10月4日 Stage1 Cairo-Baharija (Total stage 409.82km SS 329.10km Tranfers 80.72km)10月6日 Stage3 Dakhla-Abu Mingar (Total stage 356.03km SS 339.11km Tranfers 16.92km)

2009年10月05日

10月5日 Stage2 Baharija-Dakhla (Total stage 433.47km SS 386.47km Tranfers 47.00km)

 ビバーク到着後、2日目のスタート時刻に間に合わせる為に、ナビさんと手分けをして作業を行いました。プラドに燃料を入れる為に、タンクローリーの前でプラドを停めて、お財布をナビさんに預けました。私は、前日のタイムカードをオフィシャルに渡し、2日目のコマ図を貰う為に、プラドの元を離れました。オフィシャルトラックを探している最中に、偶然にも、日本チームの拠点を発見しました。チーム2輪の皆さんは、既に、スタートの準備をしており、遠くから両手を振って近付くと、その中の1人が気付いてくれました。

 

午前様でビバークに戻って 「おぉ~っ! 帰ってきたよ!

 

 と言い、無事の帰還を迎えて頂きました。

 

 「今、帰ってきた。また埋まっちゃったよ…

 

と、手短に数時間前までの事を説明し、24時間ぶりに、日本チームの面々との再会を果たす事が出来ました。色々と積もる話は沢山ありましたが、とりあえずスタートの準備をしなければなりませんので、話半分で、タイムカードをオフィシャルに渡しに行きました。オフィシャルにも、

 

 「たった今、戻ってきました。今日もスタートします。

 

 と、話をしました。

 

 その後、2日目のコマ図を受け取り、スタート時刻を確認、ランチパックと水を受け取って、2日目のスタート準備を行いました。とりあえず、オフィシャルの大テント内で紅茶を1杯もらい、日本チームの拠点に戻りました。そして、初日開けず仕舞いだった大きな荷物の中から歯磨きセットを取り出して、歯を磨いて、気分をリフレッシュしました。

 1時間半のビバーク滞在

 そして、日本チームのスタッフより、前夜、日本チームの間で私の門限を決めるという話が出た事を聞きました。2年連続午前様 & 朝帰りの私に対して、 “夜遅くまで砂遊びし過ぎ! とか “嫁入り前の娘なのに… と。余りの素行の悪さに、 “こうなったら、門限決めるか” という話になった様です。そんなこんなで、1時間日本チームのビバークに滞在した後に、2日目のスタート地点に向かいました。

 

スタート時刻は、819分。翌朝6時半にビバークに戻ってきたにも関わらず、19台中11番目のスタートでした。かなり、慌しかったです。しかし、慌しいながらも日本チームの皆さんと話をする事が出来て、少し気分をリフレッシュさせる事が出来ました。

 

 とりあえず、スタート地点近辺にプラドを並べて、2日目のスタートをきる体勢を整えました。深夜ほどの睡魔の到来はありませんでしたが、全体的に、やや放心状態になっていました。そんな自分とは対照的に、ナビさんは車内周りを整えたり窓ガラスを拭いたりと、2日目のスタート準備をしてくれました。

 

 “今日こそは、早くビバークに帰ってきて、早目に寝よう。そうしないと、どんどんと辛くなっていくから… 。でも、昨年も、2日目はスタックせずに全コース走れたから、きっと、今年も大丈夫なハズ。

 

 と、自分の中では、根拠はありませんが、幾らかの自信がありました。そんなこんなで、ほぼ前日からプラドを走らせたままの状態で、2日目がスタートしました。プラドには前日の朝から乗ったままの状態ですが、気持ち的には2日目の新しいスタートが始まったと思い、つい数時間前までの事は全て忘れて、全てをリセットして臨みました。

 

 スタートをして7km ほど進んだところでしょうか、左手に大きな砂丘があり、そこをトライしている車両が見えました。その様子を左目で見ながらコマ図と前方を確認、再度左手を見ながらコマ図と前方を見て、

 

 「このまま真っ直ぐ行って!

