谷中オペラ日記

オペラ=作品についての、備忘録のようなもの。

2005年09月

黒いチューリップ@新国ロフト

9de4b81e.JPG 劇団唐ゼミ★が、とうとう新国立劇場に登場した。23日にマイスタージンガーを見に行った際には、およそ劇場と相容れない大根がガラス越し見えていて、ラジカルな印象を持ったが、今日行ってみると何か縮小された印象をもった。
入り口のところで室井尚さんに会い、挨拶すると劇場とのやりとりがあったことをほのめかしていた。(そのことは室井さんのブログに詳しい。)それでも、いつもの見慣れた劇場をどうにか乗っ取って別のものにしてやろうという、唐ゼミ★の心意気みたいなものを感じた。
 ところで、今回の公演のチケットは安かったこともあり、発売日当日に完売となったそうだ。私は、そんな予想もしており、会員専用の申し込みで、あまり見たくもない岸田國士作品との三回セット券で購入したのだが、席に着くと桟敷の後ろ、椅子席の最前列で、きわめて見通しの良い席で、いつものテントとは違ってゆったりと観劇することが出来た。
 黒いチューリップは昨年末の公演では、体調が悪く狭い劇場で息苦しくなり二幕で帰ってしまったので、そのリベンジのつもりで見ることになった。その公演では、「パチンコ店チューリップの客、コンドルタクシーの運転手といったアンサンブル的な俳優達の動きがぎこちなく感じたのだ。」と書いたが、今回の公演では、そういったあらが少なくなり、格段に進歩した印象をもった。また、今回の公演では、役者志望の若者をオーディションにかけ採用した役者が17名おり、彼らともともとのメンバーたちが一丸となって唐作品に取り組んでいる姿は好感が持てた。彼らは初日というプレッシャーの中、必死に演じており、その輝いている目をみると、若さとは素晴らしいと思ったりした。(先日パリのクスクス屋でマスターにジュノムと呼ばれて気恥ずかしかったなあ・・・)
 今回最後まで見て、エコーを演じた土岐泰章の声に強く惹かれた。オペラで言えばテノーレ・リリコのような高い声が心地よくドラマの流れを導く。ケイコ演じる椎野裕見子はメゾでドラマティコであり、その重く力強い声が、エコーが導くドラマの流れを分断し、次から次へとドラマを創出していくように思えた。一方、ノブコの禿恵は椎野より高音でソプラノ・リリコ あるいはリリコ・スピント的で、椎野よりも軽く叙情的な印象を与え、この二人の女優の対比が唐ゼミ★の魅力であるように思った。
 男優では、春太の渡辺幸作と泡小路の新堀航は、盲導犬で影破里夫を演じるように声の質は似ていて、バリトンのドラマティコとして、コテコテの台詞まわしとなるのだが、声質的には、ブッフォ的な安達俊信や杉山雄樹の声が、それらと絡むことになり、単なるコテコテでなく祝祭性が増し、唐の台詞のおもしろさだけでなく、音声のレベルでも楽しめるように思えた。
 さて、ラストシーンは、ケイコがエコーに接吻をして、二人の唾液が絡みあって糸を引くようにして終わるのだが、前面にあったパチンコ台が倒れ、ケイコはからみあった唾液を引きずりながら舞台奥に行くと共に、エコーは舞台左に作られた坂道を駆け上ることで、唾液(演出上は糸)が舞台に遠近法的な奥行きをもたらし、テント&野外の公演で行うような借景的な効果を導いたように思った。
 最後に、劇団員紹介をして、演出の中野敦之は唐十郎本人を舞台に招いた。唐は若い役者たちよりも緊張した様子で、御礼の挨拶をした。閉園後、いつものように役者たちが見送ってくれたのだが、僕は中野君に「おめでとう」と祝福し、出口近くにいた椎野君とも握手をして素晴らしかったといい、帰宅の途についた。

エスペリオン21@武蔵野文化会館

オペラの身体的快楽とはいいながらも、23日のマイスタージンガーは相当に身体的な疲労をもたらしていた。それを24日にいやし、日曜日の25日に武蔵野まで遠征し、ジョルディ・サヴァール率いるエスペリオン21のコンサートを聴く。ドンキホーテをテーマとしたプログラムでスペインの16〜7世紀の音楽の演奏となった。
わたし的には、久しぶりに古楽器によるコンサートだったのだが、ヴィオラ・ダ・ガンバの音色は、さらに癒しをもたらすとともに、ギタリストのすぐれた演奏を聞き入った。
サヴァールはリセウ劇場でのオルフェオのDVDで、演奏と説明している通りの人で、三曲のアンコールを英語で説明している様子は、良き教育者といった顔を見せていたように思った。

会場でCDの販売があったが、確かこのレーベルはもっと高かったはずなのに、来日記念と言うことなのか安くなっていたように思った。しかし芋洗い状態に辟易し、CDは買わなかった。

ニュルンベルグのマイスタージンガー@新国立劇場4

21日に朝帰国し、空港から仕事場へ駆けつけた。さすがにぼろぼろに疲れたところに、後輩が肺血栓で突然死んでしまったというファックスが届いた。22日に告別式があり、そこで彼を偲んで遅くまで酒を飲むことに、そしてたちの悪いことに屋台のラーメンまで食べてしまった。翌日、二日酔いでふらふらしている身体をむち打って新国立劇場に出かけた。

およそ、オペラなど見る体力でないのに、長丁場どうなることかと思っていたが、後輩の死と友人の病気と精神的に辛いことが重なっていたこともあり、ワーグナーの音楽は生きる希望とはいかないまでも、何か力を与えてくれた。そんな状況だったので、歌手がどうのこうのって感じでもないのだが、久しぶりに一階席で見ると、良く音が聞こえてきて楽しかった。
もっとも、この公演にかんしては、いわゆるワーグナー的な音のうねりみたいなものを期待する向きには不満が残るのだろうが、レックの指揮する音楽を反語的かも知れないが小アンサンブルを聞き取るように聞くという楽しみがあったような気がする。
噂では、バイエルンとかち合った公演で、平日などは、相当に不入りだったそうだが、23日は満席に近く熱気があった。そんな状況だと、どんなに身体的、精神的に辛いことがあっても、やはりオペラを見ると言うことは、楽しいし身体的な快楽をもたらしてくれるということを実感する。

コジ・ファン・トゥッテ@パリオペラ座(ガルニエ)4

cf8f9871.JPGコジ・ファン・トゥッテ@パリオペラ座(ガルニエ)
 ライモンディが久しぶりにパリオペラ座に登場するということでも話題になったコジを見に行きました。このチケットは前にも書いたように、インターネット発売初日にアクセス不能になったプログラムで、パリ在住のガーター亭亭主さんに、チケットをとってもらいました。ブログのつながりに驚くと共に、感謝感謝。
 席は21ユーロの四階席だったのですが、四人席の後ろ席でなく、運良く廊下の奥の二席だったため、値段のわりには良く見えました。隣あったオペラ好きのマダムは、この席をいつも確保しているとのことで、エクスのプログラムを既にテレビでみたけど、ハーディングの方が良かったとか、シェローの演出はすばらしいとか、オペラ愛溢れる会話が出来てとてもうれしかったです。
 さて、そのシェロー演出ですが、序曲が始まってもシャンデリアの光が消えず、明るいまま進行します。そして、序曲が終わると客席の方から声がしてきました。私の席からは真下から声が聞こえてくる感じで、興味深かったです。もしオルケストラの席を買えていたら、すぐ真横にライモンディ様(keyakiさんモード)が登場することになり、興奮したことでしょう。
 オケピット左右の端に橋が架けられ、舞台と客席の間を歌手たちが自由に行き来する演出で、舞台装置はVietato Fumare(禁煙)と壁に書かれた工場のような感じ(火薬工場?)で、装置の転換はなく、左右に張り出したバルコニーから舞台を見下ろす設定にする演出を試みていました。
 エクスでは、指揮はハーディングだったのですが、やる気のないオケに憤慨して降りてしまい、ギュスターブ・クーンに変更になったとのことですが、クーンはザルツブルグ出身ということで、モーツアルトは特異なのでしょうが、ハーディングの演奏に見られるような切れはなく、序曲もわくわくするよう気持ちにはなれずじまいでした。特に一幕はオケものってなく、どうなることかと思っていたら、第二幕になって持ち直し、艶のある弦の音は美しくなり、そこそこ楽しめました。
 歌手ですが若者4人は良かったと思いますが、そのうちガランチャのドラベッラが評判が良かったです。またライモンディも貫禄の歌いぶりでしたが、バーバラ・ボニーのデスピーナは、その美しく、か細い声が役の性格と合致していないと共に、狂言回し的な役回りも感じられず、不満でした。
 最後に演出ですが、やはりコジは、元の鞘に戻った恋人たちがどのような気持ちを表現するのかといったところが気になりますが、シェローはバレーボールの試合のように、5人でスクラムを組み(デスピーナも入っていたかな?記憶が定かでない)それで大団円といった終わりになっていました。モーツァルトチャチャチャ!という感じでしょうか・・笑・・終わりよければ全て良しというのか・・・それともこれから何かを頑張ろうという決意なのか、そのあたりは微妙で、逃げ口上のような印象をもちました。
 ともかく、再びここでオペラが聴けたこと、その喜びに感謝しつつ、ホテルに戻りました。そして、なんとこの文章はランスへ向かう列車のなかで書いています!!!まさに「ランスへの旅」です。

