10月7日 Stage4 Abu Mingar-Baharija (Total stage 428.71km SS 4/1 229.96km SS 4/2 86.30km  Tranfers 112.45km)10月9日 Stage6 Sitra-Baharija (Total stage 431.04km SS 431.04km)

2009年10月08日

10月8日 Stage5 Baharija-Sitra (Total stage 381.29km SS 381.29km)

プラドとテント 今年は、例年になくラリー期間が長く感じられ、前半から非常にシンドい毎日が続いていました。しかし、体力的にはようやく昨日辺りより、本調子になり始めました。クラッシュの影響か、深夜は頸部に強い痛みを感じていましたが、不思議と朝には、その症状は消失していました。

 

 本日からは、いよいよ今年のヤマ場が始まります。過去のコース設定や実際に走った感覚より、今年のラリーは、今日・明日が勝負になると思っていました。そして、昨日のクラッシュ。一度はリタイアを覚悟しましたが、幸いな事に、プラドは走行を続けてくれています。

 

“もう神様は、次のチャンスはくれないだろう。今日からは、本当に厳しいコースが待っているだろうし、とにかく今まで以上に大切に、昨年の初日の様なつもりで走ろう… そう思い、5日目のスタート地点をきりました。

 5日目スタート地点 2

前夜、ひび割れたフロントガラスにスコッチテープを貼りましたので、明らかに、視界不良の状態になっていました。それでも、 “自分のやった事だし、これからは、我慢の走りをしなければならない… そう思っていましたが、視界不良ばかりか、全くギャップが見えない状況になっていました。暫く我慢をして走っていたものの、これではギャップが見えずに危ないと思い、

 

「全然前が見えなくて危ないです。

 

と、ナビさんに伝えました。

 

スタートをして5km 程進んだ場所で一旦車両を停めて、自分の視界周囲のスコッチテープを剥がしました。本当はイケない事ですが、安全に競技参戦を続けていく為には、致し方ない事でした。

 

 その後、再スタートをして15km もいかないところでしょうか、プラドのブレーキに違和感を抱き始めました。ギャップ越えの際にブレーキを踏むものの、きちんと減速出来る場合もあれば、踏んでいる割に減速しない場合があります。最初は、 “気のせいだろう… 。ナビさんに余計な心配を増やさない方がいいだろう… と思い、ナビさんにその事実を告げる事は控えていました。 “きちんと、その事実が確実なものになった時に、伝えよう” と。

 

5日目最初の丘登り その後も、ギャップ越えの際にブレーキを踏みますが、やはり、ブレーキが抜けてしまう事がありました。挙げ句の果てには、ブレーキが効かずに、そのまま小さなギャップに突っ込んでいってしまう状況です。この時に、 “気のせい” と思っていた感覚が確実なものとなり、ナビさんに伝えました。

 

 「ブレーキが効かないんです。

 

 と。

 

 これは、 “ブレーキが効かない症状を何とかして欲しい” という意味合いではなく、ギャップ越えにも関わらず、そのまま減速をせずに突っ込んで行っている状況を、 “ギャップを見逃したり集中力が途切れたのではなく、ブレーキが効かずに突っ込んでしまうんです” という自己アピールがメインでした。ブレーキが効かないとなると、途端に様々な恐怖に襲われます。

 

“ギャップ越えが続く状況、そして、これから始まる砂丘越えの際に、どうしよう… 。もしかして、途中で舗装路にエスケープするしかないのかなぁ… 。やっぱり、今年は完走は無理かなぁ…

 

そんな不安を抱きながら、ハンドルを握っていました。そして、とにかくプラドにこれ以上の衝撃を与えない為に、速度を2段階ほど落としてダラダラ~ っとした運転をする様にしました。

 荒野に向けて

いつまでプラドがもつか分からない不安、 “一体、自分はいつまで競技参戦出来るのだろうか、いつリタイアの現実と向き合い、気持ちを整理する事になるのだろうか… そして、 “自分に優しい目を向けてくれていた神様が、いつ厳しい顔を見せるのだろうか、いつ、神様はこの現実を取り上げようとしているのだろうか…

 

そんな不安を抱えながら走っていると、コース脇で止まっている先行車両を抜かし、気付くと CP1 に到着しました。

 

