日本フィルの作曲家プロデュースコンサート第三回湯浅譲二の巻@サントリーホールに出かけた。演奏した曲は以下の通り。
J.S.バッハ(ストコフスキー編曲):パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV.582
湯浅譲二:始源への眼差II (1992)
湯浅譲二:芭蕉の情景―オーケストラのための(1980)
湯浅譲二:内触覚的宇宙V―オーケストラのための(2002)
      [日本フィル・シリーズ第36作]
湯浅譲二:始源への眼差III(新作・世界初演)
アンコールにバッハの平均律から湯浅の編曲版

 一通り聴いてドゥルーズの「音楽的時間」というテキストを意識した。ここで、ドゥルーズは非パルス的時間とか浮遊する時間という概念を持ちだし、メシアン、カーター、シュットクハウゼン、リゲティ、ブーレーズの音楽を論じている。(これはブーレーズの招きにより、IRCAMで行った講演)
Le temps non pulsé n'est pas seulement un temps libéré de la mesure, c'est à dire une durée, pas seulement non plus un nouveau procédé d'individuation, libéré du thème et du sujet, mais enfin que c'est la naissance d'un matériau libéré de la forme.
 パンフレットを読むと「芭蕉の情景」を聴いたメシアンが「この曲は時間の新しいコンセプトを持っている。あなたはとて良い耳を持っていて、それで聴きわけた音を正確にオーケストレーションしている」という賛辞を述べてくれたというエピソードとも関係してくるだろう。さらに「内触覚的宇宙」のは、ハーバード・リードの『イコンとイデア』から着想したものであるという話も興味深い。とはいえ、IRCAMで聴かれたであろう五曲よりも、湯浅の曲の方が退屈しない・・笑・・のはなぜだろうか?これは湯浅の作品に結局「形」を意識するからか?

 ところで、パンフレットに一つ誤植を発見、湯浅は佐伯晴夫の『ゆらぎの不思議』を読みとあるが、これは佐治晴夫が正しい。佐治晴夫は玉川大学にいた先生で、宮城大学へ異動後、今は中部地方の大学の学長をしている。実は、昨年宮城大学へ集中講義へ行ったときに、佐治先生と偶然会い、話をしたので余計に気になった。