谷中オペラ日記

オペラ=作品についての、備忘録のようなもの。

2011年08月

イタリア修行7日目

ホテル朝7時に出発し、アレッツォへ、今日はピエロ・デッラ・フランチェスカdayということで、朝一番に聖十字架伝の壁画を見る。その後、アレッツォの街を散策、若きチマブーエの作品、さらにはポッツオのだまし絵などをみたあと、出産の聖母を見に、モンテルキへ。ただこの一枚の絵だけの美術館なのだが、ここに来ないと見られない。団体旅行のメリットはここにある。その後、サン・セポルクロへ。市立美術館の4つのピエロの作品をじっくり見た後、アッシジへ移動。ちょうど夕方なので、夕日の聖母の美しさを期待したが、ちょうどミサのため、見学できず。残念。上院のジョット作品群を見る。その後、ホテルで夕食後、夜のアッシジを散策。若者たちが広場で歌っている光景は、平和そのものだった。

イタリア修行6日目

修行6日目
 フィレンツェ2日目 朝一番でサンタ・クローチェ教会へ、ドナテッロの受胎告知やら、ジョットの壁画を見た後、パッツィ家の礼拝堂へ、ブルネレスキの空間の美しさを堪能する その後、捨子養育院へ、同じくブルネレスキの空間から、ルネサンスを実感する。というもの、アヌツィアータ広場から見る、ドゥオーモに、ルネサンス的ヒューマンスケールを感じる。そこから、カスターニョ最後の晩餐を見たあとに、市場へ 、市場の生パスタの食堂で昼食をとる。トリッパと、トルテリーニ、さらにタリアテッレ・アマトリチャーニ、サラダを3人でシェア、せっかくだからキャンティのメッゾを注文する。これがなかなか美味、しっかり食事をして、昼の修行に備える。
 昼は、サンタ・マリア・ノヴェラ教会へ、マザッチョの聖三位一体、ギルランダイヨの壁画を見た後、ブランカッチ礼拝堂へ さらには、サント・スプリト教会にも立ち寄る。そうだ今日は、ブルネレスキのルネサンス空間を味わう一日だったのだ。サンタ・フェリチタのポントルモ、サンタ・トリニテのギルランダイヨなどもみながら、今日の修行はおしまい。ビールを飲んでホテルに帰る。出発の時成田空港であった、手嶋君とその同僚たちとフィレンツェで合流。ボリューミーな料理を食べて、深夜の帰ホテル・・翌朝5時45分のモーニングコールなのに・・・

修行5日目

修行5日目
 フィレンツェ一日目、ガイドさんがホテルまで来て、散策開始。ホテルはアルの川沿いの団体旅行によく使われるメディラネオホテル 中心からは少し外れるが、かろうじて徒歩圏 最初サンタ・クローチェ教会まで歩き、説明後 シニョーリア広場へ そして お目当てのウフッツィ美術館に入館。
 今回の研修旅行は26名の参加者ということでガイドは二名つけなければならないので、2グループに分けて説明してもらう。イタリアでは観光ガイド以外の人がガイドするのは、たとえ教員でも御法度なので、ガイドさんにお願いする。ただし、ガイドさんがいれば教員がガイドしても良いので、むかし片桐先生は3時間ぐらい説明したこともあった。まあ私は専門外なので、ガイドに任せ、足りないところを補うつもりでいたが、団体が多く混雑している館内では、それもままならない。それでも、普通の団体よりも時間をかけて、マニエリスムまでガイドしてもらう。その後、再度みたい人は戻るよう指示して、解散する。
 同行している六人部先生と、とりあえずバールへ、先生は喫煙とコーヒー、私はといえば昼からであるが、ビール。しばし休憩後、ゴヤの部屋から逆流し、レンブラントなどを見て、再度ジョットの部屋へ戻る。すると、先ほどの混雑が嘘のような、大観光地化する以前のような、人がまばらな静かなギャラリーとなっている。ちょうど昼休みの頃だからだろうが、朝とのギャップに驚く。それぞれの部屋をじっくり見直していった。今回気になったのはロレンツォ・モナコとピエロ・ディ・コジモ 前者の神秘的な色彩と、後者のシュールな世界に魅了される。結局 午後3時半まで都合5時間30分のウフッツイに時間を費やし、昼食を食べ損ねる。というか、ビールが昼食。
 次に、時間の効率を考え、ドゥオーモを経てアヌンツィアータ広場経由でサン・マルコ修道院へ 新しい市長となってドゥオーモ周辺は歩行者天国となっており、あの喧噪はなくなり、静かになっていて驚く。しかし、一方旅行者から税金をとることになり、なんど4☆ホテルだと一泊4ユーロ支払わなければならない。
 サン・マルコ修道院は言わずもがなフラ・アンジェリコの作品美術館となっていて、ここは何回訪れてもほっとする。アヌンツィアータ広場で偶然再会した学生を案内して、一通り説明して(二人ぐらいならガイドにならない)。行列が大変という噂される、アカデミア美術館へ 特別展も行われていて 入館料11ユーロは高く感じる。(ただし夕方だったので10ユーロ支払う)。それでも、町中のコピーでは感じることのできない、ミケランジェロのオリジナルで巨大な、そしていびつなダヴィデ像を拝むことができた。
 今日はウフッツィをじっくりみたので、美術館三カ所で万歩計も二万に届かず、ホテルに戻った。ホテル近くの中華料理店でテイクアウトして、学生たちと旅の真ん中ということで、日本食パーティを開く。日本から持参した、レトルト食品たちは、学生たちの腹の中に消えて、明日からの力となったことだろう。

