10月6日 Stage3 Dakhla-Abu Mingar (Total stage 356.03km SS 339.11km Tranfers 16.92km)10月8日 Stage5 Baharija-Sitra (Total stage 381.29km SS 381.29km)

2009年10月07日

10月7日 Stage4 Abu Mingar-Baharija (Total stage 428.71km SS 4/1 229.96km SS 4/2 86.30km  Tranfers 112.45km)

4日目の朝 前夜は23時頃から眠りに就きましたが、早朝よりかなり風が強く、テントがパタパタ、時にバタバタとなびき、その音で目覚めてしまいました。

 

 本日は、 Egyptian Grand Prix と呼ばれる横並び一斉スタートの日です。四輪が横一列に並んで一斉にスタートをし、28.65km のループコースを2周して、そのままSS に入るというものです。私は、他の競技車両とのスピード競争が好きではなく、横並びをしている時には、他車に先に行って欲しいという気持ちになります。本日も、たかだか最初のスタートで競争をするのではなく、428km という長丁場が待っているので、その距離を無事に走りたいと思っていました。

 

 スタートは、右側から前日のリザルト順に並んでいきました。私の右隣は、ゼッケン306 のエジプトお友達チームです。スタート位置に着くと、まずは大手を振って、お互いに今日も元気にスタートが出来るという合図、そして、お互いの健闘を称え合う挨拶を行いました。スタート直前、昨日のサバイバルキットの抜き打ちチェックに続いて、HANS をきちんと装着しているかのチェックがありました。オフィシャルが寄ってきて、窓越しにシートベルトの下に手を入れて、その確認をしていきました。一瞬、ドキリとしましたが、きちんと装着をしていましたので、事なきを得ました。

 4日目スタート地点より前方を見据える

 そして、いよいよ、一斉スタートの瞬間です。他の競技車両とは競わない、周囲の状況に惑わされず、自分のペースを貫く… とはいえ、やはり、緊張するものです。オフィシャルの発煙筒を合図に、スタートをしました。ところが、いざスタートがきられて、自分の左右の車両は一斉に猛スピードで走り去って行くかと思いましたが、意外にノロノロスタートの状態でした。そこで、 “えっ!? えっ!? と周囲の状況に戸惑いながら、アクセルを踏んでいきました。

 

4日目一斉スタート ガソリン車とディーゼル車が混在した状態で並んでいましたので、その速度差で、自分よりも遅い車両に対して戸惑ったのだと思います。とにもかくにも、自分が最後方にいなければならない理由はありませんので、自分のペースでSS1 をスタートしました。

 

 最初は土漠メインのコースが続きましたが、ほどなく砂丘メインのコースへと入っていきました。重い砂の中で、今にもプラドが止まってしまいそうな程に勢いを失いながらも、何とか前日までにナビさんに教えて頂いた方法でスタックを回避しながら、順調に進んでいきました。しかし、そういった走行も騙し騙しだったのでしょうか、砂漠初心者の自分にはまだまだ学ぶべき事が多くあり、103km 地点にて、本日初めてスタックをしました。

 

 砂丘の下りからややなだらかな路面を通った後に、再び次の砂丘を越えていく時です。轍のままに進んだものの、フカフカの路面でプラドは勢いを失って、そのまま沈んでしまいました。脱出作業をするものの、2m 程進んだところで、再び砂の中に埋もれてしまいました。再度気を取り直して砂堀りを行い、2回目の作業でこのエリアを抜ける事が出来ました。この脱出作業の間に、3台ほど、後続車両に抜かされていきました。

 4日目砂に埋もれたプラド

 後続車が先を越していく際には、単に彼らに無事の合図をするのではなく、彼らがどのラインで通過をしていくのか、その場所場所での車の挙動やスピードの乗り具合をみて、その先の路面状況を判断し、自分が越えていく際のイメージを作りました。20分程でこのフカフカエリアを抜け出して、次の砂丘地帯へと入っていきました。

 

本日は、ずっとフカフカ砂丘 高い砂丘の組み合わせでしたので、上りきるのにちょっとした勢いが必要な場面が何度もありました。いつも、高い砂丘越えの際には、勢い余って飛び出してしまう事はありませんが、頂上手前でアクセルを早く緩め過ぎてしまい、越えられない事がありました。昨日も、砂丘の頂上で亀になってしまったのは同じ理由で、 “いつも早くアクセルを緩めてしまう” 自分の悪い癖を直そうと、目の前の高くて頂上が柔らかい砂丘越えの際に、いつもよりもコンマ数秒、長くアクセルを踏んだ時です。意外に頂上にスペースがなくて尖っていて、そのままダイブしてしまいました。