旅日記17日目 9月19日


 今日が最終日となった。朝早くおきてバイヨンヌに向かおうと駅にいくが、時刻表を見間違えていて、10時27分まで待つことに、駅にはwifi環境が整っているので、ここから通信を試みようとするがorange もsfrもクレジットカードの頁に行かないため断念。
 バイヨンヌへは、TGVでいかなければならず、予約が必要で面倒だ。バイヨンヌ到着後ボナ美術館へ、ここでFRAC AQUITANEのディレクターによる展覧会を見る。美術館は小規模だが、レンブラントやアングルなどの作品は充実しているのと、ゴヤやエル・グレコ、ムリリヨの素晴らしい作品をコレクションしており、ここがスペイン国境に近いことを痛感する。
 一通りみたあと、市内を見学五、もうひとつのグループ展会場に向かおうかと思ったが、昨日FRACを見学できなかったので、滞在2時間でバイヨンヌを後にして、ボルドーに戻る。ランチもここで取らなかったので、有名な生ハムは食べずじまい。
 ボルドーに戻りトラムとバスを乗り継ぎFRACへ、湊の旧倉庫を改装したもので、会場は広い。ここでは、michel の展覧会が開催中で、32枚のポスターの展示となった。彼の作品は、前々回のベネチアビエンナーレのベルギー館でみた、ファンタジックな展示をみており、懐かしかった。ここのFRACは7人で運営されているのだが、、私の質問にもとても親切に応えてくれて、うれしかった。詳しい資料もいただき、ここをあとにして、土産モードとなる。
 チョコレート屋で購入すると、壁に天皇の写真があり、良く聞くと日本に支店が4つあるという。買ったあとだったので、早くいってくれよと言いたくなる。夕食は、昨日が魚貝だったので肉と赤ワインを飲みたくなる。16ユーロの定食をえらび、フォワグラと鴨肉のローストを食べる。極めて美味、ワインはボルドーのハーフボトルを頼んだが、これも美味。
 少し食べ過ぎたのでホテルまで徒歩で帰り。ボルドー最後の夜を楽しみ、帰国に備えた。翌日、さあ帰れるぞと意気込んでチェックインしようとすると、極めて厳密に20kgの荷物について言われてへこむ。結局一度も選択しなかったgapの黒いジーンズを捨てて、帰国の途についた。そして、今機内でこの日記を書いている。最終日は21731歩 我ながら良く歩いた。

 

旅日記16日目 9月18日

 リモージュのホテルからインターネット接続をこころみたが、モデムの応答がない。きっとホテルのインフラが古いのだろうと思っていたのだが、ボルドーについて、ビジネスホテル(キリヤ)の部屋から電話しても同様の状況だったため、おそらくモデムがおかしくなったのだろう。このホテルはwifi接続出来ないため、この投稿は帰国の後になるだろう。
 久しぶりにキリヤを利用したのだが、イビスなどより安く、朝食のビュフェも豪華(しかも6ユーロ50)なので、うれしくなる。豪華な朝食となると、バックパッカー時代の癖がでてついお弁当を作成してしまった。今日のお昼はそれと、リンゴ一個となる。
 南西地域の地方紙をみると、土曜日の文化遺産の日で、美術館入場者数の記録が更新されたと書かれていた。確かに、ボルドーではその熱が盛んなようであり、無料開放の施設にはその入場者が途絶えることがなかった。さすがに旅も後半となり、疲れているのでゆっくり目に行動し、最初にオペラ座の見学をした。残念ながらまだシーズンが始まっておらず(23日からのオッフェンバックの「パリの生活」で幕があける)実際の舞台をみることは出来なかったが、素晴らしい劇場だった。入り口の新古典主義の列柱は美しく、アーチをくぐると階段室となり、その石造りの階段の装飾など目を見張るものがあった。また、ステージと客席、天井、シャンデリア等、それらが一流のものであり、是非是非実演を見て、音を確かめたいと思った。
 次に、倉庫を改造した現代美術館に向かった。やはり文化遺産の日ということで、無料開放されており、同居している建築博物館共々見応えのある展示だった。現代美術館では中央の吹き抜けの部分に大規模なインスタレーションが行われるのが常なのだが、今回はPascal Broccolichiによるサウンドインスタレーション=Dial-O-Map 25度というもので、美術館内をグゥオーーングゥオーーンとノイズで満たしていた。
 常設展示を見に3階にもぼるため、エレベーターに乗ると、前の訪問の時にも感心した、キース・へリングの壁画が健在で、うれしかった。そして、エレベーターを降りると宮島達男の作品が目に飛び込んできた。これはFRACでなくFNAC(本屋でなく、国の現代美術基金)のコレクションによるもので、展示品はそこから借り受けたものと、この美術館のコレクションの半々ぐらいで構成されていた。
 このあと、建築博物館に行き都市計画と建築の展示をみる。建築の展示は、見慣れたパネルが多くでてくる。ひとつはダニエル・ビュレンヌによるパレ・ロヲアイヤルおそれ、そしてナントのLieu Uniqueなどだ。この建築家はそれらを手がけていて、展示も興味深かった。また彼はジンガロの本拠地の建築も手がけており、面白かった。
 ところで、この美術館の屋上階には、リチャーロ・ロングの作品が設置されているのだが、その横にあるレストランは、とてもおしゃれで昼のランチは23ユーロで、少し高めだが、本当におしゃれな感じがする。私は、そういったおしゃれと無縁であるためパスして、市内に戻る。
 次に大聖堂を訪問したところ、日本人観光客を初めて発見し、寂しいこともあり声をかけると、なかなか面白い人だった。一緒に美術館まで行ったところで、夕飯を誘う。というのもフランスに来たからにはfruits de merを食べたくてしかたなく、その専門店を町歩きで発見していたからだ。これは、一人で食べる料理でなく、会話が必要で、彼女に御願いしたわけだ。すると、彼女も牡蠣を食べたかったとのこと、意気投合して待ち合わせすることにした。
 その後、私は久しぶりにペサックにある、ル・コルビュジエによる集合住宅を見学しにいく。ところが文化遺産の日にあたったためやたら見学者が多く、開放されている家には18人しか入れないでガイドツアーのみとなっていた。前に来たときには自由に見学出来たのだが、しかたない。しばし時間があるのでデジタルカメラで必至に写真を撮って戻ると16時45分の会は既に開始されており、17時30分まで待つこととなった。
 もう一度、エリアを見学しつつ入場すると、フランス語の説明が始まる。それは、極めて初心者向けのものであり、多くの人がこの建物群のことを知らないでいたということが良くわかった。ここでは、近代建築の五原則とかピュリスム時代のポリクロミーといった説明はなかった。また、以前きたときにはのぼれた屋上は上れなくなっており、少し物足りなかった。
 五年ぶりぐらいの訪問なのだが、この五年でボルドーの街にはトラムが走り、移動しやすくなったが、その間屋上には上れなくなったということになる。そのあと、急いで市内に戻り、fruits de merを食べに目的のレストランへ、7時30分ごろ入るとまだ従業員たちが夕食モードだった。
 27ユーロのプラトーを二人前頼むと、大皿に生ムール、生赤貝、かに、巻き貝たちがやってくる、牡蠣がないと訝しがっていると、プラトーは二階建て状態で、もう一皿やってくる。その後は、entre deux mersの白ワインで。ひたすら食べることになる。パリあたりでこれを頼むと、本当になさけないような小さい巻き貝をたべること(ほとんど残すけど)になるのだが、ボルドーのそれは貝の種類が違うようで、最後の肝の部分も新鮮で極めて美味であることに驚いた。そして、牡蠣はアルカッションのそれであるからパリなどで食べることが馬鹿らしくなる。
 プラトーの値段はパリの三分の二、あるいはそれ以下、ワインの値段も半額となればfruits de merをたべるのであれば、迷わずボルドーに行けと言いたくなる。本当に満腹、この私が最後に多くの巻き貝と、赤貝を残してしまった。とにかく美味しいものを食べることは幸せでしかない。
21565歩。
 