イタリア修行4日目

修行4日目
 朝 ヴェローナ市内見学 まず最初にアレーナで記念撮影。その後、エルベ広場を経てシニョーリ広場へ、イタリアの広場の美しさを実感する。そしてスカラ家の霊廟を見てから、ジュリエッタの家へ、女子学生たちはキャーキャー言いながら、それぞれの恋について思いをふける 観光はここまでとして
マンテーニャ目指して、サン・ゼーノ・マッジョーレ寺院へ、ファサードは工事中で、きっと次回の訪問時には美しくなっているだろう。さて、お目当ての祭壇画を見ようと思ったが、ちょうどミサの最中、遠くから単眼鏡で見るしかない・・残念 それでも、宝石のような美しさをたたえていた
 ヴェローナを後にして、次にマントヴァを訪問した。ああリゴレットの街だ、かわいそうなジルダそして、好色のマントヴァ公爵の美しいメロディが聞こえてきそうだ。さて、およそおよそ25年ぶりのドゥカーレ宮殿 遠い前回は、ガイドツアーのみ、各部屋順番でまわり、肝心のマンテーニャの部屋でできなかったが、今回は自由に見学することが可能で助かった。とはいえ、宮殿内は迷路のようであり、やっとのことで「結婚の間」へ、ここで時間が止まる。すばらしい、色彩も鮮やかであるし、その造形力の高さに関心する。
 さて、この宮殿の「鏡の間」、ここはモンテヴェルディのゆかりの地であり、サヴァールのリセウ劇場で上演された「オルフェオ」では、この鏡の間にインスピレーションを受けた舞台装置だった。なるほど、マントヴァは音楽の街なのだ。アルベルティのサンタンダオレア教会は昼休みで閉まっていて、マンテーニャの墓には行けなかった。また、入場を強く希望していたパラッツォ・デル・テも今回は外観のみ、それでもかすかに馬の間がのぞけた。学生たちには、マニエリスムの崩壊感覚を実感してほしかったのだが、時間がたりなかった。

