2007年10月24日
パリ、ジュテーム/モワ・ノン・プリュ【Vol.1】

フランス内外から18人の監督がパリの各地区を舞台に撮りあげたオムニバス。18本という中途半端な数も無謀だが、2時間を越す上映時間も短編のオムニバスものとしては常軌を逸していて、甘いタイトルとは裏腹に力の入りまくったごりごりの勝負作だ。
その15話目にあたる『ペール・ラシェーズ墓地』を監督したのが、『サランドラ』のウェス・クレイヴンである。『マスターズ・オブ・ホラー』
とはいえこのクレイヴンの一編は純然たるホラーではない。むしろ18作中唯一のホラーテイストといえるのはヴィンチェンゾ・ナタリ(『CUBE』/97)の『マドレーヌ界隈』で、イライジャ・ウッド主演の吸血鬼ものである。深夜の路上で死体の血液を貪るヴァンパイア(♀)にひと目惚れした青年は、見逃そうとした彼女に自らの手首を切って捧げようとする。相手の血を吸う=肉体を破壊することでしか愛し愛されることができない男女の姿は、哀しみや美しさどころでなく滑稽でもある。ケレン味といかがわしさたっぷりの語り口はもはやギャグだ。でも、そもそも恋愛というものが滑稽なのだから仕方がない。女吸血鬼に扮した『薬指の標本』(05)の背徳ロリータ、オルガ・キュリレンコが思いのほか頑張っているが、ただでさえスーパーモデル出身の彼女はロリータを名乗るには致命的な長身の持ち主で、相手役のウッドが小柄な分、異形感は増している。彼女は第二のベアトリス・ダルになれるかも。なりたくないか。
で、イライジャ・ウッドの代わりに喰い殺されているのがウェス・クレイヴンなのだ。
『ペール・ラシェーズ墓地』の登場人物はルーファス・シーウェルとエミリー・モーティマーの結婚を目前に控えたイギリス人の男女。婚前旅行でフランスを訪れ、表題のスポットを観光しながらユーモア・センスの有無で揉める彼らの前に、イギリスの文豪オスカー・ワイルドの幽霊が現れる。ワイルドには「カンターヴィルの幽霊」というホラー・コメディがあり、その映画化である『幽霊は臆病者』(44)は後に『カンターヴィル・ゴースト』(86)としてリメイクもされている。イギリスの古城に引っ越してきたアメリカ人一家とそこに棲みつくイギリス人貴族の亡霊が繰り広げる攻防劇は、イギリスをフランスに、アメリカ人一家をイギリス人カップルに、幽霊屋敷を墓地に置き換えると、そのまま『ペール・ラシェーズ墓地』で描かれている図式にも当てはまる。両者に共通しているのは死の静寂を乱す生との闘いだが、ワイルドの幽霊がまたふてぶてしく、あまりに悠々としているので、むしろ幽霊だなんて呼びたくない。だけど墓場では死者こそが主人であり、生存者は部外者なのだ。ゆったりと煙草をくゆらす幽霊の不敵なたたずまいに比べると、騒々しく痴話ゲンカに花を咲かせる二人はいかにも場違いに思える。そこでは生きている人間は異形なのだ。生きるとはなんてグロテスクなことだろう。
クレイヴンは他人の映画では自ら喜んで犠牲になったくせに、自作では誰も殺していない。でも、よく考えてみたい。舞台は墓地ではなかったか。つまり、文字通り生きている者以外はすべて死者なのだ。墓場は殺人の罪を犯すことなく死を映せる唯一の場所である。そう考えると、墓石の群れが『サランドラ』の崖に見えてくる。村上賢司監督の『観音菩薩・母光』(92)では墓石を執拗に舐める描写が出てくるが、かたやパリではそこにおびただしい数の生々しいキスマークがつけられている。墓というのは粘膜を刺激するものらしい。
(つづく)

監督:ブリュノ・ポダリデス/グリンダ・チャーダ/ガス・ヴァン・サント/ジョエル&イーサン・コーエン/ウォルター・サレス/クリストファー・ドイル/イザベル・コイシェ/諏訪敦彦/シルヴァン・ショメ/アルフォンソ・キュアロン/オリヴィエ・アサイヤス/オリヴァー・シュミッツ/リチャード・ラグラヴェネーズ/ヴィンチェンゾ・ナタリ/ウェス・クレイヴン/トム・ティクヴァ/フレデリック・オービュルタン/アレクサンダー・ペイン
販売元:ジェネオン エンタテインメント
定価:4,935円(税抜)
発売日:2007年10月24日