旅日記15日目 9月17日

 ボルドーまでの車中で記す(ゆっくりとしているので、やたら長文となってしまった・・・笑・・・)
 フランスでは(あるいはヨーロッパでは)9月の第三週目?の土日を文化遺産の日として制定し、多くの人が文化遺産に親しめるようにしている。今日はその日にあたり、美術館が無料になったりしていた。このような催しは日本でも行われてもよいのではとおもった。
 さて、今日はFRAC LIMOUSIN を見てから、アングレームに行こうかと思っていたのだが、良く時刻表をみるとアングレーム行きの列車が昼の時間帯になく、アングレーム行きは諦めることにした。というのも、土曜日のためFRAC LIMOUSINHは午後2時に開館となるため、午前中にリモージュをみて午後アングレームへ行くといった強行スケジュールは成立しなくなったからだ。
 そこでリモージュの街をゆっくり歩くことにした。リモージュの街はトローリーバスが走っていて、また丘の上に旧市街があるところなど、どこかスイスのローザンヌに似ていると思った。ホテルを10時頃出ると、外は天気なのだが寒風がふいていて、秋というよりは冬なのではないかと思うくらいだった。
 リモージュは面白いことに、カテドラルのある旧市街と市場がある商業的な旧市街とが二つに分かれているのが面白かった。これも、ローザンヌを思わせるところでもあり、最初にカテドラルを見学した。リモージュはサンチャゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼路の主発点の一つになるのだろうが、そのカテドラルは正面の部分だけがロマネスクで、その他はゴシックの増築によって成立しまたものだった。ファサードはロマネスク的気分をもたらすが、中にはいるとゴシック的世界となる。とはいえステンドグラスは19世紀のLouis Steinheilによるものであり、なかなかすばらしいものであった。
 次に(ここで、ペリグー駅に到着した、リモージュよりも重要な巡礼路教会が車窓から見えた。途中下車する元気なし。ここで降りるとボルドーが午後9時到着となってしまう、バックパッカーだった若い頃だったら降りていたなあ・・)Pavion du Verdurierというところで開催されていたリモージュの都市計画の展覧会をみた。
 リモージュはいわずもがな陶器産業で栄えた都市だが、その駅舎は壮麗であり、かっての繁栄を忍ばせるに十分なのだが、この展覧会ではその駅舎や広場の成立過程の展示があった。パリの建築史を研究する日本人は多くいるから、リモージュのような都市の形成史などだったら、まだ日本人にも門戸が開かれているかもなどと思った。
 次に市場のうらの肉屋の村と呼ばれているエリアへ行った。そこにはとても小さな礼拝堂もあり、民間信仰の場といった印象をもった。昼は市場の中のビストロで、9ユーロの定食を食べる。前菜は牛の足の酢漬け(これも興味をもった)、市場のサーモン、牛のテリーヌ、リムザンサラダ(鳥肉)などが選べたが、私はついついラングスティーヌ(海老)のマヨネーズ添えを頼んでしまった。日本人は海老に弱いのだ。注文してあっというまに前菜がでてくる。メインはリムザン風ステーキ(どこがリムザン風というか?)にして、温野菜(アンディーブ)を添えた。
 次から次へと客が入ってきて、長いすで狭いテーブルで和気あいあいに食事を楽しんでいる。見ていて楽しい。デザートかチーズを選べて、9ユーロというのはバカ安といったかんじなのだが、赤ワインのピシェとカフェまで頼んで、11ユーロというのはもっと驚いた。ワインもカフェも両方とも1ユーロだった!!!!。
 食後時間をつぶしながら目的のFRAC LIMOUSINに入った。「我々はどこにいるのか?人間と(あるいは人間なし)の風景」という題のグループショーが行われていて、18組の作家による展示は見応えがある。今日は遺産の日であるためもあり、午後2時30分からギャラリートークもあり、時間の都合もあったので30分ほど参加した。このフラックは総裁を含めて7人で運営されており、教育係がギャラリートークを行っていた。
 最初に、フラックとは何か、その歴史も含めてを説明したのは、この施設が市民に余り知られていない証であるかのように思えた。ギャラリートークの参加者は11名で、男性が2名(老夫婦の一人と若者、ただし若者はギャラリートークから離脱していった。)女性9名(高校生か大学生とおぼしき女性2名以外は全てマダム)リモージュのような地方都市で、女性の高齢層が現代美術に興味をしめしていることに感心した。
 ギャラリートークは、作家と作品の意図などを説明したあと、トーカーは盛んに想像してみてくださいと、観客をけしかけていた。これは何に見えますか?といった感じに・・それに応えて、これは鳥に見えるとか、いや島のようだとか、結構盛んに言い合っていて、見ていて面白かった。もっとも、離脱した男性はこういったやりとりを好まなかったかもしれない。
 現代美術をみるということは、ある種孤独な行為であることが多いのだが、ここではそういった状況は回避されていた。しかし、これで良いのかといった問いは残るだろう。次に、国立陶器博物館に行く。このコレクションの多様さにただただ感嘆する。今日は無料ということで、多くの観客でにぎわっていた。美術館に人が来ないなんていうのはどこの国の話なのだと・・思った。
 リモージュからボルドーへの車窓は、とても美しいフランスの田舎風景であり、ここを素通りすることが残念でしかたない。この地方はフォワグラの産地であり、クルミや栗が美味しいことでもしられている。以前、リモージュからトゥールーズへの途中にあるカオール(ワインでも知られる)周辺の民宿のような宿に泊まったことがあるが、そこで食べたカスレやワインの味が懐かしい。次回はレンタカーを借りて、ラスコー洞窟などの古代壁画をまわる旅をしたいものだと切に思った。15605歩(電車のなかで)

旅日記 14日目 9月16日

 オペラは楽しいのだが、やはり3時間近く集中してみるので、相当に体力を使い、へとへとになる。昨夜はガルニエだったので、サン・ラザール駅横のホテルはとても便利で、10分程度で帰れたのだが、それでも11時30分はまわっていて、旅日記もメモ的なものとなった。
 そもそも、旅行中に文章を書く時間というのは、ホテルでではなく、列車の中が多い「ランスへの旅」でも一つ書いたが、今日の記録はリモージュへの旅の車中で書くことにする。フランス国鉄は、CIを変えてリノベーションに躍起だが、TGVが走らない路線では、特急電車のcorailに新しい車両を導入し、teozというブランドで売り出しているのだ。今回はフランス・レール・パスの一等を購入したので、その一等車は極めて快適で、日本のグリーン車がわびしいものに見えてくる。
 このフランス・レール・パスは乗り放題なので、今日は「ランスへの旅」を敢行(観光ではない)し、パリにトンボ帰りして、全く違う方向のリモージュへと向かっていることになる。なんとランスの滞在時間はたった2時間しかなかった。とりあえず大聖堂に行き、ゴシックを体感し、FRAC CHAMPAGNE-ARDENNEで開催中のFRANZ ACKERMANNの個展を見た。
 ここのフラックは、旧イエズス会修道院の建物にあり、他に美術館やプラネタリウムなども同じ建物の中にあるというもので、興味深かった。中心地からもさほど離れていないので(徒歩だと修行モードとなる)利便性の良い印象を受けた。
 開催中のアッカーマンの展示は、一階と二階の会場を思う存分使って評点しており、相当に大きい展覧会で、見応えがあった。リモージュに行くことを決めていたので、資料をもらい早々に立ち去ったが、CD−ROMで写真のデータ等をいただくことが出来て、大変ありがたかった。
 そのあと、遺産局が行っている展覧会=天使をテーマとしたグループ展にも行こうかと思ったが、時間的に厳しく諦めた。また、フジタの礼拝堂も次回にすることにした。午後8時30分にリモージュに着くか、11時30分に着くかの選択で、前者を選んだのは、旅も二週間となり、体力的に相当応えているからでもある。ところで、先に述べたTEOZだが、これは予約が義務づけられている列車で、それを怠ったため、10ユーロ余分にかかってしまった。時刻表は良く読まなければいけない。
 本当の「ランスへの旅」は、どこかで「ランスの旅」の上演を見た上で行えたらと思った次第だ。列車のなかで13779歩。