イタリア修行3日目

修行三日目
 午前中 パドヴァへ、スクロヴェーニ礼拝堂を見学、それにしても修復後の厳密な管理に辟易する。たった15分の見学では、じっくり見ることができない。とはいえ、ここに再び訪問できたことを感謝する。その後、サン・アントニオ聖堂へ、ここは巡礼地ということもあって、一種独特の雰囲気 病気平癒の祈りの場所ということで、具合の悪い母のことを祈願する。
ここにはドナテッロの祭壇彫刻があるが、ミサの関係で近くでは見ることができないのが残念。ドナテッロといえば、ガッタメラータ騎馬像は灼熱の中で見上げる苦痛があるにせよ、コッレオーニ騎馬像と両方見学できたことの満足感はある。そして、このような像の伝統が、日本にも移植されていく過程などを考える。
 パドヴァをあとにして、ヴィチェンツァへ いわずもがな 建築家パッラーディオの都市だ。街に着く前にロトンダ近くでバスを止めてもらい、外観のみを遠くから見つめる。オペラ映画 ドンジョヴァンニを見ると、その内部を確認できるが、入館の時間が限定されているし、団体で外部の見学の難しいので、このぐらいしかできないのが残念。そのご、中心地に入りシニョーリ広場へ バジリカは、修復が進み 以前のくすんだ感じから、美しい色彩を取り戻しつつある。昼食後に、目当てのテアトロ・オリンピコへ 以前に比べて監視員が厳しい感じだ。中央の階段しか使ってはいけないとかうるさい。それでも、その遠近法の舞台装置は、この空間でしか味わえないものであり、学生たちにとっても貴重な体験になったことだろう。テアトロ・オリンピコの入場チケットはキエリカーティ美術館と共通となっているので、入館する。彫塑工事中のようで、全く落ち着いて鑑賞することはできない。もっとも、さほど重要なコレクションもないので、短い時間のなか、パッラーディオの建築散策へ ほとんど駆け足状態だったが、生誕500周年時に整備された案内板を頼りに、デジカメで撮影することができて、良かった。授業で使いたい。
 ヴィチェンツァのあと、ヴェローナのホテルへ、チェックイン後シャワーを浴びて、夕方より市内へ。学生たちをアレーナの野外オペラに連れて行った。演目は、ラ・ボエーム チェドリンスとアルバレスによるものだったが、いかんせんラ・ボエームは野外オペラ向きでないだろう。二幕のカフェ・、モミュスは見応えがあるが、あとはこの野外劇場では単調な感じになる。外野自由席だったので、音楽そのものは期待していなくて、その通りになったが、これはこういう物だと思えば、スペクタクルとしてのおもしろみはある。最後、ミミが死ぬ間際で、小雨による中断が二度もあり、それはそれで良い思いになった。

イタリア修行二日目 ビエンナーレは暑かった

二日目は、朝一番に学生たちつれてサン・マルコ寺院へ、しかし長蛇の列 時間がもったいないので各自夕方までに見学するようにと指示 その後 基本的自由行動へ 昨日見学できなかった カルパッチョの連作壁画をみるために、ザッカリアを経由してスキアヴォーニ信者会へ 無事入場できる。ヒエロムニスの生涯 やはりこの空間で見てなんぼの作品 その後、ジャルディーニに移動 ビエンナーレへ まあこの展覧会システムの限界みたいなものを感じるのであるが、ビデオ作品を一切禁止したビエンナーレにすると、見学時間も短くなるだろうなんて思いながら 各国パビリオンをみる。話題のスイス館 トーマス・ヒルシュホルンの作品 例によって チープさと皮肉さが満載 でもこれを絶賛する動向には懐疑的な気持ちになる 日本館の束芋 吉坂隆正の穴を井戸に見立てての作品 残念なのは、天井も久しぶりに開けてほしかったけど、あのピロティーの使い方は今までの日本館の展示のなかでは秀逸と思ったし、作品も飽きさせず手短でよろしい このあとドイツ イギリス フランスと続いていくのだが、こんなことを書き続けていく時間などもないが ボルタンスキーのフランス館のような美的センスを保ちながらの、圧倒的なインスタレーションを見ると ビエンナーレに来たなあと実感するのだが、今回の展示 どうもなかなかそのような展示に出会うことが少なかった アルセナーレも同様、タレルの作品を見るために並ぶ気力もでず だらだらと歩数だけが増えていく その後、対岸の会場にモーターボートで移動 そのなかで、One of a Thousand ways to Defeat EntropyとFederico DiazのOutside itselfなどを見る。二つとも大規模なインスタレーション作品で見応えあり、せめてもの救いといった感じ・・・
最後に今まで行ったことのないコンタリーニ宮殿の階段を見に行こうと思ったのだが、ガイドブックを学生に貸したこともあって、ほとんど地図の記憶だけで探す・・これが全く見つからず 余計に歩数を稼いでしまう 結局みつかったけど路地に入り、さらに路地にはいるとこの美しい階段が見られるのだけど、精根尽き果てた 
アカデミア美術館 改装になったらしいが今回はパス 学生たちと待ち合わせ いつものようにトロヴァーゾのトラットリアへ ああ2年ぶりの ヴェネチアのウナギの美味のこと!片桐先生とこの店に来られなかったことが恨めしい 先生に教えてもらった その先のバールでフラゴリーノ酒も飲むことができたし ヴェネチアはいつ来ても楽しいと実感する。

