deudoraのblog

 0113昼食をとったときの椅子のそばまでやってきて、再び座る教授。 「ガイルが空に見えているのに実はそっちの方向には無いなんて………」  驚く俺に、教授は笑って答えた。 「いやいや、無いとは限らんさ。あるかもしれないし、無いかもしれない。ただ、 光がそっちからやってきているというだけに過ぎないのだよ。ゆえに宇宙は混沌だ。 “歪んでいる”のだよ。だから、ワームホールが作れる」 「ワームホール………」 「そうだ。お前さんが聞きたかった初めの論に戻ろう。ワームホールがどうして100mしか維持できないのかということだったな。 つまりこういうことだ。今時は珍しくなってしまったが、郊外に行けばまだ塀に囲まれた一戸建ての家はある。 この研究所みたいにな」  博士は一度研究所をぐるりと見渡した。 「何のことは無い。今、お前は隣の家に行きたいと思ったとする。玄関から出て相手の家の玄関に行けばいいのだが、 最短距離はそうではないだろう。“近道”をしたいのだ。ショートカットと言ったほうが分かりやすいかもしれない。 ならばどうだ、障害があるだろう?」  あ………塀だ。  そう思った俺の顔から読み取ったのだろう。  博士は話を続ける。 「そう、お前が思っている通り、塀が邪魔なのだ。だから塀を壊せばいい。穴を開けて 通れるようにすればいいのだ。しかし、開けられる大きさは………どうだ?」  博士の質問に俺は少しえた。 「………塀のある部分にしか開けられない」 「そうだ」  博士は満足そうにうなずいた。 「塀に穴を開けるのだから、穴を開けられるのは塀の部分しかない。塀の大きさと場所に固定される。何のことは無い、当たり前のことだ。  しかし、これを見落とすと大きな間違いを犯してしまう。行きたい場所に向けて、どこにでも穴が開けられると勘違いしてしまうのだ。 そうではない。隣の家に行きたい場合、開けれらる穴には制限があるのだ。それはワイズテリー航法にも当てはまる。 そしてその開けられる大きさを、お前さんが料理を作っている間に計算してみたところ………」 「100………メートル?」 「うむ。とある行きたいところに向けてなら、穴は直径100mほどしか開けられないのだ。 どこに行っても良いというのならば、3次元の宇宙空間において穴はそこらじゅうに開けられるだろう。 塀に例えるならば、裏の空き地なら裏の塀を壊し、右隣の工場なら右隣の塀を壊せばよい。 宇宙空間においては常に無数の塀に囲まれていると思えばよいのだ。ただ、目的先に行きたいのであれば、 無数の塀を壊しても仕方ない。行きたい先は一つだけなのだから。ゆえに、そのとき、 宇宙空間における塀は最大100mの長さしかなく、それに制限されるというわけなのだ。どうだ、分かったかな?」 「あー………うーっ。まぁ、大体は分かった………と思う」  俺の不十分な言葉にも博士は、 「はっはっは。まぁそれでよい。すぐに全てが分かられてしまえば、ワシの70年の人生が薄っぺらく思えてしまうような気がするからのぉ」  と勝ち誇ったように、しかし優しげに笑った。

