の五感による瞬間の判定には限界があることを考えれば、これを補う何らかの手立てはあっていいのかもしれない。
いずれにしても重要なことは、審判も人間である以上、間違いや見落とし、失敗はあるということであり、どんなに力を尽くしても判定できないケースもあるということ。選手も監督もミスをするのだから、審判にだけ無謬を求めるのはフェアでないし、現実的でもない。我々はそこにさまざまな人間くさいミスがあることを前提にフットボールを見るべきであるし、すべての議論はそこから始まるべきなのだと思う。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2014年03月18日 22:36
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】フットボールとレイシズム(始末編)
浦和に対する無観客試合の処分が出された。
チェアマンの記者会見も見たがしっかりと問題の核心を理解しており好感が持てた。最初は「差別的な意図がなければ厳罰」とか呑気なことを言っていたが、すぐに事態の深刻さを自覚して軌道を修正したのは正しかった。
「浦和のアレはFIFA的に最も厳しく見られる類のヤツだと思う。無観客とかマジあり得るレベルじゃないのか」
これは僕が浦和×鳥栖の試合があった夜(3月8日)に書いたツイートである。無観客試合が当たったのはまぐれだが、この出来事が深刻なヤツ、ヤバいヤツだという認識はその時からはっきりしていた。前回の「フットボールとレイシズム(事件編)」にも書いたが、レイシズムがFIFA的に最もセンシティヴなテーマだということは分かりきったことだったからだ。
「これは差別的意図があるとかないとかいう問題なのか。外形的にアウトのヤツじゃないのか。認識甘すぎると思うわ」
「差別的な意図はなかったが結果的に一部の人に不愉快な思いをさせ世間を騒がせたことは遺憾である。とか言い出しかねないなww」
これはどちらも月曜日(3月10日)のツイート。「差別的意図があれば…」とか言ってた時のヤツだ。こんなこと言い出したらJリーグがFIFAの信用を失うだけでなく、我が国が世界から「日本はレイシズムに鈍感な国」と思われるしそれはもはや外交的な意味で大きな損失だと思ったのだ。
「今回の浦和の件では我々も学ぶべきことがあると思う。『軽い考え』や『その場のノリ』がどれだけシリアスな結果を招き得るか。どれだけたくさんの人に無用の迷惑をかけるか。ひとりひとりの行動が問われるということ」
これは処分が発表された3月13日のツイート。これはひとり浦和だけの問題じゃないということを言いたかった。
「社会に考えの足りない者やハネ上がりは一定の割合でいるので、どんな集団にもだいたい同じ割合でそういうヤツがいるのは当たり前。東京のサポも当然そう。だからこそ今回の経緯は胸に刻みたい」
これも同じ日。こういうことをやっちゃう素地はどんな集団にも、もちろん東京のサポにもある。浦和を指さして笑うことなんてできない。我々だってレイシズムの謗りこそ受けていないが柏のピッチに乱入したりヴェルディ戦で灰皿投げてケガをさせたりレーザー・ポインターを選手に当てたり、ほめられない事件は過去に起こっている。
社会に犯罪が尽きないように、サポーターの不規則行動は常に起こり得るし、残念ながらサッカーを見に来るよりは日ごろのなにかの鬱憤を騒いで晴らしたいだけの人、応援そのものが自己目的化してフットボールもクラブもどうでもよくなってしまっている人などが何がしかの割合で混入しているのは避けられない。議論はそれを踏まえるところからしか始まらないということだ。
「ヘンな話になるが、これが単純な暴力沙汰ならここまで大きな問題にはならなかったと思う。『レイシズム』というのが非常にネガティヴかつセンシティヴなNGワードだというのは知っておくべき。あと『テロリズム』も」
これも同じ日のツイート。これはレイシズムがいかに世界のフットボール・ファミリーの中でセンシティヴな問題か、いや、「レイシズム」とか「テロリズム」とかがいかに国際社会で軽々しく取り扱ってはいけない問題かを言いたかった。あと宗教の問題も。
おそらくは幸福なことに、日本は極めて均質性の高い国民で形成された国家である。海に囲まれて他国との人の行き来は限定されているし、自分の国でしか通じない言語を話す、基本的に内側を向いた国である。人種とか民族とかマイノリティとか宗教対立とか言われてもピンとこないし、それらがどんなに面倒くさく、ややこしく、悲惨な問題に発展し得るかという想像力もあまりない。そういうのに慣れてない。
だが、これらはひとたび外国に出れば恐ろしくリアルでセンシティヴな問題である。何より僕たち自身が黄色人種であり、あるときは非差別階級であり、あるときは日和見主義者であり、またあるときは経済力を背景にした抑圧者ですらあり得る。そういう単純な事実に対する経験や想像力の欠如が今回の浦和の対応の立ち遅れの背景には間違いなくあるし、それは僕たち自身だって変わるところはない。
「相手クラブ相手サポその他関係ない人にたくさん迷惑かけるから無観客はいかがかという声もあるが、関係ない人を否応なく巻き込んで『こんな大ごとになっちゃいますよ』ということを共有するのにむしろ意味があるっちゅうことやと思うわ」
これが今のところこの問題に言及した最後のツイート。3月15日(土)のものだ。清水のクラブ、サポにはまったく同情するし、大多数の浦和サポだってとばっちりだろう。だが、そうやってたくさんの人に迷惑をかけることで、より多くの人が「なんでやねん」「なんやねんこれは」と思うだろう。そしてレイシズムが一発アウトだということが少しずつ共有されて行くだろう。経済的な制裁という意味ももちろんある訳だが、「多くの人に憤りとともに考えてもらう」ということの意味は大きいと僕は思う。
今回の出来事が提起した問題は決して浦和サポの一枚の横断幕のことだけではない。それは僕たちがフットボールを楽しむ上で最低限知っていなければならないこと、そしてまた、否応なく、すんごいスピードで進んで行くグローバル化の中で僕たちが学ばなければならないことを「ほら」と見せてくれたのだ。
社会に一定の割合で「考えの足りない人」が存在している限り、残念ながら似たようなことはこれからも起こるだろう。その時にどう行動するのかということをすべてのフットボール・サポーター、すべての日本人が考えるのでなければ清水サポの怒りは報われない。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2014年03月11日 20:43
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】フットボールとレイシズム(事件編)
浦和のゴール裏コンコースに掲出された「Japanese Only」という横断幕が物議を醸している。Jリーグの村井チェアマンは「差別的な意図があれば厳しく対処する」と「差別的な意図」の有無がポイントであるかのようなコメントをしており、また掲出者は「人種差別の意図はなかった」と説明しているとの報道もあった。
だが、この横断幕の文言を虚心に見る限り、そこに「差別的な意図」がなかったと見るのは相当ムリがある。英語を母語とする人10人にこの横断幕が掲出された状況の写真(横断幕の隣には日章旗が掲げられていた)を見せてみればいい。おそらく10人とも「これは日本人以外の選手または応援者を排除する趣旨である」と理解するのではないか。
もっとも、これに対しては、浦和には現在マルシオ・リシャルデスしか外国籍選手がおらず、そのリシャルデスもケガの治療のためブラジルに帰国中であることから「日本人だけでしっかり戦うぞ〜」的な意味だという説、そういう状況なんで「日本人しかいねえじゃねえか、しっかり外国人枠使って補強しろよ」とフロントを批判する意図だとする説、などもあるらしい。
笑止である。
この期に及んで何を言っているのか理解に苦しむ。この横断幕が掲出された背景には、今季浦和に加入した李忠成選手への民族的偏見に起因する差別意識があり、彼を揶揄し排除する意図があることは、この日聞かれたという李に対するブーイングや差別的な野次、ピッチに向けて掲出された「日本人」と上書きされた日章旗などとの関連からも明らかではないか。
しかし、問題の本質はそこではない。掲出者にどんな意図があったのか、差別的な意図があったかどうか。それは掲出者をどう「処分」するかという意味では重要なことだろう。だからクラブが掲出者から事情聴取し、その意図をきちんと把握して然るべく処分することは必要だし粛々とやってもらえればいい。しかし、本当に大きな問題は掲出者の意図を超えたところにあるはずだ。
コンコースからピッチに出る通路にのれんのようにぶら下げられた「Japanese Only」の横断幕。これが浦和を応援に訪れた日本人でないサポーターにどう映るのか。これを知ったリシャルデスやペトロヴィッチ監督は何を思うのか。他のクラブの選手やサポーター、ニュースを見た日本の、そして世界の人たちは何を考えるのか。
例えば長谷部や細貝の出る試合が見たくてはるばる渡独し足を運んだスタジアムのゲートに「German Only」と書かれていたらどう思うのか。この横断幕が掲出者の意図を超えて、外来者、外国人に対する敵意、不寛容、拒絶の強い意思表示として機能していることは疑いようのない事実だ。