イタリア修行その1

ゆっくり目の朝食 10じまで夕食、その後活動 ヴァポレットのチケットを購入 そのまま1番でカナルグランデを乗船 リアルト橋あたりでおり、市場を散策後 フォルモーザ広場方面を目指す途中 Lio教会で、Lech Majewski による Breugel Suiteというビデオアート作品を見る。ブリューゲルの作品の中に、入り込みドラマ仕立ての作品。教会のなかでのビデオプロジェクションは、前回のビル・ヴィオラを思い出す。フォルモーザ広場にでたので、クェリーニ・スタンパーリア美術館に逃げ込む。逃げ込むというのは、あまりにも暑いので、涼を求めるというべきか まあ、この美術館良品はあるにせよ、高い入館料なのだが、カルロ・スカルパのデザインも見所であるし、現代美術作家Marisaj Merzの作品も展示されているので、入館する。スカルパのデザインの秀逸性は、その素材の選び方や色彩にあり、その後訪問したオリベッティのショールームにも共通のものだ(ただし5ユーロの入館料ということもあり、今日のところは入り口のみの見学)美術館で軽い食事をとり、その後スクォーラ・サン・マルコの美しいファサードを堪能し、ヴェロッキョのコッレオーニ騎馬像を猛暑のなかくらくらしながら眺め、サンティッシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会へ、ここにはロザリオの礼拝堂のヴェロネーゼによる天井画や、入ってすぐ右にあるベッリーニによるい聖ヴィチェンツォ・フェッレーリの多翼祭壇画などを見る。ベッリーニのそれは、9枚の絵で構成されるが、私としては左上方のガブリエルのりりしい顔つきが気になった。その後、スキアヴォーニ信者会のカルパッチョの作品を目指すが、サンフランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会を経由することに、ここは入場料をとられることのない、フランチェスコ会の教会のようだが、中に入るとティンントレットの装飾による礼拝堂や、ヴェロネーゼによる聖会話、同じくベッリーニによる聖会話の作品があり、これは静かな空間のなかでじっくり見ることができた。その後、カルパッチョを目指すが、なんと午後は閉まっていて入れず。しかたなく、ザッカリア教会へ、1ユーロを支払い宝物室とクリプトの見学。黄金の礼拝堂にはカスターニョの装飾があり、興味深く見る。次に、対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレを目指すがバポレットの乗り場がよくわからず、サン・マルコ広場にでる。トイレタイムをとり、バポレットでサンロッコ信者会を目指すが、ここも17時で閉まっていて、隣のフラーリ教会へ、ああすばらしいかな ティツィアーノの被昇天聖母!!!そしてペーザロ家の聖母、ドナテッロの洗礼者ヨハネ、さらにはベッリーニの祭壇画など
それにしても何歩歩いたのだろう へとへとになり、今日の修行はここでおしまい。サン・トマからバポレットにのり、カ・ドーロで下船してスーパーで買い物して、ホテルに戻る。学生たちと、スーパーで買ってきたサラダ中心の夕食、ヴェネト地方のカベルネの赤ワインが疲れた体を優しくつつむ。

イタリア修行プロローグ

これから9月3日まで、仕事でイタリア美術研修旅行の引率をしております。昨夜ヴェネチアに着いて、今日から本格的に修行モードです。それにしても、ヴェネチアは暑い、こんな暑いヴェネチアは初めてといった感じです。もう、汗びしょびしょ 水分補給だけでなく、塩分もとらなければならないといった感じです。これから、レポートします。