0518のぼりきったところにある閉まった戸の向う側で、しきりに猫がうなっては爪を立てている、まさしく悪夢のようなざわめきが聞こえ、一方「黒んぼ」は、部屋のそとにいる同類にはおかまいなしに、むきだしの石壁のまわりを興奮しながら走りまわっていたが、その壁のなかには、ゆうべわたしを悩ましたのとそっくり同じ、鼠の走りまわる騒がしい足音が聞こえた。
 ある激しい恐怖感が、わたしの身内をさっと貫いた、というのはほかでもない、いまここには、尋常な理屈では説明しきれない、なにか異常なものがあったからである。そもそもわたしと猫だけが一種の狂気状態に陥《おちい》って、その狂気のためにこういう鼠の幻影を見ているのではないとするなら、この鼠どもは、固い石灰岩の塊だと思われるローマ風の石壁に穴をあけて、そこから出入りしているにちがいない……もっとも、千七百年以上にもわたる水の作用で自然に曲りくねったトンネルが通じ、それに鼠どもが手を加えて大きく広げたというようなことがあれば、話は別であるが。……しかし、たとえそうだとしても、幽霊がでるというこわさには、少しも変わりはなかった。――この鼠どもがじっさいに生きている動物だとすれば、なぜノリスの耳にはこのいやらしい騒ぎが聞こえないのか?
 いったいどういうわけでノリスはわたしに「黒んぼ」のようすを見守らせたり、そとにいる猫どものうなり声を聞いてみろといったりしたのか?
 それにまた彼は、なにか猫たちが騒ぐにたる理由があるということを、当てずっぽに漠然とながら、どういうわけで推測したのか?
 いま自分の耳にだけははっきりと聞こえているもの音を、できるだけ筋のたつように、ノリスに話してきかせようと思ったときには、もうそれまでに、駆け回っている鼠の足音はいまにも消えそうに小さくなり、なおもその足音は下のほうにくだって行き、まるで下の断崖全部に問題の鼠どもがぎっしりとうようよ群がっているのではないかと思われるほど、それこそその地下の地下室の一番奥底のほうにまでくだって行く足音が感じられた。ノリスはわたしが考えているほど、迷信を信じないわけではなく、それどころか、かなり深刻な印象を受けたらしいようすだった。ノリスはわたしに、戸口の向う側にいる猫どもが、まるで、鼠の姿が見えなくなったからあきらめたとでもいうように、すっかり騒ぐのをやめてしまったことを、身ぶりで知らせた。そうしているあいだにも「黒んぼ」のほうは、またしてもはっと不安の念を新たにして、部屋の中央にある大きな石の祭壇の底辺のまわりを夢中になって引っ掻いていたが、そこはわたしの寝台よりも、ノリスの寝台のほうに近かった。
 えたいのしれぬわたしの恐怖心は、ここにおいて頂点に達した。なにか驚くべきことが起こっていたにちがいない、その証拠には、わたしよ、また思うに生まれつきもっと唯物論的な人物たるノリス大尉までが、わたしにおとらず、すっかりこの場の雰囲気に呑まれているのがひと目でわかったのだ――おそらくこれは、彼が生まれて以来長いあいだ、この地方の伝説にくわしくなじんでいるためであると思われた。二人とも、差し当たってはどうすることもできないまま、黒猫の動作を見守っていると、この猫は、祭壇の底辺を引っ掻く熱意をしだいに失って行き、ときどきこちらを見あげては、なにかわたしにしてもらいたいときによくやる可愛らしい癖でニャーオと鳴いて訴えた。
 そこでノリスはその祭壇にランタンを近づけて、さっきから「黒んぼ」が引っ掻いていたところを調べてみた。そっと膝をついて、ローマ時代以前の巨大な石の塊とモザイク模様の床との境目に、ぎっしりとこびりついている数百年にわたる苔を彼は削りとった。削りとったがなにひとつ見つからないので、彼がもうそれっきり調べるのを打ち切ろうとしたとき、ふとわたしは、ごくささいな事実に気がついて思わず身震いした。もっともそれは、かねてからすでに

1501と実感します。
こんなふうに、自然の生き物と触れ合うと、「川を大切に」とか「環境を
守ろう」とか、言葉で言うより、はるかにわかりやすいんですね。
この生き物たちがいつまでも住めるようにしたい、また会いたい、と思うと、おのずと
環境意識が芽生え懷孕飲食ます。

今はけっこうあちこちでこういう活動がされていますが小さい頃のこういう体験は、
どこか心の隅っこに残り、きっといつか環境や命の大切さへの思いの土台になるはず…。

各党のマニフェストには「環境」も大きな柱に書かれていましたが、新しい技術で
環境負荷を減らす取り組みに期待すると同時に、いつまでも生き物と触れ合えるよ記憶綿うな
自然があちこちにありますように…と願っている次第です。夏休みもあと半月足らずになりました。
我が家の子どもは宿題もせず、家でパソコンをするか誰かの家へ行って
ゲームに明け暮れている毎日です…。

そういえば、近くの川を通っても川遊びをする子どもの姿もみかけませんが、
今どきの子どもたちは夏休みをどのように過ごしているんでしょうか。

私が小さい頃は、夏休みが始まると祖母の住んでいた京都の美山に預けられ、
そこで祖母とずっと過ごしていました。
午前中は祖母と畑に出て、トマトやナスビやスイカやマクワ瓜などをとり、
家の前にある「みぞこ」(溝こ?方言なんでしょうね、家の前を流れる小川のことを
そう呼んでました)に漬けておき、茄子とトマトは昼ご飯の材料になりました。
昼からは水中メガネと網を持って川へ出かけ、魚をとったり高い岩から飛び込んだり…。
川へ行くと誰かしら近所の子どもがいて、一緒に泳いでいました。
水中メガネが曇ると川岸の草を水安利傳銷に濡らしてクシャクシャと丸めて曇りを拭き取り、
また潜っては魚を追いかけ、夕方まで川にいたものです。
浅瀬の流れの速いところへ行くと、小さな岩どうしがいくつもくっついていて、

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