June 13, 2005

ベアテ・シロタ・ゴードン語録

ベアテ・シロタ・ゴードン語録
 
"I was lucky to have been at the right place at the right time on many different occasions."
 
Beate Sirota Gordon (25 Oct 1923 - )
 
- The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel
 
■ 憲法をめぐって
 
* On February 4, 1946, I was at the right place at the right time. MacArthur ordered the Government Section, where I worked, to draft a new constitution for Japan in seven days. (The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel, February 10, 1999)
 
* When assigned to help draft the Japanese constitution, I was the only one who immediately went in search of source materials. I got into a jeep and told my Japanese driver to find any libraries still standing in Tokyo, where I found the constitutions of many countries--German (Weimar), Russian, Scandinavian, French, as well as the U.S.--to serve as examples. (TKR Spring 2000 - Life Outside Academe)
 
* ケーディス大佐は、あなたが書いた草案はアメリカの憲法に書いてあるもの以上ですよと言いました。私は、それは当たり前ですよ、アメリカの憲法には女性という言葉が一項も書いてありません、しかしヨーロッパの憲法には女性の基本的な権利と社会福祉の権利が詳しく書いてありますと答えました。私はすごくこの権利のために闘いました。涙も出ました。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* Colonel Kades said, `My God, you have given Japanese women more rights than in the American Constitution'. I said, `Colonel Kades, that's not very difficult to do, because women are not in the American Constitution.' (New York TimesA voice from the past speaks up for women, May 29, 2005 @ Taipei Times)
 
* And they looked at my draft and Colonel Cadeys said the fundamental rights you have written are fine. But all these social welfare rights, we don't even have those in the American constitution. You've gone way beyond the American constitution. And I said Colonel Cadeys, if they are not included in the constitution the bureaucrats who are going to write the civil code of the Japanese constitution will not write those into the civil code. They will not write it into law because I know the bureaucrats in Japan and they are certainly not for women's rights. And Colonel Cadeys said don't worry and the other two men with him agreed. And I burst into tears because I was very emotionally involved in the women's rights. (The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel, February 10, 1999)
 
* ケーディス大佐は、私が書いたいろんな社会福祉とかそういう点については本当に反対していなかったんです。それはケーディスさんが亡くなる前に私に言いました。でも、憲法には入れたくなかったんです。それは憲法には合わないです、民法には合うと、そういう考え方です。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* ケーディス大佐は、フランス憲法のように何でも書いてしまうというのは、避けたかったようだ。簡単明瞭に書く、詳細はそれぞれの法に委ねる、というポリシーの持ち主だった。『1945年のクリスマス』
 
* 私はね、日本の男性はとても保守的だから、女性の権利をちゃんと憲法に書いておかなければ、民法に書き入れられないと思ったのです。そういう仕事をするのは、男性ですからね……。でも運営委員会のケーディス大佐は、こういう細かい条項は民法にいれるべきもので、憲法に書くべきではないとカットしたのです。そのとき、私はとてもエモーショナルになっていたので、泣いてしまいました。『私は女の幸せを憲法に書いた〜ベアテの新ニッポン日記』(朝日放送のテレビ・ドキュメンタリー番組/『1945年のクリスマス』「あとがきにかえて」)
 
* It was 2 a.m. and we had been negotiating in secret for the entire day. They were furious, sputtering with rage. --- Women's rights? They really objected to that. --- they were as angry about women's rights as they were about changes in the emperor system. (Newsweek [Japanese Version] 10 July, 1993).
 
* 日本側は、こういう女性の権利は全然日本の国に合わない、こういう権利(註:男女平等による女性の権利)は日本の文化に合わないなどと言って、また大騒ぎになりました。天皇制と同じように激しい議論になりました。もう随分遅く(註:午前2時)、みんな疲れていたので、ケーディス大佐は日本の代表者の私への好感をうまく使いたいと思いました。そして、こういうことを言いました。ベアテ・シロタさんは女性の権利を心から望んでいるので、それを可決しましょう。日本側は、私が男女平等の草案を書いたことを知らなかったので、ケーディス大佐がそれを言ったときに随分びっくりしました。そして、それではケーディス大佐が言うとおりにしましょうと言いました。それで、第24条が歴史になりました。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* It was about 2:00 AM when we got to the women's rights. We had worked from 10:00 AM the morning before and now it was 2:00 AM the next day. And we came to the women's rights and they were furious, the Japanese representatives. There were three of them. This does not fit into a Japanese constitution. This is against our culture, against our customs. And I think Colonel Cadeys thought my god, this is going to go on for hours again and it's so late. And he said to them, gentlemen, Ms Sirota has her heart set on the women's rights. Why don't we pass them? And I think they were stunned, the Japanese, first of all that he would say such a thing in this top secret, very important meeting and secondly that it was I who had written the women's rights. They had no inkling about it. They thought I was just an interpreter. And I think they were so stunned that they just passed it. And thus history is made and thus the women got their rights in the Japanese constitution. (The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel, February 10, 1999)
 