CP1 は通ったけれども、今後いつまで走れるか分からないよ” そんな覚悟をしつつ、CP2 へと向かいました。



途中、石器時代に刃物として使われていた様な、角が鋭利な大きな石ころが万と転がっている路面を通過しました。これまでに幾度となく、同様のコースは通過していましたが、今回は、いつも以上にその距離が長いです。タイヤのパンクを避ける為に、可能な限り石を避け、避けきれないと思った時には、ゆっくりと石に乗るようにして… とにかく、止まるか止まらないかの速度で、ゆっくりと通過をしました。それでも、タイヤが1回転する度に、プラドもガタゴト左右に大きく振られます。

5日目朝のビバーク “イヤらしいコースだなぁ…

 

早く通過をしたいと思っても、とにかくガマンの走りが続きました。

 

ようやくそのエリアを通過して、再度走り始めた時。CP2 まで残り10km もない地点です。

 

 「タイヤ、パンクしていない?

 

 と、ナビさん。

 

 “ ………。

 

 首をかしげる私。

 

 少し前から、小さな異音には気付いていましたが、ガタガタ路面を通ってきてハンドルの感覚や車両からの振動が麻痺していたのでしょうか、自分自身では、はっきりとそう確信をする事は出来ませんでした。

 

プラドを停めて見てみると… 左のリアタイヤをバーストさせていました。今ラリー初めてのタイヤ交換、2年振りのバーストです。直ぐにタイヤ交換に取り掛かりました。私は、プラドの荷室からタイヤを下ろし、交換の準備をしました。交換時間は10分程でしたが、この間に1台、プラドの横を通過していきました。

 2009年初めてのバースト

 車両トラブルで立ち往生をする事は好ましい事ではありませんが、他の競技車両がトラブルで止まっている間に自分が抜かして行ったり、逆に、自分がトラブルで止まっている間に他車に抜かされたり… と、1日の間で何回も抜きつ抜かれつを繰り返す状況、他の選手とすれ違う状況を、楽しく思っていました。

 

 昨年までは、立ち往生の原因は、100% スタックだけでしたし、最後方グループを走っていましたので、競技中に他の選手とすれ違う事は、殆どありませんでした。しかし、今年は頻回にすれ違う事で、自分もいち選手として競技参戦をしているのだという事を実感し、嬉しく、また、楽しく思いました。

 

 タイヤ交換を終えて、再スタートをしようと準備をしていた時です。

 

 「これ (タイヤのバースト) は、さすがに分からないとダメよ。

 

 と、ナビさん。

 

 確かに… 。私は、ナビさんのその言葉を否定するつもりもありませんでしたし、言い訳をするつもりも、全くありませんでした。ただただ、自分のドライバーとしての能力の低さを痛感し、また、この事実を深く心に刻み込んでおこうと思いました。

 

 そして、

 

5日目の朝 「本日の準備運動は終わりです。でも、今日は準備運動だけで、砂堀りはありませんので、ご安心下さい。

 

 と、ナビさんに伝えました。走行中は、あまり無駄話はしていませんが、プラドの車外では、いつもこんな遣り取りがなされていました。

 

 CP2 通過後は、再び砂丘地帯へと入っていきました。
 

 実は、前日に砂丘からダイブした事で、自分の中では砂丘越えに対して恐怖が増幅されたのではなく、逆に、落ち着いて越えられる… という心境になっていました。ところが、本日最初の急峻な砂丘越えでは、落ち着いて一連の操作を行ったつもりが、やや勢いがあって左前足から着地をしてしまいました。

 

 「ハンドル、曲がってない?

 

 と、ナビさん。

 

顔を横に振る私。幸いな事に、プラドのダメージは大きくなくて済んだ様です。ところが、落ち着いた心境で臨んだハズの砂丘越えで失敗をした事で、大きな大きな恐怖心が生まれてしまいました。心臓はバクバク、私は、大きな恐怖心で、声が出ない状態にまで、なっていました。

 

 暫くの沈黙の後、

 

 「曲がっていない、大丈夫です。

 

 と、答え、

 

 「怖~い… 。焦ったぁ… 。もう怖すぎて、声も出せませんでしたよ~。  

 

 と、続けました。

 

 恐怖心で声が出ない状況など、人生で初めてでした。

 

 その後も徐々に砂が深くなっていきましたが、 『佐伯ライン』 は大活躍で、昨年までは明らかにスタックをしていた場面でも、何とか苦しいながらも、スタックをせずに越えていきました。インカムから聞こえる “神の声” により、順調にコマ図を進めていきましたが、それでも、折角の “神の声” を生かすだけのスキルが自分に身に付いておらず、何度かスタックをしました。