それが差別なのだ。
もし仮に掲出者が積極的に誰かを差別しようとしていたのではないとしても、自分の掲出したものがそのように他者、少数者に対する強い圧迫、抑圧として機能し得ることに無自覚、無神経、鈍感であるということ自体が差別的なのだ。それは無知や英語力の欠如で説明のつく問題ではないのである。
そう考えれば、この横断幕を認知しながら直ちに撤去しなかったクラブ、「差別的意図があれば」などと呑気なことを言っているJリーグもまた、この横断幕が掲出されているということ自体の差別的意味に無自覚であるという点で差別に加担していると見られても仕方がない。
それは「意図はなかったが結果として傷つけた」「世間を騒がせた」などという「結果的責任」とは次元の違う話である。これは浦和レッドダイヤモンズというクラブ、Jリーグという組織のブランドを毀損する重大な過失であり主体的な責任なのだ。意図にかかわらず外形的にアウトの事案であり、外形的にアウト、一発レッドの認識のないクラブ、リーグもまた同断というしかない。
FIFAはワールドカップでキックオフ前に主将から反レイシズム宣言をさせるなど人種差別の問題には積極的に取り組んでいる。ヨーロッパ各国のリーグも人種差別的なヤジなどには無観客試合も含めた厳しい措置を取っている。今回の浦和の横断幕も、FIFAスタンダードで言えば勝ち点の剥奪や無観客試合になっておかしくない重大な事件ではないのか。なぜフットボールの世界では人種差別、レイシズムはそこまで過剰とも思えるほどナーバスに取り扱われるのか。
それはもちろんフットボールが世界的な広がりを持つスポーツであり、国籍、人種、宗教、言語、政治信条などを超えた世界共通の文化だからである。世界中のどんな人もボールを追うことにおいては対等であり平等であるという考え方が、フットボールが世界中で受け入れられ根づいて行くための重要で不可欠な原点だからである。
そしてまた、そのような開明性、普遍性が、ボールをゴールに蹴りこむという構造の単純さと相まって、「メディアとしてのフットボール」の存在価値を保障しているからである。だが、レイシズムはそうした開明性、普遍性を致命的に破壊し、フットボールを死に至らしめる力を秘めている。だからフットボールはレイシズムを嫌うのである。
だが、フットボールがレイシズムを嫌うのはそれだけが理由ではない。フットボールがレイシズムを激しく嫌うのは、フットボールがそれ自体グローバルなメディアである一方で、時として極めて偏狭なナショナリズムやリージョナリズム、セクショナリズム、そしてレイシズムとたやすく結びつく素地を秘めているからである。
およそスポーツはそもそも闘争の代替物であり、模擬戦争である。戦いは白熱し、観客は熱狂する。熱狂は常に偏狭なものであり不寛容なものである。そしてそれは不合理なものである。我々は不合理な熱狂を求めてスタジアムに足を運ぶのだ。フットボールには、レイシズムとよく似た何かが予め本質的に内在していて、それらが時として激しく互いに共振し得るのである。
だからこそその熱狂は合理的にコントロールされなければならない。熱狂が偏狭で不寛容な敵意や偏見と容易に共振し得るからこそ、それがフットボールの根幹を成す開明性、普遍性を損なってしまわないように、注意深く取り除かれなければならない。時としてナーバス過ぎると思われるくらい注意深く。
FIFAが、フットボール・ファミリーがレイシズムを神経質なまでに恐れ、嫌うのはそのためである。フットボールのグローバル・メディアとしての価値を守ろうとすれば、フットボールと近しく、それゆえ最も脅威的であるレイシズムは何よりもまず排除されなければならないものなのだ。
そのように考えれば、「Japanese Only」などと書かれた横断幕をスタジアムに掲げるような行為は、その意図にかかわらずそれ自体あまりに幼稚で無思慮なものであり、そしてフットボールにとって極めて危険なものであるがゆえに直ちに排除されるべきものであるということ、「外形的にアウト」「一発レッド」であるということの意味が理解されるのではないだろうか。スタジアムは、フットボールは世界に直結しているのだ。
横断幕を掲出した者の認識、意図が厳しく問われなければならないのは当然だが、試合終了まで横断幕を撤去できなかったクラブ、「差別的な意図が確認されれば」などと呑気で的外れなことを言っているリーグは、この行為それ自体の持つ「反フットボール性」にあまりに鈍感でありあまりに無邪気であると言うほかない。
もう一度言う。この横断幕は、そもそも差別的な意図のもとに掲出されたものだと僕は思うが、仮にその意図がないとしても、日本人以外の入場者への強い圧迫、排除の意思表示として機能するものであり、かつ日本人の入場者に対しても煽情的なものであって、それ自体が差別的なものである。
レイシズムはフットボールにとって致死量の毒薬なのだ。
│Comments(2)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2014年01月26日 22:11
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【オフに考える(2)】新2ステージ制は何を争うのか
前回、Jリーグはミーハーを100人呼ぶことを考えなければならないと書いた。そして、そのための試みとしてのポスト・シーズン・マッチは、少なくともその意図において理解はできるとも。
だが、それでは今回導入されようとしているポスト・シーズン・マッチは実際ミーハーを呼ぶ方法として効果があるのだろうか。僕は正直疑問がある。
最も大きな問題は、この新しいポスト・シーズン・マッチが何を争うのかがはっきりしない点だ。
Jリーグのリリースによれば、ポスト・シーズン・マッチは「スーパーステージ」と「チャンピオンシップ」で構成される。スーパーステージは「各ステージの1位チームおよび年間勝点2位、3位チーム(合計4チーム)による、ノックアウト方式のトーナメント戦(1回戦制)」、そしてチャンピオンシップは「年間勝点1位のチームと、スーパーステージの勝利チームによる対戦」である。そして、「チャンピオンシップ勝者を年間優勝チームとし、敗者を2位とする」ということになっている。
つまり一連のポスト・シーズン・マッチは「年間優勝チーム」を決めるためのシリーズということになる。だが、かつてのシンプルな2ステージ制に比べると、ここでいう「年間優勝チーム」の意味、位置づけは今ひとつはっきりしない。
2ステージ制の時は「年間勝点」という考え方は初めから放棄されていた。それぞれ同格の「1stステージ優勝チーム」と「2ndステージ優勝チーム」があり、「どちらが真の勝者かを争う」というチャンピオンシップの位置づけははっきりしていたし、それなりの納得性があった。
あるいはJ2の昇格プレーオフなら、「J1昇格の最後の1枠を争う」という明確な「目的」がある。例えばプロ野球のクライマックスシリーズにも「日本シリーズ出場権を争う」というはっきりとした「勝ち取るべき何か」がある訳だ。
だが、今回のスーパーステージ、チャンピオンシップでは、クラブは何を勝ち取るのだろう。「年間優勝チーム」とは何なんだろう。
既にこのシリーズの仕組自体が、年間勝点1位のチームをシードすることで、「シーズンで最も尊重されるべきものは何か」という質問に自ら答えを出しているように思われる。その上で、年間勝点2位や3位のチーム、シーズン前半やシーズン後半で最も勝点の多かったチームを争わせ、その勝者を年間勝点1位のチームと戦わせることで何を決めようというのか。その勝者が手にする「年間優勝」というタイトルはいったい何を意味するのか。
優勝賞金の問題はあるだろう。優勝シャーレを手にできるという栄誉の問題もあるだろう。それらを手にすることができるのが「年間優勝」の特典だというならそれはそれでいいが、それはむしろ「優勝」という栄誉の価値を下げることになるだけではないのかと懸念する。
せっかくポスト・シーズン・マッチをやっても、それが「優勝」という栄誉だけの、字面だけの問題でそこから先どこにも繋がって行かないというとき、果たして観衆はそこまで熱狂するだろうか。それは結局スーパーカップのような「花相撲」程度の意味しか持ち得ないのではないだろうか。
また、このシリーズは、シーズン前半と後半の最多勝点チーム、年間の勝点1〜3位のチームの計5チームで争うことになっているが、実際問題としてこれらのチームは重なることが多いのではないか。
例えば直近2013年シーズンは前半最多勝点が広島、後半が新潟(年間7位)、年間は広島、横浜、大阪の順となっており、レギュレーションに従えばまず新潟と大阪が1回戦をやって勝者が横浜と対戦、その勝者が広島と対戦することになる。
2012年は前半が仙台、後半が広島、年間は広島、仙台、浦和。仙台と浦和がやって勝者が広島と対戦。
2011年は震災の影響で節の消化が異例だったので2010年を見れば、前半が清水、後半が名古屋、年間は名古屋、セレッソ、ガンバ。清水とガンバがやって勝者がセレッソと対戦、その勝者が名古屋と優勝を争う。
なんか意味あんの、これ? つか、何なの、それ?