浅川兄弟の心と眼展 朝鮮時代の美 展@千葉市美術館

浅川巧の生誕120周年記念として、大阪の東洋陶磁美術館からはじまった、伯教・巧兄弟展が千葉市美に巡回してきたので、出かける。まあ、この日は同窓会があるというので、そのついででもあったのだが・・・会場に着くと、ある意味マニアックなのかもしれない展覧会は 土曜日の夕方というのにガラガラであった。ここでやる伊藤 若冲関連の展覧会の熱気から考えると雲泥の差といった感じ。それはさておき、私と浅川の出会いというのは、実はあの『朝鮮陶磁名考』を入手したことにはじまる。まだ、学部生の頃、名誉教授が亡くなり、蔵書整理のアルバイトにかり出された私は、どちらかというと雑本ばかりの蔵書の寄贈にこまったものだと思いながら、この本に出会ったのだった。美学関連ではないという、単純な理由で研究室の蔵書にならないで、廃棄寸前のものをもらったというよりも、拾ったという方が正しいかもしれない。今から約30年近く前の話で、いっそのこと古本屋に売ってしまおうかと思ったが、ぱらぱらと眼を通していくうちに、この本のおもしろさを気がついたという話だ。
ところで、今回の展覧会で「啓名会」の援助の話を知り、興味深く思った。というのも、その名誉教授の蔵書から、拾った本の一つに、啓名会の第54回講演集 矢代幸雄『世界に於ける日本美術の位置』1934年も含まれていたからだ。そもそも、矢代のボッティチェリ研究もこの会の援助なしには考えられないものであったし(9720円の援助を受けている)、伊藤忠太なども深く関わっていて、ずいぶん前にこの会を調べるかと思ったのだが、そのままになっている。ただし、このときの興味は昭和15年つまりは紀元2600年を意識したものであって、国際文化振興会が主催した、日本文化に関する国際的懸賞論文など、掘れば掘るだけ面白いことになりそうだが、僕のノートも中途半端なままで、いきなり頓挫して、何故かコーリン・ロウのノートがはじまったりして ザッピング状態だ。
さて、浅川の話に戻すと、当然ながら 安宅コレクションの名品も含まれているし、白磁の美しさを堪能できる。そして、カタログ化されたものの本物を見ることのおもしろさみたいなものを感じることになるだろう。

今更ながらiphoneに乗り換え

先週のシンポジウム、311の時に台北にいたアーティストは、情報はiphoneでしか得られなかったと・・
なにかiphone神話みたいなものに荷担したくはないのですが、auでがんじがらめになっている私、スマホにしようと思ってショップに行ってたずねると、auはイタリアでは海外ダブル定額の対象のキャリアがない。ヨーロッパだと、イギリス、アイルランド、スペイン、フランス、モナコ、オランダ、ベルギー、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツ、チェコ、ロシアの12カ国のみ、ルクセンブルグやイタリア、オーストリアも入っていない。これじゃだめだ・・・笑・・・
また、足かせになっていた 違約金が、3150円になったので(無料になるのは、来年の3月、そこまで待てない)、思い切ってソフトバンクへ乗り換えることにした。
来週から、イタリア〜オーストリア〜オランダ〜フランスと回る予定だが、wifiがつながる場所であれば、メールもさくさく読めるし ヴェネチアビエンナーレのカタログアプリもダウンロードして、準備OKといった感じです。

今年も生中継 NHKのバイロイト→ノイエンフェルスのローエングリン

今年もNHKのバイロイトでバイロイトの生中継があり、1幕と、3幕のラストのあたりを見た。2幕は別の仕事に従事して、録画したものをいつか見ることにする。さて、タイトルロールは来年の新国でも歌うクラウス・フロリアン・フォークトで、エルザはアネッテ・ダッシュ。フォークト素晴らしかったです。そして、ノイエンフェルスのネズミ演出 最後には訳の分からない胎児まで登場して、奇才ぶり発揮といったところでしょうか まあ、これは昨年プレミアで、話題になったものですから、今更といった感じでしょうが・・・そして、若手のネルソンズの指揮もよい。これも、地震がなければ、上野でN響をふるはずだった。さて、ネズミを見ていて、カタリーナ・フリッチェみたいだと思いました。

東京駅のスレートの洗浄「熊谷産業」へ

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谷根千工房の森まゆみさんや赤レンガの東京駅を愛する市民の会の事務局長で、芸大名誉教授の前野まさる先生が、震災後から盛んに活動なさっていた。赤煉瓦の東京駅再生工事の屋根瓦のスレートの洗浄の問題。その熊谷産業を訪問した。熊谷産業は、茅葺き屋根の修復工事を中心として、文化財の保存に深く関わっている会社であるが、その社長の熊谷秋雄さんはとても魅力的な人だった。この事業に対する熱意は深く、影ながら協力していきたいとおもった。

涙するしかない@大川小学校

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石巻から女川、雄勝を抜け、北上川へ そこに多くの児童たちが亡くなった、石巻市立大川小学校があった。全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明という、悲劇の場だ。ただただ、亡くなった子供たちの冥福を祈る。