* 日本の国民は、日本の憲法がマッカーサー元帥のスタッフによって書かれたということは知りませんでした。しかし、1952年に占領軍がアメリカに帰ったときに、ある日本の学者と新聞記者はそのことを知って、この新しい憲法は日本に押しつけられたものであるから改正すべきだと主張しました。マッカーサー元帥が憲法を日本の政府に押しつけたということが言えますでしょうか。普通、人がほかの人に何か押しつけるときに、自分のものよりいいものを押しつけませんでしょう。日本の憲法はアメリカの憲法よりすばらしい憲法ですから、押しつけという言葉を使えないかもしれません。特に、この憲法が日本の国民に押しつけられたというのは正しくありません。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* ある方は、この憲法は外から来た憲法であるから改正されなければならないと言います。日本は、歴史的にいろんな国からずっと昔からよいものを日本へ輸入しました。漢字、仏教、陶器、雅楽など、ほかの国からインポートしました。そして、それを自分のものにしました。だから、ほかの国から憲法を受けても、それはいい憲法であればそれでいいではないですか。若い人が書いたか、年とった人が書いたか、だれがそれを書いたということは本当に意味がないでしょう。いい憲法だったらば、それを守るべきではないですか。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* この憲法は50年以上もちました。それは世界で初めてです。今まではどんな憲法でも40年の間に改正されました。私は、この憲法が本当に世界のモデルとなるような憲法であるから改正されなかったと思います。日本はこのすばらしい憲法をほかの国々に教えなければならないと私は思います。平和はほかの国々に教えなければなりません。ほかの国々がそれをまねすればよいと思います。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* 私は、人権をカットするということは非常に危ないことだと思うんです。だから、そのために今度憲法を改正するのはまた危ないと思います。だから、こういうことについては、どうしても、法律をつくることはできるので、民法か何かの中にそういうことを決めてもいいんじゃないかと思うんです。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* 私は、ほかの国々は、アジアではまだずっと戦争のときの日本の軍国主義を忘れていないと思います。今この平和憲法があるから安心していると思います。しかし、それを今度改正すれば、そこから何が出るかと疑うと思います。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* 私は、一つは、ほかの憲法も参考にしたので、その憲法を書いた人も多分自分の憲法について随分考えたと思います。だから、そういう憲法から一番いい点を私たちはこの憲法に入れたんです。だから、私たちの考え方だけじゃなくて、ほかの世界じゅうのいろんな人の考え方が入っています。そして、もちろん日本の憲法研究会というのが随分いい草案をケーディスさんに渡したんです。社会党もすごくいい草案をつくったんです。それはみんな運営委員会の方がよく知っていましたので、私たちに教えてくれました。だから、日本の考え方が入っていないということは、本当にそういうことは、そうじゃないんです。ちゃんと入っています。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* Many things happened to me through my education, through my parents, through the women that I met in my life to enable me and enabled me all along to do the kind of work that I did. Oh, I don't feel like an icon. I think I just, I feel that in my life I was very lucky in that I was at the right place at the right time. (The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel, February 10, 1999)
 
* (憲法)改正の動きにはとても驚き、心配しています。24条をなぜ今、変える必要があるのでしょうか。(米国の)歴史家、ジョン・ダワー氏はつい最近も、24条など日本国憲法の国民の権利について『これが当時の一番進歩的な権利だった。そして今でも多分そうだろう』と書いています。『毎日中学生新聞』2005年5月2日「あすは憲法記念日:男女平等 日本に贈る」
 
■ フェミニズムをめぐって
 
* 私は、六歳のときから日本の社会に入って、日本のお友達と遊んで、虐げられた女性の状況を自分の目で見ました。私は、奥さんがいつでも主人の後ろを歩くことを自分の目で見ました。私は、奥さんがお食事をつくって、だんなさんとだんなさんのお友達にサービスして、会話には参加しないで、お食事も一緒にとらないで、全然権利がないことをよく知っていました。好きな人と結婚できない、離婚もできない、経済的権利もない、それもよくわかりました。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* 戦前の女性には財産権すらなく、男性と同じように働く権利も勉強する権利もなかった。経済力もなく、自分に自信を持てなかった。『毎日中学生新聞』2005年5月2日「あすは憲法記念日:男女平等 日本に贈る」
 
* I saw the women walking behind the men in the street. I saw how the mothers prepared the food when the husband came home with his friends from the office. She would serve them dinner, without even talking, then go into the kitchen with the children. (New York Times, Fighting to Protect Her Gift to Japanese Women. May 29, 2005)
 
* Women walking on the street behind their husbands, women preparing dinners that the husband had arranged for his friends, preparing the dinner, serving the dinner but never entering into conversation with the men and eating dinner by herself in the kitchen. That is the Japan I knew as far as women were concerned. Women never came to my mother's parties. The men came. The Japanese men came. They didn't bring their wives. I knew a little bit also about the Geisha and the mistresses Japanese men were keeping, sometimes in the same house as their wives. (The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel, February 10, 1999)
 
* 私の大学ミルズ・カレッジ(Mills College)は進んでいた大学であって、フェミニズムがまだ流行ではないときにフェミニストでありました。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* Since Mills was a women's college and had a woman president who was a feminist, I learned early on about women’s rights and the discrimination women faced. (CULTURE SHOCK, Japan INFO August/September 1998 Vol.6 NO.2)
 