もちろんシリーズが導入されれば半期優勝の価値は上がるので、それを取りに来るチームも出て様子は変わるかもしれない。だが、こんな複雑な仕組にしてうまく5チーム出揃うことの方が難しいと思われる上に、結局年間1位から3位のチームがリーグ戦の蒸し返しをするだけのシリーズにミーハーを広く集めるだけの魅力があるのだろうか。
もちろん、やってみなければ分からないし案外盛り上がるかもしれない。正統性がどうであれ、争う目的が何であれ、メディアがワーワー言ってればそれだけでミーハーが集まるという考え方も十分あり得る(結構ありそうにも思える…)。
だが、ミーハーを集めるという前提で考えるとしても、このシリーズにははっきりした「意味」が見出しにくい。大義名分の乏しい、ポスト・シーズンのためのポスト・シーズン。自己目的化した大会のための大会にしか見えない。まあ、実際そうなんだが。
まあ、やってみればいいと思うが、盛り上がるのは「年間優勝」よりも案外ACL出場のかかった2位、3位争いだったりするのかもしれない(「3位以下については、チャンピオンシップ出場チームを除く年間勝点の順位で決定する」ということになっている)。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2014年01月20日 23:14
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【オフに考える(1)】なぜ2ステージ制なのか
僕はもちろん2ステージ制に反対している。以前にこんなエントリーを書いたこともある。ある程度成熟したプロ・フットボール・リーグで前後期の2ステージ+プレーオフとかあり得ない。ホーム&アウェイで長丁場を戦いきった後の成績がチームの評価を最も的確に反映するのだ。リーグ戦はウソをつかないと城福浩も言っていた。
だが、ここで言いたいのは、2ステージ制を導入しようとするリーグの意向と、それに反対する僕たちの考えとが噛み合っていないというかすれ違っているように感じるということだ。
年間優勝が最も価値が高いということにリーグの人たちもおそらく異論はあるまい。できれば2ステージなんかやりたくない。そういう最も基本的な認識は共有できているはずだ。それなのになぜ、フェアネスという観点から見れば今ひとつなポスト・シーズンを導入せずにはいられないのか。そしてクラブはそれに賛成したのか。
そこには長期に亘る観客の減少と、それ以上に深刻な観客の高齢化という問題があるのだろうと思う。スタジアムに足を運んでくれるのはいつも同じ顔ぶればかり。コアなサポは間違いなく来てくれるが、裾野は広がって行かないばかりかどんどん縮んでいる。このままでは今来てくれているサポは毎年確実に年を取り、やがてスタジアムに足を運べなくなる。減る一方である。新しくスタジアムに来てくれる人を増やさなければJリーグに将来はない。簡単な話である。
だが、サポの数を増やすのは簡単なことではない。山の頂を高くしようとすればその裾野を広くするしかないのだ。例えば10人でできている四段のピラミッドを一段高くするには何人が必要か考えてみればいい。てっぺんを一段高くするためには5人が必要だ。さらに一段高くするためには6人が必要だ。裾野を広げ山全体を大きくするには見かけよりもずっとたくさんの労力が必要なのだ。
もちろんそれはコアなサポである必要はない。年に一度、気候のいい時に、夏休みのイベントに来てくれるだけの人でいい。そういう人をたくさん増やした中から毎月来てくれる人が出てくる。ホームに毎試合来てくれる人が増えて、アウェイまで足を運ぶ人も生まれる。それは一本釣りではできない。年に一度来る人が100人増えてようやくコアサポがひとり増えるのだと考えた方がいい。
リーグやクラブがやろうとしているのは、年に一度来る人を100人増やそうとすることである。オフサイドも分からない、選手の名前も知らない、ホームとアウェイの区別もつかない家族連れであり試合そっちのけでいちゃつくアベックである。代表選手目当てのミーハーでありルックス重視のギャルサポである。そういう人を100人呼ぶためには、話題を作り、メディアに露出し、とにかく知ってもらわなければならない。休日のお出かけ先の選択肢に混ぜてもらわなければならない。それをリーグやクラブはやろうとしている。
その時に、既にコアサポになりきった人の「そんなことをやってもせいぜいミーハーが増えるだけ」という意見には何か意味があるだろうか。ミーハーを増やすための議論をしているときに、ミーハーが増えることを揶揄するのは見当違いだ。純粋に、真剣にフットボールを見つめている人には邪魔な人たちをたくさん呼びたい。新しく、純粋に、真剣にフットボールを見つめる人を増やすために。そうやってプロフットボールを見るという営みを我々の文化の中で永続するものにして行きたい。
2ステージがその正しい答えかどうかはともかく、そういう問題意識、危機意識と方法論は僕には理解できる。毎週のようにスタジアムに足を運ぶ我々のような者が、スタジアムを我が物顔で占拠し、勝手が分からずゴール裏に座り込む家族連れや黄色い声で騒ぐ女子高生たちを遠ざけようとするなら、スタジアムはやがてむさくるしい顔見知りだけのパブみたいな閉鎖的な場所になってしまう。それはフットボールを殺してしまう。
スタジアムには多様性がなければならない。多様な人たちがフットボールという一点で結ばれる一瞬をこそ僕たちは求めているのだ。
それでも、今、こうやってJリーグがそれなりの集客ができているのは、リーグができたときのバブル的な人気があったからだ。その時に100人集めたミーハーの中からひとりのコアサポが生き残っているのが今の状況ではないのか。次のひとりのコアサポをつくるためにはもう一度ミーハーを100人集める必要がある。そのために何が必要なのかという議論を僕たちはしなければならない。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2013年06月09日 12:51
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【中断期間コラム】春秋でも秋春でも
秋春とか春秋とかいろいろ議論があるのだが、僕としては正直どっちでもいい。いつシーズンが始まるかなんて単なる「決め」の問題だ。
ただ、ひとつお願いしたいのは、真夏の7月、8月にムリな連戦は避けて欲しい、できたらこの期間はオフにして欲しいということ。夏を乗りきるのもチーム力のうちということなのかもしれないが、普通に生活しているだけでも暑くてうだるこの季節に、ナイトゲームとはいえ90分間走り続けるサッカーの試合を入れるのは選手の健康管理の上でも問題。
何より、暑い時期に過酷な日程でサッカーをすると、省エネのためにぽんぽんと長いボールを蹴るばかりのクソサッカーが主流になるのが残念。豊富な運動量でアトラクティヴなモダン・サッカーを目指すクラブには大きな負担だ。イングリッシュ・ウィークで中二日の試合とかマジ死んでしまう。真夏の過密日程は試合のクオリティを下げてしまう。
もうひとつ重要なのは、国際的なサッカー・カレンダー、特に欧州の日程と平仄を取って欲しいということだ。多くの選手が欧州への移籍を希望し、実際に欧州のトップ・リーグで戦う日本人選手が増えている現在の状況では、欧州とシーズンが半年ズレているのは選手にもクラブにも大きなディスアドバンテージだ。
Jリーグのシーズンが終わってから移籍しようとすると欧州はウィンターブレイクである。ウィンターブレイクの補強はシーズン当初の目論見どおりいかなかったときの弥縫策だ。いわば中途入社である。条件も厳しくなるし、シーズンが終わったところで監督が代わったり編成が見直されてあっさり放出されるリスクも高い。
かといって、移籍のタイミングを欧州の新しいシーズンに合わせようとすればJリーグのシーズン途中にクラブを出ていかなければならない。今はクラブもサポも比較的寛容に、シーズン途中で出て行く選手をそれまで大事に使ってくれるが、主力選手がシーズンの途中で抜けてしまうことが前提で戦うなんて本来はあり得ない話。編成、強化にとっても大きな弱点になってしまう。端的に言ってチームには迷惑だ。
ワールドカップも欧州がオフに入る6月に行われる。Jリーグはワールドカッやコンフェデレーションズカップに日本が出場する年は6月にイレギュラーな中断をはさまざるを得なくなる。シーズンの途中に選手を1カ月も代表に持って行かれるのも問題だ。クラブ間の公平も保たれない。
とにかく欧州に合わせて欲しい。
だとすれば、欧州の秋春を前提にする限り、8月の終わりとか9月ごろに開幕してシーズン前半を年内に戦い、1月を中断期間にして、2月から5月にシーズン後半を戦う秋春制が合理的ではないのか。
真冬の開催では積雪で寒冷地での試合ができないという議論があるのは承知しているが、例えば、日本よりよっぽど寒冷で雪も深いドイツでもリーグ戦は真冬に淡々と行われている。もちろんそこにはそれなりの苦労やら工夫やら投資やらがあるのだろうが、こうした例にいくらかでも学ぶ余地はないのか。
僕としては秋春そのものには全然こだわりはなく、とにかく欧州と日程が合うことが第一の優先順位だと思うので、欧州が日程をズラすのなら日本がそれに逆行する必要はまったくない。欧州の春秋移行の議論があるようなので、それを見守るのでいいと思うが、真夏の過密日程だけはやめて欲しい。サッカーは基本的に冬のスポーツじゃないのか。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2013年06月02日 21:26
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【中断期間コラム】なぜ若手が育たないのか
東京の育成はうまく行っているのか。中断前の最終戦となった鹿島との試合の先発のうち、東京の生え抜きは権田、徳永、高橋、米本の4人だけ。アカデミー出身は権田と出戻りの李だけという状況で、「最高傑作」梶山を海外にレンタルしている事情はあるとはいえ、ユースから昇格した選手たちはいったいどうなったのかと考えずにはいられない。
だが、それはある程度仕方のないことである。優勝を狙い、ビッグクラブとしてリーグを引っ張る役割を担おうとするクラブであれば、外国人や他のクラブから獲得した即戦力の選手が中心になるのは当然のこと。チャン、森重、太田、ルーカス、東、李、渡邉。彼らを押しのけて先発させなければならない若手は見当たらない。
若手を育てるには少々のミスがあっても我慢して試合で使い続ける我慢が不可欠だ。梶山がここ数年のようなパフォーマンスを見せるようになるまで、我々がどれだけ軽いプレーやムラのある動きに耐え続けたか忘れた訳ではあるまい。梶山ですら我々は高い「育成料」を払ったのだ。