旅日記 13日目 9月15日


 オペラからホテルに戻り、明日の出発の準備をしていたら遅くなってしまった。とりあえず、13日目の足跡のみ記す。
 午前中は、ル・ランシーのノートルダム寺院、オーギュスト・ペレの代表作を見学。鉄筋ゴシックな気分となる。次に、エブリー新都市へいき、マリオ・ボッタ設計のカテドラルを見学後、ジェラール・サンジュの回廊というパブリックアートを探しに街をふらつく。作品は発見したが不幸な状況となっている。新都市は怖いので、写真をとったらすぐにパリにもどり、パンテオンへ、初めてパノラマツアーに参加する。フロン・ド・セーヌ地区の都市再開発が景観に配慮していることを実感。
 その後、ホテルにもどりシャワーを浴びてからガルニエでコジ・ファン・トゥッテを見る。隣のオペラ愛好家マダムと、コアなオペラ談義をする。バーバラ・ボニーにがっかりした。
 20572歩

ルサルカ@パリオペラ座(バスティーユ)4

 バスティーユでドヴォルザークのルサルカを見た。このオペラは、聞いたこともなかったので、同じ演出のDVDで予習していたのだが、それはルネ・フレミングの圧倒的な歌唱によるものだったため、実際の上演をみてみると、フレミングと比較モードとなり、第一幕は今ひとつ盛り上がらなかった。
 ルサルカを歌ったオルガ・グルヤコヴァは、ゲルギエフとの共演を重ねている歌手とのことだが、華奢で第一幕では声を押さえ気味で、「月に寄せる歌」も・・さらりと流れてしまった指揮のビエロフラーベックはここで、止めなかったので、ブラヴァの声も拍手もなく・・・私は拍子抜けしてしまった。
 今回の再演では、魔法使いのディアドコヴァ、水の精のハブラータ、皿洗いのデエ、第1〜3の森の精は同じキャストだった。特に魔法使いと水の精は存在感たっぷりで、その声が役と合致していて、良かったのだが、森番は老かいなセネシャルからストリマチェンコに変更となったのは、残念だった。というか、ミンコフスキーのオッフェンバックものでなくてはならないあのセネシャルの声が聞けなかったのが残念であった。
 ルサルカの演出はロバート・カーセンだったのだが、これはなかなかすぐれたもので、映し鏡によるシンメトリーの世界を作り、そこに虚と現実、水の世界と現実の世界とのコントラストを提示は説得力があった。また、一幕の魔法使い登場のさいの炎はスペクタクルたっぷりであり、簡素なセットの多いと思われるバスティーユでは、作り込まれたもので、それも楽しめた。
 私は特に第二幕の演出がすぐれていたと思った。ルサルカが結婚式をまっていると、皿洗いと森番がやってきてうわさ話をするのだが、シンメトリカルに黙役の役者が歌手たちの演技を反復させるところなど感心した。映し鏡による二つの世界は、王子が謎の外国の公女に夢中になることで、決定的に分裂するのだが、その際左右に舞台はかけ離れていくのだが、その真ん中で声を失ったルサルカにスポットライトがあてられるラストには鳥肌がたった。(この幕では、華奢なルサルカの映し鏡であるべき謎の公女が太り気味だったので、シンメトリーが微妙にくずれていて×だった。)
 第三幕では薄く透明な幕がさがったままで、その背後でドラマが繰り広げられるのだが、オペラグラスでみると、その幕が蚊帳のようで興ざめになったが、幻影的な印象をあたえるのには成功していた。ただ、期待していたライトの効果は、オーケストラピットの明るさが気になってしまったからか、思ったほど効果を与えていないように感じた。
 さて、一幕で今一つだったルサルカも、幕が進むにつれ、熱を帯びてきて、十分たのしめる歌唱となり、最後の王子に死の接吻をするところは切なく、また音楽もとても美しく、感動した。

旅日記12日目 9月14日

 天井に小さい窓が一つ、頭がぶつかりそうな小さい部屋だったので、部屋を交換してもらった。すると、今度は三つベッドがある大きな部屋に・・それで同じ値段・・・笑・・・このアバウトな感じがラテン系の故か?
 今日は、文化遺産局が全国の文化遺産に現代美術をインストールしている事例を見にポワッシーに行く。この企画はシャンボール城やヴィルヌーブ・レ・ザビニョンの修道院といったように、いかにも文化遺産という場所で行われているのだが、ポワッシーのそれは、近代遺産=ル・コルビュジエのサボワ邸で行われているのが興味深い。
 というのも、サボワ邸はモダニズムの建築そのもので、いわゆるホワイトキューブの美術館に近いものであるから、いわゆる歴史的な文化遺産とは、作品の設置の仕方が変わると思われるからだ。しかし、作品はサウンドインスタレーションとビデオ作品だったので、そういった思惑ははずれ、ひっそりとしたものにすぎなかった。
 サボワ邸に着くと、大勢の日本人学生が熱心に見学していた。ここは建築の学生の聖地の一つであり、それはそれで構わないのだが、ただ感動しているだけでなく、もっと頭を使って、この建物を見てもらいたいなどと・・教師風を吹かせてしまうことになる。日大の学生二人に、虚の透明性やピュリスムの話などをしてみたが、反応は今ひとつだ。
 この二人の学生と一緒にパリにもどり、大学都市のスイス館とブラジル館を見に行きたいというので、私も同じ気持ちだったので案内する。スイス館は二度目の訪問だったが、前回は一階のサロンに入れなかったので、来て良かった。学生はスケッチをするというので、ここで別れ。隣のブラジル館へ、ここに入るのは初めてだったのだが、この建物は後期のものであるので、ロンシャンやラ・トゥーレットの空間との類似性があり、大変興味深かった。
 その後、オスマン男爵の都市計画によって作られた、モン・スーリ公演を横切り、オーギュスト・ペレの自宅を見てから、オザンファンのアトリエを15年振りに訪問。近くのスーラ小路のリュルクサによるアトリエ建物街をみて、ダンフェール・ロシュローへ、そこからRERでアーベールに戻り、夜のオペラに備えた。
 今日は、バスティーユでドヴォルザークのルサルカを見た。偶然隣り合ったロンドン在住の日本人サラリーマンは、熱心なクラシックファンで、大陸詣を繰り返しているという。午前中ロンドンで仕事をして、午後ユーロスターで北駅に到着、オペラを見て、翌日7時のユーロスターで仕事は提示に出勤できるという。終演後オペラの感動を語るべく、バスティーユ広場のカフェでビールをのみ、ホテルに戻る。20812歩