 5日目最初のスタック 1

きちんと進行方向を告げられているものの、向かう先の砂丘の頂上はフカフカで、その先は落ちている状況です。それを見た瞬間、自分の中では恐怖心が芽生えてしまいます。自分の気持ちというものは正直にアクセルに伝わるもので、緩めてはイケない砂丘の上りで、自然とアクセルを緩めてしまいました。砂丘に対して真っ直ぐに止まる分には構いませんが、柔らかい砂で徐々にプラドの体勢は崩れ、自分が意図しなくても、勝手に斜面に対して斜めになって止まってしまいました。

 

本日初めての砂堀りです。まずは、車外に出ようとしましたが、傾斜でドアが重く、自力でドアを開ける事が出来ませんでした。そこで、助手席側へまたいで渡り、そこから車外へ脱出をしました。

 

何とか砂堀りをして、15分程度でバックで抜け出しました。バックで脱出をして、ようやくやれやれ… と思っていましたが、何と、固いと思い止まったこの場所で、またスタックをしてしまいました。

 

“えっ!? また埋まっちゃった!? 大丈夫だと思って停まったのに… 。これ、また掘らないと無理だぁ。ナビさんに言いづらいなぁ… 。でも、正直に言うしかないよね。

 

そう思いながら、最初にスタックをしていた場所に脱出道具を取りに戻りました。そして、

 

「大変申し訳ないんですけど… またあそこで埋まっちゃいました…

 

と、可及的速やかに、報告をしました。本当は、 “ゼッタイに掘らないと無理! と分かっていましたが、さすがにその件は言えませんでしたので、

脱出後に再スタック 「多分掘らないと無理です…

 

 と、過小報告に留めておきました。


何度もクダラナいスタックをしている状況、また、こういう状況に対しても顔色1つ変えずに黙々と砂堀りをしてくれるナビさんに、本当に申し訳なく思っていました。この場所ではそれ程深く埋まりませんでしたので、数分の砂堀りで、この場から脱出をしました。

 

 こうしてCP3 を通過して、次のコマ図へと進んでいきました。

 

 CP3 からCP4 までの約80km は、フカフカのエリアを通過する事もあれば、連続する高い砂丘越えが続く場面もありました。フカフカのエリアでは、再度自分の中で迷いが生じると、プラドは斜面に対して斜めになって止まってしまう状況でした。1日の中で2度同じ状況でスタックをしてしまう自分に、成長のなさを実感しました。

 

 また、高い砂丘越えの際には、躊躇する自分が前面に出ていました。頂上手前でアクセルを緩めては上れず、バックして再トライ。上る際に勢いが必要ですので、下の路面で旋回をした後にトライしますが、時に、その旋回方向が逆だと指摘をされる事もありました。自分としては、左旋回から右旋回をして、8の字を描きながらトライしよう、その方が勢いもつくし、ベストのラインだと思っていましたが、正解は、右旋回から直接オンコースに入るルートの様でした。

 

 「逆だってば!

 5日目疾走中 2

 と突っ込みを入れられるものの、直ぐに修正出来る様な状況ではなく、そのままトライせざるを得ない状況でした。ナビさんは、相当歯痒い思いをしながら、隣りに座っていたと思います。この件に限りませんがね。こういう時には、自分のセンスのなさも感じていました。

 

決して、前日のダイブや今日初めての砂丘越えの際に、左前足から着地をする様な、ヒヤリとする場面はありませんでしたが、高い砂丘を1個越える度に、自分の中では “もうこんな怖い思いをするのはイヤっ! という思いが芽生えると同時に、 “本当に砂丘越えは体に悪い… と感じていました。

 

そんな色々な思いやスタックを繰り返しながら、CP4 へ到着しました。CP4 を通過して10km 程進んだ地点です。

 

不要なスタックを未然に防ぐべく、砂丘の頂点で止まっては次のライン取りを確認し、勢いよく下りては次の砂丘の頂点で再度止まって… という走りを繰り返していました。何度かそういった走行を繰り返していると、ふと眼前の下界で、砂の中に埋もれて動かずにいる数台の車が目に飛び込んできました。その光景は、正に、蟻地獄の様でした。その様子を見て、

 