そうやって貴重な勝ち点を対価として育成料、授業料を支払いながら、若くフレッシュなチームを一から作って行くのはひとつの形ではある。J2やJ1でも予算規模に限りのある地方のクラブ(城福浩の言う「プロビンチャ」)ならそうしたチーム作りは大きな可能性のひとつだ。現に我々はそうやって米本を、高橋を、田邉を、椋原を育てたのだ。
だが、今の東京はそうではない。実体はともかく、ビッグクラブとして毎年上位争いに食い込むチーム作りを目指すなら、オン・ザ・ジョブ・トレーニング的に若手に割り当てられるポジションはひとつかせいぜいふたつ。それもよほど即戦力として期待できるタレントの場合だけだ。
あの選手を使って欲しい、あの新人を実戦で見たい、そのような親心にも似た希望は理解できるが、それを今の東京の目指すものと両立させるのは難しい相談だ。結局のところ若手の大半は出場機会、試合経験を重視して下位カテゴリーのクラブに積極的にレンタルするしかない。それが今の東京で起こっていることだ。
だが、悲観する必要はない。そうやってレンタルでJ2に散っている東京の若手たちの他にも、東京でトップ昇格を果たせなかったものの他のクラブでプロ入りしたり、大学を経てプロになった選手も少なくない。「Jリーグサッカーキング」6月号には、東京のアカデミー出身者の一覧が掲載されているが、それを見ればジュニア・ユースを含め、どれだけ沢山の東京アカデミー出身選手が日本中のJクラブで活躍しているかを確かめることができる。
それでいい。レンタルに出したまま借りパクでもいい。それはそのまま東京がいかにいい選手を輩出したかということに他ならない。そして李のように、いつか東京に戻って活躍してくれる選手が出るならそれでいい。優れた選手は東京だけの財産ではない。
僕としてはJリーグ所属クラブのセカンド・チームに下位カテゴリーへの参加を認めて、自前での若手育成の場をもっと確保できるようにすべきだと思うが、今の仕組みを前提にする限り、若手はいったん旅に出し、チームは外部調達の選手で編成するという方法論はまったくおかしくないと思う。
クラブとしてそこの整理が明確にできているのであれば、実力で競った結果、ユース出身の選手が出場機会を得られなくても仕方ない。授業料も払わず若手がいきなり活躍できるほどプロは甘くないと思うから「あんな選手を出すくらいならあの新人を使え」式の意見にも与しない。ただ、そんな中でも実力でポジションをもぎ取るような新人が出てくれば文句ないのになあ、とは思う。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
2013年05月27日 23:12
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】試合を壊すな
こないだの甲府×大宮の試合で開始2分、甲府のDF松橋が大宮のFWズラタンをエリア内でタックルして倒したということで退場の処分を受けた。この判定の是非がまた議論になっている。僕も夜のダイジェストでリプレイを見た。
確かに松橋の足がズラタンにかかっているかどうかは極めて微妙だ。仮に松橋の足がズラタンに触れていたとしても、両者がボールにプレーした結果、アクシデンタルにズラタンが倒れたと見てノーファウルという判定もあり得たかもしれない。FKやPKに相当するファウルで決定的な得点機会を阻止したら退場という明確なルールがあるので、ファウルと判定した以上は退場はやむなしだったが、厳しい判定ではあった。
だが、今回はこの判定の是非を問題にしているのではない。この判定に対してあちこちで「試合を壊した」という表現が見られたことにすごく違和感があるのだ。
もちろん、この判定が誤審だという立場からは、審判が試合を壊したということになるだろう。それはいい。だが、判定そのものの是非ではなく、「試合開始早々の退場はゲームのバランスを崩すから控えるべきだ」とでも言わんばかりに「早い時間での退場で試合を壊した」というような言い方にはちょっと待てと思ってしまう。
退場に相当するプレーがあれば、それが試合開始直後でも30分でも終了直前でも退場にするのが審判の仕事である。審判は試合を運営する責任はあるが、試合を勝手に演出する権限はない。「ここで退場にしちゃワンサイドになっちゃって面白くないからイエローにしとこ」とか思って判定を歪めるなんて裁量は審判には与えられていないのである。
本来退場させるべき選手を、何か別の配慮から退場にしないことこそ、試合を人為的に操作することであり「試合を壊す」行為である。意図的な誤審である。ふだんは顔を真っ赤にして誤審に腹を立てる人たちが、「試合を壊すな」という表現で判定に手心を加えることを促すのはフェアとは言えない。
審判がルールに則った判断をした結果、開始早々に退場者が出たり、試合終了間際にPKが与えられたとしてもそれはファウルをした選手の責任であって、審判の責任ではない。その結果試合そのものの興趣が削がれたという意味で「試合が壊れた」のであれば、試合を壊したのは審判ではなくファウルをした選手に他ならないではないか。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2013年05月22日 23:54
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】2ステージ制とかあり得ないでしょ
Jリーグがシーズンを前期・後期に分けてそれぞれ優勝クラブを決め、最後に前期優勝クラブと後期優勝クラブでプレーオフを行う1シーズン2ステージ制の導入を検討しているというニュースがあった。Jリーグは発足当初から2ステージ制で行われていたが、2005年から現行の1ステージ制に移行しており、2ステージ制が再導入されれば9年振りということになる。
これはリーグ発足時に比べると落ち込みの顕著な観客動員数を何とか増やそうとする苦肉の策のようだが、はっきり言って愚策である。年間チケットを購入し、毎週のようにスタジアムに足を運んでいる者としてはこの際「反対」だとはっきり言っておきたい。
甲府の城福監督は「リーグ戦の順位が自分たちの実力。リーグ戦の順位はウソをつかない」と繰り返し発言してきた。18クラブがホーム&アウェイ総当りで34試合の長丁場を戦えば、一時の調子の良し悪しではなく、選手層の厚さも含めたそのクラブの総合力が如実に結果に表れてくるということだろう。
高いパフォーマンスを一定の期間に亘って維持するためには、安定した経営、明確な方針に基づいた強化、戦略の策定と共有、そしてその実践といった、クラブ運営の基礎がしっかりしていなければならない。それが強いクラブの条件であり、その強さを競い、クラブの本質が試されるのがリーグ戦である。
だからこそ上位のクラブはACLに進出できるのである。短い時間軸での結果を求められる2ステージ制では、アジアや世界で戦える底力のある強いクラブは育たないのではないか。Jリーグ全体の底上げ、強化を考えれば、2ステージ制はあまりにもその理念にそぐわない。
ホームとアウェイの組み合わせで前期日程と後期日程の条件が異なってしまうことはこの際措くとしても、僕が見たいのは1年間を通して自分たちのサッカーを表現するために走り続け、その結果勝つべきクラブが勝つ当たり前のリーグ。2ステージ制には反対だ。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2013年05月17日 21:46
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【緊急コラム】誤審はなくならない
5月11日の浦和×鹿島の試合で誤審があった。浦和の興梠のオフサイド・ゴールが認められてしまったのだ。副審は興梠がボールに触っていないと判断したようだが、実際にはがっつりヘディングしてボールの軌道が変わっており、絵に描いたようなオフサイドが見逃されてしまった。
こういうことがあると審判は激しい非難を浴びる。選手に詰め寄られ監督に罵倒され観客からブーイングを浴びせられる。まあ、選手や監督は生活がかかっているのだから感情的になるのも分からないではないが、いずれにしても因果な商売である。
だが、サッカーはミスによって成り立っている。選手はシュートをミスり、パスをミスり、ポジショニングをミスって守備をミスる。監督は采配をミスる。その中で審判にだけ無謬を求めるのは筋が通らない。人間である以上、誤審を皆無にすることは初めから無理な相談であり、サッカーは選手のミスと同様に誤審を初めから予定した上で成り立っているのだ。審判が完璧でないことだけを責めるのはフェアではない。
もっとも、それは審判を批判してはいけないということではない。審判が誤審を限りなくゼロに近づけるべく不断の努力をしなければならないのは当然だし、ポジショニングの悪さや争点の見落としによる誤審は、選手のシュートミスや監督の用兵ミスと同様に批判されなければならない。
その前提として必要なのは、審判の判定がオープンに検証され、議論されること。中継は画面を止めてオフサイドやPKやバーに跳ねたゴールの判定を検証すべきだ。夜のダイジェスト番組には審判委員長が出演して問題のシーンを何度もリプレイしながら審判の判断を評価すべきだ。その意味で、今回協会の審判委員長が誤審を認めたのはよかったと思う。
判定を巡る議論がいつもすっきりしないのは、審判の側からの声がほとんど聞こえてこないからだ。判定を巡る罵詈雑言には無知に基づくものだって少なくない。審判にも言い分はあるはずだ。そういう議論をもっとやるべきではないだろうか。
それから、試合中に微妙な判定のリプレイを大型画面で放映しないようにと協会が各クラブに示達したという報道もあった。事実を隠蔽して審判を過度に守るものだという意見もあるようだが、これは仕方ないと思う。試合中に画面を見て判定を覆すということがあり得ない以上、スタジアムを紛糾させることには試合運営上何の実益もない。
同じような要請はかつてFIFAから出されたことがある。
「国際サッカー連盟(FIFA)の広報担当者は28日、決勝トーナメント1回戦、 アルゼンチン―メキシコ戦で、アルゼンチンが明らかなオフサイドで先制した後、 得点シーンが場内の大型画面で再生されたことについて『間違いだった。 リプレー自体は構わないが、警備上の都合で微妙な判定の場合は好ましくない』と話した」(2010年6月28日 日刊スポーツ)
これは検証の問題ではなく、試合運営、警備上の問題である。微妙なシーンの検証は後でゆっくりやればいい。「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点となったかどうか、また試合結果を含め最終である」。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2011年03月22日 22:34
