2006年07月

2006年07月20日

サイコロを振れば諸行無常

 事実上の夏休みに突入したことに加え、先日の中間発表の打ち上げ的なノリで、なぜか2日連続の徹夜「桃鉄」をすることになり久々に燃える。苦労して買い集めた全国の物件は、でかくなった貧乏神によって捨てられ、数時間の苦労は一瞬で水泡に帰す。
 明け方にコントローラーを握りしめ、山になった灰皿の横で、口をついて出る「所行無常じゃ〜」という言葉が荒みきった室内に響き、夏休みの始まりの期待と不安と焦燥感が綯い交ぜになった雰囲気を盛り上げている。

2006年07月18日

頭が悪い人というのはその存在が罪悪ではないか

 「醜いものは罪悪だ」と言う人がいるが、それと同様に「頭が悪い人」というのは、その存在がすでに罪悪ではないか。自分の事を棚に上げていることは百も承知だが、このような毒を吐きたくなるのも仕方が無い。だってバカって、ほんとどーしよーもないんだもの。
 本日、修論の中間発表終了。「たった10分」という時間で「私の研究を何も知らない人」に、「研究のすべて」を「10分だけですべて分かるように」話せ、という無理難題に対して、文句をいいながらもベストを尽くしたわけで、結果としては「ある程度うまくいった」と言って良いのではないかと思う。理解してくれた人もいたし、往々にして評価は悪く無かったのではないかと。手前味噌な感じですが。
 しかしながら、問題が1つ。他人の話を理解する能力を欠いた「バカ」をどうするか、ということ。これである。プレゼンにおいてこれほど究極的な課題はないのではないか。黙っていてくれれば良いが、しかしバカに限って、どうしようもないバカ面で「お前の話はわからない!」と言うのだから、たまったものではない。

 具体的に言えばこういう事。私はプレゼンの中で、次の事を言いました。
1、作品を制作すると言った。
2、それは映像作品であると言った。
3、形態はパッケージかビデオ・インスタレーションのいずれかだと言った。
4、モチーフは何であるかも言った(この説明に殆どの時間を使った。「なぜこのモチーフなのか」「美術史的にもそのモチーフにはどの様な意味があるか」「今日どういった場にこのモチーフを発見できるか」などなど)。
5、サンプルとして現在撮影済みの映像を見せた(しかも1分以上も!)。

これだけご説明したのですが、ある教授曰く「私は作品の具体的なことを殆ど語らず、具体性に欠き、これから何をしていくのか全くわからない」のだそーです。アホか。まったく「バカにつける薬がない」とはよく言ったものである。

さて、こういったバカにどう対処するかという究極的な問いに対して、有効なソリューションが今のところ(っていうかたぶん永遠に)考えられないので、それはちょっと横に置いておいて、とりあえず私の身近なところには、教授になってみんなが自分のやり方を褒めてくれるので、調子に乗って同じ様な作品を繰り返し繰り返し作った挙げ句、それ以外の表現方法を理解できなくなってしまった(しかもどうやら、心の底から「みんなも自分と同じようにやれば良い」と思ってしまっているらしい!)おめでたいバカと、基本的に意味解釈力の欠如(に加えて教養も基礎知識の欠片もない)ゆえに「ちんぷんかんぷん」で、でも前述の教授が「わからん」とエラソーに言ったので「どうやらコイツの話がいけないんだ」と思い込んだバカの、少なくとも2バカがいるという事が確認できたので、その事実だけは受け止めておかねば、と思う。