* We had a very forward-looking woman president at Mills, Aurelia Henry Reinhardt. She wanted women not only to get an education and have a family but also to have a career. She felt that educated people had an obligation to contribute to society. When she found out that the government needed me as a translator (recruiters who came to the campus said that only 60 Caucasians in the United States spoke Japanese, and the Nisei couldn't be used in San Francisco because they had been interned), she gave me permission to complete my degree by exam and term-papers. Because I'd gone to summer school and always taken the maximum number of credits, I needed only 1 more to graduate. (TKR Spring 2000 - Life Outside Academe)
 
* 日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう19世紀から国民の権利を望んでいました。そして、女性は特別に参政権のために運動をしていました。この憲法は、国民の抑えつけられていた意思をあらわしたので、国民に喜ばれました。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* 私は知っていたんですよ、日本に女性がもう前からいろんな運動をしていた、そういうことを知っていましたけれども、そう詳しくは知らなかったんです。それは後で、私が市川房枝先生の通訳だったときに、それは1952年だった、そのときにいろんなそういうことを教えてくれました、先生は。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」 
 
* 日本の女性は、私の書いた条項をフルに活用してくれるだろうか。奥さんや娘にいばりちらす男性は、本当に少なくなるのだろうか。主婦は財産の権利を持つようになるのだろうか。国が復興していけば、まただんだんと保守的な勢力が強くなって、女性は端に追いやられるのではないだろうか。ケーディス大佐は、私生児の権利や妊婦や子供を持つ母親の権利は、民法に書かれると言ったけれど、民法に法令として書き込まれるのだろうか。それは何年先のことなのか?『1945年のクリスマス』
 
* 女性の人権がテーマで、聴衆も女性ばかりという講演会で、私は憲法に関するスピーチを依頼された。この講演でも削られた女性の権利や児童の権利について話すと、ある女性が立ち上がって言った。「私は、今、私生児の問題で裁判をおこしているのです。ベアテさんが書かれた『私生児は法的に差別を受けず』が憲法に書き込まれていたら、裁判をおこさずにすんだと思うと、とても残念です」。すると別の女性が立ち上がった。「私も非嫡出子の問題で闘っているんですよ」。この女性たちの話を聞いた時、私は四七年前のあの時、ケーディス大佐にもっと泣いてでも抗議し、ねばるべきではなかったか、とふと後悔したのだった。『1945年のクリスマス』
 
* Through my work, I have come to hold one other firm belief, that, in time, women can and must play an equal role with men. (CULTURE SHOCK, Japan INFO August/September 1998 Vol.6 NO.2)
 
* 私は、日本の女性をすごく尊敬しています。日本の女性は賢いです。日本の女性はよく働きます。日本の女性の心と精神は強いです。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* 女性参議院議員四十三人が今活躍していることは、本当におめでたいです。アメリカのセナト(註:上院)よりずっといいです。アメリカで女性はセナトに九人だけです。ですから、日本の女性たち、おめでとうございます。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
* Compared to 56 years ago, it is phenomenal what women have achieved. I urge all women to be active and help to bring about peace. (ASIJ American School in Japan,  Lindi Geisenheimer, Japanese woman tells of life as a civil rights activist)
 
* 日本の女性の声を聞いていただきたいのです。私の耳に入っているのは、日本の女性の大数が憲法がいい、日本に合う憲法だと思っているということです。「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号(2000年5月2日)」
 
■ 日本をめぐって
 
* Tokyo became my home town rather than Vienna, and thanks to “culture shock,” I forgot Vienna quickly and completely. (CULTURE SHOCK, Japan INFO August/September 1998 Vol.6 NO.2)
 
* I was only five-and-a-half years old. My mother told me that the first thing I said upon arriving in Japan, when I saw all the men and women, all with black hair and black eyes, was, “Are they all brothers and sisters?” (CULTURE SHOCK, Japan INFO August/September 1998 Vol.6 NO.2)
 
* 船を降りても、私の興味は人間にしかなかった。女性は陶器のようになめらかな肌をしていた。のっぺりとした起伏のない顔に、穴があいたように細い黒い眼があった。髪は男も女も黒かった。「ねぇ、ママ、この人たちはみんな兄妹ですか」。私の質問に両親は顔を見合わせて、微笑した。「黒い髪で黒い眼だから、兄妹だと思ったんだね。日本人はみんなベアテと同じように黒い髪をしているんだよ」。父は私の頭を撫でた。日本についての私の最初の印象である。『1945年のクリスマス』
 
* I think that remark made my mother determined that I become part of Japanese society and learn something about the country. So I played with Japanese children, went to their homes, heard Japanese music, and saw Japanese dance. Thus it was my mother who brought me into close contact with Japan, and I thank her for it. (CULTURE SHOCK, Japan INFO August/September 1998 Vol.6 NO.2)
 
* 日本についてのあまりの無知さと失礼な質問に、私自身が侮辱を受けたような気持ちになった。人は異国にいる時、愛国者になる。日本での10年間の滞在で、自分が半分以上日本人になっていることに気づいた。『1945年のクリスマス』
 