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 僕たちはフットボールを待っていた
僕たちはフットボールを待っていた。
あの激しい地震から10日。瓦礫の山をかき分けて行方の分からない人を捜す活動はまだ始まったばかりだ。住む家も財産も一切を失った人たちが寒い体育館で夜を過ごしている。壊れた原子力発電所からは放射性物質が漏れ出し、都心に住む僕たちは停電に怯えながら米の消えたスーパーの棚を見てはため息をつく。
僕たちはフットボールを待っていた。
あの日からフットボールが消えた。僕たちがさまざまな思いで迎えたJ2での新しいシーズンはわずか1試合を行っただけで突然中断してしまった。僕たちにはまず自分自身の生活を建て直すことが先決だったのだ。地震は被災地から遠くにいる僕たちの心にも深い傷跡を残した。僕たちは知らないうちに暗い顔をしていた。晴れない心を抱え、僕たちはニュースを見続けた。
僕たちはフットボールを待っていた。
最初にフットボールを思い出したのは子供たちだった。避難所の子供たちがボールを蹴っているというニュースが僕たちの心のどこかにヒットした。海外からは次々に「フットボールを思い出せ」というメッセージが届いた。ミュンヘンでは僕たちが何度も歌った歌がスタジアムに鳴り響いた。
僕たちはフットボールを待っていた。
今日、ようやく、シーズンを4月23日から再開するというニュースが届いた。考えてみればわずか10日なのに、フットボールのない毎日は僕たちをどれだけ不安にさせたことか。することのない週末、自分の大事な一部が欠けてしまったような感覚。フットボールが僕たちにとって何であるか地震が教えてくれた。
僕たちはフットボールを待っていた。
僕たちは少しずつ日常を取り戻す。もちろん、被災者はまだ寒い夜を過ごしている。なされなければならないことは山ほどある。だが、ここにいる僕たちは僕たちの日常を取り戻さなければならない。そうやってひとりひとりが自分自身の日常を取り戻す努力を積み重ねること、それが復興に他ならないのだから。それが地震に立ち向かうことに他ならないのだから。
僕たちはフットボールを待っていた。
なぜなら、フットボールは僕たちの日常だから。僕たちはそれを取り戻さなければならないから。余計な明かりは消していい。昼間の試合がいい。1ヵ月、僕たちは待てる。
僕たちは、フットボールを待っていたのだ、ずっと。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
2011年01月30日 20:32
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 天皇杯を考える(5) まとめ
天皇杯の運営について、いろいろと問題点をあげつらってきたが、最後にもう一度まとめておこう。
これまで挙げてきた問題点はだいたい以下のようなものだ。
・シーズンが終わって2週間も経ってから準々決勝、準決勝、決勝を1週間でやる年末の日程
・何の縁もない遠隔地での開催と会場の割り振りの偏り
・交通機関の確保などロジがまったく整備されていない試合運営
・ブロック指定というニセ指定席
・少なすぎるテレビ中継
これらはいずれも、Jリーグが発足する前のアマチュア時代の尻尾をひきずった過去の遺物であるように僕には思える。
JFAや都道府県サッカー協会がサッカー関係者の自発的な尽力で成り立っていることには頭の下がる思いだが、トップリーグをプロ化し、入場料を取って観客を呼び込む道を選んだ以上、こうしたクラブを中心的なコンテンツとして開催するオープン・カップも運営のプロ化を図り、足を運んでくれるサポーターがまた見に来たくなるような試合運営というものにもっと問題意識をもって取り組むべきだ。
寄せられた意見の中には天皇杯はもう要らないというものもあった。ナビスコカップ(リーグカップ)との役割の整理も必要だろう。僕は、あらゆるチームの頂点に立つ「サッカー日本一」を決めるためのオープンカップ自体はあってもいいと思うが、この大会の位置づけ、意味合いはきちんと見直して、サポも納得でき、地域のサッカー振興、地元経済にも資するような運営のやり方を真面目に考えなければならない。
決勝の元日開催や、都道府県協会がこれまで当たり前のように任されてきた試合の主管も考え直すべきだ。選手、クラブ、サポーター本位の大会になるよう、JFAは彼らの声に耳を傾け、知恵を絞る必要がある。サッカーがビジネス、商売になること自体を僕は否定しないし、むしろそれがサッカーという競技を発展させるひとつの方法であるとすら思うが、ビジネスにするのであれば、より魅力的なコンテンツを、より効率的に、よりフェアに売らなければならない。
天皇杯はそういう商売の基本、商道徳みたいなものがないがしろにされ、顧客であるサポもいい加減うんざりしている状態だと思う。リーグに11百万人も動員したいのなら、サッカーの底辺拡大を担う天皇杯だってゼロベースで見直すことが必要だと思う。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ | 天皇杯
2011年01月23日 18:11
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 天皇杯を考える(4) テレビ放送編
今回はテレビ放送について考えてみたい。これはNHKの問題でもあるが、放映権をどう売るかはJFAの責任であり、不可解な放送スケジュールはきちんと総括しておきたい。まずは2010年の放送を確認しておく。尚、この他にNHKの地方局で地元クラブの試合を中継している場合もあるようだ。
◆2010年の天皇杯の放送状況
まず、1回戦は一切放送なし。
2回戦はBS1で32試合中2試合の生中継。そしてダイジェストは試合があった翌日の夜9時からBS1で約50分。
3回戦は16試合のうち8試合が10月9日(土)、4試合が11日(月)に行われ、ナビスコカップの準々決勝を10日(日)に戦ったクラブの4試合が13日(水)に実施された。NHKの中継は4試合。このうち9日、11日開催の3試合が録画中継で、生中継は13日に開催された川崎×横浜FCの試合のみ。ダイジェストは11日(月)の午後9時から40分。放送はいずれもBS1。
4回戦は11月17日(水)に8試合が行われたが何と中継なし。ダイジェストは翌々日である19日(金)の未明1時からBS1で50分。
12月25日(土)実施の準々決勝はさすがに4試合すべてを中継。しかし試合時間が重なるため生中継は2試合のみで、残りの2試合は当日の午後6時と8時から、いずれもBS1でそれぞれ放送された。ダイジェストはまず日付が変わった26日(日)の未明0時50分から総合テレビで30分放送され、夜が明けて同じ26日(日)の夜8時からBS1で再放送、さらに29日(水)の朝10時からもBS1でもう一度再放送された。
準決勝は12月29日(水)。キックオフ時間の異なる2試合をいずれも総合テレビで生中継。さらに当日の夜10時と日付が変わった30日(木)の0時からBS1でそれぞれ再放送。ラジオ第一放送でも生中継されている。
元日の決勝は当然総合テレビとラジオ第一放送で生中継。
◆中継が少なすぎる
言いたいことはシンプルで、中継が少ない。あとダイジェストが遅い。これに尽きる。
現状のように何の縁もない遠隔地に当たり前のように飛ばされ、平日開催も少なくない状況では、すべてのサポが試合を見に行ける訳ではないのは自明。頼りはテレビ中継だけだが、2回戦は2試合、3回戦は4試合のみの中継、4回戦に至ってはなぜか中継なし。何なんだ、これは。Jリーグのクラブが出ていない1回戦も中継なし。
NHKにすれば公共の電波を天皇杯の試合で埋め尽くす訳に行かないということかもしれないが、それならスカパーがある。自局で放送する気のない試合はスカパーに放送権を売却するなり当日の放送だけを委託するなりして一試合でも多くサポに見せてやろうという気はないのか。放送権を抱え込んで放送しないのは視聴料を払っている我々への背信行為だ。
最初に書いたように、これはNHKだけの問題ではなくJFAの責任だ。JFAはせっかくの試合が少しでも多くのサポ、少しでも多くのサッカーファンや子供たちに届くように努力する責任があり、そのようにNHKと折衝するべきではないのか。
特に問題にしたいのは4回戦である。平日の夜開催なので仕事やら学校やらの関係でスタジアムまで足を運べないサポがたくさん出てくることは容易に想像できるのだから放送の必要性は高かった。にもかかわらず、聞けば地上波、BS合わせて6つもチャンネルを持っているらしいNHKが、録画ですら1試合も中継できない理由は何なんだ(アジア大会の影響らしい)。
◆ダイジェストの放送が遅すぎる
しかも4回戦はダイジェストすら放送は翌々日だ。8試合を編集するのに何日かかっているのだ。「Jリーグタイム」は当日最後の試合が終わった直後から放送できているのだから技術的な問題ではないはずだ。
他の日程でもダイジェストの放送は遅い。放送すらなかった1回戦は論外として、2回戦は翌日の夜9時から、3回戦では4試合については当日の夜だが、前々日に行われた8試合もまとめてのダイジェストされたため、これらの試合については翌々日の夜にようやく放送されたことになる。
準々決勝ではややマシになるものの、それでも放送は当日深夜というか翌日未明の0時50分から。普通の人はもう寝ている時間だ。次の日は日曜日なんだから我慢しろということか。中継に限界があるのなら、せめてダイジェストは当日夜のまともな時間に放送してもらえないのか。
◆試合そのものの中継を大事にして欲しい
不愉快なのは、ここまでサッカーファンをバカにした編成をしておきながら、「いよいよ準々決勝! 天皇杯サッカー優勝への道」という30分の特別番組を地上波で12月23日(木)の夕方5時30分から総合テレビで放送、さらに翌日の夜8時からBS1で放送していることだ。他にも元日のBS1では「元日名勝負選」と銘打って過去の決勝戦から3試合を丸ごと放送。こんな番組に使うカネと労力と放送時間があるのなら、現に行われている試合をひとつでも多く中継すべきではないのか。まったく腹が立つ。
他にも、準々決勝のように2試合分の放送日程を詰めて入れている場合、最初の試合が延長、PKになって押してしまうと、2試合目の放送開始がずれ込んで試合の途中からになったり、こうして時間が延びた試合を録画中継する場合、試合の一部を端折って放送することが行われたりする。