2006年07月15日

get up, do something

 昨日学校から帰ろうかと思っていると、なぜか最近「桃鉄」に嵌っているヒトビトが、遠くの美味いラーメン屋に行くというので一緒に行かせて頂く。先日「食のアーキテクチャのデザイン」という大変崇高な話題があって、近々行こうと言っていたので、とても良いタイミングである。
 出てきた丼の中にはネギとチャーシューとキクラゲ。そして麺、替え玉、替え玉。分かりやすくて非常によろしい。コース料理の設計をするのは面白そうだが、あえて一品だけで完結してしまうものをどうデザインするかというのも、それはそれなりの醍醐味があるわけで、大概粗野であると断ざれがちな所謂「大衆食」の部類も、小説と俳諧が両立するように、どちらが下品でどちらが上品というものではない。ラーメンは丼の中に無限のデュナミスを内包している。
 その後夜のファミレスでグダグダと喋る。とにかく喋る。日付が代わっても喋る。喋る、喋る……。

 そんなわけで、今日は三連休らしく遅く起きる。さて何をしようかと、ついに来週に迫ったプレゼンの資料をちょっと直したりドラフトを書き直したりするのだけれど、結局は重箱のスミをつつく様な作業というか、結局プレゼンの大筋には殆ど関係のない作業であまり建設的とは言えず、かといって他のことをしようかと思ってもプレゼンの事が気になってあまり手につかず、結局はあまり効率の良い時間の使い方ができない。これはいつもの事で、要するに「プレ・プレゼン」みたいな時があるとそこにあわせてプレゼンをフィックスさせてしまい、しかも大体「まぁ、いいんじゃないの的評価」を頂いてしまうので、それから本プレゼンまで何をしたら良いものかという無駄な期間ができてしまうのだ。
 こんな宙づり期間には、研究にもプレゼンにも関係ない「知の領域」に手を出すのがたぶん正解であろう。外は降ったりやんだりとコロコロ移り変わる雨で、カーラジオからmacyが「do something」と歌っている。
 

2006年07月13日

日々の時間が流れる

 なんだか、先月の終わりから二十日間程が、あっという間でもないけれど、毎日がそれなりの時間的厚みを持ちながら淡々と過ぎて行って、その中にあって私はうっかりそこでその流れを俯瞰する視点へ飛躍する事をすっかり忘れていたわけで、昨日の夜『寝ながら学べる構造主義』を寝ながら読んでいて、マルクスのクダリで「おやッ、つい日常に夢中になってしまった!」と思って、久々にブログを今書いている。
 それの原因は何にも無いわけではなくて、明らかに研究の中間発表のプレ発表が今週あって、それがそれなりの迫力あるイベントとして僕の視野を覆っていた事にある。
 さて、この二十日間ほどの間にあった事について書くならば、自身について言えば、まずDVでとってしまった映像をHDVで撮り直し、はじめて本格的にFinalCutに取り組んでキャプチャから一通り書き出しまでやって、プレゼン用の資料を作った事。そして、発表の資料を作ってできたての映像も埋め込み、原稿をつくり、プレ発表をした事。(これは、前述の通り私の心を覆ってしまう程のイベントであった(まだ終わっていないけど)のだが、しかし研究という側面からすればこれは何の前進も無い作業なのであって、なんだかヒトヤマ越えたような感もあるが、やらねばならぬことを粛々と進めなくてはならないと肝に命ぜねばならない)
 そんな中でも、日常は日常として流れていて、当然僕に流れるように他の人にも時間は流れるわけで、Kさんは七夕に本を語り、Mさんの年齢は1つ上がり、W杯は壮絶な頭突きと共に終わり、楽しみにしていた深夜アニメも終わって下らない萌え萌えアニメが始まり(最悪だ)、大学院では昨日「くまえりダヨ」が突如局所的に流行り、季節は圧倒的な夏になりつつある。
 僕は、この地方のこの地方らしいやり方で提供されるゴミ袋をなんだかんだで手にいれ(この時、旧家の前には、味のある猫がいるのものだ!と確信)、『カンバセイション・ピース』を読み終え、『痴人の愛』を読み始めている。谷崎の書く女性を僕 はすぐ好きになってしまうわけで、今日もやはり「ナオミ」が好きになっている。