* 日本人というのは、本質的に封建民族だと私は思う。権力者の命令ならば、たとえ気が進まなくとも実行する。戦争の末期に、特攻隊の志願者を募った時、そのほとんどの若者は死にたくなかったのが本音だったと思う。でも、一歩前に出る勇気よりも、一歩前に出ない勇気の方が日本では難しいのだ。また、日本の道徳は、犠牲的精神を発揮する人物を、必要以上に美化する。その中のヒロイズムを感じる人も、他の民族より多いように思う。日本人に人権という概念を話しても通じない。わがままとか、個人主義とかいう悪意のあることばに置きかえられてしまうからだ。『1945年のクリスマス』
 
* 八月一五日の戦争が終わった日の夕方、九州の鹿屋(かのや)飛行場から特攻隊の飛行機が飛び立ったという。もちろん一人も帰らなかった。その人たちには、お母さんも、奥さんや子供さんもいたかもしれないのに……。でもそうした日本人の忠誠心と行動は、私には理解できるものだった。また、あとで触れることになるが、あの乃木坂に住んでいたころに、雪の日に起こった二・二六事件を実際に見ていたからだ。日本人は本当は優しいのに、集団になるとどういう訳か過激になってしまう。『1945年のクリスマス』
 
* 日本では親や祖父母たちが、若い女性たちにあまり戦争について伝えてこなかったように感じたんです。講演中、年配の人は笑ったり泣いたりしているのに、若い人たちやただびっくりするだけ。もう少し若い人たちに歴史を教えなければと思いました。『毎日中学生新聞』2005年5月2日「あすは憲法記念日:男女平等 日本に贈る」
 
■ ユダヤ人をめぐって
 
* 私たちユダヤ人にとって、家族のいるところが祖国なのである。だから私にとって、両親のお墓があり、子供たちがいるアメリカが今は祖国である。『1945年のクリスマス』
 
■ 伝統芸能をめぐって
 
* 一回観せること――そこから物事は始まる。観れば人々は二回観たいと思うだろうし、その国の文化に興味を持つからだ。『1945年のクリスマス』
 
* 大事なことは、古いものと新しいものを何の法則も持たせないで混ぜてしまってはならないということだ。それをすると、どちらの長所もなくなってしまうからである。『1945年のクリスマス』
 
* 宝物を見つけると、自分だけ独り占めはできなかった。アメリカの人たちにも見せ、宝物の素晴らしさを讃えたかった。それは私が父のように一流ピアニストにも、ダンサーにもなれなかった分だけ、芸術への憧憬が強い人間だったからだろう。『1945年のクリスマス』
 
* 現場にいつも自分を置くことで、一流の芸を見分ける目も磨かれる。そして一流の芸ばかり見ていると、贋物が混じると、すぐわかるようになるのだ。『1945年のクリスマス』

* The Story of Beate Sirota: Nightline, by Ted Koppel, February 10, 1999
* TKR Spring 2000 - Life Outside Academe (The Phi Beta Kappa Society)
* 第147回国会参議院憲法調査会第7号(2000年5月2日):参考人発言(江田五月 新たな出発)
* 「第147回国会 参議院憲法調査会 第7号」(参議院)
* New York Times, A voice from the past speaks up for women, May 29, 2005 @ Taipei Times (New York Times, James Brooke Fighting to Protect Her Gift to Japanese Women. May 29, 2005)
* CULTURE SHOCK, Japan INFO August/September 1998 Vol.6 NO.2
* ASIJ American School in Japan, Lindi Geisenheimer, Japanese woman tells of life as a civil rights activist

* ベアテ・シロタ・ゴードン(構成・文:平岡磨紀子)『1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』柏書房 ISBN: 4760110771, Webcat Plus, blogmap
* 1997年11月新装版『1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』 ISBN: 4760110771, Webcat Plus
 Beate Sirota Gordon. THE ONLY WOMAN IN THE ROOM―A MEMOIR, Kodansha International, Jan 1997, ISBN: 4770021453, Webcat Plus, blogmap

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:ベアテ・シロタ・ゴードン
書評Wiki:ベアテ・シロタ・ゴードン

  • 柏書房:ベアテ・シロタ・ゴートン(『1945年のクリスマス』版元による著者紹介)
  • 週刊医学界新聞:健康は平和の道具(2005年5月30日、聖路加看護大学学長・井部俊子)
  • STOP!憲法24条改悪キャンペーン:ベアテ・シロタ・ゴードンさんからのメッセージ(2004年11月5日)
  • 聖教新聞:女性の幸福が世界平和の基盤(2004年11月2日インタビュー)|ドキュメンタリー映画「ベアテの贈りもの」(2005年4月26日インタビュー)
  • たむ・たむ(多夢・太夢):シロタ・ゴードン(憲法起草家)(外国人@偉人・賢人・粋人・軍人・愛媛県人・外国人のページ)
  • 北陸中日新聞 こちら富山支局 NPO通信:「ベアテさんの会」【1|2|3|4|5|6
  • Biography: Beate Sirota Gordon (by Kuniko Fujisawa @ Temple University Japan)
  • Biography: Beate Sirota Gordon (by Kuniko Fujisawa @ Temple University Japan)
  • Sunshine for Women: Beate Sirota Gordon
  • Creation of the Japanese Constitution (1945-1946) @ PBS.org - The American Experience | MacArthur | People & Events
    ★★家族の重視で何が変わるか 憲法24条の意義★★(どう改憲されるのかを福島大学助教授・中里見博さんが解説)@STOP!憲法24条改悪キャンペーン /資料・改憲に関するうごき@STOP!憲法24条改悪キャンペーン内カテゴリ(日付は降順)