旅日記11日目 9月13日

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 フランスの美術館は、火曜日が休みというのが普通なのだが、レンヌの美術館は月曜日やすみ、そして今日向かうカンの美術館は火曜日が休み。結局二つの街の美術館を見ることは出来なかった。というのも、今朝9時6分の電車で、レンヌからカンへ向かったからだ。
 昼過ぎにカンに着くと、駅にはアヴィニョンやリヨンのような、セキュリティ装置がないため、コインロッカーが使えなく、駅前のカフェも預かって貰えず、とりあえずトラムで中心までいき、観光局に行き尋ねてみると、やはり預かって貰えず。一日がらがら、バッグを引きずりながらの調査となってしまった。
 今日行くFRAC BASSE NORMANDIEは、午後2時から開くので、お昼にカフェで、名物料理のカン風トリップの煮込みを食べた。カフェで食べたためか、ポテトがフリットだったのが残念だったが、内臓の臭さもくせになるような料理だ。これは夏でなく、冬に来て食べたい料理だとおもった。カンはノルマンディ上陸の地に近いことが示すように、海にも近いので、魚料理も美味しそうだった、しかし5時間の滞在では、そこまでは食べられず残念。
 FRAC BASSE NORMANDIEは、カンの中心市街地ではないが、バスで容易にいける場所にあり、荷物を持っての移動では、とても助かった。ここのフラックは、病院の横の建物を、地域圏の文化遺産関係の事務所と半分ずつ使用していた。丁度、Ah Dieu! Que la guerre est jolie.という題で、展覧会が開かれており、Tania Mouraud, Micha Laury, Etienne Bossut, Davien Derouvaix, Lisa Rovener, Eddo Stern, Taroop & Glabel , Jean-luc Verna の作品が展示されていた。
 作品は911を見据えたものがほとんどだったが、ガザ地区からイスラエルが撤退した現実やイラクの現実といったものから、遠く離れた絵空事のように思えた。中心地からさほど離れていないとはいえ、平日とはいえ、大学都市でもあるカンにおいて、少ない時間であっても、私以外の観客がいないという現実は確かだろう。
 職員へのインタビューをしたところ、ここのフラックは展覧会場をずっともっていなくて、最近この場所を確保したという。そして、抽象絵画と、ビデオアート、写真等を収集の中心としているとのこと。ドキュメンテーションの場所もあったが、昨日みたブルターニュと比較にならないほど小さいのは、予算規模によるという。写真のコレクションは、予算の少なさの表れであり、日本の地方美術館のそれと類比的だった。
 それでも、このフラックはカンを中心として、現代美術の展覧会の中心的な役割を果たしているのは確かで、ここにフランスの文化の底力みたいなものを感じた次第だ。カンもストラスブールやリヨン、オルレアン同様、LRTが導入されていた。パリもポルトドルレアンの周辺で工事中だった。東京は地下鉄が整備されているから必要ないかも知れないが、金沢ぐらいの都市なら十分利用価値ありと思った。
 カンからはサン・ラザール駅まで戻り、駅前ホテルの屋根裏部屋、窓が天井にしかない部屋に入る。それもまた良しと思いつつ眠る。10133歩。

旅日記 10日目 9月12日

 インターネット接続すると、小泉自民党の歴史的勝利のニュースが入ってきた。パリのホテルのテレビでも、比較的長く取り上げられていたが、我々がシラク大統領を知っていても、現在の首相を知らないの同じくらいに、日仏お互いの国の政治にたいする興味というものは知れたものであろう。
 そのニュースを学生たちに知らせると、今年初めて選挙権を得た学生たちは、時期的に不在者投票が出来ず(出発が告示前)残念がっていた。以前の大学で、選挙なんて行ったことないと平気で言う男子学生たちとつきあっていたので、残念がる女子大生に、その気持ちを持ち続けてもらいたいなどと思ったりもした。
 その学生たちと、早朝分かれ、これから約10日間一人旅となる。今日はモンパルナスからレンヌへ行き、そこで宿をとり、レンヌ郊外のシャトージロンにあるFRAC BRETAGNEの視察へ出かけた。本来は、展覧会が開かれている時に行きたかったのだが、ここは現代芸術批評のアーカイブを持っていて、積極的に研究活動を行っているため、その実際を見に行ったのだ。
 レンヌはモンサンミッシェルの乗換駅のため、駅前 モンサンミッシェル行きバス乗り場周辺には、多くの日本人をみることができるのだが、シャトージロンの村は全く日本人の姿をみることはなく(東洋人も珍しい)、ここにそういった施設があること自体が面白く感じた。
 レンヌからは郊外行きバスで30分程度の処なのだが、バス運賃が1ユーロ50というのは、驚いた。日本であれば、1000円ぐらいかかりそうな距離なのに、たった200円でこの村に着くことを考えると、大きな価値観の違いが存在していると思った。
 さて、FRAC BRETAGNEの資料室は、一般に開放されていて、作家毎の資料、美術雑誌、フランスの都市毎(美術館、画廊など)、そして外国の都市毎に分類され、一通りの事を調べられる環境にあった。日本のコーナーは、いわゆるA4の大きさのボックス二つしかなく、一つは北九州の現代美術センターのもので、もうひとつは韓国の資料が入っているなど、全く機能していないものであったが、パリの画廊やレンヌの資料は充実していた。
 ところでFRAC BRETAGNEは、展覧会をこの村のFRAC BRETAGNE開くことはもちろんだが、足の便が悪いことが気になった。もし、積極的に現代美術を紹介したいのならば、都市の中心に設置するべきかと思うからだ。しかし、ブルターニュ地域圏の各都市での展覧会を企画していることを考えると、一カ所で集中的な機関となるよりは、地域圏全体に現代美術を提示する機関であるのであれば、必ずしも都市の中心に設置する必要はないのだろうと思った。
 レンヌに帰り、名物のガレットとシードルを楽しんだ。19086歩。

旅日記 9日目 9月11日

 今日は、本隊に再合流して、一日バスを使って遠足に出かけた。出かけたのは、モネの庭園があるジヴェルニーと、ゴッホの終焉の地であるオーヴェール・シュル・オワーズの二カ所をまわった。
 ジヴェルニーへは、初めての来訪だったのだが、その庭が美しいのは美しいのだが、自分を含めて本当に沢山の観光客が訪れており、正直驚いた。観光バスで行かなければ、相当に不便な場所なのに、日曜日だったとはいえ、朝一番から観光バスが何台もやってきていた。
 睡蓮の池のある庭園は、公道を越えたところにあるのだが、花は終わりとはいえ、少しさいているものもあり、ここぞとばかりシャッターを押し続けてしまった。それにしても、デジタルカメラになってからは、ものを考えずに写真を撮りまくっている。それでも、銀塩がすてきれずリコーのGR21を持参しているのだが、なかなかフィルムが減らない。学生たちにフィルムがいる人は差し上げますといっても、銀塩は使い捨てカメラだけであり、他はすべてデジカメというのは・・・いかがなものか?と思った。
 ジヴェルニーで、団体旅行のランチとしてはまあまあのものを食べ、次にオーヴェr−ルに向かった。途中、セルジー・ポントワーズの街を左にみながら、オーヴェールについたのは午後3時頃だった。有名な教会を後ろからみて、すぐにゴッホの墓へむかった。
 途中、何人かの学生たちが花を摘んでいて、何をするかと思えば、ゴッホの墓にそなえているではないか!!!そして、仏式?に拝んでいる。何か異様な感じがしたが、献花するという気持ちはこれからも大事にして欲しいと、俗世にまみれている私は、自己反省しつつ思った。
 オーヴェールの街の市役所に行くと、佐伯祐三が描いたそのままであり、感動した。我々はゴッホ終焉の部屋のある家を訪問したのだが、他のグループはかなり歩いて、第1回印象派展に出品された、セザンヌの「首つりの家」という作品のモデルの場所までたどり着いたそうだ。おそるべし・・

 オーヴェールでゆっくりした後、ホテルにもどり、13区の中華街で、フランス最後の夜を過ごした。学生たちは中華を今までで一番美味しいなんて言いながら,食べて元気を復活させていた。やはり日本人なんだなあと妙に関心した。中華レストランでは8人で色々とって、シェアして食べたのだが、一人10ユーロで済み、異常に安かった。22672歩
じべるに