 

 という、ナビさんの指示。

 

ファラオラリーのワンシーン とっさに迂回を指示しました。コマ図では、大きな高い砂丘を上る事になっていましたが、敢えてそこを越えなくても、前方に迂回と思われる轍が何本もありましたので、ナビさんはコマ図や周囲の状況を判断し、とっさに迂回路を選んだ様です。このお陰で、砂丘越えや無駄なスタック等のリスクが回避され、次のコマ図へ進む事が出来ました。

 

 スタートから100km 地点では、今ラリー初めてのドクロマークが出ました。ドクロマークは、 “非常に危険だから、気を付けて行きなさい。さもないと、命が危ないよ~ という印です。

 

 「この先、ドクロマークだから。

 

 と、ナビさん。

 

 “ドクロマーク” という指示には、いつも以上に慎重になります。かなりの緊張感を持って、その先を走る事になります。

 

 “一体、どんなドクロなのだろう…

 

 そう思い、かなり慎重に運転をしていきましたが、非常に可愛い崖下りで、一瞬で終わってしまいました。

 

 “何だぁ… 。可愛いドクロだなぁ…

 

 ちょっと拍子抜けをしながら、次のコマ図へと進みました。



 本日は、78割が土漠だったでしょうか。時に砂丘もありましたが、かなりなだらかでしたので、骨休め的なコースだったと思います。走っても走っても、単調に続く土漠、土漠、土漠… 。これでもかっ! という程に土漠が続き、殆ど寝ていない私は、幾度となく半分居眠り状態になりました。

 2日目走行中 5

 気付くと夢の中で、実際の眼前の路面が出てきていて、ハッと目を覚ますと、実際にその路面があるという状態です。或いは、土漠の路面が人の顔に見えたり、何かの模様に見えたり… ずっとずっとこの連続で、必死に目をシバシバしては、居眠りから目覚めようとしていました。

 

 この日のコースは、アフリカ大陸を南下していく方向でしたので、競技の進行と共に、また、陽が昇るに従い、どんどんと暑さが増していきました。この暑さが睡魔を増幅させ、更に、体力をどんどんと奪っていく要因になりました。寝不足の体、そして、普段の仕事とは正反対の、このラリーでの環境に全く体が順応せず、本当にシンドイと感じながらアクセルを踏んでいました。

 

 眠っていない時には100km/h ペースで走っていますが、気付くと知らぬ間に居眠り運転をしていて、ふとメーターを見ると70km/h まで落ちていました。

 

 時に、

 

2日目走行中 4 「ギャップだよ!

 

 とナビさんに言われてハッと目を覚まし、慌ててブレーキを踏む事もありました。また、余りにもゆっくりとしたペースで走っていると (つまり、長い間、半居眠り運転が続いていると)

 

「ちょっとペース上げて行こうか。

 

 と言われる事もありました。

 

 しかし、お互いに前日から殆ど寝ていない状態は変わりませんので、時に、インカムから何の指示がない状態が続く事もありました。

 

 「眠い…

 

 と言うナビさん。

 

 最初は、眠い事も我慢をし、必死に単独で睡魔と暑さと闘って、黙々と走行をしていました。しかし、次第に私も、

 

 「眠い!

 

 と意図的に声を出して、眠気を払う様にしました。一瞬声を出す事で、眠気を覚ます事が出来ました。後半は、 “眠い! を連発しながら走っていましたね。

 2日目走行中 3

 ナビさんが現実の世界と眠りの世界をウロウロとしている間は、自然と自分の方は頭が冴えていましたので、黙々と目前のギャップを判断して、轍を追っかけていきました。特別、合図や何があった訳ではありませんが、必ずどちらかが起きていて、ギャップや危険を察知している状態でした。

 

 居眠り運転をしていると、

 

 「ギャップだよ!

 

 と言って起こされる事もありましたが、

 

 「この先、ドクロマークだよ。

 

 と言われて目を覚ます事もありました。

 この日は、最初の可愛いドクロマークも含めて、3個のドクロマークがありました。後半の2か所は、本当のドクロマーク的に危険な路面が続きましたが、いずれも、昨年も通った記憶が鮮明にありました。何となく、そのドクロマーク地帯に突入する前に、周囲の景色で昨年と同じ場所である事を認識しましたので、この場面では、ハンドルを握る手に力が入りつつも、少し安心をして通過する事が出来ました。

 

 スタート後、後続車両にバンバンと抜かされていきましたが、気付くとその抜かされた車両を抜き返しており、更に、自分よりも先にスタートをした車両さえも、抜かしていました。自分の中では、全然競っているつもりはありませんでしたし、速く走ろうと、自分のスピード限界域と戦っていた訳でもありません。むしろ、自分の中では、自分の居眠りと戦っている状態でした。しかし、本日は1度もスタックをする事なく、特別ヒヤリとする場面もなく、ノンストップで386km SS を終えました。

エジプトのきのこ岩 最後の
SS ゴール地点を通過した時には、

 

“やっと終わった… 。

 