    ★福島瑞穂の人権いろいろ「ねらわれている憲法24条・25条」(『部落解放』2004年11月号)@JINKEN BOOK(解放出版社)

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    Posted by devlin at 12:00Comments(20)TrackBack(11)

    January 11, 2005

    荷宮和子『なぜフェミニズムは没落したのか』中公新書ラクレ(中央公論新社)


    なぜフェミニズムは没落したのか

     きわめて悪質かつ品性下劣な内容に満ちた本書は、正真正銘のトンデモ本というべきである。

     まず出版社をみよ。いまや政府広報機関と成り下がりながらも「世界一の発行部数」を誇る読売新聞社傘下、いわゆる読売新聞グループの一員である中央公論新社が出版した本であることを見逃してはならない。本書は同社が「ジャーナリスティックな視点で編集する」と謳う「新書ラクレ」の一冊として出版されている。「新書ラクレ」の末尾で「中公新書ラクレ刊行のことば」は、「事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させること」を自らに課し、「時代が直面している課題に正面から」答えるといって憚らず、「より逞しい知を導く」とまで言うのだ。よく言うよ、まったく。

     本書のハイライト、いわゆる「アグネス論争」で筆者はこう説いてみせる――、

     【実際のところ、「アグネス論争」の中身とは、論争の体をなしていたわけではない。/アグネスが仕事場に子供を連れてきた、という出来事に対しての女の反応を何種類か集めたおじさんたちが、それらの声を、「子連れ出勤を擁護する進歩的な女vs.結婚出産に無縁なキャリア女の間に論争が存在する」図式へと、面白おかしくでっちあげ、高見の見物をしていた、というのが真相である】

    ――そういった側面があったことをすべて否定はしない。しかしそれを言うなら、後にアグネス自身が「当時12本のレギュラー番組を抱えており、テレビ局から『早く復帰してくれ。子供を連れてきていいから』などと説得を受け、不安に思いつつ職場に復帰した」と述懐したこと、それに当時のマスコミがアグネスの子連れ出勤を興味本位で批判的にとりあげ、隠し撮りまでしたという事実に触れないのはどうしたことか。テレビ局から現場復帰の強引とも言うべき要請があったことや、マスコミからの集中攻撃があった事実に一切触れないのは、フェアな態度とはいえまい。「論争の体をなしていたわけではない」というならばその「論争」の中身を検証すべきであるのに、これも一切触れない。

     このような一方的な記述が本書に満ちており、いちいち列挙するならば本書以上の字数が必要になるくらいであると言っていい。

     根拠として多数引用されているのはアグネスを叩いた林真理子の文章である。林真理子はフェミニストではない、本書では「フェミニズムのようなものスト」なる奇怪な用語で説明する。そしてフェミニズムの萌芽や契機があった「フェミニズムのようなものスト」――すなわち林真理子や本書の筆者・荷宮和子――に対し、上野千鶴子を筆頭とするフェミニストが、その萌芽や契機を潰してしまったというのが本書の主張だ。こうして「フェミニズムのようなものスト」はフェミニストになることができず、その結果「フェミニズムは没落した」と結論付けてみせる。すべてフェミニストが悪いと決めつけるのだ。妄想もたいがいにしろ、というべきトンデモ論法なのである。

     なぜフェミニズムが没落したのか、その答えはあまりにも明らかだ。

     「バブルが崩壊したから」

     この事実を抜きに論じる意味はあろうか? 1980年代にフェミニズムがそれなりの社会的認知を受ける基盤の筆頭はここにある。フェミニズムが少なからぬ女性たちから一定程度の評価を受け、日本社会党の躍進で土井たか子党首が「山が動いた!」と発言することになったのも、バブル景気のおこぼれによって女性たちが一定程度、経済的なゆとり、物事を考えるゆとりがあったためだ。しかし、この事実を本書はひとことも述べない。そしてひたすら悪者はフェミニストだと指弾して一方的に口汚く罵るのである。

     あとがきで荷宮は次のように書く――、

     【考えてみれば、私はこの十年余、宝塚や少女漫画やテディベアを主題にした本を通して、「差別は許せない」「戦争はイヤだ」「ナショナリズムは嫌いだ」といったことを書き続けてきたのである。(…略…)私が昔から言い続けてきたこと、私が一番言いたいこと、すなわち、「戦争反対!」「差別反対!」等の、真っ当な神経を持った人間としてはごくごく当たり前のことを言葉にしさえすればお金になる、そんな時代がきたのである。それを思えば、「いやあ、いい時代になったなあ」といった感慨もわいてくる。/が、喜んでばかりもいられない。なぜなら、今の日本のマジョリティは、「戦争は必要悪」「均等法施行以後は自己責任」という価値観を、本気で信じているからである。アホである。】