 

顔面から着地したプラド 一瞬宙に浮いて目の前が白くなった次の瞬間、  “ドカン!   と共に、私の頭の中には、 The end の言葉、そして、 “ナビさん、大丈夫かなぁ…  

 

 その次は、自分の口の中に、血の味を感じました。



上ってきた砂丘は3040m ほどありましたが、その後、5m ほどの高さからダイブをし、プラドの顔から着地をしてしまいました。頭からフロントガラスに突っ込んで、ガラスが割れました。ハンドルに口と鼻をぶつけて、一瞬、鼻骨が折れたかと思いましたが、そちらは大丈夫でした。直ぐに鏡を見る事が出来ない状況でしたが、その衝撃の大きさより、一瞬、自分の顔がグチャグチャになっている光景と、ドクターヘリの存在が頭の中を過りました。

 

 ただ、ナビさんの状況は別として、自分自身は、どんな外傷を負ってでも、ドクターヘリに乗るつもりはありませんでした。何故なら、過去に競技中に負傷をした選手のその後の経過やオフィシャルドクターの判断状況を見ていると、 『ドクターヘリに乗る=リタイアほぼ決定、再出走は殆ど不可能』 という印象を持っていました。勿論、第3者からみて、また、競技者の命を預かる立場の人間からしてみれば、オフィシャルドクターの判断は間違ってはいませんし、自分自身も、同じ判断を下すと思います。

 4日目朝のビバーク

 しかし、自分は医業を本職としている事、また、その場の状況で善し悪しの判断が出来る為、自分自身の事に関しては、どうにでもフォロー出来ると思っていました。よって、 “何が何でもドクターヘリは呼ばない” と思っていました。ナビさんは、外傷はありませんでしたが、かなり首と腰を痛めた様で、暫く沈黙が続きました。顔面も、相当な勢いで強打したと思います。

 

 とりあえず車外に下りてプラドの状況を確認、また、サイドミラーで自分の顔を確認し、多少の傷はあるものの、ぐちゃぐちゃで血まみれになっていない状況に安心をしました。プラドの顔は完全にグチャグチャに潰れていましたが、意外に自分は平然としていて、その現実をストレートに受け入れていました。

 

ナビさんから、

 

 「凹んでいても、やってしまった事は仕方ないから、気持ちを切り替えて、進んで行こうか。

 

 と、言葉を掛けて頂きましたが、実は、全然凹んではいませんでした… 。日常の仕事の方がよほど凹む事は多く、この世から消えてしまいたいと思う事は、それ相応に経験をしています。そういった苦境を乗り越えなければならない場面が相当にありますので、それに比べると、クラッシュという突然の出来事は、スンナリと受け入れる事が出来ました。

 

 逆に、 “クラッシュしたのに、泣くとか動揺するとか、もっとオロオロしなくていいの!? もっと、女の子らしさを出したら? と思ってしまう程で、自分の図太過ぎる程の神経に、自分自身がビックリする程でした。

 

 全く動揺はありませんでしたが、怪我を負わせてしまったナビさん、決して “ダメ” や“ムリ” 等のマイナスの言葉を発さないナビさんに対して、このまま競技続行をしても良いものか、或いは、自分から競技中断を申し出るべきか、ナビさんにどう接するべきか、そちらの方で戸惑っていました。

 

プラドの空中移動 暫く黙ったまま、ナビさんの出方を見ていましたが、

 

 「とりあえず進んでみようか。水温計だけ気を付けて見ていて。

 

 と言われ、再びプラドに乗り込みました。

 

 再スタートと同時に、数m も進まないうちに、水温計がMax まで上昇している事に気付きました。

 

 「水温計、上がってます!

 

 と、私。

 

 「ちょっと止めて、きちんと見るか。

 

 と、ナビさん。

 

 エンジンを切って、プラドの応急処置に入りました。

 

 痛い体に鞭を打ちながら、 「ウッッッ… 。」 という掛け声と共にエンジンルームを覗き込んだり、プラドの下に潜り込むナビさん。とりあえず、工具を出し、必要そうな物を車外に準備しました。幸いな事に、真っ直ぐに着地をした為に、プラドの足は曲げずに済みましたが、フレームの突き上げによりファンが回らなくなり、また、バッテリーの台座が歪んで固定されない状態になってしまいました。ナビさんは、これらの状況を、限られた環境の中で応急処置を施して、元の状態に戻してくれました。

 4日目最初のスタック

 プラドの応急処置の途中で、オフィシャルのドクターカーが通過をしていきました。
 

 「大丈夫?