眼前に広がる蟻地獄エリア 「ちょっとルート見てくる。

 

 と言い残し、ナビさんはプラドを下りて砂丘の下の方へ歩いていきました。行くべきコースを先行車に塞がれていると同時に、何台もの車両が一度に埋まっている状況で、そのルートでは通れない、という事が分かります。ナビさんは、その状況及び別ルートを探す為に、下りていきました。

 暫く周囲を見渡した後に、ナビさんが戻ってきました。

 

 「そこ通って、左側から抜けていくよ。

 

 ナビさんの指示通りに、ハンドルとアクセルに集中しながら、今にもプラドが沈んでしまいそうになりながらも、コマ図を進めていきました。
 蟻地獄に埋まった車両

 何とか蟻地獄エリアを通過して3km 程進むと、今度はクラシッククラスのパジェロやランクルが3台、止まっていました。どうやらスタックをして、脱出作業をしている様子でした。その横を通過して、次の砂丘を越えようとした時です。完全に砂丘越えに対して大きな恐怖心を持っている私は、迷わず頂上手前でアクセルを緩めました。本来であれば、いつも以上に砂が深いエリアですので、更なる勢いとアクセルコントロールが必要な場面でした。しかし、砂丘への恐怖だの選手のスキルなど、ラリーの現場では皆平等で、ファラオの神様も、その現実を真正面から突き付けてきました。

 

 この一帯は、23m の小さな砂丘が所狭しと点在し、そのどれもがフカフカで足を取られる状況です。小さな砂丘の上りでスタックをしたからといって、バックで適度な場所まで戻れる状況ではありませんでした。 “埋まったら終わり” の蟻地獄エリアです。よって、脱出方向としては、そのまま砂丘の頂点を崩して前進する事となりました。

 

 暫くすると、先程スタックをしていて抜かしてきたクラシッククラスのパジェロやランクルのパーティが追い付いてきました。彼らは、私がスタックをしている状況を見て、その後方の高い砂丘の斜面で車を停めました。完全に、私がコースを塞いでいる状況です。周囲に対する迷惑は明らかで、早くその場から抜け出なければという思いがありました。

 

 “早く、この場所を空けなければ。そして、これ以上、他の車両に迷惑を掛ける訳にはいかない。もうスタックは出来ない。

 

クラシッククラスのパーティー そういうプレッシャーが生じてきました。自分でも、これ以上スタックをしない為にと、その先の路面状況を見に行きました。砂丘自体の高さはそれ程ありませんので、歩いて容易に越える事が出来ましたが、フカフカですので、1歩足を進ませる毎に、自分の足は深く砂の中へと埋もれていきました。

 

その先の視界は、まだまだ、同じ様なフカフカエリアが続いている状況でした。今までは、高い砂丘越えがメインでしたので、目の前の視界は砂丘で遮られる事が多く、遠くまで見渡せる事は殆どありませんでした。しかし、今回は、小さな砂丘の連続ですので、目の前の視界を遮られる事がなく、容易に遠方まで見渡せる状況でした。実際には、この “小さな砂丘が点在し、遠くまで見渡せる” というシチュエーションが、コースの難易度を象徴していました。まだまだ同じ様な路面が続く事、そして、砂丘越えといっても、急峻に落ちている砂丘はない事を確認し、脱出の為にプラドに戻りました。

 

 「その先も分からないから、とりあえずあそこの頂上で停まって。

 

 と、ナビさん。

 

 “進行方向が分からなければ、とりあえず高い所で一度停まって。

 小山エリアから後方を望む

 とは、ここ数日、ナビさんの口から頻回に発せられた言葉で、今回も、とりあえず見える範囲の場所までプラドを移動して、その場所で再度停まる様にと指示がありました。

 

 「あそこですよね、あそこ。そこ越えて、次のヤマを越えた所ですよね。

 

 と、その場所を入念に確認しました。そして、 “もう止まらないで。これ以上止まったら、競技者として恥ずかしい…

 

そんな思いで、アクセルを踏みました。難所でスタックをしてはイケないというプレッシャー、後続車両に迷惑を掛けられないというプレッシャー、砂丘からダイブしてしまう恐怖と戦わなければならないプレッシャー… 色々な思いが混在する中、ちょっとした寸狂いも許されない状況を感じていました。

 