    ――「アホである」とは呆れる。中央公論新社の親会社である読売新聞社は、「差別を煽」り、「戦争を翼賛」し、「ナショナリズムを鼓吹」しているではないか。「戦争は必要悪」と主張しているのは読売新聞であり、「自己責任」を喧伝するのも、そういう価値観を撒き散らしているのも読売新聞である。誰が「アホである」のか、もはや明らかではないか。

     読売新聞社、すなわち中央公論新社は、フェミニストを叩く意図でフェミニズムに対する憎悪をこめて本書を刊行したのである。

     では、果たしてフェミニズムは没落したのであろうか? そんなことはない。質的には変容を遂げながらも、1980年代のフェミニズムがその遺産として残した土壌は依然として健在である。インターネット上で「フェミニズム」「フェミニスト」を検索すれば、現在でもおびただしいアーティクルが出てくることからも明らかである。読売新聞社はそういう状況に苛立っているのである。

     本書は上野千鶴子を筆頭とするフェミニストに向けられた攻撃ではない。あまりに粗雑な論旨なので、フェミニストにとって大したダメージとはなり得ない。本の帯で「上野千鶴子にケンカを売る」と派手に宣伝してみせるが、上野千鶴子にとって論敵とならないのはもちろんである。では荷宮(あるいは中央公論新社)は誰に向かって書いたのか。フェミニズムに未だ出会っていない人へ「フェミニズムはこわい」「フェミニストは悪者だ」というイメージを振り撒き、「フェミニズムに近づくな」とするメッセージなのだ。読売新聞社のいう「ジャーナリスティックな視点」とは、すなわち世論誘導・情報操作を指すのである。

     というわけで、『実際のところ本書の中身は、フェミニズム批判の体をなしてない。フェミニズムに関して、フェミニストではない女性の反応を何種類か拾い集めた筆者が、それらの声を切り貼りして「フェミニストがフェミニズムを没落させた」図式へと、面白おかしくでっちあげ、人々に高見の見物をするよう誘導している』、のだと評価されなくてはならない。

     中央公論新社の出版物が急速に右傾化していることも付言しておく。


    中央公論新社・会社案内

    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:アグネス論争


    http://mystery.parfait.ne.jp/wiki/pukiwiki.php?%B2%D9%B5%DC%CF%C2%BB%D2
    書評Wiki:荷宮和子
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121501594/ref=nosim#cust-reviews
    amazon.co.jpカスタマーレビュー
    http://d.hatena.ne.jp/anhedonia/20041217#p1
    「フェミニズムはどこへ?」(retreatist)
    http://blog.goo.ne.jp/h_tutiya/e/107319d00c8d2898151e81b91b4d2bc2
    「80年代の亡霊(荷宮和子「なぜフェミニズムは没落したのか」を読んで)」(よんたまな日々)
    http://www.doblog.com/weblog/myblog/32388/810058#810058
    「本、本、本‥‥」(青的心)
    http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2005/01/17_.html
    「1/7 おやじギャルの生き方に学ぶ」(きょうも歩く)
    http://genge.cocolog-nifty.com/lovepeace/2004/12/post_2.html
    「フェミニズムが没落したホントの理由1」(LOVE&PEACE21)
    http://genge.cocolog-nifty.com/lovepeace/2004/12/post_4.html
    「フェミニズムが没落したホントの理由2」(LOVE&PEACE21)
    http://genge.cocolog-nifty.com/lovepeace/2004/12/post_3.html
    「フェミニズムが没落したホントの理由3」(LOVE&PEACE21)
    http://genge.cocolog-nifty.com/lovepeace/2005/01/post_1.html
    「愛を失った時代(1)」(LOVE&PEACE21)
    http://genge.cocolog-nifty.com/lovepeace/2005/01/post.html
    「愛を失った時代(2)」(LOVE&PEACE21)
    http://blog.livedoor.jp/shint/archives/11403395.html
    「なぜフェミニズムは没落したのか」(物欲の虜)
    http://clear.sunnyday.jp/blog/archives/001046.html
    「ケンカは売らないほうがいい」(skytaxi blog)
    http://d.hatena.ne.jp/susamagic/20041214
    「いやーひさびさ」(すさマジックオーケストラ)
    http://d.hatena.ne.jp/celestial/20041223#p4
    「荷宮和子『なぜフェミニズムは没落したのか』(中公新書ラクレ 2004)」(フィールド観測手帖)
    http://bibililia.exblog.jp/1387233
    「「なぜフェミニズムは没落したのか」荷宮和子、中公新書ラクレ、2004.12 」(bibililia)
    http://d.hatena.ne.jp/mitaka_i/20041216#p1
    「なぜフェミニズムは没落したのか」(三鷹食堂日記帖)
    http://www.ytv.co.jp/announce/dokusho/column/0101-0200/0152.html
    『なぜフェミニズムは没落したのか』(YTV -よみうりテレビ-「道浦俊彦の読書日記」)
      
    Posted by devlin at 01:44Comments(1)TrackBack(1)

    December 29, 2004

    高野隆ほか『偽りの記憶 「本庄保険金殺人事件」の真相』現代人文社


    偽りの記憶―「本庄保険金殺人事件」の真相

    http://202.33.140.26/genjin//search.cgi?mode=detail&bnum=20095
    本の詳細情報:『偽りの記憶 「本庄保険金殺人事件」の真相』(著者:高野隆、松山馨、山本宜成、鍛治信明(八木茂弁護団)/出版社:現代人文社)