再度石巻へ 石ノ森マンガロードの今

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境港の水木しげるロードと並んで、マンガで町おこしの石巻 JR石巻駅から石ノ森萬画館までの、道沿いに据え付けられたモニュメントたち、それぞれは地震と津波の災害にも打ち勝ち(19体のうち流されたのは2体のみ)、復興を応援しているかのようだった。

デセイのトラビアータ@エクス

今年のエクサンプロバンス音楽祭、デセイが出演するトラビアータはとても人気があって、チケットがなかなか取れなかったようですが、アルテで公開されています。7月16日に録画されたもので、あと76日間見ることが出来るようです。例によってエキセントリックで表情豊かで、感情移入しまくっているヴィオレッタです。

「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」@東博

空海展の喧噪をよこに、本館では小さいながらも、とても興味深い展覧会「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」を見た。この展覧会は、基本的には梅屋庄吉の曾孫にあたる小坂文乃氏が保存しているアルバム及び関連遺品を中心とするものであるが、そのほか東博ではほとんど展示されることのないような、基礎資料としての写真が展示されることになる。当然ながら、梅屋庄吉の遺品は面白いのであるが、そのほか亜東印画協会が撮影した写真のキャプションが興味深い。その中、香港の写真にたいし「建築の植民」と名付けられ、「保守的で厳格な儀礼を忘れないといったところの英人気質が彼らの築きあげた市街にも建物にも現れている。ロマネスク風の建物は、それは英帝国の威力を示すに足り、住むものの心を無言のままに威圧する。植民政策にはまずその都市の建築から始めることは、その居住するものの生活を支配することである。英国植民の成功の秘訣はそこにある。」と書かれている。
なるほどと思った。

クシシュトフ・ヴォディチコ パブリック・プロジェクション ≪Survival Projection 2011≫

ヨコハマトリエンナーレの関連企画として、北仲スクールのシンポジウムのメインゲストであるクシシュトフ・ヴォディチコのパブリックプロジェクションを見た。このプロジェクションは、8月5日と昨夜の9日の後 次はせんだいメディアテークでの上映のみとなっている。
この作品は、リヴァプール、デンバー、ワルシャワなどで公開された移動型投影プロジェクト「 War Veteran Vehicle 」という、退役軍人の言葉を題材とするものであるが、311後ということもあり被災者の声を加えたものを、今回公開されることになった。
ヨコハマトリエンナーレの会場の一つである新港ピアの側面に限られた時間に上映されるのだが、その上映場所や時間等の背後に、ある種の政治性を感じてしまう。提携プログラムという言葉の綾とでもいうべきか、とにかく作家の名の大きさに比して、こじんまりとしてプロジェクションと感じた。
さて、そのプロジェクションであるが、自衛隊救援物資を運ぶジープから、言葉が銃声と共に発射されるのであるが、やはり、退役軍人の言葉に合わさる銃声と大震災に関する声にかぶる銃声との違和感は、どうしても感じてしまう。

クシシュトフ・ヴォディチコ「アートと戦争」@北仲スクール

横浜国大の室井尚さんの渾身の企画、「アートと戦争」のトライアスロン的シンポジウムに参加している。
毎日朝10時から午後6時までのたっぷりの時間のなかで、解決など導かれるはずがないことはわかっているが、語り合うことの意味を感じる。

青木繁展@ブリヂストン美術館

「海の幸」や「わだつみいろこの宮」で名高い、青木繁の回顧展が、ブリヂストン美術館で開かれており、出かけてみた。結局、バック、名和と展覧会三つをはしご(その間、編集者との打ち合わせの仕事もいれて)したのだが、そもそも夭折の作家ということもあり、作品数は膨大でないので、最後にじっくりと見ることはできた。さて、もともと、前述の二つの作品は久留米の石橋美術館に所蔵されているものであり、そこへ行けば容易に見ることは可能であるが、没後100年という節目で、39年ぶりの大回顧展ということになったとのこと。久留米から京都の近美を経て、ブリヂストンに巡回したという。
残念なのは、もともとオフィスビルとして作られたこの美術館の天井高は高くないので、「わだつみいろこの宮」のような縦長の作品は、どうしても上部が圧迫され、またライティングも上手くいかない。ガラスに光が反射して、どうもじっくりみることが出来ない。そういった、マイナスな面はあるにせよ、青木の作品をこれだけ集める展覧会は、今後しばらくないだろうから、必見ということになるだろう。
アンフォルメル展といい、青木繁展といい、ブリヂストン美術館は快調である。