 何とかそういう思いに打ち克って、ナビさんの指示通りの場所までプラドを誘導しました。通常は、進行方向に対しては、何本かの轍がありますので、進むべき進路が分かります。しかし、この場所では、至る所に轍があり、どのルートを通って行くべきか分からない状況で、私の中では、お手上げ状態でした。

 

 後続の3台のクルー達も進路に悩んでいた様で、ナビさんも彼らと話したり、また、ナビさん自身の経験を元に、次に向かうべき方向について、検討をしていました。私の中では、それらの議論に加わるだけのレベルは到底なく、ナビさんの指示に100% すがるしかない状況でした。そうしてナビさんの指示の下、次のエリアへと進んでいきました。

 

 “止まらないで~。慎重に、慎重に。

 

 そんな思いで、アクセルを踏んでいました。
 

 たまたま、 『佐伯ライン』 を最大限に上手く活用出来たのだと思います。その後5km 程はスタックをせず、今にも沈みそうになりながらも、プラドを前進させていきました。しかし、きちんとした実力のないドライバーに、そうラッキーな瞬間は続くハズもなく、程なくプラドは勢いを失って、止まってしまいました。ファラオの神様は、きちんとドライバーにその現実を突き付けてくれます。

 

5日目最初のスタック 2 状況的には、やや緩やかに上っている斜面でした。脱出作業が必要で、とりあえず車外に出て、作業道具の準備をしました。暫く周囲を見渡すナビさん。そして、

 

 「これ、1m ずつでも前進していくしかないから、ちょっとずつでも掘って進んで行こう。

 

 という指示がありました。

 

 実際、あと45m 程進むと斜面が落ちていて、プラドの勢いが得られそうな状況でした。私はその指示に全くの異論はありませんでしたが、 “自分だったら、斜面が上っている状況から、とりあえずバックで下がれる場所まで下がるのに、この状況で少しずつ前進していくという判断、さすがに経験が違うな” と、スケール違いのナビさんの存在を感じていました。

 

 根気よく、前進させる作業を繰り返しました。ナビさんの指示通り、また、自分の中でも、1度に沢山進める状態でない事は容易に想像出来ましたので、コツコツと脱出作業を繰り返しました。時に、ナビさんは周囲を見渡す動作を繰り返していました。

 

最初の作業から3回程前進し、あと1.5m 程で砂丘の縁に到達し、斜面が上りから下りに変わろうとしている時です。

 

「これ、このままだと行けないから、バックしようか。

 

ナビさんの指示が、突如、変わりました。一度は前進方向を指示し、その方向への脱出作業を繰り返しましたが、今度は一転、後方への指示です。私には、キツネに抓まれた様な驚きというかショックがありました。

 

“何で途中で指示が変わるの!?

 

と。

 5日目疾走中 1

ナビさんの指示は絶対的なものとして信頼をしていましたので、ナビさんに対する不信感というものは全くありませんでしたが、非常な驚きがありました。とりあえず、頭の中が ??? の状態になりながらも、黙々とナビさんの指示通りにバック方向への砂堀りを始めました。後方には高い砂丘がありましたので、今度はバックをして、その斜面の上れる場所まで上って、というものでした。

 

当初は、前進を続けて砂丘の縁から勢いを得て、お椀の底を通過した後にそのエリアを抜ける予定でしたが、今度は全くの別ルートからの脱出を指示しました。予想外にスンナリと後方への脱出に成功し、プラドのお尻を上げた状態で、止まりました。

 

 “この先、どうするのだろう… ?

 

 そう思っていると、遠くでこっちこっちと、誘導をするナビさんが見えました。そのまま、真正面から抜け出ようというものです。斜面の勢いとプラドの勢いを利用して越えようと思いましたが、砂丘の頂上手前で、そのフカフカ路面にプラドは沈んでしまいました。

もう一度、元の場所に戻って再トライです。脱出作業を行った後に再度後退し、プラドのお尻を上げた状態で停まった後に、もう1度、その場所に向かっていきました。少し、上るラインをずらしたものの、やはり、そのフカフカでプラドの足は取られてしまいました。

 

 もう1度、バックです。今度は、ナビさんが、私が埋まった場所にサンドラダーを敷きました。 “ここを通って” という意味合いと同時に、私の中では、そのサンドラダーがお守り代わりになり、 “あのラダーを踏んで行けば、プラドをジャンプさせずに越えられる” という安心感がありました。案の定、何の問題もなく、プラドは静かにその場所を通過して、ようやく新しい視界を目にする事が出来ました。