     読後感はあまりにも強烈だ。おそるべき冤罪なのである。主人公、つまり被告の八木茂さん(以下、すべての人物につき敬称略)は二人の殺害、一人の殺人未遂で2003年10月1日に第一審死刑判決を受けた。本書はこの判決に対し、アルコール(飲酒)による病死が一人、自殺が一人、そして殺人未遂とされた一人はアルコールに由来する単なる病気だったことを立証している。開いた口が塞がらない。さいたま地方裁判所の痴呆裁判官には呆れ返る。


     事件の概要は下記のリンク(といっても、誤判が下敷きだから嘘八百ばかりなのだが)をたどって確認することができるが、一人は多量の薬剤を長期間服用し連日高濃度のアルコールを飲ませながら常用の数倍の薬剤を健康食品と偽り長期間飲ませ、酒を連日飲ませて殺害し、もう一人は被告が三人の愛人と共謀のうえ、トリカブトを用いて殺害して三億円余の生命保険金などを詐取し、もう一人は、最初の一人と同様に薬剤とアルコールで殺害しようとしたが病院に駆け込み、失敗に終わったというのが、さいたま地裁の認定の骨子だった。


     しかし、本書は上記認定がすべてデタラメだということを500ページにわたって詳細に立証してみせる。驚くべきことに、共謀し実行犯とされた愛人三人(受刑中)とさいたま地検検事・佐久間佳枝が口裏を合わせ、犯罪実行のストーリーを捏造したという。しかも、そのように捏造したストーリーは、実際に起こった出来事だと、少なくとも一人の愛人・武まゆみは信じているふしがある。これが本書のタイトル『偽りの記憶』となっている。


     この捏造は、これまで日本で判例に現われた違法な取調べの手法を総ざらいした結果の産物であるという指摘には身の毛のよだつ思いがする。何十年も前の古い事件ではなく、たった三年前の事件である。マスコミによる疑惑報道もすごかったらしい。


     白眉は第三章「武まゆみの証言と記憶」、第四章「捜査と公判の間」、第五章「武証言のおかしさ」で、これが本書の骨格となっている。現在無期懲役囚として受刑している武まゆみは、なんと取調べのほとんどの期間にわたる記録を残していたのである。この記録による、取調べの実態、供述の変遷の分析は極めて高い説得力を持つ。この部分だけでも読むに価する。事実は小説より奇なりとよく言われるが、寝呆けたような判決文の認定のおかしさを次々と指摘する鮮やかさは、下手なミステリより何倍もの読み応えのある内容となっている。捏造された記憶によって作られた調書と証言の、都合のいい部分だけをつなぎ合わせて書かれた判決文は悪文そのもの。その悪文を詳細かつ見事な論旨でぶった斬る手並みには脱帽である。

     惜しむらくは序章に当る「イントロダクション」は、特に初心者には読みづらいと思われる。16ページにわたる、たんたんとした記述は資料価値は高いのだが、初めて本書を読む人には不親切だ。たぶんこの部分で多くの人は読むのを投げ出すのではないか。弁護側の主張をもっと前面に押し出し、最初に簡単なストーリーの梗概と弁護側の主張を対置し、そのうえで時系列の説明を加えた「イントロダクション」にすれば読みやすいだろうと感じた。しかしそれにしても労作であることは間違いない。これから読もうとする人に対し、読む順序をアドバイスするなら、「終章」→「第三章」〜「第五章」→「イントロダクション」→その他の章の順に読み進めることを提案しておきたい。そして読了後に「イントロダクション」をお読みになれば、実によくまとめてあることにお気付きになるだろうと思う。

     弁護団はマスコミの取材を何度も受け、詳細に解説したがマスコミは取り上げなかったし、冤罪者支援組織に出向いてプレゼンテーションを行なったが、やはり無視され、本書を世に問う以外に、誤審を知らせる術がなかったという。あとがきには次のような記述がある――、

    【単にわれわれの意見や八木さんの主張を書き連ねただけでは、世間はこれを簡単に黙殺するに違いない。これまで何度も黙殺したように。だから、われわれはできるだけ多くの証拠を引用して、われわれの言っていることが絵空事ではなく、本件を冤罪であると考えるのにはきちんとした裏付けがあることを読者に理解してもらわなければならない。そのために頁数が増え最終的には500頁以上に膨れ上がってしまった。できるだけ専門用語を使わずに一般の読者に理解できる表現で叙述するように注意した。しかし、なにぶんにも本書では医学・薬学・心理学などの最先端の部分に触れざるを得ないので、われわれの努力がどこまで成功したかはよく分からない。この点は読者の批判を待つよりほかにない。】

    ――ひとりの読者として、弁護団の努力は成功していると断言したい。繰り返しになるようだが、本書は、今年の出版物の収穫ベストテンに入れるべき労作である。ちなみに、本書で読まなかった部分がある。巻末に付録として付けられた「判決」(抜粋)の部分、馬鹿が移ると困るし、批判すべき部分はすべて本文に含まれていると判断し、読む気にもなれなかった。

