2007年01月18日

『文藝 2007春』

文藝

 『文藝 2007春』を購入。いつもに比べて少し薄い感じで、「特集:恩田陸」は良いとしても、書き下ろし「江國香織・柳美里」と、表紙に踊る煽り文句だけで判断すると「ちょっとどーなんだ?」的な食指が動かない状況に書店で陥ったのだが、買ってみると、そこは河出書房新社、キッチリ期待にこたえて下さる。
 対談が高橋源一郎×綿矢りさ、文藝賞受賞で荻世いをらのインタビュー、その上高橋源一郎動物の謝肉祭第3回が連載、とあれば、買うしかあるまい。
 さて、読み始める。パラパラパラ。
 まずは「高橋源一郎×綿矢りさ」。実は、綿矢りさの評価を「夢を与える」を読んでから、保留にしてある。高橋源一郎による綿矢りさの評価を僕が勝手に解釈すれば(あぁ、複雑でめんどくせぇな)、たぶん綿矢りさがスゴイのは「自分の言葉で書いていた」からだ。だから、読み慣れた言葉で書かれた小説とは、当然解像度が全然違うし、だから読んでいて疲れる。『インストール』も『蹴りたい背中』も『you can keep it』もそう。果たして綿矢りさが、「自分の言葉で書くこと」を意図し、それによって自分の作品を(大袈裟に言えば)文学史上に位置づけたかのかどうかは不明だが、少なくとも高橋源一郎の評価は、綿矢りさはそれを為した、という点にかかっている(と僕は思っている)。二葉亭四迷に綿矢りさは接続される。だから、「夢を与える」の評価は困ってしまったのだ。ベタな話がベタに書かれちゃってるんだもの。とにかく、小説の殆どの部分に既視感がある。子供のモデル→芸能界へ(一方、学校の方では苦労がある)→ブレイク(受験は大変、芸能界も欺瞞だらけ)→過剰な仕事への没入(円形脱毛症!(拒食から激痩せ展開があってもよかったかもね))→スキャンダルから急転直下、とか、なんかもうどっかで見てきたような話が延々続いてしまう。で、なぜこんな(ヒドイ)ことを、今になって綿矢りさが始めたのか、それが分からなかったのだ。
つまり、
・可能性1:綿矢りさ、がスゴイと思ったのは気のせいだった。運良くあの年齢で、なぜかあの小説が書けてしまったという事にすぎない。インテリ源ちゃんは褒めすぎてしまった。
・可能性2:綿矢りさは、あえて(わざと)やっている。
両方の可能性が考えられる。で、とりあえず保留したというわけ。
(僕は、加藤典洋の書評や『文學界』の高橋源一郎の連載を読んでウンウン唸っていた。)
で、対談からわかったことは、綿矢りさはわざとやっていた、ということ。あの『蹴りたい背中』『インストール』文体を捨てて、新しい言葉を手に入れようとしている。僕は小説をキチンと書いた事がないからわからないが、あの「綿矢りさ言語」をアッサリ捨てて次に行ってしまうのは、作家としてスゴイことらしい。というわけで、「まぁ、良かった良かった」とバンザイして評価しちゃいたいのだが、実はちょっと引っかかるところがあって、やっぱり評価は棚上げせざるを得なくなってしまった。それは綿矢りさ自身が、自分がどこへ行こうとしているのかよくわかっていないのかもしれない、ということ。「だからなんて言うのかな、そんなに神様の視点で小説を見下ろせない、私は。」とか、そういうのが気になる。つまり、アッサリ捨てて冒険するのは素晴らしい、でも「夢を与える」はダメだろう、とそんな気がするのだ(加藤典洋とおんなじ結論になってしまった)。まぁ、これは次の作品見てみないとわかんないだろうなぁ。

で、次は荻世いをらのインタビュー。とにかく感想を書いちゃうと、僕の『公園』の読みは間違っていなかった!と思った。「ああ……それってもう前提じゃないですか。そこからじゃないとぼくにとっては書く意味はないですからね。まずそういう不条理という問題が終わったところから始まる話にしたかったんですよ。前提ということを認識させるために、あえて隙間を作るんです」「──「(もはやコミュニケーションが)できてないじゃん」って、ところから始める小説ということは、やっぱりコミュニケーションしようとしていると? そうです。よく人と人との不和について考えるんですけど、もしそれを題材にして書くとしたら、「不和が普通だよね」、からでないと始まらない。「絶対に人と人は交わらないのだ」みたいなところで終わったら……。」「さらに言うと、登場人物が「いや、でも俺ら何も喋ってないよね」みたいなことを普通に喋っているような会話──これは比喩ですけど──を言ってもいいぐらいのところまでいきたい。」完璧!!

高橋源一郎の「動物の謝肉祭──そして、いつの日にか」は冒頭、いきなり『日本文学盛衰史』の始まりで笑った。で二葉亭四迷が犬になっていて、っていうか登場人物が犬で、っていうか二葉亭四迷の飼い犬が人間が消え去った後言語で世界を獲得して人間の後を継いでいるわけで、メタ小説のメタ小説だからメタメタ小説。ユーモアはやっぱり冴えていて面白い。でも、そろそろ高橋源一郎の「メタ」じゃなくて「小説」を読んでみたい。メタから先に進む時も近いんじゃないか?

と、『文藝 2007春』はそんな感じ。『メルボルン1』買ってみるかな……。

deviant_diary at 23:52│Comments(0)TrackBack(0)日記&雑感雑記 

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