ただただ、その思いだけでした。長い長い、386km でした。そして、

 

“今日はゆっくり寝られる… 。初日が悪循環に繋がっていかなくて、ヨカッタ…

 

という安堵感が生まれました。

 

SS ゴール後、余りの暑さに、ペットボトルの残り水を頭からかぶってみました。すると、水と思っていたその中身は車内温度で熱湯になっていて、更に暑くなってしまいました。SS が終わって、 “やっと睡魔との戦いから解放される… 。これでラクになれる… と思っていましたが、実は、この後にも試練が続きました。

 

SS ゴール後は、ビバークまで47km のリエゾンです。リエゾンの中には、コマ図で、速度を規制されている区間があります。 “どこからどこまでは、50km/h 以内で走りなさい、それを越えたら、ペナルティーですよ” と。

 

オフィシャルは、イリトラックで常に競技車両の動向を “監視” していますので、ひとたび50km/h 以上の速度を出すと、すぐに分かってしまいます。しかし、ファラオラリーの場合、この速度規制は厳しく取っておらず、過去2年間、この規定速度を越えてもペナルティーを取られる事はありませんでした。これは、自分に限らず、自分以上に、周りの車の方がビュンビュンと飛ばしている状況でした。

 2日目走行中 2

私はその事を既知の事実としていましたが、初めてファラオラリーに参戦し、過去に更にレギュレーションの厳しいラリーに参戦をしていたナビさんからは、厳密にその指定速度を守る様に指示されました。内心、

 

“全然大丈夫なのに…

 

と思いましたが、こんな事で言い合いをしても仕方ないですし、車内雰囲気や残りのレース期間、また、たった1つの揉め事やトラブルが一生の思い出として残るのがイヤでしたので、とにかくナビさんの指示を尊重する事にしました。

 

しかし、この50km/h で単調に舗装路を走り続けるという事が、更なる試練となりました。地理的に南下していた事で気候も暑くなり、車内に入ってくる風は熱風状態です。何をしていても、暑い! そして、単調な道を50km/h という速度で走り続ける… 。再び、睡魔との戦いになりました。眠くて舗装路をフラフラと運転し、何度も路肩に落ちそうになって、ヒヤリとする場面がありました。

 

 「危ないよ! こんな所で (プラドの) 足を壁にぶつけて曲げたら勿体ないよ。折角今まで丁寧に走ってきたのに、何の意味もなくなっちゃうよ。

 

 と、ナビさん。

 

2日目走行中 1 競技が終わっても、暑さと睡魔との戦いは続きましたが、何とか、人・車、双方無事で、16時過ぎにビバークに到着しました。

 

 今朝、門限設定を言われた日本チームの皆さんには、

 

 「夜遊びしないで帰ってきました。

 

 と、報告をしました。

 

 “何だか、眠くて眠くて、ずっと睡魔との闘いで、半分眠ったまま終わっちゃったけど… 。それでも、先にスタートをした車も抜かしてしまったし、今日はスタックもしなかったし… 。もしかしたら、結構、良い順位につけているかも…

 

 と、初めて、自分の順位というものを意識しました。そういった期待の下、リザルトを見てみると、8番手でゴールをしていました。自分でも、予想外の結果にビックリしました。しかし、海外ラリー3年目のひよこドライバーが、そう簡単に上手くいく訳もなく、明日以降、相当、ファラオの洗礼を浴びる事になると、気を引き締めました。

 

 昨夜はテントを立てる事なく終わってしまいましたが、この日はビバークできちんとした夕食を摂り、また、温かいシャワーを浴びる事が出来ました。

 2日目の走行を終えて

気付けば、初日のスタックは大きな2回のみで、昨年の様な小さなスタックは全くありませんでした。また、昨年の経験から、 “怖い! と思ったらアクセルを緩めるのではなく踏むようにして、また、砂漠での車両の挙動もよく分かりましたので、車両の傾斜に対する恐怖心は、全然なくなっていました。こういった自分の小さな成長を、嬉しくも思いました。

 

 “とりあえず、今日は早目に寝て、この2日間の疲れを取ろう… 。そして、全てをリセットして、明日からは気持ちも新たに臨もう。

 

 そう思い、今年初めてのテントの中で、横になりました。



dewkeiko at 09:00│
10月4日 Stage1 Cairo-Baharija (Total stage 409.82km SS 329.10km Tranfers 80.72km)10月6日 Stage3 Dakhla-Abu Mingar (Total stage 356.03km SS 339.11km Tranfers 16.92km)