旅日記 8日目 9月10日

 昨日のうちにディジョンで見るべきものを見てしまったので、朝早くパリに向かった。ところが、色々かんがえてみると、せっかくブルゴーニュにいるのに、20年ぶりにボーヌやマコンにも行ってみるべきだったと後悔。
 パリに着くとなんと嵐で、南仏から天候には恵まれていないようだ。ポルトドルレアンのホテルに荷物を預け、すぐに市内にもどり、午後の時間はオーステリッツ駅から、オルレアンに向かった。
 パリからオルレアンへは電車で1時間ぐらいで着くのだが、サントル地域圏のFRACへと向かった。このFRACは、現代建築を中心にコレクションしていることが特殊で、今年森美術館で開かれたアーキラボ展は、まさにここのコレクションを構成したものだ。
 そこでは、ポンピドゥーセンターの改装(レストラン)を手がけたJACOB+MACFARLANEというユニットの展示が開催中であり、段ボールで宇宙船のような展示装置をつくり、そこにマケットや図面を展示するというものだった。いかにも、コンピュータ世代による設計で、pc上の自己生成モデルを具現化するといった感じなのだが、そこには理念的な空間が成立しても、人間的というか現象学的というか、なまの空間が成立しえないのではと思った。
 オルレアンの市役所近くでは、何組もの結婚式グループがいて、花で飾られた車で市内をクラクションを鳴らしながら走っていた。オルレアンからパリに戻り、ジャルダン・デ・プラントの花を少し見た後、夕食をたべにダンフェール・ロシュローへ向かった。
 ダンフェール名画座の前で、午後7時にガーター亭亭主と待ち合わせをして、クスクスを食べに向かった。じつは、亭主に15日のコジのチケットを買ってもらっていたのだ。ハーディングが降りてしまったそうだが、とりあえずライモンディも聞くことが出来るようになった。感謝感謝・・・
 クスクスはダゲール通りにあるLa BARAKAという店で食べたのだが、ここは行きつけの店で、中庭があるし、店内はアラブ風な内装になっている。とっても美味しいというモロッコのワインと、クスクス、タジンを食べて、亭主との会話を楽しみ、ホテルに戻った。19730歩。

旅日記7日目 9月9日


 やっと旅日記も七日目、今日は菊の節句=重陽節となる。そのためではないが、今朝昨日見られなかったVilleneuve les Avigonのサンタンドレ要塞に登った。要塞は文化遺産であるが、そのなかで二つの地域圏(Provece-Alpes-Cote dユAzurとLanguedoc-Roussillon)のFRAC(地域圏における現代美術のための基金)が共同でグループショーを展示しており、わざわざそれを見に来たというわけだ。
 一昨年、FRAC設立20周年の記念展が全国各地で開催されたが、そのときと同じように、コレクションの一部を特別な場所で展示するということなのだ。今回の展示を見てみると、遺跡に無理矢理作品を放置=展示しているようにも見えた。この場所の訪問者はメインが観光客であり、地元の人々がわざわざこの場所に登り、この展示をみるとは思えず、そのミッションが不明確のような印象をもった。インフォメーションも少なく、作品には触れないでくださいという注意書きだけが目立つというのは皮肉な感じだった。
 このあと、いそいで駅にもどり、ディジョンに向かった。ディジョンではブルゴーニュ地域園のFRACがあり、いそいでそこへ行く。場所は旧市街から少し離れたところで、徒歩で行けない距離ではないが、駅前からでは体脂肪燃焼モードとなる。Nancy Rubinsの作品の展示,飛行機の部品のアッサンブラージュといった作品をみたあと、美術館で開催中のLe Genie du Lieu展へ、場の才という名のとおり、場所性を意識させる作品の展示となるのだが、基本的にはFRACのコレクションであることには変わりない。
 無論いくつかの作品は、新たに制作されたものもあったのだが、私が一番気に入ったのは、Dora Garciaによる作品で、今回の展覧会のために作られたもの、Doraは美術館の入り口にある大理石に彫られた慈善者名簿から始まり、作品のキャプション、解説カードをアラビア語に翻訳するといったもので、我々がどれだけ西洋中心主義的に美術を享受してきたかを反省する仕組みとなっている。
 考えてみれば、お菓子などの裏にはアラビア語表記があるのに、どうして美術作品にはそれがなかったのか(日本語表記すらある場合もあるのに)・・・?
 この展覧会では55人のアーティストが、従来の美術館で好き勝手にインスタレーションするようなものであり、その規模の大きさも注目に値した。また、そのためか、従来は入場料をとる美術館であるが、入場無料となっていた。このことは、現代美術の教育普及という立場が明確であると共に、美術館そのものへ足を運ぶ機会を増やすという側面もあるように思えた。
 展覧会をみたあと、ブルゴーニュのディジョンといえば、名物のエスカルゴやブフブルギニョンということだろうから、いつも通り赤ワインとそれを楽しみ、ホテルに戻った。21248歩。

旅日記 6日目  9月8日

 朝のテレビの天気予報をみると、南仏全体が嵐で、危険地帯となっていた。そんな状況で、アルルの街歩きを始める。最初、小降りだった雨も大降りになり、かって黄色い家があった場所に着く頃には、どこかで休憩しなければいけない状況になる。そこで、カフェでゆっくり休み(トイレも借りる)グループと、モノプリというスーパーで雨宿り(買い物)のグループに分かれ、雨がやむのを待った。
 少し落ち着いてから、再びアルル市内に入り、円形競技場や古代劇場、そして夜のカフェの絵が描かれたフォーラム広場、サン・トロフィーヌ寺院などを見学し、かってゴッホが入院させられた精神病院の跡(現在はエスパース・ヴァン・ゴッホという施設になっている。)にようやくたどり着いた。ところが再び大雨に見舞われ、ずぶぬれになってホテルに戻った。
 私は、ここでグループと別れ、別行動をとる予定だったが、アルルの写真展のメイン会場が、嵐で閉まってしまい、とりあえずアヴィニョンまでグループに同行した。グループはアヴィニョンTGV駅からパリに向かい、私はアヴィヨンサントルへ向かった。
 インターネットで予約した、安宿には午後2時ころついたので、そこにとりあえず荷物を預けてから、目的としていたヴィルヌーブ・レ・ザヴィニョンへ向かった。私はアヴィニョンは今回が3回目なのだが、隣町のヴィルヌーブに行くのは初めてであり、その街のたたずまいに魅了した。
 この街に来たのは、フランス遺産局が夏のあいだに企画した、現代美術の展覧会のためだが、修道院の会場にワンマンショーが開催されていた。静かな静かな空間に、静かに設置される現代美術のオブジェは、他の展覧会会場とは全く異なる趣であり、大変興味深い展示だった。このような展示を遺産局は全国各地で展開している。ただし、一般の旅行者が行くには不便な場所が多く、夏のヴァカンスシーズンにあわせた展示なのだろう。普段現代美術になじみのない人々が、美術館に行くのでなく、文化遺産において作品と出会うことになる。
 ヴィルヌーブでは、サン。タンドレ要塞においても現代美術展が開催しているはずなのだが、嵐のため要塞は閉鎖され、街の美術館を見学後、大雨のなかアヴィニョン市内に戻り、ランベールコレクションを見る。
 アヴィニョンに、このコレクションの展示が始まって5年がたち、その記念展が開かれていたのだ。会場となる館の外壁には、バーバラ・クルーガーのパネルが飾られるとともに、美術館前の通りには「我らのように生きろ」とか「我らのように愛せ」といって言葉のバナーが掲げられていた。
 ランベールコレクションを見るのは、二回目なのだが、前回は天井裏の空間に設置されたクロード・レヴェックの作品に圧倒された。今回は、ナン・ゴールディンやアンドレア・セラーノといった濃い写真作品が中心で、正直辟易した。とはいえ、マルセル・ブロータースのコレクションは見応えがあり、たった1時間しか時間がなかったことが悔やまれた。
 今日から一人旅となり、夕飯が寂しくなる、一人Flunchというセルフサービスレストランに入り、チキンを食べた。6ユーロで温野菜とり放題、ワインも付いているという値段設定に、少し安心する。とり放題の野菜のコーナーにあった、米に(米は野菜なのだ)ラタトイユをかけて食べると、チェーン店ではあるが、南仏にいることを実感する。
 ホテルは、etapというアコーホテルチェーンのビジネスホテルシリーズだ。鍵はすべて暗証番号方式で11時から5時まではレセプションは開かない、入り口の自動チェックインマシンにカードを挿入すれば、それで決算され暗証番号が記されたレシート=紙が印字されることになる。一人たったの38ユーロ、二人で利用して44ユーロ、二段ベットも利用して3人ならば50ユーロとなる(一人16ユーロ程度 安い)部屋には精算が必要になる電話すらなく、テレビとバスタブ、洗面トイレしかない。朝食は4ユーロで、パン、オレンジジュース、コーヒー紅茶・・・残念なことにヨーグルトはつかない。その合理性にフランス的なものを感じる。