 

青空の下のプラド この78km の間で、何度スタックをしたかは分かりません。数えきれない程のスタックをしました。自分の横を通過していった車両も、5台以上ありました。至る所で、何台もの車両が纏まって埋まっている光景、この様な光景は異様で、初めてでした。それだけ、このエリアが難所であり、また、今回のラリーのハイライトであったのだと思います。

 

 これまでは、小さなフカフカ小山越えの中でも、その山と山の間に多少の距離がありましたが、その後は、更に間隔の狭まった “狭いフカフカ砂丘の小山越え” が続きました。ナビさんの指示で、下りて右、その先直ぐに左に曲がりながら上って… 、上ったら次は下りて直ぐに右に曲がりながら上って… と、ずっとずっと、短いスパンで多くのハンドル操作とアクセルワークを必要とする場面が続きました。

 

砂が重い中で、車両に充分な勢いを得る前に上っていかなければならない状況、プラドのパワーも限界で、今にもスタックしてしまいそうな状況でアクセルを踏み… 。そして、重い砂の中で、ハンドルを目一杯右に左に素早くきり… 。これをやめてしまえば、プラドはスタック、脱出までに数10分かかります。

 

 炎天下での砂堀り作業もシンドいですが、砂丘を越えていくのも、本当にシンドかったです。これまでは、砂丘越えの際にシンドいと思った事はありませんでしたが、砂丘越えにも体力が必要であると、初めて悟った瞬間でした。思わず、余りのシンドさで、 “うわっ… という声が体内から漏れ出てしまう程でした。ただ、こういった地形の走行は昨年経験をしませんでしたので、今回初めて走行をして、非常に勉強になりました。

 5日目スタート地点 1

 こうして10km 続いた小山フカフカエリアを抜け出して、ようやく通常の走行に戻る事が出来ました。周囲も徐々に暗くなり始め、再び初日の様な暗闇の中での走行が頭を過りました。何とかぎりぎりの中でゴールを目指しましたが、残り50km 程の地点でイリトラックより声が聞こえました。

 

 「もう遅くなったから、そのまま舗装路からビバークへ戻りなさい。

 

 と。

 

 つい6km 手前で、舗装路を横切ってきたばかりでした。オフィシャルより、その舗装路まで戻って、ビバークへ向かうようにとの指示でした。止む無くUターンをして、舗装路まで戻ります。 “止む無く” というのは、全コースを走れない状況ではなく、コースを逆走しなければならない状況に対して、大きなためらいがありました。何故なら、コマ図には、ある程度のインフォメーションが記載されています。砂丘の先が落ちているとか、段差があるとか… 。逆走では、それらのインフォメーションがありませんので、大きな不安と恐怖がありました。

 

 それでも、何とか舗装路へ出てビバークへ向かわなければなりません。とにかく轍を外さない様に、たった今通ってきた道を逆走して行きました。ところが、とっくのとうに舗装路に突き当たりそうな状況でしたが、いくら戻っても、舗装路は見えませんでした。

 

 「あれ? ないねぇ。ちょっと戻ろうか…

 

 舗装路といっても、日本の様に立派なものではなく、デコボコアスファルトの上に既に砂が覆い被さっている状況ですので、一目で分かる状況ではありませんでした。また、暗闇という状況が、更にその判断を困難にさせていました。何度か来た道を戻っては、再度Uターンをして… と、4往復くらいしたでしょうか。ふと、右手遠方に、車のライトが動いているのが見えました。

 大テントの中

 「あっ、あっちにライトが見えますよ!

 

 と、私。

 

 「よし、そっち方向行ってみて。

 

 と、ナビさん。

 

 こうして、ようやく舗装路に乗っかる事が出来ました。暗闇の中で舗装路が見付けられない時には、 “一体、自分達はいつ生還出来るのだろうか… 。また午前様? など、様々な思いが過りましたが、ひとたび舗装路へ乗っかった事で、ビバークへの道が保障された様な気持ちになりました。

 

舗装路を見付けるとか、暗闇の中での走行など、普段の日常では何ともない出来事ですが、ラリーの現場では、それらの11つに容易には達成されない困難を伴います。そんな “舗装路を見付ける” という、たった1つの物事を成し遂げる為に数10分という時間並びに多大なる神経・体力を費やして、ようやく舗装路へ乗って一路ビバークへと向かいました。初日に続き、全コースを走れなかった事に関しては、淡々とその現実を受け入れる事ができ、とにかく “明日も無事にスタートをして、精一杯の自分を出してみたい” という気持ちを強く持っていました。