トーナメント戦なのだから延長は十分考えられることで、初めからこんな情けないことが起こらないよう放送を別チャンネルに割り振るとかしてきちんと最初から最後まで見られるようにするべきだ。高校生の野球大会なら通常番組を全部すっ飛ばして全試合を完全中継するのに、サッカーのこの融通の利かなさは納得し難い。
結局のところ、今、実際に行われている試合の価値が不当に低く扱われているということではないのか。つまらないアオリ番組より生の試合の中継を。そして中継するならキックオフから終了までを。そんなに極端なことを言っているつもりはない。
まとめると、以下のようになる。
◎NHKで放送しない試合はスカパーに放送を委託して全試合完全生放送すべきだ。
◎ダイジェストは試合当日の夜に速やかに放送すべきだ。
う~ん、実に明快だ。テレビ放送のあり方について、JFAはNHKとしっかり協議すべきだ。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ | 天皇杯
2011年01月22日 12:00
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 天皇杯を考える(3) 試合運営編
第3回は試合の運営について考える。これもかなりストレスを強いられた。さすがに味スタや国立でやる時はそんなに感じないのだが、今回やられたのは正田醤油スタジアムと熊谷。都道府県協会の運営の限界を見た気がした。
◆公共交通機関でお越しくださいと言うのなら…
正田醤油スタでは北九州と対戦した。北九州は2回戦で正田醤油スタをホームとする草津に勝って3回戦に歩を進めており、群馬県サッカー協会としては、当然草津が勝つことを期待していたのにその当てが外れた格好になったのだろう。
で、行ってみた。駅からスタへのバスが少ない。僕は電車を降りてまっすぐに乗場に向かったので来たバスに乗れたが、すぐ後ろは既に長蛇の列になっていた。バスが来なくてキックオフに遅れた的な話はなかったのだろうか。
帰りのバスもすべての人がバスに乗れたのはかなり後になったと聞いた。僕はいつも試合が終わるとすぐに席を立って帰途に着くので、最初に待機していたバスに乗れたが、その後はバスが来なかったとか。係員の誘導に従って路線バスの停留所に移動したが、路線バスの運転手から一般の客が乗れなくなると言って乗車拒否されたという話も聞いた。
同じことは熊谷でも繰り返された。キックオフ1時間半前にJR熊谷駅に着いたが、既に駅前にはとぐろを巻くようなバス待ちの長い列。通りかかった地元の人に、「これ、何の行列ですか」と僕だけでも3回くらい訊かれた。モノを訊きやすそうな顔をしているのだろうか。キックオフまでにスタに着かなかったというツイートを見た気がする。
帰りはさらにひどかったらしい。僕は例によって待機していた最初のバスに乗れたが、その後は列を捌ききれず、人によっては2時間も行列をして待たされたという。この日、日が暮れてからの熊谷は盆地特有の底冷えで寒かった。あの気候で2時間も待たされた人たちには心底同情する。
だいたいバス待ち列が何人くらいいて、バスを何台で運用していて、バスがスタから駅まで行って戻ってくるのに何分かかるかなんてことはその気になれば簡単に分かるはず。バスの増発がすぐに無理でも、あと何分かかりますとかの案内くらいできるだろうし、そうすれば諦めて歩くという選択肢もある。
これはバス会社の問題ではない。試合を主管し、県外から観客を迎えるのは群馬県サッカー協会なり埼玉県サッカー協会の仕事で、交通機関を確保するのも彼らの責任だ。どちらのスタも、スタジアムにはなるべく公共交通機関でお越しくださいと誘導していたはずで、それならそれなりの公共交通機関を用意するのが当然だろう。あり得ない対応を立て続けにやられてかなりゲッソリきた。
◆席がない、売店もない…
正田醤油スタではスタジアム内外の運営もひどかった。
まずスタジアムに着いたが席がない。アウェイ自由席は狭いバックスタンドのみだが、僕が到着したキックオフ1時間前には既に満員。どう見てもスペースを確保できそうになかったのでやむなくいったんスタを出て当日券売場でSA席に振り替えてもらった。これに応じてもらえたのが唯一の救いだった。
その後も続々と人が詰めかけていたので、アウェイ自由席はきっと立錐の余地もない混雑になったことだと思う。この日、正田醤油スタではゴール裏の芝生席は開放しないことになっていたが、キックオフの30分前を過ぎた頃か、ようやく開放された。いったい前売の枚数の読みとか席詰めの誘導とかどうなってんだと思う。
売店もなかった。どこかにあったのかもしれないが見当たらなかった。事前にツイッターなどで情報を得ていた人は駅などで食料や飲料を調達していたし、真夏じゃないので脱水になるようなこともなかったが、これってホスピタリティとしてどうなの、と普通は思う。
正田醤油スタがゴール裏の芝生席を開放しなかったり、ロクに売店も営業させなかったのは、草津が3回戦に進めなかったことに対するスタジアム側の腹いせだという噂すらあった。そんなことがあろうとは思えないが、そういう噂がまことしやかに通ってしまうほど腹立たしい運営だったことは間違いない。
そこまでひどくはなくても、よく言えば素朴な、商売気のない素人運営は結構あちこちで見られるのではないだろうか。
◆運営はクラブかイベント会社に委託せよ
要は前橋も熊谷も交通機関の確保を含めロジができていないということだ。東京のサポが何人くらい来るかは前売や過去の試合の実績を見れば分かるだろう。交通機関やスタの内外でやらなければならないことはちょっとシミュレートすれば洗い出せる。そういうことに長けたイベント会社や代理店だっていくらもある。どういった規模の対応が必要なのか、きちんとした事前評価はあったのか。
それというのも、試合を主管するのが都道府県サッカー協会だからではないのか。高校生のボランティアがもぎりをしている微笑ましい光景はそれはそれでもいいが、数千人の観客が集まるイベントでは相応の態勢がないと容易に混乱が起こるし、それなりのやり方というものがある。十分なロジがなされないままたくさんの人が一箇所に集まることは危険ですらあるのだ。素人運営で対応できる範囲かどうかは事前に分かるはずだ。
試合運営は前回提言したホーム開催権を持つクラブに原則として委託するべきである。ホーム開催なのだから運営ノウハウも当然相応のものがあるだろう。運営能力に不安のあるアマチュアや学生がホーム開催権を持つときは、ホーム開催を返上するか、試合運営を受託せず都道府県サッカー協会がイベント会社などに別途委託すればいい。
サッカー協会は本来サッカーを愛する人たちで構成される非営利の団体であり、彼らに万全の運営を求めるのは筋違いだという意見もあるかもしれない。あるいはこの手作り感が天皇杯のいいところなのだと言う人もいるかもしれない。しかし、メディアで大々的に宣伝し、プロのクラブが参加して行われる日本最大のオープン大会の運営が、地元の小学生のサッカー大会に毛が生えた程度のものであっていい訳がない。
入場料を取って客を呼び込むのなら、運営もプロであるべきだし、それが他県から交通費や入場料を払って見に来てくれるサッカーファンへの最低限のホスピタリティだと思う。ビジネス的に言えば他県から大勢の人が集まるイベントは地元クラブやサッカー普及への取り組み、さらには地元の特産品や食べ物をアピールする絶好の機会のはずで、売店を出さないなんてやる気のない運営は考えられない。せっかく魅力的なコンテンツを持っているのにこれを町おこしに活用しないのは地元にとっても大きな損失だ。
あんな運営が繰り返されるなら、少なくとも僕は群馬県サッカー協会と埼玉県サッカー協会の主管する天皇杯の試合には金輪際行きたくない。
◆「ブロック指定」という自由席の怪
運営についてもうひとつ言っておきたいのは、SA席の価格設定というか席種設定の問題だ。天皇杯ではSS席、S席、SA席ともに指定席とされており、子供料金の設定がない。しかし、SA席は実際には「ブロック指定」と称して事実上エリアを区切った自由席として運用されていることがある。
味スタがそうで、バックスタンドの中央部分はSA席になっているため、ふだんこの辺で試合を見ている僕としては天皇杯でもSA席を買うことになるのだが、事実上自由席であるにもかかわらず、子供料金がないので、子供を連れて観戦に行くと自由席に比べてすごく高くついてしまうのである。
例えば、2回戦なら自由席は大人1,500円、小中学生800円。子供を二人連れて行けば3,100円である。ところがSA席になると、個別に席が確保されている指定席ではないにもかかわらず、ブロック指定という訳の分からない概念を持ち出されて大人も子供も一人2,000円、3人で6,000円。これでは気軽に子供を連れて行くこともできない。JFAは子供たちへのサッカーの普及をどう考えているのだろう。むしろ席が確保されている指定席にも子供料金を設けるべきだと思うがいかがか。
│Comments(5)
│TrackBack(0)
│Jリーグ | 天皇杯
2011年01月22日 00:46
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 天皇杯を考える(2) 会場編
今回は会場の選定について考えてみよう。
まずはここ3年のFC東京の試合会場を確認しておく。カッコ内は対戦相手のクラブだ。
《2008年》
4回戦:味スタ(仙台)、5回戦:鳥取(新潟)、準々決勝:仙台(清水)、準決勝:静岡(柏)
《2009年》
2回戦:味スタ(讃岐)、3回戦:長崎(草津)、4回戦:丸亀(仙台)
《2010年》
2回戦:味スタ(駒大)、3回戦:前橋(北九州)、4回戦:味スタ(千葉)、準々決勝:熊谷(福岡)、準決勝:国立(鹿島)
◆どちらのチームも関係ない遠隔地での開催
見れば分かると思うが、ホーム・スタジアムを優先的に割り当ててもらえるらしい初戦と2010年の4回戦を除いては、東京とも対戦相手とも関係のない遠隔地のスタジアムでの開催である。
仙台と味スタで戦い、清水とユアスタ(仙台)で戦って、柏とエコパ(静岡)で対戦した2008年。
草津と長崎で、仙台と丸亀(香川県)で戦い、さながら「地方巡業」の観を呈した2009年。
北九州と正田醤油スタ(前橋)で、福岡と熊谷(埼玉県)でと、九州のクラブを相手に北関東(熊谷は北関東みたいなもんだろ)で2試合も戦った2010年。
僕は何も遠隔地で試合が開催されること自体を非難しているのではない。いや、遠隔地開催だと遠征するのが大変だから、ホームでやってもらえるに越したことはないのだが、それが相手クラブの地元であればまだ納得もできる。問題なのは、東京にも相手クラブにも何のゆかりもない遠隔地で試合が開催されることだ。
おかしいだろ、これ。何で東京と草津が対戦するために長崎まで行かなければならないのか。何で東京と仙台の試合のためにサポが大金を払って四国まで乗り込まなければならないのか。