旅日記 5日目 9月7日


 昨夜から南西フランスは嵐だった。朝のテレビニュースでは、モンペリエの街が水浸しになっている映像を流していた。天候に不安を抱きながら、最初にマティス美術館へ、昨日見たロザリオ礼拝堂の模型やエスキースなども展示されているので、復習モードとなる。やはり晩年の切り絵は素晴らしい。ミツバチの絵も楽しいし、有意義な時間を過ごすことが出来た。近くにマティスの墓があるというのだが、時間がないので墓参はやめにした。
 次にシャガール美術館へ、ユダヤ人のシャガールが描く聖書の世界ということになる。ここは、フラッシュなしなら写真がokなので、カメラ小僧となってしまい・・・作品そのものをよく見なくなってしまった(反省)・・・コンサートホールのステンドグラスやチェンバロ装飾なども美しいのだが、音楽とシャガールといえば、パリのオペラ座の天井画ということになる。15日のチケットがとれたので、よく見てみることにしよう。
 今日の最後は、ヴァロリスのピカソ美術館へ、この街でピカソは焼き物にはげむのだが、この美術館には礼拝堂に戦争と平和の壁画があり、圧倒的だ。この壁画は、1950年の朝鮮戦争に対する反対する政治的メッセージとして描かれたものであり、この戦争によって経済発展の契機を得た私たちの国の事を思うと、複雑な気持ちになる。
 ヴァロリスのピカソ美術館のすぐ横に、アートスペースがあり、ジャン・マレーの展覧会も開催していて、それを見学後にアルルに向けて出発した。アルルはゴッホの足跡をたどるために来たのだが、復元されている跳ね橋を見学後、ホテルにチェックインした。
 夜は、古代劇場裏の郷土レストランで、魚のスープの前菜から始まる典型的なプロバンス料理を楽しんだ。今日はバスの移動がほとんどだったので、10914歩だった。

旅日記 2日目 9月4日

 次女が生まれたときローマにいた。フォロ・ロマーナの公衆電話から自宅に電話して女の子の誕生を知ったのだが、それから9年がたった。というのも、その子の誕生日が今日であったからだ。誕生日を一緒に祝ってあげられず申し訳ない気持ちが一杯になる。自宅に電話すると、娘は愛想ない返事で、溝が深まるばかり・・・少し寂しい気持ちになりつつヴェネチアに入った。
 ヴェネチアは運良く(運悪く)大運河でゴンドラレースが開かれていた。そのため、2時過ぎから大運河はヴァポレットも運休となり、交通機関はマヒ状態になる。今日は午後から、街のはずれのジャルディーニにあるビエンナーレを見学する予定だったので、そこまでの足を確保しなければならなくなる。昼食後ホテルにチェックインして、結局プライベートタクシーを手配することに・・10人ずつ二つのボートに分かれやっと会場についたのは、午後4時ころだった。
 タクシー代は90ユーロ、一人9ユーロずつとなったのだが、ヴァポレットにのっても5ユーロかかるし、水上アトラクション的となった船旅に皆興奮していたが、あとたった2時間でジャルディーニ会場を見なければいけないという現実は大きかった。というのもジャルディーニは明日閉まるからだ。
 会場に入ると、現代美術は解釈の多様性があり、それぞれの意味については各自自由に考えるようにと・・ほとんど逃げ口上的に言い放ち、たった2時間しかない時間で、とにかく駆け足でもよいから全てみようと試みる。すると、ほとんど競歩状態で作品の解釈などする暇などなくなる。こんなビエンナーレはこりごりだと思いつつも、現実は現実なのでその現実に従うことに・・・
 そのなかで、興味深く思った展示はパビリオンでいえばスペイン館のムンターダスやオーストラリア館のスワローなどか・・・詳細はあとで語ることにして・・・ビエンナーレ会場を6時に追い出され、サン・マルコ広場まで岸辺を歩いた。どうにかレースは終わったらしい、その余韻を楽しみながら、アカデミア橋近くのお気に入りのレストラントロヴァーソに向かった。やっとたどり着くと、満席のようだ・・ところが驚いたことに近くにレストランを開いたらしく、同じ値段で雰囲気の良い場所で食事をすることができた。
 ただ、レストランの方にはピザがないということだけなのだが、何かの倉庫を改装したような広々した空間で、本当のイカスミのスパゲッティ(昼食でも出たが団体旅行用のやる気のないもので、色も黒くなかった。)や、ヴェネチアにきたら必ず食べるウナギのグリルを食べた。極めて美味だった。
 夕食のあと、夜のサン・マルコに行く組と、徒歩でホテルに帰る組みに分かれ、私は前者の引率者となった、夜のサン・マルコ広場は独特の雰囲気で、カフェ毎の楽隊を比較しながら見学するのは楽しい。クワドリから「誰も寝てはいけない」が流れると・・気分は高まるしかない。最後はヴァポレットでホテル近く(駅前)まで帰り、気がつけば20185歩を万歩計は数えていた。

旅日記4日目 9月6日


 ヴェネチアからニースへ夜行列車で向かったのだが、朝になるとなにやら騒がしい。グループの二人がスリにあってしまったのだ。扉の鍵もしっかり閉めていたのに、完全にプロの仕業だった。二人のうち一人は学生で、トラヴェラーズチェックとデジカメが盗まれたのだが、もう一人はなんと添乗員さんで、相当の現金をやられてしまった。というのも、最近トラヴェラーズチェックの手数料が高いので、会社の方から現金支払いが基本となってしまったという。なんという不運な、自己責任ということで保障などないという。
 ニースへ到着すると、嵐が近づいており風雲急を告げるといった感じだった。すぐに、ヴァンスのロザリオ礼拝堂へ、小さい礼拝堂だが、その中にはマティスによる美しいステンドグラス、タイル画がある。私は単純化した描線・・特に手の力強さに感銘をうけた。
 ヴァンスではランチをとり、市内見学をしたのち、隣村サン・ポールへ、目的はマーグ財団美術館だ。ここは、ミロやブラック、ジャコメッティらが建設過程から関わった美術館で、庭園美術館と呼ぶにふさわしいものだ。私は特に中庭にある、ジャコメッティの彫刻群が好きだ。絵画室から庭に出るとき、さりげなくキューブという作品が置かれているのも、なかなかよろしい。
 サン・ポールの街はヴァンスのそれより、もっと魅力的なのだが、いかんせん観光地化しつくされた場所でもある。生活感が全くないような街なので、テーマパークの中をあるいているようでもある。サン・ポールの次には、アンティーブへ向かい、ピカソ美術館へ、この美術館はピカソがアトリエとして使用していた古城なのだが、海沿いにあり、嵐が近づいているなかで、有名な庭にでることはかなわず残念だった。
 ただ、ここで自殺したニコラ・ド・スタールの展覧会が開かれており、それは見応えがあった。最後のコンサートという大作は、この空間では特異な赤色が目立つ作品だが、その分見るものを圧倒するように感じた。
 アンティーブを後にして、ホテルにチェックインし、夜はニースの旧市街、花市場会場へ夜の散歩に出かける、本当はニース名物の料理をレストランで食べたかったのだが、そうするとホテルへ帰るのが遅くなるので、ソッカやニース風サラダを簡単に食べられる夜店みたいなところで食べて、帰ることにした。結局歩数は、17752歩だった。