     出版元の現代人文社は、現在もっともエクサイティングな法律書出版社であることを指摘しておきたい。社長の成澤壽信は元日本評論社の編集者。人権と報道・連絡会の常連メンバーでもある。

     裁判の現況にも触れておくと、控訴審の第1回は2004年11月11日、東京高等裁判所で行なわれた。控訴趣意書は検察側の取り調べの違法性を述べて無罪を主張していた。裁判長・須田賢は、弁護側が提出した新証拠すべてを棄却、これに対し弁護側は裁判官の忌避の申立をするも却下。即時抗告を行なったがこれも却下されたらしい。第2回は12月9日、すべての証拠が認められなかったため「新証拠を基にした主張ができない以上、弁論を行う意味がない」とし、弁護側は弁論すら行なわず結審。判決公判は来年2005年1月13日の予定。


    関連リンク(鵜呑みにしないで下さい、誤審の判決を下敷きに書かれています):
    http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/saitamakenhonjousi-hanketu.htm
    埼玉県本庄市保険金殺人事件 [ さいたま地裁判決と判決要旨 ](無限回廊 endless loop)
    http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage71.htm
    埼玉・保険金殺人疑惑事件(事件史探求)
    http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_03_29_2/content.html
    埼玉保険金殺人事件を読み解く(Web現代)
    http://courtdomino2.courts.go.jp/kshanrei.nsf/0/1622b996531254a449256c4d003249fd?OpenDocument
    さいたま地判平14・2・28

    http://www.mirandanokai.net/
    ミランダの会(著者の高野隆さんは1995年8月14日から2000年11月18日まで代表、現在ウェブサイト管理者を務めている)
    http://www.mirandanokai.net/cgi-bin/wforum/wforum.cgi?page=0&list=
    ミランダフォーラム
    http://www.mirandanokai.net/cgi-bin/wforum_miranda/wforum.cgi?mode=allread&no=135&page=0#1
    「最近報道されたことについて」(旧ミランダフォーラム(休止中)01/10/20(Sat) 18:10 No.135 - 02/06/06(Thu) 19:39 No.193)
    http://www.mirandanokai.net/cgi-bin/wforum_miranda/wforum.cgi?mode=allread&no=168&page=0#1
    「先に出た判決は進行中の裁判に影響を与えるか?」(旧ミランダフォーラム(休止中)02/03/07(Thu) 16:41 No.168 - 02/06/04(Tue) 17:25 No.190)
    http://www.mirandanokai.net/cgi-bin/wforum_miranda/wforum.cgi?mode=allread&no=217&page=0#1
    「お疲れさまでした」(旧ミランダフォーラム(休止中)02/10/03(Thu) 15:23 No.217 - 02/10/04(Fri) 01:22 No.218)
    http://blogs.dion.ne.jp/verdure/archives/389256.html
    「高野隆ほか『偽りの記憶』のこと」(Miscellaneous Thoughts 雑感:某大学法学部研究室から)


    http://www.genjin.jp/
    現代人文社


    関連書:



    完全自白 愛の地獄
    虫けら以下―本庄保険金殺人事件の軌跡
    埼玉「生命保険加入」血も凍る全手口―八木殺人疑惑人はこうして狙った


    追記

    上記脱稿後、次のような書評を発見したので、少しばかり文句をつけておく。

    http://www.janjan.jp/book_review/0412/0412251978/1.php
    西城タカシ評「『偽りの記憶』――真相はどこにあるのか」(2004/12/29 市民メディア・インターネット新聞JANJAN)

    【ところが、詳細かつ無味乾燥と思われる記述が、ひたすら連ねられ、読むのが本当にしんどい。おまけに分厚い。この裁判に興味をもっている人、法律を専門に学んでいる人などでなければ、とても読み切れるものではないだろう。/内容も、「検察官に脅された」「誘導された」という肝心な部分が憶測の域を出ず、少なくとも、私自身の疑念を晴らすまでには至らなかった。この本は、いったい誰に向かって、何のために書かれたものなのか。そんな「疑念」さえ深まってしまう。】

     本文をきっちり最後まで読み通したのか!? とても信じがたい記述が並んでいる。「無味乾燥と思われる記述が、ひたすら連ねられ」だと? 「イントロダクション」のところで挫折してしまったクチだったんじゃないのか。

     「この本は、いったい誰に向かって、何のために書かれたものなのか」とまで書くのである。少なくとも「あとがき」は読まなかったのではないか。「あとがき」を読んでこのような駄弁を書く評者の神経を疑う。仲真紀子の鑑定の部分を、評者はどういう思いで読んだのだろう。この評者はこみ入ったミステリ小説すら読みこなせないと言わざるを得ない。マイクル・クライトンの小説『アンドロメダ病原体』(Michael Crichton, The Andromeda Strain, 1969)を読んだことすらないのだろう。(追記:2004年12月30日 08:46)

    http://redhat.psych.let.hokudai.ac.jp/labs/nakalab/
    仲真紀子 研究室(Dept. of Psychology, Hokkaido University - 北海道大学 大学院文学研究科 心理システム科学講座)

    つながる読書空間:偽りの記憶 「本庄保険金殺人事件」の真相
    書評Wiki:高野隆
    blogmap, Webcat Plus
      
    Posted by devlin at 21:18Comments(151)TrackBack(3)