もちろん、JFAにはJFAの都合があるのだろう。各都道府県協会への試合の割り振りとかそういう内部事情があるのだろう。だが、そんなことは「そっちの話」であって、入場料を払い、仕事を調整し、交通費をやりくりして遠くまで試合を見に行くサポーターには関係のないことのはずだ。対戦するどちらのクラブとも関係のないスタジアムでの試合開催は、決勝以外やめて欲しい。
◆会場の割り振りの不公平
もうひとつの問題はクラブ間のスタジアム割り振りの公平感の問題である。東京のここ3年の試合会場は既に見たとおりだが、参考までに鹿島アントラーズの試合会場を見ておこう。
《2008年》
4回戦:カシマ(国士舘大)、5回戦:カシマ(清水)
《2009年》
2回戦:カシマ(高崎)、3回戦:カシマ(福岡)、4回戦:カシマ(神戸)、準々決勝:カシマ(G大阪)、準決勝:国立(仙台)、決勝:国立(名古屋)
《2010年》
2回戦:カシマ(高崎)、3回戦:カシマ(熊本)、4回戦:カシマ(C大阪)、準々決勝:カシマ(名古屋)、準決勝:国立(東京)、決勝:国立(清水)
何だ、これ。
3年間、カシマと準決勝、決勝の国立のみ。鳥取、長崎、丸亀と大遠征を強いられてきた東京とはえらい違いである。「たまたま」で納得できるレベルではない。別に鹿島に恨みがある訳ではなく(ない訳でもないが)、このクラブ間の待遇の違いが大き過ぎるという話。これはいったいどう説明され得るのか。
天皇杯の会場がいったいどういう仕組みで決められているのか、もう僕にはさっぱり分からない…。
◆対戦チームに開催権を
試合会場は対戦するクラブの一方のホーム・スタジアムにするべきだ。そして、対戦クラブ間の所属カテゴリーが異なる場合は下位カテゴリーに属するクラブのホームを優先して使用し、同じカテゴリーに属する場合は前年順位が下位だったクラブのホームを優先して使用するということでいいのではないだろうか。
優先権を持つクラブがアマチュアや学生だったりしてそのクラブが所属する都道府県サッカー協会が開催を放棄したら他方クラブのホーム、それも返上するなら中立地でいいだろう。でも、優勝を狙うような有力クラブなら、準決勝までホーム・スタジアムの日程を仮押さえするんだろうし、そもそもJFAが、ある程度余裕を持って次の試合のスタジアムのブッキングができるように日程を調整すればいい(前回参照)。入替戦なんか実施の確定は直前でもちゃんとスタジアムの手配はできてたじゃないか。
次回は「試合運営」の問題を取り上げる。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│Jリーグ | 天皇杯
2011年01月21日 00:05
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 天皇杯を考える(1) 日程編
天皇杯は日本で最も歴史のあるサッカー大会だ。当然FC東京も毎年参加して泣いたり笑ったりする訳だが、その運営には毎年正直うんざりさせられることが多すぎる。今回の第90回大会でもいろいろと思うところはあったが、シーズン中は試合の内容に集中し大会運営については敢えてあまり書かないようにしていた。
だが、元日の決勝も終わったことだし、次のシーズンが開幕するまでの間に、天皇杯に関して感じたことをきちんとまとめておきたい。
第1回の今日は、まず「日程」に関する問題を取り上げる。
◆1回戦の2日後にJ1と2回戦はさすがに気の毒だろ
さて、今回の天皇杯ではJ1のクラブも2回戦から参加した。東京の場合、その2回戦がまず9月5日(日)、3回戦は10月11日(祝)、4回戦は11月17日(水)と、ここまではリーグ戦の間を縫う形での開催だ。その後準々決勝がリーグ戦終了から3週間後の12月25日(土)、準決勝が中3日で29日(水)、決勝には進出できなかったが決勝戦はだれもが知っている通り準決勝から中2日で元日に行われた。
日程面の疑問の第一は、J1のクラブが免除された1回戦が、2回戦の2日前、9月3日(金)に行われたことだ。2日前に1回戦を戦ったアマチュアが中1日でJ1のクラブと、しかも相手クラブのホーム・スタジアムで戦うことを強いられるのは常識的に考えてフェアではないだろう。
J1のクラブを2回戦から参加させるのは下位カテゴリーのクラブとの対戦を増やして大会を盛り上げようという趣旨なのだと理解しているが、このマッチ・メイクはその趣旨とどう考えても矛盾している。まあ、それでもプロが苦戦したりするのが面白いのかもしれないが、こんなハンデ戦を余儀なくされるくらい他に日程の工夫のしようはなかったのかと思う。
◆リーグ戦終了後のナゾのブランクと準々決勝以降の過密日程
もう一つの問題は、準々決勝以降の日程である。リーグ戦は12月第一週には終わっている。外国人選手は故国に帰りたいし戦力外通告を受けた選手は次の就職先を探さなければならない。それなのに、そこから3週間もおいてクリスマスの週末に準々決勝、その後は中3日で年末の忙しい平日に準決勝、さらに中2日で元日に決勝となぜか急に日程が立て込む。
何回も週末をやり過ごしてから、急に思い出したように1週間に3試合も詰め込む意味が分からない。わざわざ御用納めで忙しい年末の平日の昼間に準決勝を押し込まなければならない必要性もまったく理解できない。この意図不明の日程のために上司や同僚にムリを言って12月29日に休みをもらった会社員がどれだけいるかJFAは分かっているのか。
12月の第一週末にリーグ戦が終わったのなら、第二週末に準々決勝、第三週末に準決勝をやっておけば無理なく決勝を迎えられる。いびつな日程につきあわされるサポの迷惑を真剣に考えて欲しい。みんな、学校やら会社やらお店やらのリアルな事情がある中で、周囲に迷惑をかけながら何とか必死に日程をやりくりして愛するクラブの応援のためにスタジアムに駆けつけているのだ。
シーズン中の日程の調整が難しいのは分からないでもないが、理想的には8月、9月くらいからポツポツと大会が始まり(その意味では4回戦までの日程は1回戦を除いて悪くない)、11月中に準決勝まで済ませておいて、リーグ戦が終わった次の週末に決勝をやって欲しい。里帰りとかの貴重な正月に試合をやるのもやめて欲しい。
正月までシーズンを引っ張ってしまうと、移籍などクラブの編成にも影響するし、今年のように年明けからアジアカップなんかが入っている年には(それもどうかと思うが)、代表選手にはオフがなくなってしまう。12月の中旬までには天皇杯も含めすべての日程が終了し、来季に向けて準備に入るのが穏当な考え方ではないか。
すぐにそれがムリでも、準々決勝と準決勝、準決勝と決勝の間は少なくともそれぞれ1週間は空けて欲しい。
◆インターバルが短すぎるためにチケットの死蔵が増える
あと、もう一つ、派生的な問題かもしれないが、準々決勝と準決勝、準決勝と決勝の間が極端に短いため、例えば見込みで決勝のチケットを買っていたのに準決勝で負けた今年のような場合、チケットを人に譲るのが極めて難しくなって使われないチケットの死蔵が増えるという問題もある。
準決勝終了後の国立では門前に市ができるくらいチケットを求める鹿サポと不要になったチケットを捌きたい東京サポが入り乱れて即売会の状況だったとも聞く。中2日、しかも学校も会社も休みに入る年末では、本当にチケットが必要な人を探して話をまとめ、受け渡しをするのも難しい。郵送では間に合わない。
結果として使われずにムダにされたチケットがたくさんあった一方、準決勝終了後にチケットを探しても売り切れでなくなく現地観戦を諦めたサポもたくさんいたはずだ。
日程のことを考えるだけでもこれだけ問題が出てくる。この後、「会場」「運営」「テレビ放送」についても問題点を洗い出して整理し、できればどうして欲しいかという対案も示して行きたいと思う。
│Comments(4)
│TrackBack(0)
│Jリーグ | 天皇杯
2010年07月18日 00:33
[posted by der_ball_ist_rund]
■ 【Jリーグ第13節】FC東京×神戸
さあ、Jリーグの再開だ。本来見たいのはこれであって代表でもワールドカップでもない。東京は中断期間中に大黒、ソ・ヨンドクを補強、一方で長友はイタリアのチェゼーナへレンタルが決まった。これまで12試合を終え、3勝しかできず12位はまったく納得できない数字。ここからの巻き返しに期待しなければならない。
梅雨が明け日中は日射しが暑い一日だったが、夕方になると風も出てまあまあ過ごしやすい気候に。買ったばかりのiPhoneをいじくっているうちに周囲も埋まってきた。ワールドカップ効果か、アウェイ側がかなりアレな感じの入りだったにもかかわらず、観客は25,780人。こういう試合でいいサッカーを見せる必要がある。
東京はケガの権田に代わり塩田が久しぶりのリーグ戦先発、CBは変わらないがSBは右に中村、左に松下。また右SHには大竹が入り、トップは大黒とリカルジーニョ。中断前とはかなり陣容を変更してのキックオフとなった。
試合は序盤から東京ペース。ホームらしくパスをつなぎ、縦に当てて攻撃を起動。手数をかけずにトップに入れる攻撃も織り交ぜながら優勢に試合を作って行く。10分、中央で大黒がつぶれながら左サイドのリカルジーニョにパス。これを持ち上がったリカルジーニョが切れ込んでシュートを放つと、GKがセーブしたボールがゴールエリアに転がり、真っ先に駆けつけた梶山が冷静に流し込んで先制。
さらに18分、リカルジーニョが再び左サイドからDFをかわしてドリブルで敵ペナルティ・エリアに侵入。中央へ送ったクロスに大竹が合わせ2-0に。ほぼ完璧な試合運びで東京が主導権を握る。その後はしっかりボールをつなぎながら次の得点機を狙うが、追加点はなく、結局2-0のまま前半を終わった。
前半終了間際に敵FKのディフェンスで塩田が負傷、治療に時間がかかりちょっと心配したが塩田は後半も出場。敵はハーフタイムに2人を交替させ攻撃的に出てくる。東京はこれを受けてしまい、後半開始早々敵をゴール前でフリーにするが塩田がセーブ。その後も神戸がシンプルに縦に運ぶ攻撃を仕掛け、東京がこれを跳ね返す展開が続く。
62分、左サイドの羽生から大きな展開を受けた大黒がゴール右で合わせようとするが惜しくも枠を外れる。可能性を感じさせるシーンで、大黒のゴールに向かう姿勢がはっきりと感じられた。直後には大黒の落としから大竹が絶妙のループシュートを放つがGKにセーブされる。試合の流れからは、このあたりで追加点を取れなかったことが後々効いてくることになる。
63分には羽生に代えて鈴木を、69分にはリカルジーニョに代えて石川を投入。前線をリフレッシュして追加点を取りに行くという趣旨だと理解したがどうだったのか。次第に中盤が間延びしスペースができ始める中、この時間帯は東京が何度かチャンスを作るが神戸の守備を崩しきれない。76分、大竹に代えて平山を投入。前線でしっかりキープし試合をクローズせよとのメッセージか。