名和晃平 シンセシス展@MOT

バック展で消耗したあと、名和晃平展を見る。
なるほど、人気のある作家だけあって、見応えがある。あっという間に見終わることができた・・笑・・。作品も大きいから・・・何も考えずに見ることができたのだ。つまり、見応えがあるというのは、スペクタクル的にであって、注視することと同義ではない。作品自体が概念的で、それをスペクタクル的に増幅しているが、概念それ自体は至って単純であるように思った。
多くのコラボレーションによって、作品は成立するが、何かデスクワークで決定してしまったような感じであり、そこに汗をかきつつ一心不乱に制作するといった彫刻家像など見いだすことはできない。そういったアナクロニズムとは別の次元なのであろう。今年国内で開かれた、曽根裕・小谷元彦の展覧会と比較して、論じてみる価値はあると思ったが、旅行の準備もあり、ペンディングとしておく。

木を植えた男 フレデリック・バック展@都現美

夏休み恒例となった、都現美でのジブリ・日テレ・アニメ展覧会。今年は、何故かフレデリック・バック。あの「木を植えた男」で知られているアニメーション作家だ。

↑ドイツ語版です
さて、入場すると木を植えた男をマルチヴィジョンで上映して、そこからバックの修業時代の作品が続く。それらは、第二次世界大戦の暗い世相のなかで、彼が実際に見つめた世界を真摯に描写するというものであり、その時代の生活史の記録とでもいうべきものだ。みていると、地方都市の歴史博物館にいるかのような気持ちになる。とはいえ、見ているとバック独特の遠近法と色彩が確立して行く様が理解出来る。さて、その修行時代を経て、カナダに渡ったバックは、今度はカナダの自然に魅了されることになる。家族をもち、放送局へ就職することによって、彼はアニメーション作家への道を歩むことになる。
子供が小さいとき、アニメの「木を植えた男」も見せたし、絵本も読んだ父親の経験からして、アニメーションの技法の確立はなるほどと思わせるものがあるが、かといって、ダイレクトなジブリの観客筋からすると、地味な展覧会であって、観客動員も見込めないのではとおもうことになる。
さて、そのなかでバックは、早い時期から原子力発電所に対する反対の立場にたち、それが美術館に生まれ変わるという「クラック!」を1981年の段階で発表している。311と福島のあと、この作家の作品をみることの意味は深まることになった。

ピクチャ 1
ピクチャ 2

Le Vaisseau fantome

エスクラルモンドさんのブログで知ったのですが、巷では「さまよえる」って打ってみな どうしてオランダ人 ワロタ まじウケルって感じで、ものを知らないぶりをさらけ出しているとのこと きっと皆さんはアンパンマンの方がなじみ深いのでしょう。

怪獣のバラード@日常ED


娘たちが見ている「日常」をみていると、聞き覚えのある「怪獣のバラード」がEDで使われている。
これは、少し前で話題にした「涙をこえて」同様 ステージ101で歌われていた懐かしい歌。東海林修の作曲で知られているのだけど、なにやら合唱曲の定番のようになっているのかな・・・

↑このオリジナルを聞くと、ああ70年代していると実感します。

追悼 工藤甲人

日本画家の工藤甲人先生がお亡くなりになった。享年95 大往生といったところでしょう。
今から30年前、芸術学科日本画講評会に先生はおいでになっていた。ちょうど定年間近な頃だったのだろう。
そのころ、若手で芸術学科の日本画の指導をしていたのは滝沢具幸先生だったが、滝沢先生も87年に赴任した武蔵野美術大学を定年になるという・・・月日が経つのは早いと実感する。
私自身は日本画を選択しなかったので、直接指導なりを受けたことはなかったが、とても温厚な印象を受けているし、先生が描く昆虫などの小動物の幻想的な世界が好きだ。
そういえば、神奈川県庁に飾られていた絵が盗難にあい、まったく関係のない絵にすり替えられ、誰も気づかなかったというトンデモ事件があったが、その後絵は戻ってきたのだろうか?
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