 

 と。

 
 「大丈夫!

 

 と答えたものの、内心、 “自分達は良いのですが、このプラドが怪我を負っているので、助けて下さい… と思いました。

 

 40分程の応急処置で、再スタートをきりました。

 

 「気を付けて行こうか。水温計だけは注意して見ていてね。

 

 と言う、ナビ・メカさんの言葉と共に。

 その後は、やや慎重にプラドを走らせました。ちらちらと水温計を確認しながら。

 

 “いつプラドが不動の状態になってもおかしくない。

 

そんな覚悟の下、ハンドルを握っていました。ふと、砂丘地帯を抜け出して土漠を走行していると、インカムから声が聞こえました。

 

「あれ、拾って行こうか。数あれば、何かの役に立つでしょう。

 

そう言うと、ナビさんより、プラドを停める様に指示がありました。そして、痛い体を押し殺しながらプラドを下りて、今来た道を戻って行きました。

 暫くプラドの中で待っていると、青い板を持って、戻ってきました。

 コース上にサンドラダーが落ちていて、それを拾って来たのです。サンドラダーは、砂に深く埋もれてしまいますと、救出困難な場合があります。かなり長いロープを付けておきますが、いつ紛失をするか分かりませんし、落ちていたラダーは、非常に軽いタイプのものでした。ナビさんは、残り
3日間競技がある事や、今後のスタックに備えて、拾っておこう… と思った様です。こうして、日本から持ち込んだ4枚のサンドラダー+4枚の薄い補助マットに加え、2 (実際は、1枚は半分の長さに欠けていました) の青いラダーがプラドの中に加わりました。

 

その後もウソの様に車両トラブルはなく、無事に161km SS1 を終えました。

スタック後の進行方向 SS1
のゴール地点を通過後、小休憩をしました。普段何も言わないナビさんが、少し休憩を欲しいとの事。クラッシュの際に、相当のダメージが体に加わったのだと思います。自分ではどうする事も出来ず、とにかくナビさんの意向で動く事を心掛けました。確か、首が痛いとの事で、手持ちの鎮痛剤と胃薬、そして、お腹の調子が悪いとの事で、それらの内服薬を手渡した記憶があります。

 

 “自分がナビ・メカさんに対して出来る事は何もない… と申し訳なさを感じつつ、会わす顔もない状態でいましたが、そんな中でも、満身創痍にも関わらず、淡々と応急処置を施して下さったナビ・メカさんの存在の大きさを、改めて実感していました。

 

 何故なら、今回のナビ・メカさんがいなければ、クラッシュをした直後で、この日は終わりになっていたからです。メカニックがいなければ、翌日以降も出走が出来ずに、その場でリタイアになっていました。その状況を回避したナビさんは、本当に今回のラリーの中でも非常に大きな存在でした。

 

小休憩の後に、112km のリエゾンを経て、SS2 スタート地点へ向かいました。リエゾンでは、ナビさんと何を話したら良いかも分からない状況で、沈黙の時間が続きました。クラッシュのショックはないとはいえ、プラドに加わった衝撃の強さはそれなりのものでしたので、まずはナビさんに大怪我がなかった状況に、本当に安堵しました。

 

そして、再スタートはきれない、ほぼリタイア確実と思っていましたので、こうして走り続けられる現状を有難く思うと同時に、もう神様は、次のチャンスはゼッタイにくれないだろうと、自分の中で戒めをしました。同時に、これからは、完走云々よりも、とにかくナビさんの命を無事に日本へ持って帰ろう、それを第1の目標に走ろうと、参戦目標を変えました。

 4日目リエゾン後

 予想外に早い時間にSS2 スタート地点に着いてしまい、次のスタート時刻まで、約40分の待機時間がありました。何もする事がなく、ただひたすら時間が経つのを待っていましたが、ふと、クラシッククラスの選手に声を掛けられました。

 

 「ホームページ、持っているでしょ?

 

 と。

 

 最初は、何の事だか分かりませんでしたが、彼は、エントラントのホームページを色々と調べて、見ているとの事でした。その中で、私のホームページを検索し、見たという事を言われました。日本語のホームページ、しかも、手作りで大した内容がないにも関わらず、海外の方が閲覧をしているという事で、少し恥ずかしく思いました。

 

暫くすると、先に SS1 をゴールしたエジプトお友達チームが到着をしました。そして、私のプラドのフロントを見るや否や、

 

 「どうしたの?