 

 数10分走行し、遠くに街の明かりが見え始めました。ようやくビバークが近付いてきた事を実感しました。

 

 “あともう少しで着く…

 

 ホッと一安心をしたと思ったら、突然、進路を断崖絶壁で遮られました。暗闇の先で、路面が切れている事が分かりましたので、ブレーキを踏んでその手前で止まりました。もし気付かずにそのまま走っていたら、ダイブして命はなかったと思います。ナビさんの指示でUターンをし、その脇のもう1本の道へと入っていきました。暫く走ると、ビバークの明かりを遠くにはっきりと見る事が出来ました。

 ところが、コマ図を持っていませんので、ビバークの方向は分かるものの、細かな道が分からずに、なかなかその方向へ近付く事が出来ませんでした。自分達が街の中で迷っていると、同じ様に迷っている数台のクラシック部門の車両とすれ違い、皆して街中で迷子になっている状況でした。すぐ近くに、ビバークの明かりが見えるにも関わらず。そこからどうビバークへ辿り着いたのかは覚えていませんが、街中で何度も
Uターンを繰り返した後に、ようやくビバークへ到着する事が出来ました。

 4日目大テントの入り口で

ビバークへ到着した時には、既に、19時からのブリーフィングがスタートをしていました。とりあえずオフィシャルにタイムカードを渡して、燃料を入れに行きました。プラドを日本チームの拠点に停めて、まずは休憩 & 夕食です。

 

夕食時、後半の砂丘越えでスタックをしていた際に、前進→前進→前進と繰り返していた脱出方向が、急遽後退へと変わった時の状況について聞いてみました。

 

「あの場面で、ずっと前進していったのに、何で急に後退方向への指示に変わったのですか?

 

と。

 

実は、私達がこの場所で脱出作業を続けていた際に、何台かの車両が通過をしていきました。そのラインは、私達がこれから進もうとしているラインでしたが、いずれの車両も、その場所でも苦戦しており、その状況を見ていたナビさんは、当初行こうと思っていたそのラインでは行けない (埋まってしまう) と判断をした様です。そこで、あと1.5m 程で砂丘の縁に到達するにも関わらず、別ラインからの脱出を判断し、後退の指示に変えたとの事でした。

 

「他の車両を見ていて、あのラインでは行けないと思ったから、発想の転換だよね。」

 

と。

 

必死な状況では、また、一度決めたら猪突猛進の性格では、あの様な場面では、発想の転換などという発想自体が、ありません。改めて、ナビさんの知識・経験の広さに度肝を抜かれた瞬間でした。

 

夕食を摂りながら、今日1日の出来事… ブレーキが効かない状況や、フカフカ砂丘での度重なるスタック、フカフカ小山越えの状況、暗闇の中での舗装路探索… 等々、実に1日の中で様々な出来事があったと、その11つを振り返っていました。本当にヘトヘトで、半分放心状態になっていました。

 

5日目の整備 夕食と同時に暫し休憩をした後に、プラドの整備に入りました。スタート直後から異変を感じていたブレーキ系統を見て頂き、とりあえず、現場で対応可能な範囲で対処をして頂きました。気付けば、スタート直後はブレーキの不安があり、果たして今日1日走れるだろうか… という暗雲が立ち込めていましたが、何とかほぼ1日、無事に走る事が出来ました。

 

 例年以上に長く感じられ、長い長いと思っていた今年のラリーも、残り2日。今日1日の走りを振り返って、 “砂丘名人になるには、まだまだ数年かかるな… と思う反面、  “実質的に砂漠のお勉強が出来るのも、明日が最後だろう… 。まだまだスキルが身に付いていない状況だけれども、何とか明日の間に少しでも慣れたい… 。明日は前半戦勝負なので、焦らず、ゆっくりと11つの事を吸収していこう… 。” そう思い、5日目の眠りに就きました。



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10月7日 Stage4 Abu Mingar-Baharija (Total stage 428.71km SS 4/1 229.96km SS 4/2 86.30km  Tranfers 112.45km)10月9日 Stage6 Sitra-Baharija (Total stage 431.04km SS 431.04km)