旅日記3日目 9月5日

旅日記 3日目 9月5日
 昨日の修行で疲労困憊のため、朝はゆっくりめにとり、10時にホテルを出発する。月曜日はアカデミア美術館が午後2時でしまるため、午前中はアカデミアへ向かう、6ユーロの入場券を支払い、有名なジョルジョーネの「嵐」まできたところで、ポケットにホテルの鍵があることに気づく、学生たちのことを気にしていて、自分のことがおろそかになってしまった。結局、そこで見学を中止し、一人でホテルに戻ることになる・・・
 12時にアカデミアに戻り、学生たちをつれてサン・マルコ寺へ向かう。久しぶりにパラドーロを見ていると学生たちが誰もやってこない、こんなところで、1ユーロ50ケチるなよと言いたくなる。というか、最初から入るように指示しなかった私のミスなのだが・・・・その後仏教徒の私だが、あるお願いをするために、お祈りを捧げた。本当は、ヴェネチアから30分のパドヴァへ行き、サン・アントニオ寺に行ってお願いする予定だったが、やはりそのような時間がなかった。ただ、同じような形の寺であるから・・・と思いながらお願いをすると、無性に世の中の無常を感じ、とめどなく涙が流れることになる。
 結局サン・マルコ寺をゆっくり見学したこともなり、午後2時にそこを出発し、アルセナーレへ向かった。アルセナーレでは女性の視点からの展覧会が開催されており、確かに見応えのある展示となっていた。今回見たところ前回と比べビデオ作品は少なくなったが、かといって明確な造形意識を喚起させる作品は少なかった。
 中国の展示が終わったところで、アルセナーレの劇場関係者から劇場は愛と日本語で座席に書いてくれと言われた。各国語で書きたいとのこと、適当な日本人を見つけて書いてもらったというわけだ。アルセナーレ会場は、ただ現代美術の会場というだけでなく、パフォーミング・アーツの場として整備していくらしい。
 アルセナーレ会場を後にして、ヴェロッキョのコッレオーニ騎馬像を見学にふらふらとヴェネチアの街を彷徨うことになる。しかし、騎馬像は修復中で見ることが出来ず、途中の土産屋なりケーキ屋などを冷やかすことに・・・そして、近くのレストランでヴェネチア最後の食事をして、リアルト橋まで歩き、ヴァポレットでホテルに戻った。
 今回は時間を有意義に使うため、ヴェネチアからニースまでは夜行での移動となる。6人部屋では、ロシア人らしきおじさんたちがやってきて、今晩一緒に寝るのかと思うと少し不安になる。このpcは深夜盗まれることはないのだろうかとか・・・心配は募るが、明日はニースだ、とにかく寝ることにする。

旅日記1日目

bc4119fb.JPG旅日記 1日目 9月3日
 今回はKLMを利用したのだが、乗り継ぎ便は予定より2時間も遅れてフィレンツェに到着し、やっと入国すると公共交通は全て終了していて、タクシー乗り場にはひとが群がっていた(イタリアには並ぶという習慣がないのだ)。ホテルには12時30分に到着・・・メッセージを見ると朝9時から学生たちを引率せよとのこと・・涙・・・
 朝9時にホテルのロビーに集合し、サン・マルコ修道院を目指す。途中、サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場を通るのだが、土曜日ということもあり、市場が開かれており、そこを見学する。私はこのルネッサンス空間が大好きなのだ。広場には三つ彫刻があり、真ん中のジャンボローニャ作の銅像あたりから、ドームのクーポラを見るとき、その人間中心的な空間が強く意識されることになる。捨て子養育院のA・ロッビアによるメダイヨンなどを眺めたあと、アンヌンティアータ教会に入り、願かけの回廊にあるマニエリスム絵画を見る。そして、民間信仰の根強い受胎告知図には多くの信者たちが訪れていた。
 サン・マルコ修道院に入ったのは9時40分頃だったか・・最初にここを訪れるのは午後2時には閉まってしまうから、出来るだけ早くここを見ておきたいからだ。入り口をはいると正面にフラ・アンジェリコによるキリストの磔刑図が目に入ってきた。この修道院を創設した聖アントニーノが跪き信仰心を示すものだが、修復が終了したのか背景の青地が美しく感動的だった。
 この修道院一階にはフィレンツェ近郊の寺からもちこまれたフラ・アンジェリコによる板絵が飾られているが、そこではフラ・アンジェリコがいかにしてルネサンス的空間へ行き着いたのかがわかる仕組みになっている。また二階の修道士たちの寄宿舎にはいわずもがなの受胎告知図をはじめ、各僧坊には多くのフレスコ画が描かれている。
 その中で最近の私が一番注目しているのは、いわゆる「影の聖母」の下にある大理石模様の化粧板パネルだ。これは、ディディ・ユベルマンによる論考により知った部分なのだが、確かにここはあたかもジャクソン・ポロックのアクションペインティングのような趣だ。
 サン・マルコ修道院を後にして、本来はすぐ近くのアカデミア美術館へ行くのが常なのだが、ここは午後6時50分まで開いているので、早くしまるバルジェッロ美術館へ向かった。アカデミアは一番最後にしようと思ったのだが、ここのミケランジェロによるダビデ像を見る前に、その前の時代のダビデ像を見ることは学習効果が高いこともあり、あえてバルジェッロへとむかった。
 バルジェッロ美術館にはミケランジェロによるバッカスやブルータスの彫刻の他に、洗礼堂のコンクールとなったギベルティとブルネスキによるイサクの犠牲、そしてドナテッロの彫刻群、あるいいはロッビア一族のテラコッタ、さらにはヴェロッキョによるダビデ像がある。結局、13時30分ごろまでここにいて、シニョーリア広場の観光地バールでパニーニを購入して、広場で食事をすることになった。
 そして、午後2時すぎにピッティ宮殿のパラティーナ絵画館へ向かった。ここは、ラファエッロの絵画が目白押しの場所だが、丁度鑑賞中に何かゴロゴロと音がして、フィレンツェはものすごい雷雨となったのでした。ここを見終わる頃には、雨もあがり、次にカルミネ教会のブランカッチ礼拝堂へ向かった。入場したのは16時30分で、ぎりぎりはいることが出来た。
 ここにはマザッチオらによるフレスコ画が残されているのだが、かってフィレンツェの画家たちが学びに来たというだけあって、その先駆的な表現を堪能することになる。驚いたことに、見学者が写真撮影をしている・・確か禁止されていたはずではと思ったが、ここぞとばかりシャッターを押す日本人は確かに存在していた。
 次に、サンタ・マリア・ノッヴェラ教会に向かったのだが、遅くまであいているという情報はガセであり(緒川たまきに嘘つきと言われたい、平均的おじさんとしての私もそこに存在する。)、しかたなくメディチ家礼拝堂へ、ところがここも既に閉まっており、最後のアカデミア美術館をめざすことになる。
 アカデミア美術館では、ダビデ像が造られて500年ということもあり、大規模な改修がなされ、それに併せて現代美術作家を招聘して、内部に作品のインスタレーションがなされていた。シュトゥルート、クネリス、バゼリツ、ファヴロ、モリスらによるのだが、そのうちモリスのビデオ作品は、ダビデ像とは一体何なのかという省察にとんだものであり、注目に値した。
 モリスは二つのスクリーンを用意し、それぞれ回転するダビデ像の映像の横に男、女の講演者が熱弁をふるうという映像を用意した。いわくダビデはトランスカルチャーなイメージなのか?ダビデがもしアーノルト・シュワルツネガーだったら?いかなるイメージは無垢であることなどあり得ないとか、時にはダビデ像の映像にイラク戦争にイメージがオーヴァーラップさせることにもなる。
 今回はフィレンツェの自由時間がたった1日しかないということなので、効率よくまわろうとしたのだが、アカデミアへ戻るというのはやはり歩数を増やすことにもなり、結局最終的に27000歩まで歩いてしまった。最後にホテル近くのレストランでフィレンツェ風ビフテキをシェアしながら食べたが、それくらい食べても太りはしないだろうと、思った。

KLMの機内にて

 21日まで、イタリア・フランスの旅行をしています。といっても、今はアムステルダムのスキポール空港で、インターネット接続です。というのも、フィレンツエの乗り継ぎ便が40分も時間変更となり、暇をつぶすのが大変だからです。
 さて、久しぶりにのったKLM 今までは747ー400だけだったのが777ー200になって、エンターティメントは、ものすごく良くなっていました。機内では映画ではオペラ座の怪人を見ただけで(徹夜あけだったので)、あとはもっぱら音楽を聴いたのですが、ルネ・ヤコープスのフィガロ全曲をはじめとして、CDコーナーではクラシックだけで30枚もの音源があり、驚きました。ipodを機内に持ち込む必要がないみたいな感じなのです。とはいえ、げおるぎゅー・あらーにゃ・ぱっぱーののとすかは(ひらがなだと間抜けです。)第二幕にスキップできなかったけど・・・
 驚いたのは30分ぐらいのインタビュー&音楽番組があり、ジョージ・マーティンがビートルズを語るとか、アズナブールが友人のシナトラを語るとか・・・今まで貧相だった分KLMのがんばりを強く感じました。
 子供チャンネルでは、ハリーポッター1.2.3とかディズニーアニメも沢山あったし、名作コーナーではゴッド・ファーザーやらマトリックスやらが全作揃っていたり 何か異様な感じがしました。
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