 

 と、声を掛けられました。

 

 クラッシュをした事を説明すると、自分達の事、そして、車両の事を心配して頂き、全て大丈夫だと答えておきました。しかし、昨年から一緒に走っている仲間であり、非常に優しいお友達ですので、潰れて外れかかったフロントバンパーに応急処置をする為に、ガムテープを差し出してくれました。しかし、特に緊急で必要な状況ではありませんでしたので、大丈夫、どうも有難うと、丁寧にお断りをしました。

 

プラドを修理中のエジプトチームのメカニック そして、気付くと、誰かがプラドのフロントバンパーを直し始めていました。彼は、そのエジプトお友達チームの専属メカニックさんでした。こちらも、緊急で直す必要はありませんでしたが、彼が親切で直してくれていましたので、そのまま修理をしてもらいました。

 

 何も言わないにも関わらず、手を差し伸べてくれる優しさに、非常に有難く、また、自分は恵まれていると感じると共に、いつもこうして助けてもらうばかりではなく、自分も、競技中に色々な選手に手を差し伸べたい、そういう選手になりたいと思いました。

 

 こうして、SS2 スタート時刻が迫ってきましたので、再スタートの準備をしました。

 

 後半は、特別難しいコースもなく、CP3CP4と順調に通過をし、86km SS2 を終えました。

 

 “はぁ~っ…。やっと終わった…。

 

 本日は、体力的には辛くはありませんでしたが、精神的に、非常にシンドい1日でした。

 4日目のビバーク日本チームの拠点

 “とりあえず、何とかビバークに帰ってきたけれども、これからナビさんは、色々なメカニック業務が待っているのだろうなぁ…。

 

 と、何も出来ないでいる自分を、本当に申し訳なく思いました。

 

まずは、いつも通り、日本チームの拠点に戻る前に、タンクローリーに寄って、燃料補給を行います。その後、日本チームの元へ戻りました。

 

 “きっと、プラドの顔を見て、真っ先にクラッシュの事を突っ込まれるのだろうなぁ…

 

 そう思い、ある程度の覚悟を持って、皆の元へ戻りました。ところが、日本チームの第一声は、

 

 「スゴイじゃ~ん。今日も明るいうちに戻ってきて…

 

 と、明るい時間帯にビバークに戻ってきた事に、ビックリしていました。

 

 仕方なく () 、自分でクラッシュの自己申告を行いました。

 

 すると、瞬く間に日本チームに広まって、無事帰還の挨拶が、

 

 「ダイブしたそうで…

 

 という、心配の挨拶に代わっていました。自分達の怪我も心配して頂き、

 

頭突き被害を受けたフロントガラス 「頭、大丈夫だった?

 

 と、声を掛けて頂きました。そう問い掛けられた私は、一瞬の間を置いて、

 

 「大丈夫だったら、こんな事 (危険を伴うラリー参戦) 、やってないよね。

 

 と、切り返しておきました。命が無事であったからこそ、笑って済まされる話ですし、そこで暗い雰囲気になっても仕方がないですので、とにかく明るい雰囲気へと切り替える様にしました。

 

 暫くすると、オフィシャルスタッフが近付いてきて、割れたフロントガラスにスコッチテープを貼る様にと、言われました。

 

 「さもないと、明日はスタート出来ないよ。

 

 と。

 フロントガラス修復中

 ナビさんには、すっかりプラドの顔を直して頂き、一見すると、クラッシュをした事が分からない様な状態になりました。

 

 今年は、昨年と比べて、非常に体力が衰えた事を実感していました。昨年は、シンドイと思う状況は皆無でしたが、今年は、砂堀りがシンドく、持久力もなく、また、暑さに対しても、全く慣れない状況が続いていました。昨年までは、初日から体調万全で、現場の状況に対応できていましたが、今年は、昨年とは何かが異なる状況でした。

 

整形手術後のプラド しかし、ようやく4日目で暑さにも慣れ、また、体力的にも絶好調となって、100% の状態になる事が出来ました。明日も何とか走れる事にホッとしつつも、自分の想いを表さないナビさんとどう接したら良いものか… そんな迷いを抱えながら、4日目の眠りに就きました。



dewkeiko at 09:00│
10月6日 Stage3 Dakhla-Abu Mingar (Total stage 356.03km SS 339.11km Tranfers 16.92km)10月8日 Stage5 Baharija-Sitra (Total stage 381.29km SS 381.29km)