ところがここから想定外の事態が発生。83分、敵カウンターから押し込まれ、最後は角度のないところから放り込まれたループが塩田の頭を越えサイドネットにイン。2-1となる。東京は敵陣でボールをキープし時間を使おうとするが、ロスタイムは4分の表示。せいぜい3分くらいだろと思っていたが予想外の長いロスタイムにイヤな感じ。さらに「眠らない街」を歌い始めるのが早過ぎるような悪い予感がよぎる。
ロスタイムが3分台に入ったあたりで敵にFKを与え、厳しいボールを放り込まれるが何とかCKに逃れる。この時点で既に所定の4分を過ぎており、いつ笛が鳴ってもおかしくない状態。おそらくCKがラストプレーになると思ったが、CKからゴール前で混戦となり、森重がハンドを犯したということでPKになってしまう。正直、このシーンはよく見えず、何でPKになったのか分からなかった。
このPKを決められたところで試合終了。釈然としないタイム・マネージメントで勝ち点2を失ったが、後半に追加点が取れなかったのがそもそものつまずき。チャンスもあったが交替で入った鈴木、平山が十分機能しなかった感があった。勝たねばならない試合だったし実際勝てた試合だっただけに残念な引き分けになった。
新加入の大黒は得点こそなかったものの、前線からの積極的な守備やポストに質の高い動きを見せ、十分な存在感があった。もっと裏を狙いながら前で張ってるだけの人かと思っていたが、思いの外しっかりとチェイスするし、攻撃のスイッチが入ったときの動きにはいい意味で得点への執着があり、これまでいかにも淡泊だった東京の攻撃にアクセントを加えられるのではないかと思った。
また、リカルジーニョもモラル高くスピードを生かしたボール運びで2得点に絡んだ。こういう男は調子に乗せてしまうに限る。監督がここへきて先発起用したのもうなずける出来だった。
採点(採点の見方):
塩田(4) 何度かいいセーブもあったが飛び出しの見極めがちょっと微妙だった
中村(4.5) 守備はしっかりしていたが攻撃では球離れが悪く逸機も
森重(4.5) ロスタイムに痛恨のハンド、後半はよくなかった
今野(4) ボール奪取は相変わらず冴えたが後半はビルドアップが停滞
松下(4) シンプルなプレーで攻撃にも貢献、プレースキックも魅せた
徳永(4) 梶山とバランスを取りながら時として目の覚めるような反転
梶山(3.5) 奪われてファウルで止めたシーンもあったが中盤に君臨
大竹(3.5) ボール扱いにアイデアがあり見ていて楽しい、得点も残した
羽生(4) メリハリの利いたプレーで下支えしたがこの人にすれば普通
リカルジーニョ(3) スピードを生かし実質2アシスト、勝ってればMOT
大黒(3.5) 得点を期待されて来た男の美学がきちんと見える動き
===
鈴木(5) ボールを持ったときの思い切りが悪く攻めあぐねてしまった
石川(4.5) 途中出場でうまく試合に入れず、いい印象は残せなかった
平山(5) 何を期待されたのか自分で整理できていなかったのかも
試合後、チェゼーナに移籍する長友の壮行セレモニーがあった。城福体制になってから東京が一段上のチームになれたのも長友の力に負うところが大きかったと思う。ここで長友が抜けるのは実に痛いが、まあ、シーズン前からある程度分かっていたことでもあり、気持ちよく送り出してやりたい。そのためにも勝ちたい試合だったんだけどなあ。
│Comments(8)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2009年07月18日 00:20
[posted by der_ball_ist_rund]
■ さようなら、シャムスカ
思うように成績を残せない監督がシーズンの途中で更迭されるのはよくあることだ。我がFC東京でも何年か前にやったことがある。グラードバッハは2008/2009シーズン途中にヨス・ルフカイを更迭してハンス・マイヤーを招き、何とか二部降格を免れた。すべてが監督のせいではないにしても、シーズン途中でまさか選手を総入れ替えすることもできず、立て直しとして現実的にできることとなればせいぜい監督の首をすげ替えることくらいしかない。それにまた、そうやって監督を交替させると結構調子が上向いたりすることもあるのだ。
だから、大分がシャムスカ監督を解任しても驚きはしない。遅きに失したという人もあるだろう。ただ、僕は残念なだけだ。
大げさに言えばシャムスカはJリーグの夢だった。Jリーグというプロサッカーリーグが、さまざまな出自のクラブを抱えながらその多様性に支えられて我が国に根を下ろそうとするとき、ひとつのロールモデルを示したのが大分でありシャムスカであった。現代の日本にあって地方都市は規模においても経済においても決定的なディスアドバンテージを負っている。スポンサー集めさえままならない環境の中で、コンパクトな経営を志向せざるを得ない地方のクラブにとって、無名の選手や若手を育て、できることの中で確実に成長して行く大分とシャムスカのあり方は大きな希望であり目指すべき方向であったはずだ。
その集大成が2008年のナビスコカップ優勝であった。それは確実に新しい時代の到来を予感させた。オリジナル10の時代、鹿島と磐田の時代は終わったと僕は思った。鹿島は相変わらず強かったが、磐田は入れ替え戦で仙台に押されて地獄の淵を覗き、Jリーグ勃興期の盟主であった読売は再び二部に転落した。上位に食い込んだのはJリーグのお荷物だった浦和と、Jリーグが始まった頃はまだアマチュアだった川崎やFC東京だった。そして2003年から一部に昇格したばかりの地方クラブの大分はそんな中でリーグ戦でも4位でシーズンを終えた。その先頭に立つシャムスカの爽やかな笑顔は大分サポだけのものではなかった。彼はJリーグの夢だったのだ。
今季、確かに大分の戦績はひどいものだ。シーズンの半分である17試合を終えて1勝1分15敗。勝ち点4でダントツの最下位である。監督が更迭されるのも当然だと思う。それがシャムスカでなければ。今季の大分の低迷は決してシャムスカひとりのせいではない。開幕直前にアメリカへ行かされる無理な日程でプレシーズンの準備が不本意なまま開幕を迎えざるを得なかった。九石ドームのひどい芝生のせいでケガ人が相次ぎ、一時はベンチ入りメンバーすら足りない状態だった。その中で、大分は勝てはしなかったものの、内容的には奮闘したと思う。ただ、ネガティブ・スパイラルをどこかで断ち切る最後のモメントがなかっただけだ。そしてそれを、大分はシャムスカを切ることで得ることにした。
無責任だと言われるのを承知で書けば、僕は、大分はシャムスカとともに二部に降格し、1年間雌伏するべきだったと思う。皮肉でも何でもない。シャムスカはそれに値する人物だ。ケガ人が戻りつつあり、フェルナンジーニョも補強してここから盛り返しを狙うならそれを率いるべきはシャムスカであり、二部落ちを覚悟してチームの作り直しに取り組むならそれを主導するのもまたシャムスカであるべきだ。もう遅いが、大分はシャムスカと心中すべきであった。これで大分は普通の二部規格の地方クラブになってしまった。
さようなら、シャムスカ。君はJリーグの夢だった。ありがとう、僕より2日だけ年上のペリクレス・シャムスカ。いつか君に日本代表を率いて欲しい。
│Comments(4)
│TrackBack(0)
│Jリーグ
2009年02月07日 23:26
[posted by der_ball_ist_rund]
■ Jリーグ2009年シーズン日程発表
2009シーズンの日程が発表された。開幕はまたしても味スタで新潟と。手ごわい相手ではあるが、2004年、2005年と開幕を新潟と戦ったときにはともに快勝しており、ゲンのいい相手ではある。2004年の時みたいに新潟からもたくさん見に来てくれると嬉しい。それ以前に青赤で味スタが埋まればもっと嬉しいけど。
さて、今季はリーグ戦の平日開催が8月19日の山形戦のみと良心的な日程になっている。しかもこの試合はアウェイなので年チケのダメージもない。もともと山形戦はスカパー観戦の予定だったので、この日は早く帰ってテレビを見よう。
問題なのはキックオフ時刻だ。4月はホームとアウェイを合わせて5試合が予定されているが、そのうち4試合が19:00キックオフだ。5月にはナビスコも含め7試合あってやはり4試合が19:00キックオフ。6月は4試合のうち3試合が19:00キックオフで、7、8月は夏場なので仕方ないが9試合全部が18:00以降のキックオフである。
これはひどい。平日開催とか真夏は仕方ないとしても、サッカーの試合は本来土曜日の午後に見るものであって欲しい。ナイターは帰りが遅くなってしまい、子供を連れての観戦には無理が多い。特に日曜日の夜の試合になると、翌日を考えてしまって楽しめないし、アウェイ観戦だと帰りの足の確保が難しく、場合によっては深夜の帰宅になってしまう。ホーム開催の場合だって対戦相手のサポは同じことを思うだろう。
19:00キックオフだと試合が終わった時点で既に21:00前、そこから1時間かけて帰るとして速やかに帰っても22:00。子供はとっくに寝る時間だ。観客の高齢化が進んでいるというJリーグのレポートがあったが、こんな試合日程ならそりゃ次の世代のサポも育たないはずだ。真面目にサッカーの未来を考えているとはとても思えない。今さら日程の変更は難しいのかもしれないし、テレビ放映の関係でキックオフの時刻を分散させたいということもあるのだろうが、このナイターの多さには本当に辟易する。正直何とかして欲しい。
ナビスコはACL出場の4クラブを除く14クラブを2つのグループに分けてリーグ戦を行い、各グループの上位2クラブが決勝トーナメントに進むことになった。東京は山形、柏、千葉、清水、京都、神戸と同じ組になった。ホーム&アウェイではなく、それぞれのクラブとは1試合のみの対戦で、6試合のうち3試合がホーム、3試合がアウェイとなる。神戸、山形、清水がホーム戦、柏、千葉、京都がアウェイとなったので、場所だけ考えれば5試合は見に行けそうだ。
東京のホームゲームは都外での開催はないようだ。国立が3試合、ナビスコだが駒沢が1試合ある。松本開催がなくてよかった。あれ、行くの大変なんだもん。すごい雨だったし、去年。
さて、東京はグアムキャンプを打ち上げ、宮崎での二次キャンプに向けて小平で調整中だが、塩田が体調不良で検査入院しているようだ。正GKがこの時期に離脱しているのは正直不安だが、こんな時こそ権田、阿部のアピールの機会。荻を残せばよかったなんていわれないように、塩田が戻ってきても入り込む隙がなくなるくらいの成長を見せて欲しい。
│Comments(0)
│TrackBack(0)
│FC東京 | Jリーグ
|